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懐かしい雰囲気の日野駅。
2010/06/12

日野町には「日野牛の岡崎」には昼食の為に何度も立ち寄ったのですが、あまりゆっくりと街を見て回った事はありませんでした。日野町を走っている唯一の鉄道と言えば「近江鉄道」で、一度はどんな駅か見たいと前から思っていました。「近江鉄道」は北は米原駅から八日市を経由して終点の貴生川駅(きぶかわ)でJR草津線と信楽高原鉄道に連絡しています。旧街道らしき狭い道を走って行くと駅前広場らしき所に出ますが、小さくて古びた駅舎が建っていました。偶然、一両編成の電車も停車中で、乗って来たと思われる乗客が2〜3人降りて来られました。自動券売機や自動改札機などとは縁のない、まさに数十年前の光景で「暗い待合室〜」と演歌にでも出て来そうな雰囲気です。かっては賑やかだったと思われる駅前商店街が、今ではシャッター通りになっていて侘びしく感じられました。今度機会があれば、是非乗ってみたいなと思う鉄道オタクの私の気持ちです。さて、今年はなかなかホタルが見つからないなと思っていましたが、昨夜初めて空を舞う姿を見つける事が出来ました。(写真は、近江鉄道の日野駅と駅舎内と停車中の電車です)

河内(かわち)の風穴(ふうけつ)。
2010/06/10

彦根市から国道307号線を多賀大社に向かって走ると、途中に「河内の風穴」の看板が見えます。この国道は何度も走っているのですが、いつも通り過ぎるだけでなかなか「河内の風穴」に立ち寄る機会はありませんでした。今回も通り過ぎようとしましたら、嫁さんが「今日は時間があるし、行ってみよう」と言う事になりました。国道から7`bほど山間部に入って行くのですが、道は所々で狭くなり前から車が来ると離合出来ないような状態です。「神秘の世界へようこそ」滋賀県指定・天然記念物「河内の風穴」「天然記念物に指定されている河内風穴は霊仙山塊のカルスト地帯に発生した鍾乳洞風穴で内部が4層にわかれており、無数の小鍾乳石が石灰岩をかざっており、神秘的で、年中12度の温度の涼味とスリルが味わえます。総面積約1,500uの岩壁は、巨大な石灰岩で出来ています。昔・村人が4匹の犬を河内に入れ入り口をふさいだところ、1匹は死に残り3匹は伊勢市に出たと伝えられています。」(入場券より)入り口まで徒歩で5分とお訊きしましたが、渓谷沿いに狭くて急な階段を登らなくてはならず、入り口に到着した時点で息が上がっていました。また、内部もあちらこちらで狭くなっており、2度も頭を打ちました。体力の限界だったので、最後まで行けませんでしたがなかなか壮大な風景でした。戻ってから駐車場のおばさんに「鍾乳石などありませんでしたが?」とお訊きすると、「一番の奥に、水深10bほどの池があり、そこにはあるそうですが、探検隊しか見てないそうです」「手前の方は、多分昔に盗掘にでもあったのでしょうね」とのお話でした。それにしても、こんな山奥が、その昔海の底だったとはなかなか信じられません。そう言えば、伊吹山も石灰岩の山ですから、地球の活動は凄かったのですね。ちなみの、「河内の風穴」への入場料は、一人500円と駐車場代が400円かかります。(写真は、河内の風穴の狭い入り口とその内部です)

鳩山さんから菅さんへ。
2010/06/04

「南アフリカで開かれるサッカー・ワールドカップまで、あと一週間。アフリカ大陸で初めての大会です。先ごろ、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の常任理事、高林敏之さんの話を聞く機会がありました。興味深い事実を教わるうちに、いかにアフリカを知らないか恥じ入ったしだいです。たとえば、なにげなく書いたり話したりする「族」という言葉です。ツチ族とかフツ族。高林さんによれば、アフリカを植民地にしたヨーロッパ列強が、住民を一方的に「部族」と定めました。列強は、アフリカ大陸に縦横斜めの線を引き国境を決めます。白人支配の「国」の内外に住むさまざまな集団を、「国」を形作る「民族」の域に達しない「部族」と見下しました。そんな訳で、人口が一千万もの「部族」もいます。高林さんは”部族とは民族”という説をとっています。高林さんは、アフリカの変化に注目するよう促します。ツチとフツの悲惨な紛争に終止符を打ったルワンダの、国会議員の56%が女性。世界一高い割合です。女性の国会議員の多い上位50ヵ国のうち、アフリカが14ヵ国を占めます。日本は、95位にすぎません。昨年、アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)が発効しました。02年に発足し地域協力を進めるアフリカ連合(AU)は、紛争の平和解決の追求や民主的な国連改革の提言などで、存在感を示しつつあります。貧困はいぜん深刻で紛争も残りますが、日本がアフリカから学ぶことは多いようです。」(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)ところで、鳩山内閣は、わずか8カ月半の短命に終わりました。これといった成果もなく、「お子様手当」だけが遺産でしょうか?今度の菅さんも、年内まで持つとも思えませんが、取りあえずお手並み拝見としましょうか。(写真は、一台何百万はする高価な農機と、玄関に咲いたしゃくなげ?の花です)

あっという間に6月ですね。
2010/06/01

今日は、少し暑く感じる位に気温が上がり25℃までになりましたが、本来なら衣替えの時期で半袖を着るはずですね。とてもそんな服装では寒く感じるので、未だに長袖にベストを着て過ごしています。この気温のせいか、5月に植えた苗が育たずあまり成長していないような気がします。また、雨が多かったせいか琵琶湖の水位も高く、船着き場の堤防が低く感じられます。昨日は、時々飲みに行っていた知り合いが亡くなりましたて、少し落ち込んでいます。癌との1年以上に及ぶ闘病生活でしたが、まだまだ64歳という若さでした。(合掌)さて、最近は遠出をしないので書くネタに困っていて、どうしても間隔が空いてしまいます。こんな田舎の町?ですから、早起きして探すのですがそんなに一大事は起きるはずもありません。町の人々の会話の中心は「平和堂が移転したけど、もう見に行ったか?」とごくごく平凡な話です。さて、今年の「阪神タイガース」は、期待したら負けが込み、もうあかんなと思えば連勝するという具合ですね。(毎年そうかな?)そろそろ、一度甲子園に足を運びたいと思っています。(写真は、一面に広がる水田と、溢れるような琵琶湖の水位です)

三宅・島外避難解除から5年。
2010/02/02

「都心から南に160`離れた東京都三宅島(三宅村)火山噴火による全島民への島外避難指示(2000年)が解除(05年)、1日で5年がたちました。島の中央にそびえたつ雄山(おやま)は有害な火山ガス(二酸化硫黄)をいまも噴出しています。ガス濃度が高い坪田地区の住民は帰島後、立ち入りはできても、居住が認められていません。「私はいまも避難民ですよ」。木村光江さん(80)の声が悲しみに震えます。現在は島の別地区の村営住宅で暮らしています。島外避難までは、坪田地区で食堂とマージャン店を営んでいました。「三池港のすぐ前に店があり、船を待つお客がたくさん来てくれました」。60万円かけて新品の卓上マージャン機を導入したのは噴火の2カ月前。島外避難中、帰島後に住めるようにと、家の修理に200万円を支出しました。これらはすべて借金でした。まだ返済中です。ガスの影響で鉄やアルミはさびつきます。外壁塗装など劣化保全をしなければ、家屋はぼろぼろになってしまいます。腐食を防ぐための村による支援は、1軒1回きり150万円だけでした。人の手が入らず、多くの家が廃屋化しています。避難前、坪田地区には159世帯318人が住んでいました。帰島は96世帯155人ですが、別の地区で暮らさなくてはなりません。「仕方なく移り住んだ村営住宅の家賃を支払うことほど悲しいことはありません。私には戻りたい家があるのに・・・」。木村さんの声が今度は怒りに震えました。避難前の三宅村の人口は約3900人、いまは2815人(1月1日現在)です。平野祐康村長は「産業振興の基軸は観光」(施政方針)としています。しかし、噴火前は年間8万人だった観光客が昨年は4万人ほど。宿泊施設は96軒(定員2623人)から51軒(同1308人=08年12月末)に減少しています。三宅村商工会の会員も約300から273に減りました。瀧沢裕司事務局長は「後継者不足、人口の減少、借金返済で村の事業者は苦しんでいます。避難中、5年間も営業ができず、再建にも多額の費用が必要でした」と話しています。」(1日付けしんぶん赤旗より)久しぶりに三宅島の記事を読みましたが、順調に復興が進んでいるとばかり思い込んでいました。当時は避難して来た島民が都営住宅などに入居し頑張っている姿がニュースで流れていました。帰島できる様になっても、子どもの進学や就職でそのまま都内に残る島民もあったようです。さて、明日は久しぶりに休んで、温泉スタンプラリーの加盟しているまだ行ったことのない施設に行きたいと思います。(写真は、雪の積もった三方五湖の道の駅です)

1月も後1日で終わりですね。
2010/01/30

明日放送のNHKスペシャル「無縁社会」の紹介記事が載っていました。「行旅死亡人。警察も自治体も身元をつかめない人をこう呼ぶそうです。誰にもみとられず、ひっそり死んでいく「無縁死」。NHKの調査によると身元不明や親族の遺体引き取り拒否は3万2千人に上るそうです。番組は、100人を超える人の死までの軌跡を追い、安心して死ぬことすらできない社会のありようを告発します。ディレクターは「ワーキングプア」を手がけた板垣淑子。東京・大田区の自宅で死んでいた氏名不詳の男性(享年73)が発見されたのは死後1週間以上たってからでした。アパートの契約書から名前が判明。20年、正社員として無遅刻無欠勤で働いていたこともわかります。なぜ氏名不詳なのか。秋田の本籍地に向かいます。「無縁死」の人は、当り前の生活をしていた人々でした。家族親族にも引き取れない事情がありました。番組は、地方の衰退、雇用形態の激変、ワーキングプアで家族を持てない人の増加が「無縁死」の急増に拍車をかけていると訴えます。人が人として尊ばれる社会にするにはどんな手がかりがあるのか。ずしんと重い現実に考えさせられることは多い。力作。(板倉三枝)」(30日付けしんぶん赤旗「試写室」より)最近は、死亡された後の、部屋の片付けをする業者が繁盛しているとの報道もありました。ここ安曇川でも、未婚の4〜50代の中年男性が多くゆくゆくは同じ状況になるのでしょう。愚妻でも、誰もいないよりかましなのかもしれませんね。(写真は、雪を被った敦賀半島の山々と鞠山釣り公園です)

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