2月の雨は珍しい。
2011/02/09
第25回民教協スペシャル「母の衣に抱かれて」 第25回を迎える「民教協(民間放送教育会)スペシャル。今年は青森放送制作「母の衣に抱かれて 津軽袰月(ほろつき)ものがたり」が11日、12日にかけて加盟各局で放送されます。津軽半島の先端、高齢化の進んだ集落・袰月の四季を通し、故郷、家族を見つめ直し、本当の豊かさとは何かを模索します。ナレーターは和久井映見。東津軽郡今別町袰月は漁師の集落。戦後直後、400人を超えていた人口は、現在39世帯63人に、子どもは一人もいません。県内で最も高齢化率が高く、平均年齢は73歳です。65歳以上の人が半分以上いると「限界集落」と呼ばれています。なぜ、「限界集落」になったのか、そもそもこの集落は「限界」なのかという疑問から、企画が生まれました。しかし、漁師たちから「限界集落の取材ならだめだ」と断られます。2008年から始めた取材。小山田文泰ディレクターは、青森市内から車で2時間弱をかけて袰月地区へ通います。取材する側とされる側という境界を守りながら、「僕自身は、限界集落だと思っていません」という気持ちを伝え、住民と交流し、撮影の許しを得ました。海と大地の恵みとともに暮らす住民の口は重い。時には住み込み、収めた声と映像からは、雪国に暮らす人々の袰月への思いと、支え合い分かち合う心が見えてきます。「住んでいる方たちへのインタビューではありません。時間をかけて寄り添うように、そこでともに暮らす、その中から真実の姿を撮ることができたんです」と振り返ります。 和久井映見さんの話 オープニングの厳しい雪の映像には圧倒されました。今回の番組では、厳しくも美しい自然に囲まれた袰月集落を見守る月の精として語っています。春夏秋冬と番組が進み、番組後半では、子どもたちがいなくなってしまった理由が明らかになります。故郷を愛しながらも子どもたちの幸福を考えた袰月のみなさんの生き方には、画面を見ながら言葉がつまりました。新聞やテレビで使われている「限界集落」という言葉の「限界」ってなんだろう?と考えさせられる作品だと思います。(9日付けしんぶん赤旗より)先日ご紹介した「無縁社会」とまったく反対側にある「限界集落」と呼ばれる「地縁社会」の作品で、どちらも是非観てみたいと思います。ところで、今日の安曇川は朝からにわか雨が降っています。「2月に雨なんて、珍しいな」と来られるお客さんが話して帰られます。また、店の前の市道が舗装工事で片側通行になり、混雑?しています。それにしても、700bの工事区間をたった二日で仕上げるとは驚いたものです。(写真は、舗装工事中の色々な車両です)
若い世代に「無縁社会」。
2011/02/06
「”無縁”となるのは高齢者だけではないー。NHKスペシャル「無縁社会 新たな”つながり”を求めて」が11日(後7・30)に放送されます。昨年1月から放送されたNHKの「無縁社会」シリーズ。視聴者からは「未婚で、高齢の親と同居している。無縁死するかもしれない」「介護で仕事をやめた。自分も無縁だと感じる」などの反響が1万4千件も寄せられました。その多くが20代から50代の働き盛りの世代のものです。今回取り上げるのは、若い世代に広がる無縁社会の実態。未婚、離婚、失業、職場での人間関係の希薄化など、あらゆるきっかけで、無縁社会に陥ります。無縁化した人たちが再び社会とつながるためのさまざまな試みを通して、無縁社会を乗り越えるための、解決の道筋を模索してゆきます。「日本のこれから」 翌12日の「日本のこれから」(後9・0)は「どうする?無縁化社会」を放送します。スタジオに約30人の市民を招いて、働く世代が無縁化するメカニズムを分析、社会保障のあり方や、何を変えていかねばならないかを議論します。」(6日付けしんぶん赤旗「試写室」より)なかなか、重い問題ですが、特に都会ではお互いに関心を持たないように生活していますから「無縁社会」になりがちですね。また、「引きこもり」がちな生活を改め、色々なサークルに参加して仲間を増やすことが大切ではないでしょうか?さて、大相撲の「八百長」問題が報道されていますが、「いまさら何を」と思っています。私も少年の頃は(そんな頃もありました)大の相撲ファンでしたが、確か大鵬がこの一番で負けると負け越しという時、相手か意図的に土俵を割りました。それ以来、大相撲など見向きもしなくなりました。この際、プロレスと同じで「八百長」もあるという前提で観れば良いと思います。ところで、皆さんはご存じかどうか知りませんが、雪は、そのまま放置するとなかなか溶けませんが、移動させると溶けるのが早くなります。科学的な根拠は知りませんが、雪国での常識となっています。(写真は、雪よけして溶けた空き地と放置したまま残った雪と、雨にけむる田中地区の遠景と、雪の下から出て花が咲きそうな野生の水仙です)
マキノ町は豪雪だ!
2011/02/03
2日(水)は久しぶりにお休みを頂き、敦賀方面の通行止めの影響もまだ残っているだろうと言うことで、びわこ大橋を渡り湖南方面を目指しました。今まで何度か通った湖南市にある「十二坊温泉・ゆらら」に行く事にしましたが、玄関に着くと「温水プール」は3月21日まで休業と書いてありました。敦賀市の「リラ・ポート」以外でプールと温泉がある数少ない施設なのに残念です。仕方なく、いつも入浴する「竜王町・蒲生の湯」に目的地を変更する事にし、「ゆらら」から15分ほどで到着しました。風呂から上がると午後1時になっていましたので、回転寿司に飽きた長女のため「ガスト」を目指しました。ところが、途中で出店にある「イチゴ」や「ナシ」や「野菜」に惹かれて嫁さんが買い物から帰って来ません。結局、20分も待たされて昼食の時間が随分と遅くなってしまいました。東近江市(旧八日市市)には、雪のかけらもなくごく普通の生活ぶりでした。「もう一度同じ道を戻るのもいややな」「思い切って湖北経由で帰ろうか」となり、国道307号線を彦根市に向かって走りました。途中、多賀大社がある多賀町まで来ると、山沿いにあるためか30p以上の積雪がありました。そこから彦根市内に入ると、日陰に所々雪が残る程度でたいしたことはありませんでした。彦根市内から長浜市内に向かうと、徐々に積雪量が増えて来ましたが、それでも20p程度です。そこから、旧びわ町まで来ると積雪も30p以上になり、「すごいな」と思いました。しかし、そのすごさは旧西浅井町に入って驚嘆に変わりました。なんと100p以上も屋根に残り、屋根雪を下ろす住民の姿もあり、さらに道路の除雪した場所では200p近くの雪の壁になっていました。このまま真っ直ぐ帰宅するには少し早いので「白谷温泉・八王子荘」で温泉のおかわりをするため立ち寄りましたが、旧西浅井町と同じくらいの積雪でした。同じ高島市内でも、これほど積雪量が違うものだと思いましたが、現在マキノ高原スキー場が170p、函館山スキー場が245pだそうです。2月に入ってから、むこう1週間は雪マークが出ていませんのでひとまず安心です。(写真は、美味しそうなイチゴとマキノ・八王子荘の現況です)
諫早湾の海のギロチン。
2011/01/30
昨夜のNHKスペシャル・激震!巨大公共事業を観て、色々と考えさせられるものがありました。「完成した巨大公共事業見直しが決定した国営諫早湾干拓事業。入植した農家や地元長崎県は反発する。海の環境悪化や漁業被害、失業に苦しんできた漁師たちは、国の責任を追及してきた。諫早湾干拓事業は、なぜ地域に混乱を残すことになったかを追う。」まず最初に登場した大学教授は、「埋め立てた場合に予想される、環境アセスメントのデーターのがまったく調査されていなかった。」「埋め立てありきの委員会だった。」と回想されていました。また、小長井漁港の元組合長は「今、サインしないと補償金が出なくなりますよ」「漁業権も失うかもしれませんよ」と脅かされたと言います。「結局、高級のタイラギ(貝)がまったく捕れなくなりました。」「工場を閉鎖し、借金が残り、妻とは離婚し、一家離散になりました。」漁師という職業を失い、職安に通う後ろ姿が淋しそうでした。そして、また干拓地に営農している農家の方は、「水門を開けると、海水が入り作物が採れなくなる。」「開門には絶対反対だ!」と怒りを込めて話しておられました。農水大臣が諫早市役所に訪れた時、玄関前には開門しろという漁業者と、絶対反対という農業者が一触即発の状態になっていました。本来は、対決すべき関係でないはずの両者が、政府の責任でこの様な状態になったのは悲しい事だと思いました。そもそも、昭和36年に耕作地が足らないと言って始まった事業が、全国で減反が始まると、その目的が治山治水に変化し、おりから「日本列島改造論」に乗り事業の継続をした事でした。それにしても、工事担当の大手ゼネコンから相当額の政治献金が知事や地元国会議員にあったと「しんぶん赤旗」に掲載された事が記憶にあります。さて、今日の安曇川は気温は低めですが快晴で、大雪になるという予報は、今のところ外れましたが油断は出来ません。昨日から思い切って「融雪装置」を5000円もかけて設置しました。水は地下水の利用ですので、水道代もかからず雪かきも少しは楽になりそうです。(写真は、凍り付いた道路と新たに設置した融雪装置です)
韓国に勝ちましたね。
2011/01/27
スポーツといえば、野球とラグビー以外はあまり関心がありませんが、久しぶりに興奮するサッカーの試合を観させて頂きました。夜遅く風呂から上がると、嫁さんがサッカーを観ていましたので、「今頃、何の試合をしているの?」と訊くと、「アジアカップや!」の返事です。「そんな選手権があったの?」と関心がなく寝床に入りました。一眠りしてもテレビが点いているので、寝ぼけ半分で観ましたが、PK戦の最中でした。GKの川島選手(初めて知りました)の好守で韓国に勝ちました。次はオーストラリアとの決勝戦だそうで、最初から観たいと思っております、ところで、雪のことは書きたくないのですが、今朝も10pの積雪で雪かきしました。今も外を見ると、時々吹雪きながら激しく降っています。大晦日の大雪を含めると1月だけで積雪があった日が8回もありました。例年だとせいぜい2〜3回でしょうから、おそらく10年ぶり以上になると思います。今夜は、近江八幡で消費税増税反対の決起集会に参加するのですが、先ほどマキノ町の方から積雪が100p以上あり、道路状況が悪く参加出来ないと連絡がありました。同じ高島市でも北部は想像以上の積雪で、安曇川の雪のことなど笑われそうです。(写真は、朝日に輝く比良連峰の山々です)
今日もまた雪が降っています。
2011/01/25
「今年は、よく降りますね」が挨拶代わりになるほど、今日も朝から雪が降っています。幸い積雪にはなっていないので、雪かきの必要はありませんがもううんざりです。宅急便のお兄さんも、仕事がはかどらず「イライラしますわ」と言って、荷物を持って来ますし、ヤクルトのおばちゃん(私より若いですからお姉さん?)も、訪問するたびに雪を払わないといけないので、いつもより時間がかかるとおっしゃっていました。この様に天候が荒れると、お店に来るお客さんはほとんどなくぼんやりとテレビを観たりして過ごしています。例年、1月よりも2月の方が雪がよく降るので来月は大変な事にならないか心配です。「メガネ屋殺すに刃物はいらず、雪が三日も降ればよい」の心境で、今月は売り上げらしい売り上げがなく、残すところ6日になってしまいました。ようやく、腰痛も治まって体調は戻りつつありますが、そろそろ温泉に行きたいという願望が強まっています。明日辺り、久しぶりに朽木・てんくう温泉にでも行こうかなと考えています。これといったネタがなく、つまらない店長日記になってしまいお詫び申し上げます。(写真は、現在の屋根に残った雪と元気に下校する小学生です)
温泉三昧の休日A。
2011/01/23
敦賀市内で昼食後、「さかな館」に立ち寄り「おぼろ昆布」と「たらこ」を仕入れ、国道27号線で若狭町に向かいました。いつも立ち寄る「旬菜館」はお休みで、頼まれていた「梅ぼし」が買えず諦めて休憩だけにしましたが、ここはかなりの降雪があったようで雪山が出来ていました。いつもなら小浜市内まで足を伸ばすのですが、時々みぞれ交じりの雪が降っていましたので真っ直ぐ帰ることにしました。「そう言えば、上中町内に温泉施設が出来たそうやで」「時間が早いので、もう一軒温泉に入ろうか?」「鳥の出し殻みたいになるな」なんて言いながら、目的地を探しました。「バレアの湯」という看板が見えましたので、入ることにしました。「ここなら来たことがあるわ」と嫁さんが言うので、「何しに来たんや?」「確か、若狭快速鉄道の地元との懇談会や」。若狭快速鉄道とは、近江今津駅と上中駅をつなぐ鉄道の事ですが、もはや夢物語です。滋賀県側は、それほどメリットがないのですが、福井県側は京都がかなり近くなり、まだかなりの期待があるようです。さて、話しが横道にそれましたが、このバレアの湯は社会福祉協議会が運営しているそうで、入浴料は500円でした。ただし、12歳以下の子どもは100円で入れるそうで、子どもさんがいる家庭は嬉しい事でしょう。効能書きには、腰痛に効果があると書いてありましたので期待して入りました。こじんまりとした施設で、露天風呂もなく大浴場だけでした。お湯はかなり熱めで、慣れるまで時間がかかりました。男湯は、ほとんど地元の方で、安曇川から来たと言うだけで色々と話しかけて来られました。「小浜市内にある濱の湯は行かれないのですか?」と訊くと、「あんな遠いところは、よう行かんわ」との答えが返って来ました。風呂場から出る時に「お先に失礼します!」と言うと「また、おいでや」と返事が返って来ました。女湯は、貸し切りだったそうで、ゆっくりと入れたと嫁さんが言っておりました。バレアの湯のおかげか、翌日は腰の痛みが和らぎ動きが楽になりました。後、一週間は雪が降らない事を祈っていますが、さてどうなることやら。(写真は、「旬菜館」の駐車場の雪山とバレアの湯の雪山です)
温泉三昧の休日@。
2011/01/20
15日(土)から17日(月)までの3日間、雪との格闘の結果、昔(35年前)に痛めた腰痛が再発してしまいました。腰を曲げることが出来ないので、膝を曲げて生活していますがなんとも不便な生活です。寝ていても寝返りが出来ず、熟睡する事もなく痛みに耐えています。一応、痛み止めは飲んでいるのですが、効果的に効いているとは思えず、少し痛みが和らぐ程度です。そんわけで、19日は長女の帰省に合わせて、湯治治療?も兼ねて敦賀・きらめき温泉「リラ・ポート」に行く事にしました。途中、マキノ・道の駅「追坂峠」ではダンプカーで雪を運搬していましたが、安曇川町とはケタ違いの積雪でした。おそらく60p以上の積雪で、屋根の雪も下ろさないと持たないでしょう。それに比べ、敦賀市内は思ったほどの積雪ではなく、うっすらと雪化粧している程度でした。いつもより長い目の時間で、およそ1時間熱めの温泉にじっくりと入浴しました。露天風呂では、入浴中も時々雪が舞い、なかなか風情のあるものでしばし見とれていました。昼食は、長女が回転寿司に飽きてきたので、和洋中のバイキングである「スタミナ太郎」にしました。以前はよく利用していたのですが、一人1030円から1180円と150円アップしてから、足が遠のきました。今までだと7割の席が埋まっていましたが昼だというのに、客の入りはまばらで驚くほど空いていました。前に比べてメニューも減って、随分少なくなりこれではお客離れがあっても仕方がないなと思いました。(写真は、道の駅・追坂峠の除雪模様と雪のリラ・ポートです)
あれから16年になりました。
2011/01/17
「わが地域の、ある集まりでのこと。町内に7、8年前にできた巨大マンションが話題になりました。「あそこに住む年配の男性が公民館の行事によく来る。彼がいうんだよ。隣にどんな人がいるのか、いまだに分からないって」。彼は、マンション内で得られない人とのふれあいを求め、公民館に来ます。「そういえば、集合ポストに名前を出さない人もいると聞く。他人とのかかわりを避けて」「しかし、大地震が起きたらどうなるんだろう。助け合わないと・・・」。会話を聞きながら、余計な心配ですめばいいが、と思ったのでした。テレビをつけたら、炎と黒い煙のあがる神戸の町が映っていた、あの朝から16年。助け合いが合言葉だった大震災でしたが、後に復興公営住宅で誰にもみとられずに孤独死した人は680人を超します。ほとんどが、みずから孤立を求めた人ではないでしょう。そして今、「無縁社会」とよばれる現実が様々な形でわが国に広がっています。大震災が発した警告を、社会が受けとめ切れていません。こんな調査もありました。生活保護を受けていた人の死亡率は平均より5倍も高かった。住宅事情が悪かったからー。震災がさらした、格差社会のありさまです。しかし、阪神淡路大震災のあと、政、財、官ぐるみで格差、貧困をひどくしました。派遣労働しか仕事のない若者。ふえる一方の、生活保護を受けざるをえない人・・・。きょう、6434人の犠牲者の無念の声にじっと耳をすます日です。(17日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私は、あの年の1月4日、芦屋の友人宅(今は北海道・音更町でトイピルカを運営しています)で開かれた新年会に参加するためJR芦屋駅に降り立ちました。まさか、それから2週間後に大震災が起きるとは想像出来ませんでした。神戸では、ここに来て新たな問題が生まれているそうです。それは、復興公営住宅の契約期限の20年が迫っていて、追い出されるのではないかという不安です。約5割の入居者が病気や高齢者で、「住み替えが困難」という状況です。さて、今朝起きてみると昨夜からまた、20pほど雪が積もっていました。「もう、雪はいらんわ!」と叫びたい気分です。(写真は、大家さんの立派なお庭の雪景色です)
午前12時の気温が−2℃。
2011/01/16
今年の長期予報では、例年に比べ雪が多いとの予報でしたが、悪いことにずばり的中したと言うのが実感です。昨夜、スナックで大声で歌っての帰り道は何も無かったのに、今朝起きてみて窓から外を眺めたら「何じゃこれは!」との雪景色が飛び込んで来ました。また、今日も雪かきで一日過ぎ去りそうだと思うだけで、ぞっとして、このまま暖かい布団の中で眠りたいとの衝動にかかります。雪かき中に3年間も長持ちしたプラスチック製のスコップが折れてしまい、慌てて「アヤハ・デオ」(日曜大工の店)に行きましたが、すべて品切れでした。「今日入荷予定ですが、トラックが遅れて入って来ていません」との返答でした。仕方なく一旦店に戻り、昼食でも摂ろうと思い車で走っていると、「只今の気温−2℃」と表示されていました。これでは、降った雪がどんどん積もり溶けないはずで積雪は20p(夜には35pに増えました)になりました。昼食後、再び「アヤハ・デオ」に行くと、スコップを求めるお客さんで行列が出来ていました。あれこれ選ぶ余裕もなく、何とか一つは確保出来ましたが、ほかの北国でもこの様な事が起きているのでしょうね。さて、今夜は店を早じまいして、少し痛む腰の為に早寝しようと思っています。(写真は、雪が積もった車と店の周りの雪景色です)
新規
修正
Copyright (C) 2006メガネ・補聴器のフクイ. All Rights Reserved.