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祭りの後の淋しさは?
2017/05/06

「『はいろのみち』。東京電力と国が福島第1原発で過酷事故を起こしてから7年目に入った先月、東電が情報誌を創刊しました。廃炉・汚染水対策の最高責任者は「1・2号機でのロボットによる原子炉格納容器内調査」など「廃炉の核心ともいえる作業へとシフトします」とあいさつ。「今後30年から40年続く『廃炉事業のみちのり』をお伝えする」。それならば「廃炉の核心ともいえる作業」は、高線量の放射能被ばくをしながら作業する労働者に支えられていると、伝えてもらいたい。東電が「協力企業作業員」と呼ぶ、隠し続けている真実です。垣間見えたのは、いわき市で開かれた全日本民医連の健康相談会で出会ったある労働者の証言からです。爆発した1号機原子炉建屋内の「近傍」。事故を起こした東電の社員は「えらそうな態度で見守りをするだけ」。現場は元請けのゼネコン会社が仕切ります。「歩くだけで0・1_上がる」高線量エリアでは、白い防護服の上にタングステン製のベストと短パンを着用。放射能に汚染されたガレキの撤去作業をした男性は「線量が被ばく限度いっぱいになった」と6カ月で仕事を失いました。「地元の人間として子どもたちや故郷のために少しでも復興を前にすすめたいと思ったが、俺は使い捨てか」と怒ります。今も頭痛がひどく、疲れやすいと訴える男性。不安に思うのは放射線防護されていない顔面、とくに白内障です。30年後、40年後は大丈夫か。”それは知らない”は許されませんよ、東電さん。」(6日付けしんぶん赤旗「潮流」より)東電は、下請けの企業であっても、きっちりと被ばく線量の記録を残しておく責任があると思います。それが、新たな作業員の応募者も安心出来るのではないでしょうか?さて、昨日(5日)は息子夫婦と子供たち(孫)と、日野町にある「ブルーメの丘」に出かけて来ました。天候も良く、暑いくらいで、大勢のお客で「満員御礼」と言った状態でした。次々と乗り物に乗ったり、金魚釣り?をしたり、初めて乗馬(ポニーですが)も経験して大満足でした。どうやら疲れたのは大人の方で、今朝は足腰が痛くて湿布薬をあちらこちらに塗りました。(写真は、店の前を賑やかに通り過ぎる「子ども神輿」です)

きょう憲法施行70年。
2017/05/03

「70年前の東京は雨の中でした。1947年5月3日。皇居前の広場では新憲法の施行を祝う記念の式典が開かれ、人びとの顔はぬれながらも新生日本の喜びにあふれていました。当時の新聞も「封建日本 解放の日」と報道。「いまや国民に君臨するものはなんらの権力ではなく、日本国憲法のみが最高法規となったのである」(大阪朝日)と伝えました。国の将来を担うのも国民のみで、きょうは出発の日であると。祝賀行事は各地でも。平和主義、国民主権、一人ひとりの命と権利を大事にする新憲法は新鮮さと歓喜をもって受けとめられました。それは戦後の焼け跡にひろがり、敗戦に打ちひしがれる国民の道しるべとなりました。いま国立公文書館で憲法制定の過程をたどる展覧会が開かれています。国体を守ろうとした時の政府、GHQとのせめぎ合い、マッカーサー草案に大きな影響を与えた政党や民間の憲法論議。誕生にまつわる資料から苦悩とともに新しい国づくりへの意気込みがひしひしと。もう戦争はこりごり。二度とくり返してはならない。それは嫌というほどの悲惨を味わった国民すべての思いでした。現行憲法には、その時の喜びや悲しみ、願いや希望が込められています。しかしいま、改憲に執念を燃やす安倍政権のもとで私たちは岐路に立たされています。ふたたび日本を戦争する国に戻そうとする逆流の動き。あれから70年。営々と築いてきた戦後の歩みを止めないためにも、焼け跡の原点に立ち返るときです。」(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より)先ほど、安倍首相がテレビで、2020年をめどに憲法改正に着手すると答えていました。今、何故、憲法改正する必要があるのか?国民にとって不都合なことがあるのか?まったく理解に苦しむのは私だけでしょうか?今日は、嫁さんが宣伝カーで憲法記念日の街頭演説をしていましたが、反応はいま一つと言ったところでしょうか。ここ、安曇川町では3日〜4日にかけて各地で「春祭り」が行われています。明日は、「子ども神輿」も出て、普段静かな街も元気な声で生き返るでしょう。(写真は、泰澄の杜の和紙で作られた照明と、散ってしまった桜の花で、粘り強く残っているのがありましたと、久しぶりに訪れた三和漁港の光景です)

世間はゴールデンウィークです。
2017/04/30

ドキュメント’17 「わたしの話を聴いてほしい」 日本系 深夜0時55分〜「「津久井やまゆり園」での障害者殺傷事件から9カ月。滋賀県にある「びわこ学園」のドキュメンタリー映画「わたしの季節」を13年前に発表した田辺監督が再び学園を訪ね、「障害者」を考える。学園は54年の歴史を持つ重症心身障碍者施設。ここが終(つい)の棲処(すみか)になる人も少なくない。だが、再会した友だち(と田辺さんは言う)は、障害者も職員もみんな明るい。よく話し、よく笑い、わずかに動く眼球や指先など残った機能をフルに稼働して田辺さんに歓迎の気持ちを伝える。重い脳性まひで手足の自由がきかない優子さんはお喋(しやべ)りが大好き。とはいえ、彼女の聞き取りにくい言葉を聞き、確認も兼ねて繰り返すので時間はかかる。恋心やおしゃれ心、行きたい場所、嫌なこと、悔しさ、そしていつか叶(かな)えたい夢・・・。もっともっと話したい。耳で聞くのではなく心で聴いてほしい。こんな想(おも)いをいっぱい詰め込んだ心が、裸でそこにすくっと立っている。障害のある不自由さを超えた魂と、体は自由だが体面、評価、効率、競争などに縛られている心。どちらが自由なのだろうかと振り返らせてくれる番組だ。」(30日付けしんぶん赤旗「試写室」より)私たち家族にも障害者がいる関係で、「びわこ学園」には、今から25年ほど前に見学?に訪れた事があります。ほとんどの入所者が「寝たっきり」で、医療装置を離すことが出来ません。ある意味ではショックでしたが、この様な障碍者がいるのも現実なのだと認識することが出来ました。前から話しているように、良い番組なので、もう少し早い時間に放送してほしいものです。さて、今日で4月も終わり、世間はゴールデンウィークとなっています。先ほども「朽木へ行くのはどうしたらよろしい?」と聞かれたので、丁寧に説明しました。まだ、カーナビのなかった頃は、一日に数回聞かれることもあり、いま思うと懐かしい出来事でした。(写真は、雨の中根気よく釣りをする人々と、越前町にある「泰澄の杜」の玄関と、今年も「鯉のぼり」が上がった松乃木内湖の景色です)

一日遅れの店長日記。
2017/04/27

「「復興、復興といわれても、あれから時が止まったままの人間もいるんです」。東日本大震災6年目の取材で被災地を回ったとき、娘と孫を津波にさらされた女性の話を聞きました。仏壇にランドセルを供え、涙に暮れる日々。愛する人を奪われた悲しみ、ふるさとを失った苦しみ・・・。両親を亡くし、殻に閉じこもった子どもの話をした先生は「震災から立ち直った子も、そうでない子もいることをわかってほしい」。周りの景色が変わっても、元に戻らない傷痕。まして福島はいまだに原発事故のさなかです。それぞれの日常や幸せを断ち切られてしまった被災者。いまも癒えない心を、どれほど傷つけたことか。「これは、まだ東北で、あっちの方だったから良かった」。派閥のパーティーで今村雅弘復興相が言い放ちました。東北の被災地や被災者に寄り添い、先頭に立って支援する立場の人間が、いたぶるような言葉を平然と口にする。失言のレベルをこえ、人格さえ疑わしい。もっとも資質の欠如は以前から。原発事故の自主避難者を「本人の責任」と言ったり、「福島の復興はマラソンに例えると30`地点」と発言したり。こんな人物を任に就け、かばい続けてきた安倍首相の責任は重い。4年半余の安倍政権のもとで復興相は5人目に。「東北の復興なくして日本の再生はなし」の方針が、いかにうわべだけのものか。被災地でも、沖縄でも、全国でも。国民を傷つけ軽んじる政権が居座っては、失望と怒りが列島に渦巻いていくだけです。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この失言をプラスに転じて「東北だから良かった」とツイッターで広がっているとニュースが伝えていました。国民の方が、大臣よりはるかにしたたかに生きているのだなと感じられました。さて、昨日(26日)は、お休みを頂き、敦賀市から越前市へ、そして鯖江市までドライブに行って来ました。あいにくの天候で、時々雨が激しく降りましたが、長女は「回転寿司」にも「温泉」(泰澄の杜)にも行けてご機嫌でした。(写真は、雪が消えた比良山系の山と、小川のせせらぎが心地よい近所の景色と、バザーで買った鉢植えの花です)

福島に生きる。
2017/04/23

「棚倉町で原発・戦争に反対 衣山武秀さん(82)福島県棚倉町に住む衣山武秀さん(82)は地域で「原発ゼロをめざす東石の会」の人たちとともに原発再稼働反対と戦争法(安保法制)廃止を国道118号交差点付近で訴えています。毎月19日、スタンディング行動をしています。「もっと怒っていい」衣山さんの三女は、東京電力福島第1原発事故の「3・11」後、福岡県に避難したままです。娘や孫たちに会うのは衣山さんたちが福岡に出かけて行きます。今年5月に避難後初めて娘が福島に来ることになっています。復興大臣が自主避難者は「自己責任」「裁判すれば良い」などと言い放ったことに言葉を失いました。「怒りを通り越してはらわたがねじれてしまう」と、抗議の声をあげています。「故郷を捨てるつらさを大臣は分かっていない」という衣山さん、「被災者はもっともっと怒っていい」。衣山さんが生まれ育ったのはフィリピンのミンダナオ島。祖父の代にフィリピンに開拓民として移住しました。1941年12月、太平洋戦争が勃発し、日本軍が上陸。日米の決戦の場となりました。「反日的だ」と現地人が殺害された現場も目撃しました。校庭に集められたひ人たちが銃剣で刺し殺されました。密告させて弾圧する。「共謀罪が通ったならばあの戦前と同じ暗黒政治に逆戻りになる」と衣山さんは危惧しています。フィリピンでは、日本兵約50万人が戦死し、多くのフィリピン人も犠牲になりました。衣山さんは、終戦当時、小学5年生でした。日本が敗れたことを知らずに6カ月、自殺用の手りゅう弾を持たされ、ジャングルのなかをさまよい家族らと逃げまどいました。「女性は丸刈りにして男装して投降しました」と戦争体験を語ります。「12年前から平和のための戦争資料展を棚倉町で開いてきました。戦争とは何かについて地元の人に理解してもらうために平和の尊さを伝えてきました。戦争について実体験を通して語ることを自分の仕事として自覚してやっています」。原発事故後に福島県内に戻ったり仮設住宅で暮らしていた親族のうち3人が仮設で亡くなりました。妻の溪子(けいこ)さん(78)は言います。「消しゴムで消せぬ」「多くの人が原発で故郷を追われました。放射能は絶対に消せない。どんな消しゴムを使っても消せません」と語る渓子さん。国と東電に原状回復と損害賠償を求めた生業(なりわい)訴訟の第2陣の提訴で原告に加わりました。「被害は今も続いていることを知らせたいと思ったからです。群馬訴訟の判決に励まされています。避難の原因と責任についてはっきりさせた。原発ノーのすそ野を広げないといけないと思っています」衣山さんは、被災地の現状を見てもらわないと思い、ガイドを担い、6年間で多くの人を案内しました。「福島の4”風”に触れてテレビでは伝わらないものを感じ取ってほしい」」(23日付けしんぶん赤旗「社会・総合」欄より)この話と関係ありませんが、昨日(22日)は、「高島救援会」の総会があり参加しました。食事をしながらビデオで「共謀罪」の勉強もありました。その中で「元公安警察」のトップにあった方が、「一般市民も対象になる」「今までも、一般市民を対象に調査してきた」と述べられていました。「来年は、ここでの総会も開けないかも」と言う人がありましたが、こんな法案が通れば、労働運動も市民運動も対象になりそうで恐ろしさを感じました。(写真は、新旭町・安井川地区に咲いた菜の花の畑です)

長野県・東御市。
2017/04/20

「東御市、「とうみし」と読みます。平成の大合併で13年前に生まれた人口3万人の市です。知名度もさることながら、「どこ」ときかれて「ん?」。「真田丸」の真田幸村の上田と軽井沢の間と答えると、わかっていただけます。市役所内の市民交流広場にこの3月1日に新たな碑がたちました。碑文にはこう刻まれています。「戦争の歴史を学び、核兵器の廃絶を訴え、平和を推進するために行動します」「平和と人権を守る都市宣言」です。長野県19市中で最後の宣言です。東御市では戦争法をめぐって60年安保以来のデモが行われ、平和への新たな取り組みが広がっています。党議員団は「宣言はいまの情勢にふさわしいものを」と議会でたびたび取り上げ、宣言の碑文に結びつきました。具体化が課題です。その碑のすぐ隣に相撲取りの立像があります。「雷電為右衛門(らいでんためえもん)」。ご存知でしょうか。江戸大相撲の名力士。大関(当時は最高位)在位16年、勝率は驚異の96%、優勝回数28回・・・。「天下無双力士」とたたえられています。雷電はこの地の生まれ。今年は生誕250周年でイベント続きです。いま「ワインの里」として売り出し中です。(平林千秋市議)」(20日付けしんぶん赤旗「わがまち ふるさと」より)このコラムは毎週楽しみにしていて、行ったこともない町が身近に感じられます。また記事を書かれている方が、地元の議員さんであることで新鮮な感覚があります。さて、昨日は約2ヶ月ぶりに散髪に行って来ましたが、髪がどんどん薄くなって鏡を見るのが嫌になりました。「うちの家系に薄毛はいないのに」とお聴きすると、「それやったら、突然変異やね」と店の主人に言われました。(写真は、桜の花びらが散り、道路を染めていましたと、つくしが伸びてまるで背比べしている様でした)

桜も散り始めました。
2017/04/17

「大阪で豹柄(ひょうがら)のおばちゃんに出会うことは意外に難しい。「おおきに」と言われるより、「ありがとう」言われることがけっこう多い。環状線を走っているけど1周しない電車がある・・・。これが常識と思い込んでいただけでした。しかし、こちらのケースはいかにも常識離れしています。大阪府豊中市の国有地を8億円も値引きした森友学園疑惑です。ほぼ同じ面積で隣接する国有地は豊中市に約14億円で売却したのに学園には約1億円で売却したのはなぜか。深さ9・9bまでのゴミ撤去費用を値引きしたというものの、国や学園の調査データーをみた専門家は深さ9・9bにゴミは「あり得ない」と口をそろえます。学園の小学校新設の認可を議論した大阪府私学審議会では「ウルトラC以上」「絵空事」と収支の見通しや教育内容に懸念の声が相次ぎました。土地は原則「自己所有」で借地の上に校舎は建てられないという審査基準も満たしていません。それでも「認可適当」としたのはなぜか。改めて政治の力なしには考えられません。学園の籠池泰典前理事長も「びっくりした」という巨額の値引き。安倍首相夫人の昭恵氏の関与が、籠池氏のいう「神風」を吹かせたのか。背景には園児に「教育勅語」を暗唱させる教育への共感があります、安倍政権と取り巻きによる国政私物化ではないのか。疑惑の構図がここまで浮かんでいます。それでも解明に背を向け続ける。かえってこの問題の深刻さが見えてきます。(17日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この記者が書いてるように、ヒョウ柄を着たおばちゃんなど珍しいと思います。あれは、テレビが作り出した大阪のファッションではないでしょうか?もし見たければ、天神橋筋商店街か千林商店街に行けば見られると思います。さて、桜の花も散りかけて、道路や川面がピンクの絨毯となっています。昼間は、ひばりが空高く舞いながら鳴き声を響かせ、夜には、カエルの合唱が始まりました。半年ぶりになるのかヤモリも窓ガラスに張り付いていました。「おお、久しぶり」と思わず声をかけました。(写真は、お昼に久しぶりに立ち寄った「レストラン・岡崎」で食べた、「エビ・コロッケランチ」1000円と、「ハンバーグランチ」1200円と、「焼肉丼ランチ」1200円でいずれもコーヒーが付いて来ました)

熊本地震から1年。
2017/04/14

「熊本・南阿蘇村にある「一心行(いっしんぎょう)の大桜」が見頃を迎えています。両脇26bにわたって枝を扇形にひろげた樹齢400年以上のヤマザクラ。数々の自然災害に耐えてきた巨木です。今年も満開の花。益城町の仮設住宅から見物に来たという70代の夫婦は「見ていると元気がもらえる。でも先のことを考えると・・・」。目を転じれば山肌は削られ、いまだに道路は至る所で寸断され、大地は裂けたままです。熊本地震から1年。2度も襲った最大震度7の直下型の激震は大分にかけて甚大な被害をもたらしました。その爪痕は今も生々しい。被災家屋の跡に更地がひろがる一方でブルーシートがかけられ、傷ついたままの家も目立ちます。国からの支援がない「一部損壊」住宅はおよそ15万棟にのぼります。役所には住宅再建の相談に来る人の姿がひっきりなしに。現在も4万人超が仮設で暮らし、慣れない環境で孤独死や病に伏せる人が後を絶ちません。住み慣れた地を追われ、先も見えないなかで必死に生きる人びと。そこに支援の手が届かずに何のための行政か。福島の「自己責任」と冷たく言い放った人物が復興相なのですから安倍政権に期待はできませんが、声を上げ続けなければ。桜の開花とともに益城町では小中学校の入学式がありました。晴れやかな親子ら。しかし仮設から通う子どもの姿は厳しい現状を映し出しています。求められる一人ひとりの被災者に寄り添う政治。一日も早く日常を取り戻すためにも。」(14日付けしんぶん赤旗「潮流」より)東日本大震災の被災者も置き去りしたまま、福島県の原発被災者も置き去りにしたまま、次に起きるであろう被災者も置き去りにするのでしょうか?それは私かもしれないし、あなたかもしれません。(おきざりにした悲しみは吉田拓郎さんの歌でした)さて、12日(水)はお休みを頂き、琵琶湖をぐるっと回って来ました。途中、長浜城の豊公園も彦根城もすごい人出で立ち寄ることは叶いませんでした。(写真は、車内から撮影した彦根城と、雪がすっかり消えた伊吹山の景色です)

国鉄分割・民営化30年。
2017/04/11

「国民の共有財産、国鉄が分割・民営化され、JRが発足して30年。政府と旧国鉄当局が”利用者に快適な毎日”と大宣伝したJR各社は、果たして国民の安全と希望を運んだのでしょうか。」「JR北」「北海道新幹線開業1周年のニュースが華々しく報じられる一方、JR北海道は昨年11月、「維持困難」路線が現在の営業路線の約半分の1237・2`になると発表しました。道民や沿線自治体から不安の声が上がっています。道東、帯広駅前バスターミナル。予約や行き先を確認する人たちが頻繁に出入りしています。」「笑い声消えた」「本別町まで帰るという女性(69)は、帯広の病院に入院中の友人を見舞いに来ました。「不便になったね。以前は池田経由で列車が走っていて、車内でおしゃべりしているうちに駅に着いちゃったもんだ。鉄道がなくなり、笑い声まで奪われた」池田と北見を結んでいた池北線はJR北に承継された後、1989年6月第三セクターの「ふるさと銀河線」として運営され、2006年4月に廃止されました。本別駅跡に建つ、道の駅「ステラ★ほんべつ」。一角にレールの一部と跨線(こせん)橋が保存され「安全第一」の文字があります。「国鉄時代は毎朝『安全綱領』を唱和し、一に安全、二に安全と、何よりも安全輸送と地域のみなさんの利便のために汗を流してきました」と話すのは、高橋正夫本別町長(66)です。元本別駅員で、国労(国鉄労働組合)本別北線分会の役員を務めていました。「鉄道のない町がどれだけ苦労をしてきたことか。JR北の歴代経営陣は命がけで鉄路を守ろうとしてきたが、いま『赤字』を理由に鉄路を廃止しょうとしていることは公共交通の使命を放棄したといわざるをえない」と語気を強めます。」「本線も廃止へ」「廃止されようとしている鉄路は、ローカル線にとどまらず、主要な幹線である本線にも及んでいます。富良野(ふらの)と新得(しんとく)を結ぶ根室本線も「維持困難」路線とされました。作家、浅田次郎氏の直木賞受賞作を映画化した『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になったのが、根室本線の幾寅(いくとら)駅でした。映画では「幌舞(ほろまい)駅」の名で登場し、ロケを支えた地域の女性たちはその後も、主演した高倉健さんと長く交流してきたといいます。駅の近くに住む佐藤圭子さん(77)=南富良野町=もその一人です。06年4月、無人駅となった幾寅駅舎を名画の舞台にふさわしい場所にしたいと、近所の女性たちと一緒に、いすに座布団を敷き、花を生けて、観光客が休憩できる場を提供し続けています。「高倉さんは、いも団子がお好きでした。感激をいつまでもと、みんなの思いがつながって、守ってきたから保存できました。ここから鉄道がなくなれば、地域はさびれていくことでしょう」」(11日付けしんぶん赤旗「1面より)安曇川を走る「湖西線」も、敦賀市以西の「北陸新幹線」が開業すれば、JRから切り離されるそうです。儲からない路線は、JRとして関わりたくないと言うのが本音でしょう。ただし、この話は30年以上先の事なので、私がその結果を見届けられる可能性はありません。さて、今日の安曇川は、気温10℃と春とは思えない寒さ?です。明日は、お店の休みに合わせて、どこかに桜見物に出かけたいと思っています。(写真は、空き地に咲いた水仙科の植物と、気が付かぬままに大きくなったふきのとうです)

桜がようやく開花しました。
2017/04/08

「国民のみなさん、おやすみなさい。神のご加護を」。日本時間の7日昼前に流された、トランプ米大統領のシリア攻撃に関するテレビ演説に強い既視感を覚え ました。2003年3月20日、当時のブッシュ大統領がイラク攻撃を宣言したテレビ演説の締めくくりと全く同じ。あの時も、放送は日本時間の昼前でした。化学兵器は国際的に禁止された残虐兵器です。サリンと見られる神経ガスにシリアの子どもたちがもだえ苦しんでいる映像に、筆者も憤り、世界の無情を感じました。イラクのフセイン政権による大量破壊兵器の保有はねつ造でした。今回も米側はシリアのアサド政権による化学兵器の保有・使用を断定する一方で、英仏とともに提案した国連安保理決議案の中で、国際的な真相究明を求めていました。それなのに、米国が安保理決議もなく、一方的に他国を攻撃に踏み切ったイラク戦争が、中東に暴力の連鎖を生み出し、過激組織ISを生み出すにいたった教訓から、何を学んだのでしょうか。今回のシリア攻撃は、北朝鮮情勢にも大きな影響を与えると言われています。核・ミサイル開発を許さない強いメッセージになるとの見方の一方、与党幹部から「かえって核・ミサイル開発を加速させてしまう」との懸念も出ています。しかし、安倍晋三首相は7日午後、ただちに米国のシリア攻撃支持を表明しました。米国のいかなる戦争も支持する。対米追随のきわみです。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)戦争に正義はなく、どちらが勝ってもたくさんの犠牲者が生まれる事だけは間違いなさそうです。さて、待ちに待った桜の開花ですが、今朝になり2〜3分ほどとなりました。残念ながら、雨模様だったので見た目ほど美しくありませんが、「ようやく春が来た」と実感できました。このままで行くと、来週の後半には満開となりそですので、みなさん安曇川に花見の来てください!(写真は、近所の公園に咲いた桜の花です)

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