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今日は夏至だそうです。
2012/06/21

本日のNHKテレビで、午後10時から「震災ドキュメント」と題して放送される番組があります。「東日本大震災から1年が過ぎた。昨年10月から宮城県石巻市にカメラを据え、震災失業者の奮闘の日々を記録してきた。見えてきたのは、水産業の復興が進まず、貧困状態に陥り始めた人々が増えてきた事実だ。若者たちの新たな動きにも密着する。」私自身も、この様なテーマの番組は欠かさず見ようと思っていますので、その内容に期待しています。ところで、政府は「消費税増税法案」に必死で、被災地の事が忘れ去られている様に思われ危惧しています。「消費税」は、被災地で住宅再建や事業再建にも容赦なくかかる税金ですので、復興の足かせにならないか心配です。さて、今日は北半球で昼がもっとも長い夏至だそうです。と言う事は当たり前ですが、明日から少しずつ「日が短くなる」と言う事で日没が早まると思うとどこか憂鬱な気分です。気がついたら、暦の上では1年の半分が間もなく終わるのでそうなるのでしょうが、なかなか感覚では不思議な気がします。毎朝続け手いるウォーキングも1ヶ月が過ぎ、体調もすこぶる良くなって来ました。だだ、最近は高野博士も負けずと雨降りでも怠けずに続け手いるので、こちらも手が抜けず意地になっているような気がします。(写真は、総事業費80億円で新たに建設された「高島市民病院」と、取り壊し中のお世話になった旧病棟です)

「故郷」とは何でしょうか?
2012/06/16

「故郷」と名付けた小説を書くとき、作家はどんな思いを込めて筆を握る、あるいはパソコンに向かうのでしょう。昨年来、故水上勉さんの1980年代の作品「故郷」が、あらためて読み手をふやしています。アメリカで日本料理店を開いて成功した夫妻が、30年ぶりに帰国する。老後を故郷で暮らしたい。夫の故郷は、京都の丹後。村に帰った彼はいう。「不思議なことだが、・・・妙にここが中心に感じられて、京都もアメリカも遠い国になる」。故郷の山河に抱かれた時、そこから巣立って生きた歳月の重さ長さが、こう語らせるのかもしれません。夫は続けます。「生まれ故郷というものの力があるのかなァ」。確かに、思い当たる感覚です。妻の故郷は、福井県の若狭です。いまや”原発銀座”だと、アメリカにも伝わっています。夫妻の息子は、原発を「文明のお化け」とよび”脱原発”を唱えています。妻が夫とともに若狭に帰ってきました。原発銀座で近代化した村を、村人も「まばゆいような変わり方」といいます。一方、さびしがる人もいます。人のつきあいが薄くなった。カネに目の色が変わる生活・・・。若狭で暮らしたい妻ですが、夫は自然の美しさに魅せられながらも、現実を受け入れられません。夫は語ります。原発事故がないとはいえない。核廃棄物の捨て場もない。「つとめを終えても、発電炉はぼくらが死んだあと・・・も燃え続けてゆく。燃える棺桶だ」。水上さんの故郷は、今のおおい町、大飯原発のある町です。」(14日付けしんぶん赤旗潮流より)私が初めて若狭湾に訪れたのは、中学1年時の臨海学校でした。高浜町の民宿に泊まり、同級生と寝食を共にした2泊3日の行事でしたが、なかなかハードなスケジュールだったと記憶しています。それでも、「あまりにも美し過ぎる」海に感動し、目の前を悠々と泳ぐ魚に見とれていました。安曇川に来てから、記憶を頼りに訪れましたが海の姿は変わらないのに、不気味な建物の姿があり思い出が台無しになりました。さて、昨夜今年初めてホタルの飛び交う姿が見え、元気だったのかと思うと何だか嬉しくなりました。(写真は、花が咲き出した栗の木と、最近猛烈に増えたイタチ萩と、ホタルブクロの花です)

大飯原発は再稼働して大丈夫?
2012/06/11

関西圏内の夏の電力不足を解消するため、停止前と何ら改善がされていないのに大飯原発の再稼働を決めてしまいました。防波堤のかさ上げも、放射能が外部に漏れないようにするベントの取り付けも、免震棟の建設も先送りしたたままです。福島第一原発で起きた事が世界を震撼させたのに、それを最も早く忘れ去ろうとしているのは当事国である日本かもしれません。最終的には、日本国内で停止している原発が、次々と再稼働する様な気がします。福島の惨状からから何を学んだでしょうか?「この夏は、節電して何とか乗り切ろう」と思っていた関西人に冷や水を浴びせそうな結果になりました。さて、昨日は少し早く閉店して、久しぶりに朽木・てんくう温泉に行って来ました。日曜日だから混雑しているだろうなと覚悟していましたが、予想は当たりました。ただ入浴時は混雑していましたが、20分後には遠路からのお客が引き上げ、通常の状態になりました。お風呂上がりに「宝牧場・ソフトクリーム」(300円)を買って貰った長女はご機嫌で、鼻歌らしきものを歌っていました。前回の問題の写真の花は「ジャガイモの花」でしたが、分かった方はそういないのではないでしょうか?事実、私も初めて見ましたのでまったく分かりませんでした。ところで、今年のタイガースは、本当に不甲斐ないですね。特に打撃の不振ぶりは重傷で、何時になったら打てる様になるのでしょうか?(写真は、ようやく咲き始めたアジサイの花と、朽木・てんくう温泉の玄関と、本日のウォーキング中の風景です)

歩くことは新しい発見があります。
2012/06/06

毎朝、朝食前に3qほどの距離をおよそ40分ほどかけて歩いていますが、車に乗っていては見えない発見があります。最近は、以前から親交のあった高野博士も参加して、二人で歩くことが多くなりましたから楽しくなって来ました。博士は、信州大学・農学部の出身ですから「野草」に詳しく、色々と教えてもらい勉強にもなります。「カラスのエンドウ」は、野草の中でも最も美味しいく、タラの芽などより天ぷらにしたら最高ですよ。次に美味しいのは、「葛の新芽」でこれもまた、なかなかいけますよ。とかお聞きすると、何だか野菜など買わなくても生きていけるような気がします。また、あそこの土手に咲いているのが野バラで、花びらが小さいのが特徴です。私が、「これなんていう花?」とお訊きすると、「卯の花」ですねとお返事が帰ってきます。「卯の花」夏は来ぬ「卯(う)の花の、匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏はきぬ」の歌の「卯の花ですか?」とお訊きしたら、「そんな歌知りませんわ」と言われ世代の違いを感じさせられました。さて、最近のニュースで、パンの購入価格が米の購入価格を上回ったと載っていましたが、そこまで西洋化?が進んでいるのですね。我が家など年寄りが同居しているせいもあり、せいぜいパン食は週に一度あるかどうかです。パンも悪くないですが、どうも「腹持ち」が悪く力が出ないような気がします。ところで、先日の金環食に続き、本日は金星が太陽面を通過する現象が起きています。この次に見られるのは、105年後との事ですが、その頃私は間違いなく生きてはいないでしょうけど、地球がどうなっているかは、関心はあります。(写真は、堤防に咲く野生の卯の花と、散歩道で飼われている白鳥?と、初めて見た「何かの花」(答えは次回に)です。

いつもの日帰り旅行A。
2012/06/03

「リラ・ポート」を出るとちょうど昼食時間になっていましたので、今回は一皿100円の「祭り寿司」に立ち寄る事にしました。この時間いつもなら行列が出来て待ち時間があるのですが、半数のテーブルが埋まっていません。「どうしたんやろう?」と考えながら食べていましたが、店を出るまで同じ状況でした。そこから「さかな街」まで走る途中に、「新しい回転寿司店が出来てる!」と嫁さんが言うので、振り返ると「磯寿司」の看板が見えました。「これで先ほどの店の原因が分かった!」。つまり新しいお店にお客が流れたのだろうと想像が出来ました。「なかなか、どの商売も大変やな」「でも、今度は一度行ってみようか?」との結論になりました。ここからは、いつもの様に国道27号を利用して小浜市方面を目指します。途中、若狭町から国道162号線に入るのですが、時間に余裕があったので前を走る観光バスに付いて行くと常神半島の小川地区(こかわ)で止まりました。沢山の小学生がバスから降りて、定置網の見学に向かう様で楽しそうに見えました。「私達もあんな時代があったよね」と嫁さんに訊いても、「ただひたすら寝ているだけ」でした。あまりに気持ちが良いので、しばらく「ぼ〜っと」海を眺めていました。「さて、そろそろ行くか」と、常神半島から世久見地区(せくみ)入り小浜市内を目指しました。小浜市阿納地区(あのう)まで来ると釣り人が数人見えました。漁港に立ち入ると、岸壁の水際に動く物がありました。「縞模様の様なウミウシ」があちらでも、こちらでも見られ繁殖期かもしれません。この時期だったか記憶が定かでありませんが、この場所で何匹かの「紫色したウミウシ」が釣れた事が思い出されます。さて、真っ直ぐに小浜市内を目指すつもりが、「泊地区(とまり)まで行って、大飯原発の写真を撮ろう」と再び寄り道する事にしました。泊地区から10qと離れていない半島の先端に、大飯原発の姿が見えました。「毎朝起きて、目の前に原発が見える生活て不安やろうな」と嫁さんに訊くと「しかも、小浜市には、原発交付金がゼロやで」とのお返事でした。泊地区から小浜市内に戻る途中、以前にも来ましたが廃校になった建物が見えました。「あの頃は、桜が満開やったね」「当たり前かもしれないけど、さらに劣化が進んでいるようだね」「この地区に、学校が無くなると聞かされた時は住民にとってショックだったろうな」と会話していました。小浜漁港にも釣り人の姿が見え、釣り糸を垂れていますが、魚の姿が見えません。京都ナンバーの車で来られた老夫婦が、「あきません!フグとヒイラギばっかりです」とぼやいていました。「今年は水温が低く、敦賀でもアジは釣れていませんでした」と答えておきました。最後に、家で無くなっていた「瓜破の水」を汲むため立ち寄りましたが、運が良いことに誰もいませんでした。国道27号線とお別れして、国道303号線から今津町経由で午後5時に帰って来ました。本日の走行距離は余裕の200qでしたので、プリウスのガソリン計は2目盛も減っていませんでした。(写真は、阿納漁港で見つけたウミウシと、泊地区から見える大飯原発と、堅海地区(かつみ)にある廃校の建物です)

いつもの日帰り旅行@。
2012/05/31

ちょうど前回の休日から2週間経った30日(水)に、久しぶりに海が見たくなり敦賀市を目指しました。まず、いつも立ち寄る「鞠山海釣り公園」ですが、この時期としては珍しいくらい釣り人がいません。そろそろ「豆アジ」が釣れる頃なんですが、釣り人に訊くと「まだまだ水温が低いですわ」とのお返事でした。ただ不思議な事に、ある場所で釣られている老人(ほとんどがそうですが)の所だけが入れ食い状態です。少し見学しているだけで、「子グレ」や「サンバソウ(石鯛の子ども)」を次々と釣り上げます。名古屋から来て、午前7時頃から釣り始めたそうですが、2〜30匹は釣れていそうです。周りの釣り人も、首を傾げて見ていますが特別な仕掛けでも餌でもありません。嫁さんも「こんなに釣れるなら来てみたい!」と言いますが、老人曰く「私は、アジが釣りたくて来たんです」と気のないお返事でした。さて、今日の温泉は、敦賀きらめき温泉「リラ・ポート」に決めていましたので、午前10時の開館と同時に入りました。最初は、「バーデンプール」に向かうと、常連さんが「お久しぶり!」と声がかかりました。その久しぶりのはずの長女が、一通り遊ぶと嫁さんが引き留めるのも利かず、わずか15分と言う最短記録で出ると言います。係のおじいさんが、「もう終わりですか?」と訊かれ、「何せ気まぐれな子どもですから」と答えておきました。その後は、温泉に入りましたが、時間が早いためか5〜6人の方しかおらず、ゆっくりと楽しむことが出来ました。お風呂から上がり、待ち合わせ場所に行くと、「お風呂も30分ほどで、さっさと上がった」との話しでした。「もう、プールは連れて来ない方が良いかな?」と言うと、「今度は、お昼ご飯を食べてから挑戦しようか?」と言う結論に至りました。(写真は、鞠山海つり公園の少ない釣り人と、一人だけ大釣りのバケツに魚と、リラ・ポートの全景です)

母の生活保護費で会見。
2012/05/26

お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さん(37)は25日、東京都内で会見し、母親が生活保護を受給していたことを認めた上で「福祉事務所と話をしながら決めてきた」と述べ、受給自体に問題なかったとの考えを表明しました。ただ、最近は自身の収入が増えていたことから「考えが甘かった。深く反省している」として、過去数年分の受給分を返すと語りました。「自己責任論懸念する声」民法は直系血族、兄弟姉妹の扶養義務を定めていますが、双方が成年の場合、無理のない範囲で、という程度のものとされます。扶養義務は受給のための要件ではありません。全国生活と健康を守る会連合会の前田美津恵事務局次長は、「今回のキャンペーンには209万人になった生活保護へのバッシングを強く感じます。生活保護は憲法25条で認められた権利ですが、権利ではなく自助で、それがだめなら親族で助け合えという「自己責任」論に持っていく思想攻撃ではないか」と指摘しています。(26日付けしんぶん赤旗社会欄より)まず最初に感じたのは、有名人でもプライバシーを守られて当然なのにその視点が無いことです。また、常に「福祉事務所」と相談しながら、幾ばくかの自己負担もしていたと言う事です。今でこそ売れっ子かもしれませんが、当初は年収100万円にも満たなかったと言う事で、これでは母親を扶養するのは無理だった様な気がします。テレビで放映されていましたが、最近若者の間で、「生保(なまほと呼ぶそうです」の受給の方法なるもののレシピがインターネットで閲覧できるそうです。なかなか若者の就職が困難な時期ですが、一度受給されると就業意識も低下するのは間違い内でしょう。さらに、不正受給も全国であるそうで、「性善説」にたって出来た制度が歪められつつあると思います。このまま行くと、制度そのものが厳しくなり「本当に困っている人」にも手が差し伸べられなくなりそうです。余談ですが、嫁さんが議員をしている関係で、毎年数人の方が相談に来られます。一旦生活保護を受けると、求人の紹介をしても「働いたら受給する金額が減るのやろ」「減らされるなら、このままで良いわ」との返事が多いそうです。日本人の美しい心は、一体どこに行ってしまったのかと考えさせられる出来事です。(写真は、21日に起きた金環食の写真ですが、上手く撮れていませんでした)

いび川温泉・藤橋の湯に行きましたA。
2012/05/21

昼食後、「藤橋の湯」に来ると悩むのは、この後どうするかと言う事で、リーフレットにあったように木之本ICに戻るのが一番時間がかからない方法です。ところが、それでは時間が余るし、私達の「往路と復路は違うコースで」とのポリシーにも反します。しかし、揖斐川町に下るとその後、国道21号線で瑞穂市から大垣市を通り米原市経由で彦根市となると随分と遠回りになります。この日はまだ午前12時だったので、久しぶりに揖斐川町に下り、谷汲地区にある「西国三十三番満願霊場・谷汲山華厳寺」に向かいました。ここは初めて来たところと思っていたのですが、どこかで記憶がありよく考えたらすでに来ていました。「最近、物忘れが激しいな」とつくづくと感じていたら、嫁さんなどまだ気づかないでいるようです。温泉施設で貰ったリーフレットによると、「6月10日(日)〜7月16日(月)まで」に「山に広がる ゆりのパノラマ」区営「谷汲ゆり園」が開催されるそうで、入園料が400円必要ですが是非来てみたいなと思いました。さて、そんなわけで冒頭に書いたとおり、国道21号線で米原市まで戻りましたが、「醒ヶ井駅」近くに、「梅花藻」(ばいかも)の見学者専用駐車場と看板が上がっていました。「もうそんな時期か?」と看板を横目に通り過ぎました。米原市から国道8号線に入り、彦根市内から湖周道路に出てひたすら南下しました。途中、「近江八幡」にある「旬菜館」で地元野菜を買い求めていると、「たいなか」の広い農地にあちらこちらでトラクターが動いていました。大規模化しても「離農者」が増えているとお聞きしているので、日本の農業の将来が案じられます。守山市内から「琵琶湖大橋」を渡り、久しぶりに「湖西道路」を利用せず、旧161号線で安曇川町に戻って来たのは午後5時前で、本日の走行距離は約250qになっていました。さて、今日は「金環食」が見られると言う事で少し早起きしましたが、完全に太陽が月に隠れるともっと暗くなると思っていたので、少し期待外れでした。(写真は、道の駅織部焼きにある山門と、富有柿の会館がある北方町と、近江八幡の「たいなか」の農地です)

いび川温泉・藤橋の湯に行きました@。
2012/05/18

「奥深い緑の中、清流のほとりにコンコンと湧き出る温泉・・・、大自然の中に舞う湯けむり・・・、空には満天の星座・・・、星が輝く山里の秘湯、いび川温泉「藤橋の湯」。〒501−0804 岐阜県揖斐郡揖斐川町東横山207番地 рO585−52−1126 営業時間 午前10時〜午後9時 休館日 毎週木曜日(祝日の場合は翌日) 入館料 大人500円 お車で・・・・木之本ICから約45分 養老鉄道・・・・揖斐駅からバスで約40分 (リーフレットより)「藤橋の湯」に来たのは、これで何度目になるだろうかと考えていましたが、少なくとも5〜6回は来ている様に思います。この日は、「シルバーデイ」で、60歳以上は400円になっていましたが、残念ながら後3ヶ月足りませんでした。しかし、障害のある長女は150円、付添人は400円だそうで随分と得をした気分になりました。本当は、冒頭にあるように「満天の星空」を見たいのですが、ここに来るまで山岳地帯を走るので、鹿やイノシシとぶつかるのでは無いかと思うと気が引けます。午前10時の開店と同時に入ったのですが、20人ほどが入浴していてシルバーデイの料金が成功しているようでした。入浴後、少し早いですが昼食にする事にしましたが、お決まりは「日替わり定食」で、コーヒー付きで850円です。本日のメニューは「鶏の唐揚げ、冷や奴、お漬け物、味噌汁とご飯」と言う内容でした。そのうち、入浴後のお客が集まって来て、まるで老人会の様になりました。年が行くと「小食」になるはずなのに、私達よりはるかに豪華な料理を頼んでいました。「すごい料理屋ね」と嫁さんに訊くと、「月に一度の楽しみやろう?」との答えですが、毎週だといささか羨ましくもあります。(写真は、国道303号線に掲げられた看板と、藤橋の湯の玄関と、道の駅から見た山々です)

きょう本土復帰40年。
2012/05/15

「日本共産党の市田忠義書記局長は、沖縄県民の苦難の歴史を振り返り、沖縄戦で二十数万人が犠牲になり、戦後27年間にわたってアメリカの異民族支配のもとに置かれたことに言及。祖国復帰後も核と基地が温存され、ベトナム戦争の最前線基地やアフガニスタン、イラン、イラク戦争の出撃・兵たん拠点とされアメリカの世界戦略の「アジア太平洋のかなめ石」として米軍基地が強化されたことをあげました。日本の総面積の0.6%の沖縄に米軍基地の74%が集中し、普天間基地など米軍専用基地が33も置かれている実態を告発しました。」(しんぶん赤旗15日付け1面より)1972年(昭和47年)と言えば、東京の沖電気に就職した翌年の事になりますが、当時のニュースで右側通行から左側通行になると書かれていました。そのため、路線バスの乗降口が逆になるので、改造が必要になるとの事で印象に残っています。また、復帰前は高校球児が持ち帰った「甲子園の土」が持ち込めず、泣きながら海に棄てたと言うような事もあったようです。私はまだ一度も沖縄に行った事はありませんが、チャンスがあれば沖縄の現状を是非見てみたいと思っています。さて、安曇川では田植えが進み、夜には「カエルの大合唱」が聞こえて来ます。ただ例年に比べ気温が低いせいか、植えた苗の生育が遅くあまり育っていないように見えます。私ごとですが、毎朝のウオーキングが習慣になり、今日のような雨天の日でもおよそ3qを40分ほどかけて歩いています。そのおかげで、朝食が美味しく感じられますし、なんとなく身動きが軽くなりました。(写真は、田植えが進みつつある田中地区の田んぼと、ウオーキングの途中で見つけた花を付けた「ワラビ」と、今年も道を横切る毛虫です)

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