体育の日は快晴です。
2018/10/08
「(アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり 母は故郷の田を打ちていむ)。没後35年を記念して、県立神奈川近代文学館(横浜市)で開催中の寺山修司展で、この短歌を見つけました。詩歌、演劇、映画、歌謡曲と幅広い分野で活躍した寺山修司(1935〜83)。彼は共産党員だったのか?と思いきや、そんな事実はなく、虚実ないまぜの作風が魅力の寺山ならではの表現でした。しかし10歳の時に青森大空襲で焼け出され、父がインドネシアで敗戦後に病死し、福岡の米軍基地へ出稼ぎに行く母と離れ離れになった少年に、変革の志が芽生えなかったとは言えません。(マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 見捨つるほどの祖国はありや)。天皇のためと死んでいった人々の面影を背負い、国家に自分の命をかけることのむなしさと悲しみを詠んだこの歌は54年作。朝鮮戦争を経て日米安保体制の下、自衛隊が創設され、米軍基地の固定化が進んだ時代でした。67年に旗揚げした演劇実験室「天井桟敷」では、劇場から出て街中で芝居を打ち、観客参加型の演劇を展開。虚構と日常現実との間の境界線を取り除き、人と人、人と社会が出合う開かれた空間をつくり出す試みでした。絶筆となったエッセーの一節が印象的です。「私は肝硬変で死ぬだろう。(中略)だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分」。言葉が軽視され、もてあそばれている今、「血のかよった魂の告白」を目指した、その言葉を受け止めたい。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私たちより少し上の世代が影響を受けたのではないかと思われますが、名前は記憶しています。さて、あまり快晴の日が少なかった10月ですが、今日の体育の日は、晴れになる確率が100%だそうです。嫁さんは保育園の運動会に招待されていて、いそいそと出かけて行きました。(写真は、道の駅「越前」の建物と、人の姿が見えない海岸の景色です)
台風25号が接近中です。
2018/10/05
「ほっと」「ある日、娘と、あるコーヒー店でお昼を食べました。ふと隣を見ると、私と同じくらいの年の女性が1人で食事をしていました。その人が帰る時、目が合ったのであいさつしたら、「娘さんと一緒でいいですね。私はいつも1人なんですよ」と言って自分のことを話し始めました。弟が近くにいて、弟の子ども2人の食事の支度をしているそうです。手足が不自由だけど、リハビリだと思ってやっている、と。その人はシルバーカーを使っていました。「失礼ですけど、おいくつですか」と聞くと「93」。私も娘もびっくりしました。私も足腰が少し悪いので、ディサービスでリハビリをしています。私より大変なのに、がんばっている人がいる。私もがんばらなければと思いました。今日は良い日でした。(さいたま市緑区 杉浦 百合子 91歳)」(5日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)都会にいると気付きにくいですが、安曇川のような田舎ではシルバーカーを見るのは日常的な事です。ついこの間まで自転車に乗っていた方が、シルバーカーで来店される事が多くなりました。さて、台風25号が接近していますが、幸い北にずれそうで心配はなさそうです。(写真は、道の駅「越前」の空き地に咲いた花です)
勝って良かった沖縄知事選。
2018/10/02
「沖縄民謡の歌い手、古謝美佐子さんが坂本龍一さんと共作した「弥勒世果報(みらくるがふ)」。坂本さんの原曲を沖縄の言葉で歌い上げたなかに、こんな一節があります。「人ぬ秀(しゅ)らさ肝持(ちむむ)秀らさ
肝心(ちむぐぐる)玉ぬ命 玉ぬ命」。ウチナーンチュの優しさや心の美しさは宝の命と同じ。他者の痛みに寄り添い、助け合うチムグクルの精神は今も沖縄の根底に流れています。「ひとりも取り残さない、チムグクルの政治を実現したい」。知事選のなかで玉城デニーさんは何度も口にしました。辺野古反対の断固とした決意とともに、その訴えは県民の心を結びました。悪天候にもかかわらず過去最多の得票で当選。若者たちと喜びの舞いを踊り、子を抱く女性とハイタッチする姿は、掲げた新時代沖縄の到来を感じさせました。市民との集いでギターを手にロックを熱唱し、人びとのもとに気さくに飛び込んでいく。戦後の沖縄を背負いながら、明るくたくましい生き方に共感の輪が広がりました。安倍政権あげての激烈な選挙戦でまたも明快な民意を示した「オール沖縄」。しかし政府は新基地建設に「変わりはない」と。どれだけ国民を見下ろし、民主主義を軽んじるのか。住民の反対をよそに、きのうオスプレイが横田基地に正式配備されました。「「マキテェーナィビランドー(負けてはいけません)」。命を削ってたたかった翁長前知事の遺志をうけつぎ、誇りある豊かな未来に道を切り開いたデニーさんと沖縄県民。それは全国に勇気と励ましをもたらしました。」(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より)選挙の結果を心配していましたが、8万票の大差をつけての快勝に拍手を送りたいです。(パチパチ)それにしても、本土の事を「ヤマト」と呼ぶとは知らなく、それほど反骨の歴史が深いのだと感じました。さて、2週続けて台風24号が上陸しましたが、幸い台風21号に比べて被害はほとんどありませんでした。おばあちゃん(母親)と嫁さんは、前回の台風の怖さがあり、早々と避難所(公民館)に避難しました。私は、「死ぬ時はどこでも一緒」と思い自宅で過ごしました。翌朝、帰って来た二人は、「やかましくて、一睡も出来なかった」とぼやき、朝が来たのにベッドに横になっていました。(写真は、越前海岸の「さかなや」に並べられた多種の近海で獲れた魚たちです)
久しぶりの越前海岸A.
2018/09/29
「わがまち ふるさと」「滋賀県高島市」「琵琶湖の北西に位置する高島市は、2005年に5町1村が合併して発足しました。文化・歴史の面から一体感を高めようと、住民らが「高島の盆踊り歌保存会」(藤原勝会長)を結成して活動しています。盆踊り歌は、旧町村ごとに歌詞やテンポ、振り付けなどが異なるものがあり、かつては歌い手や三味線の弾き手、太鼓たたき手がいましたが、若手に引き継がれることはほとんどありませんでした。櫓(やぐら)の周りに踊る若者の輪ができる高島踊りにしようと、保存会の大西巧さん(38)が、櫓を再建するためのクラウドファンディング(ネットを介した寄付)事業を提案。目標の1・5倍の資金を調達し、櫓を見事に再建しました。大西さんは「若い人は町を一度離れた方が良い。都会で力をつけ、帰りたいと思った時、受け皿があることが大事。町におもしろいことがあり、先輩がいることが帰りたいにつながる。クラウドファンディングの成功は、このことへの共感があったと思います」と語ります。保存会は、小学校区ごとに踊りの輪を広げました。猛暑と台風で大変だった今年の夏、市民を励ましました。(森脇徹市議)」(27日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)何度かこの記事(全国版)を紹介しましたが、まさか高島市のことが載るとは思っていませんでした。記事の内容に心当たりがありませんので、旧今津町の事ではないかと想像しています。さて、前回の続きですが、越前町の「泰澄の杜」に到着し、少人数の中で温泉を楽しみました。ここの入浴料は510円で、福井県では最も低額で入れます。午後2時には「泰澄の杜」を後にして、越前海岸を通り「道の駅越前」に立ち寄りました。あいにく売店は定休日だったのですが、「おさかなやさん」(水曜日定休)は開いていて、三匹300円のサンマと、イカのお造り580円を買いました。時刻も午後3時になっていましたので、さざなみ街道から国道8号線を利用し、敦賀市を経由して安曇川に午後4時30分に戻って来ました。ところで、また大型台風24号が接近していて、明日の午後には近畿地方にに到達するようです。まだ、台風21号の被害も収まっていないのに、心配の種がつきませんが仕方がないのでしょうか。(写真は、「泰澄の杜」の特徴のある天井と、手入れの行き届いた庭と、建物の全景です)
久しぶりの越前海岸@。
2018/09/26
嫁さんの議会の都合上、定休日を変更して25日(火)に長女の帰省に合わせてお休みを頂き、敦賀市方面に出かけて来ました。いつも立ち寄る「鞠山・海釣り公園」は、予想に反して混雑しており「アジ」が釣れ出したとうわさが広がったのかもしれません。小雨模様の天気の中、竿が沢山出ていましたが残念ながら魚が上がる姿は見られませんでした。バケツを覗いても何もなく、期待外れになっていましたが、帰る間際「サンバソウ」(イシダイの子)が上がりました。初めて周りの釣り師から歓声が上がり、自分が釣ったように喜んでいました。ここから国道8号線を北に向けて走り、杉津(すいつ)地区から「さざなみ街道」に出て南越前町・河野村に出ました。まだ午前11時30分で少し早かったのですが、先に昼食を摂ろうと越前市にある「くら寿司」に立ち寄りました。いつもは「はま寿司」にするのですが、最近のテレビCMを見て「北海道フェア」に引かれました。「はま寿司」より寿司ネタが大きく、しかも珍しい「トリ貝」などもあり満足出来る内容でした。会計も3250円で、いつもと変わりませんでした。嫁さんも「また来たいね」と言い、「思ったより安かったわ」と答えておきました。さて、今日は「そまやま」に行くか「泰澄の杜」に行くかと相談の結果、越前町にある「泰澄の杜」を目指しました。(写真は、敦賀市・鞠山海釣り公園の光景です)
お墓参りに行きました。
2018/09/23
「秋のお彼岸」と言う事もあり、大阪・大東市にある先祖の墓にお参りに行って来ました。お盆に来たのですが、それから一月と15日ほどしか経っていないのでこの間は本当に早く感じられます。その後、S先生と待ち合わせをして、ランチを楽しみながら話が弾みました。鴻池新田駅まで見送ってもらい、次の待ち合わせ場所の「上本町・ハイハイタウン」に出向きました。ここで、「会社のOB会」を4名で行いましたが、こちらは1年ぶりの顔合わせとなりました。みんなが一度は「メガネ店」を経営した経験がありますが、現在に至っては私だけになりました。「何でメガネ屋なんかしたの?」と反省の弁を聞いていると、何故か自分も責められている気がします。もう飲めないし、食べられないと言う事になり、午後10時前に次回また会う約束をして、解散しました。安曇川に戻って来たのは、午後11時30分になっていましたが、思ったより早く帰れて飲み直しました。あれやこれやで、なかなか充実した一日になり午前1時に眠りにつきました。(写真は、珍しい白い彼岸花と、アスファルトを破って伸びた「ド根性」彼岸花です)
毎日ヤモリの活動を見ています。
2018/09/19
「いい戦争というものは絶対ない。戦争はすべて人殺し。決してくり返すまい。車いすから立ち上がった93歳の瀬戸内寂聴さんが国会前でそう訴えたのは2015年の6月でした。若き秘書の瀬尾まなほさんが著した『おちゃめに100歳!寂聴さん』に当時のことがリアルに描かれています。前の年は病で寝たきりだった寂聴さんですが、戦争法案に反対する学生たちの姿を見て「私も行くわ」と。病気も治っていないのに京都から出かけるなんて、と心配する秘書。しかし、何もしないなんておかしいと強い意志で行動する「先生」の姿に、自分とは関係ないことと思っていた考えがひっくり返ったとつづっています。老いも若きも集わせ、声をあげさせた安倍政権による戦争法。そこには、日本が戦後70年以上にわたって「戦争をしない国」として歩んできた道を変えるな、若者をふたたび戦場に送るなという意思表示と危機感ありました。実際、政府が一昨年に派兵期間を延長し、戦争法に基づく新任務を与えた南スーダンの自衛隊の状況は危険でした。戦闘行為はなかったと強弁する安倍首相らに対し、隊員は「戦争だった。部隊が全滅すると思った」と証言しています。戦争法強行から3年。いま政府はそれを適用し、過激派が活発なシナイ半島の多国籍軍に自衛隊の派遣を検討しているといいます。「戦争する国づくり」の総仕上げとばかり、9条に自衛隊を明記させると意気込む安倍首相。それを止めるのも培ってきた共同の力です。」(19日付けしんぶん赤旗「潮流」より)最近、ヤモリの観察にはまっていて、入浴中も2匹のヤモリが出合い頭なると喧嘩をはじめたりします。大人しそうに見えても、生きるため必死なんでしょう。また、尻尾が切れたヤモリが台所の窓にいて、嫁さんが「尻尾がないわ」と騒いでいました。「ヤモリはトカゲと一緒なんやな」と返事しましたが知りませんでした。(写真は、実りの秋を迎え、コンバインが忙しそうに作業しています)
運動会の歓声が聞こえて来ます。
2018/09/16
「事故後、東京電力福島第1原発の敷地でバスの窓から見た、石積の仮設防潮堤を思い出しました。これで津波を防げるのかと首をかしげたものです。東電が福島第1原発に新たな防潮堤を建設し、津波対策を強化すると発表しました。原子力規制委員会の会合で示しました。防潮堤は1〜4号機の海側を完全に覆うように築く計画です。防潮堤の高さや構造、工事をいつするのかなどは今後の検討だといいます。政府の地震調査研究推進本部が昨年末に公表した地震予測「長期評価」を受けてのことです。長期評価は、北海道沖の太平洋で、マグニチュード8・8以上「超巨大地震」が30年以内に最大40%の確率で起きるとしました。発生から400年程度経過し「切迫している可能性が高い」と。東電はこの地震で最大10・1bの津波が押し寄せ、原子炉建屋がたつ標高8・5bの敷地は最大1・8b浸水すると評価しています。これまでは建屋への防水扉などの対策しか示されていませんでした。福島第1原発では溶け落ちた核燃料の冷却が続けられており、燃料に触れた水は高濃度汚染水となり原子炉地下などにたまり続けています。その量は4万数千d。津波が襲来すれば、建屋に津波が流れ込み汚染水が増え、引き波で汚染水が流失する恐れなどが懸念されています。東電の担当者は規制委の会合で「7年半かけて造った設備が(津波)で使えなくなる」と話していました。原発事故の収束の難しさをまざまざと見せつけられています。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)昨日も、知り合いと議論しましたが、「若狭湾」は日本の中で3本の指に入る「リアス式海岸」と中学校で習いました。「リアス式海岸」は地殻の隆起や陥没で出来るはずなので、その上に原発を作るなど常識では考えられないはずです。結局はその様な事より、過疎の町の反対の少ない場所を選んだ事になります。さて、昨日の雨で順延になった小学校の運動会が行われています。今日も晴天とはいかず、時々にわか雨が降っていますが、子どもたちには関係なく元気な声が聞こえて来ます。(写真は、元気に走る子どもたちと、それを応援する子どもたちです)
急に寒くなりましたね。
2018/09/13
「やっぱり土曜は寅さん!」来月6日からBSテレ東「男はつらいよ」全49作毎週放送「国民的人気の映画「男はつらいよ」全49作が、10月6日から「やっぱり土曜は寅さん!」として、BSテレ東(現BSジャパン)で毎週(午後6時30分〜)放送されます。1969年、第1作公開からもうすぐ50年。「50周年記念プロジェクト」の一つです。番組では、シリーズの魅力を堀下げるミニコーナーも随時放送されます。映画会社「松竹」の同プロジェクトのホームページによると、来年第50作の公開が予定されています。第49作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別編」(1997年)以来、22年ぶりです。また、全49作のオリジナルネガが経年劣化したため、退色、収縮などの破損を精査し、修復。これらのプロセスを4K解像度で実施します。監督の山田洋次さんの監修の下、当時のスタッフや松竹などで修復チームを結成。最新技術と緻密な手作業を組み合わせて、試写と再修復を繰り返し、公開初日の映像と音声をデジタルでの再現目指して、2年間にわたって取り組んでいます。ブルーレイの発売、全国の劇場で特集上映も予定しています。」(13日付けしんぶん赤旗「社会・総合」欄より)「男はつらいよ」の映画は、もう何度も見ましたが、それでも飽きないと言う不思議な魅力があります。そのベースにあるのは、人に対する優しさ、思いやりがあるからでしょう。何度も繰り返し見ているので、家族もあきれ返っているのが現状です。さて、安曇川では急に気温が下がり最低気温が20℃で、最高気温も25℃に届きません。あの暑かった日々が嘘のようで、半袖では寒く感じられるようになりました。(写真は、道の駅「さかうち」から見た景色ですが、北は福井県に(1枚目)、西は滋賀県(2枚目)に面しています)
日本が災害列島になりました。
2018/09/10
「健常者を障害者と偽り、カウントする。中央省庁による障害者雇用水増し問題は、ウソにまみれたこの国の姿を浮き彫りにしました。働き、社会に必要とされたいと願う障碍者の人権を踏みにじる、恥すべき違法行為です。しかし、その障害者たちが、国に”必要”とされた時代がありました。戦争末期、戦局が悪化する中、徴兵免除のはずの知的障碍者たちが戦場に駆り出されていたのです。ETV特集「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録〜」で知りました。知能年齢が9歳とされた当時21歳の男性は、補充二等兵として中国大陸に送られ、新たな精神障害を発症。上官から犬や猫のような扱いを受けた末に除隊されました。中には知能年齢が4歳5カ月以下の人も。彼らに軍人恩給は支給されませんでした。過酷な戦場でボロボロにされたあげくに放り出されたのです。切ないのは元精神障害兵士たちの多くが戦後、家族のもとに帰れなかったことです。引き取り手のいない「未復員」。故郷で働くことを希望しながら病院や療養所をついの住み家とするほかありませんでした。番組は第一次世界大戦中、ヨーロッパで多発した戦争神経症は「皇軍には皆無」と戦争中、存在を隠していたことも伝えます。隠ぺいと偽装は現在に続く、この国の十八番(おはこ)です。障害者雇用の偽装も根っこにあるのは差別です。「障害者の権利に関する条約」を日本も署名したのではなかったか。人を人として尊ばない社会はやがて滅びる。戦前の教訓です。」(9日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私どもの長女は、3歳児以下の知能と診断されていますので、登場する元兵士より状況は厳しくなります。さて、台風21号が大きな被害をもたらしましたが、そんな折、北海道で最大震度7の地震が起きました。あちらこちらで被害が報道されますが、特に厚真町のがけ崩れは目を覆いたくなるほどの惨状です。地球温暖化の影響もあるのでしょうが、災害の大きさが今までとは比べ物にならなくなっています。(写真は、藤橋の湯で食べたランチですが、特大のカツカレー1100円と、一日10食限定の日替わり定食850円(この日はかつ丼でした)です)
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