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明日は、私の誕生日です。
2011/08/29

NHKの連続テレビドラマ「おひさま」を毎日2回は観ておりますが、ここに来て話しが停滞気味で面白くありません。「ゲゲゲの女房」の様に、生活が「非日常的」でないからかも知れませんが、もう少しテンポ良く話しが進んで行けば良いのにと思っています。さて、冒頭の題名の通り、明日は私の59歳の誕生日ですが、特別な感慨もなく「よく今日まで生きて来られた」と言うのが素直な感想です。2〜30代の若い頃は、「人生て長いなあ!」と思っていたのですが、40代になると一年が半年に感じられ、50代になると3ヶ月位の間隔に感じられます。ある意味では、人生の終盤を迎え、残された人生が10年あるのか、20年あるのかと数えてしまいます。唯一の楽しみは、4年に一度行っている「小・中学校の同窓会」が来年にある事で、「還暦だから、赤いちゃんちゃんこ」で参加しようと思っています。最近の安曇川は、夜になると随分と涼しくなり、「クツワムシ」の賑やかな鳴き声が聞こえて来ます。安曇川に来た27年前には、ほとんど聞いたことがなく、鳴いているのは、コオロギかスズムシだったのですが、いつの間にかクツワムシに代わりました。きっと「地球温暖化(熱帯化)」で、気温の上昇に強いクツワムシが生き残ったのではないかと、私流に推測しております。ところで、今年の阪神タイガースは、なかなか波に乗れませんね。これは指揮官である真弓監督の采配が悪く、10勝は勝ちを逃したと思っています。(写真は、水木しげるロードので見かけた田の神と、口裂け女(一時流行りましたね)と、目玉おやじです)

店長の夏休み鳥取版C。
2011/08/26

大山の姿を一度でも拝みたかったのですが、次回また来た時に希望を持って帰路に着きました。来た道を戻るのは面白くないのですが、山陰と言う土地柄難しい所もあり仕方なく国道9号線を東に向かいました。「砂丘には行かない」と鳥取市内を素通りして、まもなく兵庫県に入りました。「このまま帰るのも淋しいな」と言うと、「出石までどれ位かかる?」と嫁さんが言うので「1時間ほどと違うか?」と答えました。「ちょうどお昼やし、ソバでも食べるか」と言う結論になり出石を目指しました。出石に来たのは私は3度目ですが、嫁さんは議員の視察で1度多く来ていて、その時「皿そば」を頂いたそうです。夏休みのせいか、暑い中すごく多くの観光客が訪れていました。出石城近くの駐車場は満車で、やむえず少し離れた駐車場に車を置きました。駐車場でもらった「出石散策絵図」によりますと「宝永三年(1706年)に出石藩主松平氏と信州上田の仙石氏がお国替えとなりました。その際、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が、在来のそば打ちの技術に加えられ誕生しました。その後、出石焼きが始まり、白地の小皿に盛る様式が確率されました。今では、50軒ものそば屋が並ぶ、関西屈指のそば処として知られています。」美味しさで有名なのか、お店の前に行列が出来ているそば屋さんもありますが、早く食べたいので暇そうな店を探しました。店の前に客引き?がいて「一人前5皿のところ、3皿サービス」と過激な言葉が返って来ました。「ここにしょう!」と言うことで店内に入りましたがロケーションが良く、目の前に辰鼓楼(時計台)が見えます。何度か出石に訪れているのですが、本格的な「皿そば」を食べるのは初めてで、いつもは、近くのレストランで「ざるそば」や「天ぷらそば」などを食べていました。二人前で16皿も並び、それに薬味に「すりわさび」と「ネギ」と「とろろ芋」に何故か「生卵」が付いて来ます。ちょうど一皿分が一口分になっていて、五皿で一人前と言うのがよく分かり、八皿食べると食べ過ぎたと言うのが実感です。「そば湯」も頂き何か土産物でもと街に出かけましたが、長女は真っ先にかき氷の店に走りました。少しすると空模様が怪しくなり、遠くで雷が鳴る音がして来ましたので急いで駐車場に戻りました。「この出石だけでも、まだまだ見る所があるみたいやね?」「今度また、涼しい頃に来よう」と言って出石を後にしました。福知山市内から舞鶴若狭自動車道に乗り、小浜市内に午後4時頃に戻って来ました。少し早かったので「瓜破の水」を汲んだ後、上中町の「バレアの湯」に立ち寄り旅の汗を流しました。店長のたった二日の今年の夏休みは、短かったけど満足の行くものでした。(写真は、辰鼓楼(時計台)とボリュームある皿そばと出石の土産物店です)

店長の夏休み鳥取版B。
2011/08/23

昨夜は、疲れていたせいかビールがよくまわり午後10時には全員が討ち死にしていましたが、その分翌朝は午前6時には起きていました。朝食の和洋バイキングを食べながら、「今日は、帰路に着くがどこに立ち寄る?」と訊くと「鳥取砂丘はもういいわ!」と嫁さんが答えるので、「大山の麓まで行くか?」と話しがまとまりました。フロントで「大山の麓まで、どれ位かかりますか?」と訊くと、「15分ほどです」と返事が返って来ました。「それなら、大して時間がかからないね」と言うことで出発しました。なお、昨夜にお世話になった宿は、「シャトー・おだか」と言い、一泊二食付きでお一人様5600円という格安料金でした。夕食もそれなりの料理が出て、食べ残すほどでビール二本と長女が食後欠かせないコーヒーとで総額17050円をお支払いしました。部屋にバスは付いていませんが、大浴場があり不満は感じられませんでした。強いて言えば、全館が禁煙で玄関までタバコを吸いに下りなければならないことでした。嫁さんが言うには、「もう一度泊まりたい宿の一つやね」と高評価でした。もし、米子市方面に出かけたら利用されたら良いと思いますので情報をお伝えします。「シャトー・おだか」 〒689−3514 鳥取県米子市尾高2377番地 рO859−39−3701米子自動車道 米子ICより車で3分 4名様以上ご予約で米子駅から無料送迎承ります(リーフレットより)さて、大山観光道路から見る大山は、分厚い雲に隠れて全容がまるで見えません。しばらく待ちましたが、状況は変わらず諦めざるを得ませんでした。「そう言えば、度々米子まで出張して来たけど大山が見えたのは、数回しかないわ」との結論になりました。嫁さんは名残惜しそうに、振り返り振り返り見ていましたが、「やっぱりあかんわ」と断念したようです。(写真は、宿舎の全景と、雲に隠れた大山と、ねずみ男の前での記念写真です)

店長の夏休み鳥取版A。
2011/08/21

米子市には、今から35年前の会社に入りたての頃、毎月2回程度は出張でメガネ店を回っていました。まだ、伯備線が電化されておらずディーゼル特急「やくも」で岡山から2時間30分もかかりました。あの頃は、山陰というどことなく暗い雰囲気があり、特に冬場は気が重かったことが忘れられません。いつの時代も新入社員に良い条件の仕事など無く、まあ修行しろと言うことだったのでしょう。ただ唯一、今もあるかどうか知りませんが米子大丸の向かいにある「焼き鳥の店」(屋号は忘れました)の美味しかった事は忘れられません。養鶏場を経営していて、産直の店として小売もされていましたのでお安く食べられ、薄給の私は出張の度に足を運びました。さて、思い出話はこれ位にして昼食後、境港を目指しましたが、道路が片側2車線になっていていつの間に整備されたのだろうと感心しました。15年前に来た時は、決して広い道ではなくノロノロと走っていた事が思い出されます。そのおかげで、20分ほどで境港に到着しましたが駐車場が満車で、10分程度並びました。あこがれの「水木しげるロード」ですが、平日だと言うのにすごい人出で、人気があるのが伝わって来ました。「NHKのテレビドラマの影響て、すごいね!」と言うと、「あのドラマは、面白かった」と嫁さんが返事しました。「安曇川でも、そんな有名人がおらんのかな?」「もしいたら、すごい経済効果やで」と半ば妬みもあります。道沿いに色々な銅像が建っていますが、一番人気は「鬼太郎」、二番目は「ねずみ男」、三番目は「1反もめん」でこの前で記念撮影するのには、時間がかかりました。意外だったのは「目玉おやじ」に人気が無く、素通りする方が多く不気味に感じるからでしょうか?街にある外灯も「目玉おやじ」になっていて、私は仕事の関係で一番好きなキヤラクターなんですが人気が上がってほしいものです。「水木しげる記念館」や「妖怪神社」なるものもあり、退屈せずに2時間近く過ごせました。駐車場に戻り、「さて、これからどうしょか?」と考えていたのですが、「お土産用に、おさかなセンターで買い物でもしょうか?」と言うことになり、そちらに向かいました。車で10分ほどで着きましたが、お客はまばらであまり売れているような気がしません。それもそのはずで、値段が高く「白イカ一杯2800円」と書いてあり「止めとこう」となりました。最近はどこの魚市場でも同じで、敦賀市も小浜市も手の出せる金額ではなく、「ふっかける」風潮があります。やがて、「客離れ」が起きて「閉店」する店が相次ぎ、ますますお客が来なくなります。結局、何も買わず自販機でお茶だけを買い求め、市場を後にしました。午後4時過ぎになっていて、今からならどこに行くのも中途半端になりますので、少し早いですが今夜の宿舎がある米子市に戻る事にしました。(写真は、水木しげるロードの賑わいと、目玉おやじの街路灯と、一番人気の鬼太郎の銅像です)

店長の夏休み鳥取版@。
2011/08/19

17日(水)の午前6時に安曇川を出発して、今回は新しく出来た小浜ICを利用して一路鳥取県を目指しました。当たり前の事ですが、この最新型のプリウスに搭載されているカーナビですら道のない山中を走っている様に表示されています。新しい道が出来ると、何らかの方法で上書き出来れば良いなと思うのですが、まだ技術的には難しいのでしょうか?時間がまだ早いせいか舞鶴若狭自動車道は空いていて、前方にも後続にも車の姿がほとんどなく快適なドライブになりました。福知山ICで国道9号線に乗り換えるのですが、ちょうど朝の通勤ラッシュと重なり渋滞気味で少しイライラしましたがまだまだ先が長いので慎重に運転しました。この道も何度か利用しているので見慣れた町並みが記憶のどこかに残っていますが、不思議な事に冬の季節が多く「えらい雪の多い所やね」の印象しかありません。やがて、「新温泉町」と言う看板が見えましたがもうすぐ「湯村温泉」を通る事になります。「この辺の旅館の景気はどうなんだろう?」とつぶやくと「そら、なかなか大変やろう。」と嫁さんが答えました。「佐賀県・嬉野温泉(生家のある)でも、旅館の身売りや倒産が相次いでからね」「今や、温泉だけではお客が来ないね」「特に湯村温泉は、値段が高止まりで一人・一泊15000円位はするで」と話していました。鳥取市までこんなに遠かったかなと思うほど、なかなか残りの距離が少なくなりません。安曇川を出て4時間後の午前10時過ぎに白兎海岸のある「道の駅・神話の風白うさぎ」に到着しました。「今日は、水木しげるロードのある境港まで行こうと思う」と言うと、「後、3時間はかかるみたいやね」とカーナビをセットし直して答えました。「夕方までに着けば良いさ!」「その前に、お腹が空いたのでお昼にしょう」と先を急ぎました。そこに嬉しい誤算がありましたが「山陰自動車道(無料)」との案内板が見えましたので早速利用する事にしました。朝の舞鶴若狭道と同じで、またもや山中を走る姿が写し出され、次で右に曲がれ、次で左に曲がれとカーナビがパニックに陥りました。「近代設備だというのに脆いもんだね」と言うと「原発と一緒で、信じ込まされているのやろうね」との答えが返って来ました。さて、肝心の昼食ですが、走れど走れどファミレスらしき建物は一つもありません。もうすぐ米子市内と言う所まで来て「スタミナ太郎」の看板が救世主のように見えました。もう場所など選んでいる場合ではないので、そこに決めましたが、なんと980円で食べ放題というバイキングで、おまけに敦賀店の会員カードでソフトドリンクも無料でした。(写真は、兵庫県・道の駅ハチ北と鳥取県・道の駅・神話の風白うさぎと海岸に沢山建っていた風力発電の風車です)

盆踊りは楽しそう。
2011/08/16

14日(日)は、地元の南市区の盆踊りがあり子ども達が何やら楽しそうに踊っていました。よく聴くと「マルマル、モリモリ〜」と言う音楽でフジテレビのドラマであった「マルモリ」だと分かりました。私は一二度しか見たことが無いのですが、世間では流行しているようですね。ところで、毎年お盆は営業しているのですが今年は時間を持てあましました。「お盆に休めば良いのに」と嫁さんから言われますが、あの車の大渋滞を見ていると出かける気にはなりません。一度ゴールデンウィークに、何故か宇治・平等院に出かけた時、車を駐車するのに1時間かかり昼食を摂るのに1時間待たされ、帰りは大渋滞と言うこともありもう懲り懲りになりました。私の場合は自分勝手に休んでいないのですが、JRやホテルなどサービス業に関わる人たちは、「かき入れ時」で休める事はないと思います。また,私の友人で「老人介護施設」に長年勤めている者がいますが、この4年間大晦日は施設で明かしたそうです。「淋しいな」と言うと「もう、慣れました」と答えが返って来ました。さて、私たちは明日から夏休みを取って鳥取県・米子市まで一泊二日の旅行に出かけます。前から行きたかった境港の「ゲゲゲの鬼太郎」を見学したいと思います。また帰って来ましたら、このブログで楽しかった事をご報告したいと思います。(写真は、笹で作られた入り口と、踊りを楽しむ大人と子どもと、ぼんぼりに描かれた見事な絵です)

お墓参りに行って来ました。
2011/08/13

12日(金)は、恒例のお盆前のお墓参りのため大阪・大東市まで電車を利用して行って来ました。往路は、京阪電車で三条から京橋まで二階建ての車両に幸いにして席を取ることが出来ました。初めて乗ったのですが、非常に快適で人気がある理由が分かりました。電車から見る景色も広く、座席もゆったりとしてしかも座り心地が良かったです。ただ、一つだけ気がかりなのは、あまりにも停車する駅が多くこれでは昔の急行と変わらず急ぐ時には向かないなと思いました。京橋駅からJRに乗り換え鴻池新田駅に降り立った時に、「この暑さはなんだ!」と思いました。安曇川と比べても気温はさほど変わらないでしょうが、湿度が全然違います。お墓までの800bで、汗が噴き出しハンカチが絞れるほどになりました。用意して来た扇子で仰ぎますが、「焼け石に水」で「もう私は、大阪には住めないな」と思いました。ホームのベンチに座っている乗客も、「もう堪忍してくれ!」と言っているような表情です。墓参りの後、元同僚と飲む約束があったので、地下鉄で本町駅まで出て心斎橋を南に向かいました。ここでは、店舗用品が売られている「セルフ店研」と言うお店に立ち寄るのですが、早々とお盆休みになっていてシャツターが閉まっていました。仕方なく、「ABCマート」の靴屋に立ち寄ったり、「ブックオフ」の本屋に立ち寄ったりして時間を潰しました。それにしても、心斎橋を初めて見た安曇川の友人が、「何か祭りでもあるのか?」と訊かれるのも無理がない人出でした。元同僚と8ヶ月ぶりに会いお互い「夫婦同伴」なので話しが盛り上がり、午後5時から午後10時まで飲んでしまいました。せっかく来たのだからと、「お上りさん」気分で道頓堀まで歩きましたが、この時間になっても人波が絶えず「怪しい客引き」に何度も声をかけられました。大阪駅に引き返すと天井があり、歩道橋も新たに出来ていてこれが「ウエストゲート」かと分かりました。「電車に乗る直前のビルの明かりが見えるのが好きだったのに!」と無粋な建物に一人でぼやいていました。(写真は、京阪電車の二階席と、道頓堀の夜景と、大阪駅の無粋な建物です)

店長の日帰り旅行B。
2011/08/10

敦賀「きらめき温泉・リラポート」では、まず「バーデンプール」に入るのですが、長女は飽き気味で最近では20分ほどしか持ちません。次に温泉に入るのですが、少し前までは1時間は入っていたのですが、今回は30分で上がって来たそうです。「そろそろ、次の手立てを考えないといけないな。」「この際、海で泳いだらどうやろう?」と考えますが良いアイデアが浮かびません。お昼は、久しぶりに回転寿司の「祭りずし」に立ち寄りましたが、去年の夏休みは30分以上待たされましたが、それに比べ混雑がありませんでした。「最近、外食が減っている」と新聞に書かれていましたが、まさにそれを実感する状態でした。昼食後は、無くなっていた「瓜破の水」を補給するため国道27号線を一路小浜市方面に向かいました。途中、「梅干し」で有名な三方町に立ち寄り「紅しょうが」を探し求めましたが、すべて売り切れていました。この辺りから国道162号線に入り、海沿いに走りますが所々にある海水浴場では水しぶきが上がっていました。時間が少しあったので、常神半島の「小川」まで足を伸ばしましたが、炎天下の中「釣り堀」で親子連れが釣りを楽しんでいました。残念ながら、ほとんど何も釣れていませんでしたが、「親子で釣りをした」という夏休みの思いでは出来たようです。小浜市内に着くと、何やら祭りが行われていて舞台では幼稚園児が「ソーラン節」に合わせて踊りを披露していました。長女は祭りが大好きで、一目散に売店に走りかき氷の「メロン」と「鶏の唐揚げ」と何故か「大判焼き」を買い求めました。納得した様子で、「今日は、来て良かった」という顔で車に戻り「瓜破の水」に向かいました。ところで、昔は涼しかった安曇川でも連日36℃を超えていて、営業していても誰も訪ねて来ません。たまに来たお客さんが「いったい、どうなっているねん!」とぼやきますが、その気持ちはよく分かります。(写真は、海水浴を楽しむ親子と、小川で釣りをする親子と、小浜の祭りを楽しむ長女です)

店長の日帰り旅行A。
2011/08/07

鞠山・海つり公園で時間を潰そうとしたのですが、長女が車に乗ると言うので15分くらいしか経っていません。仕方なく金ヶ崎公園にある「敦賀ムゼウム」に立ち寄る事にしましたが、タイトルは「人道の港」とありました。「敦賀港は、1920年に「ポーランド孤児」、1940年には「命のビザ」を持ったユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港。古くから大陸への玄関口として栄え「東洋の波止場」と謳われた敦賀港は「人道の港」でもあった。」ムゼウムはポーランド語で資料館を意味します。「博愛精神第一」・杉原千畝「ナチスの迫害から逃れるために、日本通過のビザ発給を求めて日本領事館へやってきたユダヤ難民。当時カウナス日本領事館の杉原千畝領事代理は苦悩の末、「命のビザ」を発給します。ビザ発給から敦賀上陸までの経過を杉原千畝の人となりとともに紹介します。以前来た時は、外人さんが上陸名簿に「おじいさんの名前がある」と言って(想像ですが)感激していました。公園内に設けられた海にせり出したテラスでは、今年初めて見る鉛筆くらいの小さな「サヨリ」が泳いでいました。「可愛らしい大きさやね。」と嫁さんが言いましたが、残念ながら公園内は釣りが禁止されています。そろそろ、午前10時に近くなりましたので金ヶ崎公園を後にして「きらめき温泉・リラポート」に向かいました。ところで、昨日のテレビを見ていたら、兵隊となって勤務中、広島で被爆されたおじいさんが故郷の福島で再び被爆したと話されていました。「酪農家」として働いて来ましたが、「肉はダメ、牛乳もダメ、野菜もダメではやっては行かれない。」と廃業を決めたそうです。「一生に二度も被爆するなんて、想像もつかんかったが放射能の怖さは、よく分かっとる」と話されていました。(写真は、敦賀港に上陸したロシア観光団と、敦賀ムゼウムの外観と、船のテラスです)

店長の日帰り旅行@。
2011/08/04

施設から長女が帰ってきたので3日(水)は2週間ぶりにお休みを頂き、夏休みまっただ中の敦賀市に出かけました。「きらめき温泉・リラポート」のオープンが午前10時からなのですが、まだ40分以上ありましたのでいつものように「鞠山海つり公園」に立ち寄りました。駐車場に止めてある車の数が少ないので、こういう時は「釣果」があまり芳しくない証拠です。案の定、体長2〜3pの豆アジがぽつぽつ上がっていましたがまさに「一口サイズ」です。「今年は、アジの成長が遅れているな!」「もう8月だから、10p以上に成長してるはずやけど」「一月は、遅れていそうな感じやね」と、ほとんど独り言でつぶやいていました。海つり公園を吹く風もさわやかで、見上げる空に「うろこ雲」がありましたが、どこか秋の気配さえします。ただ、今年初めて「蝉しぐれ」を聞いたのが、唯一今が夏なんだと感じました。(写真は、釣り人の少ない釣り公園と、カモメのモニュメントの空に浮かぶうろこ雲と、唯一「蝉しぐれ」が聞こえて来た小山の木々です)

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