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トランプ氏が勝ちましたね・
2024/11/10

「町内バス旅行元気で来年も」「福岡・大牟田市 渡部 幸弘(67歳)」「10月20日、年に1度の町内バス旅行(環境学習&親睦バス旅行)に行きました。行先は、@サッポロビール九州日田工場A昼食3吉野ヶ里歴史公園でした。行きは町民を各バス停で拾い、全員そろっていざ高速へ。1年ぶりの顔なじみの存在に安堵(あんど)しながら車中にて談笑が続き、工場ではガイド無し、利き酒無し。昼食、食べ飲み放題に笑顔を取り戻し、秋晴れの古代村のすがすがしい空気を吸って、無事帰着。そこで一句「バス旅行年に一度の生存確認」。お疲れ様!来年、元気で会いましょう!」
「楽じゃないよ仕事を始めた」「大阪・豊中市 辻 生子(66歳)」「人生何歳まで生きられるんだろうか、と時々考える。要らない物は処分しなければ、と元気な日は、行動できる。しんどい日は、処分どころか自分に甘く、まあいいか、となる。母が亡くなってからは、あまり里帰りもしなくなった。小・中学校の同窓生や家の名義変更でしか帰らない。大阪に出てきて、47年。この10月からまた仕事を始めた。立ち仕事だから楽じゃない。年金では足りない。またふるさとに帰りたいんだろうな、心が。」
(10日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 11月も中旬に入りましたが、朝夕はともかく日中は、まだまだ気温が高く冬を感じられません。地球の気温が、産業革命前の1・5度上昇以内に押さえようとしていますが、達成は無理な様で、現状なら今世紀末には最大3・1度上昇すると指摘されています。果たして、子や孫の時代は、どうなっているのか心配でもあります。「写真は、西浅井町・菅浦地区から上った、つづらお峠から見た琵琶湖周辺の景色です」

今朝は急に寒くなりました。
2024/11/07

「これも欠陥カリーフの充電」「北海道・旭川市 橋本 晶子(68歳)」「9月29日付本紙に「日産リーフ 欠陥か」の記事がありました。5年前まで2年間、日産の電気自動車リーフを利用していました。記事のような欠陥はありませんでした。。が、夏でも200`以上走行可能と表示されたことはありません。当時はフル充電で280`走行可能(運転状況や環境の条件あり)で購入したのに。特にバッテリーの充電性能が下がる冬の氷点下の日は30分の急速充電をしても走行距離は100`程度としか表示されず、数日ごとに充電に行かなければなりませんでした。充電待ちの人がいれば寒い中、30分は待たねばならず、急ぐ時など困ることもありました。自分の判断で購入したとはいえ、走行距離は気温に左右されるし、280`走行は実際に難しいということを購入時にきちんと説明してほしかったです。それで、わずか2年で手放しました。」
「平和祈念館と731部隊の謝罪」「兵庫・西宮市 上田 幸子(76歳)」「9月17日付け「特報」は、中国で人体実験による細菌兵器開発をしていた731部隊のこと。元731部隊少年隊員だった清水秀男さん(94歳)が、中国へ謝罪の旅へ・・・と載っていた。昨年5月、長野県飯田市内にも平和祈念間ができたと知り行ったが、市の公共施設のビルの一角に資料館の展示コーナーがあり、731部隊のものが並んでいた。なんで731部隊の資料?と疑問に思っていたが、清水さんとともに謝罪の旅に中国に行かれた、飯田平和非祈念間を考える会のメンバーが尽力されたことがわかった。日本各地に”平和を考える運動”があり、励まされる。」
(7日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 昨夜は寒かったので、エアコンを入れようとしたら、リモコンが見つかりません。嫁さんに聞くと、「布団に入れば寒くないやろう」「まだまだ、電気代がもったいない」と言います。しかし、あまりにも寒いのでお願いしたら「少しの間だけやで」とリモコンは渡してくれず、電源だけ入れて部屋から出て行きました。「俺も落ちぶれたものやな」と思いながら眠りにつきました。「写真は、西浅井町・菅浦地区ですが、ここから先は道がありませんので、琵琶湖で一番の難所です」

世間は3連休ですね。
2024/11/04

「父が他界7年残映は永遠に」「岐阜・八百津町 細江 隆一(公務員 56歳)」「父が他界して7年目を迎えた。思えば、亡くなった当時の記憶が少しずつ薄らいでいる。同時に悲しみや寂しさも。「悲しみも寂しさも時間が全てを解決してくれる」とはよく言ったものだ。父の部屋は、母が毎日掃除をしている。おかげで、亡くなった当時のままきれいに残されている。机上には広げられたままの本とノート。ペンや消しゴムまで転がっている。本棚の本も趣味のカメラも棚にそのまま。「お父さんがいつ戻ってもいいようにしておきたいの」当初はそんな母の言葉を否定していた私も、その気持ちがわかるようになった。戻ってこないとわかっているからこそ、思い出とともに父の残映を残しておきたいのだろう。帰省するたびに父の部屋を目にし、父の他界を思い出す。きっと母が生きている間はずっと続くのだろう。それもまた良しである。」
「夫の入院中もよく頑張った」「鹿児島・姶良市 仲山 幸代(68歳)」「夫がひざの手術のため入院して、3週間ほどたった10月半ば。全介助の娘を一人で見ることができるか、とても不安でした。最初の頃はやはり勝手がわからずバタバタして時間ばかりがたちましたが、最近はやっと時間配分ができるようになり、少し余裕も出てきました。それでも、これまで2人で分担していたものを1人でやるのはやはり負担になっています。夜はグッタリとなって、すぐ寝てしまいます。夫の退院予定日までやっと半分来た、これまで頑張ったなと思っていた矢先、夫が着替えようとしてこけて傷口が開いて再縫合との連絡が入り、ガクッときました。幸いに入院が1週間ほど延びるだけなので、少しホッとしています。つい最近、私は朝のごみ出しの時にこけて手足にすり傷をつくりました。気をつけなきゃなと気を引き締めています。」
(4日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 世間は3連休で、あちこちに出かける人の姿があります。私は関係なく店を開けていますが、「あぶら」を売りに来るお客もなく退屈しながら過ごしています。「写真は、西浅井町・菅浦から見た竹生島の光景です」

今日から11月ですね。
2024/11/01

「ほっと」「長年使ってきたザックの奥から小石が出てきた。使い始めて三十数年、ずっと私の山行きに付き合ってくれた。私の体になじんだ赤いザックは、海外登山にも連れて行った。山の道具は年々進化し、使い勝手のいいものが出ている。昨年、新しいザックを買ったが、どうもなじめず、いつもの赤いザックで山に行くと、「惜しいの?」と仲間に笑われた。古くても体になじんだザックがいかに背負いやすいか。ただ、背負いベルトがよれてクタクタ。色あせて汗と汚れが染み込み、見た目も良くない。やはり、卒業の時か。しかし、ザックを洗濯してきれいにすると、処分するのが惜しくなった。そうだ、お買い物用にジャガイモもタマネギも背負える。赤いザックにもうひと踏ん張りしてもらおう。今までの山行きに感謝して。」
(埼玉県川口市 佐々木加代子 75歳)
(1日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)
 あっという間に10月も終り、はや11月になりました。昨夜は、寒くて寝付けずエアコンの暖房を入れました。うとうとしたころに、嫁さんが部屋に入って来て、「エアコンを使うのは早いで!」と言われ、冬布団を出して来ました。先日、いつも行く「かばたかん(食堂)」の支配人に会計を済ませると、「良いお正月を!」と言ったら、同席のお客さんが笑いました。でも、考えてみると、今年も後2カ月、そう先のことではないはずです。「写真は、西浅井町にある「丸小船の館」に展示されている「丸小船」です」

戦いすんで日が暮れて。
2024/10/28

「被爆者の体験私たちが次へ」「大阪・豊中市 田崎 由子(66歳)「11日の夕刻、日本被団協のノーベル平和賞受賞のニュース。ウクライナやガザの大惨事に何もできずウシロメタイ気持ちになっている昨今、胸が熱くなり涙が出た。70年近く「あらたな被爆者をつくるな」と体験の継承を続けてきた人々に思いをはせた。戦争の記憶は遠くなり、米国と戦争していたことさえ知らない大学生もいるという。「九条」の意味を解せぬ政治屋が福祉や教育に使われるべき税金を軍事費にする状況。「戦争を知らない世代」ができることは、あの戦争の被害と加害の歴史を次の世代へつないでいくことではないか。私も修学旅行に出かけた広島で、子どもたちと被爆者の語りを聞いた。真剣に耳を傾けた子どもたちが大人になって、次の世代に少しでも伝えてくれたら。継承し広げることが「微力だが無力ではない」行為だと思う。原発も含む「核」に敏感であることが、被爆者たちが届けた大切な伝言のひとつだと考える。」
「回復に2カ月職場の温かさ」「徳島・鳴門市 佐々木 弘子(77歳)」「夫の遺品整理を、根詰めてした結果、足にコードが引っかかり吹っ飛びました。骨折はまぬがれましたが、痛みがひどく身動きが取れない状態に。車いすから松葉づえ、つえと徐々に回復はしましたが2カ月も要しました。職場の仲間から「焦らずゆっくりと治してね」とあたたかい言葉をいただきました。一日も早く復帰したくて、頑張りました。この年齢で働ける職場があり、仲間がいて本当にありがたいです。」
(28日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 衆議院選も終わり、共産党にとっては厳しい結果でした。私は、ほとんど何もしなかったのですが、嫁さんは夜遅くまで頑張っていました。傍観者であった私が言うのもなんですが、共産党の考えが有権者に伝わらないのか考える必要がありそうです。「写真は、マキノ町から西浅井町へ奥琵琶湖をドライブした時の景色です」

魚釣りは坊主でした。
2024/10/23

「週末の夕食どきでした。突然つきあげてきた激しい揺れが、大地を切り裂きました。家や田畑は壊れ、道路は寸断し、土砂崩れで孤立した集落も。山あいの、のどかなくらしは一変しました。20年前のきょう、新潟県中越地方を中心に最大震度7の地震が襲いました。死者68人、住宅被害は12万棟以上、10万人を超える避難者。このときも被災者は苦悩していました。ふるさとに戻るか、移住するかと。深夜番組のNNNドキュメントがその後を追っていました。大きな被害をうけた旧山古志村の高台に集団移転してできた「天空の郷(さと)」。そこは復興のモデルとされ全国から視察団が訪れますが、高齢化と過疎化に歯止めはかかっていません。20年前の3分の1ほどに。震災に見舞われた過疎地域の現実は今の能登半島地震の姿と重なります。故郷への思いとともに生業(なりわい)や生活への不安。若い世代ほど将来への心配は募ります。中越地震後も震災や災害が相次ぐ列島。被災者おきざりの復旧、進まない復興は、これまで地方を切り捨て疲弊させてきた自民党政治があるからです。大都市集中、地方の財源や人員の削減、1次産業の軽視。地方を守る、地方創生をいいながら、くらしの保障や振興に背を向けてきました。能登の復興について、国の審議会は「集約的なまちづくり」の検討を提言。被災地からは、元に戻さなくてもいいというのか、と怒りの声があがっています。ふるさとが消えていく。そんな国にしていいのか。」(23日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私も大阪という大都会に住んでいましたが、安曇川に来て、田舎は田舎の良さがあることに気付きました。人と人の付き合い濃密で、物をもらったり、差し上げたりの付き合いがあります。さて、従弟から誘われて、昨日は福井県・美浜町まで釣りに出かけて来ました。水晶浜で投げ釣りをしましたが、狙いのキスはまったく反応がありませんでした。仕方なく丹生(にゅう)漁港の波とに移動し、サビキでアジを狙いました。ここでも、反応はなく、メンバーの一人がチャリコ(鯛の子ども)とサヨリの小さいものが釣れるだけでした。私も頑張りましたが、何も釣れず「坊主(ぼうず)」で帰って来ました。「写真は、22年に恩師と同窓生と訪れたマキノ町・メタセコイヤの並木です」

今朝は寒くなりました。
2024/10/20

「亡き夫は3回入院先で投票」「新潟市 小川 マキ(86歳)」「入院や入居中での投票をしたいと思われる方は多いと思います。事前に申し出ておけば病院や施設側は応えてくれます。夫は10年前前脳腫瘍を患い1年半の入院後、他界しました。その間、国政も含め3回選挙がありました。病院は院内に患者のために投票場も設けてくれましたが、夫は行くことができませんでした。病院に申し出ました。事務方から2人、看護師さん1人、そして私がベッドを囲み候補者名を言うと事務方が記録してくれる投票でした。2回目までは多少時間がかかっても言うことができました。3回目は頭の働きが落ちて、候補者名が思い出せません。哀願する目で私を見つめるのですが教えるわけにはいきません。1分ほど待って名前は出ず棄権となりました。比例もすぐに出ませんでしたが、共産党と言いました。夫のほっとした顔を見たとたん、私は周りを気にしながらも声をあげて泣きました。あの時の目と顔は忘れられません。」
「地域でくらす被災者と交流」「宮城県 夏 みか子(70歳)」「地域の集会所でサポートセンターの職員の援助のもと、月2回集会がもたれている。東日本大震災後にできた公営住宅に入居された人たちが孤立しないよう1回は身近な情報交換、ロコモ体操や脳トレ、ゲームで楽しく。もう1回は映画上映。ボランティアで知りあった入居さんと親しくなり、私もさそっていただける関係になった。先日は若い介護福祉士さんがディサービスの利用者さんと関りながら”その人らしさ”を考え成長していく「ケアニン」だった。国の介護保険サービスの改悪で訪問介護や介護施設が経営困難にあえいでいる。倒産や縮小も・・・。映画の時は「こんなやさしい人にみてもらいたいね」「どこの施設なんだろう」の声があがった。テレビをつけるたびに出てくる、自民党の面々に聞いてほしいものだと、怒りがわきあがってきた。」
(20日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 今朝は予想どうり寒くなり、長袖一枚では風邪を引きそうです。昨夜の7時ころから強風が吹くと予想され、湖西線は止まっています。どうしても京都方面に出かけなければならない人は大変です。こうなると予定を取りやめるかマイカーで行くしかありませんが、いつまでもこの様な状態は改善したければならないと思います。「写真は、秋の訪れを感じる近所の空き地の気配です」

総選挙が始まりましたね。
2024/10/16

「妻の施設入所介護改善望む」「佐賀・武雄市 向門 政太郎(86歳)」「介護保険制度が制定された時は、まだ現役で、どういうものか分からず「保険あって介護なし」などといって反対していました。私の妻はこれまでディサービス、ショートステイなど介護施設でお世話になっていましたが、とうとう現在は要介護3で入所しました。そこで、この制度の抜本改善を求めたく思います。介護保険の、訪問看護の基本報酬が4月から引き下げられ、事業者の4割近くが赤字で経営が成り立たないと言われています。ところが政府は、利用料の2割拡大やケアプランの有料化、要介護1、2の保健はずしなど改悪に向かっています。これはヘルパーさんなど職員さんによる身体介護や生活援助の大変な仕事を軽く見るものだと思います。これから政府は軍備増強ではなく介護保険制度の拡充や介護事業者の処遇改善に取り組むべきだと思いますが、みなさんはどう思われますか?」
「”種”まき5年読者がふえた」「和歌山・海南市 橋爪  美津子(81歳)」「今を去ること5年前になるだろうか、まだ私がつえを突かずに歩けていた頃、近所を歩いていると後ろから「今度は共産党やな」という声がしてきた。ふりむくと、Eさん。知り合いだけど、その場はあいさつをして通り過ぎた。そして5年後、退院してきて久しぶりにEさんに会った。親しく話をしていると、彼が高校時代の数学の教師が「共産党が好きだ」という人物だったらしい。その先生のことが忘れられない、という。思い切って日曜版の見本紙をお渡しすることにした。そして1カ月後、市議の岡義明さんと訪問すると、快く読者になってくださった。長いことかかったけれど、「まいた種は生える」と思ったことだった。」
(16日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 総選挙が始まり、嫁さんは大忙しで、昨日はポスター貼り、今日は候補者のアナウンサーということらしいです。しばらくは、戦争のような毎日で、家族の団らんさえないよう日々が続きます。「写真は、笹の穂が光に輝き、サルスベリの花は終わり、秋に気配が感じられる自宅の景色です」

寒くて夜中に目を覚まします。
2024/10/12

「仏語の「娑婆(しゃば)」には煩悩から抜け出せない衆生が苦しみに堪えて生きている所という意味があります。転じて捕らわれの身となった人たちから見た、外の自由な世界を指すように。1980年に確定死刑囚となった袴田巌さんは、ラジオから流れてくる音をかみしめながら「心で娑婆とのつながり」を得ていたといいます。3畳ほどの独房で無実の叫びを胸に死が迫りくる日々。どれほど無念だったのか。逮捕からおよそ半世紀。10年前に釈放された袴田さんは最初、家の中を歩き回っていました。独房でそうしていたように。その後、少しずつ外に出て買い物や外食も。長年の拘禁で心身をむしっばまれながら、なんとか自由の世界に慣れようと。証拠をれつ造してまで罪をかぶせ、ひとりの人生を奪った警察や検察の非道。それを省みるどころか再審で無罪が決まっても検事総長は「到底承服できない」とする談話を。これには弁護団も、まだ犯人扱いで「名誉棄損になりかねない」と怒りをあらわに。晴れて袴田さんの無罪が確定した日。えん罪被害をうけた大川原化工機の社長らが国と都に損害賠償を求めた訴訟の控訴審がありました。かかわった警察官は、捜査の進め方について「問題があった」と証言。ねつ造の構図は今も。袴田さんの無罪をかちとった姉のひで子さんは「権力とたたかうには、あきらめてはいかん。何年かかろうとそれしかない」と言い切ります。巌にはせめて長生きさせたい、自由を味わせたいーその言葉をなんと聞く。」(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)検事総長の発言は、決して許されるものではなく、反省と謝罪を求めたいものです。昨夜、嬉しいニュースが流れて来ましたが、「日本被団協」に「ノーベル平和賞」とのこと。世界で唯一の被爆国・日本の「核廃絶」の運動が認められました。日本政府も早く批准して、世界をリードしていく責務があります。さて、今日から「クライマックス」が始まりますが、横浜に勝ち越し、巨人に勝ち越し、ふたたび日本一になれるように頑張って欲しいものです。「写真は、ミシガンにはスクリューがなく外輪船(水車みたいなもの)で動いています」

病院通いはつらいものです。
2024/10/08

「みずみずしく、つやつやとした炊き上がり。水分がたっぷりとふくまれ、食感もやわらかな新米の季節です。収穫されたばかりの新鮮な米は、つやつや風味、粘りや香りが最高の状態に。今年は米不足も相まって入荷が待ち望まれていました。しかし、ようやく店の棚に並んだかと思えば例年よりも値が高い。近くのスーパーでは5`3千円台がずらり。資材の高騰や酷暑で米価の上昇はしばらく続きそうです。ただし、米はまだ茶わん1杯40円ほど。他の食品に比べて割安とはいえ、収まらない値上げの波が食欲の秋を襲います。10月は今年最多の2900品目余りが。背景には異常気象などによる原材料高に加え、人手不足に伴う物流費や人件費の上昇があるといいます。物価高の影響は内閣府の意識調査にも。「経済的なゆとりと見通しが持てない」と答えた人は過去最多となり、日本では悪い方向に向かっている分野を聞いても「物価」が約7割とトップでした。政府に求める対策を世論に問えば、つねに一番は物価高。今日の深刻な生活苦は自然現象ではなく、すべて自民党の経済失政の結果ではないか。国会で志位さんが石庭首相に迫りました。これまでの失政を、あなたは引き継ぐつもりなのかと。賃金や年金が物価高に追いつかず、生活が苦しいと訴える人びとの悲痛。他方で空前の富を蓄えている大企業や大金持ち。自民党政治による人災から、くらしを救い経済を立て直す政治を。その道筋を示しているのは日本共産党だけです。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)石庭首相は、ここにきて右往左往していて、言う事がコロコロ変わります。ある人が言うには「石庭は首相になれただけで満足で、長くは続かないやろう」との事です。それでも、選挙は間違い行われるので油断してはいけません。さて、日々気温が下がり、そろそろ半袖から長袖に替える必要がありそうです。「写真は、2年前に乗船した浜大津港に停泊中のミシガンです。」

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