お墓参りに行って来ました。
2023/08/12
「へしことウリごちそうです」大阪・守口市 仙道ひとみ(61歳)「夏といったら忘れられないおばあちゃんの作った「へしこ」。北陸方面の方なら、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。サバを塩づけし、さらにぬかつけにして1年ちょうどで、サバのへしこ完成。夏の暑い時や食欲のない時でも、おいいしくごはんを食べることができました。そして畑でもぎたてのトマト、マクワウリ、鳥羽ウリを川で冷やした物を切って、パラパラと塩をかける。それだけで、ごちそうでした。今も好きで「へしこ」は夏絶対に食べます。両親と私とおばばちゃんでかこんだ食卓。今では懐かしい思い出です。炊きたてのご飯はもちろん、そのあついごはんにへしこをのせたお茶漬けは、さらにおいしいんですよ。」(12日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)ご当地でも、サバの「へしこ」は、旧朽木村に行くと食べることが出来ます。私も食べましたが、あまりの辛さに驚き、二度と手は付けなくなりました。話によると、「へしこ」は山林労働者が手っ取り早く、お昼を食べるために作られたそうです。夏でも汗を大量にかくのでうってつけの食材です。さて、少し早いですが大阪・大東市までお盆の墓参りに行って来ました。暑さを覚悟していたのですが、思いのほか暑くなく(それでも暑かった)駅に戻り、みんなと待ち合わせして宴会?をしました。S先生とH君とは、入院時に見舞いに来てもらったので、4カ月ぶりに会いました。昼からビールを頂き、ごちそうを食べて生き返るようでした。2時間ほど会食して、10月にまた会う約束をしてお別れしました。今日になって、「お盆休み」はえどうされますかと聞かれ、「あ〜ぁ、何も考えていませんわ」と答えておきました。「写真は、敦賀市・鞠山海釣り公園の夏の一日です」
長崎きょう被爆78年。
2023/08/09
「仲むつまじい家族の写真や日記、柱時計や食器・・・。そこにあったのは、それぞれのくらしであり、夢や希望を抱いたかけがえのない人生でした。ある一家が買ったピアノ。家族の一員のような存在で、奏でる音は幸せの象徴だったといいます。しかしあの日、爆風によってガラス片が突き刺さり、傾いてしまいました。修復して使ってきましたが、平和のために役立ててほしいと寄贈しました。いま長崎の原爆資料館で収蔵資料展が開かれています。きのこ雲の下にあった生活と、それを残してきた人びとの思いにふれることで、被爆の実相を「自分ごと」としてとらえてほしいと。「もの言わぬ語り部」の重要性を訴え、いまも被爆資料収集の協力を呼びかけています。被爆証言をほりおこす活動も続けられています。半世紀以上も前から被爆者や市民による証言、告発をすすめてきた「長崎の証言の会」。地道な聞き取りで被爆の実態を発掘、刊行してきた証言集は36集を重ね、若い書き手も加わっています。「原爆の被害にはその影響とともに時間的なひろがりもある。それを記録して残すことが核兵器の恐ろしさを伝えることになる」。今年から同会の代表委員となった長崎総合科学大名誉教授の大矢正人さんは活動の意義を。きょう、長崎原爆の日。ふたたび戦争を身近に感じ、軍拡が迫るなか、反戦反核の運動を継続してきた人たちは口をそろえます。いまほど草の根の力が必要なときはない。平和を守り抜くために力を合わせましょう。」(9日付けしんぶん赤旗「潮流」より)もう亡くなった、嫁さんの父から(義父)から、佐賀県・嬉野からでも「きのこ雲」が見えたと言われました。距離にして50`は離れていても、すさましい光景だっのでしょう。さて、高校野球で滋賀代表の近江高校が岐阜代表の岐阜日大に早々と敗れ、「あれは投手が悪い」「打線も小ぶりやからなあ」との会話が増えました。「写真は、近所の空き地にある「葛」ですが花が咲いていました」
広島きょう被爆78年。
2023/08/06
「色鮮やかな折り鶴の周りに人びとが集います。家族連れや学生、外国人の姿も。戦争の悲しみのない世を希求しながら。広島の平和記念公園にたつ「原爆の子の像」。モデルとなった佐々木禎子さんのことを将来に語り継ぐための後継者づくりが始まっています。これまで同級生だった川野登美子さんらが中心となってきた証言活動。語り部の育成には被爆の風化と後退する平和教育への危機感があります。いま平和記念資料館では「被爆体験伝承講話」が毎日開かれています。被爆者の体験や被爆の実相、そして自身の平和への思いを伝承者としてわかりやすく説き聞かせます。被爆者が高齢化していくことから広島市が養成、2015年から活動を開始しました。いまでは20代をふくめ200人ほどが伝承者に。その数は年々増えているといいます。一方で平和教育を教育の原点としてきた広島市の教材から「はだしのゲン」が消されました。理由や経緯は不明ですが、「日本会議」や自民党の議員が参加する団体から削除を求める声が上がっていました。これには現場の教員や被爆団体から批判が相次いでいます。なんのための平和教教育かと。ロシアが再三、核兵器を使うと脅し、米国では映画をめぐって原爆をやゆする映像がSNSで拡散。核なき世界の歩みに逆行する動きがあるなか、きょう78回目の8月6日をむかえます。伝承者は呼びかけます。「次の世代によりよい世界を渡さなければ。私たちの活動は平和への種まきなんです」。」(6日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私たちが生まれたのは昭和27年だったので、まだ原爆の悲惨さは伝わっていました。それでも初めて広島を訪れた30代の頃、原爆ドームの近くにアベック(古いな)がたむろしている姿を見て、複雑な気がしました。また、広島の同僚が被爆2世と聞き、身近に被爆された方がいるのだなあと感じました。さて、同時に今日から甲子園で夏の高校野球大会が開かれます。今年も盛り上がるでしょうが、夏の暑さが異常なだけ、体調には気を付けて欲しいものです。「写真は、玄関先で見つけたカマキリですが、少し元気がなさそうです」
みなさん、お元気ですか?
2023/08/03
「信仰とは、戦争とは人間の善悪0とはー。第2次大戦前に留学した日本人の神学生を主人公に、人びとの心の変化を描いた戯曲「善人たち」。遠藤周作の未発表作品です。きょうから劇団民藝が初演します。1970年代後半に書かれたそうですが、現在に通じる問題も背景に。差別や格差をえぐりだしながら、憎しみの感情はどこから生まれてくるのか、ほんとうの人間愛とは何かを問いかけてきます。「善人たち」を含む3本の戯曲は2年前に長崎市の遠藤周作文学館で見つかりました。いまそこで、生誕100年の企画展「100歳の遠藤周作に出会う」が催されています。生涯や作品をたどることで遠藤文学の魅力を次の世代につなごうと。文学館がたたずむ外海(そとめ)の地域はキリシタンの里と呼ばれ、小説『沈黙』の舞台となった場所です。戦争中に育った遠藤は「自分の生き方や思想・信念を暴力によって歪(ゆが)められざるをえなかった人間の気持」を小説のスタート地点としました(『沈黙の声』)。「母親が私に着せてくれた洋服」と表現したキリスト教との葛藤。魂の救済や弱者に目をむけながら、人間の悲しみや苦しみによりそい、生きることに思い悩む人びとへの救いを追い求馬ました。「小説家は迷いに迷っている人間なんです。暗闇の中で迷いながら、手探りで少しでも人生の謎に迫っていきたいと小説を書いているのです」(『人生の踏絵』)。展示された言葉から、背負い続けた作者の苦悩と味わい深さが伝わってきます。」(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私も若かりし頃、遠藤周作の作品を読み漁りました。ほのぼのとした作品が多かったのですが、「沈黙」は今までにない作風でした。キリシタンというだけで、時の政府(徳川時代〜明治時代)から迫害を受け、山口県に幽閉されてしまう事です。遠藤周作氏は、高島市・マキノ町に度々訪れていて、その料亭に「狐狸庵」と名前を付けたそうです。さて、相変わらず暑い日が続いていますが、みなさんおお元気ですか?ここまで暑くなると、日中は外出するのは危険な状態でクーラーのある部屋でじっとしているのが正解ですね。「写真は、新旭町・深溝地区にある用水路に咲く「梅花藻」です]
今日で7月も終りですね。
2023/07/31
「1人暮らしの弟 けがで即入院」(新潟県・阿賀町 神田さかえ(73歳))「先日、実家で1人暮らしをしている弟が仕事中にけがをして救急車で運ばれ、そのまま入院となりました。背中の骨がつぶれているとのこと。治るまで何カ月もかかるという診断でした。中学卒業と同時に職人の世界に入り、60年近く仕事を全うしてきました。町の中で車ですれちがったり電話をかけてくる時の元気な声が聞けず、寂しい限りです。大学病院で面会も許されず、不自由な日々を送っているのではと、不安も募ります。一日も早く元気になって退院することを願ってやみません。」(31日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)この投書から読み取れるのは、弟思いの姉の気持ちですね。家の嫁さんも長女ですので、いまだに家族の事を気にしています。さて、7月も今日で終わりますが、暑さだけが記憶にに残る日々でした。8月も暑さが続きそうですが、お盆を過ぎると涼しくなるのではと期待しています。「写真は、越前市・しきぶ温泉「湯楽里」に展示されたしろくまと、紫式部の人形です」
ここ、安曇川でも36℃になりました。
2023/07/28
「民主主義否定 暴言打ち破る」(大阪府 若葉 萌(62歳)「日本維新の会の馬場伸幸代表が23日、インターネット番組で日本共産党について「日本からいなくなったらいい政党」などと発言しました。怒りを持って抗議し、発言の撤回を求めます。私は日本共産党が戦前から戦争反対を唱え続けている唯一の党であることに共感し党員になりました。私なりに平和と暮らしを守り発展させるために尽力してきたつもりです。同じ思いの党員は約26万人みいます。番場氏の発言は私を含め党員、後援会員、支持されている皆さんの存在を否定する、まさしく民主主義の否定です。先日、映画「教育と愛国」を見ました。政権による教育介入の恐ろしさを痛感しました。威信が自民党の先兵の役割を果たしていることもよく分かりました。威信に都合が悪いからと共産党の存在を否定するなどあってはならないことです。デマと分断で支持を集める維新の手法を、みんなの怒り、市民との共闘で打ち破りましょう。」(28日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)「維新・番場代表暴言は民主主義否定」と赤旗では各界から批判談話が掲載されています。そもそも、この発言がなぜ起きたのか、維新のおごりなのか真意は分かりません。ただ、相手が気に入らないと無くなればよいと言うのはどうでしょうか?プロ野球で熱烈な阪神ファンである私ですが、巨人が、広島が、横浜が、ヤクルトが、中日が無くなれば良いとは決して思いはしません。相手があるから野球が出来るので、いなくなれば野球そのものが出来なくなります。さて、毎日暑い日が続きますが、なんと昨日、高島市でも36℃を記録し、夕方のニュースにもなりました。「え〜っ、ウソやろう?」と真っ先に思いましたが、同じ日に大津市が37℃と聞いて納得しました。みなさん、熱中症にはくれぐれもきおつけましょう!「写真は、越前市・しきぶ温泉「湯楽里」の館内です」
今日は天神祭りですね。
2023/07/25
「わが家の菜園自慢」「半白キュウリの収穫が始まりました。実生(みしょう)の苗を1年だけ休ませた畝に飢えたのですが、連作障害もなく育ちました。毎年4月下旬には植えるのですが、今年は5月中旬に遅らせたのがよかったのでしょうか。今年はキュウリの育ちが悪いなどという声も聞きますが、わが家に限ってはうどん粉病もなく、うまくいっております。半白キュウリは、とげが固いうえに痛みやすいので、スーパなどにはあまり出回っていません。でも私は、これのぬか漬けが大好きです。妻は四葉(すうよう)系のキュウリが好きなので、それも飢えています。少し個性的なキュウリを味わえるのが家庭菜園の一番の利点です。(京都府精華町 長谷川喜八 76歳)(25日付しんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)ここ安曇川でも、家庭菜園をする人が多く、競って設備の投資をする方もいます。私の父も、晩年はy差し作りに夢中で、農家の方に褒められることも、あったようです。それに比べ、私は家庭菜園などに興味はなく、作る喜びも知りません。さて、今日は、天神祭りの本番で、町中をだんじりが走っていました。サラーリマン時代は、天満橋の松坂屋のビヤガーデンでよく飲み会をしました。あれから、十数年、いまも懐かしい思い出になっています。「写真は、敦賀市・鞠山海釣り公園ですが、夏真っ最中の太陽が照り付けていました」
梅雨明けと秋風が吹く?
2023/07/22
「寝たっきり半年 姉の「生」とは 東京・府中市 遠藤 幹子(79歳)「「生き続けるって?」。ふっとそんな思いが脳裏をかすめました。姉が救急車で運ばれてから半年がたちました。倒れてから6、7時間たったのでしょうか。命は取りとめたものの、いまだにしゃべることも食べることもできません。点滴で生きています。「目を開けて」の声掛けにやっとではありますが目が開きます。現状維持が精いっぱい。今後は徐々に衰えが進むようです。「女性の平均寿命に達していますからね」という医者の言葉はショックでした。5、6カ月しかいられないリハビリ病院でしたが、退院(転院)が不可能な状態の患者ということでしょうか、入院が続いています。ある意味感謝しなければいけないのだろうとは思いますが。ベッドの姉はどう思っているのでしょう。生あるうちは面会に通うと思いますが切ないですねぇ。」(22日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)最近、この様な切実な話が、投稿されるケースが増えています。このお姉さんの場合、どうすれば最適なのか判断が出来ませんが、日本の医療制度の限界を感じます。私の場合も、1カ月毎に8,9万円の医療費の請求が来ましたが、もし払えないとなれば退院させられるのでしょうか?さて、梅雨が開けた途端に、朝夕の風は爽やかになり、どこか早くも秋の気配すら感じられます。先ほども、店の玄関に息も絶え絶えのセミが横たわっていました。まだ、セミの鳴き声さえ聞いていないのに、この暑さで、参ってしまったのでしょうか?「写真は、四津川地区・三和漁港の夏の景色です」
まだ、梅雨が明けませんね。
2023/07/19
「ことし3社目また派遣切り」長野・茅野市 柏木 秀夫(55歳)「今年1月に約4年間働いたA社を派遣切りに遭い、同24日からB社が量産体制になり、派遣受け入れで就業しました。しかし量産が見込めないため、3カ月後の4月末で派遣切りとなりました。5月10日からC社に派遣で就業しましたが、同23日、就業中に転倒して右足大腿(だいたい)骨にひびが入り、2カ月間の休業を余儀なくされました。労災が認められ補償を受けている時に、突然、派遣会社から契約の打ち切りを言い渡されました。7月から無保険になり国保に加入しましたが、完治したら連絡するように言われました。冬にかけてC社の量産で、また派遣の紹介できるとのことですが、年が明けて半年後にはまた、派遣切りになります。大企業は内部留保を吐き出して、私たちのように派遣で苦しんでいる庶民には」社会保障を拡充してもらいたいです。」(19日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)本当に絵にかいたような、派遣で採用され、また派遣切りに遭うなんて信じられません。私たちの時代、社員は正社員が当たり前で、派遣なんて会社の都合の良い職種はありませんでした。この方もスキルを上げて、派遣から逃れてほしいものです。さて、梅雨が明けそうで明けない日が続いていますが、7月にこの高温になるとは、想像もつきませんでした。これから、8月に入るとどうなるのか、想像はしたくありありませんね。「写真は、久しぶりに訪れた四津川地区・三和漁港ですが、連休中と言うこともあり、子どもの姿が多かったです」
党創立101年の記念の月。
2023/07/15
「7月15日、日本共産党は党創立101年の記念の日を迎えました。この101年間は、党が躍進した時期も、困難に直面した時期もさまざまですが、党にとって順風満帆な時期はひと時としてありません。古い政治にしがみつこうとする勢力から、つねにさまざまな非難や攻撃にさらされ、それを打ち破りながら前途を開くー開拓と奮闘の101年でした。日本共産党は、1922年の党創立のはじめから、天皇制権力による繰り返しの弾圧をうけ、命がけでそれに抗しながら、反戦平和と国民主権の旗を掲げ続けました。いま「しんぶん赤旗」として親しまれている機関紙の前進となる「赤旗(せっき)」を発行し、工場で、地域で、農村で、さらに軍隊のなかでも、国民と結びつき、その苦難軽減のために奮闘しました。弾圧のために、一時期、党の中央の活動が壊されましたが、次の時代を準備するたたかいは続きました。そして私たちのたたかいは、戦後の日本国憲法に「主権在民」「恒久平和」が書き込まれたことで大きく実を結びました。多くの先輩たちが弾圧の犠牲になりましたが、民主主義日本に道を開いた不屈の奮闘は、私たちの大きな誇りです。」(15日付しんぶん赤旗「1面」より)私も、不良党員ですが先頭を走るわけではなく、いつも一番後ろからついてゆくだけです。党の壮大な思いとはうらはらに、今日を過ごすのがやっとです。今後も、ぼちぼちついて行こうと思いますが、それではダメと言われそうです。さて、今日か明日にも梅雨明けが発表されそうで、これから夏本番ですね。テレビでは、連日、京都の祇園祭が放送されていますす。そう言えば、音羽病院で看護師希望の学生さんが、浴衣姿でデートすると私に語ってくれましたが、デート上手く行くと良いなあと思っています。「写真は、もうすっかり夏景色になった高島町・横山地区の景色です」
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