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強いのか、弱いのか分かりません。
2020/08/27

「わがまち ふるさと」「長野県・山之内町」「山之内町は長野県北東部に位置し、上信越高原国立公園の中心部にあります。人口は1万2000人余り。ほぼ全町が「志賀高原ユネスコパーク(生物圏保存地域)」に指定されています。志賀高原や北志賀高原、九つの温泉街が連なる湯量豊富な湯田中渋(ゆだなかしぶ)温泉郷には、年間約450万人の観光客が訪れます。近年はスノーモンキーの地獄谷野猿公苑(やえんこうえん)、雲海が眺められる竜王山の「ソラテラス」が人気スポットです。平和の丘公園の「世界平和観音」は高さ25bで、金属製の立像では東洋一の大きさ。1938年に33bの「聖観音菩薩(ぼさつ)」が建立されましたが、わずか6年で戦争に金属提出。64年に世界平和の祈願をこめて現在の観音様が開眼しました。隣接の大悲殿には広島の「平和の灯」が保管され、公園には被爆樹木二世のアオギリ、クスノキも植樹されており、世界平和を願う聖地となっています。68年には日本共産党員の町長を誕生させた町でもあります。観光は平和であってこそ。山之内町9条の会は、事務所に「りんごの里から憲法9条を守ろう!」の看板を新調しました。「改憲ノー」を刊行客にもアピールしています。(渡辺正男町議)」(27日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)志賀高原にも何度か行きましたが、いずれもスキーでの話で、雪のない時期に行ったことがありません。長野電鉄の湯田中駅が最寄駅となりますが、もう30年以上前の事なので、随分と変わっただろうなと思います。先日、あるテレビ番組で「ソラテラス」の事が放送されていて、その雄大さに驚きました。(記事を読むと、どこかに旅に行きたいなあ!)さて、我が阪神タイガースは、対巨人戦で3連敗を期し、もう今年はあかんなと思っていました。ところが、一昨日と昨日は、中日に快勝して息を吹き返しました。いつものことですが、このチームは実力があるのか?ないのか?分かりません。(写真は、夏休みで遊びに来た孫と「大花火大会?」を行いました)

孫の守も疲れますね。
2020/08/24

「列島各地から」「新潟県・妙高はや秋の気配」「その昔、イモリがたくさんすんでいたことが名前の由来だという妙高高原(新潟県)のいもり池。お盆すぎからサワギキョウなどが咲き始めそろりと秋の気配が訪れています。天気の良い日には水面に妙高山の姿を映し、ミズバショウ」の群生地としても知られます。周囲には500bほどの遊歩道があり、訪れた家族連れなどがゆっくりと散策しています。10月になると、妙高山の紅葉が見ごろとなります。夏にはスイレンが咲きますが、実は外来種で駆除対象になっているもの。在来のヒツジグサが消えてしまったので、現在も駆除対象が進められています。」(24日付けしんぶん赤旗「地方政治」欄より)私も、妙高高原には2〜3回訪れた事がありますが、いずれも「スキー」の時期です。良質な雪と、長いゲレンデは、国内でも最高と言われています。さて、昨日の日曜日(23日)には、長男夫婦と孫の長女(7歳)と長男(5歳ほやほや)がやって来ました。お昼は大好きな「バーベキュー」をしてから、「朽木・てんくう」に向かい、「プール」と温泉を楽しんで来ました。さすがに日曜日とあって、思いのほか混雑していましたが、たっぷりと2時間は泳いで?いました。自宅に帰り、夕食後は「花火大会?」をして、大満足に帰って行きました。こちらも神経を使ったからか体力不足からか、午後10時には爆睡していていました。ところで、親交のあった「障害者の父母」が相次いで亡くなり、ちょっとショックを受けています。2週間前は、長女と同じ施設にいる方のお母さんが、4日前は、安曇川で活動していたお父さんが、2日前は、飲み友達で阪神ファンだったお父さんとまるで誘われたように逝ってしまいました。本当に悲しく、寂しい別れとなり、これからも残された家族の事に配慮していかなければと思っています。(写真は、「原爆パネル展」で展示された絵画の数々です)

暑さが体にこたえます。  
2020/08/20

「ちょっと いわせて」「コロナ禍のもと、なかなか鉄道の旅ができないなか、NHKBSプレアーカイブス秘蔵映像でよみがえる にっぽんの廃線100」(1日)を見ました。「昭和、平成の日本を支えてきた今はなき”わがまちの懐かしの鉄道”の勇姿を」が番組のうたい文句。高校生の通学や、魚の行商人の利用など、地域に密着した”生活の足”でシンボルでもあったのに、「利用者が少なくなった」ことなどを理由に廃線とされたのは残念なことです。九州のの高千穂線など、豪雨災害を機に廃線とされた路線や、一方で、広島県のJR可部線のように、奇跡の復活を遂げた例も紹介されました。番組には鉄道好きのゲストが出演。2011年の豪雨被害で未だに寸断箇所があるJR只見線の応援ソングをつくった俳優・タレントの六角精児さんは、「生活路線として、そこがなくなったら、他に行きようがないところがある。それをどうしても残したい」と語りました。タレントの斎藤雪乃さんは「ロマンスもある廃線、今こそ走っていてほしかったなという悔いもある」。旅行作家の芦原伸さんは、「鉄道というのは、文化だと思う。生活があり、産業があり、歴史がある。たんなる移動手段じゃない」。司会のタレント、三宅裕司さんも「早く行くことだけを考えるのではなく、鉄道を楽しみながら日本の原風景を楽しみにゆく、生き方もあってはいいのでは」と感想をのべました。15年の高波被害で鵡川(むかわ)−様似間が不通になったままのJR北海道の日高線、17年の九州北部豪雨で添田(福岡県)−夜明(大分県)間が不通になっているJR九州の日田彦山線は、いずれも地元自治体、住民が鉄道存続を望んでいるのに復旧費などを理由にJR側が応じていません。迷走が続く「Go To トラベル」や、地中深くを走り、環境破壊がなど問題が山積しているリニア新幹線に巨費を投じるのではなく、国民の利便を最優先にすべきだと強く思いました。(藤沢忠明)」(20日付けしんぶん赤旗「テレビ・ラジオ」欄より)元鉄道オタクの私も見たかった番組ですが、残念ながら見逃してしまいました。あまり知られていませんが、「東北、新潟、北陸新幹線」が開通するたびに、在来線は第三セクターでの経営を余儀なくされ、運賃の値上げがされています。華々しく開通する新幹線の影に、地元の鉄道は切り捨てられる現状があります。「おいしいところはJR側に、儲からない在来線は地元自治体が」との構図は変える必要がありそうです。さて、今日も朝から気温が上がり、安曇川でも35℃の予想で、外に出るのが嫌になります。近所の方との挨拶は「今日も暑くなりそうですね」が決まり文句になっています。(写真は、今年も開催された「原爆パネル展」の様子です)

お盆も終わりましたね。
2020/08/17

「被爆75年。”原爆投下は必要だった”という神話がまたぞろ出るかと思いきや、そうでもない。”不必要で誤りだった”という声を主要メディアが取り上げているーオンライン集会での米国の活動家の話です。一例がスーザン・サザード氏のワシントン・ポスト紙への寄稿です。故谷口稜暉(すみてる)さんら5人の被爆者の人生をまとめた『ナガサキ』を著したノンフィックション作家です。日本の降伏が確実視されていたこと、米政府が意図的に必要論を流したことを指摘しました。読み手の心にぐっと迫る寄稿です。遺体が黒焦げで制服の名札でしか弟を確認できなかった少女。髪が抜け熱にうなされ亡くなる少年。被爆者に徹底的に寄り添った寄稿は、必要論に立つなら「将来において核兵器の使用を黙認することになる」と強調しました。ロサンゼルス・タイムズ紙も原爆投下は不要だったと大統領らが知ってしたとする歴史家の寄稿を掲載。世論調査では原爆投下について「許されない」と考える若者が目立ちます。原爆をめぐる認識に潮目の変化がうかがえます。背景にあるのは被爆者の訴えです。それは世界の市民を奮い立たせ外交官の心を揺さぶり、核兵器禁止条約を生み出しました。いま世界最大の核保有国の中で変化を加速させています。「核兵器がなくなるまで、被爆者はたたかいをやめない」。谷口さんが亡くなる直前、病室から発したメッセージです。被爆から75年、改めて被爆者の言葉を胸に刻み、核廃絶への決意を新たにする時です。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私のお盆休みは、12日(水)に大阪までお墓参りに行っただけで、通常通りに営業しました。ただ、残念な事に来客がほとんどなく、来年以降は考え直す必要がありそうです。さて、夜に近所を散歩すると、「秋の虫」の鳴き声が聞こえて来て、確実に季節は変わりつつあるのを感じました。(写真は、16日(日)の安曇川町・白浜のキャプ場の風景です)

世間はお盆休みですね。
2020/08/14

「試写室」「ドラマ×マンガ あとかたの街」「NHKプレ 午後9時59分」「戦争体験者がどんどんいなくなる中で、戦争を知らない世代が戦争の実相を伝える試行錯誤がここ数年、確実に広がっています。ドラマ×マンガもその一つ。描く事実は同じですが、表現方法がより柔らかい。おざわゆきの原作マンガを政池洋佑脚本、小山靖史・伊東亜由美の演出で映像化しました。50歳の誕生日を前に初連載が決まったゆき(木村多江)。テーマは当時12歳だった母・あい(吉行和子)の戦争体験です。編集の佐藤(桐山漣)とともに名古屋に住む、あいの話を聞き取り、マンガにしてゆきます。戦中の描写は主にマンガで展開します。実写だと残酷な場面でもどうにか見られるようにという工夫です。戦争体験のある吉行の語りは本当に当時を振り返っているかのよう。女学生を動員して兵器づくりに関わらせる異常さ。家族との団らんや恋心など、日常があったこと。それらを焼き尽くした名古屋大空襲・・・。リアルな音が当時を体感させます。「想像力を尽くして表現するのは不可能ではない」と演出・伊東の言葉。敵基地攻撃などと言い出す政治家にこそ想像してほしい。(和田肇)」(14日付けしんぶん赤旗「社会・総合」欄より)12日(水)にお墓参りに大阪・大東市まで出かけて来ましたが、当初マイカーで行く予定が電車に変えました。お隣に住む方が、「豊中市から4時間もかかったそうや」「帰りは5時間もかかったそうや」の言葉でした。大阪駅で途中下車し、阪神百貨店に立ち寄りましたが、通常の5割程度のお客さんの入りでした。お墓参りは30分もあれば済むのですが、あまりの暑さに苦しみ、お昼と休憩を兼ねて鴻池新田・駅前の喫茶店「グリーン」で1時間は取りました。この後、京都・精華町にある母親の実家のお墓参りも済ませて、帰路に京都駅前にある居酒屋「がんこ」で生ビールを頂き、生き返る思いがしました。(写真は、昨年8月の越前海岸の景色で「呼鳥門」が写っています)

明日はお墓参りに行きます。
2020/08/11

「教員免許更新で」「今年度、教員免許更新をします。免許更新は長期休業中や土日で開講している講義を、30時間受けなければなりません。今年度は新型コロナウイルスの影響から、対面の講義形式ではなく、オンラインでの講義をする大学が多くあります。忙しい教員だからこそコロナの流行が終わってもオンライン形式でする大学が増えたらいいな、と思います。というよりも、免許更新がいらないのでは?と思います。現場の教員は初任者研修や2年次研修、3年次研修、6年次研修、中堅教諭等資質向上研修(滋賀の場合です)をうけています。それに免許更新となると負担がさらに増えます。免許更新のために使う予算があったら、現場の教員を増やすことにまわしてほしいですし、講義の時間を教材準備や授業準備にあてたいです。どうでしょうか??」(京都府 井伊令美 31歳)教員採用試験と言えば、就職希望者の人気がナンバーワンでしたが、最近では希望者が少なくなりました。聞くところによると、大阪府では1倍を割っているそうで、人気の低下が際立っています。採用後に、これだけ研修を受け、なお本来の仕事もこなさなければならないので、大変だと思います。さて、明日は大阪・大東市にある先祖のお墓参りに行く予定です。コロナの感染が拡大している大阪ですので、車で移動しどこにも立ち寄らず帰るつもりです。いつもはS先生と会食するのですが、今回は見送るつもりです。(残念ですが!)(写真は、7月29日(水)に一人で訪れた八王子荘の景色です)

梅雨が開けたら立秋ですね。
2020/08/08

「「息子と会えなくなっちゃったよ」。知人男性(67)がさみしそうに話していたのは2月。あれから半年近くたちましたが、いまだに再会できていません。息子さん(32)には知的障害と強度行動障害などがあります。昨年12月から入所施設で新たな暮らしを始めたところでした。入所後初めての週末。「私の顔を見てすぐに、息子は外出の準備をしたんだよ。私のことを覚えていたよ」と顔をほころばせていました。新型コロナが流行するまでは、自宅で家族と過ごそうと毎週末、迎えに行っていました。車で出かけたときのこと。わざわざ遠回りして施設の横を通ったら、仲間と散歩してニコニコしている息子に”遭遇”しました。「やっと、一瞬だけ見えた」。横にいた妻は、カバンの携帯を探していて見逃してしまったとか。男性が自宅で机に向かっていたら、背後に気配が。振り向くと、息子が立っていた。1人で帰れないはずなのに。どうやって来たんだろう。混乱していたら目が覚めた。なんだ、夢か・・・。大切な家族と会いたくても会えない現実。厚生労働省は通達で、オンライン面接が望ましいとしています。触れることはできなくても、画面越しにお互いを確認しあえたら、どんなに良いか。一方、久しぶりに画面を通して家族が声をかけたら、息子はパニックを起こすのではと心配します。コロナで一変させられた私たちのくらし。親元を離れた息子はいま、施設の仲間や職員と、新しい”家族”をはぐくんでいることでしょう。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この記事を読んだとき、まさに我が家が置かれている状況に似ていて、全国で同じような事が起きているのだと知りました。人一倍に「コロナが収まらないかな」と思い、早く帰省が可能になるように祈るだけです。さて、梅雨が開けたら「立秋」となり、「暑中見舞い」が「残暑見舞い」になりました。こんなことは、記憶になく戸惑いを感じています。(写真は、久しぶりに訪れた「マキノ町・メタセコイヤの並木」です)

左耳が突然聞こえなくなりました。
2020/08/05

昨夜まで気にもならなかった事ですが、今朝になり左耳が蓋をしたような聞こえになりました。「お風呂で水が入ったからと違うか?」と嫁さんは言うので、ケンケンで飛び、水を出そうとしましたが変わりはありません。もちろん、めん棒で耳を掃除しますが特に変化はありません。朝起きた時より、幾分かは楽になりましたが違和感があり、耳鼻科に人生で初めて診察を受けました。待つこと1時間で、診察室に呼ばれましたが先生曰く「特に異常はなさそうですが、聴力検査しましょう」と言われ、聴覚検査室に入りました。いつもは自分がお客さんにすることを看護師にしてもらい結果を待ちました。再び先生の診察で、「検査にも異常がありません。一部は悪いですが年齢のせいで心配はいりません」と言われました。その頃には、最悪の状態から5割ほど戻ってはいましたが、「この先生で大丈夫か?」と感じていまいました。窓口で3900円も払い、高くついたなあと思いました。今週は、本来なら長女の帰省日だったのですが、コロナの感染拡大で、再び中止となってしまいました。(悲しい!)この際、たまっていた用事を済ませてしまおうと、免許更新の手続きに「5年ぶり(ゴールドです)」に行きました。免許更新費3000円、交通安全協会費1500円の出費となり、今日は出費の多い日でした。ところで、何も悪い事などしていないのに、警察署はいごごちの悪いところと思うのは私だけでしょうか?今津まで出かけて来たので、格安の理容店に立ち寄り、伸びた髪を切りました。(シニア割引で1870円)これで、次は10月まで安心ですので、思いついた用事はすべて済ましました。(写真は、途中で立ち寄った余呉湖畔の風景です)

コロナ禍が治まりませんね。
2020/08/02

「帰るべきか、帰らざるべきか。新型コロナウイルス感染の急拡大に、振り子のように揺れています。母、85歳。故郷で1人暮らし。留守番電話には、東京にいるわが子を案じる声が残されていました。お盆を前に、同じように悩んでいる人はいるのではないでしょうか。自分が無症状の感染者かもしれない、という不安をぬぐうのは、PCR検査にほかなりません。せめて自分の住む自治体の陽性率のデーターがほしい。切実にそう願います。そんな中、「世界で159位」という数字に衝撃を受けました。共産党の志位和夫委員長が安倍晋三首相宛の緊急申し入れで示した「日本のPCR検査の人口比での実施数」(7月28日現在)です。1日現在の最新データーで157位に上がったとはいえ、世界第3位の経済力を持つ国の数字とは、とても見えません。東京都医師会の会見では、SNSに「国の無策の中、感染者が増えるのは我慢できない」と投稿した尾崎治夫会長が「ぜひ国会を開いて議論していただきたい」と語気を強めました。ここでも訴えるのは、PCR検査の拡充です。尾崎会長は本紙日曜版8月2日号にも登場。流行地域全体でPCR検査を行い、補償と一体の休業要請に踏み切ることを主張します。「経済効率優先では医療を担う人を育てることはできません。やはり新自由主義ではダメです」とも。この緊急時に国会を開かず、記者会見もせず、ダンマリを決め込む安倍首相。いつまで”巣ごもり”を続けるつもりでしょうか。」(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より)夏には一旦治まると見ていたコロナウイルスですが、期待に反して感染拡大が止まりません。これだけ増えると、大阪に行く事も難しくなりました。「今年の墓参りはどうする?」と嫁さんに聞いたら、「今年は行かない方が良いのでは?」との答えが返って来ました。(余呉町・柳ケ瀬地区ですが、雪がこいが残ったままで、高齢化が進み空き家も多いようです)

7月も、あと二日となりました。
2020/07/30

国道365号線(北国街道)の、今庄町(南越前町)から余呉町(長浜市)に向かう道は、険しく冬季(12月〜3月)は通行止めになります。ある程度の運転技能が必要なので、初心者は避けた方が良いと思います。この日も、前を行くトラックが対向する車と離合するのに苦心していました。県境を越えると「余呉高原スキー場」があり、冬場はスキー客で賑わっているのでしょうが、残念ながら私は来たことがありません。余呉町柳ケ瀬は、滋賀県でも豪雪地帯で、新聞などに必ず出て来る地名でもあります。かつては、2bの積雪がありましたが、今は1bほどに減っていますが、豪雪地帯に変わりはありません。余呉町内から、くねくねと来た道が、トンネルの開通で便利になりました。余呉町の中心部を走りますが、人の姿がほとんど見られず過疎が進んでいて、耕作放棄された田んぼも目立ちます。せっかく余呉町に来たのだからと、「余呉湖」に立ち寄りました。余呉湖は冬場の「ワカサギ釣り」で有名で、恩師でもあるS先生も来られていました。ただ、ここ2〜3年は不漁が続き、以前のような賑わいはないようです。私は、車から降りて湖を散策しましたが、興味のない嫁さんは車内で寝てるだけで、降りる気配もありません。ここから木之元町に入り、国道8号線を利用して、西浅井町から高島市に戻って来ました。さて、梅雨が明けないまま、後二日で8月になります。こんな天気だから、野菜の出来も悪く、農家の方から「今年はどうなってるの?」「このままだと、お米も不作かも」と話して行かれます。(写真は、南条町にある「花はす」ですが、耕作面積が狭くなり淋しくなりましたと、涼しげな河のせせらぎに癒されました)

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