すごしやすくなりましたね。
2025/09/24
「秘書が運転する高級車でスーパーに乗りつけ、子ども食堂では自分の誕生日を祝ってもらう。和歌を歌い上げたと思ったら外国人への嫌悪をあおる。政権の中核で政策決定に携わりながら、今さらそれを否定する。見え透いたパフォーマンスに、訴えるのは内輪の話ばかり。みずからの選挙総括にさえ背を向け、物価高への無策や政治とカネをめぐる問題にも無反省。これでは解党的出直しも口先だけか。自民党の総裁選が始まりました。キャッチコピーは「#変われ自民党」だと。国民が変われと思っていることを受けとめたといいます。しかし5候補とも、多くの国民からノーを突きつけられた政治を転換する姿勢はみえません。2009年の総選挙で歴史的惨敗を喫し、結党以来初めて下野した自民党は各地で車座集会を開き、国民と向き合うことを強調しました。その後に生まれたのが、国政を私物化し経済を低迷させ、戦争国家への道を推し進めた安倍政権でした。変われない自民党。それは歴史が証明していまます。なぜなら、歩んできた道が示しているように、よって立つところが国民やそのくらしではなく、大企業やアメリカによりかかってきたから。一政党の内部問題を国民的ニュースのように扱う、メディアの変わらない報道も問われています。いま伝えるべきは、何の役にも立たない総裁選の言動を垂れ流すことではないはず。新しい政治が求められている時、そこに切り込んでこそ、メディア本来の役割ではないでしょうか。」
(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
総裁選で感じるのは、誰がなっても変わらないだろうと思います。誰かが特別な発言もなく、ダラダラと時間を使うのは無駄だと思います。さて、ここ1週間で、気候が変わり、窓を開けて寝ると夜中に寒くて目を覚まします。あの暑かった夏が急速に遠のいて来ました。「写真は、JR博多駅の帰宅ラッシュ時の景色と、新幹線リレー号の「かもめ」です」
墓参りに行って来ました。
2025/09/21
「「終戦」になっても終らない戦争があります。戦場での過酷な体験、被害や加害の行為が原因で心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを患った兵士たちの「心の傷」です。戦時中は「皇軍に砲弾病(戦争神経症)なし」と隠蔽(いんぺい)され、戦後も「戦争ボケ」といわれ、社会的に封印されてきました。戦後80年の今年、厚労省の施設{しょうけい館」(戦傷病者史料館)で心の傷をテーマにした展示が行われています。大戦末期4年間の戦病者は785万人で、およそ8%にあたる67万人が「精神病・その他の神経症」だったとの調査結果も。「発症の主要原因は、中国やアジア諸国民への加害行為です」。こう語るのは、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を結成した代表の黒井秋夫さんです。20歳で召集された黒井さんの父親・慶次郎氏は中国・吉林省の独立守備隊に配属。「匪賊(ひぞく)」と呼んだ農民兵らを襲って命と財産を奪い、生活を破壊する残虐な作戦に従事しました。加害行為は満州などで敗戦まで続けられました。「父は、人の心を失った兵士から本来の自分になろうとした時に、多くの中国人を殺害した体験がトラウマになり発祥したと思います」。近所付き合いもしない笑顔のない人で、定職にもつかず、一家は貧しい暮らしだったといいます。黒井さんは昨年9月、中国へ謝罪の旅をしました。「中国人民への侵略と蛮行は、人間として許されない所業でした。平和と和解の絆を結び、戦争をしない日本を目指す決意です」
(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
昨日、20日(土)は、大阪・大東市までお墓参りの行って来ました。以前は、その後S先生のお世話で「ミニ同窓会」を開いていたのですが、それも無くなり寂しい限りです。その代わりと言えばなんですが、息子夫婦と孫が参加してくれて楽しく過ごせました。「写真は、竹の里区(地元)で行われた「焼肉」の親睦会です」
悲願花が咲いていました。
2025/09/18
「「外国人の生活保護がどんどん増えて大変なことになるってよ」。主治医の言葉に耳を疑いました。ネット内のフェェイクが、ここまで広がっているのかー。都議選前のことです。実施はどうか。永住権などが必要で、在留外国人の半数以上が生活保護の対象外です。難民として認められずホームレスになった西アフリカ人や、重労働に従事している外国人の姿も見えてきました。「暮らしが大変だから、生活保護がよく見えるんだよ」と荒川区の生活と健康を守る会の角光男さん。「年季など最低ランクの収入を強いられる人が、自分がこんなに苦しいのに、外国人が生活保護を受けるなんてと思ってしまう」。「最近も、建築関係の経営者が経営に行き詰まって、自殺未遂を図った。その人は生活保護につながったけどね」と。生活保護の対象となる困窮者は相当増えているのに、生活保護の捕捉率は2割とも。「もっとつながらないと・・・」。参院選ではメディアのファクトチェックは増えましたが、真実を伝える「しんぶん赤旗」の役割をいっそう痛感します。ある地方議員はニュースを発行して”治安の悪化””留学生を優遇”などのデマに反論。「貧困と格差をつくり出した自民党政治をご一緒に変えましょう」と呼びかけています。先日、久しぶりに受診すると、主治医が「参政党、とんでもないよね。『日本人ファースト』って何?」と怒っていました。「診療報酬の削減で病院の経営も大変だよ。共産党に入れたから、頑張ってよ」
(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
長崎に旅行に行った時も感じたのですが、多数の外国人が家族連れで休暇を楽しむ姿がありました。日本人の観光客は少なく、国民の豊かさがなくなりつつあるような気がします。さて、「彼岸花」を探して近所を歩きましたが、咲くには咲いていましたが、元気のない花が多くありました。「写真は、沖田地区の道端に咲いていた彼岸花ですが、元気がありませんでした」
長崎に行って来ましたG。
2025/09/15
「「女性の低年金は人権侵害。物価高騰に見合う、暮らしていける年金を」を合言葉に全国で運動してきた全日本年金組合。国際機関への働きかけも強めました。要請先はILO(国際労働機関)と、ジャニーズ事務所性加害問題で一躍有名になった「国連ビジネスと人権」事務局です。国連は、国境をこえる経済活動の隆盛と相まって「ビジネスと人権に関する指導原則」を定め人権および基本的自由の尊重、人権侵害の救済などの義務を国や企業に求めています。訪比調査した作業部会の2023年報告書によると、高齢者については”差別的雇用慣行が存在し、65歳以上の高齢者の7割が非正規雇用で働き、他のOECD(経済協力開発機構)諸国と異なって年齢差別禁止法が存在しない”と。要請・懇談で、国連事務局側が「昨年もフォロー調査をおこなっており、人権侵害の情報を提供してもらえば、それを元にさらに調査し日本政府に要請していく」と強調。年金者組合側からは女性部の賀川純子さんらが「日本では女性が出産や育児のために就労が中断され、低賃金や低年金の形で女性におしつけられている」など構造的なジェンダー不平等を訴えました。「国際機関も人間同士。書面ではなく、膝を突き合わせて本音で議論するのが大事であり成果があった。『社会保障は基本的人権である』という考えが国際基準です。人権後進国の実隊を告発し、最低保証年金制度などを実現させたい」と廣岡元穂副委員長。きょうは敬老の日です。」
(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
私たち自営業も満額支払って来たのに、「低年金」でとても暮らして行ける金額ではありません。さて、気が付けば9月も半分が終わってしまいましたが、なかなか秋が感じられません。時価があれば「彼岸花」を探しに行きたいと思います。「写真は、西九州新幹線「かもめ」号と、木製を使った車内と、新幹線リレー号の「かもめ」です」
長崎に行って来ましたF。
2025/09/12
「茨木のり子さんの詩「倚(より)かからず」を彷彿(ほうふつ)させる人でした。<じぶんの耳目科/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある>。俳優・吉行和子さんが逝きました。享年90.最初にインタビューしたのは2016年。3年前には本紙日曜版「この人に聞きたい」(6回連載)に登場してもらいました。権威をかさに着て威張る人が嫌い。人に迷惑をかけるのも苦手。一方で取材が終わると「楽しかったわ」と言ってくれるような優しい人でした。1957年、舞台「アンネの日記」でデビュー。アンネがゲシュタボに連行される時、「嫌な世の中だけど人間の心の中には絶対いいものなんです」と言うせりふが当時は甘いと思った、と。「でも何年もたって納得したんです。15歳のアンネは、そうでも思わなければ生きていけなかったんだと」。戦争中は妹と疎開。外で遊んでいた時、兵隊に「お父さんはどうしているの」と聞かれ「死にました」と答えました。「どちらで」「家で」。「そう言うと軽蔑したような顔で行ってしまったんです。戦争で死ななきゃ男じゃない、みたいな。みんな、おかしくなっていたわよね」。太平洋戦争の2年前に渡辺白泉が詠んだ句「戦争が廊下の奥に立ってゐた」を見るとドキッとする、とも。「また戦争が身近になった怖さを感じています。戦争で命を奪われるのだけは絶対止めたい」戦争を知る人が、また一人亡くなりました。残された言葉を次代につなぐことが、後に続く者の役目です。」
(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
昨今の日本の軍事費のと突出した予算を見ると、まさに戦争前夜の気がしています。さて、朝晩は少しだけ涼しさを感じられるようになりましたし、秋の虫が鳴いています。もうすぐ「秋のお彼岸」なので、彼岸花を探してみたいと思います。「写真は、「長崎くんち」に出される宝船と、長崎港に停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス」です」
長崎に行ってきましたE。
2025/09/09
「政治の空白とは一体どういうことなのだろうか。石庭おろしがうるさくなってきた頃から、よく耳にするように。政治の空白を、つくってはならないと。辞書には政治が機能を失い、政治課題に対応する政策を立案、施行できない状態とあります。原因には政権担当者の指導力の欠如や国会の空転、総選挙などがあげられています。衆参とも少数与党となり、党内では足の引っ張り合い。もはや石庭政権は体をなしていないからなのか。「この被災の時に辞任されてもね。国民のことを考えてやってもらいたいと思う」。静岡の牧之原で突風の被害を受けた女性が話していました。こうした声に、政権与党として応える姿勢もない。自民党は先の参院選向けポスターで「この国を動かす責任がある」と大書しました。物価高対策をはじめ国内外の情勢にふれ、「今と将来に責任を持つ政治」だと。それをなげすて、さっらに政治空白を続けようとしています。石庭首相が退陣の区切りとしたのも、米トランプいいなりの関税交渉。党内抗争はますます。テレビの情報番組で新総裁に代わった後の自民党に期待できるかアンケートを行ったところ、期待できないが9割を超えていました。自民政治にノーを突きつけた多くの国民は、政治が変わらないことへのいら立ちを感じています。失われた30年や80年がたっても戦争を反省できない大きな空白も、それを埋め、この国に新たな章を書き足す政治が待ち望まれます。」(9日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
自民党の誰が総裁になっても、何も変わらないことを国民が見抜いていますね。さて、7日(日)には、阪神タイガースが広島カープを2−0で勝ち、優勝を決めました。考えて見れば、今年のタイガースは本当に強かったですね。早すぎた優勝が、クライマックスや日本シリーズに影響しなければ良いですが?長崎での旅も「グラバー邸」を残すだけになりましたが、以前に比べ広くなり、またまた足に来るほど歩きました。「写真は、入り口から続くエスカレーターと、広くなった公園と、本当のグラバー邸です)
長崎に行って来ましたD。
2025/09/06
「戦前、絶対的天皇制下の日本。女性に選挙権がなかった時代に、性差別に沈黙することなく生き抜いた女性たち。日本共産党の党員になり戦争をしない平和な社会を求め、貧困をなくしたいと治安維持法による迫害や投獄のも屈せずに。先月16日放送のTBS報道特集が伝えたのは、そんな女性党員たちの姿とこれを敵視する特高警察(特別高等警察)による容赦のない拷問でした。非人間的な残酷な所業の数々・・・。戦前から労働組合で活動してきた小松ときさん。息子の伸哉さんの証言によれば「戦争に反対する立場を持たないと幸せは本当につかめない」との思いがあったと。後に特高に拘束され、殴られたり頭髪を引きずるなどの暴行を受けました。開業医の手伝いをする中で貧しいひとが医療を受けられない現実を知った山田寿子(としこ)さん。1930年、神奈川県で特高に「検挙」されました。戦後に筆圧強めに書いた手記には、「冷酷で女にとって屈辱的な拷問」を「大の男5〜6人」から受けたと。性的拷問が詳細に書かれていました。治安維持法制定から100年。困難な時代の女性党員を、入党の動機にも触れつつ取りあげた番組でした。歴史逆行の潮流が台頭する今日、”法の暴走”という歴史の真実を伝える貴重な労作です。労働条件や福祉・医療をよくしたい、と現代と変わらない思いで、自分が暮らし働いている場所から、声を上げ圧政に立ち向かっていった彼女たち。その果敢な姿に勇気をもらい胸が熱くなります。」
(5日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
戦前にも勇気のある女性がいたことに驚きですが、現在なら、むしろ当たり前のことなのかもしれませんね。さて、平和記念館から路面電車に乗り、大浦天主堂とグラバー邸を見るため移動しました。停車場から徒歩で坂道を歩くのですが、なかなか上まで上がれず、ここで昼食をとることにし、名物の「長崎チャンポン」を頂きました。「写真は、昼食の長崎チャンポンと、大浦天主堂ですが息も絶え絶えででした」
長崎に行って来ましたC。
2025/09/03
「トマトは収穫減、レタスは茎が伸び葉が丸まらない、ブドウは梅干し状態に・・・。猛暑・日照りでこんなニュースが連日のように。国連広報センターは、気候変動と異常気象の増加は「世界的な飢饉(ききん)と栄養不足の増加の理由の一つ」指摘します。気温上昇は嵐や干ばつを招き、漁業、牧畜の生産力が低下に。雨期に干ばつをくり返したことが文明崩壊の一因だったー。中米・ユカタン半島を中心に発達したマヤ文明の崩壊について、米科学雑誌の研究結果を本紙が報じていました。9世紀後半からの150年間に、雨期に3年続く干ばつが8回、13年続く干ばつが1回あった、と。気候変動による深刻な事態は日本の歴史にも。古代史に登場する女王卑弥呼(ひみこ)の邪馬台国(やまたいこく)は紀元2世紀に起きた「倭国大乱(わこくたいらん)」と呼ばれる争乱の末に誕生しました。その原因は気候変動による食糧危機だった、と名古屋大学教授の中塚武さんら研究グループが。この時期に干ばつや洪水など異常気象が頻発し稲作が打撃をうけ、食糧不足が原因で争いに。樹木の主成分を分析する最新の年代測定法に基ずく古気候データと史資料などを対比して、新しい発見が次々と生み出されています。対策をとらなければ東京の最高気温は43・3度に、という環境省の「2100年 未来の天気予報」はいよいよ現実味を帯びています。生存の危機を招かないために、気候危機打開への取り組みは待ったなし。中塚教授はいいます。「気候変動は、確かに歴史を左右していた。」
(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
今年の夏の暑さは異常ですが、ちょっと前まで35℃で驚いていたのが、40℃でも驚かなくなりました。このままでは、45℃も決して夢物語ではありませんね。さて、平和公園に行った後は、原爆記念館に立ち寄りました。この時だからか知れませんが、圧倒的に外国人が多く、関心の高さが分かりました。「写真は、館内に飾られた「千羽鶴」と、ノーベル平和賞の受賞の目録と、長崎に投下された原爆のレプリカです」
長崎に行って来ましたB。
2025/08/31
「まず病院をミサイルで攻撃する。直後に同じ場所を攻撃して救援活動や報道にあたる人々を攻撃する。イスラエルは、パレスチナ・ガザでこの「ダブルタップ攻撃」をくり返してきました。ダブルタップとは、タッチパネルを2回トントンと指でたたく動作を指します。精密誘導兵器を使い時間差で攻撃する卑劣な犯行。それを、トントンの動作になぞらえるのは強い抵抗を覚えますが、欧米ではそう呼ばれています。25日午前10時ごろ、イスラエルはガザ南部のナセル病院を攻撃。およそ10分後に、救援活動が行われていた非常階段付近を再度攻撃し、合わせて20人以上を殺害しました。そのなかにはジャーナリスト5人も含まれていました。病院攻撃も、救援・医療要員への攻撃も、ジャーナリストへの攻撃も、治療を受けている民間人への攻撃も、それぞれが重大な戦争犯罪です。病院や医療従事者への度重なる攻撃は、負傷者や重病患者を助けられない状況を生んでいます。すべてはできるだけ多くのパレスチナ人を殺害しようとするイスラエルが意図的に行ってきたことです。イスラエルのメディアでは極右派の「ガザに罪のない人間などいない」との主張が垂れ流されているといいます。これまでイスラエルがこうした攻撃を日常的、意図的に続けてきたことは同国の独立メディアも明らかにしています。イスラエルのネタニヤフ首相は「悲劇的な事故」だと弁明。あまりにもしらじらしさとジェノサイドの非人道性に、怒りで身が奮えます。」
(31日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
今年の暑さの原因は「地球温暖化」が言われていますが、人間同士が争っている場合ではないのではないでしょうか?さて、長かった8月も今日で終わりですが、昨日は私の誕生日で、73歳になりました。小さなケーキにロウソクを立て、写真も撮りましたが「遺影」にするのかと嫁さんに言われました。「写真は、原爆記念公園に設置された外国からの寄贈品です」
長崎に行って来ましたA。
2025/08/28
「わがまち ふるさと」「青森県黒石市」「青森県黒石市は、県の中央に位置しており、県内で4番目の市として誕生しました。国道102号線と県土を横断する国道394号線、東北自動車道黒石インターチェンジを擁し、至近距離には青森空港があるなど、青森県の交通の要衛となっています。「リンゴと米と温泉の田園観光都市」として親しまれ、「中町のこみせ」が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。近年は、特に城下町の風情を残した町並みや」建造物が高く評価されています。中野神社のもみじは、弘前藩弟9代藩主・津軽寧親(やすちか)公が、1802年に温湯(ぬるゆ)村に1泊した際に、中野山のもみじや不動の滝に魅せられ、京都からカエデ苗木約100種を取り寄せて中野不動尊に奉納。翌年3本のもみじの苗木を移植しました。神社の境内には、このもみじ3本と大杉B本が、1983年にに市の天然記念物に指定され保護されているほか、樹齢200年を超えるモミの木が県の天然記念物に指定されています。中野もみじ山は紅葉スポットとして人気を博し、壮大なライトアップのもみじ山はきっと心に残る思い出の場所になるでしょう。(工藤禎子市議)」(28日付けしんぶん赤旗「地域発」より)
関西地方から見ると、東北は北海道以上に遠い場所でなかなか行く機会がありません。私も、いまだに秋田、岩手、青森は行ったことがありません。機会があれば是非行きたい場所の一つです。さて、22日(金)は、ホテルを出ると長崎駅にまで路面電車で移動しました。「路面電車」の1日乗車券がたったの600円でしたので、嬉しい限りです。長崎駅で朝食を済ますと、まず平和記念公園まで出向きました。電車内は外国人で一杯で、いまさらながら国際都市になりつつあるのだなと感じました。弱った足腰でどうにか公園までたどり着きましたが、あの銅像が私たちを迎えてくれました。「写真は、公園の入り口で撮ったた私と、水が涼しげな噴水と、リュニーアルされた?銅像です」
新規
修正
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