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「湖北野鳥センター」に行きました。
2025/11/08

「「名刺を配って回るのが記者の仕事だ。営業みたいなもんだから」。新人記者のころ、先輩からこう教えられました。新聞記事は一部のコラムや特集などを除くと匿名ですが、取材時に名刺を渡しているので、取材相手はだれが記事を書いているのかを知っています。記事が間違っていれば、取材先から名刺記載の電話番号に電話がかかってくる。1枚の名刺が取材先との緊張関係をつくっています。「大雨は早めに打たれてこい」。先輩はこうも言いました。記事の間違いを指摘されたら、すぐに非を認め謝罪する。それが信頼関係を回復する最も近い道です。逆に記事が正しければ、相手がどんな卑劣な態度に出ても堂々と反論します。日本維新の会の藤田文武共同代表は「しんぶん赤旗」日曜版記者が取材時に提示した名刺の画像をSNSに公開しました。画像には編集部が公開していない電話番号や、担当記者のメールアドレスが推測できる状態でさらされていました。自分が気に入らない記事を書かれると、見せしめとして記者の名刺をさらす。疑惑を解明するための会見で、説明責任を果たさず記者にけんか腰で返す。こんな稚出な行為を与党幹部がやっている。異常な連立政権です。先輩は「権力は批判される存在だ」とも教えてくれました。権力者のおごり高ぶりを正すのはジャーナリズムの責務です。渡した名刺はその覚悟を示す証であり、真摯(しんし)に対応していただきたい。維新はもう野党でも補完勢力でもないのですから。」
(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 藤田共同代表の行為は、まったく許せないもので、これは「いじめ」でもあります。この様な人物を共同代表に置いておく維新にも信用が出来ませんね。さて、野鳥に詳しいK君の誘いを受けて、「湖北野鳥せんたー」(旧湖北町)まで行って来ました。まだまだ始まったばかりで、コハクチョウ7羽はいましたが、その他は珍しい鳥は見られず残念な結果でしたが、楽しく過ごせました。「写真は、湖北野鳥センターの展示コーナーで見た剝製の野鳥です」

急に寒くなりましたね。
2025/11/05

「歴史の節目の母親大会にて」「群馬・渋川市 宮下 歌子(85歳)」「弟70回日本母親大会in東京。記念すべき回なのでどうしても参加したちと、バスが出るというので、若い方に手をひいてもらい連れていってもらいました。1万3000人の一人になれ、ほっとしました。フリージャーナリストの布施祐仁氏の「戦後80年と不戦の決意ーアジアを再び戦場にしないために」の訴えは、国民一人一人がもっとしっかりしなければ・・・と胸におちました。たくさんの今日の運動とたたかいの報告は一つ一つが心に訴えかけてきて、もう少し自分も生きながらえなければと手を握りしめました。若い人が沢山参加されておりうれしい限りでした。みなさん、ありがとう!」
「実りの秋の山クマで入れず」「新潟・阿賀町 神田さかえ(75歳)」「今は実りの秋と食欲の秋です。わが家にも早速作ってもらっている業者さんから新米が届きました。昔は稲刈りとなると家族総出で手伝ったものです。そして栗拾いやクルミ拾い、きのこ採りをしたものです。それが今ではクマ、サル、イノシシの出没で山に入れなくなりました。そしてわが家に20本以上あった柿の木も全部切ってしまいました。今では町内に柿の木を見ることもできません。家族で秋の採りものをして楽しんだ昔のことをなつかしく思い出しています。」
(5日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 ほぼ毎日ほど「クマ出没」のニュースを見ると、山に入るのは自殺行為に等しいものです。よほど山に餌がないのか、クマが増えすぎたのか、いずれにしても大変なことになりました。さて、1〜2週間前まで半袖で過ごしていたのが、長袖にセーターとなり、それでも寒いからとダウンがいるようになりました。秋の期間が短く、夏から冬になったような気候です。「写真は、時雨模様の空の下にかかった虹の橋です」

阪神タイガースが負けてしまいました。
2025/11/02

「先週、鹿児島県で原爆の犠牲者を追悼する「慰霊祭」が実施されました。探勝園にある平和祈念碑の前に県内の被爆者やその遺族らがつどいました。広島で母親が被爆したという春田真未子さんは、日本被団協のノーベル平和賞にふれて「被爆者の願いや希望と努力が評価された」と。続けて「これを大切に私たち被爆2世も核兵器のない世界へ向けて努力したい」と話しました。厚労省の実隊調査によると、全都道府県にわたる被爆者の数はおよそ10万人。平均年齢は86歳を超えています。被爆から80年の今年は各地で追悼や集会が催され、原爆被害のむごさとともに核廃絶への誓いを新たにしています。その思いを吹き飛ばしたのがトランプ米大統領による核実験の表明です。直ちに開始するよう国防総省に指示。33年ぶりの再開には米国内でも反対の動きが広がっています。被団協も「核兵器のない平和な世界を求めて努力している世界の各国に真っ向から反対するもので、とうてい許すことはできない」と抗議。同時に、被爆者をはじめとする失望や怒りの声が高市政権に向けられています。唯一の戦争被爆国にもかかわらず、何もいえない対米追従。しかもノーベル平和賞に推薦してまでこびる姿に。ガザ虐殺で孤立するイスラエルを支え、国連の活動からも離れていく人物を平和の使者のように扱う、核被害のありさまを少しでも理解していれば、こんな卑屈な態度はとれないはず。改めて問いたい。いったい、どの国の首相、政府かと。」
(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 私の個人的な感想ですが、「高市政権」が今までの誰より危険だと思っています。トランプ大統領との行動も、早々と自らの立場を投げ捨て、まるで植民地のような対応でした。さて、日本シリーズでの阪神ーソフトバンクは1勝4敗で負けてしまいました。もう少し戦えるかと思いましたが、相手の方が1枚も2枚も上でした。はっきり言って惨敗だと感じ、力をつけて来年こそは日本一を目指してほしいものです。「写真は、安曇川町・四津川地区にある夕暮れの三和漁港の景色です」

10月も終わりですね。
2025/10/30

「人工物に囲まれながら芽を出し、勢力拡大を試みる路上の植物たち。身近な緑を見守る人たちは国境を超えていました。世界13カ国19人の”隙間植物愛好家”がその愛を競い合う『緑をみる人』。路上園芸鑑賞家の村田あやこさんがインスタの「いいね」を頼りにコンタクトを取り、約2年間取材しました。800枚の写真とインタビューで384n。「自立します!」とトークライブで何度も自慢するほどの分厚さです。道路のアスファルトのひび割れ、レンガとレンガの隙間、マンホール蓋とその周り、消火栓の根本、建物の壁、住む国は違っても、見守る場所にはたくさんの共通点があります。「よくもまあ、こんな所で」といとおしくもなります。都市と共存する緑は、社会のあり方も問いかけます。イタリアのパオロ・カスパーニさんは、環境問題の深刻さを憂いつつも、人が植物に何かしら触発さあれていることに「未来」を感じる」と語ります。国を挙げて緑地化政策をすすめているシンガポールのサラ・セオさんは、都市に生きる植物の多様性に思いをはせています。路上園芸をじっくり楽しめる季節が巡ってきました。足下に目をやりながら、いつもよりゆっくりした足取りで職場へ。白い石が敷き詰められていても、アスファルトで固められていても、緑はむくむくと盛り上がっていました。毎日頭にくることばかりだけれど、これぐらいでへこたれないで、街中で生き抜く緑に、背中をポンと押された気がしました。」
(30日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 わが家の近くにも、アスファルトから出ている緑を見かけます。「よく頑張って生きているな」と思わず声をかけたくなります。さて、日本シリーズで阪神は1勝しか出来ず、ソフトバンクが王手をかけました。あんなに強かったチームが猫のようになっています。「写真は、西浅井町にある「丸小船の館」に展示された参考資料です」

阪神タイガースを応援しているのですが?
2025/10/27

「金を出すから原発を再稼働させてくれといわんばかー。新潟県にある東京電力柏崎刈羽原発をめぐる、先日の新潟県議会のことです。再稼働に向けて東電と政府の露骨な姿勢が表れました。参考人として東電の小早川智明社長をはじめ、政府から資源エネルギー庁の長官、原子力防災を担当する内閣府の審議官らが出席しました。東電社長は、再稼働で火力の経費削減が継続的に見込まれたら、地元の地域振興の活性化に10年程度で1000億円規模の資金を拠出すると。エネ長官は、事業費が1000億円を超えるとされる原発からの避難道路を地方の負担なく整備すると明言。内閣府も、事故時の屋内退避のための体育館の気密化などの整備について5年間で100億円を国と東電で負担すると説明しました。東電は再稼働後に、1年半程度かけて1,2号炉の廃炉への検討に入るとも。これらの表明はすべて自民党議員とのやりとりの中で明らかにされました。「出来レース」だとの声があがったのは当然です。再稼働を急ぎたい政府、東電ですが、新潟県が9月に実施した再稼働に関する意識調査の中間報告では、再稼働の条件は整っていないと回答したのは6割。さらに東電が柏崎刈羽原発をうんてんすることが、心配だとする回答は約7割にも。福島第1原発事故から14年以上たっても東電への不信が根強い証です。事故後もトラブルなどを繰り返しており、原発を動かす資格があるのか問われています。お金で安全は売り渡せません。」
(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 原発の立地している場所は、大きな企業もなく税収に困っている事が多いです。色々な補助金を出して「毒を食わらば皿までも」となってしまいます。さて、日本シリーズの阪神は、第1戦こそ2−1で勝ちましたが、昨日の弟2戦は、投手陣が打たれ「ボロ負け」しました。あんなに打たれた投手陣を見たことがないので、次の試合が心配です。「写真は、西浅井町にある「丸小船の館」ですが実物大の船が飾ってあります」

店も暖房を入れました。
2025/10/24

「女性がいっせいに仕事や子育て、家事を休んだら社会は一体どうなるの?それを見える化したのが、北欧アイスランドのストライキ「女性の休日」です。1975年10月24日の前代未聞の取り組みから今年で50年。男女平等世界1位、女性が最も生きやすい国といわれるアイスランド。その昔は、夫の出世が妻の幸せなどという役割を強いられていました。女性の9割が参加したと言われるストがどうして実現できたのか。ドキュメンタリー番組「女たいがいなくなった日”男女平等先進国”アイスランドの原点」(NHKBS 初回放送は昨年10月22日)は、当事者の証言とアニメーションで「休日」を手にした経過を伝えました。75年6月、アイスランド政府が開催した「女性会議」が重要な契機に。労働組合、女性団体など多様な考えを持つ人たちが集まりました。男性より低賃金なのに「女性が働かなければ社会は回らない」。そのことを全国民に伝えるには、丸一日のストだと呼びかけることに。この会議でストに賛同する署名が集まります。ところが右派の人たちが反対。ストライキという言葉は受け入れられないと。そこで「休日」に変更。必要だったのは団結だったからです。全日ストの実現はその後の「ジェンダー平等法」の制定につながる大きな一歩に。”みんなの心臓が同じ鼓動を打つのを感じていた”。この日を振り返る映画が25日から全国で順次公開されます。思想や職種の違いを超えた、躍動の歴史をかみしめたい。
(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 昔地理で覚えたのは、アイスランドに雪が無く、グリーンランドに雪があるとの言葉でした。さて、夏から秋を飛ばし、冬が来たのが実感ですが準備が追いつきません。「電気毛布が欲しい」と嫁さんに言ったら、「まだ準備できてないわ」との返事でした。「写真は、マキノ町にあるメタセコイヤの並木道です」

急に寒くなりましたね。
2025/10/21

「あの日、「世の中は動く」ことを実感したそうです。1人の力では無理だけど、その力が重なればできると。プロボクシングの元世界チャンピオン、浜田剛史(つよし)さんです。沖縄で生まれ育ち、父親が米軍基地のある普天間でビジネスホテルを経営。客の9割が米兵で、街中では米兵の事件が頻発していました。フロントにいた母親が銃を突きつけられ金を奪われたことも。そんな姿を幼い頃から見てきました。上京し内地の人たちは沖縄のことを知らされていないと感じてきましたが、あの集会によって多くの人びとが実情を知ったといいます。8万5千人が声をあげた1995年10月21日の「県民総決起大会」です。沖縄では同年9月に米兵3人が女子小学生をさらって暴行する事件が起きていました。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦に続き、戦後も米軍が居座る中でくり返されてきた米兵の犯罪に怒りは爆発、叫びは列島にこだましました。米軍基地の整理・縮小や日米地位協定の見直しを求めるうねりは両政府に衝撃を与え、普天間基地の返還合意へとつなげました。しかしそれは辺野古への新基地建設となり、アメリカいいなりの自民党政権によって残り続け、米兵による性暴力も後を絶ちません。幾度となく押し寄せる悲しみの波はいつになればやむのか。昨年12月、米兵による少女暴行に抗議する県民大会に登壇した中高生は、30年前の高校生代表と同じ言葉で訴えました。「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」」
(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 私が沖縄に行きたくない理由の一つに、激戦地で沢山の命が失われた地だからです。父親の友人は、その激戦で生き残った人でしたが、沖縄だけは見たくないと言いながら亡くなりました。さて、昨日から急に寒くなり、今日のエアコンは暖房を入れています。夜に寝る時も厚手の布団をかぶり、寒さに耐えています。「写真は、長浜市・西浅井町から見た奥琵琶湖の光景です」

今日は行楽日和とはなりませんでした。
2025/10/18

「「来場者のみなさんありがとう」。大阪・関西万博の閉会式で大阪府の吉村洋文知事(維新代表)は「ありがとう」を8回も繰り返し「万博成功」をアピールしました。のべ2550万人来場というものの、複数来場を除けば1000万人台とも。企業に入場券を税控除で買わせてばらまき、子どもたちを学校動員。水上ショーや音楽コンサート、花火、盆踊り、全国飲食店街など「いのち輝く未来社会」のスローガンと無関係のイベントでかき集めたことは否定できません。噴出した問題点ーパビリオン建設の遅れ、実質2倍増の建設費・運営費、ガス爆発の危険、ユスリカ大量発生、4万人弱が帰宅不能、巨額の建設費不払い・・・。どれも維新の松井一郎元知事が、無法なカジノのインフラ整備を公費でやるため、大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)での万博開催を押し付けたことが大本に。会場はゴミ処分場で軟弱地盤のために費用が増加、公共鉄道は1本だけで大混雑に。万博協会の十倉雅和会長(前経団連会長)も「夢洲という立地性制約がありアクセスも限られていた」と認めます。維新府市政は、万博優先で賃上げ支援も全国一高い社会保険料値下げもなし。万博便乗の大型開発のツケもこれからのしかかります。「人類の進歩・文化交流」という万博の理念を踏みにじった維新。住民投票で2度も否決された「大阪都構想」の3度目をねらっていますが、自民党との連立は矛盾・批判を避けられません。カジノ・都構想を許さないたたかいは続きます。」
(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 行こうか、行くまいかと考えているうちに、終わってしまったというのが実感です。この安曇川町では、「行って来たよ」との話も聞かず、盛り上がりに欠けていたのは事実です。さて、10月も中盤になりましたが、経済的に厳しいのか静かな日々が続いています。「写真は、菅浦地区にあるお宮さんですが、裸足で参拝するのが義務ずけされています。奥琵琶湖パークウエーイから見た長浜市方面です」

嫁さんは伊那市に出張です。
2025/10/15

「日本被団協ヘのノーベル平和賞授与から1年。核兵器使用の生き地獄を体験し、「ノーモア・ヒバクシャ」を内外で訴え続けます。授与の背景にあったのは、イスラエルなど核兵器を持つ国が2桁近くになるなか、国際的な危惧の広がりです。代表委員の田中照巳(てるみ)さんが8日の全国代表者会議の挨拶で明かしました。「ノーベル委員会はことし授与しようとしたのを、1年早めました。核保有国のロシアが核の脅しでウクライナを侵略するなど、本当に使う危険と恐怖があります。この世界の思いが、昨年のノーベル平和賞の受賞になりました」。受賞後、被団協への海外からの講演依頼が飛躍的に増えました。核兵器の使用などを禁止する核兵器禁止条約は、2021年に発効し、署名・批准・加盟国は99カ国に広がりました。しかし、米国はじめ核保有国とその同盟国の参加はありません。「人類がみんなヒバクシャになるのではないかという危惧でいっぱい」。核兵器全面的廃絶国際デーの9月26日、国連ハイレベル会合で田中聰司代表理事は、こう切り出して各国の政府代表に訴えました。「人類最後の日までの時間を示す終末時計は89秒しかなくなりました。鍵を握る核保有国のリーダーの皆さん、私たち被爆者と面談する機会を設けてください」被爆者の平均年齢は86歳を超え、いずれいなくなる時代が。田中照巳さんは若い世代によびかけます。「願いと目標は核兵器の廃絶です。唯一の戦争被爆国の国民として、共に行動しよう」。」
(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 名前の田中照の字を検索しましたが、見つかりませんでした。正しい字は新聞で確認して下さい。さて、今朝から1泊2日で嫁さんは公務として長野県・伊那市と愛知県・豊橋市に視察の出張で出かけました。今晩は、母と2人だけの夕食となりそうで、ご馳走を用意したいと思います。「写真は、西浅井町・菅浦地区の町の景色ですが、この先道はありません」

今日は曇り空の一日です。
2025/10/12

「実隊は自民党と同じですよー。公明党がまだ野党だった頃、田中角栄がこう話したことがあります。1984年の田中派の講演で、「公明党は、いつか自民党と一緒になる。こういう性質の政党だ」(『自民党の魔力』)。80年の社公合意をへて政策的ににも自民党にすり寄っていた公明党の正体を見透かしていたかのように。その後、田中派の流れをくむ平成研究会を率いる小渕氏が首相だった99年に公明党は自民党と連立を組みました。与党となることを追い求めてきた公明党と、権力基盤が揺らいでいた自民党との合従連衡(がっしょうれんこう)。当時の神崎代表はそれを「公明党は責任政党としての政治的リーダーシップを発揮するため」だと正当化してきました。それから四半世紀に及ぶ連立の歩みは自民党政治を支え、数の力で悪法を押し通す悪政の連続でした。平和・福祉の党の看板をなげすて、戦争する国づくりや消費税の相次ぐ増税。社会保障のきりすてに協力。「ブレーキを踏むそぶりだけ」「下駄(下駄)の雪」とやゆされも権力にしがみつく姿を。その党が、とうとう自民党を見限りました。連立離脱は、金権政治の無反省や物価高への無策をはじめ、極右・排外色の強まる高市・自民党と一蓮托生(いちれんたくしょう)ではこのまま沈んでいくだけとの思惑があったからか。自公体制の崩壊によって今後、野党を取り込む動きが活発化します。しかし、庶民の生活とかけ離れていくばかりの自民党政治を延命するための存在は遅かれ早かれ、新たな「下駄の雪」になるだけでしょう。」
(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
 公明党も連立離脱と言いながら、総理大臣の任命では、野党の候補者には入れないとの発言でした。結局は、中途半端な対応で、今後はどうして行くのでしょうか?さて、朝夕寒さを感じる日もあり、急速に夏が遠のいて来ました。今になると、あの暑さも懐かしくも感じるようになりました。「写真は、秋が深まりつつある近所の光景です」

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