嫁さんは伊那市に出張です。
2025/10/15
「日本被団協ヘのノーベル平和賞授与から1年。核兵器使用の生き地獄を体験し、「ノーモア・ヒバクシャ」を内外で訴え続けます。授与の背景にあったのは、イスラエルなど核兵器を持つ国が2桁近くになるなか、国際的な危惧の広がりです。代表委員の田中照巳(てるみ)さんが8日の全国代表者会議の挨拶で明かしました。「ノーベル委員会はことし授与しようとしたのを、1年早めました。核保有国のロシアが核の脅しでウクライナを侵略するなど、本当に使う危険と恐怖があります。この世界の思いが、昨年のノーベル平和賞の受賞になりました」。受賞後、被団協への海外からの講演依頼が飛躍的に増えました。核兵器の使用などを禁止する核兵器禁止条約は、2021年に発効し、署名・批准・加盟国は99カ国に広がりました。しかし、米国はじめ核保有国とその同盟国の参加はありません。「人類がみんなヒバクシャになるのではないかという危惧でいっぱい」。核兵器全面的廃絶国際デーの9月26日、国連ハイレベル会合で田中聰司代表理事は、こう切り出して各国の政府代表に訴えました。「人類最後の日までの時間を示す終末時計は89秒しかなくなりました。鍵を握る核保有国のリーダーの皆さん、私たち被爆者と面談する機会を設けてください」被爆者の平均年齢は86歳を超え、いずれいなくなる時代が。田中照巳さんは若い世代によびかけます。「願いと目標は核兵器の廃絶です。唯一の戦争被爆国の国民として、共に行動しよう」。」
(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
名前の田中照の字を検索しましたが、見つかりませんでした。正しい字は新聞で確認して下さい。さて、今朝から1泊2日で嫁さんは公務として長野県・伊那市と愛知県・豊橋市に視察の出張で出かけました。今晩は、母と2人だけの夕食となりそうで、ご馳走を用意したいと思います。「写真は、西浅井町・菅浦地区の町の景色ですが、この先道はありません」
今日は曇り空の一日です。
2025/10/12
「実隊は自民党と同じですよー。公明党がまだ野党だった頃、田中角栄がこう話したことがあります。1984年の田中派の講演で、「公明党は、いつか自民党と一緒になる。こういう性質の政党だ」(『自民党の魔力』)。80年の社公合意をへて政策的ににも自民党にすり寄っていた公明党の正体を見透かしていたかのように。その後、田中派の流れをくむ平成研究会を率いる小渕氏が首相だった99年に公明党は自民党と連立を組みました。与党となることを追い求めてきた公明党と、権力基盤が揺らいでいた自民党との合従連衡(がっしょうれんこう)。当時の神崎代表はそれを「公明党は責任政党としての政治的リーダーシップを発揮するため」だと正当化してきました。それから四半世紀に及ぶ連立の歩みは自民党政治を支え、数の力で悪法を押し通す悪政の連続でした。平和・福祉の党の看板をなげすて、戦争する国づくりや消費税の相次ぐ増税。社会保障のきりすてに協力。「ブレーキを踏むそぶりだけ」「下駄(下駄)の雪」とやゆされも権力にしがみつく姿を。その党が、とうとう自民党を見限りました。連立離脱は、金権政治の無反省や物価高への無策をはじめ、極右・排外色の強まる高市・自民党と一蓮托生(いちれんたくしょう)ではこのまま沈んでいくだけとの思惑があったからか。自公体制の崩壊によって今後、野党を取り込む動きが活発化します。しかし、庶民の生活とかけ離れていくばかりの自民党政治を延命するための存在は遅かれ早かれ、新たな「下駄の雪」になるだけでしょう。」
(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
公明党も連立離脱と言いながら、総理大臣の任命では、野党の候補者には入れないとの発言でした。結局は、中途半端な対応で、今後はどうして行くのでしょうか?さて、朝夕寒さを感じる日もあり、急速に夏が遠のいて来ました。今になると、あの暑さも懐かしくも感じるようになりました。「写真は、秋が深まりつつある近所の光景です」
秋が深まって来ましたね。
2025/10/09
「自然科学の研究者の世界は、寛容な社会らしい。互いの研究成果を信頼し、それを基に新たな研究の進展を図る。同時に異端の研究や最先端を開こうとして生じた間違いに対しても。自著でもふれている、その寛容さを信じて長い冬の時代を乗り越えてきたのか。今年のノーベル生理学・医学賞に米国の研究者とともに選ばれた坂口志文(しもん)さんです。40年余にわたって過剰な免疫細胞を抑える「制御性T細胞」の研究にとりくんできました。私たちの健康を維持するうえで大きな鍵を握る免疫システム。その暴走を抑え、免疫系の「守護者」と呼ばれている細胞です。働きを解明することで今後はアレルギーやがんの治療などへの応用が期待されています。京大医学部を卒業後、「病の理(ことわり)」を知りたいと病理学の基礎研究の道へ。しかし追い求めた細胞の研究は注目されず、活路を求め米国へ。財団の奨学金に応募して研究を続けました。「日本の基礎科学への支援は不足しているように感じる。ぜひとも支援をお願いしたい」。文科相との電話会談で要望した坂口さん。日本では9割近い研究者が科学研究力の低下を感じているとのアンケート調査もあり、予算も時間もない深刻なありさまです。日本のノーベル賞受賞者が口々に訴える国の支援の貧しさ。免疫分野の研究資金はドイツの3分1ほどだと。坂口さんの快挙に目を輝かせる若い研究者が学生ら。意欲の芽をつぶさず、自由な発想や挑戦ができる環境づくりと寛容さが求められています。」
(9日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
研究者に対する日本の予算は少なく、外国で研究を続ける人も多いとお聞きします。軍事費の膨大なお金を注ぎ込むより、人類の生活に役立つ研究こそ大切ですね。さて、昨夜は台風22号の影響か、強い風が吹き、その音で目が覚めました。こんなに離れているのに、と思いながら台風の進路の人は大変だなと思いました。「写真は、秋の景色であるススキの穂が光に輝いていました」
今晩は中秋の名月ですね。
2025/10/06
「朝鮮人差別の母のあの言葉」「新潟・燕市 佐藤美和子(76歳)」「約20年前、82歳で亡くなった母が、私が子どもの頃によく口ずさんでいた「朝鮮人、朝鮮人てバカにするな。同じメシを食ってどこちがう」。明らかに朝鮮人への差別で満ちていました。在日朝鮮人に向けた言葉で、子ども心にも違和感を持ちました。高校生となり「真実の歴史を学ぼう」をモットーとする世界史クラブに入部。朝鮮近代史(日本による植民地支配の史実)を学び朝鮮人民への共感と連帯こそが私たちに未来がある歴史があると確信できました。参政党など極右・排外主義者による外国にルーツのある人々への差別発言に危機感を覚えます。衆参で自公が過半数割れに追い込まれる中、外国人に悪政の根源があると決めつけ、国民の現政権への批判の目をゆがめる狙いを感じます。改めて現憲法の平和主義、基本的人権の尊重を守らねばと決意しているところです。」
「コオロギの音秋に気づいた」「名古屋市 佐々 漁己(74歳)」「9月中旬、連日30度を超える毎日だった。行きつけの喫茶店で顔見知りと「猛暑談議」をしていたら、店内の異なる場所からコオロギの呼び合うような声が聞こえてきた。「オスとメスが呼び合っているのかな」「不思議と涼しい気分になりますね」と意気投合した。コオロギの生態を調べ驚いた。鳴くのはオスだけで、成虫の寿命1,2カ月と思いのほか短い。その日は偶然、友人から自宅で飼ってイルスズムシの動画も届いた。「暑い暑い」と言っている間に「虫の音」が気づかなかった「秋の訪れ」を教えてくれた。」
(6日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
朝鮮人の話は、私が生まれた大東市でもあり、まったく同じ言葉が返って来ました。あれは全国で流行って?いたのでしょうか。さて、暑さも一段落し、過ごしやすい日になって来ました。今夜は「中秋の名月」だそうで、しばし夜空を見上げて見ましょうか。「写真は、マキノ町のメタセコイア並木ですが、外国人(主に東洋人)でごった返していました」
ヤモリ君はまだ生きていました。
2025/10/03
「ぼくの信頼の根底にあるのは、どんな時代にあっても、物事の見方、考え方がぶれない、一貫していることです。人間一人ひとりの事を考える社会、平等のために、役割を果たしてほしい。俳優の仲代達矢さんが、愛読する「しんぶん赤旗」日曜版の創刊50周年に寄せた思いです。戦争や格差、人が大切にされない社会あって温かく安心して読める、生活者の目線に立った新聞として定着してきました。家族みんなで楽しめる、面白くてためになる、生きることに勇気が出るー。国民に愛される新聞をめざして66年前に発刊された日曜版の方針は今にも引き継がれています。政権を揺るがす数々のスクープも加わりながら。「赤旗」日曜版の歩みは、日本の新しいジャーナリズムとして挑戦の道のりでした。取材相手と深い信頼関係を築き、読者とともにつくる新聞。いま、創刊以来の大きな挑戦が始まりました。電子版の発行です。「日本の政治を動かしている」「幅広い分野の記事から学びを得られる」。各界の著名人や多彩な執筆者から購読を呼びかるメッセージが続々と寄せられています。気軽に読める電子版によってより広い人たちに「赤旗」の魅力が伝わるようにと。2日都内で行われた電子版開始の宣伝には記者らが市民と対話する姿があちこちで。くらしのこと、社会や政治のこと、いま困っていることー。その場で申し込む人も。さあ、全国各地で呼びかけましょう。「あなたのスマホにスクープやお役立ち情報が届きます」」
(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
党員の高齢化も進み、新聞の配達が困難になるなか、電子版ならその必要もないので、今後は紙から電子版になって行くのでしょう。さて、急に寒くなった安曇川ですが、あの「ヤモリ君」を見かけなくなり心配していました。昨夜、目が覚めてトイレに行くと、階段の窓にいました、いました「ヤモリ君」。ただ、さすがに動きは鈍く、とても獲物を捕まえそうな気がしませんでした。「写真は、マキノ町にあるメタセコイヤの並木道です」
9月も今日で終わりですね。
2025/09/30
「さわやかな秋風を感じるようになった今日この頃。過ぎ去った夏を惜しむ気持ちにはとてもなりません。最高気温が35度以上の「猛暑日」が連日のように続きました。気象庁が2007年から気象用語として使い始めた猛暑日は、1990年代半ばを境に大きく増加したそうです。今夏は群馬県伊勢崎市で41・8度を記録しました。40度を超えた地点は全国で、のべ30地点にのぼったといいます。気象庁は40度以上の日の新たな名称を付ける検討を始めました。「酷暑日」などが候補に挙がっています。記録的な高温は、地峡温暖化がなかったらほぼ発生しなかったと分析されています。影響は暑さだけでなく、熊本県を中心とした大雨についても、温暖化がなかった場合と比べ降水量が25%増加したこともわかりました。「日本の夏は、晴れれば猛暑、雨が降れば豪雨の、両極端の夏に突入しつつある」と専門家は警鐘を鳴らします。(立花義裕著『異常気象の未来予測』)。米国の気候研究機関が、人為的な温暖化の影響によって、世界で9・5億人を超える人々が今年6〜8月に「健康リスクが高まる危険なほど高温の日」を30日以上も多く経験したと発表しました。都市別でみると、札幌で70日、東京で66日増えたといいます。「日本は世界から見ても異常気象激増地帯」「住みにくい国の一つになりつつあります」と前出の立花氏は指摘します。誰もそれを望まないだろうし、そうならないよう、温室効果ガス削減は一刻の猶予もありません。」
(30日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
あの暑くて長かった夏も終わり、少しは懐かしさも感じています。日々秋に気配が深まって来て、また雪が降る日がやって来ると思うと、それはそれでゾットします。「写真は、近所の空き地に咲くコスモス?の仲間です」
もう、すっかり秋ですね。
2025/09/27
「米国で深夜のテレビ番組といえば全国ネットワークが放送するトークショーが代表格です。司会者による冒頭のモノローグ(一人語り)。時事ニュースを織り込んで政治家を笑い物にすることは日茶飯事です。時の大統領さえジョークのネタに。これは米国民が誇る「表現の自由」だったはずです。しかし、極右活動家の暗殺事件を機に、左派への攻撃を強めたトランプ大統領は、さらにABCテレビのトークショーにも圧力をかけました。暗殺された活動家の死から政権が「利益を得ようとしている」と批判したのが、コメディアンで司会のジミー・キンメル氏でした。親会社のディズニーは同番組の無期限の中止を発表しましたが、ハリウッド俳優らをはじめとする抗議声明につづき、ディズニーによる動画配信サービスを解約する運動も全米で急速に広がりました。中止からわずか5日で番組再開が発表され、24日のキンメル氏の復帰番組はこの10年で最高の視聴率に。YuTube配信の視聴は、24時間で1800万回超にも。「このショーが重要なのではなく、このようなショーが放送できる国に暮らせることが重要だ」とキンメル氏。さらに、他のトークショー番組にもトランプ政権がまたもや介入する場合、「今週の10倍の大きな声をあげないといけない」と語りました。一方、番組再開は「信じられない」と怒り、ABCテレビへの訴訟も辞さない構えのトランプ氏。ジョークさえ受け流せない、余裕のなさが逆に際立っています。」
(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
もともと、トランプ氏が大統領に再選された時から、この様な事が起こるであろう危惧はありました。さて、9月も残すところ4日となりました。家の周りの景色も急速に秋めいて、今年も残すところ3カ月になりました。「写真は、今朝のご近所の景色ですが、ススキの穂も伸び、秋の気配がしてきました」
すごしやすくなりましたね。
2025/09/24
「秘書が運転する高級車でスーパーに乗りつけ、子ども食堂では自分の誕生日を祝ってもらう。和歌を歌い上げたと思ったら外国人への嫌悪をあおる。政権の中核で政策決定に携わりながら、今さらそれを否定する。見え透いたパフォーマンスに、訴えるのは内輪の話ばかり。みずからの選挙総括にさえ背を向け、物価高への無策や政治とカネをめぐる問題にも無反省。これでは解党的出直しも口先だけか。自民党の総裁選が始まりました。キャッチコピーは「#変われ自民党」だと。国民が変われと思っていることを受けとめたといいます。しかし5候補とも、多くの国民からノーを突きつけられた政治を転換する姿勢はみえません。2009年の総選挙で歴史的惨敗を喫し、結党以来初めて下野した自民党は各地で車座集会を開き、国民と向き合うことを強調しました。その後に生まれたのが、国政を私物化し経済を低迷させ、戦争国家への道を推し進めた安倍政権でした。変われない自民党。それは歴史が証明していまます。なぜなら、歩んできた道が示しているように、よって立つところが国民やそのくらしではなく、大企業やアメリカによりかかってきたから。一政党の内部問題を国民的ニュースのように扱う、メディアの変わらない報道も問われています。いま伝えるべきは、何の役にも立たない総裁選の言動を垂れ流すことではないはず。新しい政治が求められている時、そこに切り込んでこそ、メディア本来の役割ではないでしょうか。」
(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
総裁選で感じるのは、誰がなっても変わらないだろうと思います。誰かが特別な発言もなく、ダラダラと時間を使うのは無駄だと思います。さて、ここ1週間で、気候が変わり、窓を開けて寝ると夜中に寒くて目を覚まします。あの暑かった夏が急速に遠のいて来ました。「写真は、JR博多駅の帰宅ラッシュ時の景色と、新幹線リレー号の「かもめ」です」
墓参りに行って来ました。
2025/09/21
「「終戦」になっても終らない戦争があります。戦場での過酷な体験、被害や加害の行為が原因で心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを患った兵士たちの「心の傷」です。戦時中は「皇軍に砲弾病(戦争神経症)なし」と隠蔽(いんぺい)され、戦後も「戦争ボケ」といわれ、社会的に封印されてきました。戦後80年の今年、厚労省の施設{しょうけい館」(戦傷病者史料館)で心の傷をテーマにした展示が行われています。大戦末期4年間の戦病者は785万人で、およそ8%にあたる67万人が「精神病・その他の神経症」だったとの調査結果も。「発症の主要原因は、中国やアジア諸国民への加害行為です」。こう語るのは、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を結成した代表の黒井秋夫さんです。20歳で召集された黒井さんの父親・慶次郎氏は中国・吉林省の独立守備隊に配属。「匪賊(ひぞく)」と呼んだ農民兵らを襲って命と財産を奪い、生活を破壊する残虐な作戦に従事しました。加害行為は満州などで敗戦まで続けられました。「父は、人の心を失った兵士から本来の自分になろうとした時に、多くの中国人を殺害した体験がトラウマになり発祥したと思います」。近所付き合いもしない笑顔のない人で、定職にもつかず、一家は貧しい暮らしだったといいます。黒井さんは昨年9月、中国へ謝罪の旅をしました。「中国人民への侵略と蛮行は、人間として許されない所業でした。平和と和解の絆を結び、戦争をしない日本を目指す決意です」
(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
昨日、20日(土)は、大阪・大東市までお墓参りの行って来ました。以前は、その後S先生のお世話で「ミニ同窓会」を開いていたのですが、それも無くなり寂しい限りです。その代わりと言えばなんですが、息子夫婦と孫が参加してくれて楽しく過ごせました。「写真は、竹の里区(地元)で行われた「焼肉」の親睦会です」
悲願花が咲いていました。
2025/09/18
「「外国人の生活保護がどんどん増えて大変なことになるってよ」。主治医の言葉に耳を疑いました。ネット内のフェェイクが、ここまで広がっているのかー。都議選前のことです。実施はどうか。永住権などが必要で、在留外国人の半数以上が生活保護の対象外です。難民として認められずホームレスになった西アフリカ人や、重労働に従事している外国人の姿も見えてきました。「暮らしが大変だから、生活保護がよく見えるんだよ」と荒川区の生活と健康を守る会の角光男さん。「年季など最低ランクの収入を強いられる人が、自分がこんなに苦しいのに、外国人が生活保護を受けるなんてと思ってしまう」。「最近も、建築関係の経営者が経営に行き詰まって、自殺未遂を図った。その人は生活保護につながったけどね」と。生活保護の対象となる困窮者は相当増えているのに、生活保護の捕捉率は2割とも。「もっとつながらないと・・・」。参院選ではメディアのファクトチェックは増えましたが、真実を伝える「しんぶん赤旗」の役割をいっそう痛感します。ある地方議員はニュースを発行して”治安の悪化””留学生を優遇”などのデマに反論。「貧困と格差をつくり出した自民党政治をご一緒に変えましょう」と呼びかけています。先日、久しぶりに受診すると、主治医が「参政党、とんでもないよね。『日本人ファースト』って何?」と怒っていました。「診療報酬の削減で病院の経営も大変だよ。共産党に入れたから、頑張ってよ」
(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
長崎に旅行に行った時も感じたのですが、多数の外国人が家族連れで休暇を楽しむ姿がありました。日本人の観光客は少なく、国民の豊かさがなくなりつつあるような気がします。さて、「彼岸花」を探して近所を歩きましたが、咲くには咲いていましたが、元気のない花が多くありました。「写真は、沖田地区の道端に咲いていた彼岸花ですが、元気がありませんでした」
新規
修正
Copyright (C) 2006メガネ・補聴器のフクイ. All Rights Reserved.