長崎に行って来ましたG。
2025/09/15
「「女性の低年金は人権侵害。物価高騰に見合う、暮らしていける年金を」を合言葉に全国で運動してきた全日本年金組合。国際機関への働きかけも強めました。要請先はILO(国際労働機関)と、ジャニーズ事務所性加害問題で一躍有名になった「国連ビジネスと人権」事務局です。国連は、国境をこえる経済活動の隆盛と相まって「ビジネスと人権に関する指導原則」を定め人権および基本的自由の尊重、人権侵害の救済などの義務を国や企業に求めています。訪比調査した作業部会の2023年報告書によると、高齢者については”差別的雇用慣行が存在し、65歳以上の高齢者の7割が非正規雇用で働き、他のOECD(経済協力開発機構)諸国と異なって年齢差別禁止法が存在しない”と。要請・懇談で、国連事務局側が「昨年もフォロー調査をおこなっており、人権侵害の情報を提供してもらえば、それを元にさらに調査し日本政府に要請していく」と強調。年金者組合側からは女性部の賀川純子さんらが「日本では女性が出産や育児のために就労が中断され、低賃金や低年金の形で女性におしつけられている」など構造的なジェンダー不平等を訴えました。「国際機関も人間同士。書面ではなく、膝を突き合わせて本音で議論するのが大事であり成果があった。『社会保障は基本的人権である』という考えが国際基準です。人権後進国の実隊を告発し、最低保証年金制度などを実現させたい」と廣岡元穂副委員長。きょうは敬老の日です。」
(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
私たち自営業も満額支払って来たのに、「低年金」でとても暮らして行ける金額ではありません。さて、気が付けば9月も半分が終わってしまいましたが、なかなか秋が感じられません。時価があれば「彼岸花」を探しに行きたいと思います。「写真は、西九州新幹線「かもめ」号と、木製を使った車内と、新幹線リレー号の「かもめ」です」
長崎に行って来ましたF。
2025/09/12
「茨木のり子さんの詩「倚(より)かからず」を彷彿(ほうふつ)させる人でした。<じぶんの耳目科/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある>。俳優・吉行和子さんが逝きました。享年90.最初にインタビューしたのは2016年。3年前には本紙日曜版「この人に聞きたい」(6回連載)に登場してもらいました。権威をかさに着て威張る人が嫌い。人に迷惑をかけるのも苦手。一方で取材が終わると「楽しかったわ」と言ってくれるような優しい人でした。1957年、舞台「アンネの日記」でデビュー。アンネがゲシュタボに連行される時、「嫌な世の中だけど人間の心の中には絶対いいものなんです」と言うせりふが当時は甘いと思った、と。「でも何年もたって納得したんです。15歳のアンネは、そうでも思わなければ生きていけなかったんだと」。戦争中は妹と疎開。外で遊んでいた時、兵隊に「お父さんはどうしているの」と聞かれ「死にました」と答えました。「どちらで」「家で」。「そう言うと軽蔑したような顔で行ってしまったんです。戦争で死ななきゃ男じゃない、みたいな。みんな、おかしくなっていたわよね」。太平洋戦争の2年前に渡辺白泉が詠んだ句「戦争が廊下の奥に立ってゐた」を見るとドキッとする、とも。「また戦争が身近になった怖さを感じています。戦争で命を奪われるのだけは絶対止めたい」戦争を知る人が、また一人亡くなりました。残された言葉を次代につなぐことが、後に続く者の役目です。」
(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
昨今の日本の軍事費のと突出した予算を見ると、まさに戦争前夜の気がしています。さて、朝晩は少しだけ涼しさを感じられるようになりましたし、秋の虫が鳴いています。もうすぐ「秋のお彼岸」なので、彼岸花を探してみたいと思います。「写真は、「長崎くんち」に出される宝船と、長崎港に停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス」です」
長崎に行ってきましたE。
2025/09/09
「政治の空白とは一体どういうことなのだろうか。石庭おろしがうるさくなってきた頃から、よく耳にするように。政治の空白を、つくってはならないと。辞書には政治が機能を失い、政治課題に対応する政策を立案、施行できない状態とあります。原因には政権担当者の指導力の欠如や国会の空転、総選挙などがあげられています。衆参とも少数与党となり、党内では足の引っ張り合い。もはや石庭政権は体をなしていないからなのか。「この被災の時に辞任されてもね。国民のことを考えてやってもらいたいと思う」。静岡の牧之原で突風の被害を受けた女性が話していました。こうした声に、政権与党として応える姿勢もない。自民党は先の参院選向けポスターで「この国を動かす責任がある」と大書しました。物価高対策をはじめ国内外の情勢にふれ、「今と将来に責任を持つ政治」だと。それをなげすて、さっらに政治空白を続けようとしています。石庭首相が退陣の区切りとしたのも、米トランプいいなりの関税交渉。党内抗争はますます。テレビの情報番組で新総裁に代わった後の自民党に期待できるかアンケートを行ったところ、期待できないが9割を超えていました。自民政治にノーを突きつけた多くの国民は、政治が変わらないことへのいら立ちを感じています。失われた30年や80年がたっても戦争を反省できない大きな空白も、それを埋め、この国に新たな章を書き足す政治が待ち望まれます。」(9日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
自民党の誰が総裁になっても、何も変わらないことを国民が見抜いていますね。さて、7日(日)には、阪神タイガースが広島カープを2−0で勝ち、優勝を決めました。考えて見れば、今年のタイガースは本当に強かったですね。早すぎた優勝が、クライマックスや日本シリーズに影響しなければ良いですが?長崎での旅も「グラバー邸」を残すだけになりましたが、以前に比べ広くなり、またまた足に来るほど歩きました。「写真は、入り口から続くエスカレーターと、広くなった公園と、本当のグラバー邸です)
長崎に行って来ましたD。
2025/09/06
「戦前、絶対的天皇制下の日本。女性に選挙権がなかった時代に、性差別に沈黙することなく生き抜いた女性たち。日本共産党の党員になり戦争をしない平和な社会を求め、貧困をなくしたいと治安維持法による迫害や投獄のも屈せずに。先月16日放送のTBS報道特集が伝えたのは、そんな女性党員たちの姿とこれを敵視する特高警察(特別高等警察)による容赦のない拷問でした。非人間的な残酷な所業の数々・・・。戦前から労働組合で活動してきた小松ときさん。息子の伸哉さんの証言によれば「戦争に反対する立場を持たないと幸せは本当につかめない」との思いがあったと。後に特高に拘束され、殴られたり頭髪を引きずるなどの暴行を受けました。開業医の手伝いをする中で貧しいひとが医療を受けられない現実を知った山田寿子(としこ)さん。1930年、神奈川県で特高に「検挙」されました。戦後に筆圧強めに書いた手記には、「冷酷で女にとって屈辱的な拷問」を「大の男5〜6人」から受けたと。性的拷問が詳細に書かれていました。治安維持法制定から100年。困難な時代の女性党員を、入党の動機にも触れつつ取りあげた番組でした。歴史逆行の潮流が台頭する今日、”法の暴走”という歴史の真実を伝える貴重な労作です。労働条件や福祉・医療をよくしたい、と現代と変わらない思いで、自分が暮らし働いている場所から、声を上げ圧政に立ち向かっていった彼女たち。その果敢な姿に勇気をもらい胸が熱くなります。」
(5日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
戦前にも勇気のある女性がいたことに驚きですが、現在なら、むしろ当たり前のことなのかもしれませんね。さて、平和記念館から路面電車に乗り、大浦天主堂とグラバー邸を見るため移動しました。停車場から徒歩で坂道を歩くのですが、なかなか上まで上がれず、ここで昼食をとることにし、名物の「長崎チャンポン」を頂きました。「写真は、昼食の長崎チャンポンと、大浦天主堂ですが息も絶え絶えででした」
長崎に行って来ましたC。
2025/09/03
「トマトは収穫減、レタスは茎が伸び葉が丸まらない、ブドウは梅干し状態に・・・。猛暑・日照りでこんなニュースが連日のように。国連広報センターは、気候変動と異常気象の増加は「世界的な飢饉(ききん)と栄養不足の増加の理由の一つ」指摘します。気温上昇は嵐や干ばつを招き、漁業、牧畜の生産力が低下に。雨期に干ばつをくり返したことが文明崩壊の一因だったー。中米・ユカタン半島を中心に発達したマヤ文明の崩壊について、米科学雑誌の研究結果を本紙が報じていました。9世紀後半からの150年間に、雨期に3年続く干ばつが8回、13年続く干ばつが1回あった、と。気候変動による深刻な事態は日本の歴史にも。古代史に登場する女王卑弥呼(ひみこ)の邪馬台国(やまたいこく)は紀元2世紀に起きた「倭国大乱(わこくたいらん)」と呼ばれる争乱の末に誕生しました。その原因は気候変動による食糧危機だった、と名古屋大学教授の中塚武さんら研究グループが。この時期に干ばつや洪水など異常気象が頻発し稲作が打撃をうけ、食糧不足が原因で争いに。樹木の主成分を分析する最新の年代測定法に基ずく古気候データと史資料などを対比して、新しい発見が次々と生み出されています。対策をとらなければ東京の最高気温は43・3度に、という環境省の「2100年 未来の天気予報」はいよいよ現実味を帯びています。生存の危機を招かないために、気候危機打開への取り組みは待ったなし。中塚教授はいいます。「気候変動は、確かに歴史を左右していた。」
(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
今年の夏の暑さは異常ですが、ちょっと前まで35℃で驚いていたのが、40℃でも驚かなくなりました。このままでは、45℃も決して夢物語ではありませんね。さて、平和公園に行った後は、原爆記念館に立ち寄りました。この時だからか知れませんが、圧倒的に外国人が多く、関心の高さが分かりました。「写真は、館内に飾られた「千羽鶴」と、ノーベル平和賞の受賞の目録と、長崎に投下された原爆のレプリカです」
長崎に行って来ましたB。
2025/08/31
「まず病院をミサイルで攻撃する。直後に同じ場所を攻撃して救援活動や報道にあたる人々を攻撃する。イスラエルは、パレスチナ・ガザでこの「ダブルタップ攻撃」をくり返してきました。ダブルタップとは、タッチパネルを2回トントンと指でたたく動作を指します。精密誘導兵器を使い時間差で攻撃する卑劣な犯行。それを、トントンの動作になぞらえるのは強い抵抗を覚えますが、欧米ではそう呼ばれています。25日午前10時ごろ、イスラエルはガザ南部のナセル病院を攻撃。およそ10分後に、救援活動が行われていた非常階段付近を再度攻撃し、合わせて20人以上を殺害しました。そのなかにはジャーナリスト5人も含まれていました。病院攻撃も、救援・医療要員への攻撃も、ジャーナリストへの攻撃も、治療を受けている民間人への攻撃も、それぞれが重大な戦争犯罪です。病院や医療従事者への度重なる攻撃は、負傷者や重病患者を助けられない状況を生んでいます。すべてはできるだけ多くのパレスチナ人を殺害しようとするイスラエルが意図的に行ってきたことです。イスラエルのメディアでは極右派の「ガザに罪のない人間などいない」との主張が垂れ流されているといいます。これまでイスラエルがこうした攻撃を日常的、意図的に続けてきたことは同国の独立メディアも明らかにしています。イスラエルのネタニヤフ首相は「悲劇的な事故」だと弁明。あまりにもしらじらしさとジェノサイドの非人道性に、怒りで身が奮えます。」
(31日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
今年の暑さの原因は「地球温暖化」が言われていますが、人間同士が争っている場合ではないのではないでしょうか?さて、長かった8月も今日で終わりですが、昨日は私の誕生日で、73歳になりました。小さなケーキにロウソクを立て、写真も撮りましたが「遺影」にするのかと嫁さんに言われました。「写真は、原爆記念公園に設置された外国からの寄贈品です」
長崎に行って来ましたA。
2025/08/28
「わがまち ふるさと」「青森県黒石市」「青森県黒石市は、県の中央に位置しており、県内で4番目の市として誕生しました。国道102号線と県土を横断する国道394号線、東北自動車道黒石インターチェンジを擁し、至近距離には青森空港があるなど、青森県の交通の要衛となっています。「リンゴと米と温泉の田園観光都市」として親しまれ、「中町のこみせ」が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。近年は、特に城下町の風情を残した町並みや」建造物が高く評価されています。中野神社のもみじは、弘前藩弟9代藩主・津軽寧親(やすちか)公が、1802年に温湯(ぬるゆ)村に1泊した際に、中野山のもみじや不動の滝に魅せられ、京都からカエデ苗木約100種を取り寄せて中野不動尊に奉納。翌年3本のもみじの苗木を移植しました。神社の境内には、このもみじ3本と大杉B本が、1983年にに市の天然記念物に指定され保護されているほか、樹齢200年を超えるモミの木が県の天然記念物に指定されています。中野もみじ山は紅葉スポットとして人気を博し、壮大なライトアップのもみじ山はきっと心に残る思い出の場所になるでしょう。(工藤禎子市議)」(28日付けしんぶん赤旗「地域発」より)
関西地方から見ると、東北は北海道以上に遠い場所でなかなか行く機会がありません。私も、いまだに秋田、岩手、青森は行ったことがありません。機会があれば是非行きたい場所の一つです。さて、22日(金)は、ホテルを出ると長崎駅にまで路面電車で移動しました。「路面電車」の1日乗車券がたったの600円でしたので、嬉しい限りです。長崎駅で朝食を済ますと、まず平和記念公園まで出向きました。電車内は外国人で一杯で、いまさらながら国際都市になりつつあるのだなと感じました。弱った足腰でどうにか公園までたどり着きましたが、あの銅像が私たちを迎えてくれました。「写真は、公園の入り口で撮ったた私と、水が涼しげな噴水と、リュニーアルされた?銅像です」
長崎に行って来ました@。
2025/08/25
「おいしくて安全で栄養価が高い。子どもの成長や発達の権利を保障する学校給食の無償化に向けて、取り組みがよりいっそう大切な局面を迎えています。6月の「骨太方針」には「(来年度予算の)編成過程において成案を得て、実現する」と無償化が明記されました。その後の会見で、阿部俊子文科相も「意義あるものとなるように取り組んでまいりたい」と記者の質問に答えています。来年度予算に関する文科省の概算要求は、今月末に発表の予定です。無償化にどこまで踏み込むのかが注目されますが、実施を後押しする運動は引き続き必要となるでしょう。しかし、保護者の教育費負担の軽減が無償化のゴールではありません。無償化されても給食の質が下がったり、施設が充実されたかったり、給食に関わる人たちの労働環境が整わなかったりしたら、子どもたちに豊かな給食が保障されないからです。近年の猛暑で、給食づくりの現場もかなり過酷になっていますが、いまだに冷房設備がないところがあります。昨年の文科省調査では、自校給食の調理室や配膳室のなどの冷房設置率は平均8割程度。中には4=5割台という都道府県も。ここには、スポットクーラーのような部分的な冷房も含まれます。一方で、休憩室の冷房設置率は9割強と高めでしたが、そもそも休憩室そのものがないところも。6月から職場の熱中症対策が義務化され、休憩場所の確保もその一つとなりました。学校も例外ではなく対策が急がれます。」
(25日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
21日(木)から24日(日)まで、嫁さんの実家で法事があるので出かけて来ました。21日(木)の午後9時前に長崎市に着きました。この日はホテルに直行し、夕食のために近所の居酒屋「魚定一」に行きました。色々と注文しましたが、中でも「クジラの刺し身」が絶品でした。「写真は、長崎の居酒屋で注文した「クジラの刺し身」ですが絶品でした」
お盆休みも終りましたね。
2025/08/19
「小学生の頃の愛読書は、『女工哀史』でした!作家の三浦しをんさんは、友人からこう言われて度肝を抜かれたそうです。自身も読んでみて「おもしろい。たしかにこれはおもしろい!」と書いています。「私がなによりも胸を打たれたのは、著者の細井和喜蔵(わきぞう)の徹底した男女平等等の視線だ・・・。この本に書かれた社会のひずみと女性を取り巻く問題点は、もちろん改善されてはいるが、いまも完全な解決には至っていないと言っていいはずだ」(『本屋さんで待ち合わせ』)。『女工哀史』は、紡績工場の過酷な実隊を告発した100年前のルポルタージュです。人身売買同然の女工集め、監獄のような寮生活、一般女性の3倍もの死亡率といった多数の実例を挙げて描いています。細井和喜蔵は機械修理工でした。工場の女性たちの荒れた手を見て「(人々は)衣服を纏(まと)うために幾万の若い女性が犠牲になって行くかを果(はた)して考えたことがあるだろうか」と胸を痛めます。仕事をやめ、病気を押して同署を書き上げました。和喜蔵は『女工哀史』刊行の1カ月後に28歳の若さで病死。8月18日は没後100年にあたります。執筆を助けた高井としをは、戦後、地域で労働組合を結成し、輪喜蔵没後50年にはこう書いています。「その心を そのがんばりを/私が みんなもらってる/そして 若い人にうけついでもらう」。今年6月、としをの評伝『不屈の人物語「女工哀史」』(石田陽子著)が出ました。今につながる和喜蔵からのバトンです。」
(19日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
お盆休みも終わり、世間は普通?の生活に戻りました。私は、2日間の休みを頂き、1日は大阪に墓参りに行き、もう1日は、長女の帰省に合わせて越前海岸に行きました。ただ、21日から4日間の休みで、嫁さんの実家のある佐賀県・嬉野市に法事で出かけます。私自身は乗り気でないのですが、1日だけ長崎市内を観光出来るので、渋々行くことにしました。「写真は、「鞠山海釣り公園」でこの日釣れていた豆アジです」
お盆休みもそろそろ終わりですね。
2025/08/16
「太平洋戦争の激戦地だったパラオ諸島のベリリュー島で遺骨の収集作業が続いています。昨年、大規模な日本兵の集団埋葬地が見つかり、島には今でも多くの遺骨が眠っているといいます。戦争が終わってから80年もたちながら、いまだに骨さえ帰らぬ人びと。先の大戦によって海外などで亡くなったとされる約240万人のうち、112万人の遺骨が遺族らの元に戻っていません。全国戦没者追悼式でそのことに触れた石庭首相は「一日でも早くふるさとにお迎えできるよう全力を尽くします」と。政府は2016年に遺骨収集を「国の責務」としましたが、時の経過とともに困難さは増しています。無謀な戦争の傷跡はここにも。追悼式の式辞で石庭首相があの戦争に「反省」の言葉を使ったことが話題になりました。再登板した安倍首相の式辞以降、「反省」が消えたことから13年ぶりの復活だとして。しかし、どこを反省し、何を教訓とするのか。肝心なことには口をつぐみ、アジア諸国に対する加害にも触れずじまい。あれだけの悲惨を内外で引き起こしながら、そうした自民党政権の姿勢が、侵略を否定するデマや極右・排外主義の台頭につながっているのではないか。戦没者遺族の代表は紛争が絶えない世界に目を向けて「戦後の厳しさを体験しているわが国は、今こそ争いのむなしさ、復興の難しさ、平和の尊さを世界へ訴えることが求められている」。戦後80年、新たな地平を切り開く時代の転換をー。」
(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
世間は「お盆休み」で、高島市にも旅行客が多く見られます。先ほども「マキノピックランド」に行きましたが、銀座のような混雑です。明日で、この休暇も終るのでしょうが、また静かな町に戻るのでしょう。「写真は、14日(木)に訪れた「鞠山・海釣り公園」ですが、まさに「豆アジ」が釣れていました」
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