メガネ・補聴器・光学用品専門店・気軽に何でも相談・滋賀県福祉法指定店
メガネ・補聴器のフクイ メガネ・補聴器のフクイ
メガネ・補聴器のフクイ トップ 紹介 掲示板

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ
もう夏タイヤに交換したそうです。
2024/02/15

「わがまち ふるさと」「千葉県・八代市」「都心から30`圏のベッドタウンである千葉県八代市は、1970年代の米本(よなもと)、73年の高津、76年の村上と、3カ所の大規模な公団住宅開発によって急激な発展を遂げてきた街です。96年には東京メトロ東西線の西船橋駅から延伸する形で開通した東葉高速線によってさらに人口が増加、2020年には20万人に到達し現在も増加しています。団地とともに発展した八千代市は、「住宅団地発祥の地」でもあります。京成本線八千代台駅前のロータリーにはその石碑があり、「千葉県住宅協会によって1955年に全国初の住宅団地分譲が開始され、これが契機となって住宅金融公庫の団地造成に対する融資制度も確立し全国に続々と住宅団地の造成を見るようになった」と記されています。住宅団地発祥のまち八千代市の団地では、高齢化が進むことでさまざまな問題が発生していますが、3人の議員団が市民とともに力を合わせ、問題解決にむけて奮闘しています。春と秋は市の花「バラ」が見ごろになります。東葉高速線八千代緑が丘駅から徒歩約15分の所には国内最大級の「京成バラ園」もあります。ぜひおでかけください。(飯川英樹市議)」(15日付しんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)私も、東京にわずか2年ですが住んでいましたが、不思議と千葉県に行く機会はありませんでした。たった1度だけ当時甲子園で名をはせた「習志野高校」にだけ行ったことがあります。さて、昨日も今日も暖かい日が続き、このまま雪も降らないのではないかと思われます。気の早いお客さんが「もう夏タイヤに交換してきた」と話されるのですが、さすがにまだ予断は許さないのでしばらくは冬タイヤで様子を見ようと思います。「写真は、昨年に飛来したコハクチョウですが、今年より多くが飛んで来ました」

雪の予報でしたが雨になりました。
2024/02/12

「心配する娘へ”故郷は不滅”」
 福岡・大牟田市 平江 守(79歳)
「私は12年前、肺炎で重病と言われ即入院。医師は姉に生死はなんとも言えないと告げ、姉は大阪にいる私の娘に連絡してくれ、娘はすぐに駆けつけてくれた。その時は顔に酸素マスクをはめて意識もうろうの状態。娘は涙を流しながら「頑張って生きて」と、何回も何回も繰り返し励ましてくれたと、後で看護師さんから聞いた。奇跡的によみがえった私が退院するときも、娘が大阪から来てくれた。そして大阪に帰る日、新大牟田駅新幹線ホームで、「お父さん長生きしてよ、そうでないと私の里帰りする場所がなくなるよ」と、涙ながらに言った言葉、今でも頭の中から離れない。新幹線がホームを離れてゆく、その姿を見ながら「ふるさとはいつまでも消えないよ」。私は何度も繰り返して、遠くなる娘に叫びかけた。また、帰郷を待っているから。」
「低年金の現実聞かずに判決」
 兵庫・猪名川町 森内 義治(79歳)
「「年金減 最高裁『合憲』原告訴え棄却の不当判決」(12月16日付)に怒りが込み上げてきた。「年金受給権に対する不合理な制約でない」と憲法25条、29条に違反しないと判断し、年金減額は「合憲」で原告の上告を棄却した。しかし裁判官の捕捉意見で「年金額の給付のみでは、他に収入や資産等の少ない者の生活の安定を図ることが困難であることは否定できず」と言っている。そうであるなら、なぜ最高裁が弁論の機会を奪うのか。年金受給者の生の声を裁判官が国民の声として、なぜ聴く耳を持たないのか。裁判官自身が「生活の安定を図ることが困難」と、物価高に加え、毎年減らされる年金額、高齢化社会においても低年金であることを認めている。司法が、なぜ憲法で判断せずに「適切な施策の充実が求められる」と立法権や行政権に丸投げするのか。何のための三権分立か。当たり前が通用する社会にしたい。」
(12日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
私の店には、二人のお坊さんが遊びに来られます。そのうちのお一人は「福井さんが亡くなったら、うちの寺で遺骨を預かるで。」と言われ、考えてしまいます。もともと大阪・大東市には先祖代々の墓がありますが、そこに入るのも考えものだし、新たに墓を作るのも厄介だしと。本当は、海に散骨してほしいのが一番の希望ですが、どこかに書いておかねばならないと考えています。さて、天気予報では「雪」の予報でしたが、気温が高く「雨」になっています。今年は暖冬と言われますが、まだたった1回しか積雪がなく、ちょっと肩すかしです。来週は、気温がさらに高くなり、今年の冬はこれで終わりそうです。」(写真は、安曇川町・四津川地区にある三和漁港ですが、どこか春めいて来ました」

今朝は春を感じる陽気です。
2024/02/09

「能登町へ帰省長男ら間一髪」
 石川県・かほく市 高橋美代子(72歳)
「「今、能登町の宇出津をでた」と孫からラインが届いたのは1月1日15時37分。大みそかから長男家族5人で宇出津に帰省し帰る途中、わが家に寄ることになっていた。のと里山海道を走行中、土砂崩れで身動きがとれなくなったとの連絡。土砂崩れの間にはさまれた車は幸い被害がなく、車中で一晩すごし、対向車線で車中泊の方に分乗することになった。気が気でない一晩だった。乗せてくれた方が金沢方面だったので、途中でおろしてもらい、お昼に我が家に到着。温かい鍋物を食べ休憩し家族5人自宅に戻っていった。宇出津の方に電話すると、家は壊れず電気もつくが断水だと。80代の老夫婦での生活、避難所へ水を求めて行くと、避難所以外に水を供給できないといわれ困っていると。その後、給水車が回ってきた。今こそ政治の力が必要な時だと思う。」
「手帳に「選挙」旅立った先輩」
 大阪・八尾市 木村 薫(76歳)
「年明け早々と悲しいことが続いた。追い打ちをかけるように活動仲間の先輩が旅立たれた。先日自宅を訪問しパートナーさんとしばし話し込んだ。大学時代の同窓会の時の写真がほほえみかけてくる。「これ見て」と一冊の小さな手帳が開かれた。昨年1月から亡くなるまでの1年間の、闘病の様子が毎日書かれていた。当初は途切れず書かれた手帳も、抜ける日が目立っていく。「しんどかったんやな」と悲しさが募ってきた。手帳の中で、一つだけ赤で「選挙」と大きく書かれていた。ずっと気にかけていた昨年4月の地元の市議選の投票の日。もう活動は思うままできなくなっていたが、投票所に向かわれた先輩から私たちへのメッセージのように思えた。」
(9日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登地震で感じるのは「運」と言う言葉で、たまたま外に出て助かった人と、正月休みで帰省して被災した人です。こればかりは、誰も知る余地はないのですが、ニュースで知るたびに、そう思わざるを得ません。さて、今朝の安曇川は、風もなくおひさまの温かさが感じられて、どこか春のきざしが感じられました。当分は「雪マーク」も予報もなく、このまま冬は終わるのではないかと感じます。「写真は、高島町・野田地区から見た、冬の比良山系です」

関東は雪でマヒしています。
2024/02/06

「うおっ うまい」「マイワシが年明け以降、三陸や千賀健沖の太平洋で豊漁となっています。冬の海の冷たさに耐えるため「身に脂がたっぷり乗った上質魚が多い」(東京の卸会社)と好評で、店頭でも人気を集めています。三陸沖では1月上旬以降、巻き網漁などでマイワシの水揚げが活発化しています。岩手県の大船渡や、宮城県の気仙沼、石巻、女川など三陸の主要港合計の、1月の水揚げ量は約1万4000d。豊漁だった昨年より2割増加しました。イワシ類の扱いでは国内屈指の千葉県銚子港でも、同月の水揚げ量は1万7700dと2割以上増えました。豊漁を受け、東京・豊洲市場(江東区)には1匹が20a前後の比較的大きなサイズが潤沢に入荷。1月下旬の卸値は1`当たり400円前後と、前年の同時期より1〜2割安くなりました。寒の時期だけに品質の評価が高く「寒ブリやマグロのトロ並みに脂が乗っている」と豊洲の仲卸業者も太鼓判を押します。旬とされる、産卵期前で身に栄養を蓄えている梅雨時の「入梅イワシ」に匹敵するとの声も上がっています。1月下旬の首都圏の量販店の店頭価格は、1匹当たり80〜150円で昨年の同時期よりやや安め。2月に入ってからも各地のイワシ漁は好調。海水温が一年で一番低くなる3月上旬ごろまでは、脂の乗った上質なマイワシが食べられそうです。」(6日付しんぶん赤旗「経済・政治総合」ノページより)最近は魚離れが進んでいて、我が家でも魚料理はおとんど食卓に上がりません。昔は食事の準備にもっと時間をかけた気がしますが、主婦が忙し過ぎるのでしょうか?さて、昨日は一月に一度の病院の健診を受けて来ました。血糖値はかなり下がってOKでしたが、血圧が高いので塩分を控えめにと言われました。私の人生で血圧が高いと言われたのは初めてで、早速毎朝と、夜に血圧計とにらめっこです。「写真は、高島町にある大溝港ですが、人気もなく静まり返っていました」

今日は節分ですね。
2024/02/03

「劣悪な避難所わがことです」
 大阪市 實 徳左(78歳)
「元旦のだんらんを切りさいた能登半島地震。その後の報道は被害の大きさと、被災者の悲惨な状況を伝えるばかり。避難所となる施設の劣悪さ、水なし、食べものなし、トイレなし等の不備、言葉をはばかる状況に涙せずにはおれません。これは能登半島に限ってのことではありません。いつどこで起きるか分からない災害、明日はわが身と思い、支援募金に応じます。災害時に避難所となる学校施設の整備を日頃から進めてもらいたい。学校施設は、地域住民の共有財産です。未来へ引き継ぐべきのものです。」
「車椅子専用の駐車場なのに」
 横浜市 重松 節子(65歳)
「月に2回ほど、あるスーパーを利用しています。車椅子なので、事業所のヘルパーさんと、リフト付きの車で行きます。毎回、駐車場に止められるかが、不安です。先日、暮れの一番混む時間に行ったら、久しぶりに空いていました。いつも、隣には格好良い車が、止まっています。空いていると、ラッキーなんだと思い、年末のガラガラの抽選券が当たった気分になり、楽しい買い物ができました。車椅子専用駐車場は、本当に歩行の困難な人が利用するスレースなので、一般の人は他の駐車場に止めてほしいです。」
(3日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登半島地震の現状を見ていると、だんだんと被害の大きさに絶句してしまいます。復興と言っても1年や2年では難しく、残念ながら10年単位の時間が必要でしょう。その間、被災者はどう生き延びるか考えなくてはなりません。さて、今日は節分ですが、朝に嫁さんに「ぜいたくな巻きずし買って来てや」と頼んでおきました。もっとも実行されるかどうか疑わしいものですが。「写真は、安曇川町・藤江地区に渡って給餌中のコハクチョウです」

色々あった1月も終わりですね。
2024/01/31

「松尾芭蕉の「おくのほそ道」には歌枕となった主な目的地がありました。当時、松島と並ぶ景勝地といわれた秋田の象潟(きさかた)もその一つ。芭蕉は「松島は笑ふがごとく象潟はうらむがごとし」と例えました。かつて潟湖(せきこ)に「九十九島」が浮かんでいた象潟。しかし1804年の大地震によって湖底が隆起。いまは陸地となり、島々は田園の中に転々と見える松の茂る小丘に変わっています。海底断層が集中する日本海沿岸はその後もたびたび大きな地震に見舞われてきました。近年は沿岸東部で約10年から20年間隔で甚大な被害をともなう地震が相次いでいます。その延長線上で起きたのが、今回の能登半島地震です。石川県珠洲市の日本海に浮かんでいた名物「ゴジラ岩」。地盤の隆起で陸続きとなり、輪島の漁港は干上がって漁に出られない状態に。千年に一度の規模ともいわれる地震は海底が露出するなど広範囲で地形の変化をもたらしています。国交省や内閣府は2013年に「日本海における大規模地震に関する調査検討会」を設置。過去の地震や津波を調べ専門家の分析も加えています。そうした検討や歴史の教訓が生かされているとは、到底いえない現状があります。岸田首相の施政方針は言い訳とやったことに終始しました。その目には犠牲になった人びとや、いまも厳しい避難生活のさなかにいる被災者の姿は映っているのか。元旦の震災からあすで1カ月。国民の命と安全をおろそかにしてきた国の怠慢が、いっそう迫ってきます。」(31日付しんぶん赤旗「潮流」より)1月もあっと言うまに終り、元旦の震災から一月が過ぎようとしています。テレビを見ていると、まだまだ困難な生活が続いています。余談ですが、念のためわが家が加入している保険は大丈夫か電話で問い合わせました。それでも地震は火災の半額しか出ないとの事で、もし地震が来たら再建はむつかしいと思いました。さて、イオネットでWI−HIの手続きをしたところパソコンが動かなくなり、友人に頼んで解決に至りました。もはや、アナログ人間の私には何もかも難し過ぎて理解が出来ません。「写真は、雪が消えた店の近所の光景です」

雪から雨に変わりました。
2024/01/28

「どんな問題でも当事者の話を聞くことが大切です。不登校の子どもを支える活動をしているNPO法人が、不登校当事者とその保護者に対するアンケート結果を公表しました。「学校に行きづらくなったきっかけは?」の問いに子どもたちはこう答えています。「全部先生が決めて、自分では選べないのがいや。席も自分で選べないので、苦手な人ばかりの席になってこわかった」(10歳)「つまんないし、ずっといすに座っているのがいやだった。怒っている先生を見て、怒られないように気をつけるのがいやだった」(8歳)。保護者からはこんな声も。「学校が忙しすぎる。分刻みのスケジュールで休み時間も着替えや移動に追われ、トイレに行くのがやっと。とにかく急がされるので子どもが疲弊している。先生が忙し過ぎてその大変さが子どもに伝わる」(小4から不登校の子の母)。不登校の小中学生は30万人近く。「さぼっている」「親がきちんとしつけないから」といった偏見もいまだにあります。アンケートで不登校の子どもが求めることの弟1位は「不登校への偏見をなくしてほしい」でした。不登校の直接の要因はさまざま。子どもに丁寧に寄り添って考えることが重要です。同時に、当事者の声からは問題の背景にある競争の激しい社会や教育、子どもの人権が守られていない現実が見えてきます。アンケートには「学校が変わってほしい」という声も多く寄せられました。教育政策を変えることも含め幅広い議論が必要です。」(26日付しんぶん赤旗「潮流」より)いつの間に不登校の問題がこんなに大きくなったのだろうか?私たちの時代には、ほとんど不登校など存在せず、いやいやでも学校に行っていました。もっとも、すべてがゆったりとしていて、急がされることもなかったと思います。さて、積雪30aとなった大雪ですが、翌25日から雨になり、ほとんど消えてしまいました。あとは、空き地や屋根に残るくらいで生活は普通に戻りつつあります。「写真は、25日の朝の近所の雪景色ですが、重い雪で苦労しました」

積雪は30aとなりました。
2024/01/25

「わがまち ふるさと」「三重県鈴鹿市」「鈴鹿市は1942年末、軍事施設を造る目的で2町12村が合併して市になった、特異な歴史を持っています。戦後、その広大な軍事地跡にホンダなどの企業を誘致して発展し、現在人口20万人。F1レースの鈴鹿サーキットや、鈴鹿山脈などで名前が知られています。近鉄特急が停車する「白子」(しろこ)の街は、港を中心に江戸時代から栄えた歴史を持ち「伊勢型紙」で全国に名を知られていました。型紙は和服のの文様の元となるデザインを和紙に彫ったもので、全国に販路を広げ、100軒以上の「型屋」の下に大勢の職人が腕を競いました。戦後は型紙の需要も減りましたが、今も大相撲の呼び出しさんの衣装などに使われ、白子の伝統産業会館や伊勢型紙資料館では、作品の展示や職人さんの実演も見られます。白子の港には「大黒屋光太夫」出帆の地の記念碑があります。光太夫は1782年、江戸への貨物を運ぶ回船の船頭として白子港を出港、嵐に遭いロシア領に漂着。首都ベテルブルグでは女帝エカテリーナ2世に謁見(えっけん)し1792年帰国、江戸で将軍徳川家斉にロシアでの見聞を報告しました。その数奇な運命をたどった物語は、小説や映画にもなり、白子の隣町・若松には光太夫の記念館があります。(石田秀三市議)」(25日付しんぶん赤旗「地方・総合ノページ」より)鈴鹿市には何度か訪れたことがありますが、一番思い出に残っているのは会社の「テニス同好会」での合宿です。メンバーに鈴鹿サーキットに勤めている姉がいて、優先的に利用出来ました。「テニス同好会」とは名ばかりで、夕食後の宴会が楽しみで夜通し飲み明かしたことがあります。また、長男が幼稚園児の頃、車の運転を初めてなのに上手にしたので親が感心したことを思い出されます。さて、24日の朝から降り出した雪は、一日中降り続き25日の朝には30aの積雪になりました。久しぶりに雪かきをしましたが、車を掘り出す?のに1時間はかかりました。皆さんの合言葉は「こんなに降ると思わなかった」です。「写真は、25日の朝の近所の豪雪の?様子です」

火曜日から大雪の予報です。
2024/01/22

「電話で聞いた実家の能登町」
 相模原市 船見 栄子(70歳)
「実家は石川県能登町です。15日に電話で聞いた話。神野公民館(山奥)には40人ほど避難。断水で衛生状態が悪く、お風呂に入れません。着替えは家から持ち出せるが、汚れたものは車に積んだまま。食事はおにぎり1個、みそ汁1杯です。自衛隊が各地区に1カ所お風呂を設置。能登町の党員の友達が行くと、寒い中2、3時間も待たされ、彼女が自衛隊員に「男風呂はガラガラですよ。男風呂を1時間だけ閉鎖して女風呂を2カ所にすれば、おばあちゃんたちが寒い中並ばなくてもよくなる」と提案。翌日大きなテントが張られ、中ははストーブで暖かくなっていて待ち時間過ごせたと。私は電話で知り合いに「行ってみるといいよ」と伝えました。能登町の珠洲市に近い避難所の党員の方。自宅が片付いた方々は自宅に戻ったり、金沢に避難したりして人数が減り、残ったのは1人暮らしのおばあちゃん方。党員はこのおばあちゃん方を放っておけないと、避難所に残ったそうです。」
「正月もバイトパートの苦労」
 東京都 村田 健介(会社員 41歳)
「仕事始め日にパートさんたちに「のんびりできましたか?」とたずねると、意外な答え。「年末年始は短期アルバイトにいっていた」多くの会社務めの人にとっては、年末年始は羽を伸ばす期間である。だが、非正規であるパートさんたち、日給月給制の彼女たちにとって、お正月は収入が減る時期でもあるのだ。アルバイト募集の広告を見ても、確かに賃金は上がっている。だが「生活が豊かになった」という話はほとんど聞かない。それどころかお正月期間にも休めず、臨時アルバイトに出る状態だ。政府のいう「デフレ脱却」をむなしく感じた。」
(22日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登地震の影響は、日が経つにつれて深刻さが見えて来ました。これだけの被害が起きると復旧までどれくらいかかるのか、そもそも元に戻るのか、戻っても住民が住み続ける人がいるのかなど考えてしまいます。さて、明日の夜から明後日まで大雪の予報が出ています。今年は暖冬なので大したことはないと思っていますが、例年最も雪が降る時期なので覚悟は必要です。「写真は、3日に久しぶりに行った岐阜県・揖斐川町「藤橋の湯」です)

美浜再稼働に抗議。
2024/01/19

「運転開始から47年以上たつ老朽化した関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)が18日に再稼働を強行されました。「老朽原発うごかすな!実行委員会」の主催でデモ行進し、「美浜原発のの再稼働許さない」「老朽原発今すぐとめろ」と声を上げ、関電に申し入れを行いました。能登半島地震で北陸電力志賀原発(石川県志賀町)は外部電源の一部喪失や変圧器トラブル、一部で想定を超える揺れの観測などがあり、周辺の18カ所のモニタリングポストも故障しました。しかし関電は本震後も福井県内で原発4基を運転し続けており、今回さらに1基再稼働です。実行委員会は「志賀原発、(東京電力)柏崎刈羽原発の再稼働を食い止めていたことが原発過酷事故の再発を回避させたとも言える」として世論と運動の意義を強調し、関電の今回の再稼働を「住民の安全などを無視した暴挙だ」と厳しく批判しています。美浜3号機をめぐって、住民らは運転禁止仮処分申し立てを福井地裁に行っています。3月に決定が出ます。」(19日付しんぶん赤旗「社会」欄より)原発の電気が送られてきたのは、1970年の「万博」の開催中でした。その時、たまたま会場にいた私は、電光掲示板に表示された文字を見て驚いたことを覚えています。美浜町には何度も訪れていますが、年々過疎化が進み小中学校も無くなりました。もし原発が無かったら、観光や魚業で栄えていたかもしれません。さて、暖冬というわけではありませんが、まだ積雪は1a程度が2回あっただけで、本当に楽な冬になっています。「写真は、久しぶりに積もった?雪景色に感動しました」

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ


Copyright (C) 2006メガネ・補聴器のフクイ. All Rights Reserved.
お問い合わせ