阪神タイガースを応援しているのですが?
2025/10/27
「金を出すから原発を再稼働させてくれといわんばかー。新潟県にある東京電力柏崎刈羽原発をめぐる、先日の新潟県議会のことです。再稼働に向けて東電と政府の露骨な姿勢が表れました。参考人として東電の小早川智明社長をはじめ、政府から資源エネルギー庁の長官、原子力防災を担当する内閣府の審議官らが出席しました。東電社長は、再稼働で火力の経費削減が継続的に見込まれたら、地元の地域振興の活性化に10年程度で1000億円規模の資金を拠出すると。エネ長官は、事業費が1000億円を超えるとされる原発からの避難道路を地方の負担なく整備すると明言。内閣府も、事故時の屋内退避のための体育館の気密化などの整備について5年間で100億円を国と東電で負担すると説明しました。東電は再稼働後に、1年半程度かけて1,2号炉の廃炉への検討に入るとも。これらの表明はすべて自民党議員とのやりとりの中で明らかにされました。「出来レース」だとの声があがったのは当然です。再稼働を急ぎたい政府、東電ですが、新潟県が9月に実施した再稼働に関する意識調査の中間報告では、再稼働の条件は整っていないと回答したのは6割。さらに東電が柏崎刈羽原発をうんてんすることが、心配だとする回答は約7割にも。福島第1原発事故から14年以上たっても東電への不信が根強い証です。事故後もトラブルなどを繰り返しており、原発を動かす資格があるのか問われています。お金で安全は売り渡せません。」
(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
原発の立地している場所は、大きな企業もなく税収に困っている事が多いです。色々な補助金を出して「毒を食わらば皿までも」となってしまいます。さて、日本シリーズの阪神は、第1戦こそ2−1で勝ちましたが、昨日の弟2戦は、投手陣が打たれ「ボロ負け」しました。あんなに打たれた投手陣を見たことがないので、次の試合が心配です。「写真は、西浅井町にある「丸小船の館」ですが実物大の船が飾ってあります」
店も暖房を入れました。
2025/10/24
「女性がいっせいに仕事や子育て、家事を休んだら社会は一体どうなるの?それを見える化したのが、北欧アイスランドのストライキ「女性の休日」です。1975年10月24日の前代未聞の取り組みから今年で50年。男女平等世界1位、女性が最も生きやすい国といわれるアイスランド。その昔は、夫の出世が妻の幸せなどという役割を強いられていました。女性の9割が参加したと言われるストがどうして実現できたのか。ドキュメンタリー番組「女たいがいなくなった日”男女平等先進国”アイスランドの原点」(NHKBS 初回放送は昨年10月22日)は、当事者の証言とアニメーションで「休日」を手にした経過を伝えました。75年6月、アイスランド政府が開催した「女性会議」が重要な契機に。労働組合、女性団体など多様な考えを持つ人たちが集まりました。男性より低賃金なのに「女性が働かなければ社会は回らない」。そのことを全国民に伝えるには、丸一日のストだと呼びかけることに。この会議でストに賛同する署名が集まります。ところが右派の人たちが反対。ストライキという言葉は受け入れられないと。そこで「休日」に変更。必要だったのは団結だったからです。全日ストの実現はその後の「ジェンダー平等法」の制定につながる大きな一歩に。”みんなの心臓が同じ鼓動を打つのを感じていた”。この日を振り返る映画が25日から全国で順次公開されます。思想や職種の違いを超えた、躍動の歴史をかみしめたい。
(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
昔地理で覚えたのは、アイスランドに雪が無く、グリーンランドに雪があるとの言葉でした。さて、夏から秋を飛ばし、冬が来たのが実感ですが準備が追いつきません。「電気毛布が欲しい」と嫁さんに言ったら、「まだ準備できてないわ」との返事でした。「写真は、マキノ町にあるメタセコイヤの並木道です」
急に寒くなりましたね。
2025/10/21
「あの日、「世の中は動く」ことを実感したそうです。1人の力では無理だけど、その力が重なればできると。プロボクシングの元世界チャンピオン、浜田剛史(つよし)さんです。沖縄で生まれ育ち、父親が米軍基地のある普天間でビジネスホテルを経営。客の9割が米兵で、街中では米兵の事件が頻発していました。フロントにいた母親が銃を突きつけられ金を奪われたことも。そんな姿を幼い頃から見てきました。上京し内地の人たちは沖縄のことを知らされていないと感じてきましたが、あの集会によって多くの人びとが実情を知ったといいます。8万5千人が声をあげた1995年10月21日の「県民総決起大会」です。沖縄では同年9月に米兵3人が女子小学生をさらって暴行する事件が起きていました。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦に続き、戦後も米軍が居座る中でくり返されてきた米兵の犯罪に怒りは爆発、叫びは列島にこだましました。米軍基地の整理・縮小や日米地位協定の見直しを求めるうねりは両政府に衝撃を与え、普天間基地の返還合意へとつなげました。しかしそれは辺野古への新基地建設となり、アメリカいいなりの自民党政権によって残り続け、米兵による性暴力も後を絶ちません。幾度となく押し寄せる悲しみの波はいつになればやむのか。昨年12月、米兵による少女暴行に抗議する県民大会に登壇した中高生は、30年前の高校生代表と同じ言葉で訴えました。「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」」
(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
私が沖縄に行きたくない理由の一つに、激戦地で沢山の命が失われた地だからです。父親の友人は、その激戦で生き残った人でしたが、沖縄だけは見たくないと言いながら亡くなりました。さて、昨日から急に寒くなり、今日のエアコンは暖房を入れています。夜に寝る時も厚手の布団をかぶり、寒さに耐えています。「写真は、長浜市・西浅井町から見た奥琵琶湖の光景です」
今日は行楽日和とはなりませんでした。
2025/10/18
「「来場者のみなさんありがとう」。大阪・関西万博の閉会式で大阪府の吉村洋文知事(維新代表)は「ありがとう」を8回も繰り返し「万博成功」をアピールしました。のべ2550万人来場というものの、複数来場を除けば1000万人台とも。企業に入場券を税控除で買わせてばらまき、子どもたちを学校動員。水上ショーや音楽コンサート、花火、盆踊り、全国飲食店街など「いのち輝く未来社会」のスローガンと無関係のイベントでかき集めたことは否定できません。噴出した問題点ーパビリオン建設の遅れ、実質2倍増の建設費・運営費、ガス爆発の危険、ユスリカ大量発生、4万人弱が帰宅不能、巨額の建設費不払い・・・。どれも維新の松井一郎元知事が、無法なカジノのインフラ整備を公費でやるため、大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)での万博開催を押し付けたことが大本に。会場はゴミ処分場で軟弱地盤のために費用が増加、公共鉄道は1本だけで大混雑に。万博協会の十倉雅和会長(前経団連会長)も「夢洲という立地性制約がありアクセスも限られていた」と認めます。維新府市政は、万博優先で賃上げ支援も全国一高い社会保険料値下げもなし。万博便乗の大型開発のツケもこれからのしかかります。「人類の進歩・文化交流」という万博の理念を踏みにじった維新。住民投票で2度も否決された「大阪都構想」の3度目をねらっていますが、自民党との連立は矛盾・批判を避けられません。カジノ・都構想を許さないたたかいは続きます。」
(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
行こうか、行くまいかと考えているうちに、終わってしまったというのが実感です。この安曇川町では、「行って来たよ」との話も聞かず、盛り上がりに欠けていたのは事実です。さて、10月も中盤になりましたが、経済的に厳しいのか静かな日々が続いています。「写真は、菅浦地区にあるお宮さんですが、裸足で参拝するのが義務ずけされています。奥琵琶湖パークウエーイから見た長浜市方面です」
嫁さんは伊那市に出張です。
2025/10/15
「日本被団協ヘのノーベル平和賞授与から1年。核兵器使用の生き地獄を体験し、「ノーモア・ヒバクシャ」を内外で訴え続けます。授与の背景にあったのは、イスラエルなど核兵器を持つ国が2桁近くになるなか、国際的な危惧の広がりです。代表委員の田中照巳(てるみ)さんが8日の全国代表者会議の挨拶で明かしました。「ノーベル委員会はことし授与しようとしたのを、1年早めました。核保有国のロシアが核の脅しでウクライナを侵略するなど、本当に使う危険と恐怖があります。この世界の思いが、昨年のノーベル平和賞の受賞になりました」。受賞後、被団協への海外からの講演依頼が飛躍的に増えました。核兵器の使用などを禁止する核兵器禁止条約は、2021年に発効し、署名・批准・加盟国は99カ国に広がりました。しかし、米国はじめ核保有国とその同盟国の参加はありません。「人類がみんなヒバクシャになるのではないかという危惧でいっぱい」。核兵器全面的廃絶国際デーの9月26日、国連ハイレベル会合で田中聰司代表理事は、こう切り出して各国の政府代表に訴えました。「人類最後の日までの時間を示す終末時計は89秒しかなくなりました。鍵を握る核保有国のリーダーの皆さん、私たち被爆者と面談する機会を設けてください」被爆者の平均年齢は86歳を超え、いずれいなくなる時代が。田中照巳さんは若い世代によびかけます。「願いと目標は核兵器の廃絶です。唯一の戦争被爆国の国民として、共に行動しよう」。」
(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
名前の田中照の字を検索しましたが、見つかりませんでした。正しい字は新聞で確認して下さい。さて、今朝から1泊2日で嫁さんは公務として長野県・伊那市と愛知県・豊橋市に視察の出張で出かけました。今晩は、母と2人だけの夕食となりそうで、ご馳走を用意したいと思います。「写真は、西浅井町・菅浦地区の町の景色ですが、この先道はありません」
今日は曇り空の一日です。
2025/10/12
「実隊は自民党と同じですよー。公明党がまだ野党だった頃、田中角栄がこう話したことがあります。1984年の田中派の講演で、「公明党は、いつか自民党と一緒になる。こういう性質の政党だ」(『自民党の魔力』)。80年の社公合意をへて政策的ににも自民党にすり寄っていた公明党の正体を見透かしていたかのように。その後、田中派の流れをくむ平成研究会を率いる小渕氏が首相だった99年に公明党は自民党と連立を組みました。与党となることを追い求めてきた公明党と、権力基盤が揺らいでいた自民党との合従連衡(がっしょうれんこう)。当時の神崎代表はそれを「公明党は責任政党としての政治的リーダーシップを発揮するため」だと正当化してきました。それから四半世紀に及ぶ連立の歩みは自民党政治を支え、数の力で悪法を押し通す悪政の連続でした。平和・福祉の党の看板をなげすて、戦争する国づくりや消費税の相次ぐ増税。社会保障のきりすてに協力。「ブレーキを踏むそぶりだけ」「下駄(下駄)の雪」とやゆされも権力にしがみつく姿を。その党が、とうとう自民党を見限りました。連立離脱は、金権政治の無反省や物価高への無策をはじめ、極右・排外色の強まる高市・自民党と一蓮托生(いちれんたくしょう)ではこのまま沈んでいくだけとの思惑があったからか。自公体制の崩壊によって今後、野党を取り込む動きが活発化します。しかし、庶民の生活とかけ離れていくばかりの自民党政治を延命するための存在は遅かれ早かれ、新たな「下駄の雪」になるだけでしょう。」
(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
公明党も連立離脱と言いながら、総理大臣の任命では、野党の候補者には入れないとの発言でした。結局は、中途半端な対応で、今後はどうして行くのでしょうか?さて、朝夕寒さを感じる日もあり、急速に夏が遠のいて来ました。今になると、あの暑さも懐かしくも感じるようになりました。「写真は、秋が深まりつつある近所の光景です」
秋が深まって来ましたね。
2025/10/09
「自然科学の研究者の世界は、寛容な社会らしい。互いの研究成果を信頼し、それを基に新たな研究の進展を図る。同時に異端の研究や最先端を開こうとして生じた間違いに対しても。自著でもふれている、その寛容さを信じて長い冬の時代を乗り越えてきたのか。今年のノーベル生理学・医学賞に米国の研究者とともに選ばれた坂口志文(しもん)さんです。40年余にわたって過剰な免疫細胞を抑える「制御性T細胞」の研究にとりくんできました。私たちの健康を維持するうえで大きな鍵を握る免疫システム。その暴走を抑え、免疫系の「守護者」と呼ばれている細胞です。働きを解明することで今後はアレルギーやがんの治療などへの応用が期待されています。京大医学部を卒業後、「病の理(ことわり)」を知りたいと病理学の基礎研究の道へ。しかし追い求めた細胞の研究は注目されず、活路を求め米国へ。財団の奨学金に応募して研究を続けました。「日本の基礎科学への支援は不足しているように感じる。ぜひとも支援をお願いしたい」。文科相との電話会談で要望した坂口さん。日本では9割近い研究者が科学研究力の低下を感じているとのアンケート調査もあり、予算も時間もない深刻なありさまです。日本のノーベル賞受賞者が口々に訴える国の支援の貧しさ。免疫分野の研究資金はドイツの3分1ほどだと。坂口さんの快挙に目を輝かせる若い研究者が学生ら。意欲の芽をつぶさず、自由な発想や挑戦ができる環境づくりと寛容さが求められています。」
(9日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
研究者に対する日本の予算は少なく、外国で研究を続ける人も多いとお聞きします。軍事費の膨大なお金を注ぎ込むより、人類の生活に役立つ研究こそ大切ですね。さて、昨夜は台風22号の影響か、強い風が吹き、その音で目が覚めました。こんなに離れているのに、と思いながら台風の進路の人は大変だなと思いました。「写真は、秋の景色であるススキの穂が光に輝いていました」
今晩は中秋の名月ですね。
2025/10/06
「朝鮮人差別の母のあの言葉」「新潟・燕市 佐藤美和子(76歳)」「約20年前、82歳で亡くなった母が、私が子どもの頃によく口ずさんでいた「朝鮮人、朝鮮人てバカにするな。同じメシを食ってどこちがう」。明らかに朝鮮人への差別で満ちていました。在日朝鮮人に向けた言葉で、子ども心にも違和感を持ちました。高校生となり「真実の歴史を学ぼう」をモットーとする世界史クラブに入部。朝鮮近代史(日本による植民地支配の史実)を学び朝鮮人民への共感と連帯こそが私たちに未来がある歴史があると確信できました。参政党など極右・排外主義者による外国にルーツのある人々への差別発言に危機感を覚えます。衆参で自公が過半数割れに追い込まれる中、外国人に悪政の根源があると決めつけ、国民の現政権への批判の目をゆがめる狙いを感じます。改めて現憲法の平和主義、基本的人権の尊重を守らねばと決意しているところです。」
「コオロギの音秋に気づいた」「名古屋市 佐々 漁己(74歳)」「9月中旬、連日30度を超える毎日だった。行きつけの喫茶店で顔見知りと「猛暑談議」をしていたら、店内の異なる場所からコオロギの呼び合うような声が聞こえてきた。「オスとメスが呼び合っているのかな」「不思議と涼しい気分になりますね」と意気投合した。コオロギの生態を調べ驚いた。鳴くのはオスだけで、成虫の寿命1,2カ月と思いのほか短い。その日は偶然、友人から自宅で飼ってイルスズムシの動画も届いた。「暑い暑い」と言っている間に「虫の音」が気づかなかった「秋の訪れ」を教えてくれた。」
(6日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
朝鮮人の話は、私が生まれた大東市でもあり、まったく同じ言葉が返って来ました。あれは全国で流行って?いたのでしょうか。さて、暑さも一段落し、過ごしやすい日になって来ました。今夜は「中秋の名月」だそうで、しばし夜空を見上げて見ましょうか。「写真は、マキノ町のメタセコイア並木ですが、外国人(主に東洋人)でごった返していました」
ヤモリ君はまだ生きていました。
2025/10/03
「ぼくの信頼の根底にあるのは、どんな時代にあっても、物事の見方、考え方がぶれない、一貫していることです。人間一人ひとりの事を考える社会、平等のために、役割を果たしてほしい。俳優の仲代達矢さんが、愛読する「しんぶん赤旗」日曜版の創刊50周年に寄せた思いです。戦争や格差、人が大切にされない社会あって温かく安心して読める、生活者の目線に立った新聞として定着してきました。家族みんなで楽しめる、面白くてためになる、生きることに勇気が出るー。国民に愛される新聞をめざして66年前に発刊された日曜版の方針は今にも引き継がれています。政権を揺るがす数々のスクープも加わりながら。「赤旗」日曜版の歩みは、日本の新しいジャーナリズムとして挑戦の道のりでした。取材相手と深い信頼関係を築き、読者とともにつくる新聞。いま、創刊以来の大きな挑戦が始まりました。電子版の発行です。「日本の政治を動かしている」「幅広い分野の記事から学びを得られる」。各界の著名人や多彩な執筆者から購読を呼びかるメッセージが続々と寄せられています。気軽に読める電子版によってより広い人たちに「赤旗」の魅力が伝わるようにと。2日都内で行われた電子版開始の宣伝には記者らが市民と対話する姿があちこちで。くらしのこと、社会や政治のこと、いま困っていることー。その場で申し込む人も。さあ、全国各地で呼びかけましょう。「あなたのスマホにスクープやお役立ち情報が届きます」」
(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
党員の高齢化も進み、新聞の配達が困難になるなか、電子版ならその必要もないので、今後は紙から電子版になって行くのでしょう。さて、急に寒くなった安曇川ですが、あの「ヤモリ君」を見かけなくなり心配していました。昨夜、目が覚めてトイレに行くと、階段の窓にいました、いました「ヤモリ君」。ただ、さすがに動きは鈍く、とても獲物を捕まえそうな気がしませんでした。「写真は、マキノ町にあるメタセコイヤの並木道です」
9月も今日で終わりですね。
2025/09/30
「さわやかな秋風を感じるようになった今日この頃。過ぎ去った夏を惜しむ気持ちにはとてもなりません。最高気温が35度以上の「猛暑日」が連日のように続きました。気象庁が2007年から気象用語として使い始めた猛暑日は、1990年代半ばを境に大きく増加したそうです。今夏は群馬県伊勢崎市で41・8度を記録しました。40度を超えた地点は全国で、のべ30地点にのぼったといいます。気象庁は40度以上の日の新たな名称を付ける検討を始めました。「酷暑日」などが候補に挙がっています。記録的な高温は、地峡温暖化がなかったらほぼ発生しなかったと分析されています。影響は暑さだけでなく、熊本県を中心とした大雨についても、温暖化がなかった場合と比べ降水量が25%増加したこともわかりました。「日本の夏は、晴れれば猛暑、雨が降れば豪雨の、両極端の夏に突入しつつある」と専門家は警鐘を鳴らします。(立花義裕著『異常気象の未来予測』)。米国の気候研究機関が、人為的な温暖化の影響によって、世界で9・5億人を超える人々が今年6〜8月に「健康リスクが高まる危険なほど高温の日」を30日以上も多く経験したと発表しました。都市別でみると、札幌で70日、東京で66日増えたといいます。「日本は世界から見ても異常気象激増地帯」「住みにくい国の一つになりつつあります」と前出の立花氏は指摘します。誰もそれを望まないだろうし、そうならないよう、温室効果ガス削減は一刻の猶予もありません。」
(30日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
あの暑くて長かった夏も終わり、少しは懐かしさも感じています。日々秋に気配が深まって来て、また雪が降る日がやって来ると思うと、それはそれでゾットします。「写真は、近所の空き地に咲くコスモス?の仲間です」
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