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タイガースは不思議なチームです。
2021/09/05

「スナフキンにミイ、スニフにスノーク。ムーミン一家とその仲間たちは、じつに個性的です。性格や行動、考え方をはじめ、さまざまな人間のタイプをそこに映し出しているかのように。戦争を体験した作家トーベ・ヤンソンは多様な生きものを通して、寛容で自由な世界を描きました。愛や友情、平和といった普遍的なテーマをおりまぜ、いまも世界中の人びとに親しまれています。世界観に合わないー。化粧品大手のディーエイチシー(DHC)がムーミンのキャラクター商品を売り出したところ、批判が相次ぎました。生産中止を求めた本国フィンランドの著作権管理会社は「いかなる差別も助長、許容するものではない」と。DHCはホームページ上に吉田嘉明会長名でたびたび差別的な文章を掲載。「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険」などと在日韓国・朝鮮人を執ように侮辱してきました。DHCの不買運動が起きていた韓国からは撤退を余儀なくされ、連携協定を解約する自治体も出ています。先日は沖縄の基地反対運動をおとしめデマを流した関連会社のDHCテレビに、賠償金の支払いと謝罪文の掲載を司法が命じました。番組の中で中傷された原告の辛淑玉(シンスゴ)さんは「私を使って沖縄の平和運動を愚弄(ぐろう)する、最も悪質なフェイクニュースだった」。他者を攻撃し、ないがしろにする。およそムーミンの世界とかけ離れた企業は時代からも淘汰(とうた)されてゆくでしょう。」(5日付けしんぶん赤旗「潮流」より)「ムーミン」のキャラクターは知っていますが、恥ずかしながら物語を見たことがないので、内容は知りませんでした。さて、わが愛する阪神タイガースですが、昨夜の巨人戦も7回まで見ましたが、2−3で負けていたのでテレビを消しました。1時間ほど後に、テレビをつけると、矢野監督がインタビューに答えていて、「え〜っ、勝ったの?」と思いました。大山選手の逆転2ランホームランだそうですが、なんでもっと早く打ってくれないかなといつも思います。(写真は、久しぶりに朽木村を1周しましたが、空き家が目立ちました)

緊急事態宣言は大変です。
2021/09/02

「わがまち ふるさと」「奈良県・大和小泉市」「わがまち奈良県大和小泉市は1580年、大和武士・筒井順慶が織田信長の力を背景に大和一国を統一し、郡山の地に城を築いたのが城下町「郡山」の始まりです。1888年、町村制実施で郡山町と称し、筒井、矢田、昭和、平和、治道の各村を編入して、1954年1月に市政施行。その後片桐町を編入して、現在の市域になりました。奈良盆地北部に位置し、東西約9`b、南北約7`b、42・69平方`bの面積に、約8万5千人が住むまちです。メリヤス、皮革産業などの地場産業のほか、約104社の工業団地を中心とした電子・機械工業が盛んです。近隣2町の工業団地と一体的に「大和まほろば工業ゾーン」として、工場誘致・産業振興に取り組んでいます。「平和のシンボル、金魚が泳ぐ城下町」を合言葉に1995年から「全国金魚すくい選手権」を、2004年からは「大和郡山盆梅展」を稗田阿礼(ひえだのあれ)にちなんで「記憶力大会」を05年から開催しています。郡山城天守台整備や城下町アプリケーションの連携によって観光振興や産業振興を図りながら、市民が夢と誇りを持てるようなまちづくりを目指しています。(尾口五三市議)」(2日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)この記事を読んで、「公衆電話ボックス」に金魚を入れたものが、「意匠権」の侵害にあたると撤去されたことを思い出しました。さて、滋賀県にも「緊急事態宣言」が出され、色々な制約がかかりました。30日(月)には「朽木・てんくう」に行くと「臨時休業」の立て札がかかっていました。昨日、1日(水)には「マキノ町・八王子荘」に行くと、「臨時休業」の張り紙がありました。私は知らなかったのですが、県内の温泉施設は営業を自粛しているようです。(写真は、マキノ町・八王子荘も休業していて落胆しました)

今日は、私の誕生日です。
2021/08/30

「ほっと いつもの息子に会えて」「長男は30歳の時から40歳すぎの今も、東京都内で一人暮らしをしています。病院や図書館の搬送機の仕事なので、会社は土・日休みでも、現場は土・日の方が都合よく、休みがあるようなないような毎日を送っていました。ところが、コロナの感染拡大で全国あちこち行っての仕事が減りました。それはよかったのですが、わが家へ来なくなりました。LINEで様子がわかる程度でしたが、先日「お盆の墓参りに行く」と言い、やってきました。今までと変わった様子もなく、いつも来るときに持ってくる、東京ならではの高級はお菓子をちゃんと持って。お墓の花や線香も手際よく、いろいろとしゃべりながら供えていました。いつもの息子の様子にほっとしました。「これからワクチン接種」というので駅で別れました。スタスタ歩く様子に、またほっとしました。コロナに感染しませんように。
(埼玉県 高山敬子 71歳)」
(30日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)
いつまで経っても子どもは子どもなんだなあと、この文章から感じられます。この感覚は、不思議にも私にもあるので、世の親(特に母親)にはあるものです。さて、今日は私の69歳の誕生日で、60代の最後になりました。昨夜は、一日早い誕生祝をしてもらい、焼肉と赤飯を頂きました。(写真は、枯れかけていたサルスベリですが、ようやく綺麗な花をつけました)

近江高校が奇跡的に勝ちました。
2021/08/27

「こどもの ひとこと」
★小4孫の悔しさ★
小4の孫。修了式の前夜、「夏休みせっかく鹿児島からいとこが遊びに来ることになっていたのに今になってよ、今になって『できない』って、くやしい。オリンピックには外国から来られるのにね」。
(萩原紘一 80歳 宮崎・日向市)
★上海から帰って★
昨年9月、コロナ禍で3年ぶりに上海から東京の自宅に帰った6歳の孫。電話で「おばあちゃん、僕、ドラえもんのどこでもドアが欲しいよ」。結局、会えないまま上海へ。
(彦田紀代 73歳 愛知・豊田市)
★肩なでてやると★
1人でお泊りに来た2年生の孫。私が肩や背中をなでてやると「おばあちゃんの手、あたたかいなあ。いやされるわ」。
(難波千里 77歳 大阪・池田市)
★駅までポロポロ★
初孫の守にゆき、保育所へ。別れ際。「じいちゃん、もう今日帰るん」「うん」「じいちゃん遊んでくれてありがとう」。孫娘は2歳でした。駅まで私はポロポロ泣きながら・・・。
(塩見昌和 81歳 京都・綾部市)
★泣いていた訳は★
娘が保育園に迎えに行くと3歳の息子は泣いていた。「お昼寝の時、お友達とずっとおしゃべりして寝なかったので眠い」
(タンポポコーヒー 埼玉県)
★英語の点数が・・・★
高校生ヒロの英語のテストの点数が悪かったので、小言をいうと「ママの子だから、しょーがない」と、ヒロ。それをきいた大学生マコが「俺、ママの子なのに英語ができるし!」。
(マコとヒロのママ 千葉県)
(27日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
いつ読んでも、ほのぼのとしたものが伝わって来て、楽しみなコラムです。さて、夏の高校野球で滋賀県代表の近江高校が、昨日のベスト8で神戸国際高校にサヨナラ勝ちとなり、ベスト4に進出しました。正直に言うと、ここまで残るとは思っていなかったので、驚いています。嫁さんの実家(嬉野市)の弟からは「おめでとう、良かったね」とメールが来て、何の話かなと首をかしげていたそうです。(写真は、旧安曇川町時代に整備された「健康の森」ですが、施設の老朽化が目立つようになりました)

秋の気配が感じられます。
2021/08/24

「グリーンランド初 氷床最高点に雨」「北極圏にあるデンマーク領グリーンランドを覆う氷床の最高地点で、観測史上初めて雨が降りました。標高3216bの最高点付近の気温は通常氷点下で、降雪があるだけですが、14日には気温が約9時間にわたって0度を上回り、数時間にわたって降雨がありました。気候変動の影響とみられます。米国立氷雪データーセンターが発表しました。それによると、最高点付近は北緯72・58度で、過去に降雨が観測されたことはありませんでした。記録では1995年、2012年、19年にも氷が解ける現象が観測されましたが、それ以前は1800年代後半までさかのぼるとされます。気圧配置の影響などで暖かく湿った空気がグリーンランドを覆い、14〜16日には例外的に気温が高くなりました。このため、氷床に大量の雨が降り注ぎ、氷が解ける現象が広範囲で見られたといいます。グリーンランドの氷床の融解は世界的な海面上昇につながると指摘されています。」(24日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)私が高校生の頃、暗記するのに、「アイスランド」に雪はない、「グリーンランド」に雪がある、と覚えました。それにしても、地球はどうなってしまうのだろう?と考えてしまいます。さて、蝉の声が「クマゼミ」から「ツクツクホウシ」になり、虫の鳴き声も「クツワムシ」のうるさい声と、「コオロギ」の優しい声が交じるようになりました。雨の日が多かった8月ですが、確実に秋が近づいているようです。(写真は、稲が実り刈り取りもまじかの田んぼですが、長雨の影響が気になります)

サンマも高級魚になりました。
2021/08/21

「東京・豊洲市場(江東区)に20日朝、秋の味覚・サンマが昨年より約1カ月遅れで初入荷しました。不漁で入荷量が少なかったため、卸値は1`当たり3万円、1匹だと約3500円の超高値が付きました。入荷したサンマは太平洋の公海で操業を開始した小型船が19日に北海道厚岸漁港で水揚げし、初競りに掛けられた魚の一部です。入荷量は約70`で、例年の3分の1以下。産地価格の高騰もあり、卸値は1匹120c型が1`当たり2万5000円〜3万円と、例年の2倍近い高値となりました。入荷が極端に少なく、1`当たり10万円の過去最高値を付けた昨年こそ下回りましたが、それでも高級クロマグロでもめったに出ないほどの高値。初物を仕入れた仲卸業者は「まだ身が細くて小ぶりだが、鮮度は良い」と話します。サンマ漁は例年7月から始まりますが、近年は深刻な不漁が続き、今年は8月中旬に入っても水揚げゼロの異常事態が続いていました。」(21日付けしんぶん赤旗「経済」欄より)サンマが獲れなくなった理由は、@中国の大型船が公海上で大挙して捕獲する。A過去に取りすぎて資源が枯渇しつつある。B地球温暖化で、寒冷地を好むサンマが北上した。などと言われています。それにしてもクロマグロより高値となると手が届きませんね。家の玄関先で七輪を持ち出し、サンマを焼いた事は夢のようになりつつあります。(写真は、昨年の8月31日に撮影した高島町・萩乃浜の景色です)

毎日、嫌になるほど雨が降りますね。
2021/08/18

「いくつもの井戸を掘り、全長24`にも及ぶ用水路をつくり、不毛の地を緑の農地に変える。干ばつに飢える異国の人びとの命を守るために生涯をささげた日本人医師の中村哲さんです。長く戦乱がつづくアフガニスタンに医療や衛生、きれいな水や食べ物をもたらしました。2年前、凶弾に倒れるまで同国の土台づくりに力を尽くした彼は、いつもこう説いていました。武器ではなく命の水をー。逆に命を奪い、国を混乱させたのが米国による報復戦争でした。9・11同時多発テロから20年。米国史上最長の戦争によって失われ人命は16万余を数え、うち市民の犠牲が4万人をこえます。ただ復讐(ふくしゅう)心を満足させるための戦争。暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみをよぶ。その連鎖がタリバンをふたたび勢いづける温床となりました。空爆や自爆テロが女性や子どもといった罪なき者を傷つけ、生活を破壊する。それがまたテロを招くと中村さんも指摘していました。大国の思い上がった戦争は自国民にも深刻な影響をあたえ、帰還兵の多くがPTSDに苦しんでいます。武器は絶望しかもたらしません。今後、米国と国際社会はタリバンによる恐怖政治の復活を許さず、国の再建を支えていく責任があります。アフガンはイスラムの国です。交わされるあいさつの「サラーム」には平和という意味が込められているといいます。果てしない戦争や暴力をうみ、穏やかな日常を待ち望んでいる人びと。みんなが心から笑顔で「サラーム」といえる日を早く。」(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この記事を見て、思い出したのは「9・11」の事件がきっっかけに侵攻が始まったのでしたね。あれから20年、もし米国が撤退を決めなければ、後何年、何十年と続いたことでしょう。さて、先週の12日(木)から降り続いた雨は止むこともなく1週間が経ちました。嫁さんの実家が嬉野市なのですが、記録的な降雨が日本一になりました。そのニュースを見た方から、「実家は大丈夫か?」と何人の方から声がかかりました。幸い、嬉野市では大きな被害はなく、お隣の武雄市の方が被害が大きかった様です。ただ一つ、実家の次男が武雄市に遊びに行って、浸水の被害に合い、スーパーの屋上で一晩を過ごしたそうです。(写真は、安曇川町・四津川地区にある三和漁港ですが、連日の降雨で琵琶湖の水が溢れないか心配なほど増えていました)

お墓参りに行って来ました。
2021/08/15

「ドキュメント’21 メアリーが伝えるヒロシマ」「日本系 深夜0時55分」「メアリー・ポビオさん(29)は昨年7月から広島平和公園でガイドを務め、「被爆者の心」を世界に発信しているアメリカ女性です。2012年、大学の調査で長崎を訪問、被爆の実相を知り衝撃を受けました。16年から広島に住み、平和活動NPOを立ち上げます。メアリーさんの活動と信条を伝えます。広島テレビ制作。亡くなった祖父は「原爆が戦争を早く終わらせ、たくさんの命を救った」が信念でした。しかしメアリーさんは「私の国がやったことに深い罪悪感」を覚えるようになります。「広島の心を世界に伝えてほしい」という被爆者の声を聞き、アメリア人だからやれることがある、と被爆の実相を発信します。コロナ禍でオンライン活動が多くなりましたが、その行動力とみずみずしい感性はまぶしいほど。家族は「メアリーの活動で核兵器について考えるようになった」と言います。「原爆が戦争を早く終わらせた」論の欺瞞(ぎまん)があぶりだされ、「知ることの大切さ」が浮かびます。戦争はなぜ起こる、日本はなぜ戦争にに突き進んだか、その認識まであと一歩です。(萩野谷正博 ライター)」いつも思うのですが、この様な良質の放送は、もっとゴールデンタイムに放映して、沢山の方に見てもらいたいものです。さて、連日豪雨が降り、おまけにコロナの感染拡大で「お墓参り」の計画が二転三転しました。そこに長男から電話があり、彼の車で奥さんと孫も一緒に車で出かけました。草津市から京滋バイパスを走り、弟2京阪道路経由でわずか50分で着きました。近くのコンビニに立ち寄っただけで、とんぼ返しで帰って来ました。これで気にかかっていた大役が務められ、長男に感謝の思いで、お昼ご飯をご馳走しました。(写真は、昨年の安曇川町・白浜のキャンプの風景です)

オリンピックより高校野球が面白い。
2021/08/11

「あの日鬼になった。母に姉、2人の弟。目の前で次々と死んでいく家族。その遺体を鬼の形相で焼いた少年は「人間の心ではなかった。死が特別ではない異常な世界だった」。長崎で被爆し、今年6月に亡くなった山田拓民(ひろたみ)さん。長年被爆者運動にとりくみ、みずからの悲惨な体験をふくむ被爆証言や原爆症の認定に力を注ぎました。その原動力は、核兵器と、被爆者を救済しない国への怒りでした。被爆者を長く苦しめてきた原爆によるさまざまな健康被害。9日に放映されたNHK「原爆初動調査 隠された真実」は、被爆直後の広島や長崎で米軍が大規模な調査を行っていたことを明らかにしました。爆発によって発生する放射性物質が黒い雨やちりとなって降り注ぐ。地に滞留する。それが人体に影響することを把握しながら、国策によって隠ぺいされたことも。長崎・西山地区で義理の妹を白血病で亡くした女性は「人として見ていない。実験の対象」と無念を。山田さんは原爆による死をこう表現しています。「刺し殺された上に切りきざまれ、その上に油をかけて焼かれ、さらに路上に放り出されて肉は犬に食いちぎられ、腐敗し、うじにさいなまれるーまさにそのような死だった」。あれから76年。いまも放置され続ける痛み。核兵器禁止条約にさえ背を向ける政府。被爆地を訪れながら、そのことに一言も触れない菅首相。被爆者と認めない「被爆体験者」は憤ります。「埋もれた人たちを歴史から消し去ってはいけない」」(11日付けしんぶん赤旗「潮流」より)広島には数年前に訪れましたが、長崎には10年以上は訪れたいません。初めて長崎を訪れたのは高校の修学旅行で、あの銅像が強い印象で残っています。その後、何度か個人旅行で行きましたが、銅像を見るたびに「長崎に来た」と思います。さて、不評だったオリンピックが終わり、夏の高校野球が始まりテレビに釘付けになっています。(写真は、自宅前の「大花火大会」の映像です)

孫の守も疲れます。
2021/08/08

「国をあげての祭りの終わり。狂騒の後に漂う静けさのなかで感じるものは・・・。東京五輪がきょう閉幕します。国民多数の反対を押し切って強行された大会は、コロナの感染急拡大と軌を一にしました。命とくらしが現実に削られていく一方で華やかな五輪色に染められた日々。それは緊急事態宣言下の開催という矛盾をあらわに。「一生に一度なので」と沿道で声援を送っていた家族連れ。「みんなで応援したかった」と選手の母校に集まった関係者。いくら自粛を呼びかけても、危機感を共有できない政府の相反する姿勢に納得できるわけもなく、深刻な状況を招く引き金となりました。「競技の公平さに大きなゆがみをもたらした」。柔道の専門家が本誌に語ったように、土台が崩れたなかでの開催は国際オリンピック委員会(IOC)の存在意義が問われました。酷暑の開催しかり、選手第一よりも商業主義にまみれた姿がうきぼりになりました。大会の可否について、バッハIOC会長は「今は判断したくない。未来の世代が判断すること」と言い逃れました。しかし五輪精神やスポーツの価値が損なわれた強行開催は、のちののちまでいわくつきの大会といわれるような問題を残しました。近代五輪が始まった、弟1回アテネ大会のその後。ギリシャの各地で子どもたちがオリンピック大会の遊びに興じ、それぞれに最年長者がオリーブの枝を渡したといいます。コロナの感染爆発と禍根を歴史に刻んだ東京五輪。宴の終わりでは済みません。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私ほど、今回の東京五輪を見なかった者は珍しいんのではないかと感じています。見たい番組は隅においやられ、ニュース番組の少なくなりました。各放送局も、一方ではオリンピック開催を批判し、一方では盛り上げるなど矛盾していました。「オリンピックが終わり、やれやれ」が本音で、高校野球を楽しみにしています。7日(土)に長男一家が安曇川に遊びに来たので、昼食後に「朽木・てんくう」に出かけ、プールを2時間半楽しみ、30分はお風呂を楽しみました。自宅に帰ると午後6時になっていて、夕食後は午後7時より「花火大会?」をしました。午後8時半に帰路に着きましたが、気が付くと長い一日になりました。(写真は、玄関先で花火に興じる孫たちです)

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