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関東は雪でマヒしています。
2024/02/06

「うおっ うまい」「マイワシが年明け以降、三陸や千賀健沖の太平洋で豊漁となっています。冬の海の冷たさに耐えるため「身に脂がたっぷり乗った上質魚が多い」(東京の卸会社)と好評で、店頭でも人気を集めています。三陸沖では1月上旬以降、巻き網漁などでマイワシの水揚げが活発化しています。岩手県の大船渡や、宮城県の気仙沼、石巻、女川など三陸の主要港合計の、1月の水揚げ量は約1万4000d。豊漁だった昨年より2割増加しました。イワシ類の扱いでは国内屈指の千葉県銚子港でも、同月の水揚げ量は1万7700dと2割以上増えました。豊漁を受け、東京・豊洲市場(江東区)には1匹が20a前後の比較的大きなサイズが潤沢に入荷。1月下旬の卸値は1`当たり400円前後と、前年の同時期より1〜2割安くなりました。寒の時期だけに品質の評価が高く「寒ブリやマグロのトロ並みに脂が乗っている」と豊洲の仲卸業者も太鼓判を押します。旬とされる、産卵期前で身に栄養を蓄えている梅雨時の「入梅イワシ」に匹敵するとの声も上がっています。1月下旬の首都圏の量販店の店頭価格は、1匹当たり80〜150円で昨年の同時期よりやや安め。2月に入ってからも各地のイワシ漁は好調。海水温が一年で一番低くなる3月上旬ごろまでは、脂の乗った上質なマイワシが食べられそうです。」(6日付しんぶん赤旗「経済・政治総合」ノページより)最近は魚離れが進んでいて、我が家でも魚料理はおとんど食卓に上がりません。昔は食事の準備にもっと時間をかけた気がしますが、主婦が忙し過ぎるのでしょうか?さて、昨日は一月に一度の病院の健診を受けて来ました。血糖値はかなり下がってOKでしたが、血圧が高いので塩分を控えめにと言われました。私の人生で血圧が高いと言われたのは初めてで、早速毎朝と、夜に血圧計とにらめっこです。「写真は、高島町にある大溝港ですが、人気もなく静まり返っていました」

今日は節分ですね。
2024/02/03

「劣悪な避難所わがことです」
 大阪市 實 徳左(78歳)
「元旦のだんらんを切りさいた能登半島地震。その後の報道は被害の大きさと、被災者の悲惨な状況を伝えるばかり。避難所となる施設の劣悪さ、水なし、食べものなし、トイレなし等の不備、言葉をはばかる状況に涙せずにはおれません。これは能登半島に限ってのことではありません。いつどこで起きるか分からない災害、明日はわが身と思い、支援募金に応じます。災害時に避難所となる学校施設の整備を日頃から進めてもらいたい。学校施設は、地域住民の共有財産です。未来へ引き継ぐべきのものです。」
「車椅子専用の駐車場なのに」
 横浜市 重松 節子(65歳)
「月に2回ほど、あるスーパーを利用しています。車椅子なので、事業所のヘルパーさんと、リフト付きの車で行きます。毎回、駐車場に止められるかが、不安です。先日、暮れの一番混む時間に行ったら、久しぶりに空いていました。いつも、隣には格好良い車が、止まっています。空いていると、ラッキーなんだと思い、年末のガラガラの抽選券が当たった気分になり、楽しい買い物ができました。車椅子専用駐車場は、本当に歩行の困難な人が利用するスレースなので、一般の人は他の駐車場に止めてほしいです。」
(3日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登半島地震の現状を見ていると、だんだんと被害の大きさに絶句してしまいます。復興と言っても1年や2年では難しく、残念ながら10年単位の時間が必要でしょう。その間、被災者はどう生き延びるか考えなくてはなりません。さて、今日は節分ですが、朝に嫁さんに「ぜいたくな巻きずし買って来てや」と頼んでおきました。もっとも実行されるかどうか疑わしいものですが。「写真は、安曇川町・藤江地区に渡って給餌中のコハクチョウです」

色々あった1月も終わりですね。
2024/01/31

「松尾芭蕉の「おくのほそ道」には歌枕となった主な目的地がありました。当時、松島と並ぶ景勝地といわれた秋田の象潟(きさかた)もその一つ。芭蕉は「松島は笑ふがごとく象潟はうらむがごとし」と例えました。かつて潟湖(せきこ)に「九十九島」が浮かんでいた象潟。しかし1804年の大地震によって湖底が隆起。いまは陸地となり、島々は田園の中に転々と見える松の茂る小丘に変わっています。海底断層が集中する日本海沿岸はその後もたびたび大きな地震に見舞われてきました。近年は沿岸東部で約10年から20年間隔で甚大な被害をともなう地震が相次いでいます。その延長線上で起きたのが、今回の能登半島地震です。石川県珠洲市の日本海に浮かんでいた名物「ゴジラ岩」。地盤の隆起で陸続きとなり、輪島の漁港は干上がって漁に出られない状態に。千年に一度の規模ともいわれる地震は海底が露出するなど広範囲で地形の変化をもたらしています。国交省や内閣府は2013年に「日本海における大規模地震に関する調査検討会」を設置。過去の地震や津波を調べ専門家の分析も加えています。そうした検討や歴史の教訓が生かされているとは、到底いえない現状があります。岸田首相の施政方針は言い訳とやったことに終始しました。その目には犠牲になった人びとや、いまも厳しい避難生活のさなかにいる被災者の姿は映っているのか。元旦の震災からあすで1カ月。国民の命と安全をおろそかにしてきた国の怠慢が、いっそう迫ってきます。」(31日付しんぶん赤旗「潮流」より)1月もあっと言うまに終り、元旦の震災から一月が過ぎようとしています。テレビを見ていると、まだまだ困難な生活が続いています。余談ですが、念のためわが家が加入している保険は大丈夫か電話で問い合わせました。それでも地震は火災の半額しか出ないとの事で、もし地震が来たら再建はむつかしいと思いました。さて、イオネットでWI−HIの手続きをしたところパソコンが動かなくなり、友人に頼んで解決に至りました。もはや、アナログ人間の私には何もかも難し過ぎて理解が出来ません。「写真は、雪が消えた店の近所の光景です」

雪から雨に変わりました。
2024/01/28

「どんな問題でも当事者の話を聞くことが大切です。不登校の子どもを支える活動をしているNPO法人が、不登校当事者とその保護者に対するアンケート結果を公表しました。「学校に行きづらくなったきっかけは?」の問いに子どもたちはこう答えています。「全部先生が決めて、自分では選べないのがいや。席も自分で選べないので、苦手な人ばかりの席になってこわかった」(10歳)「つまんないし、ずっといすに座っているのがいやだった。怒っている先生を見て、怒られないように気をつけるのがいやだった」(8歳)。保護者からはこんな声も。「学校が忙しすぎる。分刻みのスケジュールで休み時間も着替えや移動に追われ、トイレに行くのがやっと。とにかく急がされるので子どもが疲弊している。先生が忙し過ぎてその大変さが子どもに伝わる」(小4から不登校の子の母)。不登校の小中学生は30万人近く。「さぼっている」「親がきちんとしつけないから」といった偏見もいまだにあります。アンケートで不登校の子どもが求めることの弟1位は「不登校への偏見をなくしてほしい」でした。不登校の直接の要因はさまざま。子どもに丁寧に寄り添って考えることが重要です。同時に、当事者の声からは問題の背景にある競争の激しい社会や教育、子どもの人権が守られていない現実が見えてきます。アンケートには「学校が変わってほしい」という声も多く寄せられました。教育政策を変えることも含め幅広い議論が必要です。」(26日付しんぶん赤旗「潮流」より)いつの間に不登校の問題がこんなに大きくなったのだろうか?私たちの時代には、ほとんど不登校など存在せず、いやいやでも学校に行っていました。もっとも、すべてがゆったりとしていて、急がされることもなかったと思います。さて、積雪30aとなった大雪ですが、翌25日から雨になり、ほとんど消えてしまいました。あとは、空き地や屋根に残るくらいで生活は普通に戻りつつあります。「写真は、25日の朝の近所の雪景色ですが、重い雪で苦労しました」

積雪は30aとなりました。
2024/01/25

「わがまち ふるさと」「三重県鈴鹿市」「鈴鹿市は1942年末、軍事施設を造る目的で2町12村が合併して市になった、特異な歴史を持っています。戦後、その広大な軍事地跡にホンダなどの企業を誘致して発展し、現在人口20万人。F1レースの鈴鹿サーキットや、鈴鹿山脈などで名前が知られています。近鉄特急が停車する「白子」(しろこ)の街は、港を中心に江戸時代から栄えた歴史を持ち「伊勢型紙」で全国に名を知られていました。型紙は和服のの文様の元となるデザインを和紙に彫ったもので、全国に販路を広げ、100軒以上の「型屋」の下に大勢の職人が腕を競いました。戦後は型紙の需要も減りましたが、今も大相撲の呼び出しさんの衣装などに使われ、白子の伝統産業会館や伊勢型紙資料館では、作品の展示や職人さんの実演も見られます。白子の港には「大黒屋光太夫」出帆の地の記念碑があります。光太夫は1782年、江戸への貨物を運ぶ回船の船頭として白子港を出港、嵐に遭いロシア領に漂着。首都ベテルブルグでは女帝エカテリーナ2世に謁見(えっけん)し1792年帰国、江戸で将軍徳川家斉にロシアでの見聞を報告しました。その数奇な運命をたどった物語は、小説や映画にもなり、白子の隣町・若松には光太夫の記念館があります。(石田秀三市議)」(25日付しんぶん赤旗「地方・総合ノページ」より)鈴鹿市には何度か訪れたことがありますが、一番思い出に残っているのは会社の「テニス同好会」での合宿です。メンバーに鈴鹿サーキットに勤めている姉がいて、優先的に利用出来ました。「テニス同好会」とは名ばかりで、夕食後の宴会が楽しみで夜通し飲み明かしたことがあります。また、長男が幼稚園児の頃、車の運転を初めてなのに上手にしたので親が感心したことを思い出されます。さて、24日の朝から降り出した雪は、一日中降り続き25日の朝には30aの積雪になりました。久しぶりに雪かきをしましたが、車を掘り出す?のに1時間はかかりました。皆さんの合言葉は「こんなに降ると思わなかった」です。「写真は、25日の朝の近所の豪雪の?様子です」

火曜日から大雪の予報です。
2024/01/22

「電話で聞いた実家の能登町」
 相模原市 船見 栄子(70歳)
「実家は石川県能登町です。15日に電話で聞いた話。神野公民館(山奥)には40人ほど避難。断水で衛生状態が悪く、お風呂に入れません。着替えは家から持ち出せるが、汚れたものは車に積んだまま。食事はおにぎり1個、みそ汁1杯です。自衛隊が各地区に1カ所お風呂を設置。能登町の党員の友達が行くと、寒い中2、3時間も待たされ、彼女が自衛隊員に「男風呂はガラガラですよ。男風呂を1時間だけ閉鎖して女風呂を2カ所にすれば、おばあちゃんたちが寒い中並ばなくてもよくなる」と提案。翌日大きなテントが張られ、中ははストーブで暖かくなっていて待ち時間過ごせたと。私は電話で知り合いに「行ってみるといいよ」と伝えました。能登町の珠洲市に近い避難所の党員の方。自宅が片付いた方々は自宅に戻ったり、金沢に避難したりして人数が減り、残ったのは1人暮らしのおばあちゃん方。党員はこのおばあちゃん方を放っておけないと、避難所に残ったそうです。」
「正月もバイトパートの苦労」
 東京都 村田 健介(会社員 41歳)
「仕事始め日にパートさんたちに「のんびりできましたか?」とたずねると、意外な答え。「年末年始は短期アルバイトにいっていた」多くの会社務めの人にとっては、年末年始は羽を伸ばす期間である。だが、非正規であるパートさんたち、日給月給制の彼女たちにとって、お正月は収入が減る時期でもあるのだ。アルバイト募集の広告を見ても、確かに賃金は上がっている。だが「生活が豊かになった」という話はほとんど聞かない。それどころかお正月期間にも休めず、臨時アルバイトに出る状態だ。政府のいう「デフレ脱却」をむなしく感じた。」
(22日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登地震の影響は、日が経つにつれて深刻さが見えて来ました。これだけの被害が起きると復旧までどれくらいかかるのか、そもそも元に戻るのか、戻っても住民が住み続ける人がいるのかなど考えてしまいます。さて、明日の夜から明後日まで大雪の予報が出ています。今年は暖冬なので大したことはないと思っていますが、例年最も雪が降る時期なので覚悟は必要です。「写真は、3日に久しぶりに行った岐阜県・揖斐川町「藤橋の湯」です)

美浜再稼働に抗議。
2024/01/19

「運転開始から47年以上たつ老朽化した関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)が18日に再稼働を強行されました。「老朽原発うごかすな!実行委員会」の主催でデモ行進し、「美浜原発のの再稼働許さない」「老朽原発今すぐとめろ」と声を上げ、関電に申し入れを行いました。能登半島地震で北陸電力志賀原発(石川県志賀町)は外部電源の一部喪失や変圧器トラブル、一部で想定を超える揺れの観測などがあり、周辺の18カ所のモニタリングポストも故障しました。しかし関電は本震後も福井県内で原発4基を運転し続けており、今回さらに1基再稼働です。実行委員会は「志賀原発、(東京電力)柏崎刈羽原発の再稼働を食い止めていたことが原発過酷事故の再発を回避させたとも言える」として世論と運動の意義を強調し、関電の今回の再稼働を「住民の安全などを無視した暴挙だ」と厳しく批判しています。美浜3号機をめぐって、住民らは運転禁止仮処分申し立てを福井地裁に行っています。3月に決定が出ます。」(19日付しんぶん赤旗「社会」欄より)原発の電気が送られてきたのは、1970年の「万博」の開催中でした。その時、たまたま会場にいた私は、電光掲示板に表示された文字を見て驚いたことを覚えています。美浜町には何度も訪れていますが、年々過疎化が進み小中学校も無くなりました。もし原発が無かったら、観光や魚業で栄えていたかもしれません。さて、暖冬というわけではありませんが、まだ積雪は1a程度が2回あっただけで、本当に楽な冬になっています。「写真は、久しぶりに積もった?雪景色に感動しました」

志賀原発2`の集落。
2024/01/16

「北陸電力志賀原発からおよそ2`の距離にある石川県志賀町の福浦集落。日本最古の木造灯台が現存する港町です。震災で瓦屋根がはがれ落ちた家屋や支柱にヒビが入るなどの被害を受けました。断水で住民らは、生活用水を井戸水で賄うほか、飲料水は給水所へ取りに行くなど不便な生活が続いています。」「家の支柱や土台にヒビが入り、傾いたと語る開(ひらき)郁代さん(64)。揺れの恐怖から落ち着いてきたいま、原発への影響が気になり始めたといいます。原発事故で被害を受けることは「もうあきらめている」と語ります。一方、志賀原発で過酷事故が起きた場合の避難計画で避難先が半島北東部の能登町となっていることに「金沢市のほうが近いのに」と不安を募らせます。「より避難しにくい場所に行かなければならないことには不満もある。でも従うしかないのかなと思っている」地震の揺れで「家がつぶれる」と恐怖を感じたと話す新聞配達員の女性(51)。避難するのに精いっぱいで原発のことは考えられなかったと振り返ります。ただ、事故が起きた場合に使う道路が今回の震災で寸断されている状況に「不安だ」と語ります。能登半島地震は、原子力防災の問題を改めて浮き彫りにしました。北陸電力志賀原発の防災訓練の監視行動を続けている原発問題住民運動石川県連絡センター事務局長の児玉一八氏は、「今回の地震で避難は不可能だという私たちの指摘が実証されてしまった」と話します。」(16日付しんぶん赤旗「社会」欄より)もう、20年ほどまえになりますが、私も志賀原発を見て来ました。原発の立地地はどこも同じですが、この志賀町ものどかな海が広がる静かな所です。こんな所になにも原発を作らなくてもと思いましたが、それは若狭湾にある原発立地も感じる事です。さて、気が付いたら1月も半分が終わり、もはや普通の生活になりつつあります。今朝は、積雪1a?という雪でしたが、すぐに解けてしまいそうです。「写真は、前進座の舞台挨拶と京都劇場の入り口の風景です」

今晩から雪の予報です。
2024/01/13

「「能登はやさしや土までも」。古くから伝わる言葉は、人はもとより風土までも素朴でやさしい土地柄を表しています。この地域の伝統工芸、輪島塗には欠かせないものがあります。下地塗の際に漆と混ぜて使う「地(じ)の粉(こ)」です。地層からほりだした珪藻土(けいそうど)をよく練り、天日干しの後におがくずを混ぜ蒸し焼きにしたもの。それが堅牢(けんろう)優美といわれる特長を生み出してきました。輪島塗にはいくつもの工程があり、たくさんの職人がかかわっています。人の手がつながり、支えあって発展してきた地場産業。しかし今回の地震で多くが被害にあい、平安時代から続くとされる朝市も火事で焼失。地元からは「輪島の文化が消えてしまった」と嘆く声も聞こえます。被災地では仮説住宅づくりが始まりましたが、主な産業や観光業が大打撃をうけた中での生業(なりわい)と街の復興の道すじは・・・。現地に入った共産党の小池書記局長は「迅速で長期的な直接支援が必要」と訴えます。もともと能登地域は過疎と高齢化が切実な問題となっていました。そのうえ平成の大合併で行政の職員が減らされ、学校など公共機関の統廃合が進められてきました。これまで冷たく地方を切り捨ててきた自民党政治が、被害をいっそう深刻にしています。きょうから大学入学の共通テストが実施されます。被災地からも受験生が教員や保護者に見送られ、試験会場に向かっていました。困難と不安の中でも、夢と希望をもちながら。将来への思いを生かすのは政治の責任です。」(13日付しんぶん赤旗「潮流」より)現地では仮説住宅の建設が始まりましたが、土地がないとかで津波危険区域になるとか。これでは移転しても安心できませんので、高台に造成してでも場所の選択をしてほしいものです。さて、滋賀県北部に久しぶりに「雪マーク」が出て、今晩から雪になる予報です。まあ、たしたことはないと思うのですが、万が一に備え準備は万全です。「写真は、6日に京都劇場で行われた「前進座」の公演での舞台挨拶です」

今年の初雪が降りました。
2024/01/10

「「初動が遅い」。能登半島地震への岸田政権の対応をめぐり、こんな声が上がっています。2016年の熊本地震では、発生から5日で自衛隊は2万2千人規模になりましたが、今回は9日目で6300人。避難所では食事がパン1個という状況が続き、多くの安否不明者も残されています。「政府は何をやっているのか」という批判も理解できます。今回の震災対応を困難にしているのは「陸の孤島」といわれる能登半島の地理的要因です。一本の道がふさがれば、どこにも行けない。石川県によれば、8日時点で能登地方の24地区3300人が道路の寸断で孤立状態にあるといいます。発生当初は、道路の寸断はさらに広範囲におよび、元日で休暇中だった自治体職員の多くが出勤できなくなりました。こうした要因が、捜索や被災者支援に困難をもたらしたと思われます。自衛隊の規模をめぐっては、熊本地震と単純比較はできません。それでも、もっとできるのでは。例えば、陸路が困難なら空路=ヘリをもっと活用できないのか。そんななか、防衛省は7日、千葉県の習志野演習場で、降下訓練を予定通り実施し、多くのヘリを戦闘訓練に投入しました。救援物資を積めるであろうヘリから降りてきたのは、銃を持った自衛隊員・・・。違和感を覚えたのは筆者だけでしょうか。「初動が遅い」という批判の根底には、岸田政権に対する国民の信頼の喪失があります。命を助けること、助かった命を守りぬくことは政府の責任です。」(10日付しんぶん赤旗「潮流」より)毎日テレビを見るたびに、地震の被害の深刻さが伝わって来ます。これから寒くなる能登半島ですが、まず自身の健康に留意してほしいものです。さて、7日の夜から降った雪は、8日の朝には5aの積雪になっていました。まず玄関前と車の周りの除雪?を行いましたが、数分で終わりました。これからが冬本番ですが、暖冬といわれているので雪は少ない方がありがたいです。「写真は、8日の朝に積もった近所の雪景色です」

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