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50日ぶりに退院しました。
2023/06/13

入院していると、今までの生活を反省する事が多くなりました。まず食事ですが、好き嫌いが激しく、嫌いな物(主に魚料理)には手も付けませんでした。おまけに野菜類はほとんど無視で、摂取量もゼロにに近かったです。晩酌の量は、焼酎の水割り3杯、ウイスキーの水割り3杯は普通に飲んでいました。さらに運動不足は否定出来ず、万歩計を付けて計っても、せいぜい1000歩でした。とにかく、生活のすべてが「不健康」でしたので、「あ〜しておけば良かった」「こ〜してれば良かった」と反省ばかりです。まだ、足の傷が万全でないのですが、徐々に近所を散歩し体力を取り戻したいと思っております。まあ、そんなこんなで、時間の上を通り過ぎた入院でしたが、大いなる反省と、将来への展望が持てる機会になりました。「写真は、敦賀・鞠山海釣り公園ですが、本日の釣果を見せてもらいました」

50日ぶりに退院しました。
2023/06/10

私の場合、足に受けた傷口が治れば退院と言われていましたが、これが思うように良くならず長引く原因になりました。入院も40日を過ぎると、毎日の治療は抗生物質の点滴が、一日4回あるだだけで、後は午前と午後のリハビリだけです。リハリビの指導員とも顔見知りになり、特に阪神ファンの方とは、毎日昨日は勝った、今日はどうだろうとの会話となりました。リハビリと言っても、厳しい訓練はなく廊下の端から端まで2往復する程度でした。退院間際には、病院の周囲を徒歩で歩く訓練が始まり、入院以来50日ぶりに玄関とその周辺の景色が目に入りました。「あ〜ぁ、そうそうこの景色だったな!」と感動しました。6月2日と退院日を言われてから1週間、その一日、一日の長かったことは最後まで忘れません。退院日には、嫁さんと息子が迎えに来てくれ、主治医からのカンファレンスを受けました。さて、退院となると、お世話になった看護師の方や、リハビリでお世話になつた指導員との別れが、少し寂しく感じました。こうして、退院はしたのですが、体重は78`=66`と12`の減少で、お風呂に入ると、まさにガリガリの体になっていました。「これは、まず体重を増やして、体力をつけないと!」「少々、食べ過ぎても良いのではないか?」と自己採点しています。退院から、今日で1週間になりましたが、少しは気力も体力も戻り、大夫歩く事も、自然に動けるようになりました。みなさんも、健康に留意して、何か異常感じたら病院に行って下さいね。「写真は、久しぶりに訪れた小浜新港です」

A50日ぶりに退院しました。
2023/06/07

入信した経験がある方なら分かると思いますが、一日が単調な生活で、朝、昼、夕の食事を摂る以外はすることがありません。私の場合は、1日に4回の点滴が主な治療で、ほとんどが抗生物質でした。ベッドに横になる時間が増えると、自分でも気付かないほど体力の低下が見られ、歩行するのが困難になり、車椅子が移動の味方になりました。それでも気分は悪くないので、早く退院したいと毎日願うようになりました。同じ病室の患者さんは、2泊3日程度の検査・手術で退院される方が多いので、30日位が過ぎると部屋の主のような存在になりました。病室の窓からは、名神高速・京都東インターに向かう車や、下りて来る車を一日見るののが生活の中心になりました。「あそこには、娑婆の生活があるけど、自分はいつになったら、あそこに戻れるかな?」と考える事が多くなりました。入院して30日を過ぎた頃に、リハビリが本格的に始まり、立って歩く訓練や、手押し車での歩行訓練が始まりました。リハビリの成果か、初めて2週間目には、自力で歩行できるようになりましたが、まだまだ50bが限界でした。想像以上に体力が落ち、そこまでの距離が遠く離れた場所のような気がしました。それでも、気力で頑張り徐々に歩けるようになりました。入院してから、足のカテーテルを受けて、血流が良くなり、さらに心臓のカテーテルも受けました。病院側が考えていた検査も終わり、後は足の傷の治りが大きな焦点になりました。「写真は、三方町にある「きららの湯」に行った時の写真です」

@50日ぶりに退院しました。
2023/06/04

4月8日(水)の朝、起きると右足全体が腫れ、歩行も困難な状態になりました。やむえず、紹介を受けたマキノ病院に診察を受け、即入院となりました。まさか、すぐに入院するとは想定外で、お客さんへの連絡や、得意先への連絡で大混乱しました。せいぜい10日位の入院のつもりが、4月15日(水)にマキノ病院では難しいと言われ、京都市山科区にある音羽病院に転院しました。この音羽病院は、カテーテル治療に実績があり、血流の悪くなった右足に、その治療をすることになりました。ただ、小指に菌が回っているとの事で、初めて切除する旨伝えられました。「え〜っ、何とかならないの!」と叫びましたが、「リスクは早く少なくした方が良い」と先生に言われ、しぶしぶ同意しました。今までの人生で入院経験がなかったので、相当なプレシャーでした。毎日、朝は午前5時には目が覚め、テレビが唯一の友達でした。朝食が終わると、点滴が始まり、昼食後も点滴があり、多い日は一日4回の点滴がありました。足の指の外科手術は、入院して1週間目の6月18日に行われ、私が知らないうちに小指とお別れしました。術後は、毎日外科医の先生が見回りに来られ、様子を見ては、「薬を変えてみようか?」「そうしますかね」と相談されていました。入院が長引いた理由の一つが、指の傷口がなかなか塞がらなかったためと思われます。(つづく)」「写真は、お隣さんの庭に咲いた「やまぼうし」の花です」

桜の花も散りかけました。
2023/04/04

「わが家の菜園自慢」「根もおいしいホウレンソウ」「今、ホウレンソウが食べ頃を迎えている。種まきが遅かったため(昨年の11月上旬)、冬の寒さで成長が遅く、やっと収穫できるようになった。この時期のホウレンソウは、根も甘くておいいしい。寒さに耐えるため糖分を根に蓄えているらしい。ホウレンソウを育てるのは難しい。何回も失敗した。発芽して成長するにつれて、葉が黄色くなって枯れてしまう。「石灰をたっぷりまかないとダメ。酸性土壌を嫌う」とのこと。そこで苦土石灰をたっぷりまいて耕した。そして、種をまいた後、貝殻石灰も散布した。さらに、雑草防除と保温を兼ねて、五つの穴が開いている黒マルチを使っている。種を3粒くらいまいて育てる。適当な間隔があるので間引きすることなく育てることができる。以前は黒マルチを使わないで育てていたので、雑草取りと間引き作業が大変だった。今では、苦土石灰と黒マルチを使って育てるのに成功している。(大阪府和泉市 山田 勝吉 72歳)(4日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)ここ安曇川でも、家庭菜園が流行っていますが、私はほとんど興味がありません。聞けば、買った方が安くつくと聞いて、何故そこまでこだわるのでしょうか?もっとも、魚釣りに行って、その餌代の方が魚を買うより高くなるのと同じ心境かもしれません。さて、満開の桜の花も風が吹くと散り始めています。今年も、ゆっくり花見をすることもなく、春が遠のいて行きます。「写真は、散り始めた八田川(家の裏の川)の桜です」

早くも4月に入りました。
2023/04/01

「「新しい御本、新しい鞄(かばん)に。新しい葉つぱ、新しい枝に。新しいお日さま、新しい空に。新しい四月、うれしい四月。」。金子みすゞの詩「四月」です。入学や進級、入社に新生活。うきうきわくわくのときめきを感じさせます。明治期の途中から年度替わりとなった4月。春の訪れとともに日常が変化することへの期待や不安が詩に込められてきました。きょうからはどうか。くらしを取り巻く状況は相変わらず厳しい。食料品の値上げは2月に続き5千品目をこえ、宅配便や車タイヤの価格も上昇。物価高はおさまる気配もなく、値上げラッシュの春に失望感さえ漂います。光熱費の値上がりも生活を苦しめているなか、電力の小売り自由化に伴い大手が談合し、公正な競争を制限したとして巨額の課徴金を。公取委は収益の確保や電気料金の引き下げを防ぐねらいがあったとみています。ときめくどころか、閉そく感や停滞感が覆う社会。人びとが心の底に抱く変化への渇望をぶつけられる場が、いま各地でたたかわれている選挙では。政治を変え、経済を変え、くらしを変えるー。希望へのわきたつ思いを託した、それぞれの投票が新たな世界を開いていきます。今年は金子みすゞの生誕120年にあたります。「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」と詠んだみすゞは、小さきものや名もなきものにやさしい目をむけてきました。めぐる季節に、万人の幸せをねがいながら。」(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)年のせいか4月になっても、うきうきした感情はありませんが、桜の花の美しさは心を動かします。昨夜のニュースで、JR北海道の留萌線の一部が廃止になり、140年近くの営業に終止符をうったとか。このままでは、北海道から鉄道が無くなってしまうのではないかと思います。「写真は、安曇川町・田中(煤田地区)の堤に咲く桜です」

桜が5分咲になりました。
2023/03/29

「人生100年時代。60歳で定年退職しても、余生というにはあまりに長すぎる人生を、どう過ごすのか。何をやるかは、万人の関心事です。生涯現役職業といえる農業に関わりたいと思う人が増えています。”半農半X”の生き方。時間に追われず、余裕をもって人生を楽しむスローライフです。シニア世代の筆者も、「始めて見よう!あなたらしい農ライフ」と題して長野県が飯田市で開いた「帰農塾」に参加しました。14年間で約760人が受講し、今回52人が参加。「兼業の人も退職してこれから農業を始める人も、大切な新規就農者、多様な担い手です」とのあいさつが。基礎講座の弟1回は農薬の安全な取り扱い。農薬は、薬ではなく、毒だと知りました。虫や土中のミミズなどや菌を殺す殺虫・殺菌剤。草木を枯れさせる除草剤。ネズミやモグラなどを殺す殺そ剤。食物を太らせたり、痩せさせたりさせる植物成長調整剤まであります。農薬は、私たちの食卓にとっても毒だと改めて学びました。だからこそ、農薬取締法で散布方法などを定め、食品の安全に関する法律で出荷された農産物に一定以上の農薬成分が残留してはいけないと規定されています。化学肥料と農薬に頼らず、有機物をしっかり入れた土の力と自然の生態系を活用した農業。農民漣が提唱するアグロエコロジーです。持続可能で循環型の地域づくりと、多様性のある公正な社会づくりのとりくみ。農と食の現状を変える共同です。初心者として、共に実践していきたい。」(29日付しんぶん赤旗「潮流」より)私の弟も、大分県・豊後大野市に移住し、サラリーマンから農家になりました。主にピーマンを作っており、それでも年収は400万前後になるそうです。田舎での400万は、都会の800万程度の生活が可能だと話していました。これは私の持論ですが、今は厳しい農業ですが、いつか必ず農業が見直される時期が来ると信じています。さて、今朝近所の桜を見に行きましたが、もう5分咲きになっていて「今年は早いな!」と思いました。週末には満開になりますが、ゆっくりと花見でもしたい気持ちです。「写真は、暖かい日差しを浴びて、咲き誇る桜の花です」

カエルの鳴き声が聞こえて来ます。
2023/03/26

「こどもの ひとこと」
〇「へこんだ」ママに〇
娘が仕事で落ち込み、眠る前に「あ〜へこんだ」とつぶやいた。隣にいた小2の孫が、頭をなでながら「ママ、膨らんで」。優しい男の子です。
(いおりのバービー 68歳 神奈川県)
〇買い物でねだるも〇
小2の子がママと買い物に行った時のこと。「オットセイ買って!」。見るとそれは落花生の袋だった。
(まあちゃんママ 40歳 長野県)
〇リンゴの昔と今と〇
食後にリンゴむいてあげたら、娘が「昔、ばあちゃんは仕事に忙しく、風邪ひいた時だけは、リンゴをすりおろしてジュースを作ってくれた」と。小1のいっちゃんが「飲んだら治った?」と聞くと、「たぶんね」。すると5歳のみのちゃん、「魔法のジュースだね!!」。
(山口久江 静岡県)
〇動物のオブジェが〇
孫が3歳のころ。公園に動物のオブジェがあり、「おばあちゃんも乗って」と。私が壊れるから乗らないよと言うと、「大丈夫だよ、鉄でできているから」。
(藤野ひろえ 71歳 東京都)
〇ひな君の「10歳」は〇
昨年11月半ばに10歳の誕生日を迎えた孫。「おめでとう」と電話すると、「ありがとう、今日から、ひな君、テンサイになった」。「エッ、天才」と聞くと、「うん、10が英語でテンやから、テンサイやー」。
(松島公子 75歳 京都府)
(26日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
いつ読んでも、子どもの発言は面白く、いつの間にか微笑んでしまいますね。さて、今日の安曇川は雨が降り、肌寒い気温です。それでも、近所の桜はいつの間にか花びらが咲き、2分咲となっていました。また、夜に散歩に出かけると、「ゲ〜、ゲ〜」カエルの鳴き声が聞こえて来ました。まだまだ、数は少ないですが、これから日増しのうるさくなって行くのでしょう。「写真は、春らしくなった近所の空き地です」

今日は雨が降っています。
2023/03/23

「わがまち ふるさと」「徳島県・鳴門市」「鳴門市は、歴史、文化、そして自然豊かな街です。もっとも有名なのは、世界最大級の大きさを誇る「鳴門の渦潮」です。その渦潮を眼下で見られる「渦の道」や、県出身の歌手、米津玄師さんが紅白で歌った「大塚国際美術館」は、今やファンの「聖地」としても有名です。弘法大師によって開創された四国八十八カ所の1番札所「霊山寺」と2番札所「極楽寺」は海外からも大勢の観光客が訪れています。また、アジアで初めてベートンベンの「第九」交響曲が演奏された坂東俘虜(ふりょ)収容所跡地「鳴門市ドイツ村公園」や、古墳時代の歴史を考える上で重要な遺跡である「鳴門・板野古墳群」などは歴史好きには人気があります。昨年オープンし、予想を上回るにぎわいを見せている「道の駅くるくるなると」や、ウチノ海に浮かぶ上から見るとハートの形に見える「鏡島」は「ハート島」とSNSでも話題になっています。鳴門市の特産品は「鳴門鯛」や「鳴門わかめ」、食感と甘みが絶品の「鳴門金時」が有名ですが、「蓮根(れんこん)」や「梨」の一大産地でもあります。いよいよ春の到来とともに観光シーズンの幕開けを迎えます。ぜひとも、鳴門市へお越しください。(上田公司市議)」(23日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)私は、ここに取り上げられた場所には、一度は訪れています。ただ、船で渦潮をまじかで見たことがないので、おれだけは実現したいと思います。さて、今日の安曇川は、気温が高いのですが生憎の雨模様です。桜の開花が伝えられますが、まだまだつぼみですが、これで一気に開花につながるかもしれませんね。「写真は、春の景色が見られる近所の公園です」

「ミニ同窓会」は楽しかった。
2023/03/20

「総局日誌」「今回は東海・北陸信越」「「しんぶん赤旗」日曜版読者になったばかりの津市の60代女性から党事務所に「赤旗」への期待が寄せられました。この女性は、経済的理由から購読を止めていたのですが、先月末、党支部の呼びかけに「いま日本がおかしい方向に向かっている。大事な政治の話を知りたい」と再講読したそうです。「自衛隊基地の『強靭(」きょうじん化)』
のスクープ(2月26日号)を読み、「地元の自衛隊駐屯地も対象になっていて戦争になれば他国から攻撃される。今の生活が全て消え去ってしまうかもしれない。こんな大事なlことを他のマスコミは報じない。大軍拡の問題を正面からずばり言ってくれるのは『赤旗』だと感じた」といいます。「これからも、被爆者など戦争で悲惨な経験をした人の声を載せ、大軍拡に反対し警鐘を鳴らす役割を果たしてほしい」と。女性は今、軍拡の危険性を周りの人に語り、「憲法を守る政治家」への支持を呼びかけています。彼女の期待に応えられるように頑張ります。。(三重県・松島圭祐)」(20日付しんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)」WBCの日本チームの快進撃が連日伝えられますが、その陰に隠れて大軍拡が進んでいることを忘れてはなりませんね。さて、昨日(19日)は、大阪・大東市まで墓参りに行って来ました。今回は嫁さんが議会で忙しいからと、単独での行動となりました。墓参りの後、住道駅に集合して、S先生をはじめ10名で「ミニ同窓会」を開きました。いつもは5〜6名でしたが、こんなに集まったのは久しぶりで盛り上がりました。年齢のせいか病気の話が話題になり、「俺は糖尿病が悪いのや」「俺は血圧が高いのや」など健康に不安を訴えていました。約3時間後、また集まろうと約束して別れました。午後5時過ぎに、それぞれが解散し、安曇川駅に戻ったのは、午後7時30分になっていました。「今日はありがとう」と皆さんに伝えたい気持ちです。「写真は、今津町の座禅草の群生地に行って来ました」

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