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私の回顧録D。
2011/10/08

2年ぶりに東京から戻って来ましたが、失業者となりましたので新たな就職先を見つける為に毎日就活(当時は、そんな呼び方はなかったですが)をしていました。当時はまだ景気も良く、採用試験を受ける度に交通費とわずかな日当が会社から支払われて、お小遣いに困る事はありませんでした。ある時、母校の進路指導の先生から連絡があり、「「日本信号機」という会社が、君を採用したいと言って来てるよ」と言われ、後日担当者から電話がありました。「是非来て欲しいけど、どうでしょうか?」とのお話でしたが、「研修の為、6ヶ月ほど東京に行って欲しい」との事で辞退する事にしました。「今さら、再び東京に行けるか!」との思いが、そう決断させました。(若かったんですね)それから、新聞の求人欄(今ではありませんが)を見ては面接試験に行きましたが、その中で「冨士ゼロックス」と「東京電機」に合格しました。「冨士ゼロックス」は、「全国に転勤してもらうつもりです。」の一言で辞退しましたし、「東京電機」は、東芝の子会社とのお話で、「それなら親会社を受けるわ」と辞退しました。(再び、若かったんですね)そんな中で、奇妙な広告があり、電気技術者を募集しているとの事でしたが、いったいこの会社は何を販売しているのか見当も付きませんでした。社名が「旭カールツアィス」?と世間に知られて無くて、面接に行って初めて眼鏡業界だと知りました。その時は戸惑いましたが、帰宅して近所のカメラ屋さんと銭湯で話していると、「あんた!えらいところに内定もらったんやね。」と言われ、それが決心となりました。後で知ったのですが、「カールツアィス」は世界で一番の光学メーカーで「京大・野辺山天文台」や「四つ橋のプラネタリュム」や「カメラのコンタックス」ブランドでその道の通には憧れの商品だったそうです。ところで、東京の思い出の中で、「山手線で緒方拳に会った」とか「中央線で小柳ルミ子に会った」とか「アメリカの大統領のカーター氏を大井町で見かけた」とかありました。関西ではなかなかお目にかかれない有名人が、身近の感じるのも日本の中心だからでしょうね。(写真は、敦賀・鞠山海つり公園ですが、釣り人が少なく釣果は芳しくないようです)

私の回顧録C。
2011/10/04

東京での社会人としての生活は、たった2年間でしたが当時の私には5年以上の期間に感じられ、朝早くから夜遅くまでの仕事に追われ一日がとても長かった様な気がします。心のどこかで「そろそり潮時かな」と思いながら通勤していたような気がしますが、なかなか上司に伝えることが出来ず悶々としていました。いよいよ覚悟が出来て、上司に伝えると「どうしてだ?」と言われましたが、「東京の生活に飽きた」と伝えました。本当はその前に課長が家を成田に建てたとお聞きして、お祝いの品を届けましたが、当時の成田からは通勤に2時間以上もかかる様でした。「東京では、課長ですらこんな所にしか家を建てられないのか?」と言う絶望感もありました。その後、成田には国際空港が出来て随分と便利になったようですが、当時は電化さえされていなくて、ディーゼルカー(気動車)だった記憶があります。さて、いざ辞めるとなると思い出を作りたいと江ノ島に頻繁に出かけましたが、今でも心に焼き付いているのは、「夕暮れの江ノ島を材木座海岸から見た光景で、遠くに富士山のシルエットが浮かびました。」「あ〜あ、この景色も見納めやな」と考えると感無量の思いでした。いよいよ、大阪に帰る時、何故だか各駅停車で帰りたい思いに駆られ、仕事の仲間に見送られ品川駅から朝、昼、夜と駅弁を食べ一日がかりとなりました。今でも、2〜3年に一度、上京する機会に恵まれますが「東京タワー」を見ると「久しぶりに東京に来たな」と、どこか感傷的になってしまいます。さて、来年も我が阪神タイガースは真弓監督で行くそうですが、梨田監督や落合監督に代わってもらえれば嬉しいのですが、思うようには行かないものですね。(写真は、近所の畦道に咲いた彼岸花と、店の前で行われた電気工事と、雲一つ無い今朝の安曇川の空です)

私の回顧録B。
2011/09/29

東京で生活してみて(住んでいたのは横浜ですが)驚いた事が幾つかありますがその一つに「値引きはしない」と言う事です。個人商店でも同じで、靴屋では一足5000円の値段の物を二足まとめ買いをしても、5000円×2で10000円になります。「少しは勉強してよ」と尋ねても、その意味が伝わらず「値引きは出来ないけど、靴クリームはサービスします」との返事が返って来ます。また、違うお店でスーツを二着誂えても値引きはなく持ち運び用のハンガーが付いて来るだけでした。当時の東京で唯一値引きがされていたのは、上野・御徒町にある「赤札堂」だけで大変珍しい事でした。また、寮生活の中で朝食に納豆が毎日ほど出て来るのには閉口しました。ある日は納豆がそのまま出て来たり、またある日は味噌汁の具であったり、またある日は卵焼きに挟んであったりしました。いよいよ堪忍袋の緒が切れて寮長に抗議に行き、「関西の出身者もいるので、メニューを考慮して欲しい」「出来れば選択出来るようにして欲しい」と伝えました。栄養士さんとも相談して、この問題は解決しましたが関西の出身者には大変喜ばれました。また、これが縁となり寮長とも気軽に接して頂き、後々は家族旅行にも参加させて頂けるようになりました。もう一つは料理の味の濃さですが、駅構内にある「立ち食いうどん」の店を利用しました所、うどんの残りが丼鉢から見えないとほどでした。しかし、慣れとは恐ろしいもので一年ほどして、帰省すると関西の味が薄く感じて醤油を注ぎ足すほどになっていました。大阪に戻ってから、「上野公園の近くの中華どんぶりが美味しかったので、もう一度食べたいな」と思い上京する機会に立ち寄りましたが、「こんな濃い味だったっけ?」と失望感が湧いて来ました。もう一つは、言葉の問題ですが、今のように「吉本興業」の番組があるわけでなく、大変面白がられて時々意思が伝わらない事もありました。きっと今なら何でもない事なのでしょうが一生懸命標準語で話すように努力はしました。さて、9月も残すところ一日となりましたが、あの猛暑だった夏が嘘のようですね。今年も残すところ三ヶ月となり、カレンダーの枚数も減って来ました。そう言えば、27年前の今日にこの店がオープンした事に先ほど気付きましたが、まあ今日までよく続いたものだと感心しております。(写真は、玄関先で見つけたカマキリと、浅井家三姉妹のイラスト付きのお土産と、栗東市にある道の駅「こんぜの里」です)

私の回顧録A。
2011/09/24

ある秋の日、品川事業所で課対抗のスポーツ大会があり、私もサッカーの試合に出場する事が決まりました。本当は、ラグビーが良かったのですが、そんな競技は無くやむえずの選択でした。血気盛んな頃だったので、相手の足をめがけてスライディングするものですから、度々今のは反則と違うのかとクレームがつきました。それなのに、その試合に勝ったのか負けたのかあまり記憶が定かでありませんが、久しぶりに運動をした満足感はありました。その後、体育館に移動してバスケットボールで遊んでいると、バスケット部の女子が試合を申し込んで来ました。「女に負けてたまるか!」と俄然ファイトが湧いて来ましたが、そこは素人の悲しさで惜敗となりました。私の所属していた海外技術部の先輩が、たまたまバスケット部の部長だったので、一緒に懇親会に参加しないかと誘われ喜んで参加しました。宴も盛り上がり、少し酔ったので外に出てみると、誰か女の子がブランコに乗っていました。少し話しかけると、昼間に戦ったバスケット部の女子のメンバーで、同期入社だったことが分かりました。あの夜に会っていなければと思うぐらいで、これが今の嫁さんになるとは、「縁は奇なもの」と実感しております。さて、22日は大阪・大東市まで墓参りに行って来ましたが、身内の方が先に来ていてお花がまだまだ綺麗でした。仕方なく、まわりのお墓で花がない所に生けて合掌して来ました。帰りは、国道163号線で木津川市に出て、「月ヶ瀬温泉」に立ち寄りました。〒630−2302 奈良市月ヶ瀬尾山2681番地 рO743−92−0388 休館日 第1・第3火曜日 営業時間 AM10時〜PM8時30分 入浴料金 大人600円 小人300円、電車で JR月ヶ瀬駅から10q 近鉄上野市駅から12q お車で 名阪国道五月橋・治田ICから4q 館内にはお食事処「久庵」や「ふれあい市場」が併設されていますので、新鮮な野菜が手に入ります。(写真は、月ヶ瀬温泉の全景と、ふれあい市場にあった大きなカボチャと、今年初めて見たイガ付きの栗の実です)

私の回顧録@。
2011/09/21

私の回顧録などと言うたいそうな題名になりましたが、要は人生の思い出話という事です。大阪府立城東工業高校・電子科(現城東工科高校)を優秀な成績で卒業した(本当の話です)私は、予期せぬ事に上京する羽目になり東京・虎ノ門にある沖電気工業・本店の海外事業部に配属されます。最初から、まあ2〜3年したら大阪に戻るつもりで入社しましたので、物見遊山の気分でした。色々な勉強のため沖電気・品川事業所で研修する事になり、最初は海外技術部という部署で海外向けの電話交換機の設計に携わりました。この部署は気楽な仕事で、コーヒーやタバコを吸いながら仕事をしても怒られる事はありませんでした。ところが、一旦どこかの国の工事が落札されると、にわかに様相が激変し毎晩残業の繰り返しで、徹夜もしばしば経験しました。一ヶ月で270時間を超える残業があり、休日には泥のように眠っていて気がつくと夕方だったと言う事もありました。当時、生活していた寮は横浜市・青葉台と言う所にあり、通勤は片道1時間20分程度かかりましたので、午前5時30分には起床して朝食後、想像を絶する満員電車に揺られての通勤でした。寮は300名を超える寮生が住んでいて、お互いの名前すら知らないのが当たり前でしたが、その中で数人の連中とは仲良くなりました。ある時、タバコを吸う寮生が「お前も吸え!」と渡されましたが、気分が悪くなるだけでした。また、年に何度か寮生との懇親会があり、「酒も飲めないのか?」と先輩から勧められ無理矢理飲んだことがありました。私がもし、寮生活の経験がなければ今でも酒もタバコもたしなんでいないと思っています。さて、1年間の設計部の後、製品検査の部署に配転され現物の研修が始まりました。ここの部署は社内ルールが厳しく、タバコは喫煙室でしか吸えませんし、コーヒーも一日2回ある休憩時間しか飲めませんでした。それでも、自分が設計した交換機が回ってくると、少しは感激するものがありました。後で聞いたことですが、先輩が3年前に現地に出向いた時、図面にあるサインを見て「君の設計した交換機は、今でも立派に働いているよ」と再会した時に言われて嬉しかった事が忘れられません。製品検査部に移ってからは、時間に余裕が出来て東京や横浜、鎌倉などに観光に出かけました。特に、一番気のあった同僚が横浜にいて、度々出かけて山下公園や外人墓地や港の見える丘公園、夕暮れの大桟橋や中華街の喧噪さは、テレビの番組で紹介されると今も懐かしく感じています。さて、明日は臨時休業でまた大阪まで、お彼岸の墓参りに出かける予定ですが今回は車での移動ですのでお酒は飲めそうにありません。(写真は、一日遅れで実施された安曇小学校の体育祭の様子です)

クモとよく似た生活。
2011/09/17

朝の散歩と思い近所を散歩していると大きなクモが巣を作り、ひたすら獲物が来るのを待っていました。どこにでもある、ありふれた光景ですがどこか自分の姿に似ていて苦笑しました。私の仕事であるメガネ店も、ある意味では「ひたすら待つ」と言うことになります。毎朝、午前9時に開店して獲物(私の場合はお客)待ち続け、午後8時の閉店まで獲物が来ないことも多々あります。そんな時の一日はとても長く感じられ、気持ちが折れそうになる事もあります。もちろんクモも私も色々な努力を重ねてはいるのですが、時には結果が伴わない事は仕方の無いことかもしれません。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の小説のように、クモも私の仲間として親しく?(どうしたら良いのかな?)付き合って行きたいと思います。今日は、市内の小学校の運動会が予定されていましたが、雨のため中止となりました。練習風景を見ていると、「AKB48」の「♪会いたかった〜,会いたかった、イェイ、君に」の音楽に合わせて、演技の復習をしていましたが、思わず「時代やね!」と声を出してしまいました。さて、明日は予定通り行われると良いのですが、運動場が雨で水浸しなので無理かもしれません。(写真は、壁に巣を作ったクモと、小川に巣を作ったクモと、今年も咲いた葛の花です)

3週間ぶりの休暇A。
2011/09/13

ぶつぶつ文句を言いながら、「日野牛の岡崎」を後にしましたが、当初の予定では再び名神高速を使って敦賀市内に行く予定でしたが、何となく億劫になり(年のせいでしょうか?)竜王町にある「蒲生野湯」に行く事になりました。日野町から竜王町までは、普通に行くと20分程で着くのですが、珍しく道に迷ってしまい40分近くかかりました。「蒲生野湯」に来るのは、もう5〜6回になりますが、なかなか良い温泉で、特に露天風呂が広く楽しみでした。ところが、何かトラブルがあり、「本日は露天風呂が使えません」と係に人に言われ、今更場所替えするのも大変なので入浴する事にしました。最近の長女は、お風呂にも飽きてきて、後で訊いたら30分も持たなかったそうです。「蒲生野湯」の周辺は、梨畑が広がっていて「梨狩り」が出来るそうですが、すでに南浜で「豊水」を買っていたので、売店には立ち寄りませんでした。帰路の途中、「道の駅・かがみの郷」で美味しい「豆腐」を仕入れて、今晩の鍋の具材は整いました。ただ一つやり残した事は、「瓜破の水」が無くなっていた事ですが、安曇川町・中野地区に「秋葉の水」と言う湧き水があり、帰宅の途中に立ち寄りました。すでに先客があり、黙々と水を汲んでおられました。「へえ〜っ、こんな所に湧き水があったとは知らなかった!」と灯台もと暗しを嘆きました。帰って飲みましたが、「瓜破の水」に比べると、コクがありませんが、まあ合格点と言える水でした。ところで、阪神が広島に3連勝して期待を持たせましたが、ヤクルトに3連敗して崖っぷちに立たされてしまいましたね。今年の優勝は、そろそろ諦めた方が良さそうですね。(写真は、日野牛の岡崎の小売部と、蒲生野湯の全景と、中野地区にある秋葉の水です)

3週間ぶりの休暇@。
2011/09/09

7日(水)は、3週間ぶりの休暇を頂き敦賀方面に行く予定を変更して東近江市に向かいました。予定を変更した理由は、母親が「今朝は寒いくらいやったね。こんな時は鍋でも食べたいね」と言うので、「それなら日野牛の岡崎に行って、美味しい牛肉でも買ってこようか」と言うことになりました。旧西浅井町(現長浜市)から国道8号線を経て湖周道路に入るのですが、せっかくだから「旧びわ町(現長浜市)・南浜」の道の駅で「ぶどう」を買い求める事にして立ち寄りました。嫁さんは先日、「育成会」と言う「障害者団体」の遠足で、同じ南浜で「ぶどう狩り」を体験しているので関心が薄いようでした。売店では、色々な野菜や果物が販売されていて、結構賑やかでした。トイレ休憩をして、車の中で待っていると嫁さんが帰って来て、「ぶどうは高いから止めた。代わりに豊水という品種の梨にした。」と話します。「おいおい、ここの名物を止めて、どうするねん」と思いましたが反論はしませんでした。長浜市内に入ると、他府県ナンバーの車が目立ちますが、これはNHKの大河ドラマ「お江」のおかげで活気付いていると、地元の土産物店からお聞きしました。この先、国道307号線を走るのですが予定より遅れていたので、彦根市内から、八日市までの間は名神高速に乗り時間の短縮になりました。八日市には、午前11時頃に到着し少し早いですが「かっぱ寿司」で昼食タイムとしましたが、店内は私達以外は誰もいませんでした。八日市から日野町までは予定どおり国道307号線で,約20分程度で到着しました。ちょうど午前12時でしたから、いつもより相当早い時間に到着となり、今後の時間の使い方に悩みました。嫁さんは、「ちょっと、待ってて見てくるわ。」と言って店内に入りましたが、戻って来て車を走らせると「牛肉は高いから、豚肉にした。」と答えます。「それやったら「牛しゃぶ」と違って、「豚ちり」に格下げやないの!」と不満が漂います。(写真は、南浜で見かけた梨の豊水と、珍しいミョウガと、本命の美味しいそうなぶどうです)

台風一過の後の災害。
2011/09/06

台風12号が高知県・安芸市に上陸して、日本海に抜けるまで実に2日間もかかりましたが安曇川町では大きな災害もなく、強いて言えば収穫前の稲が川の増水で水没したり、強風で倒れた位でした。しかし、紀伊半島では1000oを超す雨が降り、時間が経つに従って被害の内容が明らかになり、死者37名・行方不明55人となりました。数年前、この店長日記にも書きましたが、当時に通った新宮市から奈良県・十津川村に抜ける国道は寸断され、記憶のある風景は無残になっていました。特に山間部の土砂災害を見ていると、「山が荒れている」と実感します。あんなに木が植わっている山が、いかに降水量が多いとは言え根こそぎ崩れてしまうものでしょうか?そうだとすれば、我が家も500bほど離れた所に、杉が植わった山があるのですが大丈夫なのか心配になります。被災地では、高齢化が進んでおり後片付けもままならないと報道されていましたが、「ボランティア」の募集もしているそうです。東北の震災は遠くて行けませんでしたが、今回は近いので機会があれば参加したいと思っています。さて、明日は長女が3週間ぶり帰省するので、お休みを頂き、敦賀市方面に出かけたいと考えています。(写真は、屋根に止まるコウノトリ(偽物ですが)と、出石城と、好物のかき氷を頬張る長女です)

台風が接近中です。
2011/09/02

先日、テレビを見ていたら大阪・大東市にある四条中学が校舎の改装工事で業者と見解の相違で二学期が予定の8月26日から行えないと報道されていました。「えっ、新学期って9月1日からと違うのか?」と記事の中身よりそちらに関心が行きました。最近は、都道府県で新学期の時期が違うようですが、学校にクーラーが無い限りまだまだ暑いさなか8月中に新学期とは酷なような気がします。肝心の記事の方ですが、映像で見る限り危険な箇所が沢山あり、とても授業は行えないなと感じました。「何でこんな事になったのだろうか?」との疑問が生まれましたが、「お役所仕事」の典型的な例でツメが甘かったのではないかと思います。さて、台風12号がノロノロと接近しつつあり、安曇川でも午後3時過ぎから雨と風が少しずつ強くなって来ました。近畿圏より西にずれていますが、大型の台風だけに気が抜けませんね。まもなく閉店して、早い目に帰宅して「おとなしく寝よう」と思います。明日は、数人の友人と楽しみにしている「飲み会」が予定されていますが、早く立ち去ってくれる事を祈っています。ところで、「野田内閣」なるものが発足し「誰が閣僚になった」と報道されていますが、「散々ほめて、一気にたたく」というメディアには、「いい加減にしろ!」と言いたくなります。(写真は、妖怪神社の前で水の中をくるくる回る「目玉おやじ」(動きが速く、何枚も撮りました)と土産物店にあった「目玉おやじ」です)

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