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ようやく春らしくなりました。
2024/03/16

「やさしい時が流れるドラマでした。人が人を思いやり、次第に相手を好きになっていく。つきあいはじめ一緒にくらすことになる喜び。同時にその幸せが、社会の壁に阻まれる姿も。NHK夜ドラ「作りたい女と食べたい女」は料理をきっかけに交際するようになった女性どおしと、自身の性的指向にむきあう過程を丁寧に描き、共感をよびました。一方で同性カップルというだけで家探しにも苦労する現実も映しました。「両性というのは男女間での婚姻を表すものだといわれ、社会の中でいないような者にされていることを実感させられてきた」。10年前から同性パートナーとくらし、結婚が認められないのは憲法違反だとして国を訴えてきた女性はいいます。結婚のをすべての人にー。長く闘ってきた人たちに笑顔がひろがりました。憲法24条1項の両性とは男女のみならず人と人の自由な結びつきであるとして、同性婚を認めない現行制度は違憲だと札幌高裁が判断しました。「同性のカップルにも当然の権利が与えられ、この国で家族として、ふうふとして生きていって良いんだといってくれる、ほんとに前向きな励まされる判決でした」。先の原告女性はうれし涙を流しました。選択的夫婦別姓とともに大多数の国民が賛同している同性婚。それは人権が保障される社会につながります。性的少数者の人権を守る法整備をもとめる松岡宗嗣さんは「変わらないのは政治だけ」と。突きつける先はかたくなに認めない自民党政権です。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)NHKの夜ドラ「作る女と食べる女」は、時々ですが見ていました。ただ、このドラマが同性婚を目的とした内容であるとは知りませんでした。もはや、私の頭ではついていけないと実感しています。さて、昨日から急に暖かくなり、まさに春がやってきたと感じられます。これで、雪が降る冬ともおさらばです。「写真は、昨年3月10日の近所の光景ですが、つくしが頭を出していました」

麻から強風が吹いています。
2024/03/13

「成り上がったのか、成り下がったのか。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が11日に公表した世界の武器取引に関する報告書によれば、日本の武器輸入は世界弟6位。憲法で「戦力不保持」を宣言しながら、いまや世界有数の「武器輸入大国」になったのです。2014〜18年と19〜23年を比較すると155%増。際立つのは、長射程ミサイルの大量購入です。SIPRIによれば、23年には射程1000`以上のミサイル取引が急増。なかでも、米国からの巡航ミサイル・トマホーク400発を購入した日本は突出しています。他国領域への攻撃が可能な長射程ミサイルは、言うまでもなく憲法違反の敵基地攻撃能力にあたり、保有は許されません。日本政府は中国や北朝鮮の脅威を口実にしています。しかし、安倍元政権による米国製武器の爆買いも、岸田政権による軍事費2倍化・敵基地攻撃兵器の大量購入も、背景にあるのは日本に大軍拡を促す米国の強い要求です。日本が輸入した武器の実に97%は米国製。欠陥機オスプレイも米国製です。日本のおかげで米国の武器輸出は17%も増え、米軍需企業は巨額の利益を得ています。「もしトラ」=トランプ政権の復活が現実のものになれば、「米国製の武器を買え」という圧力はさらなる強まりが懸念されます。米国はイスラエルにも大量の武器を売却し、パレスチナ・ガザ地区の住民虐殺に使われています。罪なき人々の血で潤う武器ビジネスにストップの声を。」(13日付しんぶん赤旗「潮流」より)いわゆる「死野の商人」という事で、「ベトナム戦争」時に有名になりましたね。このまま日本の人口が減り続き、大量の赤字国債は誰が負担するのでしょう?さて、「風が吹くと湖西線が止まる」の代名詞になり度々電車が止まります。ただ、気まぐれなのか、今日のように風が強くても運転しているのは何故でしょうか?「写真は、久しぶりに降った雪が「なごり雪」になるでしょうか?」

思ったより雪が積もりました。
2024/03/10

「焼夷弾(しょうい)が降り注ぐなかを、家族と必死に逃げた。たくさんの友だちを失ったー。九死に一生を得た体験者の証言に聞き入る母と子の姿がありました。台東区民を中心とした実行委員会が毎年この時期に開く東京大空襲資料展。今年で37回を数え、会場の浅草公会堂には惨禍を生々しく伝える絵や写真、資料が所せましと並べられていました。「いまも平和が脅かされている。戦争を風化させないよう続けていきたい」と。きのう上野公園では「時忘れじの集い」が開かれました。両親ら家族6人を空襲で失った随筆家の海老名香葉子さんが呼びかけてきたもので20回の節目を迎えました。とおちゃん、かあちゃん、みんなーと泣き叫び野原を探した日々。戦争孤児にとなって生きるのがつらかった戦後の体験。90歳となった海老名さんはいかに戦争が無残で、平和な日常が大切であるかをとつとつと語りました。国会では東京大空襲を経験した96歳の女性が、被害者を救済する法案の成立を一刻も早くと訴えました。全国各地で空襲被害にあった多くの人びと。しかし政府は救済を一貫して拒み、さらに苦しめてきました。「国は、われわれがこのまま死ぬのを待っているのか」。被害者や遺族は怒りをこめて。なくならない戦争。その悲惨を伝え続けるのは、体験者である私たちの使命だという海老名さん。あの日から79年。次の世代に願いを託しながら、こう呼びかけました。みんなで話し合い、手をとり合って暮らす。それが平和への道です。」(10日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私たちの世代は、世の中に貧乏な生活がまだ残っていました。給食は脱脂粉乳でうまくなく、道路は未舗装で車も少なく、田んぼの主役は牛であったことも思い出されます。さて、昨日(9日)から降っていた雪は、今朝には5aの積雪になりました。これが「なごり雪」になればと、密に願っています。「写真は、うっすらと積もった、今朝の近所の光景です」

3月になって寒い日が続きますね。
2024/03/07

「蔵王おろしが吹きすさぶ地に、その碑はあります。「高野功ここに眠る」。45年前のきょう、中国軍の凶弾によって命を奪われた「赤旗」ハノイ特派員です。ふるさと宮城県川崎町。どっしりとした石碑には最後の取材メモが刻まれています。「コトンとそばに落ちてきた砲弾の破片はまだ熱く・・・頭の上に落ちず助かったとまずは強運に一安心」。弾雨というのだろうか。数知れない銃弾が押し寄せ、ジープのフロントガラスが一瞬のうちに砕け、助手席にいた私の顔面で飛び散ったー。ともに銃撃をうけた、フォトジャーナリストhの中村梧郎さんが近著『記者狙撃』で当時の状況をよみがえらせています。1979年3月7日のことでした。前の月からベトナムに攻め込んでいた中国の侵略の事実を高野さんは現地から世界に発信していました。3月5日、中国が「撤退」を表明。真偽を確かめるため、最前線の国境の町ランソンで取材していたさなかの殉職でした。真実を掘り起こすことがジャーナリストの本分だという中村さん。侵略戦争はつねに自分が強い、敵は弱いからたたきのめそうと考える大国が引き起こすとして、ロシアのウクライナ侵略やイスラエルによるガザ攻撃を批判します。半世紀近くがたっても墓碑には花が供えられ、ベトナムからの来訪者も。この地でくらす妻の高野美智子さんは「いまだに思い出してくれる」と感慨深く。35歳で亡くなった記者が眠る碑は、侵略への怒りと悲しみを静かに訴え続けています。」(7日付しんぶん赤旗「潮流」より)私の記憶のどこかに、そんなことがあったと記憶しています。それにしても、すごい「記者魂」だったんだと思います。さて、2月の温かさはどこえやら、3月に入ってから寒い日が続いています。店のストーブに使う灯油も追加するかどうか毎日悩んでいます。「写真は、淡路島のレストランに飾られた?高級外車です)

ひな祭りも終りましたね。
2024/03/04

「カードの機械車いすは不便」
 横浜市 重松 節子(65歳)
 9月18日付、大阪府の佐野ひばりさん「車いす使用者 駅員減は困る」を読みました。私も車椅子を使っています。以前は電車をよく使っていました。確かに、駅員が来ないと電車に乗れなかったことを覚えています。いつも電車を待つ時間が長く、駅に着いて2,3台あとの電車に駅員さんに乗せてもらいました。急いでいる時など困ったことがよくあり、時間より早めに家を出ることが多くなりました。確かに便利な世の中になってきていますが、私たち車椅子を使う者にとっては、何が便利なのでしょうか?今は、銀行、郵便局、駅、スーパーなどでカードを使う時代ですが、カードを入れる位置が、車椅子に乗っていると上過ぎて店員さんにお願いしないと使えないのです。人手不足も分かるのですが、私たちにも使える販売機をつくってほしいです。
「優しさ育てる平和の大切さ」
 広島県 白飛 晶子(71歳)
「先日、犬の散歩中、思わず転んで縁石で頭を打ってしまいました。出勤途中の人たちが救急車を呼び、ハンカチを出してくださったり、犬を家まで連れて帰ってくれたり。病院の方々も親身に対応してくれました。その時思ったことは、医学の発達した平和な日本にいてよかったということ。よく日本人は平和ボケしていると聞きますが、平和の中で育った人は総じて優しいです。戦時中はそれどころではなく、徴兵制もあります。平和ほどいいものはありません。今、私たちにできるのは選挙です。大変でもこの平和を続けていかないといけません。調べるとオーストラリアの国政選挙では投票が義務。投票率90%だと(どの地域からでも投票できるらしいです)。どこでも投票できるなど日本の選挙も変わっていかなければと思います。私を助けてくださった人たちは平和の代表。誇らしかったです。」
(4日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
日常にあることでも、健常者には、分からないこと、気が付かないことがあるのですね。さて、ひな祭りも終わりましたが、わが家の夕食はそれらしいものもなく、ごく普通に過ぎて行きました。これで孫娘でもいたら、お祝いでもするのですが、高齢者?3人の夕食では仕方がありませんね。「写真は、昨年に訪れた淡路島から見た明石海峡大橋です」

今日から3月ですね。
2024/03/01

「「げんきで、おとうちゃんのかへりを、まって居なさい」。病床から幼い3人の娘にあてた手紙からは、こまやかな気づかいとともに、やさしく子煩悩な父親の姿が浮かんできます。焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」の無線長だった久保山愛吉さん。核の「死の灰」を浴びて、40歳の生涯を閉じました。端正な字でつづられた家族への思いのなかには、放射能汚染を心配したのか「雨に濡(ぬ)れないように」とも。太平洋マーシヤル諸島ビキビ岩礁で米国が行った水爆実験によって、島民や日本の漁船員らが被ばくした「ビキニ事件」からきょうで70年。焼津市の歴史民俗資料館では特別展が開かれ、久保山さんの手紙や「死の灰」が展示されています。被災した船員らの無念の怒りは今も。いまだに日米の政府によって被災の全容は隠され、調査も謝罪も救済もないまま放置されています。「70年間、国に見捨てられてきた」と訴え、補償を求めるたたかいも続いています。ビキニ事件によって燎原(りょうげん)の火のようにひろがった原水爆禁止の署名。それは世界の反核平和運動を大きく前進させ、核兵器禁止条約へとつながっています。「こうした草の根の市民運動が次の世代を動かす力になる」。杉並区長の岸本聡子さんは原水協の3・1ビキニデー全国集会にそんなメッセージを寄せました。久保山さんは残した手紙のなかで「とにかく私は平和を愛する」と。いままた戦争や核の脅威がひろまるなか、ふたたび核なき世界への運動を巻き起こす決意を新たに。」(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)あの「ビキニ事件」から70年とは、当時中学1年生だった私にもかすかな記憶が残っています。新聞の1面に「水爆実験」の写真が大きく掲載されていて、おぞましい光景でした。さて、昨夜は元同僚と大阪・梅田で一杯飲みましたが、ちょっとの間にお店が変わっていて驚きました。それにしても、どこの居酒屋も若者であふれていて、活気がありました。それに比べ、安曇川のこの寂しさはなんだろうと考えてしまいました。「写真は、昨年の2月末の近所の光景ですが雪がまだ残っていました」

2月もあと3日ですね。
2024/02/27

「どこに住んでいても安心・安全な給食を無償で。この流れが都道府県の制度づくりへつながりました。東京都は4月から、和歌山県は10月から、無償化を実施する区市町村に半額を補助します。青森県は10月から1食あたりの平均額を全市町村に交付。単価を超える自治体は独自財源の確保が必要になりますが、一律の無償化は全国初。「うちの県でも実施させたい」と運動に熱がこもります。都の半額補助は、財源問題で無償化に踏み切れなかった自治体を後押ししていますが、それでも実施を見送る自治体が残されています。本紙の聞き取りでも「都が全額補助してほしい」「本来なら国が無償化制度をつくるべきだ」との声が相次いでいます。給食の質の確保も欠かせません。京都市は全員制の中学給食を実施する方針ですが、2万6000食を調理する”巨大給食センター”から配送するというもの。全国でも例のない規模に「まるで給食工場だ」と市民から怒りの声が上がり、学校調理方式を求めています。無償化されたとしても、自治体の姿勢次第で予算が切り縮められないようにすることが大切です。子どもたちの成長・発達に欠かせない給食なのに「無償だからこれで我慢して」などとないがしろにされないように。地産地消を心がけながら、より豊かな食を保障できるように。国もようやく全国調査を実施し、取りまとめ作業中。「わあ!おいしそう!」「いただきまーす!」。こんなワクワクの時間が全国に広がりますように。」(27日付しんぶん赤旗「潮流」より)我々の時代の学校給食は酷いもので、脱脂粉乳の不味いことに、コッペパンの硬いことなどが忘れられません。先生は同席することもなく、密に食堂から出前を取っていたことを知りました。さて、今日の安曇川は、久しぶりの寒さで、時折雨に交ざって雪が降っています。さすがに積もるほどの量ではなく、すぐに解けて行きます。「写真は、前回の続きでサントリー「山崎蒸留所」の光景です」

今日は何の祭日だっけ?
2024/02/24

「時折お日さまとか、おいしいご飯とか、子どものおしゃべりとか、慣れ親しんだものを楽しんでいる最中に、あのブーンという音が飛び込んでくる。その時に気づくんです。何もかも、以前とは違うのだと・・・。戦禍のウクライナで避難する市民から詩人が聞きとった『戦争語彙集』。日本でもロバート・キャンベルさんの訳で出版されています。ごく普通に生きていた人びとが平和な暮らしから切り離され、一方的な暴力にさらされる。その日々がありのままに。通りはバリケードに、浴槽は身を守る場所へ。恋愛は別れとなり、きれいなものは危険を意味する言葉に。日常の風景や大切な思い出が、戦争によって変わってしまった悲しみが伝わります。ロシアの軍事侵攻から2年。今も命が奪われ、生活や街が破壊されていく現実があります。戦時下にある子どもたちの苦しみや残された家族の不安。それは本紙特特派員の記事からも。長引く戦闘による疲弊や兵力不足、ロシア軍のの攻勢。悲観論がひろがるなか、交際社会の協力や市民の声が支えになっています。昨年末のウクライナの世論調査では減少したとはいえ7割以上が「領土を譲歩すげきでない」と答えています。「我々の歴史的な領土」と侵略を正当化するプーチン大統領。対して、世界の大勢は力による領土の切り取りは歴史の遺物だと。先の本に「悦び」と題する一編があります。「彼らは、確かにわたしからすべてのものを奪ったけれどー大切な日々を引き渡すことはしません」」(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)テレビを見ていると、ウクライナの苦戦が伝えられていますが、アメリカをはじめ欧州の支援が受けられていない現実があります。このままでは、ロシア軍に制圧されてしまうのではないかと危惧しています。さて、昨日の祝日は何の日ですか?と嫁さんに聞いたら「天皇誕生日」と言われました。「天皇誕生日は4月29日と違うの?」と聞き返しました。「写真は、昨年、見学に訪れた「サントリー山崎蒸溜所」の風景です」

今日も雨が降っています。
2024/02/21

「批判の矛先は絶対的な権力者に向けられていました。公開の場で初めてやじが飛び、率いる政党が人気ロックグループの公演を支援していることがわかるとブーイングが起きました。2011年末のロシア下院選挙。プーチン政権与党の「統一ロシア」は大幅に議席を減らし、かろうじて過半数を得ました。しかし選挙に不正があったとして抗議集会やデモがわき起ります。そのとき街に出て不満を表明しようと呼びかけたのがナワリヌイ氏でした。「プーチンが権力を握って以来、初めてその怒りを政権への不服従につなげられる指導者が生まれた」。元BBC特派員の伝記作家が8年がかりで取材した『プーチン』に両者の関係が描かれています。自身を脅かす政敵への反発。プーチン氏は相手の名前を口にしようともせず「あいつ」などと呼んでいたと。彼の後ろに見えていたのは、声を上げて迫る大勢の国民の姿だったのではないか。ナワリヌイ氏は何度も投獄され、それに伴い国民への締めつけも強まっていきました。20年には毒物を盛られてドイツへ。翌年、帰国したところを拘束されますが、このときも首都モスクワで4万人をはじめ各地で開放を求める集会が開かれました。そして1カ月後に大統領選を控えるなかで起きた獄中死。弾圧のなかでも絶えない市民の追悼や献花の列は、プーチン政権への抵抗の証しです。反体制活動の象徴とされた47歳の死は呼びかけます。巨大な力を持っているのは、私たちだ。あきらめないで。」(21日付しんぶん赤旗「潮流」より)ナワリヌイ氏の獄死事件は、ふだん関心のないロシアの政治に疑惑を感じました。おそらくは、死に至るような環境にいて殺されたのでしょう。さて、本来なら「雪」になっているこの時期に連日「雨」が降っています。昨日は、東京で「河津桜」が満開になっている画像が写っていましたが、早すぎる春になっています。近畿の北部に位置する安曇川でも、たった2回の積雪しかありませんが、「地球温暖化」が現れている結果で、この先の気候が心配になります。「写真は、昨年に行った嵐山・渡月橋の風景です」

冬はどこに行ったの?
2024/02/18

「能登の被災者心の傷の深さ」
 岐阜・羽島市 花村 隆(66歳)
「能登半島地震で大変な被害が発生しました。私もなにか力になりたい、体力はある。時間の都合をつけて、石川県の募集に応えて災害ボランティアに行ってきました。朝6時半に金沢駅に集合して、石川県のバスで志賀町まで行きました。4人1組になってカラオケスナックの片付けをしました。床に散乱した皿やコップ、酒瓶を片付け、屋根から落ちた瓦、壊れた食器棚などをトラックに乗せて集積場まで運びました。100本近い酒瓶が割れていました。多くの皆さんに愛されてきたお店だったことがわかりました。お店がだいぶ片付き、すっきりしたと声に出してしまいましたが、そのスナックのママは「気持ちはちっともすっきりしないんんだよ」と話していました。心が痛み、私は泣きだしそうになりました。」
「車いす使用者駅員減は困る」
 大阪府 佐野ヒバリ(会社員 36歳)
「車いすユーザーです。1月より駅員不在の時間が発生するため、利用に際はあらかじめ連絡をとり最寄り駅の駅員さんにお願いされました。皆さんの活動による後押しもあり、駅にはエレベーターが設置され、時代の進化により券売機に手が届かずトモカードをタッチすれば改札を通れるようになりました。ゆっくりですが、自分と社会の間にある障害は減っていきました。しかし、いまだに電車とホームの間には隙間や段差があり、サポートが必要です。その場合は事前に連絡をとり、近隣の駅から駅員さんに来てもらう、そんな体制で良いのでしょうか。他のお客さんより時間や手間をかけて利用せざるをえないのは仕方ないことなのでしょうか。駅員不在では、駅や車内で発生した事故や急病人などの対応が遅れます。必要な駅員さんを減らしていく今の鉄道業界の流れは考え直してほしいです。」
(18日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登半島地震での影響は、水道水が復活しないので苦しい生活が続いています。とにかく今は、一日でも早い水道水が出る事だと思います。さて、1週間があまりにも早すぎて、自分の気持ちがついて行きません。それにしても、近畿の雪国である安曇川でも、雪は降らず暖かい日が続いています。もう、「雪」は降らないのではないかと思う反面、春から先の生活に影響が出るのではないかと心配しています。「写真は、昨年のわずかな積雪で雪化粧になりました」

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