お墓参りに行って来ました。
2011/08/13
12日(金)は、恒例のお盆前のお墓参りのため大阪・大東市まで電車を利用して行って来ました。往路は、京阪電車で三条から京橋まで二階建ての車両に幸いにして席を取ることが出来ました。初めて乗ったのですが、非常に快適で人気がある理由が分かりました。電車から見る景色も広く、座席もゆったりとしてしかも座り心地が良かったです。ただ、一つだけ気がかりなのは、あまりにも停車する駅が多くこれでは昔の急行と変わらず急ぐ時には向かないなと思いました。京橋駅からJRに乗り換え鴻池新田駅に降り立った時に、「この暑さはなんだ!」と思いました。安曇川と比べても気温はさほど変わらないでしょうが、湿度が全然違います。お墓までの800bで、汗が噴き出しハンカチが絞れるほどになりました。用意して来た扇子で仰ぎますが、「焼け石に水」で「もう私は、大阪には住めないな」と思いました。ホームのベンチに座っている乗客も、「もう堪忍してくれ!」と言っているような表情です。墓参りの後、元同僚と飲む約束があったので、地下鉄で本町駅まで出て心斎橋を南に向かいました。ここでは、店舗用品が売られている「セルフ店研」と言うお店に立ち寄るのですが、早々とお盆休みになっていてシャツターが閉まっていました。仕方なく、「ABCマート」の靴屋に立ち寄ったり、「ブックオフ」の本屋に立ち寄ったりして時間を潰しました。それにしても、心斎橋を初めて見た安曇川の友人が、「何か祭りでもあるのか?」と訊かれるのも無理がない人出でした。元同僚と8ヶ月ぶりに会いお互い「夫婦同伴」なので話しが盛り上がり、午後5時から午後10時まで飲んでしまいました。せっかく来たのだからと、「お上りさん」気分で道頓堀まで歩きましたが、この時間になっても人波が絶えず「怪しい客引き」に何度も声をかけられました。大阪駅に引き返すと天井があり、歩道橋も新たに出来ていてこれが「ウエストゲート」かと分かりました。「電車に乗る直前のビルの明かりが見えるのが好きだったのに!」と無粋な建物に一人でぼやいていました。(写真は、京阪電車の二階席と、道頓堀の夜景と、大阪駅の無粋な建物です)
店長の日帰り旅行B。
2011/08/10
敦賀「きらめき温泉・リラポート」では、まず「バーデンプール」に入るのですが、長女は飽き気味で最近では20分ほどしか持ちません。次に温泉に入るのですが、少し前までは1時間は入っていたのですが、今回は30分で上がって来たそうです。「そろそろ、次の手立てを考えないといけないな。」「この際、海で泳いだらどうやろう?」と考えますが良いアイデアが浮かびません。お昼は、久しぶりに回転寿司の「祭りずし」に立ち寄りましたが、去年の夏休みは30分以上待たされましたが、それに比べ混雑がありませんでした。「最近、外食が減っている」と新聞に書かれていましたが、まさにそれを実感する状態でした。昼食後は、無くなっていた「瓜破の水」を補給するため国道27号線を一路小浜市方面に向かいました。途中、「梅干し」で有名な三方町に立ち寄り「紅しょうが」を探し求めましたが、すべて売り切れていました。この辺りから国道162号線に入り、海沿いに走りますが所々にある海水浴場では水しぶきが上がっていました。時間が少しあったので、常神半島の「小川」まで足を伸ばしましたが、炎天下の中「釣り堀」で親子連れが釣りを楽しんでいました。残念ながら、ほとんど何も釣れていませんでしたが、「親子で釣りをした」という夏休みの思いでは出来たようです。小浜市内に着くと、何やら祭りが行われていて舞台では幼稚園児が「ソーラン節」に合わせて踊りを披露していました。長女は祭りが大好きで、一目散に売店に走りかき氷の「メロン」と「鶏の唐揚げ」と何故か「大判焼き」を買い求めました。納得した様子で、「今日は、来て良かった」という顔で車に戻り「瓜破の水」に向かいました。ところで、昔は涼しかった安曇川でも連日36℃を超えていて、営業していても誰も訪ねて来ません。たまに来たお客さんが「いったい、どうなっているねん!」とぼやきますが、その気持ちはよく分かります。(写真は、海水浴を楽しむ親子と、小川で釣りをする親子と、小浜の祭りを楽しむ長女です)
店長の日帰り旅行A。
2011/08/07
鞠山・海つり公園で時間を潰そうとしたのですが、長女が車に乗ると言うので15分くらいしか経っていません。仕方なく金ヶ崎公園にある「敦賀ムゼウム」に立ち寄る事にしましたが、タイトルは「人道の港」とありました。「敦賀港は、1920年に「ポーランド孤児」、1940年には「命のビザ」を持ったユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港。古くから大陸への玄関口として栄え「東洋の波止場」と謳われた敦賀港は「人道の港」でもあった。」ムゼウムはポーランド語で資料館を意味します。「博愛精神第一」・杉原千畝「ナチスの迫害から逃れるために、日本通過のビザ発給を求めて日本領事館へやってきたユダヤ難民。当時カウナス日本領事館の杉原千畝領事代理は苦悩の末、「命のビザ」を発給します。ビザ発給から敦賀上陸までの経過を杉原千畝の人となりとともに紹介します。以前来た時は、外人さんが上陸名簿に「おじいさんの名前がある」と言って(想像ですが)感激していました。公園内に設けられた海にせり出したテラスでは、今年初めて見る鉛筆くらいの小さな「サヨリ」が泳いでいました。「可愛らしい大きさやね。」と嫁さんが言いましたが、残念ながら公園内は釣りが禁止されています。そろそろ、午前10時に近くなりましたので金ヶ崎公園を後にして「きらめき温泉・リラポート」に向かいました。ところで、昨日のテレビを見ていたら、兵隊となって勤務中、広島で被爆されたおじいさんが故郷の福島で再び被爆したと話されていました。「酪農家」として働いて来ましたが、「肉はダメ、牛乳もダメ、野菜もダメではやっては行かれない。」と廃業を決めたそうです。「一生に二度も被爆するなんて、想像もつかんかったが放射能の怖さは、よく分かっとる」と話されていました。(写真は、敦賀港に上陸したロシア観光団と、敦賀ムゼウムの外観と、船のテラスです)
店長の日帰り旅行@。
2011/08/04
施設から長女が帰ってきたので3日(水)は2週間ぶりにお休みを頂き、夏休みまっただ中の敦賀市に出かけました。「きらめき温泉・リラポート」のオープンが午前10時からなのですが、まだ40分以上ありましたのでいつものように「鞠山海つり公園」に立ち寄りました。駐車場に止めてある車の数が少ないので、こういう時は「釣果」があまり芳しくない証拠です。案の定、体長2〜3pの豆アジがぽつぽつ上がっていましたがまさに「一口サイズ」です。「今年は、アジの成長が遅れているな!」「もう8月だから、10p以上に成長してるはずやけど」「一月は、遅れていそうな感じやね」と、ほとんど独り言でつぶやいていました。海つり公園を吹く風もさわやかで、見上げる空に「うろこ雲」がありましたが、どこか秋の気配さえします。ただ、今年初めて「蝉しぐれ」を聞いたのが、唯一今が夏なんだと感じました。(写真は、釣り人の少ない釣り公園と、カモメのモニュメントの空に浮かぶうろこ雲と、唯一「蝉しぐれ」が聞こえて来た小山の木々です)
特急の止まらない駅。
2011/08/01
大阪に住んでいた頃は、特急が止まらない事など想像する事はありませんでした。仕事でも遊びでも新幹線なら新大阪駅へ行き、在来線の特急に乗る場合は大阪駅へ行けば良かったのですから。私鉄でも、難場や京橋あるいは梅田と目的次第では、各停に乗る事はありましたが、自ら乗る駅は特急が止まりました。ところが、安曇川駅では特急が止まらず、すべての特急が通過してしまいます。引っ越して最初の頃は、駅前の居酒屋などで飲んでいると特急が通過する音が聞こえて来て、「都落ち」した気分になり憂鬱になりました。「えらいところに来てしまった!」と思う気分が抜けず、そんな日は必ず「はしご酒」となりました。今では、修行のおかげ(ほんまかいな!)か、あきらめの境地で動揺する事なく通過する列車を見送る事が出来ています。さて、「風で止まる」と悪評が高かった湖西線ですが、ようやくJRも重い腰を上げ、残っていた近江舞子〜北小松間の防風工事に着手するようです。これで80%以上は止まらなくて良いそうで、この冬からは少しは安心して乗れそうです。ところで、前回に問題とした「小浜新港・ベルトコンベアー」は、実は漁船に積む「氷」を運ぶ物ですが、その瞬間を目撃したのは、私ですら二回しかありません。最近の新鋭船は冷凍設備が整っているそうで、氷を積む必要があるのは「老朽船」か「小型船」のようです。従って、いずれは不要になる設備のようですが、小浜港でしか見られないので惜しい気もします。早いもので、今年も8月に入ってしまいましたが、まだ「夏休み」の予定が決まっていません。昨日は、一日中インターネットで宿探ししましたが「空室」がなく、この際、甲子園に高校野球でも見に行くかと居直っています。(写真は、今年も実?を付けたガマと綺麗に咲いたキキョウの花です)
ようやくセミが鳴き出しました。
2011/07/28
6月の暑さに比べ7月はそれほど暑くなく、いつもならセミが鳴き出すのに最近までほとんど聞いた事がありませんでした。同時に草むらからキリギリスも鳴き出していよいよ「夏なんだな」と感じられるようになりました。そう言えば、夏休みになると大阪・大東市を離れておふくろの故郷である京都・精華町にどっぷりと浸かっていました。早朝に起きてカブトムシを捕まえにクヌギ林に出かけ、朝食後はキリギリスを捕りに土手を走り、午後からは川の浅瀬で魚捕りに明け暮れました。遊びから帰って来ると、井戸端にスイカが冷えていて何よりのご馳走でした。夜にになると、捕って来たカブトムシが「ゴソゴソ」と音を立て寝付けなかった事がありました。また、今は亡き「おばあちゃん」が時々、日帰りで宇治の平等院や伏見城などあちらこちらに遊びに連れて行ってくれました。気が付くと夏休みも後数日となっていて、宿題に追われた事が懐かしく思い出されます。今は、夏休みと言っても虫かごを下げ、虫網を手にした子どもの姿など、この安曇川でも見かけなくなりました。きっと、室内でゲームにでも夢中になっているのでしょうか?さて、昨日の敦賀市内で起きた乗用車とダンプの正面衝突の事故ですが、私たちがよくドライブする場所で起きました。敦賀湾から美浜町・水晶浜に抜ける道ですが、非常に見通しの良い道なので、何故この様な事故になったのか信じられません。(写真は、謎のベルトコンベアー(クイズ・さて何を運ぶための物でしょう?)と新しく出来た道の駅「若狭・おばま」と延伸して開通した若狭・舞鶴自動車道ですが、大阪・京都・神戸がぐっと近くなりました)
花はす温泉「そまやま」。
2011/07/23
「心なごむひととき」味わい深い風情を楽しむ。四季の変化が美しい杣山(そまやま)の麓に静かに佇み、花はすの故郷としていつも訪れる人にやさしい 花はす温泉”そまやま”ー。自然に囲まれた和風空間には、いつしか忘れかけていた日本の心が宿っています。しっとりとした空気につつまれ、素朴で味わい深い赴きのあるゆったりとしたひとときを心ゆくまで・・・。(リーフレットより)。入浴料は大人一人550円でしたが、広々とした温泉施設で、まだお昼前だったせいか入浴客も少なく、露天風呂などは貸し切り状態でした。隣接する建物には宿泊施設もあり、また館内にはレストランや売店、無料の休憩室も完備されています。なお火曜日は休館となっています。〒919−0214 福井県南条郡南越前町中小屋60−1 рO778−47−3368 お車で 大阪から約2時間(名神高速〜北陸道今庄ICから約7分) JR 大阪から約2時間。 周辺施設にはテニスコートやバーベキューハウスがありますので夏休みに子ども連れで行くのも良いでしょう。さて、私たちは、かねてより行きたかった旧今庄町にある「おばちゃんの店」に手打ちそばを頂くため、国道365号線(旧北国街道)で後戻りしました。ちょどお昼時だったので心配でしたが、普段の行いが良いのか運良く席に着けました。私はざるそばの大盛りを頼みましたが「しこしこ」とした腰のあるそばがとても美味しく感じられました。このボリュームで、750円でさらに、250円でコーヒーも注文出来ます。「これからこの辺に来たら、また是非寄ってみたいね!」と言いながら旧今庄町を後にしました。(写真は、花はす温泉の玄関と「おばちゃんの店」の看板とこの日注文したそばです)
行って良かった「はなはすまつり」。
2011/07/21
20日は、長女が帰省して来たので予定していた「はなはすまつり」のある南条町の(現南越前町)「そまやま」を目指しました。台風6号の影響で小雨が降り、時々風が強くなる中で不安になりながらのドライブになりました。途中のマキノ町の道の駅「追坂峠」で名神高速が通行止めになり、国道8号線が大混雑が起きているとの情報で木之本から国道365号線を経由するルートは断念しました。それで一旦敦賀市に出て今庄町経由で目的地を目指しましたが、いつもよりすれ違う観光バスが多いのに気がつきました。よく見ると行き先案内の看板に「大阪(梅田)」とか「京都(八条口)」とか書いてありましたので、通行止めの米原から一般道を走って来たのだなと想像出来ました。目的地がすぐに分かるか心配でしたが、道の両側に「はなはすまつり」とピンクの幟が何本も立っていました。まつりの会場は、駐車場も入場料も無料という「ありがたい」条件で台風一過の後にもかかわらずぽつぽつと観光客が訪れていました。まだ、曇り空で時々小雨が降る中、一町歩はあるかと思われる「はす畑」を歩きました。詳しくは知りませんが、植えてあるはすは何種類もあるそうで、その中でも「白いはすの花」などは、初めて目にしました。歩いていると「極楽」にでも招かれた様な気分になり、どこか複雑な思いがしました。ちょうど、道路を隔てた反対側が「花はす温泉・そまやま」になっていて午前10時30分なので、昼食前に入浴する事にしました。なお、「はなはすまつり」は8月上旬まで行われていますので、行かれては良いと思います。(写真は、広大な敷地に咲く色とりどりの「はすの花」です)
放射能は恐ろしい。
2011/07/14
福島原発の事故の影響で放射能がまき散らされ、野菜やお茶などが大量に廃棄されました。最近では、出荷した肉牛から放射能が検出されとうとう家畜もだめになったかと思っています。私の勤めていた会社の同僚で、広島出身のAさんがおりました。彼の父親は、三菱造船の広島工場であの「ピカドン」という原爆に被弾して被爆者となりました。被弾してから十数年後の70代前半にほぼ全身に癌が見つかり亡くなりました。被爆との直接的な因果関係は分かりませんが、まったく関係が無いとは言えないと思います。Aさんが40歳になった頃、居酒屋で冗談半分に「結婚しないのか?」と訊くと、おもむろに鞄から「被爆二世手帳」なるものを初めて見せられました。「これがあると医療費が無料になるのや」と語る表情は明るいものではありませんでした。「もし、結婚して子どもに異常があったら責任を感じるわ」「手帳がある事で、縁談がダメになった事もあるわ」と話しました。その時ですら、あの原爆が落ちて50年以上は経過していました。「放射能は恐ろしいものやね」としか、返す言葉が見つかりませんでした。その後Aさんは、常識では考えられない40歳後半で「白内障」になり、さらに癌が見つかりましたが、幸いにも元気でおります。毎日ほど、「当面の間、健康には問題がない」と報道されますが、本当に科学的根拠があるのでしょうか?少なくとも、0歳から20代までは集団で疎開するべきではないかと思っています。また、厚労省が被爆手帳を発行して、将来にわたる健康管理に責任を負うべきだと思います。10年後、30年後、50年後はたして浴びた放射能が健康被害が出ないように祈りたいものです。(写真は、大空に枝を伸ばしたポプラの木と、三和漁港にある「すくい漁」の船と、近所に咲いた「クチナシの花」です)
本当に暑いですね!
2011/07/11
今日の安曇川町の気温は、エアコンの室外温度で36℃を超えていますがまだまだ上がりそうです。27年前に安曇川町に引っ越して来た頃は、30℃を超えるの日は、ひと夏にせいぜい一週間ほどしかありませんでした。それが最近では、ほぼ全日30℃を超え大阪などとほとんど変わらなくなりました。朝夕も気温が下がらず、「窓を開けて眠ると、夜中に寒くて目が覚める」なんて感覚はなくなりました。埼玉県・熊谷市や岐阜県・多治見市などでは38℃なんて体温より高い気温になるなんて信じられません。でも、どこか興味本位でその暑さを体験してみたい気もします。まだ夏は始まったばかりですが、この先どうなるのか特に電気は大丈夫か気がかりなところです。さて、先日身内に不幸があり、葬儀に参列のため和歌山市まで出かけて来ました。「焼香は一般人が先」「火葬場には身内全員がお別れに行く」「お骨上げは三親等以内の身内だけ」という、和歌山の「葬儀のルール」と言うのがあり、ご当地で随分と違うのだなと感じました。今回も大変お世話になった方なのに、やっぱり「涙」は出て来ませんでした。ところで、次回の温泉巡りは、福井県・南越前市にある「花はす温泉・そまやま」を予定しています。前回に行った「泰澄の杜」でもらったリーフレットに「はすまつり」が8月7日まで行われていて、とても綺麗で好評だそうです。「はすの花」など幼い頃の大東市では珍しくなく、「花より実」の方が興味がありました。決して美味しいと言える物ではありませんが、空腹だけは満たしてくれました。その「はすの花」も長らく見ていないので懐かしさもあり、またご当地の美味しいそばが食べられると聞いていますので楽しみです。(写真は、越前海岸と特徴のある旧河野村庁舎と小浜湾に停泊中の水産高校の練習船です)
新規
修正
Copyright (C) 2006メガネ・補聴器のフクイ. All Rights Reserved.