桜の開花はまだです。
2017/04/05
灰塚山(はいずかやま)「栗東市は、古くは旧近江国栗太(くりた)郡(現在の栗東市と守山市、草津市、大津市の一部を含むエリア)と呼ばれ文字通り”栗”が地名の由来になっている。伝承によれば、栗太郡に一本の栗の巨木が生えていた。その幹は500人が手をつないでやっと抱えられるほどの太さで、朝には丹波国、夕には伊勢国にその影を落としていた。枝葉は郡全体を覆い、日が当たらない田畑は不作に悩まされたという。時の帝が掃守宿禰(かにもりのすくね)を遣(つか)わし、この木を伐(き)り倒そうとするが、夜のうちに蔓(つる)の精が切り口を癒(い)やし、朝になればなんと元通りに。幾日もかけて蔓草を刈り払い、ようやく木が伐り倒されると、巨木は七日七夜焼かれて灰に。この灰を集めて塚にしたのが、安養寺山の西に位置する灰塚山である。この伝承は平安時代末期に成立した「今昔物語」がベースとなり、いくつものバリエーションで語り継がれている。哲学者・梅原猛の小説集『もののかたり』にも「天狗の住む木」としてこの説話が紹介されている。周辺には多くの古墳があり、この山の稜線(りょうせん)にも数基の円憤があったようだ。残念ながら山内を散策する道はない。金勝(こんぜ)川の灰塚橋あたりから、巨木の伝説に思いをめぐらせてみるのはいかがだろう。」「栗東市小野にある萬年寺にも栗の木の伝承がある。寺伝では、朝敵に敗れた聖徳太子をある老人が助け、栗の木の下に匿(かくま)ったという。この木の下に前身の小野寺が開かれ、後に萬年寺として再興。本尊の聖観世音菩薩立像は、太子が栗の木を彫って作ったと伝えられる。」(クラブケイブン4月号より)栗東市方面には、時々出かけますが、この様な伝承があることを初めて知りました。「こんぜ」という字が「金勝」と書くと言う事も初めて知りました。さて、テレビを見ていると、東京では桜が満開と伝えられ、大阪では3分咲きとも伝えられます。ここ安曇川では、つぼみが赤くなって来ましたが、開花まで至っていません。(写真は、今年は特に待ちどうしかった、春祭りの準備が進むお宮さんと、まだまだ雪が残る比良山系と、今朝撮影した桜の木のつぼみです)
ストーブがなおせません。
2017/04/02
「朝食は「パン派」が5割。少し前にJA全中が調べたところ朝食の主食として最もよく食べられていたのはパンでした。年代や性別によって差がありますが、毎日の食生活にすっかり定着していることがわかります。もともとパンは戦国時代に鉄砲とともに伝わり、幕末には兵学者の江戸太郎左衛門が兵糧として初めて本格的に製造。明治以降は日本中にひろまっていきました。今では全国のまちのパン屋さんは1万軒以上も。柔らかく、しっとり、もっちりした食感。種類の豊富さ。世界からも高い評価を受けている日本のパン技術や文化。あんパンのように独自に開発し、庶民に受け入れられていったものも多い。日本社会に根づいているパン屋ですが、それが「和菓子屋」に書き換えられました。小学校の道徳が2018年度から教科書を使うことになり、文科省が検定。学習指導要綱にある「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」という点が足りないと指摘され、教科書会社が修正しました。ただでさえ、人の心を国が縛ることにつながる道徳の教科化。一方的な価値観が押し付けられ、こんなばかばかしいことが平気でまかり通ることに。和菓子屋だって不本意でしょう。だいたい、違法な天下りを省ぐるみでやっていた面々に人の道を説く資格があるのでしょうか。戦争する国づくりのなかで、道徳を強制していく安倍政権。「和」が大切というなら、、平和な世の中、だれもが和やかに暮らせる社会をつくることこそ、国の役割です。」(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この話は、MBSの「ちちん・ぷいぷい」で取り上げあれていましたので、覚えています。「おじいさんと孫が街に出てパンを買いました」が不合格で、パンを和菓子に変えたら、一字一句同じなのに合格となりました。出演していた面々も良く分からないし、どこか怖い話だと言っていました。さて、4月に入りましたが、寒い日が続き、昨日は10℃、今日は少し上がって13℃しかありません。石油ストーブを片づけようとしているのですが、まだしばらくは様子を見ることになりそうです。(写真は、お昼に食べた「とんかつご膳」と「天ぷらご膳」で、「新そば」が付いてどちらも1280円と割安でしたと、白木地区の防波堤に描かれた子供たちが書いた絵です)
3月も後2日ですね。
2017/03/30
「春の風物詩の選抜高校野球である変化がありました。大会前の甲子園練習で女子マネジャーが参加できるようになったのです。きっかけは昨夏、大分高校の女子マネジャーが練習の途中で制止されたこと。理由は「危険防止」でしたが、日ごろ練習に参加している女子マネジャーも多く、「それはおかしい」との声があちらこちらから。議論の末、認められました。いまだ大会中の練習には参加できないなど制約は多い。それでも「一生記憶に残るすばらしい時間だった」。感激いっぱいのマネジャーの姿に心が軽くなります。今月、柔道界でも女子選手をめぐるあしき慣例が破られました。それは帯。男子は黒、女子は真ん中に白線が入っていたものを黒に統一します。柔道の創始者、喜納治五郎師範は、女子は修養が大事と乱取りや形のみとし、試合を許しませんでした。男女いっしょの練習も禁じ、その区別のために白線を入れたと『性と柔』(溝口紀子著)にはあります。そうした考え方が影響し、女子の全日本選手権も1978年になるまで開かれませんでした。1999年の国際柔道連盟の総会で、日本選手の白線入り帯は「女性蔑視だ」と批判されました。日本はその後、国際大会のみ黒帯に変えて対応してきました。4年前、女子代表選手が監督らの暴力的指導を告発し、社会問題となりました。以来、全日本柔道連盟での改革がすすめられ、今回もその一環です。歩みは緩やかですが女性のたたかいと世論が、歴史を着実に前にすすめています。(30日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この様な古いルールを決めているのは、たいがいが男性だということですね。さて、今日の安曇川は、気温が17℃まで上がり「春本番」と言う感じです。来月の初めには、桜の花が開花するのではないかと思っています。(写真は、久しぶりに訪れた美浜町「水晶浜」から見た美浜原発と、廃炉が決まった高速増殖炉「もんじゅ」と、白木地区の海の美しさはを感じる海草が根元まで見えます)
今日は寒い日になりました。
2017/03/27
福島原発事故6年 避難自治体は今 「福島県飯館村では31日に大半の地域で、東京電力福島第1原発事故にともなう避難指示が解除されます。復興庁が1月に行った調査(回答率44・7%)では村民のうち、「戻りたい」が33・5%、「戻らない」30・8%、「判断がつかない」19・7%です。「私ら難民だよ」福島市内の仮設住宅で暮らす佐藤典雄さん(70)は、飯館村で農業を営んでいました。「ここを出なきゃならないとなると、村に帰るしかない。希望があるというわけではない。私らは難民だよ」と話します。今から農業をやり直すには年齢的にきついという佐藤さん。「国と東電は原発は安全だといって、こんな大事故を起こしたのに、それでも再稼働を進める。何か狂っているのではないか」と憤ります。同じ仮設住宅に住む高橋好明さん(85)は1人で村に戻る予定。「私は水に流された、ありんこのようなものです。国と東電には賠償と生活保障をお願いしたい」と話します。震災前と比べ、村の様子は激変しました。▽可燃ゴミ収集は週2回から1回▽交通量は工事車両などが増え倍増▽郵便局・簡易郵便局は6カ所から1カ所▽金融機関(ATM)のみも含む)10カ所から4カ所▽診療所は1カ所と変わらないが、週6日開業から週2日開業へー。(一般社団法人「いいたてネットワーク」まとめ)村の数カ所に除染で出た廃棄物を入れたフレコンパックが山のように積まれています。放射線量を測る 帰還に向け長期宿泊している農家の花井文雄さん(75)は「家の裏山は20b四方の範囲でしか除染されていない。田んぼの排水路もつまったままだ。まだ生活するうえで課題が多い」と話します。昨年10月の村長選で「国、東電いいなり村政の転換」を訴えて善戦した、佐藤八郎元村議(65)と一緒に、村の線量計を測って回りました。村役場のモニタリングポストは毎時0・31マイクロシーベルトですが、隣接する木の植え込みでは1・17マイクロシーベルトなど、放射線量はまだらの状態です。政府が除染の長期目標とする追加被ばく線量の毎時0・23マイクロシーベルトを上回っています。佐藤さんは「帰還に『初めに村民とと協議・合意ありき』が基本なのに、スケジュールありきで進められている。村民が主人公の立場で国と東電の責任を果たさせていく村政への転換が必要だ」と話します。」(27日付けしんぶん赤旗「震災 原発」欄より)国や東電は、賠償を早く打ち切りたいために、帰還を急がせているとしか思えませんね。さて、25日(土)は、臨時休業を頂き、福井県・越前市にある、しきぶ温泉「湯楽里」に今年初めて行きました。この日は、土曜日にもかかわらずお客が少なく、ゆっくりと入浴出来ました。(写真は、春めいて釣人が増えた「鞠山・海釣り公園」と、「湯楽里」のシンボルとなっているシロクマのはく製と、吹き抜けの天井が開放感のあるロビーです)
選抜高校野球を観ています。
2017/03/24
「「志合合えば胡越(こえつ)も昆弟(こんてい)たりり」。北方の胡と南方の越の者とでも、志が一致すれば兄弟のように親しくなれる。古くは漢書にもあるように、志を同じくする者同士の結びつきは深い。手のひらを返すように、はしごを外された、トカゲのしっぽ切りー。学校法人「森友学園」の籠池泰典理事長は証人喚問で無念の思いを何度も口にしました。教育理念をたたえていた安倍首相をはじめ、同志たちに裏切られたと。首相に心酔しているという理事長。きっかけは第1次安倍政権時の教育基本法改正だったと週刊誌に答えています。憲法の大原則に反する「愛国心」の強制や教育内容への無制限の国家介入。改悪にも「美しい日本を復活させようという思いに心から共鳴した」。極右団体「日本会議」の大阪支部役員を務めているという理事長は戦前の皇国教育をよみがえらせようとしてきました。子どもたちに教育勅語を暗唱させ「安保法制、国会通過、良かったです」と言わせる。「天皇国日本」の考えのもと、人権を抑えつけて。8億円も値引きした国有地の払い下げ、大阪府の「認可適当」、安倍首相からの100万円の寄付と昭恵夫人の口利き・・・。理事長の証言を聞くほど、首相夫妻や政治家の関与疑惑は深まるばかり。関係者にはこたえる責任があります。自分たちの都合が悪くなれば志をともにする”仲間”をあっさりと切り捨てる。時代錯誤の志とともに彼らの絆の浅さもあらわに。森友問題に付きまとう、おぞましさとといかがわしさです。」(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)テレビを見ていると、籠池理事長の話も「本当かいな?」と思いますし、政治家の話も信用出来ません。どこか、「狐と狸の化かし合い」のような気がして、それ以上は見るに耐えなくなってしまいます。その点、「選抜高校野球」は、さわやかで美しいので私を楽しませてくれます。(写真は、座禅草の写真のパート2です)
福島の「県民健康調査」。
2017/03/21
「福島は、3・11から6年目の春を迎えている。この間、福島県は「県民健康調査」検討委員会を数カ月に1度のテンポで開いてきた。2月の委員会で26回目になった。調査の対象になっているのは、ストレスや生活習慣の変化からくるこころの健康や、妊産婦や小児の健康、小児の甲状腺がんなどである。小児甲状腺がんは毎回のように増え続け、直近の委員会では、疑いのある人を含め184名になった。チェルノブイリで甲状腺がんが増えたのは5年ほどたった頃からであり、福島の場合はスクリーニング効果や過剰診断によるものと説明されてきた。福島県放射線リスク管理アドバイザーの山下俊一氏は2014年5月の時点で、小児甲状腺がんは1aほどの大きさになるには4〜5年かかると考えられ、「平均の大きさが1・43aいうことから、事故の前からあったと推測できる」とも発言していた。昨年出された報告書は原発事故による可能性をまったく否定してはいないが、「総合的に判断して、放射線の影響とは考えにくい」と言う。山下氏らは検診は自主参加にすべきだとも提言したが、疑問だ。近く開かれる甲状腺検査評価部会で提言も検討されるだろうが、県民に寄り添うことが求められてる。」(21日付けしんぶん赤旗「朝の風」より)NHKのテレビ番組で、チェルノブイリの科学者が、福島の植物を見て、「同じような異常が見つかり、驚いている」と発言していました。植物に異常が発生していれば、人間にだって異常があっても不思議ではないと思いますがどうなのでしょうか?さて、大阪・大東市へのお墓参りの後、S先生も含め14名の参加で「ミニ同窓会」が開かれました。久々にお昼から飲む酒が美味しくて、ついつい飲みすぎてしまいました。(写真は、昔はよく買い物に来た商店街と、OBP(京橋)の36階から見た景色です)
明日は墓参りです。
2017/03/18
「国会の証人喚問といえば、流行語にもなった有名なフレーズがあります。「記憶にございません」。戦後最大の疑獄、ロッキード事件で喚問された小佐野賢治が答弁で連発しました。黒幕や政商と呼ばれて日本の政界を暗躍した小佐野は田中角栄の刎頸(ふんけい)の友でした。田中が首相になったときも結託し、総理の座を買い占めた人物といわれました。小佐野の国会証言は偽証罪に問のわれ、ロ事件は田中元総理の逮捕へとつながっていきました。いま国有地の”爆安”払い下げ問題になっている森友学園の籠池泰典理事長が証人喚問されることになりました。無関係だと言ってきた安倍総理から100万円の寄付があったとも語っており、証言の信ぴょう性が注目されます。すべて国会で話すと本人も述べているように、ごまかさず真実を明らかにしてもらいたい。寄付を否定する首相も、覚えがないという昭恵夫人も、籠池氏との関係についてみずから口を開くべきです。森友問題にしても、陸上自衛隊の日報隠しにしても、最近の国会答弁のひどさは際立っています。これだけ疑惑が噴出し、答弁との食い違いが示されているのに、隠し、はぐらかし、虚偽の上塗りまで。自分に都合が悪くなると途端に記憶がなくなる。国民の疑問に誠実に答えようとする姿勢がかけらもない閣僚や官僚の答弁。そこには憲法破りを重ね突っ走ってきた横暴政治のマヒ、議席と支持率を背景にしたおごりがぷんぷんと。それを許すほど国民は甘くありません。(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)新聞やテレビを見ていると、「籠池氏」という人物もあまり信用が置けないようです。それでも、証人喚問でどのような発言をするのか見てみたい気がします。さて、「雪だより」も聞かなくなり、車のタイヤも冬用から夏用に交換を始めました。また、12月までしばしのお別れとなりますが「ほっと」一息つく瞬間でもあります。明日は、大阪・大東市まで彼岸のお墓参りに行って来ます。その後、15名が集まって「ミニ同窓会」があるので楽しみです。(写真は、13日に今津町・下弘部にある「ざぜん草」ですが、雪が多かったせいかまだ「つぼみ」の状態が多かったです)
なごり雪でしょうか?
2017/03/15
「東京電力福島第1原発事故から6年、私たちが学んだことは少なくありません。事故がもたらした被害の深刻さ、原発が1基も動かなくても電力不足にならない・・・。再稼働反対は今も世論の多数です。理由の中に「核のゴミ」の問題もあります。日本学術会議の委員会で先週、意見が交わされました。原発を今後どうしていくのかがテーマ。委員から「根本的な疑問」だとして、「原発は放射性廃棄物までの処理について、考え方が出来上がっていない。巨大な工学システムとして未完成な技術ではないのか」。「私も」と別の委員が応じました。「長期の安定保存ができるのか、技術的な裏づけがない。だけど、世界的にも解決しないまま、”たぶん大丈夫だろう”という前提で原発を進めてきた」と。一方、「核のゴミ」の処分地選定で安倍政権は2年前、「国が前面に立って」「科学的有望地」を国民に示すと決定。経産省の審議会がその方針に沿って議論をしています。ところが、今月に入り、「科学的有望地」の名称は、「処分地が決まるようだ」と国民の誤解を招くという理由で、使用をやめました。「議論が迷走」と報じられもしました。そもそも本末転倒なのです。安倍政権は、現世代の責任者として「将来世代に負担を先送りしない」といいます。現世代の責任というなら、原発を再稼働せず、「核のゴミ」をこれ以上増やさないことです。商用原発が国内で稼働して半世紀を超えました。未完成な技術に頼り続けるのはもうやめにしたい。」(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より 敦賀市内にある「高速増殖炉・もんじゅ」も、ほとんど結果を残さず廃炉が決まりました。莫大な税金を投入した結果がこれですが、そのお金を「自然エネルギー」の開発に向けた方が現実的ですね。さて、今日の安曇川は、朝から雪まじりの雨が降り、車の屋根は白くなりました。これが、「なごり雪」になるように祈りたい気持ちです。(写真は、車に積もった雪と、空き地の一部も白くなりました)
ようやく春が来た?
2017/03/12
「東日本大震災・東京電力福島第1原発事故から6年を経た被災地の状況を知るために本紙は、自治体アンケートを行いました。岩手、宮城、福島3県の54市町村に依頼し、すべての自治体が応じてくれました。○・・・3県の復興は、回答した半数が「とりかかったばかり」「道半ば」で、まだ進んでいません。岩手県陸前高田市、大槌町、宮城県石巻市など被害の大きい自治体や、福島県双葉町、大熊町など放射線量の高い自治体があてはまります。○・・・福島の自治体からは除染の進行について「自治体の総面積8割を占める山林の除染がまだ行われていない。具体的な対策を求める」「除染も進み、風評被害も収まってきているが、それで復興しているとは思えない」などの意見が寄せられました。多くの自治体が東京電力に、賠償への誠実な対応を求めています。国には「復興は長期にわたること、子どもが戻れない地域を作ってしまった責任は重いことを認識し、市町村の裁量を最大限に尊重した財政支援を求める」という厳しい要望も。○・・・岩手・宮城でも「制度に復興をあわせるものではなく、復興に制度をあわせる」べきだなど国への要望が相次ぎました。復興への国の責任の重さを痛感させる自治体の声でした。」(12日付けしんぶん赤旗「まど」より 昨夜、TBS[報道特集」の中で、インタビューに答えた福島第1原発の責任者が「今度の事故を教訓に、さらに安全な原発を推進する必要がある」と答えたのには驚きました。この先の事故収拾のメドも立たないのに、反省のない発言でしたが、原発の発電は安くつくなんて誰も信じないでしょう。さて、先日から何度か「つくし」を探していたのですが見つかりませんでした。「今年は、雪が多かったからな」とあきらめていましたが、今朝、ようやく見つける事が出来ました。(写真は、少しだけ頭を出したつくしと、まだまだ雪が残る比良山系の山々です)
いずれ、出口は来るA。
2017/03/09
かつての活気を「自身も3人のいとこを震災で亡くしました。津波で破壊された故郷は、新しく建てられた駅舎を中心に商業施設が集まり始めました。しかしー。「少子高齢化がすすんでいた中で被災し、1万の人口は7千に減りました。かつて女川の港は小さいながら、全国から漁船が集まり、夜な夜な漁師たちでにぎわう町でした。どうやって少しでも元にもどしていくのか、真剣に考えていかないといけない」幸せの実感こそ「番組がモットーとするものは「非・東京目線」。前身の「マンデードキュメント」から数えて1年半、TBS系地方局制作の作品に光を当て、これまで震災についても取り上げてきました。「震災があってからつくづく思うことは優先順位のつけ方ですね。『命でしょ』ってことになるわけだけど、現場から見るとどうも違う。福島県から自主避難している人たちへの住宅の無償提供は、今月いっぱいで終わるわけでしょう。『6年もたてば経済的に大丈夫でしょ』と、国も県も甘く見ていると思うんです。避難指示だって解除して人が戻ればいいってわけじゃない。子どものいる親たちは許しますかね。復興とは、普通の生活の中で幸せを実感できてこそなんです」子どもたちについて語るとき、熱のこもる中村さん。励ましのメッセージを寄せます。「今は、ちょっと長いトンネルにいて、精神的につらい思いをしていると思うけど、ある程度限られた時間のことだから、いずれ出口は来ると、どうか頑張ってほしい」」(6日付けしんぶん赤旗「テレビ・ラジオ」欄より)間もなく震災から丸6年を迎えますが、仮設住宅に3万に以上が住んでいるそうです。結局、生活の再建が出来ない高齢者や障害者が取り残され行くようです。さて、先ほどS先生から「雪は大丈夫か?」とお電話がありました。幸い、車の屋根 にうっすらと 積もっただけでしたが、長浜市・余呉町では60aも積雪があったそうです。(写真は、敦賀湾を望む日本海と、道の駅「三方五湖」の外観と、水鳥が戯れていた三方湖です)
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