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お盆も終わりましたね。
2020/08/17

「被爆75年。”原爆投下は必要だった”という神話がまたぞろ出るかと思いきや、そうでもない。”不必要で誤りだった”という声を主要メディアが取り上げているーオンライン集会での米国の活動家の話です。一例がスーザン・サザード氏のワシントン・ポスト紙への寄稿です。故谷口稜暉(すみてる)さんら5人の被爆者の人生をまとめた『ナガサキ』を著したノンフィックション作家です。日本の降伏が確実視されていたこと、米政府が意図的に必要論を流したことを指摘しました。読み手の心にぐっと迫る寄稿です。遺体が黒焦げで制服の名札でしか弟を確認できなかった少女。髪が抜け熱にうなされ亡くなる少年。被爆者に徹底的に寄り添った寄稿は、必要論に立つなら「将来において核兵器の使用を黙認することになる」と強調しました。ロサンゼルス・タイムズ紙も原爆投下は不要だったと大統領らが知ってしたとする歴史家の寄稿を掲載。世論調査では原爆投下について「許されない」と考える若者が目立ちます。原爆をめぐる認識に潮目の変化がうかがえます。背景にあるのは被爆者の訴えです。それは世界の市民を奮い立たせ外交官の心を揺さぶり、核兵器禁止条約を生み出しました。いま世界最大の核保有国の中で変化を加速させています。「核兵器がなくなるまで、被爆者はたたかいをやめない」。谷口さんが亡くなる直前、病室から発したメッセージです。被爆から75年、改めて被爆者の言葉を胸に刻み、核廃絶への決意を新たにする時です。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私のお盆休みは、12日(水)に大阪までお墓参りに行っただけで、通常通りに営業しました。ただ、残念な事に来客がほとんどなく、来年以降は考え直す必要がありそうです。さて、夜に近所を散歩すると、「秋の虫」の鳴き声が聞こえて来て、確実に季節は変わりつつあるのを感じました。(写真は、16日(日)の安曇川町・白浜のキャプ場の風景です)

世間はお盆休みですね。
2020/08/14

「試写室」「ドラマ×マンガ あとかたの街」「NHKプレ 午後9時59分」「戦争体験者がどんどんいなくなる中で、戦争を知らない世代が戦争の実相を伝える試行錯誤がここ数年、確実に広がっています。ドラマ×マンガもその一つ。描く事実は同じですが、表現方法がより柔らかい。おざわゆきの原作マンガを政池洋佑脚本、小山靖史・伊東亜由美の演出で映像化しました。50歳の誕生日を前に初連載が決まったゆき(木村多江)。テーマは当時12歳だった母・あい(吉行和子)の戦争体験です。編集の佐藤(桐山漣)とともに名古屋に住む、あいの話を聞き取り、マンガにしてゆきます。戦中の描写は主にマンガで展開します。実写だと残酷な場面でもどうにか見られるようにという工夫です。戦争体験のある吉行の語りは本当に当時を振り返っているかのよう。女学生を動員して兵器づくりに関わらせる異常さ。家族との団らんや恋心など、日常があったこと。それらを焼き尽くした名古屋大空襲・・・。リアルな音が当時を体感させます。「想像力を尽くして表現するのは不可能ではない」と演出・伊東の言葉。敵基地攻撃などと言い出す政治家にこそ想像してほしい。(和田肇)」(14日付けしんぶん赤旗「社会・総合」欄より)12日(水)にお墓参りに大阪・大東市まで出かけて来ましたが、当初マイカーで行く予定が電車に変えました。お隣に住む方が、「豊中市から4時間もかかったそうや」「帰りは5時間もかかったそうや」の言葉でした。大阪駅で途中下車し、阪神百貨店に立ち寄りましたが、通常の5割程度のお客さんの入りでした。お墓参りは30分もあれば済むのですが、あまりの暑さに苦しみ、お昼と休憩を兼ねて鴻池新田・駅前の喫茶店「グリーン」で1時間は取りました。この後、京都・精華町にある母親の実家のお墓参りも済ませて、帰路に京都駅前にある居酒屋「がんこ」で生ビールを頂き、生き返る思いがしました。(写真は、昨年8月の越前海岸の景色で「呼鳥門」が写っています)

明日はお墓参りに行きます。
2020/08/11

「教員免許更新で」「今年度、教員免許更新をします。免許更新は長期休業中や土日で開講している講義を、30時間受けなければなりません。今年度は新型コロナウイルスの影響から、対面の講義形式ではなく、オンラインでの講義をする大学が多くあります。忙しい教員だからこそコロナの流行が終わってもオンライン形式でする大学が増えたらいいな、と思います。というよりも、免許更新がいらないのでは?と思います。現場の教員は初任者研修や2年次研修、3年次研修、6年次研修、中堅教諭等資質向上研修(滋賀の場合です)をうけています。それに免許更新となると負担がさらに増えます。免許更新のために使う予算があったら、現場の教員を増やすことにまわしてほしいですし、講義の時間を教材準備や授業準備にあてたいです。どうでしょうか??」(京都府 井伊令美 31歳)教員採用試験と言えば、就職希望者の人気がナンバーワンでしたが、最近では希望者が少なくなりました。聞くところによると、大阪府では1倍を割っているそうで、人気の低下が際立っています。採用後に、これだけ研修を受け、なお本来の仕事もこなさなければならないので、大変だと思います。さて、明日は大阪・大東市にある先祖のお墓参りに行く予定です。コロナの感染が拡大している大阪ですので、車で移動しどこにも立ち寄らず帰るつもりです。いつもはS先生と会食するのですが、今回は見送るつもりです。(残念ですが!)(写真は、7月29日(水)に一人で訪れた八王子荘の景色です)

梅雨が開けたら立秋ですね。
2020/08/08

「「息子と会えなくなっちゃったよ」。知人男性(67)がさみしそうに話していたのは2月。あれから半年近くたちましたが、いまだに再会できていません。息子さん(32)には知的障害と強度行動障害などがあります。昨年12月から入所施設で新たな暮らしを始めたところでした。入所後初めての週末。「私の顔を見てすぐに、息子は外出の準備をしたんだよ。私のことを覚えていたよ」と顔をほころばせていました。新型コロナが流行するまでは、自宅で家族と過ごそうと毎週末、迎えに行っていました。車で出かけたときのこと。わざわざ遠回りして施設の横を通ったら、仲間と散歩してニコニコしている息子に”遭遇”しました。「やっと、一瞬だけ見えた」。横にいた妻は、カバンの携帯を探していて見逃してしまったとか。男性が自宅で机に向かっていたら、背後に気配が。振り向くと、息子が立っていた。1人で帰れないはずなのに。どうやって来たんだろう。混乱していたら目が覚めた。なんだ、夢か・・・。大切な家族と会いたくても会えない現実。厚生労働省は通達で、オンライン面接が望ましいとしています。触れることはできなくても、画面越しにお互いを確認しあえたら、どんなに良いか。一方、久しぶりに画面を通して家族が声をかけたら、息子はパニックを起こすのではと心配します。コロナで一変させられた私たちのくらし。親元を離れた息子はいま、施設の仲間や職員と、新しい”家族”をはぐくんでいることでしょう。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この記事を読んだとき、まさに我が家が置かれている状況に似ていて、全国で同じような事が起きているのだと知りました。人一倍に「コロナが収まらないかな」と思い、早く帰省が可能になるように祈るだけです。さて、梅雨が開けたら「立秋」となり、「暑中見舞い」が「残暑見舞い」になりました。こんなことは、記憶になく戸惑いを感じています。(写真は、久しぶりに訪れた「マキノ町・メタセコイヤの並木」です)

左耳が突然聞こえなくなりました。
2020/08/05

昨夜まで気にもならなかった事ですが、今朝になり左耳が蓋をしたような聞こえになりました。「お風呂で水が入ったからと違うか?」と嫁さんは言うので、ケンケンで飛び、水を出そうとしましたが変わりはありません。もちろん、めん棒で耳を掃除しますが特に変化はありません。朝起きた時より、幾分かは楽になりましたが違和感があり、耳鼻科に人生で初めて診察を受けました。待つこと1時間で、診察室に呼ばれましたが先生曰く「特に異常はなさそうですが、聴力検査しましょう」と言われ、聴覚検査室に入りました。いつもは自分がお客さんにすることを看護師にしてもらい結果を待ちました。再び先生の診察で、「検査にも異常がありません。一部は悪いですが年齢のせいで心配はいりません」と言われました。その頃には、最悪の状態から5割ほど戻ってはいましたが、「この先生で大丈夫か?」と感じていまいました。窓口で3900円も払い、高くついたなあと思いました。今週は、本来なら長女の帰省日だったのですが、コロナの感染拡大で、再び中止となってしまいました。(悲しい!)この際、たまっていた用事を済ませてしまおうと、免許更新の手続きに「5年ぶり(ゴールドです)」に行きました。免許更新費3000円、交通安全協会費1500円の出費となり、今日は出費の多い日でした。ところで、何も悪い事などしていないのに、警察署はいごごちの悪いところと思うのは私だけでしょうか?今津まで出かけて来たので、格安の理容店に立ち寄り、伸びた髪を切りました。(シニア割引で1870円)これで、次は10月まで安心ですので、思いついた用事はすべて済ましました。(写真は、途中で立ち寄った余呉湖畔の風景です)

コロナ禍が治まりませんね。
2020/08/02

「帰るべきか、帰らざるべきか。新型コロナウイルス感染の急拡大に、振り子のように揺れています。母、85歳。故郷で1人暮らし。留守番電話には、東京にいるわが子を案じる声が残されていました。お盆を前に、同じように悩んでいる人はいるのではないでしょうか。自分が無症状の感染者かもしれない、という不安をぬぐうのは、PCR検査にほかなりません。せめて自分の住む自治体の陽性率のデーターがほしい。切実にそう願います。そんな中、「世界で159位」という数字に衝撃を受けました。共産党の志位和夫委員長が安倍晋三首相宛の緊急申し入れで示した「日本のPCR検査の人口比での実施数」(7月28日現在)です。1日現在の最新データーで157位に上がったとはいえ、世界第3位の経済力を持つ国の数字とは、とても見えません。東京都医師会の会見では、SNSに「国の無策の中、感染者が増えるのは我慢できない」と投稿した尾崎治夫会長が「ぜひ国会を開いて議論していただきたい」と語気を強めました。ここでも訴えるのは、PCR検査の拡充です。尾崎会長は本紙日曜版8月2日号にも登場。流行地域全体でPCR検査を行い、補償と一体の休業要請に踏み切ることを主張します。「経済効率優先では医療を担う人を育てることはできません。やはり新自由主義ではダメです」とも。この緊急時に国会を開かず、記者会見もせず、ダンマリを決め込む安倍首相。いつまで”巣ごもり”を続けるつもりでしょうか。」(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より)夏には一旦治まると見ていたコロナウイルスですが、期待に反して感染拡大が止まりません。これだけ増えると、大阪に行く事も難しくなりました。「今年の墓参りはどうする?」と嫁さんに聞いたら、「今年は行かない方が良いのでは?」との答えが返って来ました。(余呉町・柳ケ瀬地区ですが、雪がこいが残ったままで、高齢化が進み空き家も多いようです)

7月も、あと二日となりました。
2020/07/30

国道365号線(北国街道)の、今庄町(南越前町)から余呉町(長浜市)に向かう道は、険しく冬季(12月〜3月)は通行止めになります。ある程度の運転技能が必要なので、初心者は避けた方が良いと思います。この日も、前を行くトラックが対向する車と離合するのに苦心していました。県境を越えると「余呉高原スキー場」があり、冬場はスキー客で賑わっているのでしょうが、残念ながら私は来たことがありません。余呉町柳ケ瀬は、滋賀県でも豪雪地帯で、新聞などに必ず出て来る地名でもあります。かつては、2bの積雪がありましたが、今は1bほどに減っていますが、豪雪地帯に変わりはありません。余呉町内から、くねくねと来た道が、トンネルの開通で便利になりました。余呉町の中心部を走りますが、人の姿がほとんど見られず過疎が進んでいて、耕作放棄された田んぼも目立ちます。せっかく余呉町に来たのだからと、「余呉湖」に立ち寄りました。余呉湖は冬場の「ワカサギ釣り」で有名で、恩師でもあるS先生も来られていました。ただ、ここ2〜3年は不漁が続き、以前のような賑わいはないようです。私は、車から降りて湖を散策しましたが、興味のない嫁さんは車内で寝てるだけで、降りる気配もありません。ここから木之元町に入り、国道8号線を利用して、西浅井町から高島市に戻って来ました。さて、梅雨が明けないまま、後二日で8月になります。こんな天気だから、野菜の出来も悪く、農家の方から「今年はどうなってるの?」「このままだと、お米も不作かも」と話して行かれます。(写真は、南条町にある「花はす」ですが、耕作面積が狭くなり淋しくなりましたと、涼しげな河のせせらぎに癒されました)

また、コロナが復活しそうです。
2020/07/27

しきぶ温泉・湯楽里のレストランに入り、長女にメニューを見せると、「天ぷら」を指名します。以前は、自分で選ぶ事などなかったのですが、今はその日によって、食べたいものが違うようになりました。私たちは、「土用の日」にウナギを食べなかったので、「ミニウナギ丼とミニおろしそば」のセットを注文しました。食後の「コーヒー」が大好きなのですが、200円で飲めるのが嬉しいお値段です。食後は、国道8号線から別れ、国道365号線(旧北国街道)を利用して、南条町(南越前町)へ向かいました。この時期になると、「花はす」が見頃になるので、立ち寄りました。ここ2〜3年は、栽培される面積が少なくなり、以前の様な「迫力ある景色」ではなくなりました。「年々淋しくなるね」「手入れする方が少なくなったのかな?」などと会話していました。コロナの影響もあるのか、観光バスもなく売店の「ハスのソフトクリーム」もなく、「アイス、アイス」と言う長女の願いも叶いませんでした。ここから、通常は敦賀市を目指すのですが、今回は国道365号線を通り、余呉高原から余呉町内に出ました。さて、一旦、収まりかけたコロナが再び拡大し、人類に挑戦しているように感じられます。この時期に「GoToトラベル」をするのはいかがでしょうか?(写真は、長女が食べた「天そばセット」1280円と、私たちが頼んだ「ミニうな丼とミニおろしそばセット」1580円(コーヒー付き)と湯楽里の玄関付近です)

久しぶりの敦賀市・鞠山海釣り公園。
2020/07/24

2週間ぶりに、長女の帰省が実現したので敦賀市方面に出かける事にしました。本当は県を超えるのは控えて欲しいとの施設からの要望でしたが、混雑を避ければ大丈夫と思い実行しました。今年の4月に「金ケ崎宮・花換え祭り」(コロナで中止)の桜を見に来て以来です。いつも立ち寄り「鞠山・海釣り公園」も新鮮に映り、「やっぱり海はいいなあ」と思いました。コロナの影響があるのか、釣り人は少なく釣果は小アジの5cm程度が鈴なりで釣れていました。この時期なら、もう少し大きくなっていても良いのですが、早朝なら型が良いのかもしれません。ここから、国道8号線を利用して、杉津(すいつ)地区から「しおかぜライン」を利用して、旧河野村(南越前町)に出ました。今年は「海開き」をしていないようで、泳ぐ姿は見られませんでした。ここから再び国道8号線に戻り、越前市(旧武生市)にある「しきぶ温泉・湯楽里」に行きました。入場にするのたに「検温」があり、クラスターが起きた場合のために「住所・氏名・連絡先」と「整理番号」を渡されました。「さすがに厳重なチェックだな」と思いました。約1時間後に待ち合わせする事で別れましたが、後で聞くと、長女は15分で上がると言ったそうです。ただ、顔見知り?のおばあさんが「また会ったね」と言われ、嫁さんは嬉しかったそうです。入浴後は、最も楽しみにしている「ランチタイム」のため、レストランに向かいました。(写真は、鞠山・海釣り公園の景色ですが、すっかり夏空が広がっていました)

遍照山「玉泉寺」に行きました。
2020/07/21

「「むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに/書くこと」。記者としてまじめに/書くこと」。小説家で劇作の井上ひさし氏の言葉です。氏が55歳だった1989年から75歳で亡くなる2010年まで暮らした鎌倉市の鎌倉文学館で、没後10年を記念した特別展が開かれています。みずみずしい緑の山並みと、波光きらめく海に囲まれた古都。氏は、この街の緑地保全運動にも力を注いだといいます。「生活者の視点」を掲げ、日本の農業を壊すとして米の輸入自由化に反対し、「平和のために」と叫ばれた時が危ないと自衛隊の海外派兵に警鐘を鳴らし、被爆者の取材を重ねて核廃絶を訴えました。2004年「九条の会」発足に参加、翌年「鎌倉・九条の会」を立ち上げます。「平和」という言葉が力を失っていると指摘し、「日常」を使いました。「『平和を守る』『憲法を守る』というのは『私たちのいま続いている日常を守ることだ』と言い直すようにしています」。最後の戯曲となった「組曲虐殺」は作家・小林多喜二の評伝劇です。天皇制国家の苛烈な弾圧下、言葉の力で社会を変えるべく奮闘する多喜二が、自らを励ますために歌います。「愛の綱を肩に/希望めざして走る人よ(略)あとにつづくものを/信じて走れ」。震災後も原発に固執し、核兵器禁止条約に署名せず、憲法改悪を画策する現政権を、氏はどう思うだろう。希望めざして走れ、と励ます声が聞こえます。」(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)安曇川町・三田地区にある「玉泉寺」の住職とは、30年来の付き合いですが本堂に上がった事はありませんでした。この度、住職から「お米が無いのや」と懇願され、10`ほどをお届けしました。本堂内には、400年以上前の「地獄絵図」が掲げてあり、「閻魔大王」や「血の池地獄」が描かれてあり、生々しさを感じました。礼拝者の名簿の中には、「大東市中垣内〜」と書かれたものもあり親しみを感じました。帰りに手土産として「色紙」と「お守り」を頂き、これではどちらが助けられたのか分かりません。(写真は、玉泉寺にある「地獄絵」と、仏がお亡くなりになった「涅槃図」と、本堂の豪華な装飾です)

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