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毎日、平凡に暮らしています。
2019/02/13

「来月で事故から8年になる東京電力福島第1原発。きょうにも2号機の原子炉格納容器の内部調査が実施されます。事故で溶け落ちた核燃料の性状を確認するためです。いまだにわかっていません。先月末に構内を取材した際、東電は、全面マスクや防護服を必要としない作業範囲が構内の96%に広がったと説明していました。道路の舗装などで放射性物質の飛散が少なくなったためだと。その中で事故処理にあたる作業員は1日4000人以上働いています。東電が公表した作業員アンケートは、「96%」という数字とは違う現実が見えてきます。放射線への不安を感じている人の理由を聞くと、半数弱が「将来の健康が不安」と回答しています。さらに第1原発で働くことに4割以上が不安を感じています。最も多い理由は「先の工事量が見えないため、いつまで働けるかわからない」「被ばくによる健康への影響」。「安定的な収入が保証されない」がそれに続きます。安心して働ける環境がなければ廃炉もままならないでしょう。増え続ける汚染水の問題もあります。今も毎日100〜150d発生し、1000dタンク1個分が1週間から10日でいっぱいになる計算です。すでに約110万d。東電は137万d分までしか計画を持ちません。周辺自治体の住民調査で「戻らない」「まだ帰還の判断がつかない」という人たちは、理由の一つに「原発の安全性に不安があるから」を挙げます。帰還を急ぐ安倍政権ですが、事故は何も終わったいません。」(13日付けしんぶん赤旗「潮流」より)気が付けば、2月も半分が終わろうとしていますが、毎日平凡に暮らしているからか本当に早く感じます。お客さんとの合言葉は、「雪が少なくて助かるね」「こんなに降らないのも気持ちがわるいね」と話していかれます。「これも、地球温暖化の影響でしょうか」と答えています。(写真は、長浜市・南浜ぶどう園から見た伊吹山と、施設の周辺の景色と、揖斐川町の道の駅「さかうち」の大きな看板です)

世間は三連休ですね。
2019/02/10

「「政府を批判しない新聞は存在する意味がない」。ワシントン・ポストの経営者だったキャサリン・グラハムさんの信条でした。彼女はウオーターゲート事件の報道にふみきり、時の大統領を辞任に追い込みました。政府を権力、新聞をメディアと置き換えてもいいでしょう。米国では昨年、トランプ大統領の会見をめぐり批判的な記者の記者証が取り上げられました。そのとき、政権と近い媒体も含め意義を唱え、記者の復帰を求めました。翻って日本はどうか。いまの権力の集中が進む官邸が会見の場から特定の記者を除こうとしています。事実を明らかにするための質問を封じ込めようと圧力をかけているのです。標的にされたのは東京新聞の望月衣塑子記者。これまでも官邸側の質問妨害や菅官房長官のバカにしたような答弁が続いています。新聞労連は偽った情報を用いて記者に「事実誤認」のレッテルを貼り、取材行為を制限しようとする行為は、ジャーナリズムと国民の知る権利に対する卑劣な攻撃だと。メディアが権力に屈すれば国民にどんな悲惨をもたらすか。それは歴史が示しています。とくに軍国政治と一体になって破滅に導いた日本の新聞は、その反省の上に歩んできたはずです。「ジグソーパズルを作るときのように、ひとつずつ真実を認めさせて、さらに裏を取っていく」。望月記者は自身の仕事を著書でそう語っています。権力の偽りや隠ぺい、メディアへの攻撃は連帯して対決していく。それもまた歴史の教訓です。」(10日付けしんぶん赤旗「潮流」より)さて、昨日9日(土)は親せきの伯母さんのメガネと補聴器の調整に京都・精華町まで行って来ました。京都駅で近鉄電車の乗り換えるのですが、ホームは大混雑で明らかに日本人ではない集団に出会いました。幸いその方たちは、奈良行きの特急で移動したようで車内で見かける事はありませんでした。精華町も住宅がどんどんと増えて、昔の面影はなくなりました。「この辺りでも坪30万円はするそうや」「片方では旧住宅の空き家が増えて自治会を維持するのが大変や」と従妹が語ってくれました。そんな話を聞くと、日本の住宅事情が変化しつつある事を感じました。帰路の夕方の午後6時には京都駅前で飲もうと旧友と約束をしていたので、急ぎました。話が盛り上がり、お別れしたのは午後10時前でした。午後11時半に安曇川駅に降り立つと、雨がみぞれに変わっていて、思わず寒さに震えました。(写真は、藤橋の湯で長女が頼んだ「エビフライ定食」と私が頼んだ「から揚げ定食」いずれも1100円でした)

明日から雪が降る予想です。
2019/02/07

「わがまち ふるさと」「宮城県・亘理町」「宮城県の南東部にある亘理(わたり)町は、仙台市から南へ約26`bにあり、東に太平洋、西に阿武隈高地、北は阿武隈川に囲まれた自然豊かな地です。阿武隈川の由来ともいわれる、安福河伯(あふくかはく)神社があります。独眼竜と呼ばれた伊達政宗公の片腕であった戦国武将、伊達成美公が礎を築いた城下町で、歴史あふれる町です。気候は冬でも温暖なところから、「東北の湘南」とも呼ばれサーファーの人気スポットでもあります。農漁業の街であり、サケの炊きこみご飯に、はらこ(いくら)をのせた「はらこ飯」の季節には店頭に長蛇の列ができるほどです。東北一の産地としてのイチゴが、東日本大震災で壊滅的な打撃を受けました。今年で8年を迎えますが、国の補助も得て「いちご団地」をつくり、再生してきました。復興のために共産党のボランティアをはじめ多くの方々の援助に感謝したいと、イチゴ農家の方は言います。歴史、民話などの文化遺跡に海の幸山の幸、太平洋を一望できる「わたり温泉鳥の海」も宿泊施設として再開しました。町は今後、自転車を利用したレンタサイクル観光に力を入れる予定。私も、共産党議員として、今後も復興に取り組んでいきます。「みなさん、亘理町に来てけさいん」。(大槻和弘町議)」(7日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)東日本大震災から、8年経過してどの程度復興出来たのか気がかりなところです。さて、昨日6日(水)は、長女の帰省に合わせてお休みを頂き、岐阜県・揖斐川町の「藤橋の湯」に行って来ました。山間部の峠越えには雪が残っていて、一面真っ白でした。それでも、去年より少ないそうで、楽な冬だと地元の人が話していました。今日の天気予報では、明日8日(金)から、10日〜11日と雪の予報です。まあ、今年は大雪なる事はなさそうで、たいして危惧はしていません。(写真は、「藤橋の湯」の玄関付近と、駐車場に設置された大き看板と、あの山の向こうは福井県だと思われる高い山です)

暖かい節分でした。
2019/02/04

「高校や大学入試の季節です。目標に向かって猛勉強の人もいれば、進路が決まって一安心の人もいるでしょう。だれでもが保障されるべき教育を受ける権利。しかし希望しても学校に通えない子がいます。東京都の山田萌々香(ももか)さん(10)もその一人です。骨がもろく骨折を繰り返す難病で、たんを吸引する機械と人工呼吸器を使用しています。週3回、先生が自宅に来る訪問教育を受けています。東京では人工呼吸器を使っていると原則、学校には親の付き添いが必要です。萌々香さんの両親は共働きで付き添うことができません。母親の美樹さんは「学年が上がると学習量が増え内容も難しくなりますが、娘の授業は1日2時間だけ。これでは十分に学べません」と不安を訴えます。同世代の子との交流が少ないのも気がかりです。「本来は明るくおしゃべり好きなのに、普段接する機会がないため、たまに他の子と一緒に過ごしても、どうしていいかわからなくて・・・」。萌々香さんのように医療的ケアが必要な子は、10年前の2倍に増えました。学校への受け入れが困難な場合も多く、対策は急務です。美樹さんは「何度要望しても娘の状況は変わりません。4月から5年生ですが、先が見えない不安でいっぱいです」と言います。昨年医療的ケア児のコンクールで萌々香さんは訴えました。「がんばって勉強しますから、学校に行かせてください」。国や自治体は、切なる願いをどう聞いたか。その声にこたえる道を探るべきときです。」(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)さて、昨日は「日米合同演習反対・あいば野大集会」が今津の高島市民会館で開かれ300余名が参加したそうです。残念ながら膝の調子が悪く、デモ行進もあったので辞退しました。ちょうど雨が激しく降っていましたので、嫁さんはびしょびしょになって帰って来ました。夕食時には「恵方巻」を東北東に向けて食べましたが、良いことがあるようにと期待しています。(写真は、越前海岸で買った1束100円の水仙です)

今日で1月も終わりですね。
2019/01/31

「わがまち ふるさと」「香川県・まんのう町」「香川県の中南部にある、まんのう町は南に阿讃(あさん)山脈が広がっています。「平成の大合併」で満濃(まんのう)町と琴南(ことなみ)町、仲南(ちゅうなん)町が合併しました。カリンやヒマワリづくりが盛んな中山間地の町です。真言宗を広めた空海が改修させた満濃池。貯水量1540万d、日本最大のかんがい用ため池です。現在も仲多度津郡や善通寺市、丸亀市の水田を潤しています。池のそばにある満濃池森林公園は遊歩道や、野鳥観察小屋が整備され、満濃池の歴史を学ぶ施設もあります。香川は古来より水不足とのたたかいでした。佐文(さぶみ)地区の加茂神社に隔年で催される雨乞い踊り「綾子(あやこ)踊り」は国の重要無形民俗文化財に指定され、近世女歌舞伎の面影を今に残します。私は旧琴南町で生まれ育ちました。県境の横畑(よこはた)集落などに平家の落ち武者伝説が伝わり、平寿盛(すみもり)や孫らの墓も残ります。党の先輩議員が提案した自宅から町内の施設に利用できるデマンドタクシーは県内で最初に導入しました。75歳以上は通院用のタクシー無料券(年1万2000円分)もあり、拡充に向けて全力を尽くします。(小山直樹町議)」この間、大阪・大東市の紹介もありましたが、ちょうどこの店長日記の書く間だったので記載しませんでした。さて、気が付くと1月も今日で終わりになりましたが、なんと早かったことか。2月は日数も少ないので、もっと早く感じることでしょう。安曇川では1年を通して最も降雪量が多い時になりますが、膝が完全に治らず雪かきも苦痛になりそうです。(写真は、「道の駅越前」に立ち寄りましたが、カニを売店に見に行った嫁さんが手ぶらで帰って来ました。ベニズワイガニの大が6000円、ズワイガニ(越前カニ)は中で20000円、大なら30000円以上で手が出ないと嘆いて?いました)

積雪は10センチでした。
2019/01/28

「2月3日(日)日米合同演習反対・あいばの集会 13時半〜集会(15時〜デモ行進)高島市民会館(大ホール)(JR近江今津駅下車徒歩2分)「11月14日、あいば野演習場で自衛隊が発射した迫撃砲が国道303号を直撃し民間人が乗った車が損傷。あいば野では、3年前にも重機関銃弾が民家屋根を貫通する事件が起きています。安保法制の強行以降、海外での本格的な戦闘を想定し、訓練内容は激化、住民の命と安全が脅かされる異様な事態が続いています。12月18日、内部組織の自衛隊中部方面隊は、砲弾落下の原因は人為的ミスだったと調査結果を報告し19人を処分。年明け1月11日には、実弾射撃訓練再開を発表し、21日から迫撃砲を含めた実弾演習が再開されています。さらに、2月4日から、オスプレイを沖縄県以外に展開することを目的に、あいば野演習場で、事故頻発のオスプレイを使用した「日米合同演習」が発表されました。」「多くの抗議の声を無視して、実弾演習再開!4日から、事故頻発のオスプレイを使用して日米合同訓練を実施!もう黙ってはいられません!!!」(集会案内チラシより)まだ、事故の記憶が冷めやらぬうちに大規模な演習を始めるとは信じられません。時間の都合をつけてでも集会に参加したいと思いますが、みなさんも是非ご参加下さい。さて、26日(土)から降り出した雪は27日(日)の朝には10センチの積雪となり、痛い膝を引きずって久しぶりに雪かきを行いました。ただ、近所の声は「少なくて良かったね」「これくらいなら大したことないわ」とのお返事でした。聞くところによると、今回は南雪で、湖東の安土町などでは30センチも積もったそうです。(写真は、この日は波が高く大荒れの日本海の景色です)

明日は大雪の予報です。
2019/01/25

「とうとうラーメンの開発に乗り出しました。連続テレビ小説「まんぷく」の話。このドラマのモデルは、世界で初めて即席ラーメンをつくった安藤百福(ももふく)仁子(まさこ)夫婦です。ときは高度成長期。大量に生産できて、家庭でもすぐに食べられるよう、百福さんは五つの目標をたてました。おいしい、保存できる、調理が簡単、安い、衛生的。脳裏には、戦後の貧しい時期に見た寒さに震えながら闇市の屋台に並ぶ姿があったと仁子さんは語っています。(『チキンラーメンの女房』)もともと中国から伝わった麺料理が独自に進化したラーメン。大正の頃から各地にひろまり、庶民に愛されるようになったといいます。関東大震災ですべてを失った人たちが屋台を引き、それが全国に散らばったという説も。しかし、そのラーメンが街中や食卓から消えてしまいます。戦争です。統制下で外食はぜいたくとされ、小麦粉の入手も困難に。多くの店も閉店に追い込まれました。終戦後も飢えと食料不足がつづくなか、人びとは団結して声をあげます。「食糧メーデー」をはじめ、国民的な運動が盛り上がりが社会を動かしました。ラーメンも復活し、いまや国民食と呼ばれるようになり、世界にも普及しています。激動の時代を庶民とともに乗り越えてきたラーメン。いまも被災地などでは身も心も温まる光景があります。食べることは誰もが生きていくために欠かせません。寒い冬。一杯のぬくもりと、ありがたみを感じながら、いただきます。(25日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私も、このドラマを時々見ますが、正直にあまり面白いとは思いませんでした。さて、23日(水)は、長女の帰省に合わせて久しぶりに福井県・敦賀市から越前海岸に行って来ました。いつも立ち寄る「鞠山・海釣り公園」は閑散としていて、釣り人が退屈そうでした。「何が釣れますか?」とお聞きすると「朝から何も釣れませんわ」「第一、魚の姿が見えませんわ」とのお話でした。珍しく「新日本海フェリー」が敦賀湾から出て行くのをぼんやりと見る姿がありました。ところで、明日は大雪なると予報が出ていて、そうなれば開店休業になりそうです。(写真は、釣り人が少ない鞠山・海釣り公園と、白い船体が鮮やかな新日本海フェリーと、漁師さんが岸の近くでアワビやサザエを採っていました)

膝に水?が溜まりました。
2019/01/22

「病気があっても自由気ままに生きたいー。全身の筋肉が衰えていく進行性筋ジストロフィーの30代男性患者が、数十人のボランティアに支えられながら1人暮らしをする映画が話題です。「こんな夜更けにバナナかよ 愛(いと)しき実話」です。夜中2時すぎに「バナナ食べたい。買ってきて」と唐突に訴える。「新聞読む!めがねかける!背中かゆい!」。ボランティアの都合などお構いなく、自信の思いに任せて次々注文する姿はわがままに映ります。でもー。ボランティアから泊まりの予定を突然キャンセルされると、「一人じゃ寝返りもうてない」現実に直面します。身勝手な振舞いは、24時間介助が必要な人が自分らしく生きるための「命がけのわがまま」。ボランティアも本音でぶつかり合う関係を築いていきました。多くの障害者は、遠慮なく介助者に頼めるわけではありません。24歳の女性は、トイレ介助もタイミングを見計らい、母親やヘルパーが忙しそうだと声もかけられない。誰かと話そうとすると「言語障害んがあり、相手に伝わらないのでは」と先回りして母親が代弁してしまう。「自分の思いを表現することすら容易ではなかった」と支援する河村あゆみさん。ヘアメーク教室で、女性ら障害者が思いや願いを実現できるようにと取り組んでいます。おしゃれは自分らしさを探り自分つくりのプロセスだと。<自分で物事を選択し、どうしたいか決定する。そのために必要な支援を求める>障害者の自立につながる道です。」(22日付けしんぶん赤旗「潮流」より)さて、1週間ほど前から膝に違和感を覚え、近所の整形外科に受診しました。「とりあえずお薬を飲んでもらい様子をみましょう」と言われ帰って来ました。ところが、日ごとに悪くなり、痛みが伴うようになりました。こうなると、ズボンを履くのも、靴を履くのも苦痛ととなり、特に階段の上がり下りは地獄の思いです。2階の自室から1階のトイレまでが100メートル先に感じられました。やむえず再診を受け、膝の水?を抜いてもらいましたら、嘘のように痛みが止まりました。「先生、お金は貯まらないのに、こんなものが溜まるなんて最低ですね」と言うと、「思いどうりにならないのが人生ですね」と言われました。(写真は、昨年1月31日の店の周辺の景色です)

昨日の新年会は楽しかった。
2019/01/19

「イノセンス 冤罪弁護士」「日本系 午後10時〜」「有罪率99・9%という日本の刑事裁判。その中で被疑者の無実(イノセンス)を明らかにするため奮闘する若手弁護士、黒川拓(坂口健太郎)を描きます。脚本・古家和尚、演出・南雲聖一。黒川の人物設定がユニーク。法律事務所の物置に寝起きし整理に無頓着のマイペース人間(坂口がその雰囲気をよく出している)ですが、3年間で5件も逆転無罪を勝ち取ったすご腕だといいます。第1話は、保険金目当ての自宅放火を自白した阿蘇重雄(吉田栄作)の弁護です。拘置所での接見で否認した重雄。黒川は、乗り気でない新米弁護士の和倉楓(川口春奈)らと火災現場の調査や聞き込みを徹底します。裁判の焦点は火元。検察側は2階の子ども部屋(5年前死亡した息子が使用)に灯油をまいたと主張。木材の焼け方を鑑定した学者を証人に立てます。黒川は1階の焼けただれた石油ストーブを見てある行動に・・・。”えん罪弁護士”今村核氏を追ったNHKのドキュメンタリーを思い出します。そこでも火元が問題でした。「疑わしきは被告人の利益に」が刑事裁判の原則。2話目以降も注目です。(山本長春)」(19日付けしんぶん赤旗「試写室」より)最近のテレビ番組は、あきれるほど低俗で見る気になれませんが、久しぶりに良いドラマなので見てみたいと思います。さて、昨夜は今年初めて新年会を友人と二人だけで行いました。1軒目は近所のJJ(矢尾秀)で、2軒目はタクシーで移動して新旭町のスナック(ほほえみ)でカラオケを楽しみました。気が付くと午前0時になっていて、急いで嫁さんに迎えのお願いをしました。さすがに飲み過ぎたのか、今日は食欲がなく、お昼は暖かいお蕎麦にしました。(写真は、昨年1月16日に撮影した「鞠山・海釣り公園の景色です)

今年は雪が降りません。
2019/01/16

「あれは高校生の頃だったか。歴史の先生から一冊の本を勧められました。それが法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるための寺ではなかったかと主張した梅原猛さんの『隠された十字架』でした。説の成否よりも、常識や通説にとらわれない歴史の見方や文化を創造するおもしろさを感じてほしかったのでしょう。独自の視点で論じた「梅原日本学」は学界の枠をこえ、社会に大きな論争を巻き起こしました。学問とは発見ー。梅原さんが学生に講演したことがあります。「おかしなことをおかしいと思わなくては学問にはならない。子どものような心と、真理に対する誠実さと孤立する勇気、そして執念が独創的な仕事をつくる」(『少年の夢』)戦中派の最後の世代と口にしていたように20代での死を覚悟し、特攻隊にも志願しました。人間を不幸にする戦争体験が物事の本質を問う哲学の道を歩むきっかけになり、戦後一貫した「平和憲法を守れ」の姿勢につながりました。「九条の会」を呼びかけた一人として、人類が生き延びるための理想を守るために声をあが続けました。日本ペンクラブの会長として理念なき教育基本法の改悪を「あまりにも知性と品格を欠いている」と真っ向から批判したことも。つねに問題意識をもった発言には人類の未来にたいする希望が込められていました。「いまの時代は、きみたちに夢見ることを求めている」。梅原さんは自身の思いを若者たちに託します。「新しい文明をつくっていく大きな夢をもってほしい」。(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より。)私の記憶が確かであれば?福井県・三方町にある「どきどき館」の名誉館長が梅原猛さんだと思います。さて、暖冬と言われているこの冬ですが、一度積雪がありましたが、その後は雨ばかりです。まだまだ油断はは出来ませんが、結構楽な生活をしています。(写真は、昨年のこの時期に降った雪景色です)

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