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5月なのに寒い日が続きます。
2024/05/10

「大阪・関西万博は会場建設現場で起きたメタンガス爆発事故を受けて、開催自体が「いのちの危険」が問われる事態となっています。万博会場は今もゴミなどの最終処分場で、可燃性メタンガスが発生しガス抜きパイプが林立する場所です。建物内にたまったガスに溶接工事の火花が引火・爆発したのが、事故の原因です。万博協会は、工事前のガス濃度検査と自然換気を条件に工事を再開しましたが、火気持ち込み禁止もなく危険性は残されたまま。約200万人ともいわれる子どもたちを参加させようとしており、もっとも不適切な場所と指摘されるのは当然です。ところが、一般新聞もテレビも「パビリオン区域は大丈夫」という協会の発表を検証もなく紹介。メタンガスがパビリオン区域でも発生している事実を示し、爆発事故の危険性を報じたのは「赤旗」だけでした。共産党大阪府委員会が事故を機に、改めて発表した万博中止を求める声明を、マスコミは取材しながら1行も報じず、市民団体の万博中止を求める主張もカット。開幕1年前の特集や番組でも、不都合な爆発事故には一言もふれぬままでした。先週東京キー局が放送した現地リポートをめぐって✕(旧ツイッター)では「在阪局と同じ完全なヨイショ宣伝番組」「がっかりだ」と批判が広がりました。世論は半数以上が万博開催に関心がないのに、無批判に持ち上げる。報道の自由度ランキングで日本はG7最下位の70位というメディアの現実は、ここにも表れています。」(10日付けしんぶん赤旗「潮流」より)ご当地安曇川でも、お客さんと話すと、「7000円も払って行くことはないな」「だいたい、何を見に行くのか分からない」の返事です。もう、あの1970年の万博と時代は大きく変わっているのに、協会は気が付かないでいるのでしょう。さて、5月に入り、田んぼで田植えの準備が始まりました。夜になると日増しにカエルの合唱が大きくなりました。朝にはツバメが飛び交い、夜は窓辺にヤモリ君も見かけるようになり季節は変わっていくのですね。「写真は、久しぶりに訪れた「泰澄の杜」の温泉ですが、回数券が残っていてありがたく入館出来ました」

ゴールデンウイークも終わりましたね。
2024/05/07

[「強い自己責任論にとらわれていた」と40代のたけしさん。職場で、怒鳴る、物を投げるなどのパワハラに遭い、自己肯定感を削られ、逃げ出しました。路上生活は耐えられず、計2年ほど「ネットカフェ難民」に。ホームレス支援を受け、雑誌『ビッグシュー』の販売をしつつ社会復帰しました。しかし、再就職、うつを再発して引きこもりに。「社会の役に立てない自分は、消えた方がいいのでは」との思いに苦しみました。そんな時、ふと地元の共産党に相談しょう、と。20歳の時、「応援する気持ち」で入党していましたが、ずっと未結集の状態だったのです。「地域支部の人たちはありのままの自分を受け入れてくれました」。ゆっくりと回復・・・。改定された日本共産党綱領を初めて読み、「未来社会論に感銘しました」。人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」。この言葉に、ホームレスの仲間たちを思い出しました。「優しくてしっかりした人もいるんです。でも、社会は厳しくて戻りたくないという。この人たちが生きられる社会はなのかと考えていた。ここに書かれていた。!」「自己責任論は、弱者やマイノリティーを排除する理論です」とたけしさん。新自由主義とアベノミックスが日本社会を傷つけ、30代、40代の人生を直撃しました。今も低賃金、円安と物価高騰が続きます。自民党政治が人々の生活と尊厳を脅かす根源にー現役世代が気好き始めています。」(7日付けしんぶん赤旗「潮流」より)最近の社会では、一度人生から外れると元に戻るのは困難なようです。それが許される社会であってほしいものです。さて、4日(土)は、敦賀市から越前海岸まで行きましたが、道路の混雑もなく福井県は外れているようです。「写真は、「鞠山海釣り公園」が工事中のため、臨海公園で釣をする人と、「新日本海フェリー」の「すずらん」が停泊していましたが、嫁さんが「これで船旅したい」と言っていました」

今日はお店が休みです。
2024/05/04

「魂のピアニストと呼ばれたフジコ・ヘミングさんはベルリンで生を受けました。スウェーデン人の父がそこでデザインの仕事をしていましたが、ヒトラーが政権を握り5歳の時に一家で母のふるさと日本へ。ところが日本でも戦争の気配は濃厚で外国人は排斥。「母なんか日本人なのに、年中警察に呼ばれて泣いていた。外国人と結婚したからというだけで国賊扱いだった。父も仕事がなくスウェーデンへ帰ってしまったけど、ああいう日本はごめんだわ」。本紙インタビューで当時の「居心地の悪さ」を語っていたフジコさん。東京芸大を卒業後ふたたびベルリンに移ってキャリアを積みますが、聴力を失います。その苦難の歩みが投影された演奏は多くの人の心を打ちました。事故で手足の自由を失い、口で筆をくわえて誌画をつづった星野富弘さんも戦争の影響を受けました。山村の農業に見切りをつけ東京にとびだし、苦労の末に成功を収めた父。しかし東京大空襲ですべてが灰に。その無念が自分に託されていたといいます。(『愛、深き淵より。』)。命の尊厳とむすびつき、人々と響き合った創作活動。そこには戦争や暴力に支配されず、ありのままの存在を認める社会をめざしてきた道のりがあります。しかしいま平和が脅かされて、古い価値観にしがみつく自民党政治の悪弊も続いています。憲法を生かす政治を、個人が尊重される社会をー。3日の憲法大集会にみなぎった思い。それは、亡くなったふたりの人生からも垣間見えてきます。」(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)昨日は、国道161号線を北から南までつなぐ「憲法守れ集会」が行われました。ご当地では「マキノ町・追坂峠」と「平和堂・安曇川店」の2カ所で行われ、20人程度が参加しました。京都ナンバーの車の反応が良く、どんな運動でも継続することが大切なのですね。さて、今日はお店がお休みで、これから予定もなく福井県を目指してドライブに出かけます。「写真は、今津町にある「琵琶湖周航記念館」に展示された資料です」

今日はメーデーですね。
2024/05/01

「大きな耳、輝く黄金色の毛、ふさふさの長いしっぽ・・・。さてあなたは何を思い浮かべますか。たぶん頭の中に描かれたのはキツネの姿でしょうくらし家庭面で4月に連載した「キツネの世界」。昔話や映画など世代をこえておなじみの存在だけど、実は奥が深いその秘密に迫りました。天敵から子どもを守るために巣穴を引っ越す「目くらましの術」。イメージよりも実は小さい、ほぼ”太めのネコ”恋の季節に「コココーン、コーン」と鳴く。ジャンプする影が”化けた姿”に見えることも。知れば知るほど、さらに興味がわく生き物です。筆者の塚田英晴さんとキツネの出会いは、北海道にある大学の研究室でした。薄暗くなったころ、緑地から現れた1匹のキタキツネが、舗装された道路を平然と歩き回っていました。観察を続けるうちに「たくましさ」を感じ、研究にのめり込んだと振り返ります。「ルルルル」と声をかけながら餌付けする映画のワンシーンが独り歩きして、観光ギツネが広がりました。しかし、こうした行為は野生動物と人との距離感を危うくもします。「親しさ」や「好意」を動物に向けても必ずしも動物には伝わらない。それどころか個体が増えて農作物を荒らしたり、病気をうつしたり。共存するにはルールをつくり、そのルールを守ることが必要だとも。「都市のあらたな隣人としt、彼らを迎える準備が必要なのかもしれない」と塚田さん。人と野生動物は共に生きることができるか。模索は続きます。」(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)安曇川でも、キツネを時々見かけます。最初は、犬かなと思っていましたが、しっぽが長いのでキツネだと判断しました。それにしても、野生のキツネを見たのは初めてで、自然の豊かさを感じました。さて、ゴールデンウイークも後半に入り、皆さんは休日を楽しんでいることでしょう。私も、1日くらい休みをもらって温泉にでも行こうと思います。「写真は、今津町にある琵琶湖周航記念館の展示された模型です」

ゴールデンウイークは静かに始まりました。
2024/04/28

「そこは生い茂る草木で覆われた暗い場所でした。山中を抜ける県道脇に捨てられていた遺体。どんなに恐ろしく、つらく、無念だったか。恋人と幸せに暮らしていた日常が突然絶たれました。8年前のこの日、沖縄県うるま市の女性が元海兵隊員の米軍属に20歳の命を奪われました。ウオーキング中に襲われ、変わり果てた姿に。当時、犯人は乱暴する相手を探していたと供述しています。被害者は自分だったかもしれないー。くり返す恐怖や痛みの共有は沖縄の苦難の歴史に重なります。いまも占領者のようにふるまう日米地位協定のもと、基地があるがゆえに脅かされる県民の命と生活。叫びつづけてきた魂の飢餓感です。きょうは、72年前に沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」でもあります。本土決戦を遅らせるための捨て石とされた沖縄戦の多大な犠牲。米軍に土地を強奪され、圧政にあえいできた戦後。「屈辱」には悲惨な歴史とともに平和への強い思いが込められています。痛ましい事件が起きたうるま市で今月、画期的な出来事がありました。ゴルフ場の跡地に計画された陸上自衛隊の訓練場を、県民ぐるみの運動で断念に追い込んだのです。ふたたび戦場にさせてはならないと。大軍拡に走る岸田政権は米軍と一体になって沖縄を軍事要塞(ようさい)化する企てを加速させています。日米の両政府に対し、基地負担の軽減に向けて積極的に協議するよう求める玉城デニー知事。6月の県議選は知事を支え、平和な沖縄をつくるたたかいです。」(28日付けしんぶん赤旗「潮流」より)日本の中で、沖縄だけが米軍の支配を受け、異常な状態が続いています。また、ここ高島市でも「饗庭の演習場」があり、日々砲弾の爆音にさらされています。都市部に住んでいる人には分からない現実です。さて、テレビの報道を見ていると、空港であったり、新幹線の乗り場であったり、高速道路であったりで混雑をしていると流れて来ます。国民のすべてが移動するような伝え方ですが、私のようにどこにも行かない人も多いと思います。「写真は、阿蘇山の麓にある神社と、車内から見た米塚です」

もうすぐ、ゴールデンウイークですね。
2024/04/25

「吉野の千本桜めでて歩いて」
(堺市 小宮 征夫 (86歳)「奈良県の吉野山へ花見に出かけた。近鉄吉野駅前からバスで「中千本」へ。お昼を済ませて下り坂を吉水神社へ向かう。境内の南側が開けて「上の千本」まで、桜の大群が山の斜面をせり上がっている。そこを背景に居合わせた人にシャッターを押してもらった。世界遺産金峯山寺蔵王堂で手を合わせた。「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と静御前が詠んだという歌を思った。茶店で吉野葛を食べ、土産物屋の並ぶ道を友と語らいそぞろ歩いた。帰りの車内では欧米人の客が目立った。沿線のどっしりした木造民家、造り酒蔵などに見とれた。私は途中の駅でホームに出て車掌にトイレの所在を問うた。「反対側のホームにあるが時間がない」と。諦めて発車すると、その車掌さんが私の席まで来て「次の駅でドアの前にトイレがあります」と告げた。私は次の駅で最後尾の列車の外に立つ車掌さんに手を振った。」
「クラス会は・・・」
(兵庫・西宮市 阿波角孝治(86歳)「1年前のクラス会で「これで終わり!」の予定だったが、「やっぱり何とかやりたい」との声で幹事を決めず「日時と集合場所」だけ決めて集まろうとなりました。それで「クラス会?」のお知らせと署名のお願いを38人に送付すると、21人から署名が返ってきました。何人もの人が電話をくれました。みんなが言う「誰も86歳と言っても信じてくれない!10歳は若く見られる!」と。私もそうです。なんとか世代的継承を含む党の「5カ年計画」の結果が見られるよう、せいぜい頑張りたいと思う今日この頃です。」
(25日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
4月も終りに近づき、いよいよゴールデンウイークになります。今年も、どこかに行く予定もなく思案に暮れています。出かけたらどこも混雑で大変だし、家にいても退屈だし、という事でお店を開けていることが多くなります。「写真は、阿蘇山から見た、阿蘇市街地の景色です」

九州に行って来ましたG。
2024/04/22

「新幹線延伸で市民の足は減」
 京都府 立山 昇(72歳)「3月16日に北陸新幹線が福井県敦賀市まで延伸された。同時に大阪からの特急が敦賀までと短くなった。富山県に高齢の母が住む私には、金沢〜大阪の区間が最大22分短縮されることは重要ではない。それよりも運賃が1620円アップする方が困る。今までは特急サンダーバードで金沢〜福井〜京都と帰ることができた。今後は、富山県内から在来線で金沢まで行き、新幹線に乗り換え、敦賀で降りてサンダーバードに乗る。乗り換えが増える方が、運賃アッぷとともに、よりわずらわしい。観光客誘致で、北陸新幹線の宣伝一色の中、日々の生活に必要な在来線が使いにくくなる。実際、乗客が少ない在来線は本数が減らされ、運賃は確実に上がる。過疎化の地方、高齢化社会を直撃することに、どれだけの考慮が払われているのだろうか。これも自民党政治の結果である。国鉄が「国民の足」を掲げていた頃が懐かしい。」
「補聴器は便利しかし高〜い」
 東京都・国分寺市 干場 薫(68歳)「母親が補聴器を購入しました。今まで耳が遠くなったことをなかなか認めたがらず、電話の着信音が聞こえないのを、電話が故障して音が鳴らなくなったなどと主張していました。母親の機嫌のよいときにお店に連れて行き、補聴器を試してみたところ、ようやくその便利さに気が付いたようです。とはいえ、その補聴器の高額なこと。ICチップが使われているとのことで、安い物でも片耳22万円し、セール期間中に10%引きで購入しました。年金生活者には痛い出費です。こんなとき、補聴器の購入補助が少しでもあれば助かるのにと思いました。また、補聴器が非課税だということも知りました。とはいえ、、非課税でも高〜いです。」
(22日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
まず最初の、北陸新幹線の延伸ですが、どこの新幹線開業にも、在来線がJRから切り離され地元自治体が運営しています。儲かるところはJRが、儲からない在来線は切り離して運営されます。いわば、新幹線開業の光と闇でもあります。北陸新幹線は、関西方面からはなんのメリットもなく、以前の方がはるかに便利です。二番目の補聴器の件ですが、当店では、片耳17万円から用意しています。基本的には定価の20%引きにしています。まだ、高島市にはないのですが、県下のいくつかの自治体では補助金が出るようになっています。また、耳の聞こえが悪い方は、「身体障碍者手帳」の交付を受けると、交付金が出ますので検討して下さい。さて、阿蘇山から下りて来て、友人と別れてから阿蘇駅から大分県・緒方駅まで特急に乗り、弟の出迎えを受けて一泊することにしました。久しぶりの話で盛り上がり、夜遅くまで宴会?は続きました。翌日、比較的早い時間に駅まで送ってもらい、大分駅から小倉駅まで、「特急ソニック」に乗りました。ここから、山陽新幹線で京都まで乗り帰路につきました。5日間の旅も、これで終わりましたが、充実した休暇となりリフレッシュすることが出来ました。「写真は、市内にある滝の名所ですが、夕暮れに映えて綺麗でした」

九州に行って来ましたF。
2024/04/19

「ほっと」「70歳を前にして、身の回りをシンプルにしようと思いました。あれもこれも捨てて・・・でも、もったいなくて。ふと、若い友人が利用しているフリマ(フリーマーケット)アプリなるものに挑戦しようと思い立ちました。私が不要だと思う物でも、欲しい人がいるかもしれない。でも、もしトラブルに遭ったら、と及び腰ながら、とにかく一歩を踏み出しました。買ってくれた方には対面できないので、必ず手紙を添えます。秋田県の方からお礼のはがきが届き、それがきっかけで秋田のリンゴ生産者から購入するようになりました。売上金は、能登半島地震の募金にも回しました。物をうまく循環させて使いきっていく。プラス、物を介して人との温かな交流ができるなんて。こわごわ始めましたが、こんな新しい方法もいいもんだと、うなずいています。」
(大阪府柏原市 榎本みさお 69歳)
(19日付しんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)
私も、捨てたい荷物が沢山あるのですが、フリマも一度検討してみたいと思います。さて、熊本県・阿蘇市で友人と待ち合わせして、昼食を食べ、せっかくだからと「阿蘇山」に登ることにしました。火口周辺は立ち入り禁止になっていたので、すぐ近くのお寺?まで行きました。ここもインバウンドの影響で中国人をはじめ東洋人が多く来ていました。「日本人より彼らの方が豊かになったんやね」と思わずにはいられませんでした。「写真は、「くまもん」が描かれたバスと、阿蘇山の直下にあるお寺と、人であふれていた草千里の景色です」

九州に行って来ましたE。
2024/04/16

「数年前まで勤めていた職場の近くに500円のランチを出す食堂があり、足しげく通いました。その名も「ワンコインランチ」。500円玉1枚のお得感が好評でした。岸田文雄首崇も同じことを考えたのでしょうか。国会質疑で、医療保険料に上乗せ徴収する「子ども・子育て支援金」の月額を「1人あたり月平均500円弱」と答えました。そうか、ワンコインなのか。そう思った方は少なくないでしょう。ところが、政府答弁は舌の根も乾かぬうちに迷走しました。加藤鮎子こども政策担当相は「2026年度は300円弱、27年度は400円弱」「1000円を超える人がいる可能性はあり得る」とコロコロと金額を変えました。3月末、こども家庭庁が発表した医療保険別の試算では、28年度に1人あたりの負担額が最も大きいのは、共済組合の月950円でした。その後、年収別の試算も発表され、年収400万円で月650円、600万円で1000円。国保でも400万円で550円、600万円で800円にも。あれ、500円じゃなかったの?。ワンコインランチだと思って食べたら1000円請求された。普通の食堂ならクレームの嵐でしょう。案の定、国民から不満の声が相次いでいます。当初、「実質負担ゼロ」と言っていた政府。負担増が明らかになると、こんどは批判を恐れて金額を少なく見せようとー。理念もまともな財源の手当てもない制度。岸田政権の稚出な印象操作を、国民はしっかり見抜いています。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この制度は、よく考えると「入りと出」が同じなのであまり意味のないことだと思います。それよりも、消費税の一部を支援に回した方が解決は早いでしょう。さて、九州旅行も残すところ2日となり、少し気ぜわしくなりました。「写真は、武雄温泉駅に入る西九州新幹線「かもめ」と、新鳥栖駅に入る九州新幹線「さくら」と、新幹線リレー号の車両です」

九州に行って来ましたD。
2024/04/12

「レーダー」「復興を阻むもの」「能登半島地震発生から9日で100日を迎えました。同日のNHK「ニュースウオッチ9」は「少しずつ戻る日常」と報じつつ、いまなお142カ所の1次避難所に3300人余が暮らし、「支援の先細りが懸念されています」と伝えました。このなかで「仮設(住宅入居)の方は、まだ連絡がない」「毎日あったボランティアによる炊き出しがほとんどなくなった」など、避難生活への不安が当事者から語られました。この間、各メディアでは、3日に起きた台湾東部沖地震で多くの被害が出た花蓮県でのプライバシーに配慮した個室スペース、室内が怖くて過ごせない人には屋外テント、トイレ、温水シャワーなど迅速な対応が指摘されてきました。たとえば、7日の「サンデーモーニング」で、ジャーナリストの元村有希子さんは、「避難所のすばやい整備、待遇などをみていると、なぜ日本でこれができなかったんだろうとつい思ってしまう」とのべました。6日のNHK「サタデーウオッチ9」は、食事や生活用品の提供など、迅速な被災者支援ができた背景には、行政、慈善団体、NGO(非政府組織)との事前の連携があったことを詳しく紹介しました。(続く)」(12日付けしんぶん赤旗「総合」のページより)それにしても、台湾での地震の対応は素晴らしかったですね。本当に日本が避難所での雑魚寝に比べると、個室のテントが準備されていて対応の違いに驚きました。さて、阿蘇に来れば友人のS君と落ち合い、久しぶりの再会を喜びました。よく考えると、沖電気時代からですので、50年になります。とりあえず、昼食を食べて、せっかくだからと阿蘇山までドライブすることになりました。「写真は、波佐見焼の展示品と、嬉野で有名な「シーボルトの湯」ですが370円で入れました」

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