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明けましておめでとうございます。
2022/01/04

今年も、長女の帰省が叶わず、夫婦と母の3人で新年を迎える事になりました。1日(土)はゆっくりと寝て、起きたのは午前10時になっていましたが、遅い朝食(おせち)と雑煮を頂きました。いつも通りにお酒はなく、ノンアルコールビールで乾杯し、正月を祝いました。この日はテレビの守をしながら一日過ごしました。2日(日)は気晴らしに敦賀市までドライブをし、いつもの「鞠山・海釣り公園」に立ち寄りました。もう少し釣り人が多いのかと思っていましたが、意外と少ないので驚きました。ほとんど釣果がないなかで、「おこぜ」が釣れたと騒いでいる老夫婦を見かけました。「おこぜってこんな色やったかな?」「あれはあんこうではないのか?」などと私たち夫婦で話していました。昼食兼夕食を市内の「はま寿司」へ行きましたが、すごい混雑で30分は待ちました。帰路には「マキノ高原温泉・さらさ」に立ち寄りました。ここも暮れの大雪でスキー客で混雑し、駐車するのも大変でした。恒例の抽選会があり、挑戦しましたが、残念ながら外れでした。3日(月)は、長男と孫が朝からやって来て、堤防を利用して「そり」を楽しみました。草津市から見ると奇跡的な雪の量で、何度も何度も「そり遊び」をしていました。せっかくだからと「かまくらつくり」に挑戦しましたが、こちらは未完成で終わりました。昼食の「すき焼き」を食べて、ふたたび「そり遊び」を楽しんだ後、帰路が渋滞で混雑するからと、午後3時には帰って行きました。その後、高校ラグビーをテレビ観戦しながら過ごしました。夕食は午後6時から、「うどんすき」にして早々と一杯やりました。午後9時にはテレビを消して、「明日から仕事や」と言うことで寝床に入りました。ゆっくりと過ごすことは出来たのですが、これと言って代わり映えのしない正月でした。みなさんは、どのようなお正月を過ごされたでしょうか?今日から、またいつもの生活が戻って来ましたが、この方が落ち着いていて安心です。今年1年、またよろしくお願いいたします。「写真は、2日(日)から「敦賀・鞠山・海釣り公園」で釣りを楽しむ人たちです」

みなさん、良いお年を!
2021/12/31

30日(木)は、今年最後の行事?である大阪・大東市まで先祖のお墓参りに行って来ました。大阪もこの日は寒く、厚着をして行って正解でした。墓参りの後、S先生と昼食を摂る約束をしていて、鴻池新田駅で落ち合いました。まだ秋のお彼岸から3カ月しか経っていないので、そう募る話もありませんが、健康で良かったと思いました。その後、喫茶店で30分ほど過ごした後、駅でお別れしました。帰路に北新地駅で下車し、阪神百貨店で「阪神タイガース」の来年のカレンダーを買い求めました。何か買って帰ろうと地下食料品を見ましたが、想像以上の混雑で諦めました。今夜は大雪の予報もあり、とりあえず京都駅まで戻って来ました。時刻は午後4時45分だったので、ゆっくり飲めると思い、駅と続いている「京都会館」の「がんこ」に行きました。食事を始めて30分ほどで、湖西線が午後5時57分で運転を取りやめると連絡があり、「これは大変だ!と帰路の支度をしました。急いで京都駅に戻ると、列車が入っていて、「湖西線の最終列車になります」のアナウンスが流れていました。午後7時前に安曇川駅に着きましたが、自宅までのタクシーがありません。やむえず友人にお迎えを頼み、なんとかたどり着く事が出来ました。今日は朝から、お店の掃除に徹し、ようやく一段落したので「店長日記」を書いています。現在午後4時10分ですが、今日もまた雪が深々と降っています。このままだと今夜も積もるのではないかと思われます。さて、みなさん、今年一年間ご愛読頂きましてありがとうございます。どうか良い年をお迎え下さい!なお、新年は4日((火)より営業しますので、また見に来ていただくようにお願いします。「写真は、28日に降った雪が大量に残りました」

除雪が追いつきません。
2021/12/29

「あまりにもむごく、つらい体験に、口を閉ざしてきました。ことし長崎原爆の式典に初めて臨み、「平和への誓い」を訴えた岡信子さん。先月、93歳の生涯を閉じました。看護学生だった16歳のときに被爆。大けがを負いながら救護にあたり、そこで目のあたりにした惨状を心の中にしまいこんできました。壮絶な体験を語り始めたのは80歳をすぎた頃から。いまだに被爆者の願いかかなわない世への切実な思いがあったからでしょう。あの日から76年がすぎ、昨年度は9千人近い被爆者が亡くなり、この10年で4割以上も少なくなりました。平均年齢は84歳に迫り、一刻の猶予もないのに、いまもなお放置され続けている人たちがいます。「黒い雨」被爆者の救済をめぐり、国が示した認定の指針案が新たな分断をもちこんでいます。84人の原告全員を被爆者と認めた7月の広島高裁判決は、疾病の有無も問わず幅広い救済を求めました。ところが新指針は、11疾病の発病を要件として広島だけを対象に。これには長崎の原爆被害者から怒りの声があがっています。国の援護区域外で黒い雨や灰を浴びた人は長崎でも多い。それを切り捨てることは被爆地や被害者を分断し、差別につながると。口にできないほどの苦しみを背負い”悪魔の兵器”をなくすため力を尽くしてきたヒロシマ・ナガサキの人びと。終わらないたたかいはいつまで。救済は言うまでもなく、核なき世界の先頭に立つことが、唯一の戦争被爆国のあるべき姿ではないのか。」(29日付しんぶん赤旗「潮流」より)26日〜27日に降った雪は、まだ道路に残り、通行の妨げになっています。あまりの量に除雪が進まず、足腰に痛みが出て来てがっくりとしています。今日も、これから残っている雪との格闘です。明日は、大阪・大東市まで墓参りに出かけて来ようと思います。これで年内の行事が終わり、31日はお店の大掃除が待っています。「写真は、なかなか解けずにいる自宅周辺とお店からの景色です」

26日の夕方に積雪40cmになりました。。
2021/12/26

26日(日)の朝には積雪が40cmになり、ほぼ一日中雪かきに追われました。いつもネタにしている「しんぶん「赤旗」」も自宅に届かず、淋しい思いをしています。これだけの積雪は5年ぶりで、さらに27日(月)はさらに30pは積もり合わせて70pになり、もはや勝手にして下さいと思うようになりました。朝に自宅で車を掘り出す?のに2時間もかかり、お店の駐車場の除雪に4時間もかかりましたが、まだ半分ほど残っています。今日も「しんぶん「赤旗」」が届かず、「お〜い、どうなってんねん」と嫁さんに訊くと、集配場までが行けないとの話です。普通の新聞は届いているので、少し考えが甘いのと違うかなと思いました。これから、残っている除雪を始めますが、たっぷりと午後5時まではかかりそうです。「写真は、27日(月)の自宅周辺の景色ですが、門柱が倒れそうなくらいで積雪は70pになっていました」

明日はクリスマス・イブですね。
2021/12/23

「わがまち ふるさと」「島根県・津和野町」「津和野町(つわのちょう)は、島根県の西端に位置し、人口は約7000人、9割が森林の山間地域です。2005年に旧津和野町と旧日原町(にちはらちょう)が合併し、今の津和野町になりました。2016年に森林を守り生かす「美しい森林(もり)条例」が制定され、来年には森林資源の活用、CO₂削減に向け、バイオマスガス化発電所が稼働予定です。林業、農業では新規就労者を迎えて頑張っています。明治の啓蒙(けいもう)思想家・西周(にし・あまね)や森鴎外(もり・おうがい)など、数多くの偉人が育った歴史的環境と豊かな自然があり、子育てにはぴったりの町です。城下町は700年の歴史が息づく様子を今もなお残し、日本遺産に認定されています。江戸時代に描かれた絵画の場面がそのまま残る場所では、まるでタイムスリップしたようで「小京都」そのものです。清流日本一に何度も選ばれている高津川が流れ、本州では一番星が見えやすい空とされ、星降る町ともいわれています。一般公開されている日原天文台では、満天の星を見上げることができます。宇宙の果てのロマン、歴史と自然があふれる津和野町にぜひお越しください。(寺戸昌子町議)」(23日付けしんぶん赤旗「地方・総合」のページより)山口県の萩市には、2〜3度行ってはいるのに、お隣の津和野町にはまだ一度も行っていません。今後に行きたい町のひとつですが、さてそれがいつ実現出来るかは分かりません。さて、明日はクリスマス・イブですが、我が家では何の予定もなく、普通の生活が続くと思われます。「写真は、大雪(積雪10cm)から明けた19日の自宅周辺の景色です}

安曇川では積雪は10pでした。
2021/12/20

「総局日誌 今回は東日本」「宮城県の村井嘉浩知事が強引にトップダウンで進める仙台赤十字病院と県立がんセンター、東北労災病院と県立精神医療センターの移転・統合問題。患者・職員・住民置き去り、不採算部門の切り捨てるやり方に県民の批判が高まっています。県医労連を中心に集めた反対署名は、街頭で呼びかければ市民が列をなして署名し、2万6500人を超えました。議会で問われた村井知事は、「それ以外は私を支持してくれている」と答弁。県民の反対が強い女川原発再稼働容認、水道民営化なども同じ認識で続けています。いま、病院の移転と言う命にかかわる身近な問題が市民を動かし、村井知事と戦う市民運動と手を結び始めています。4病院統合を公約に掲げて臨んだ10月の知事選で村井知事は14万票を失い、連合町内会長協議会の会長が、労災病院を守る会の代表幹事に就任して公然と運動の先頭に立っています。驚くべき変化と草の根の運動の大きな流れに、希望を感じています。(宮城県・佐藤信之)」(20日付しんぶん赤旗「地方特集」より)住民運動が盛り上がれば、政権の中枢でもうかうかしてはいられません。問題は、諦めずに末永く続けることでしょう。さて、17日(金)には何もなかったのですが、18日(土)には一面の銀世界になっていました。初雪としては多く、積雪は10pに達していました。まだ体が慣れていないので、ゆっくりと時間をかけて除雪しました。共通しているのは「重たい雪やね」の会話が飛び交っていました。「写真は、積雪で一面銀世界になったお店の周辺の景色です」

明日は大荒れの予報です。
2021/12/17

「沖縄・遺骨土砂 埋め立てに使うな」「群馬県の甘楽(かんら)町議会は15日、「沖縄戦戦没者の遺骨等を含む土砂を埋め立てに使用しないよう求める意見書」を全会一致で可決しました。県内の自治体で同様の意見書が採択されるのは初めてです。意見書は、遺骨が入った土砂を埋め立てに使用することは人道上許されないとして、▽土砂を埋め立てに使用しない▽日本政府が主体となって遺骨を収集を実施するーことを国に求めています。沖縄の遺骨収集ボランティア団体「ガマフャー」は7月、同趣旨の意見書を国に提出するよう求める陳情書を全国の自治体の議長宛てに郵送すると発表。甘楽町にも届きましたが、町は郵送による陳情は受理しない取り決めでした。これを知った日本共産党の山田邦彦町議は、原水爆禁止甘楽・富岡協議会の上原正代表に相談。上原氏が陳情書を作成・提出して実現しました。山田氏は「採択は保守系議員の協力のおかげ。大変うれしい」と話しました。」(17日付けしんぶん赤旗「政治・総合」のページより)最近感じるのは、中央の政治より地方の政治の方が良識がある判断が多いと思います。今回も「辺野古の新基地」を進める中央の政治に対するクサビでもあります。さて、明日の18日(土)は大荒れの天気になり、平地でも積雪すると予報されています。慌ててクルマのタイヤを交換し、長靴や手袋、スコップなどの用意が出来ました。これで準備万端ですが、どのくらい積もるのか心配は絶えません。「写真は、越前市にある「しきぶ温泉・湯楽里」の館内の景色です」

12月も残り2週間です。
2021/12/14

「昼食抜き ありがたい」「日本民主青年同盟滋賀県委員会は12日、コロナ禍の学生に食料などを無料配布する「ごはん応援プロジェクト」を彦根市で行いました。チラシなどで知った学生・大学院生23人が参加。近江米やハクサイ、ダイコンなどの野菜、レトルト食品、トイレットペーパー、生理用品など、欲しい物を選んで持ち帰りました。修士課程1年の女子留学生(25)は「支援はありがたいです。アルバイトのシフトが減って収入が5万円から3万円に減っています。食事は朝と夜だけで昼は抜いています」と話しました。4年間で150〜160万円の奨学金を借りる計画だという1年生の男子学生は「夏休みの2カ月間にアルバイトで24万円稼いで返済のために貯金することを考えていました。でもコロナで、月2万円の休業手当を2回もらっただけでした」と話しました。彦根市の実施は7回目。学生から「歯磨き粉がほしい」という声が出されました。」(14日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)コロナ禍で、今の学生がここまで追い込まれているとは知りませんでした。同じ滋賀県で、この様な支援が行われていることに、心強さも感じれられて嬉しく思います。さて、12月に入ったと思っているうちに、今日は14日です。正月まで15日余りですが、なかなかそんな実感がわきません。「写真は、19年12月の「敦賀・鞠山・海釣り公園」の景色です」

なかなか雪マークが出ません。
2021/12/11

「トンボ類 絶滅の危機」「国際自然保護連合(IUCN)は9日、絶滅の恐れのある野生生物をまとめたレッドリストの最新版を発表し、トンボ類が地球規模で絶滅の危機にあると警鐘を鳴らしました。原因は、トンボ類が繁殖する沼などの湿地や自然河川の消失にあると指摘しています。発表によると、世界で6016種のトンボ類の16%が絶滅の危機にさらされていることが明らかになりました。南アジアと東南アジアでは、パーム油などの生産のために湿地や熱帯雨林を開発したため、全種の4分の1以上の絶滅が心配されているといいます。中南米では、居住地や商業施設のための森林の開発がトンボ減少の主因となっています。世界のあらゆる地域で殺虫剤や汚染物質、気候変動が生物への脅威となっており、北米やヨーロッパではこれらがトンボ類の最大の脅威だとしています。IUCN事務局長のブルーノ・オベール博士は「湿地は炭素を蓄え、きれいな水とと食料を供給し、洪水から守り、世界で知られている生物種の10分の1に生息場所を与えている」と指摘。「トンボ類は、淡水生態系の現状に関する高度に敏感な指摘である」と保護を訴えています。最新版では、フランスやスペインなどにすむ半水生の哺乳類、ピレネーデスマンがこれまでの危機種から絶滅危惧種に引き上げられました。」(11日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)私たちが子どもの頃には、ちょっとした水たまりにも「ヤゴ」(トンボの幼虫)が住んでいました。そう言えば、都市化が進み小川などは地下に埋設され、目のふれる場所からなくなりました。ここ、安曇川でも「赤トンボ」が秋になると飛んでいたのが、めっきり少なくなり、そのうち「唄の世界」だけになるのでしょうか?さて、今年は豪雪だと発表されていたのですが、予報では「雪マーク」が出て来ません。まだ、冬タイヤに交換していません。「写真は、19年12月10日のマキノ・追坂峠の風景です」

今日は北風が吹いて寒いです。
2021/12/08

「みんなで朝ごはんを食べているときでした。ラジオから流れてきた開戦のニュース。弟は「うでがなる、うでがなる」。学校では校長先生が「勝つと思って居れば必ず勝ちます」と勇ましく。当時山形市の国民学校に通っていた少女の手記です。最初は少し恐ろしい気持ちだったのが日本軍の進撃に「万歳」をしないではいられなくなった、「女でも兵隊さんになって行かれる時は私も行こう」と決意していきます。1941年12月8日。アジア・太平洋戦争の始まりを、国民はどう迎えたか。新日本出版社のシリーズ『子どもたちが綴(つづ)った戦争体験』には、周りのおとなたちに引きずられるように高揚していく様子が描かれています。<米英を撃たすば止まじこの一戦>。個人の視点から歴史の大きなうねりを追体験していくNHKの「新・ドキュメント太平洋戦争」。穏やかな人びとの営みが、なぜアメリカとの戦争に向かっていったのか。その頃の日記や手記からみえてくるのは生活の不満を背景にした誘導宣伝や「お国のため」という愛国心でした。あれから80年。日本人の平均寿命からいえばひとりの人生の時間に相当します。戦争の表と裏をつぶさに見てきた世代が折々に伝えてきた多様な体験。それはわれわれの戦争観をかたちづくってきました。生の戦争を知る人たちの思いをどう受け継ぐか。おびただしい命を奪い、あまたの人生を狂わせた破滅への道。それを歴史の教訓とする国をつくってこそ、新しい未来が開けてきます。」(8日付しんぶん赤旗「潮流」より)私の父も、海軍で戦いましたが、戦後は一貫して「戦争反対」と発言していました。その父も7年前に92歳で亡くなりましたが、生の戦争体験を語る人がいなくなりましたね。さて、今日の安曇川は北風が吹いて寒くなりました。湖西線は昨日のうちに「計画運休」となり、現在も止まっています。午後からは、運転を再開するそうですが、通勤・通学の方は自家用車で、堅田駅まで送迎されているようです。「写真は、冬空が広がる田中地区から見た冠雪した伊吹山と比良山系です」

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