| 「派遣村」の144時間。 | - 2009/01/07
- 「これが、先進国・日本の光景なのか」ー。「派遣切り」で仕事と住居を奪われた人たちが駆け込み、霞ヶ関、銀座、新橋という官庁街、ビジネス街に接する「都会のオアシス」が、緊急避難場所に一変。訪れた誰もが、驚きを口にする厳しい状況から、「年越し派遣村」は始まりました。「拾った新聞を見て」路頭に迷った人たちが、拾った新聞や家電量販店のテレビでニュースを見て、わらにもすがる思いで派遣村にたどり着きました。「三日三晩、何も食べずに歩き回って、めまいがする」という人、失業のショックからニュースで聞いた「日比谷・派遣村」という言葉以前の記憶がなくなっている人がいるなど、体は冷え切り、精神的にも追い詰められていました。「人ごとではない」12月31日にボランティアをしていた女性は、「自分も3月以降の契約がどうなるかわからない。人ごとではありません」と炊き出しなどを手伝っていました。全労連などの労働組合、個人参加などでボランティア登録した人は、1700人近くになりました。テントや毛布などが業者や自治会の協力で届きました。「お年玉届けたい」赤旗編集局には、募金や救援物資の送付先の問い合わせが相次ぎました。「お年玉を届けたい」という子どもからの電話もありました。「人のあたたかさにふれて、勇気をもらった」という「村民」たちは、自らボランティア登録し、助け合いへの参加をはじめました。「厚労省を見上げて」本部テントから見上げれば、派遣村から5分の場所にある厚生労働省の庁舎がそびえていました。「このままでは、凍死者が出てしまう」「『派遣切り』被害者を救うのは、本来なら、国と企業の責任ではないのか」と実行委員から怒りの声が上がりました。「生活安定へ一歩」「派遣村」村長の湯浅氏らは2日、厚労省に、緊急避難場所の確保を求めました。日比谷公園の野外音楽堂の前で湯浅村長が、「みなさんの声が国を動かしました」と報告すると、「村民」から歓声がわきました。湯浅村長は「二度と『派遣切り』を許さないため、政治が役割を発揮してほしい」といいます。「村民」の男性は「ボランティアに助けられた。今度は私たちが立ち上がる蕃です」と語りました。(1月7日付けしんぶん赤旗より)日比谷公園と言えば、若かりし頃今の嫁さんとデートしたものですが、本当に都会のど真ん中にあり良いところです。それにしても、「捨てる神があれば、拾う神もある」とはよく言ったものです。(写真は、誰が作ったか雪だるまがありました)
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