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店の看板が落下しました。
2018/09/07

「町名の由来はアイヌ語で湿地にアシの茂るところを意味する「アツマト」。明治の初め、未開の原野だったこの地に入植した人は蚊やアブが飛び回るなか、大木を切り倒し、熊笹をなぎ倒し、道をつくり、ほったて小屋を建てたと。北海道厚真(あつま)町のホームページに記されています。先人の苦労によって大平原に実った稲穂。幾多の困難をのりこえ、人びとが築いてきた豊かな大地が震度7の地震に襲われました。大規模な土砂崩れで茶色い山肌がむき出しになり、倒木がふもとの民家を巻き込む。土砂は道路や田んぼにも流れ込み、倒れた電柱からは電線がたれさがるー。命からがら逃げてきた住民は「信じられないことが起きている」。胆振(いぶり)地方を震源とする6日未明の地震の被害は、道内全域のおよそ295万戸が停電するなど市民生活の広い範囲に及んでいます。全容はつかめておらず、亡くなった人や安否不明、けが人の数もはっきりしていません。命を救い、住民の安全確保に全力をあげるときです。まだ台風21号の生々しい被災がつづくなか、こんどは北の大地を直撃した激しい揺れ。まさに災害列島。いつもどこかで被害が起きている現実を私たちは受け入れなければならない時代なのか。地球環境のもとで生きてきた人類は、さまざまな災害とたたかうなかで文明を開いてきました。自然の力の前に人間が無力だった頃に比べ、人知は進み、防災や減災の力も格段についてきたはずです。それを存分に発揮する社会づくりをいまこそ。」(7日付けしんぶん赤旗「潮流」より)北海道を旅行した人なら、アイヌ語の地名が多いのに驚きますが、先住民だったので当たり前かもしれません。さて、台風21号がここ高島市にも甚大な被害をもたらしました。特に、マキノ町・海津地区は電柱が倒れたり、屋根が飛ばされたり、車が破損したりしました。視察?に行った嫁さんの話では、「もう建て直すしかない」「電柱で壊れた車は補償してくれるの」「早く停電を解消してほしい」などと言われたそうです。私のお店も35年間に一度もトラブルがなかった看板が落下し、使い物にならなくなりました。新調すると40万円ほどかかると言われ、思案にくれています。(写真は、看板が取り付けてあった壁面と、落下して使い物にならなくなった看板です)

台風21号が接近中です。
2018/09/04

「思い出に残る弁当はありますか。親が毎日のように作ってくれた弁当、慌ただしい朝に子どもに作った弁当、友達とおかずを交換した遠足の日の弁当、運動会の校庭で家族と広げた弁当。上野の東京都美術館で開催中の「BENTO おべんとう展」では、弁当の持つさまざまな可能性を提示しています。「BENTO」とあるのは、弁当が日本独自の文化として認識され世界共通語となっていることから。美術家・小山田(こやまだ)徹さんの作品「お父ちゃんの弁当」は、幼稚園に通う息子の弁当を小学2年生の娘と共同で作り続けた記録です。朝起きたら娘が絵を描き、それを基に父が15分ほどで調理。「噴火」「天の川」「たいふう」といった意表を突く絵を、ご飯の上に卵やのり、色とりどりの野菜をあしあらい出現させます。「おすそわけ横丁」と題した空間を制作した美術家の北澤潤さんは、人が集まり車座になって弁当を分け合うことで、互いを拘束しない穏やかな共同体がつくられるのではないか、と示唆します。旬の食材を使って種々のおかずを作り、小さな箱に工夫して彩よく詰め込む作業は、その人ならではの表現があり、作った人と食べる人をつなぐコミュニケーションでもあります。弁当をきっかけに、食の安全や食物自給率、食品廃棄物、プラスチックの過剰包装などについて考えが及んでいくこともあるでしょう。行先ちがふ弁当四つ秋日和(松永典子)。新学期も始まり、行楽の季節もやってきます。弁当作りを楽しんでみませんか。」(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私が小学生の頃は、父親は「寿司屋」をしていて、遠足になると「巻寿司」や「かっぱ巻き」や「鉄火巻き」が入っていました。友達にはうらやましがられましたが、本当は握り飯が食べたくて交換をしてもらい自分ではほとんど食べませんでした。さて、8月22日の台風20号に続き、台風21号が近畿地方に接近しています。台風20号より台風21号の方が勢力も強いそうで心配しています。今日は、午前12時までに閉店し家で過ごそうと思っています。(写真は、揖斐川温泉「藤橋の湯」の景色です)

やっと9月になりましたね。
2018/09/01

「不惑のスクラム」「NHKテレビ 午後8時15分〜」「安藤祐介の同名小説を櫻井剛脚本でドラマ化しました。演出・東山充裕ほか。全7回。丸川良平(高橋克典)は誤って人の命を奪い、妻・由理(戸田菜穂)とも別れます。服役後、死に場所を求め、河川敷にやってきます。薬を飲もうとした瞬間、ラグビーボールが直撃。ボールを回収にきた宇多津(萩原健一)の前で、かつて経験したラグビーボールを蹴り正確に練習場に返します。宇多津に無理やり連れてこられた練習場では中年の男たちがラグビーに励んでいました。練習後の飲み会にも誘われます。飲み代を返そうとやってきた試合の日、宇多津が試合中倒れ、丸川が出場する羽目に。最初、動かない体もラグビーを思い出してきます。後日、宇多津ががんを病んでいることが分かり、チームのメンバー(渡辺いっけい、村田雄浩、徳井優ら)も生きづらさを抱えているようです。おじさんたちのラグビーはかっこいいとは言えませんが、いいなぁと思わせます。「ラグビーは後退しながら進む。まるで人生みたいじゃないか。誰一人不必要な人はいない」という再生の物語。テーマが暖かい。(荻野野正博 ライター)」(1日付けしんぶん赤旗「試写室」より)よくあるストーリーですが、最近は面白い番組がないので是非見てみたいと思います。ラグビーが選ばれたのは、来年のワールドカップを意識したのかもしれませんんね。さて、昨日(31日)はお休みを頂き、岐阜県・揖斐川町まで出かけて来ました。来るたびに「徳山ダム」の看板を見かけるので足を伸ばしましたが、その大きさに圧倒されました。ここから、福井県に出られるはずでしたが、自信がないので引き返しました。(写真は、徳山ダムの堰堤と放水路ですが目がくらみました)

にわか雨で雷鳴がしています。
2018/08/28

「公立保育園を全廃する。そんな計画を進める自治体があります。東京都東久留米市です。計画が浮上したのは6016年3月。同市には今年度末に民営化で閉園する園のほか、五つの公立園があります。この五つは民間園に引き継ぎをせず全廃。第1弾として来年4月から1園を募集停止にし、23年度末で閉園にします。保育園民営化の動きは全国的に起きていますが、貧困対策などもあり、自治体に数カ所残すのが一般的。同市の人口は12万人。専門家も「これほどの規模の自治体で全廃とは、あまり聞いたことがない。待機児童が問題になっているのに、なぜなのか」と驚きます。最初の廃止園とされた、しんかわ保育園の父母会は猛反発。「『ハコモノ』」じゃないよ。『タカラモノ』。」と書かれたポスターを市内全域に張り出しました。触発された元保育士が応援歌「ぼくらのたからもの」を作詞・作曲。ミュージックビデオは動画共有サイト「ユーチューブ」で公開され、話題に。諸団体が集めた反対署名は合計で人口の1割を超えました。これほど重大な計画なのにパブリックコメント(意見公募)はなし。5日に開かれた市民説明会で参加者から「市の責任放棄だ」と猛烈に抗議されたのに、2日後廃園条例案を決定。来月の市議会での成立を狙っています。民意無視の暴走を続ける安倍政治さながら、自治体レベルでも荒れ狂う横暴。「わが市で許せば、全廃が全国に広がりかねない」。「タカラモノ」を守るため市民は立ち上がっています。」(28日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この話を聞いた時、「ウソでしょう?」と思いましたが信じられない事です。何もない高島市ですが、「待機児童」はゼロが唯一の自慢です。さて、暑さも一服して、先ほどからにわか雨が降り時々雷鳴がしています。お昼の買い出しに行こうと思うのですが、躊躇しています。さて、8月も終わりに近づきましたが、明後日は私の66歳の誕生日です。「めでたさも、中くらいかな、おらが春」の心境です。(写真は、堅田にある「米プラザ」から見た、琵琶湖大橋と周辺の景色です)

台風一過でも晴れません。
2018/08/25

「こともの ひとこと」
★なにチテルの?★
2歳4カ月の孫は「ばあたん、なにチテルの?」。私「新聞読んでるの」。孫「なんのチンブンよんでるの?」。私「『しんぶん赤旗』よ。孫「ナンデよんでるの?」私「面白いからよ」。孫「ヘンなチンブンなの」。私「・・・」。
(ばばちゃん 60歳 埼玉県)
★迷子になったから★
清水七夕まつりで迷子になった、めいの子ども、小3のくると君。2週間後に愛知県に住むおばあちゃん(義妹)と一緒に出かけた時のこと。移動中、ずっとおばあちゃんの手を握って、「迷子にならないように、手をつないであげるね」。
(鈴木秀一 72歳 静岡市)
★あやとり教わる★
帰省してきた5歳の孫娘が、毛糸のあやとりを教えてくれました。私が「バーバーはなかなかできないね〜」と言うと、「そらバーバーは保育園に行ってないから」。
(三宅弥生 66歳 兵庫・明石市)
★3番目の息子に★
40年以上前のこと。3人の息子たちを連れてバス停にいると、3番目の息子(2〜3歳)が「あら〜、かわいいおじょうちゃんね〜」と声をかけられた。すると「ぼく男の子だもん」。私の好みで女の子っぽい服装を・・・。今や40代のおじさん。
(小原徳子 71歳 仙台市)
★入園式の祝辞に★
孫の幼稚園の入園式でのこと。来賓の祝辞で、〇〇組のみなさんと話したとき、孫が大きな声で、「ちがいます。ぼくたち〇〇組だよ」と訂正したのです。
(ふじいいずみ 82歳 東京・小平市)
★いいウンチ出て★
4歳10カ月の長男、とってもいいウンチが出たので「いいバナナウンチが出たよ!」と拭いてやったところ、「スイカのウンチも出るのかな・・・」。
(ゆうみいはっちゃん 京都市)
(25日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
うちの長男の孫(3歳になったばかり)も、前回と前々回はよそよそしく、私に近づこうともしなかったのに、今回は自分から抱かれに来ました。その返礼に、5000円のおもちゃを誕生日のプレゼントに買いましたが、あれはこのための作戦だったのかもしれません。
さて、今回の台風20号ですが、雨はそれほどでもなかったのですが、風が強く吹き少し怖く感じました。湖西線はいつもの様に、午後3時には全線運休になり帰宅する手段をなくした方は大変だったと思います。(写真は、子ども連れで賑わう滋賀県立平和祈念館です)

台風20号が接近中です。
2018/08/22

「スペシャルドラマ 太陽を愛したひと」NHKテレビ午後10時〜「日本のパラリンピックの父といわれている医師の物語だけにおさまらない、ハンディキャップとは何かも問いかけます。三枝義浩の「太陽の仲間たちよ」を原案にドラマ化。脚本・山浦雅大、演出・佐々木章光。1960年、整形外科医の中村裕(向井理)は、スポーツを取り入れた障害者医療を学ぶため渡英します。パラリンピックの祖、グットマン博士の言葉「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」。この障害者への言葉との出会いが、中村の人生の分岐点になります。帰国後、中村は、部活動中の事故で車いす生活になった土山アキラ(志尊淳)と出会います。それをきっかけに、障害のある人たちの仕事づくりや、「見世物にしないでほしい」という障害者家族の反対をの声を受けとめながら、東京パラリンピック(64年)実現へ尽力。物語は中村の妻・廣子(上戸彩、現代・岸惠子)の目線で語られます。劣等感や自己嫌悪は誰にでもある。それを抱えながら生きてもいいよというメッセージがこのドラマからにじみます。それは見た人の胸にも届くことでしょう。(小川浩)」(22日付けしんぶん赤旗「試写室」より)最近は、見たい番組が少なくなって少しテレビ離れが起きていました。久しぶりに、良いドラマに巡り合える様な気がします。さて、台風19号と20号が日本に接近しています。特に20号は四国に上陸するコースで、近畿地方にも多少は影響がありそうです。明日の午後以降は、状況を見ながら早じまいした方が良さそうです。(愛荘町にある滋賀県平和祈念舘に立ち寄りましたが、終戦記念日とあって沢山の子ども連れの方が見学していました) 

クツワムシが鳴いています。
2018/08/19

「番組をみて」「NHKスペシャル”駅の子”の闘い」「1945年、戦争が終わってから本当の闘いが始まった子どもたちがいました。親を戦争で亡くした「戦争孤児」たちです。12万人を超える孤児たちの多くが駅を住みかとしましたが、詳しい実態は分かっていません。生きるための過酷な闘いを強いられた空白の歴史を、「駅の子」らの証言で明らかにしました。15歳で東北から妹と弟をつれ上野地下道に住み付いた女性は、1本のサツマイモを3人で分け合います。数十人の子どもたちの餓死を目にします。飢えた子を気に掛けるおとなはいません。関西の男性は親類に冷たくされ駅の子になり、盗みで命をつなぎます。悪事から抜けきれず、死刑囚になった人もいます。誰もが浮浪児になった理由を知っているのに野良犬のように追い立てる。男性は「何よりほしかったのは人の温(ぬく)もり」といいます。「子どもに責任あるのか、戦争したのはおとなだ」と。戦争を始め、終える決断もできなかった戦争指導部の責任こそ問われます。そして戦後の政府の無責任と、世間の冷たさもまた。すべての証言が「戦争は絶対ダメだ」の一言に収れんしていきます。(萩野谷正博 ライター)※29日深夜1時に再放送。」(19日付けしんぶん赤旗「社会・総合」欄より)私もこの番組を見ましたが、戦争孤児に対する世間の対応は、あまりにも冷たく感じました。孤児の中には前途を悲観して電車に飛び込み自殺をしたとの証言には言葉もありません。さて、安曇川では夜になると気温が下がり、クツワムシの騒がしい鳴き声があちらこちらから聞こえて来ます。こうなると、あの暑かった猛暑がどこか懐かしくもあります。(写真は、至福の湯の玄関付近と周囲の景色です)

お盆も終わりましたね。
2018/08/16

「♪あの日 お日さまが割れて 青空が消えて 残った影ー。広島・府中小学校の子どもたちが被爆者から話を聞いて作詞した「あの夏を忘れない」です。曲をつくったのはロック歌手の吉川晃司さん。自身も被爆2世で原爆の話を聞かされて育ちました。8年前に完成したこの歌を、原爆とともに3・11後の原発とどう向き合うかを考えるきっかけになればと歌い継いできました。いまネットでその吉川さんが話題になっています。西日本豪雨の被災地を回り、黙々とボランティア活動に励んでいる姿が。本人からは何も発信していませんが、いくつもの目撃情報が称賛とあわせてツイートされています。タレントのローラさんがユニセフの行事に参加し、多額の寄付をしたことも注目されています。彼女は「リスクがあっても嘘(うそ)のない、人にとっても地球にとっても幸せが続くことに精一杯力を注いで頑張っていきたい」とのメッセージを寄せて。社会的な発言や取り組みには勇気がいる芸能界。沖縄の翁長知事が亡くなったときの安室奈美恵さんのコメントも強い印象を。「沖縄の事を考え、沖縄の為(ため)に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」。核や原発への政府の姿勢も批判する吉川さん。「ぼくたちなりの今だせる言葉や行動が平和につながるのでは」と。「あの夏ー」は呼びかけます。幸せってなんだろう その答えは この手から きっと はじまる。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)昨日(15日)は11日に続けて2度目のお休みを頂き、琵琶湖を1周するドライブに出かけて来ました。車の通行量はいつもより多く、渋滞も起きていました。幸い今回は南周りで琵琶湖大橋を渡るルート選んだので、対抗車線ほど混雑はしませんでした。出発が午前8時と早かったので、八日市に着いたのは午前11時前だったので、はま寿司は開店前でガストにしました。長女にはそれが良かったのか、上機嫌で自分で選んだメニューを美味しそうに食べていました。(写真は、夏祭りの会場で打ち上げられた花火ですが至近距離で見られたので迫力がありました)

お墓参りに行って来ました。
2018/08/12

「翁長さんの志 忘れない」「故翁長健志知事の追悼記帳所が10日、沖縄県庁1階県民ホール、宮古、八重山、北部、中部の各合同庁舎、県東京事務所(都道府県会館10階)に設置されました。17日まで(開庁日の午前10時ー午後4時)です。県庁1階では長い列。翁長知事と親しくしていた玉城徳丸さん(75)=那覇市=は「自ら命を削って国に立ち向かった知事の実績、志を忘れてはいかん」とこぶしを握りしめ、「辺野古ありきはもう勘弁願いたい。基地はいらない。沖縄の思いを同じ国の人間なら真剣に考えてほしい」と述べました。会社員の国吉いずみ(35)=南風原町=は「もっと家族と過ごす時間がほしかったろうに」と涙声になりました。政治のことはよくわからず、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前には行ったことがありません。それでも「国は県民より米国を向いて動いている。翁長さんを継ぐのはどういう人なのか。次の知事選を真剣に考えないといけない」と語りました。」(11日付けしんぶん赤旗「社会・総合」欄より)沖縄の比ではありませんが、ここ高島市にも饗庭野演習場があり、日々ヘリコプターが飛び、大砲の音がこだまします。日常生活さえ影響を受け、夏でも窓を閉め切らないと騒音が飛び込んで来ます。大阪にいたころは理解できなかった事が、少しは分かった気がします。さて、昨日(11日)は、長男夫婦と孫を連れて大阪・大東市まで車で墓参りを済ませました。どういう風の吹き回しか、「今年はおれも行くから」と連絡がありました。時期が時期だけに、道路は大混雑で、高速は大渋滞と言うので、一般道を走りましたが、2時間もかかりました。帰りは、高速の渋滞も解消されていて、40分ほどで着いたので拍子抜けしました。次の目的は来春に1年生になる孫(長女)のランドセル選びですが、2時間をかけても決まりません。どのくらいするのか値札を見ると6万円と書いてあり、驚き、財布の中身が足りるか心配しました。夕食を用意する間がなかったので、近所で行われている「夏祭り」の屋台で食べる事になりました。孫たちは、ヨーヨー釣りや金魚すくい、当てものに夢中になり子守の大変さを実感しました。屋台では、やきそば、お好み焼き、冷やしうどん、アイスクリームを食べました。最後は、目の前の川から上がる花火に歓声をあげ、お腹も心も満たされて帰路につきました。そんな訳で、今年は墓参りの後の「同窓会」が行われたくなり、少し後悔しています。(写真は、会場の舞台で演技する保育園児と、ヨーヨー釣りと金魚すくいに夢中の孫です)

近江高校が勝つとは?
2018/08/08

「泥まみれのピアノが置かれていました。荒れ果て、ひと気のない家の前に。ふとんやタンス、食器やぬいぐるみ・・・。暮らしの一つ一つが、ごみと化して積まれています。川が決壊し、街が水に沈んだ岡山・真備町。猛暑で乾いた土ほこりが舞うなか、住民らはくたくたになりながら、日常の生活をとり戻そうと必死です。新築の家が浸水した若い夫婦は二重ローンに追われる不安を口にしていました。山からなだれ込んだ土砂や流木、石で校庭が埋まったままの広島・呉市の天応中学校。近くの川筋は変り果て、いまだ行方不明の住民も。住民やボランティアと道路を直していた男性は、被災状況にあった支援を求めました。「この光景を目に焼き付け、要望を聞いてほしい」。無数の山肌が削り取られた愛媛の山間部。宇和島や西伊予のミカン畑も甚大な被害を受けました。摘果していた農家の男性は重機が入れない急斜面での手作業や生活再建の困難さを切々と訴えました。広範囲に被害が及んだ西日本豪雨から1カ月がたちましたが、被災地の現状はつらく厳しい。故郷をあきらめる人も出ています。現場では「まさかこんなことに」「公的な補償を」の共通した声が聞こえました。いまや災害に苦しむ人びとは各地に。強じんな国づくりをいいながら、カジノにうつつを抜かす政府のもとで救われない心の叫び。自身も屋根の上で助けを待った真備歯科診療所の小坂勝己・事務長はいいます。「この国の政治は国民の命を守ろうとしているのか」。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)あの豪雨被害から1カ月も経つのに、ほとんど復興が出来ていないテレビの画面を見ると、いつまで待てば良いのかと危惧してしまいます。ところで、甲子園で行われている「全国高校野球」で近江高校が智弁和歌山に7−3で勝ちました。私の予想では、10点以内に抑えられるだろうかと心配していましたが、3本塁打での快勝となりました。これは、「大金星」に値する内容で、今後の試合に期待できるようになりました。さて、安曇川ではあの暑さが少し和らぎ、33℃程度にまで下がりました。それにしても、夏休みだと言うのに、子どもの姿が見えませんが室内でゲームでもしているのでしょうか?私が子どもの頃は、午前中は「セミ・カブトムシ」などの虫取り、午後は川での水遊びと決まっていましたが時代の変化でしょうか?(写真は、杣山(そまやま)の「花はす祭りですが、猛暑のせいか例年に比べ花が小さいように思われました)

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