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いつもの日帰り旅行A。
2012/06/03

「リラ・ポート」を出るとちょうど昼食時間になっていましたので、今回は一皿100円の「祭り寿司」に立ち寄る事にしました。この時間いつもなら行列が出来て待ち時間があるのですが、半数のテーブルが埋まっていません。「どうしたんやろう?」と考えながら食べていましたが、店を出るまで同じ状況でした。そこから「さかな街」まで走る途中に、「新しい回転寿司店が出来てる!」と嫁さんが言うので、振り返ると「磯寿司」の看板が見えました。「これで先ほどの店の原因が分かった!」。つまり新しいお店にお客が流れたのだろうと想像が出来ました。「なかなか、どの商売も大変やな」「でも、今度は一度行ってみようか?」との結論になりました。ここからは、いつもの様に国道27号を利用して小浜市方面を目指します。途中、若狭町から国道162号線に入るのですが、時間に余裕があったので前を走る観光バスに付いて行くと常神半島の小川地区(こかわ)で止まりました。沢山の小学生がバスから降りて、定置網の見学に向かう様で楽しそうに見えました。「私達もあんな時代があったよね」と嫁さんに訊いても、「ただひたすら寝ているだけ」でした。あまりに気持ちが良いので、しばらく「ぼ〜っと」海を眺めていました。「さて、そろそろ行くか」と、常神半島から世久見地区(せくみ)入り小浜市内を目指しました。小浜市阿納地区(あのう)まで来ると釣り人が数人見えました。漁港に立ち入ると、岸壁の水際に動く物がありました。「縞模様の様なウミウシ」があちらでも、こちらでも見られ繁殖期かもしれません。この時期だったか記憶が定かでありませんが、この場所で何匹かの「紫色したウミウシ」が釣れた事が思い出されます。さて、真っ直ぐに小浜市内を目指すつもりが、「泊地区(とまり)まで行って、大飯原発の写真を撮ろう」と再び寄り道する事にしました。泊地区から10qと離れていない半島の先端に、大飯原発の姿が見えました。「毎朝起きて、目の前に原発が見える生活て不安やろうな」と嫁さんに訊くと「しかも、小浜市には、原発交付金がゼロやで」とのお返事でした。泊地区から小浜市内に戻る途中、以前にも来ましたが廃校になった建物が見えました。「あの頃は、桜が満開やったね」「当たり前かもしれないけど、さらに劣化が進んでいるようだね」「この地区に、学校が無くなると聞かされた時は住民にとってショックだったろうな」と会話していました。小浜漁港にも釣り人の姿が見え、釣り糸を垂れていますが、魚の姿が見えません。京都ナンバーの車で来られた老夫婦が、「あきません!フグとヒイラギばっかりです」とぼやいていました。「今年は水温が低く、敦賀でもアジは釣れていませんでした」と答えておきました。最後に、家で無くなっていた「瓜破の水」を汲むため立ち寄りましたが、運が良いことに誰もいませんでした。国道27号線とお別れして、国道303号線から今津町経由で午後5時に帰って来ました。本日の走行距離は余裕の200qでしたので、プリウスのガソリン計は2目盛も減っていませんでした。(写真は、阿納漁港で見つけたウミウシと、泊地区から見える大飯原発と、堅海地区(かつみ)にある廃校の建物です)

いつもの日帰り旅行@。
2012/05/31

ちょうど前回の休日から2週間経った30日(水)に、久しぶりに海が見たくなり敦賀市を目指しました。まず、いつも立ち寄る「鞠山海釣り公園」ですが、この時期としては珍しいくらい釣り人がいません。そろそろ「豆アジ」が釣れる頃なんですが、釣り人に訊くと「まだまだ水温が低いですわ」とのお返事でした。ただ不思議な事に、ある場所で釣られている老人(ほとんどがそうですが)の所だけが入れ食い状態です。少し見学しているだけで、「子グレ」や「サンバソウ(石鯛の子ども)」を次々と釣り上げます。名古屋から来て、午前7時頃から釣り始めたそうですが、2〜30匹は釣れていそうです。周りの釣り人も、首を傾げて見ていますが特別な仕掛けでも餌でもありません。嫁さんも「こんなに釣れるなら来てみたい!」と言いますが、老人曰く「私は、アジが釣りたくて来たんです」と気のないお返事でした。さて、今日の温泉は、敦賀きらめき温泉「リラ・ポート」に決めていましたので、午前10時の開館と同時に入りました。最初は、「バーデンプール」に向かうと、常連さんが「お久しぶり!」と声がかかりました。その久しぶりのはずの長女が、一通り遊ぶと嫁さんが引き留めるのも利かず、わずか15分と言う最短記録で出ると言います。係のおじいさんが、「もう終わりですか?」と訊かれ、「何せ気まぐれな子どもですから」と答えておきました。その後は、温泉に入りましたが、時間が早いためか5〜6人の方しかおらず、ゆっくりと楽しむことが出来ました。お風呂から上がり、待ち合わせ場所に行くと、「お風呂も30分ほどで、さっさと上がった」との話しでした。「もう、プールは連れて来ない方が良いかな?」と言うと、「今度は、お昼ご飯を食べてから挑戦しようか?」と言う結論に至りました。(写真は、鞠山海つり公園の少ない釣り人と、一人だけ大釣りのバケツに魚と、リラ・ポートの全景です)

母の生活保護費で会見。
2012/05/26

お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さん(37)は25日、東京都内で会見し、母親が生活保護を受給していたことを認めた上で「福祉事務所と話をしながら決めてきた」と述べ、受給自体に問題なかったとの考えを表明しました。ただ、最近は自身の収入が増えていたことから「考えが甘かった。深く反省している」として、過去数年分の受給分を返すと語りました。「自己責任論懸念する声」民法は直系血族、兄弟姉妹の扶養義務を定めていますが、双方が成年の場合、無理のない範囲で、という程度のものとされます。扶養義務は受給のための要件ではありません。全国生活と健康を守る会連合会の前田美津恵事務局次長は、「今回のキャンペーンには209万人になった生活保護へのバッシングを強く感じます。生活保護は憲法25条で認められた権利ですが、権利ではなく自助で、それがだめなら親族で助け合えという「自己責任」論に持っていく思想攻撃ではないか」と指摘しています。(26日付けしんぶん赤旗社会欄より)まず最初に感じたのは、有名人でもプライバシーを守られて当然なのにその視点が無いことです。また、常に「福祉事務所」と相談しながら、幾ばくかの自己負担もしていたと言う事です。今でこそ売れっ子かもしれませんが、当初は年収100万円にも満たなかったと言う事で、これでは母親を扶養するのは無理だった様な気がします。テレビで放映されていましたが、最近若者の間で、「生保(なまほと呼ぶそうです」の受給の方法なるもののレシピがインターネットで閲覧できるそうです。なかなか若者の就職が困難な時期ですが、一度受給されると就業意識も低下するのは間違い内でしょう。さらに、不正受給も全国であるそうで、「性善説」にたって出来た制度が歪められつつあると思います。このまま行くと、制度そのものが厳しくなり「本当に困っている人」にも手が差し伸べられなくなりそうです。余談ですが、嫁さんが議員をしている関係で、毎年数人の方が相談に来られます。一旦生活保護を受けると、求人の紹介をしても「働いたら受給する金額が減るのやろ」「減らされるなら、このままで良いわ」との返事が多いそうです。日本人の美しい心は、一体どこに行ってしまったのかと考えさせられる出来事です。(写真は、21日に起きた金環食の写真ですが、上手く撮れていませんでした)

いび川温泉・藤橋の湯に行きましたA。
2012/05/21

昼食後、「藤橋の湯」に来ると悩むのは、この後どうするかと言う事で、リーフレットにあったように木之本ICに戻るのが一番時間がかからない方法です。ところが、それでは時間が余るし、私達の「往路と復路は違うコースで」とのポリシーにも反します。しかし、揖斐川町に下るとその後、国道21号線で瑞穂市から大垣市を通り米原市経由で彦根市となると随分と遠回りになります。この日はまだ午前12時だったので、久しぶりに揖斐川町に下り、谷汲地区にある「西国三十三番満願霊場・谷汲山華厳寺」に向かいました。ここは初めて来たところと思っていたのですが、どこかで記憶がありよく考えたらすでに来ていました。「最近、物忘れが激しいな」とつくづくと感じていたら、嫁さんなどまだ気づかないでいるようです。温泉施設で貰ったリーフレットによると、「6月10日(日)〜7月16日(月)まで」に「山に広がる ゆりのパノラマ」区営「谷汲ゆり園」が開催されるそうで、入園料が400円必要ですが是非来てみたいなと思いました。さて、そんなわけで冒頭に書いたとおり、国道21号線で米原市まで戻りましたが、「醒ヶ井駅」近くに、「梅花藻」(ばいかも)の見学者専用駐車場と看板が上がっていました。「もうそんな時期か?」と看板を横目に通り過ぎました。米原市から国道8号線に入り、彦根市内から湖周道路に出てひたすら南下しました。途中、「近江八幡」にある「旬菜館」で地元野菜を買い求めていると、「たいなか」の広い農地にあちらこちらでトラクターが動いていました。大規模化しても「離農者」が増えているとお聞きしているので、日本の農業の将来が案じられます。守山市内から「琵琶湖大橋」を渡り、久しぶりに「湖西道路」を利用せず、旧161号線で安曇川町に戻って来たのは午後5時前で、本日の走行距離は約250qになっていました。さて、今日は「金環食」が見られると言う事で少し早起きしましたが、完全に太陽が月に隠れるともっと暗くなると思っていたので、少し期待外れでした。(写真は、道の駅織部焼きにある山門と、富有柿の会館がある北方町と、近江八幡の「たいなか」の農地です)

いび川温泉・藤橋の湯に行きました@。
2012/05/18

「奥深い緑の中、清流のほとりにコンコンと湧き出る温泉・・・、大自然の中に舞う湯けむり・・・、空には満天の星座・・・、星が輝く山里の秘湯、いび川温泉「藤橋の湯」。〒501−0804 岐阜県揖斐郡揖斐川町東横山207番地 рO585−52−1126 営業時間 午前10時〜午後9時 休館日 毎週木曜日(祝日の場合は翌日) 入館料 大人500円 お車で・・・・木之本ICから約45分 養老鉄道・・・・揖斐駅からバスで約40分 (リーフレットより)「藤橋の湯」に来たのは、これで何度目になるだろうかと考えていましたが、少なくとも5〜6回は来ている様に思います。この日は、「シルバーデイ」で、60歳以上は400円になっていましたが、残念ながら後3ヶ月足りませんでした。しかし、障害のある長女は150円、付添人は400円だそうで随分と得をした気分になりました。本当は、冒頭にあるように「満天の星空」を見たいのですが、ここに来るまで山岳地帯を走るので、鹿やイノシシとぶつかるのでは無いかと思うと気が引けます。午前10時の開店と同時に入ったのですが、20人ほどが入浴していてシルバーデイの料金が成功しているようでした。入浴後、少し早いですが昼食にする事にしましたが、お決まりは「日替わり定食」で、コーヒー付きで850円です。本日のメニューは「鶏の唐揚げ、冷や奴、お漬け物、味噌汁とご飯」と言う内容でした。そのうち、入浴後のお客が集まって来て、まるで老人会の様になりました。年が行くと「小食」になるはずなのに、私達よりはるかに豪華な料理を頼んでいました。「すごい料理屋ね」と嫁さんに訊くと、「月に一度の楽しみやろう?」との答えですが、毎週だといささか羨ましくもあります。(写真は、国道303号線に掲げられた看板と、藤橋の湯の玄関と、道の駅から見た山々です)

きょう本土復帰40年。
2012/05/15

「日本共産党の市田忠義書記局長は、沖縄県民の苦難の歴史を振り返り、沖縄戦で二十数万人が犠牲になり、戦後27年間にわたってアメリカの異民族支配のもとに置かれたことに言及。祖国復帰後も核と基地が温存され、ベトナム戦争の最前線基地やアフガニスタン、イラン、イラク戦争の出撃・兵たん拠点とされアメリカの世界戦略の「アジア太平洋のかなめ石」として米軍基地が強化されたことをあげました。日本の総面積の0.6%の沖縄に米軍基地の74%が集中し、普天間基地など米軍専用基地が33も置かれている実態を告発しました。」(しんぶん赤旗15日付け1面より)1972年(昭和47年)と言えば、東京の沖電気に就職した翌年の事になりますが、当時のニュースで右側通行から左側通行になると書かれていました。そのため、路線バスの乗降口が逆になるので、改造が必要になるとの事で印象に残っています。また、復帰前は高校球児が持ち帰った「甲子園の土」が持ち込めず、泣きながら海に棄てたと言うような事もあったようです。私はまだ一度も沖縄に行った事はありませんが、チャンスがあれば沖縄の現状を是非見てみたいと思っています。さて、安曇川では田植えが進み、夜には「カエルの大合唱」が聞こえて来ます。ただ例年に比べ気温が低いせいか、植えた苗の生育が遅くあまり育っていないように見えます。私ごとですが、毎朝のウオーキングが習慣になり、今日のような雨天の日でもおよそ3qを40分ほどかけて歩いています。そのおかげで、朝食が美味しく感じられますし、なんとなく身動きが軽くなりました。(写真は、田植えが進みつつある田中地区の田んぼと、ウオーキングの途中で見つけた花を付けた「ワラビ」と、今年も道を横切る毛虫です)

竜巻は怖いものですね。
2012/05/10

茨城県つくば市や栃木県真岡市などで猛烈な突風が発生、両県で計53人が負傷し、つくば市北条の中学3年生が全壊した自宅の下敷きになって死亡しました。また、約1600棟を超す建物が損壊するなど甚大な被害が出ました。テレビで見ると、そのすさましさに驚きましたが、亡くなった方には申し訳ないけど、人的被害がこの程度で済んだことの方が不思議なくらいです。だいたい日本国内で竜巻による災害が起きるなんて、日常的には考えられないことです。竜巻と言えばアメリカ国内で、「トルネード」と呼ばれるものが有名で、街が跡形もなく無くなってしまう映像を何度か見たことがあります。毎年、竜巻による大きな被害を出しながらも、そこに住み続けるのは何故だろうとふと考えてしまいます。そういえば日本だって、台風銀座と呼ばれる沖縄県に住むのと同じ事で、やはり「ふるさと」に対する愛着の表れでしょうか?解説者は、竜巻を避けるには「頑強な建物」に逃げることが大切だと言っていましたが、都会と違いビルなどほとんどない安曇川では、時間との戦いになりかなり無理な話だと思います。せいぜい、雨戸を閉めて風呂場にでも逃げて、じっとやり過ごすしか方法はなさそうです。同時に、竜巻の予報の精度を上げて、いち早く知らせる事が重要ではないかと思います。さて、昨夜はお店を早じまいし、阪神=広島戦を見ていましたが、相変わらず貧打の阪神打線で「今日も負けかな?」と思っていました。ところが、広島の好投していた斉藤投手を交代させた途端、流れが一気に阪神に来ました。久々の痛快な勝ち方に、「かなり飲み過ぎて」いつの間にか泥酔してしまいました。ところで、最近著しい運動不足に気付き、朝食前にわずか約1qほどですが歩いています。これから、徐々に距離を伸ばし、3qは歩くようにしたいと思いますが、歩いた後の朝食はとても美味しく感じられ効果が出ているのかもしれません。(写真は、子ども御輿と、御神灯に明かりは灯った宵宮と、満開になった藤の鉢植えです)

東尋坊に行って来ましたA。
2012/05/06

福井市内での昼食を済まし、「さて、これからどこに行く?」と相談しましたら「勝山市の恐竜博物館でも行く?」「でも、ゴールデンウィークで道が混雑しているかも?」と話しがまとまらず、「東尋坊に立ち寄って、越前海岸を経て帰路に着こうか?」と提案しましたら「何でも良いわ」となり、取りあえず東尋坊を目指しました。福井市内から走ること30分ほどで到着しましたが、ポツポツと小雨が降っていて意外と観光客が少なく肩すかしの様でした。通りに面した土産物店も半数以上は閉まったままで、まさにシャツター通りの状態になっていて商売の厳しさが伺えます。あいにくの天候なので、長居する観光客も少なく「そそくさ」と見て帰られるようです。「せっかくだから、何か土産を買って帰ろう」と相談し、「どれでも3点1050円」と書いた看板に引かれて、「海苔の佃煮、雲丹の瓶詰め、イカの塩辛」にしました。昼食から時間が経っていれば「焼きイカ」が食べたかったのですが、今回は見送る事にしました。車まで戻って来ると同時くらいに、大粒の雨が降り出しこれではどこかに立ち寄る事も諦めた方が良さそうです。帰路は、ひたすら越前海岸を南下し、再び越前市まで戻る事にしましたが、さらに雨脚が強くなり土砂降りになって来ました。途中、あの有名な「呼鳥門」に立ち寄ろうとしましたが、土砂崩れで遊歩道が通行止めになっていました。「越前アクティバ」でトイレ休憩しましたが、駐車している車のナンバーが、「山形、宇都宮、群馬、埼玉、横浜」など、遠路から来られているのが分かりました。「遠くから来られて、この天気では気の毒やね」と同情せざるを得ませんでした。ところで、面白い看板が二つあり鯖江市では、「ヘタな髪結い屋」と書いてあるパーマ屋さんがあり、えらい自虐的なお店やなと、これでお客が来てくれれば良いけど、逆効果が怖いとなとも思いました。私など、「ヘタな眼鏡屋」と名乗る勇気など持ち合わせていないので、羨ましくもあります。最近、自虐的なアピールが流行っていて、島根県など「日本で47番目に有名な県」とか、「島根県に砂丘はありません」とか、「こう見えても世界遺産はあります」とかで売り出しているようです。二つ目の看板は、越前海岸で見つけた「お祝いは、もう少し地味にしましょう」と出ていましたので、よほど派手にお祝いするのでしょうか?今回は、帰りが遅くなりそうなので「温泉」への入浴は諦めて帰ってきました。本日の走行距離は約250qでしたが、天候が悪かったせいか結構疲れました。こんな訳で、私のたった一日のゴールデンウィークは終わってしまいました。(写真は、東尋坊周辺の景色です)

東尋坊に行って来ました@。
2012/05/03

2日(水)は、長女の帰省に合わせて福井県内に向かいましたが天気予報では南部ほど雨が激しくなると言っていたからの選択です。なるほど、安曇川では雨模様だったのが、敦賀市内では雨が止んでいていました。いつもの「鞠山海つり公園」に立ち寄りましたが、釣り人も少なく釣果が芳しくないのでしょう。もう子鮎も去ったのか、姿が見えず釣り人は所在なさそうにしていました。今回も目的地を決めずに出かけて来ましたが、新聞に「鯖江市・西山公園」で、ツツジが咲き始め「花まつり」が行われていると掲載されていました。「じゃあ、そこにしよう」と言う事になり、国道365号線を利用して今庄町を目指しました。ところが、何とか持っていた空模様が雨になり、時々激しく降るようになりました。約1時間後、鯖江市・西山公園に到着しましたが、車窓から見る限り「ポツポツ」と咲いているだけで、おまけに祭りの準備中の夜店でごった返し、駐車場は満杯でした。「雨もかなり降っているし、今回は諦めようか?」「せめて天気が良かったら、離れた場所でも良かったのに残念やな」と言う事になり、国道8号線を福井市内を目指しました。国道が混雑していて、たらたら走ったせいか、もうすでに午前12時近くになっていたので、「昼食」にするための場所を探すことにしました。福井駅前を通り過ぎ、北上する事15分で「海鮮アトム」の看板が見えましたので、そこに決めました。ここは、お皿ごとに値段が違い、最高は「大トロ」の一皿545円なんてものもあります。その代わり、新鮮なネタで財布に余裕のある時は、お勧めのお店です。本日のお会計は、4320円とちょっと高めでしたが、大満足のお昼となりました。ところで、高島市内は3日〜4日と春祭りで、あちらこちらで色々なイベントが行われているようです。(写真は、釣り人が少ない「鞠山海つり公園と、珍しく停泊していた新日本海フェリーと、「海鮮アトム」の福井市内店です)

原発は本当に必要だろうか?
2012/04/28

福井県・おおい町で26日夜、関西電力・大飯原発3、4、号機のの再稼働をめぐる住民説明会を開きました。対象は町民のみで、町総合運動公園体育館の会場には町民546人が参加し政府の説明に、不信感や憤り、安全性への不安をぶつける意見が相次ぎました。(27日付けしんぶん赤旗より)テレビを見ていると、「免震事務棟の設置も、津波対策の為の防波堤のかさ上げも、非常時のベントの設置もこれからで、何故安全と言えるのか?」と質問していましたが、納得の行く話しでした。また、「電力の消費地と、電力の発電地で大きな温度差を感じる」との話しもうなずけるものでした。人口8800人余りのおおい町で、原発に関わる人が2200人余りあるとお聞きし、早く再稼働をして欲しい意見が大勢を占めるのも無理はないと思います。私も、安曇川に来るまでは原発の電気と、それ以外の電気と意識して使っていた訳ではなかったでしょう。ところが、実際に旧美浜町や旧大飯町に行ってみると、生活全般が原発に依存しているのがはっきりと見えて来ます。原発で得たものも大きいかもしれませんが、逆に失ったものも沢山ありますが町民は気付いているのでしょうか?旧美浜町の原発が目前に迫る丹生地区には、数十軒の民宿がありますが、宿泊するお客様に提供する魚介類が目の前で採れたとなると敬遠するでしょう。また、海に浮かぶ釣り用のイカダが幾つもありますが、釣り人を見かける事はほとんどありません。この様な事は、旧大飯町にも言える事で、今や民宿は原発関連で泊まる作業員の為にあると言えるほどです。かつて読んだ、この町出身の「水上 勉」さんの小説に初めて原発が出来た頃の若狭の状況が書かれています。「女は地元の高校を卒業すると、京都の短大に進む。男は田畑を守るため地元に残るが結婚相手は見つからない」などと書かれていました。脱原発と言うなら、「地元に新たな産業を誘致」しなければ、町が成り立たなくなるのも事実です。同時に、政府が原発に投資するお金で、各家庭にソーラーパネルを設置する為の補助金に充てれば問題は簡単に解決出来るような気がします。ところで、余談ですが若狭地方は、かって京都に編入されていた時期もあり、福井県との関わりよりも京都府との関わりの方が強いかもしれません。さて、世間では今日からゴールデンウイークと言う事で、空港や新幹線の駅から旅立つ姿が写し出され、とても楽しそうです。ご当地安曇川では、トラクターがあちらこちらで動き田植えの準備が着々と進んでいます。5月に入ると、高島市のあちらこちらが祭り一色になり、今年の「豊作」を祈ります。(写真は、近所の庭に咲いた「しゃくなげの花」と、郷愁を感じさせる真っ直ぐな旧道と、田起こしの為に動き出したトラクターです)

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