海津の桜は5分咲きでした。
2011/04/14
昨日はお店の定休日だったので、いつものように敦賀市まで温泉とドライブする事にしました。途中、マキノ町の海津の桜はどんなものだろうかと考え、立ち寄る事にしました。まだまだ早いかなと思っていたのですが、ここ2〜3日の暖かさで急に咲き出したようでした。平日にしたら人出も多く、特に他府県の車が目立ちました。男性はカメラで女性は携帯電話で、ひたすら桜を撮影していました。今度の土日は、車の規制がありなかなか近づけないので、ちょうど良いタイミングでした。せめて花見ぐらい楽しんで、春が来た喜びを感じてほしいものです。偶然、今日は2社のメガネメーカーが営業にやってきましたが、決まって聞かれるのは「うちはぜんぜん売れてないけど、よそはどうや?」という小売店の言葉だそうです。「どこでもそう聞かれるのですが、自粛ムードであきませんわ」と返答するそうです。関東地方の小売店では、「店の照明が明るすぎる」と言われ「節電に協力していないのか?」とクレームの電話が入るそうです。仕方なく、照明を少なくして応じているのですが、外から見ると営業しているのかどうかわからず、「困ったものだ」とぼやいているそうです。さて、一昨日からプロ野球が始まり、阪神タイガースは広島カープに2連勝して幸先の良い出足となりました。球場を見る限り、いつもの応援の姿ですがこれで行きすぎた「自粛」がなくなれば良いと思います。「がんばれ日本」の気持ちは大切ですが、楽しむべき時はは楽しみ経済の牽引役にならないと、ますます震災からの復興は遠ざかると思いますがいかがでしょうか?(写真は、綺麗に咲き出した海津の桜を楽しむ人々です)
やっと桜が咲きました。
2011/04/09
私が心配していた通り、全国に「自粛ムード」が高まり被災地だけでなく他の場所も元気がありません。昨日来たお客さんも「スナックに行ったけど、お客が少ないわ」「それに、誰もカラオケなど歌わず静かな店内やったわ」と話されていました。当地に隣接する新旭町では、5月に行われる「七川祭り」が中止になりそうだとか、高島町の「大溝祭り」も中止だとか言われています。安曇川の「田中祭り」は、例年通り開催するか検討中だそうです。また、字ごとにあるお宮さんの春祭りもすでに中止を決めたところもあります。本当にこの様な対応で良いのでしょうか?例年通り開催して義援金の募金箱でも設置したら、少しでも被災地への支援になるのではないでしょうか?東京・上野公園の花見会が中止になったそうですが、テレビのニュースで被災地の酒蔵の社長さんが、「是非、花見会をして東北のお酒を飲んで下さい!」「自粛という二次災害にならないようにお願いします!」と悲痛な声で訴えられていました。東京では早々と8月に行われる「隅田川・花火大会」も中止を決めたそうですが、その判断は間違っていないでしょうか?何年か前「能登半島沖地震」が発生した時、当時の輪島市長さんが、「輪島に来て、お金を使って下さい。それが、私たちが一番元気になれる事です」と話されていました。それを聞いて、早速輪島市まで出かけて来ました。輪島朝市では震災で被害を受けた店の写真と、「がんばれ輪島」の看板が出ていました。私も何点かの「輪島塗」をお土産に買い求めましたが、安い商品なのにとても喜んで頂けました。もし旅行が許されるなら、被災地に隣接する青森県や秋田県、山形県や福島県の観光地に出かけ、お金を使うことがゆくゆくは被災地の為になるのではないでしょうか?「自粛」では、何の経済効果もない上に、ますます復興が遅れてしまうでしょう。さて、3月が寒かったせいで遅れていた桜がやっと咲き出しました。まだ、ほとんどがつぼみですが来週末には満開になるのではないかと思います。早速、酒飲み友達と「花見会」をしょうと約束して来ましたし、その後二次会でスナックでカラオケで歌おうと話しています。さて、当店では5月まで売り上げの5%を義援金にしようと思っています。まだ2000円程度しかありませんが、何とか2〜3万円にはしたいとお客様が来る事を祈っています。(写真は、ちらほら咲き出した新旭・風車村の桜です)
なぜ涙が出なくなったのだろうか?
2011/04/04
安曇川では、4月に入ったのに寒く感じられる日が続いていて例年に比べ桜の開花も遅れるのではないかと思います。ここ2〜3日は、北風が強く吹き「風で止まる湖西線」も有名になり通勤されている人は大変だと思います。近江舞子駅より以南は、防風壁が完成しておりますので止まる事は少なくなりましたが、近江舞子〜北小松間のわずか2qあまりが未完成で、北小松〜近江今津間が止まってしまいます。JRでは、防風壁の延伸を考えていないそうですが、地元自治体である大津市や高島市とで負担額を相談して検討してほしいものです。さて、私ごとですが「人の死は突然訪れる」と言うことを実感する出来事がありました。私の母の兄である叔父さんが亡くなられたと、3月31日に連絡がありました。急いで、母親を乗せて京都・精華町にある叔父さん宅に行きましたが、生前とは変わり果てた姿で眠るように横たわっていました。悲しくて泣きたいのに、なぜか冷静でいる自分に気がつきました。いつからだろう?なぜ涙が出なくなったのだろう?。色々と人生経験で悲しいことに出会ったからだろうか?感性が鈍くなったのからだろうか?。4月2日の告別式に再び対面しましたが、その感情はあまり変わることはありませんでした。しかし、棺にお花を入れる段階になって、初めて涙が止まらなくなりました。89歳の年齢でしたが、いつまでも元気でいるという勘違いがありました。「色々とお世話になりました。恩返しできずに申し訳ありません」と語りかけました。火葬場である飯盛霊園の桜がちらほらと咲きかけていて、春がそこまで来ている事を感じさせました。それにしても、従兄弟のご遺体に接する姿を見て、自分があそこまで出来るかどうか考えさせられました。私もまだまだ人間として出来ていないなと、帰宅してから反省しなかなか眠れませんでした。(写真は、自宅の空き地に出たツクシの集団です)
3月も終わりですね。
2011/03/31
昨日(30日)は、久しぶりにお休みを頂き敦賀市まで出かけましたが、いつも立ち寄る鞠山・海つり公園は春休みなのに釣り人は少なく閑散としていました。気温も12℃と最近になく暖かく、もうすっかり春模様でしたが、海の水温が低いのか魚の姿は見えませんでした。暇をもてあましていた釣り人に、「何が釣れているのですか?」とお訊きすると、「何も釣れませんわ」と返事が返って来ましたが、私の経験ではそろそろ「子鮎」が遡上する時期ですが、今年はまだのようです。海つり公園の見学が終わり、「花換えまつり」で有名な「金ヶ崎宮」の参道まで行きましたが、まだまだ桜のつぼみも堅く、今年は少し遅れるかもしれません。「敦賀きらめき温泉」リラ・ポートで、いつものようにプールと温泉を楽しみましたが、ここでも春休みのせいか小さな子どもの姿が目立ちました。お昼の回転寿司の「祭り寿司」では、親子連れが店内に溢れ、名前が呼ばれるまで40分も待たされました。昼食後は、「さかな街」で「おぼろ昆布」を買い求め、三方五湖の梅の花でも見ようと、国道27号線を若狭町に向かいました。いつもなら美浜原発のある水晶浜に立ち寄るのですが、福島原発の事があり敬遠しました。(写真は、遠く雪が残る山々と人なつこいカモメと子ども連れが多い鞠山海つり公園です)
「さあ走ろう 燃える心に 光る汗」。
2011/03/26
毎日、被災地の現状のニュースが流され、被災しなかった地域まで元気をなくしているような気がします。日本全国が”自粛”ムードになり、笑ったり、喜んだりする事がタブーになっています。まるで、戦争に負けたような雰囲気で(私は知りませんが)喪に服しているようです。また、もう飽きたと言うほど「AC/JAPAN」の広告が流され、親切だとか思いやりだとかを訴えています。今朝のテレビでも発言されていましたが、「被災地を元気ずけるのは、私たちが普通に生活して経済活動を高める事が大切だ」。「普通に、旅行したり買い物をしたりして税収を増やすことが大切だ」。なんて話しておられました。民主党の公約である、平日2000円の高速代は見送られるようですが、被災地に向かう高速代は無料にしたら、ボランテアだけでなく観光客も取り戻せ、少しはお金が落ちるのではないでしょうか?それにしても、福島原発の事故に対する報告は、専門用語が飛び交い国民に真意が伝わっていないと思います。むしろそのような報告をする事で、わざとわかりにくくしているのでしょうね。さて、今日の安曇川は、昨夜から降り出した雪でうっすらと白くなりました。日中も晴れたり、曇ったりして時々雪が舞っています。私の記憶では、安曇川に来て27年で最も遅い雪となりました。冒頭の俳句は、安曇川町マラソン大会の標語で選ばれたものです。「また、福井さんの作品か」と教育委員会から言われて、この後は応募するのを辞めました。(写真は、ツクシが寒そうな朝の景色と、再び白くなった比良山系の山々です)
「学びあう 心はいつも 一年生」。
2011/03/24
連日テレビで「東日本大震災」の放送を見ていますが、遅々として復興が進まないのがとても気がかりです。いまだに救援の手が差し伸べられない避難所もあり、暖房用の石油がないとか移動用のガソリンがなとか聞くと胸が痛みます。特に高齢者や小さな子どもなどが体調を崩さないか、密室のような所でインフルエンザなどが流行しないか心配です。私の所属する民商でも会員に義援金をお願いしたりしておりますが、まだ現地に向かう体制は出来ておらず4月にならないと無理なようです。もう一つの懸念は、福島原発の事故で「人体に影響がない」と政府は言いますが、この様な経験がない人々がパニックになっても仕方ないと思います。問題は、これ以上事故の結果が収束に向かっているのか、それともまだまだ先が見えないのか分からない事です。この安曇川でも、若狭湾にある原発銀座?に接していて、同じような事が起きるかもしれないので他人事ではありません。福島原発の廃墟の様になった建屋が無残で、それが美浜や大飯や高浜の姿に重なります。ところで、東京に本社のある補聴器メーカーは、しばらく本社を福岡県・博多市に移すと連絡が来ました。何でも「計画停電」が起きると、社員が出社出来ないし製品も作れないとの事です。これから電力の需要が高まると、そのような会社が増えるのではないかと思っています。冒頭の俳句は安曇川町の「生涯教育」の標語に選ばれた私の作品です。(写真は、月ヶ瀬梅林の売店で売られていた「こんにゃく」と「月ヶ瀬温泉」の全景です)
「限りなく 夢よ広がれ 藤樹の郷に」。
2011/03/21
高山ダムは、放水もされていなく、その光景がなお淋しく感じさせられました。もちろん行き交う車も観光客らしき人も見かけないので、まだ冬の眠りから目覚めていないという雰囲気でした。そろそろ「月ヶ瀬梅林」に向かわないと、帰宅が遅くなりそうなので急ぐことにしました。高山ダムから20分ほどで、道の両側に「梅まつり」と書いたピンクのノボリが目立つようになりました。駐車場の係りの人に、「ここが梅まつりの場所ですか?」と訊くと、「はいそうです。駐車場代の600円頂きます。」といわれ、「田舎にしたらえいかげん良い料金やな」と思いました。ここでは、観光客が意外と多く、観光バスまで横付けしていました。先に土産物をと売店を見て回り、手作りの「こんにゃく」一個300円と「ゆずみそ」一瓶500円と「お餅風の煎餅」一袋500円を買いました。係のおじさんが「お客さんはどこから来られました?」と訊くので「滋賀県からですわ」と答えると「先ほど来られた方は、多賀町だと言われました」、「何でも、すごく雪が残っているらしいね」と驚かれていました。売店で「月ヶ瀬梅林」の地図を貰い、散策しましたが結構坂道が多く、足に身が入りそうで、日頃の運動不足が痛切に感じました。一周30分程度のコースですが、私もこれほど広いとは思わず、山一つが赤や白やピンクの梅の花で見事でした。駐車料金以外の入園料などは不要で、これだけの梅の花が見られたらある意味では納得出来る事でした。長女は、「花よりだんご」で土産店を見つけると、何か一品買わないと収まらず、どんどん袋が大きくなります。本日の仕上げは、「月ヶ瀬温泉」に決めていて早速入浴して少し汗をかいていたので、心地よい温泉でした。ちなみに入浴料は大人600円ですが、障害者割引があり400円となっていました。温泉施設の周りは、野菜の産直販売している施設もあり、嫁さんが夕食の食材を買い求めていました。カーナビに自宅に帰ると入力すると、午後7時到着と出て、「え〜っ、3時間もかかるの!」と少し驚きましたが、とにかく急いで帰ることにしました。国道163号線から伊賀市へ、国道422号線で信楽町に出て、たぬきの置物を横目に見ながら、第二名神から名神へ京都東から湖西バイパスを通り戻ってきたら、まだまだ陽のある午後6時に帰宅することが出来ました。冒頭の俳句は、安曇川町制40周年に選ばれた私の作品です。(写真は、月ヶ瀬梅林で見た色とりどりの鮮やかな梅の花です)
「支え合う 見知らぬ人が 見知らぬ人を」。
2011/03/19
18日(金)は、議会が休会なのでそれに合わせて少し早いですが、大阪・大東市までお彼岸の墓参りをするため今回は車で出かけて来ました。本当は電車で行って、帰りに友人と一杯やるのが楽しみだったのですが、「都合がつかない」と断られ渋々車を選択しました。墓参りなどもののの20分ほどで済むので、さてこれからどうするかと思案していましたら、「月ヶ瀬梅林」て今頃がちょうど見頃ではないかと判断して、帰りは国道163号線を利用して、山田川を目指しました。途中で昼食時間となりましたので、精華町内にある回転寿司「スシロー」に立ち寄りました。この店に来るのは二度目ですが、いつも比較的空いていて待たされた事はありません。最近の長女は、寿司よりも「エビ入りうどん」や「ショートケーキ」や「プリンアラモード」などだけ食べて「ご馳走様」と手を合わせます。さて、 木津川市内からいよいよ加茂、笠置と上流へとさかのぼりますが、この辺りは40年ほど前によく遊びに来たところで、車窓からの風景が懐かしく感じました。そうだ、「月ヶ瀬梅林」に行く前に久しぶりに「高山ダム」に立ち寄ってみようと思いました。このダムに関わっていた叔父さんが、何度か私と従兄弟を車に乗せて案内してくれたことが思い出されました。あの時、完成して真新しいダムが風雪に耐えてか少し古びて感じましたが、仕方のないことかもしれません。ところで、関東地方で起きている「買い占め」が安曇川まで及んで、電気店に乾電池や懐中電灯がありません。話しによると、関東に住む息子や娘が頼んで来るそうで、両親が水やカップメンと一緒に送っているそうです。何か、何年か前のオイルショツクを思い出される光景ですが根拠のないデマに振り回されてはいけませんね。冒頭の題名は、昨夜寝ずに?考えた俳句ですがいかがでしょうか?(写真は、高山ダムとその下流の風景です)
原発は安全だったはずでは。
2011/03/16
「新潟の読者から、お便りをいただきました。東日本の巨大津波のありさまに胸が痛み、”もし新潟で同様の地震が起こり柏崎原発も被災したら”と考えてしまい、夜も眠れません、と。停電で電源を失った被災に始まる、相次ぐ建屋の爆発。核燃料の空だき。使用ずみ核燃料の貯蔵施設の爆発・炎上。不安の震源地、福島第一原発の暴走をなんとしても食い止めなければなりません。「巨大な原子炉はコンクリートのサイロの中に格納され、環境保護システムをもっている。たとえ信じられないようなことが起こったとしても、自動制御・安全装置が瞬時にして炉を停止させる」。旧ソ連チェルノブイリ原発の技師長が、世界に誇った言葉です。しかし、事故は起こります。2カ月後の1986年4月。技師長が安全だと胸を張った当の4号炉で。実験の最中でした。停電した時、備えのディーゼル発電機でどうやって安全にうまく運転させるか。福島原発は、型も危険度もチェルノブイリとは違います。しかし、両方の事故に重なるところは少なくありません。ともに、「安全」に対する自信を持ちすぎていました。引き金は、同じ「電源」でした。「日本の原発は安全」といってきた政府、電力会社や学者。対して、「危険」「安全といい切れない」といってきた学者や技術者。いま、どんな意見の持ち主でも知恵と力を結集できるしくみをつくる時でしょう。最悪の結果を避けるよう、世界にただ一つの被爆国が蓄える原子力技術の総力をあげて。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)毎日、福島原発の被害状況が発表されますが、本当のところそれがまだ安全なのか、それとも手の負えないほど危険なのか判断がつきかねます。もし、危険な状況ならいち早く避難させ一人の犠牲者も出さない事が大切ではないでしょうか?それにしても、原発の発電が止まると外部からの送電が受けられず、自家発電にしか頼る方法しかないとは知りませんでした。ここ安曇川も、若狭湾にある美浜原発なら直線で30q以内だと思いますので他人事ではありません。ところで、友人の名前でメールが来ましたが、関西の電力を東京、東北電力に送るので節電に協力して欲しいとの事でした。また、このメールをあなたの知り合いに送って欲しいと書かれていました。電気の知識が少しある私としては、発電の周波数が違うのにその様な事が可能なのか疑問でしたので誰にも送りませんでした。さて、今日の安曇川は季節外れ?の雪が降っていて、現在積雪は2〜3pあります。この時期に雪が降るのは10年ぶりではないかと思いますが、これが冬への「なごり雪」になればと思います。(写真は、午後3時現在の店の前の風景です)
東北・関東に巨大地震。
2011/03/12
昨日は、民商恒例の集団申告のための集会が今津町にある「東コミセン」3階で行われていました。集会が終盤になり、時計をぼんやり見ていた午後2時45分頃、顧問の挨拶があり「がんばろう・三唱」と立ち上がろうとしたら体が不安定になりました。「あれっ!ここ3〜4日は遅くまで準備に追われていたから、疲れが出たのかな?」と勘違いしておりました。集会が終わった途端、「今の、地震やったな」「壇上の、スローガンの懸垂幕が揺れているやろ」と言われ振り返ると、まだ左右に揺れていました。「近くで起きた地震ならたしたことないけど」「もし、遠くで起きた地震なら相当の被害になっているはずやな」と神戸の震災の時の激しい揺れを思い出しました。今津税務署までのデモ行進は、みぞれ交じりの雪が降りて手の感覚がなくなるほどでした。後片付けも済まし、総務課長にお礼を言って帰路につきましたが、この段階ではまだ何も知りませんでした。午後4時頃お店に戻り、コーヒーを片手にテレビを点けると、画面に大きな船が波に流され、街中で横転している景色が目に飛び込んで来ました。「え〜っ、何やこれ?」「いったい何が起きたの?」と、自分の思考が停止してしまいました。それから、あちらこちらの街の被害状況が放送されると、今日の地震が東北地方であった事が理解出来ました。特に、海から押し寄せる津波の凄さは、58年も生きてきた私にとっても初めての経験でした。昨夜は遅くまでテレビに釘付けになり、少し睡眠不足です。朝になって、昨日のことは夢であってほしいと思いましたが、やはり現実の事で次々と悲惨な状況がテレビの画面から目に飛び込んで来ました。今、私に、私たちに何が出来るのか考えています。(写真は、3・13集会で今津税務署に向かってデモ行進する仲間です)
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