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12年・店長の正月休みA。
2012/01/09

昨年の暮れに大阪に墓参りに行った時、「青春18キップ」を買い求めていましたので、残り3枚を利用して出来るだけ遠くに行こうと思いました。安曇川駅午前9時16分発の新快速が「播州赤穂」行きでしたが、まだ行った事がないので終点まで乗る事にしました。長時間の旅になるのでトイレのある車両にして、琵琶湖の寒空の景色を眺めながら「ただ、ぼ〜っと」していました。安曇川を出た時は、雪交じりの雨が降っていましたが、京都駅を過ぎた辺りから陽が差し込んで来て、どうやら傘の心配はなさそうです。30年前までは仕事で明石、加古川、姫路と何度も足を運びましたが、どこも立派に駅前が整備されていて驚きました。姫路から先は、未知の世界であとどれ位時間がかかるかも想像出来ません。嫁さんが「後、5駅で着くみたい」と案内板を見て返事するので、「それやったら20分ぐらいやね」と答えておきました。播州赤穂駅に到着したのは午前12時6分でしたので、実に2時間50分も乗車していた事になり、少々疲れました。念のため帰りの時刻を確認すると、午後1時36分発が湖西線経由の敦賀行きが最終の新快速になっていました。「え〜っ、1時間30分しか時間がないで!」と言う事でまずは昼食にしました。「赤穂といえば、塩」となりますが、入った駅前のラーメン店は「塩ラーメン」が売り物のようで、嫁さんは「塩ラーメン」を、私と長女は何故か「味噌ラーメン」を注文しました。その後は、長女が「コーヒー」、「コーヒー」と言うので喫茶店に入りゆっくりとくつろぎました。さて、時計を見ると発車まで後40分ほどしか無く、取りあえず記念写真を撮ることにして駅前広場に出ました。地元の観光案内板を見ていると、海岸沿いに桜の名所があるらしく「今度は、もう少しゆっくりと春にでも来たいね」と話していました。その後、駅構内の土産物店で、「塩、塩まんじゅう、赤穂浪士のキーホルダー」を急いで買い求めました。播州赤穂から安曇川に戻って来たのは午後4時26分ともう陽が傾きかけていて、今回の「弾丸旅行」は終了しました。(写真は、駅構内にある忠臣蔵の書と、播州赤穂駅の全景と、ボードに書かれた所での記念写真です)

12年・店長の正月休み@。
2012/01/07

今年も1日から3日まで正月休みを頂きましたが、昨年の遅くに徳島・池田町まで出かけましたので何にも計画がありません。取りあえず長女が帰省したので、意見(指さし)を尊重して1日は湖東地方に向かうため琵琶湖大橋を渡りました。湖周道路を利用してまず最初に近江八幡にある長命寺に着きましたが、参拝客が多く車で中腹まで登るのが困難だったので断念しました。ここの港から沖の島に向かう船が出るのですが、正月のためかそれらしい船は見当たりませんでした。「一度は、沖の島に行ってみたいな!」と思いましたが、これも日を改める事にしました。ところで、長命寺の土産物店で「長老喜」(ちょろぎ)なる見た事も無い物が売られていて、試食すると「しば漬け」の様な物でした。「これを食べると、健康で長生きするよ」と店の人に言われ「長生きしたくない」けど一袋買いました。近江八幡から彦根市まで次のドライブですが、ちょうどお昼になりましたので「かっぱ寿司」に立ち寄りました。彦根市は、いつも通り過ぎる事が多いのですが車を駐車場に止めて「夢キャスルロード」を散策する事にしました。昔の町並みを復元して土産物店や飲食店や銀行が建ち並んでいます。大半の店が閉まっていましたが、その中で銀行に掲げられた看板が「両替商」と出ていて、「そちも悪よの」の世界が見られました。さて、ここから長浜市を経由して、帰宅するのですが先ほどまで晴れていた空が怪しくなり出し、旧西浅井町まで来ると60p以上の積雪があり、さすがに雪国だなと思いました。(写真は、長命寺の長老喜と、彦根市の関西アーバン銀行と、長命寺の港です)

店長の徳島の旅C。
2012/01/04

「新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます」早いもので、今日は4日になりまた、あっという間に一年が過ぎていくのではないかと思っています。さて、昨年中に書こうと思っていました「店長の徳島の旅」でしたが、30日は大阪・大東市に墓参りで一日がかりとなり、31日は大掃除や後片付けで書く時間が取れませんでした。それでは続けて参りたいと思いますが、翌21日(水)のホテルの朝食は、今は流行の「バイキング」でしたが、和洋の料理が並び「トーストと味噌汁と塩鮭」なんてパターンで頂きました。特に、「たこ飯」が絶品でイイダコが入ってのかやくご飯でお代わりしてしまいました。コーヒーも夕べの飲み過ぎた体に染み渡るようで、こちらも2回もお代わりしました。チェックアウト時に支払ったお金は、夕食時に飲んだビールとすだち酒とコーヒ代の1570円でした。さて今日は、往路と違い徳島道を通って徳島市内にある「眉山」に行こうと決めておりました。2年前、美波町がNHKのテレビドラマ「ウェル・カメ」で放送され立ち寄った時に徳島市内に泊まりましたが、翌日が猛烈な雨で「眉山」行きを断念しました。「眉山」へは、「阿波おどり会館」の5階から乗車しますが、標高242bを長さ787bのゴンドラで5〜6分で登れました。料金は大人往復1000円でしたが、障害者と付添人は半額という嬉しい特典がありました。一時間ほど頂上にいて、飽きることもなく徳島の町並みを眺めていましたが寒くなって来ましたので、下山する事にしました。駐車場のおじさんに、会館で3000円以上の買い物すると「無料」になると言われ、お土産を買い求めて戻って来ました。ここからは、鳴門ICまで国道11号線を走り、そこから先は往路と同じ道をたどり、午後4時には志賀町に帰って来ましたので「比良トピア」で温泉に入り旅の汗?を流しました。ところで、今日の安曇川は午前中は晴れていたのですが、午後から天候が変わり、今は雪が舞っていてとても寒く気温零度で、夜のように暗く感じます。(写真は、阿波池田駅と、眉山から見た徳島市内と、会館の土産物売り場に掲げられたスローガンです)

店長の徳島の旅B。
2011/12/29

宿舎に到着してチェックインを済ませ部屋の窓から外を眺めると、遙か山の中腹に集落が見えました。「あれが祖谷の集落だろうか?」「それにしても生活は不便やろう?」「これとよく似た光景が十津川村でも見たな」なんて嫁さんと雑談をしておりました。「取りあえず温泉でも入ろう」と珍しく意見が一致しました。まだ明るいうちに温泉に入れる事ほど贅沢はないと常々思っているのですが、それも貸し切りなのでなおさらです。夕食は午後6時からと時間がありましたが、「ビールでも飲もう!」と風呂上がりの一杯は格別な味がしました。今回の宿泊料金は二食付きで一人5400円でしたので、正直にあまり期待はしていませんでした。ところが、「徳島牛の陶板焼き、豚ちりの鍋、こんにゃくの刺身、お刺身の盛り合わせ、ヒメマスの塩焼き、食前酒、そばの実が入った炊き込みご飯、すまし汁」と結構な豪華版で満足しました。係の人に池田高校野球部の蔦監督のお話をお聞きすると、喫茶室のママが生前よく飲み歩いたそうですと答えてくれました。感激したのは、食事時に注文した「すだち酒」がまろやかでワイン感覚で美味しかったのですが、宿舎には置いていないと言う事で明日帰る折りに酒屋さんに立ち寄る事にしました。さて、食事の後は再び温泉に入りましたが今回は貸し切りとは行かず、数人の先客がありました。風呂上がりに自販機で、日本酒とチューハイを買い求め部屋に戻り、先ほどの集落に明かりが灯るのを見つめながら飲むことしました。疲れていたのか酔いの回るのが早く、午後10時には全員が討ち死にとなり少し早いですが眠ることにしました。大歩危祖谷阿波温泉「あわの抄(しょう)」〒778−5251 徳島県三好市池田町白土本名165−6 рO120−018−081 「電車でお越しの方」JR土讃線阿波池田駅よりバスで10分 「自動車でお越しの方」徳島自動車道 井川池田ICより10分 です。今年もいよいよ後二日となり慌ただしさが増してきましたが、明日は、大阪・大東市に先祖の墓参りに行く予定で、その後かっての同僚と忘年会をする予定です。(写真は、祖谷の集落と、宿舎の全景です)

店長の徳島の旅A。
2011/12/26

高松道を善通寺ICで降り、国道32号線で池田町を目指しましたが、途中の「道の駅」で休憩を取ることにしました。「財田川(さいだがわ)」と何かで聞いた記憶がありましたが、「そうだ、強盗殺人事件でえん罪が証明されたのだ!」と思い出しました。「1950年2月28日、香川県三豊郡財田村(現三豊市)で、闇米ブローカーの男性(当時63歳)が全身30箇所を刃物でめった刺しにされて殺害され、現金1万3000円を奪われた。同年4月1日、隣町の三豊郡神田村(こうだむら)で、2人組による強盗事件が発生した。その事件の犯人としてA(当時19歳)ともう1人が逮捕された。この2人は「財田の鬼」と近隣で嫌がられていた不良組だった。警察はこの2人を殺人の容疑で取り調べた。」(ウィキーペディアより)それにしても、こんなのどかな田舎で起きた事件だけに住民は震え上がったと想像出来ました。しかしえん罪になったからには「真犯人」がいると言う事で、住民は何となくもやもやした気分だったでしょうね。「財田川よ、心あれば真実を教えて欲しい」と裁判官が表現したそうです。財田川から約30分で池田町に入りましたが、まだ午後2時過ぎだったので「今日中に、大歩危、小歩危を見ておこう」と話し、さらに南下しました。大歩危は想像していたより小さく感じましたが、この時期は水量が少ないからかもしれません。あいにく小歩危には、車が止められる場所が見つからず、ただ車窓から眺めるだけになってしまいました。時間も午後3時を回っていましたので、少し早いですが本日の宿舎である大歩危祖谷阿波温泉(おおぼけいやあわおんせん)「あわの抄(しょう)」に向かいました。ところで、安曇川では3日間雪が降り続き、現在の積雪は10p前後ですが、この冬初めて雪かきを行いました。嫁さんの情報では、マキノ町内の多いところでは60pはあるそうで、この位ならまだましやなと自分で慰めています。(写真は、財田川にある道の駅と、大歩危の風景です)

店長の徳島の旅@。
2011/12/22

6月に「グルーポン」で購入した徳島県三好市・池田町にある宿泊券の利用期日が迫っていたので、暮れもあと数日と言うときになって出かけて来ました。本当は、夏休みにと思っていたのですが満室で部屋が取れず、次は10月に予約したのですが私の体長が悪く、11月に変更したら父親が入院する事になり、12月が最後のチャンスになっていたので、もう先がないと行くことにしました。グルーポンは、先払いになっているので、行かなければ一泊5400円×3名分が損になってしまうので、「もったいない」と思いました。名神・京都東ICから中国道を経て明石大橋から淡路島に渡りました。出発する時、安曇川は時雨模様の雨が降り、こんな天気は憂鬱だなと思っていましたが、名神高速に乗る頃にはそんな心配が無くなり、雲は多かったですがお日様が顔を出し一安心となりました。平日なので、車の通行量も少なく、快適なドライブとなりました。ただ、やたらと道路工事がされていて、年末の帰省を控えての事だと思われました。行きは高松自動車道を利用して高松市内を目指しましたが「せっかく高松まで来たのだから、お昼は讃岐うどんにしょう」とサーブスエリアで昼食にしました。ここでは完全なセルフサービスで、うどんをゆでるのも「自己責任」となっていました。トッピングも多種類で、エビ天やかき揚げはもちろんの事「ごぼう天、イモ天、コロッケ、唐揚げ」など20種以上ありました。その他おむすび、いなり寿司、ただのご飯と続きます。最後に会計があり3人で1470円とは驚きの価格でした。私達は不慣れで時間がかかりましたが、ほとんどのお客さんは慣れた手つきで作られるので「はよせんか!」と怒られそうでビクビクしておりました。(写真は、名物の観覧車と、雄大な明石大橋と、香川県で見かけたポスターです)

暖かい話題を一つ。
2011/12/16

「「震災からの復興に役立てて」と、東京都中野区から宮城県女川町の魚市場に15日、フォークリフト1台が届けられました。届けたのは日本共産党中野地区委員会。党の支持者から地区委員会に被災地の支援に使ってもらいたいとカンパ100万円が寄せられ、何か形のあるものにしたいと相談。現地の党組織にも連絡し、魚市場に届けることにしました。荷揚げ能力2dのディーゼル・フォークリフト。女川魚市場の木村仁部長は「震災でマイナスからのスタート。一部で復旧工事も始まっていますが、加工業者、水産業界、魚市場が一体となって復興・振興するようがんばっていきます」と話しました。」(しんぶん赤旗16日付け)より。ところで、牛の肝臓(レバー)内から腸管出血性大腸菌O(オー)157が見つかったことが厚生労働省の調査で分かり生レバー提供の禁止される可能性が出てきました。店に来られるお客さんで(ほとんどが男性)「あの美味しいレバーが、もう、食べられないのは残念だ!」と嘆きますが、そんなに食べたいのなら、病気になる事もあるとの前提で、この際自己責任で判断してはいかがかなと思います。ちなみに私は、生レバーをほとんど口にしたことがありません。焼き鳥などでは、レバーの塩焼きなどは大好物で必ず注文しますが、火を通す事で安心です。さて、今日の安曇川は、午後2時の気温が4℃しかなく、時々雪が舞っています。今津町内では「吹雪いていたで」との情報も入って来ていますが、今夜が一つの山かも知れません。車のタイヤも交換したし、スコップも準備が出来たし、「いつでも来い!」との思いです。(写真は、初雪で白くなった比良の山々です)

皆既月食を見ました。
2011/12/12

12月10日(土)は、日本全国で皆既月食が見られると言う事で夜空を見上げた方が多かったのではないでしょうか?残念ながら、安曇川では雲が多く途切れ、途切れしか見る事が出来ず、少し残念な結果になりました。皆既月食で思い出すのは、中学2年生の頃に、夜に(当たり前か?)学校に集合し皆既月食を観察する事になりましたが、その日も雲が多く断念せざるを得ませんでした。ただ、みんなで作った「チキンラーメン」がとても美味しかった事だけが忘れられません。「皆既月食に続いて、今月は大きな天体ショーが二つあります。15日ごろが極大の「ふたご座流星群」と、23日ごろに極大を迎える「こぐま座流星群」です。皆既月食を見られなかった方も、まだまだ夜空を楽しむチャンスはありそうです。またこの時期の夜8時頃は、西の低い空に夏の大三角、高い空には秋の四角形、東の空に冬の大三角形と、夜空はにぎやかです。」(12日付けしんぶん赤旗より)あの、東日本大震災の発生より9ヶ月が経ちましたが、相変わらず「がれきの山」の光景を見ると、復興がまだまだ遠いような気がします。また、昨晩は「震災孤児」が1500名を超えるとお聞きして、大変驚きました。「この子が成人するまで、死ぬわけには行きません!」と語る祖母の言葉に涙が出ました。さて、今年の漢字一文字は、「絆」と決まりましたが大方の方の予想が当たっていましたね。(写真は、欠ける始めの月と、ほぼ隠れた月と、暗くなった夜空です)

原発事故で思う事。
2011/12/09

福島第一原発の事故は、「予期せぬ津波」で起きたと東電は発表しましたが本当は設計上のミスも重なったと思います。私が気に入らないのは、事故後の処理も事故を起こした東電任せにしている事で、例えば「交通事故」を起こした当事者に、その後の運転も任せる事などありえないと思いますがいかがでしょうか?政府が指揮を執り、国内外の専門家を集めて知恵と技術を結集すべきだと思います。何故、いつまでも東電に任せているのか?また、東電が今年の予算が底をついたからと現場の作業員を大幅にカットしたとも伝えられています。一日も早く、収束したいのに東電の会計次第で作業員を減らすとは本末転倒ですね。原発の立地条件に活断層が無いことになっていますが、美浜原発のある丹生(にゅう)地区の漁師さんによると、「今は島になっているけれど、わしのおじさんの頃は陸続きだったそうやで」と話されました。この辺の地盤は「白木(しらき)断層」が走っており、あの有名な一度も発電で出来ていない「もんじゅ」もその延長線にあります。科学的に調査して誘致したのではなく、地元民の反対の少ない所に誘致したのが本音だと思います。さて、今日の安曇川は、朝から雪混じりの雨が降り、午後2時現在の気温が4℃しかなく寒く感じます。これを初雪と言うには、どうかと迷いますがそろそろ「雪用タイヤ」に交換した方が良さそうです。(写真は、北陸自動車道・杉津(すいつ)サービスエリアから見た敦賀湾と、愛のハートロックと書かれた沢山の鍵が並んだ棚です)

丸岡温泉・「たけくらべ」に行きました。
2011/12/04

平日は嫁さんの議会が入っているため、4日(土)に「後ろ髪引かれながら」臨時休業して福井県・坂井市にある丸岡温泉・「たけくらべ」に行って来ました。丸岡と言えば「一筆啓上」の里とも呼ばれ、徳川家康の功臣、本多作左衛門重次が陣中から家族に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」と書きました。これにちなんで毎年「一筆啓上賞が催されています。「たけくらべの由来」坂井市の東部、竹田川の上流に仲良く前後に並んでいるかのような山があります。遠くから眺めると、まるで互いに背丈を競っているように見えるためか、昔から「丈競べ山(たけくらべやま)」と呼ばれ付近の住民から親まれてきました。(リーフレットより)丸岡市内から13`も山奥にあり、走っていて熊やイノシシや鹿でも出てきそうで慎重に運転しました。所々に雪除けのアーケードが設置されていて、冬は相当の豪雪地帯になると想像出来ました。温泉は、決して豪華ではなく大浴場があるだけでしたが、成分が柔らかくお湯に溶け込んだ源泉を100%利用しているので、乳児、幼児、お年寄りにも優しい温泉です。館内には宿泊施設もあり、食堂や売店や休憩室も完備されています。 〒910−0204 福井県坂井市丸岡町竹田88−8 рO776−67−2333 車では、北陸自動車道福井北ICから国道364号線(山中温泉に至)が便利です。私達は、丸岡ICから来ましたが、道が細くカーブも多いので時間がかかりました。 なお入浴料は大人500円、身障割引400円でした。なお定休日は年間を通じてほとんど無く、ほぼ無休と言って良さそうです。温泉に入浴後、丸岡城に立ち寄ろうとしたのですが、あいにくの天候でまた日を改める事にして、北陸道を走り敦賀市内に戻って来ました。(写真は、一筆啓上の暖簾と、ホールの和紙で出来た照明と、丸岡温泉・「たけくらべ」の全景です)

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