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同窓会は楽しかった。
2012/11/19

18日(日)は午後3時から大阪・京橋で「同窓会」が行われるので、お店は早じまいして安曇川発午後1時17分の新快速・姫路行きに乗りました。安曇川を出発時に強い風が吹いていたので電車の遅れや運休がないか不安で駅員に尋ねるとパソコンの画面で確認してくれ、「大丈夫です。今のところ予定通りに走っています」とのお返事で一安心しました。およそ、1時間15分で大阪駅に到着し、大阪環状線に乗り継いで京橋駅には午後2時45分に予定通り到着、会場へと急ぎました。受付では、4年ぶりに見る顔、もっと永く会わなかった顔と様々で、しばらくは緊張もあり打ち解けるまでほんの少し時間がかかりました。「同窓会」では珍しく、「イタリア」料理と言う事でなんとなく戸惑いもありましたが、20分もすれば昔の「中学生」に戻っていました。「つのる話」は沢山ありましたが、その10分の1も語り合えたかどうかです。時間が進み、一次会が打ち上げとなり4年後の再会を約束し大半がここでお別れしました。残った8名が、直ぐそばにある居酒屋に二次会へと繰り出しました。「やっぱり居酒屋の方が落ち着くな」「お寿司が食べたかってん」「やっぱりこの時期は熱燗やね」などと再び話しが盛り上がり、あっと言う間の1時間30分ほどの時間が過ぎていきました。午後11時近くになり、「名残惜しい」ですが京橋駅で解散となりました。行きも帰りも単独での行動となりましたが、京都駅で午後12時4分発の湖西線最終電車に間に合いました。電車の中では、今日話した数々の事を思い出していましたが、なんとなく淋しさも襲って来ました。安曇川駅には日付のかわる午前1時4分に無事到着しましたが、駅には嫁さんが迎えに来てくれていました。車の中で「4年後、本当に元気で会えるかな?」と思いながら空を見上げると「満天の星」が輝いていました。「満天の星」 「にぎやかに歌ったコンサートは(同窓会)終わり きみは家路を急ぐ 待つ人のいる家にすぐにおかえり また会おうよ きみのことは忘れない さわがしい町並みはずれたら 仰いでごらん空を ひとりぼっちのきみに降るのは満天の星 ひとりぼっちのきみに降るのは 満天の星」 南こうせつさんの歌を思わず口ずさんでいました。(写真は、同窓会の光景と、今朝の雲一つない冬空と、淋しく残った数個の柿の実です)

寒くてストーブを点けました。
2012/11/15

「映画「男はつらいよ」最新作「寅次郎紅の花」の冒頭のシーン。岡山県津山市にある美作滝尾(みまさかたきお)駅んじょ駅員を演じたのが、先日亡くなった桜井センリさんでした。ひょうひょうとした演技に、つい頬がゆるむようなユーモアがにじむ。多くの作品をともにつくった山田洋次監督は「ほんの数カット映るだけで映画全体になごやかな雰囲気が漂う。そんなセンリさんんは、ある時期ぼくの映画にはいなくてはならない俳優でした」。これで一世を風靡したクレージーキャッツのメンバーも、ご健在は犬塚弘さん一人に。ハナ肇、植木等さんをはじめ、コメディアンとしての印象がつよかった面々も出発はジャズバンド。桜井さんもピアニストでした。戦後のバンドブームから舞台、映画、テレビと活躍の場をひろげてきた7人グループ。彼らの歩みは、そのまま時代の側面を描き出します。その姿に、みずからの青春や老後を重ねてきた人も多いはず。それにしても、今年は年輪を刻んだ俳優が相次いで世を去りました。大滝秀治、山田五十鈴、津島恵子、淡島千景、三崎千恵子、二谷英明、馬淵晴子、地井武男・・・。そして昨夜、森光子さんの訃報がとびこんできました。テレビ放送が始まってから60年の区切りに、寂しさが募ります。高倉健さんの言葉が味わい深い。「俳優にとって大切なのは、造形と人生経験と本人の生き方。生き方が芝居に出るんでしょうね。「」。時代を背負い、人生を映し出す。そんな役者がまたひとり、スクリーンから消えていきました。」(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 私から見れば、年齢が少し上の世代であまり記憶には残っていない気がします。やはり映画が主体の時代の俳優さんだからで、「テレビっ子」世代との格差かもしれません。ただ、「寅さんシリーズ」だけは映画館に足を向けましたので、三崎千恵子さんの「おばちゃん役」だけは「はまり役」でした。さて、今日の安曇川の午前12時現在の気温は5℃しかありません。あまりに寒いので、急いで二階から石油ストーブを出して来ました。いつもの年なら12月にならないとストーブを出すことが無いので、この冬は寒いのかもしれません。お昼のニュースでは、兵庫県・氷ノ山でかなりの積雪があったそうで、秋の気候を飛び越して冬になった様です。私事ですが、18日(日)に「同窓会」が大阪で4年ぶりに行われる予定です。今回は還暦を迎え、「よう今日まで生きてきたな!」と思うと感慨深いものがあります。「久しぶりに羽根を伸ばして来よう」と思いますが、「嬉しくて眠れない」事はありません。(写真は、人影もまばらなマキノピックランドの光景です)

マキノ高原温泉「さらさ」。
2012/11/11

「爽やかな風がいざなう高原温泉。身も心もなごませて、湯ったりと時が流れる」「春・夏・秋・冬・・・高原に季節がうつろい、お湯もまたそれぞれに表情を変える。」(リーフレットより) 〒520−1836 滋賀県高島市マキノ町牧野931−3 рO740−27−8126 営業時間 午前10時〜午後9時(土・日・祝 午後10時) 休日 毎月第2・4水曜日(但し祝祭日の場合はその翌日)入浴料 大人600円 電車で JR湖西線マキノ駅からタウンバス「マキノ高原線」マキノ高原温泉さらさ下車 車で 名神高速道路ー京都東ICから西大津BP・湖西道路・国道161号線経由約80分 昼食後、どこの温泉に行こうかと考えていたら、「さらさ」の「10%割引券」があったのを思い出し、越前市から引き返すことにしました。まだ、安曇川周辺では紅葉が始まりかけたところなのに、さすがに高原とあって紅葉が進んでいました。「割引券」を出すと、600円が540円となり、三人でわずか180円の事なのに何かすごく得した気分になりました。平日の午後3時と言う事もあり、入浴客も5〜6人程度でゆったりと入る事が出来ました。露天風呂に入りながら、「前回は、いつ来たのだろう?」と考えていたら、「あれっ〜、正月以来来ていない」事に気付きました。「春が過ぎ、暑い夏も過ぎ、もうすぐまた正月やな」と感慨深くなりました。休憩所ではこの時期、紅葉目当てに山登りする中高年の姿が目立ちましたが、体力の衰えに気付かないと「万里の長城」の様な事故になりかけません。帰り道、「メタセコイヤ」の並木道を走りましたが、こちらはまだまだ青い葉を付けたままで、落葉には時間がかかりそうでした。(写真は、紅葉した木々と、グランドゴルフに興じる人々と、まだまだ青いメタセコイヤの並木です)

日本海は大荒れだった。
2012/11/08

7日(水)は、お店の定休日だったので、どこに行くというあてもなく取りあえず敦賀市を目指しました。久しぶりに立ち寄った「鞠山海つり公園」は、想像していたより釣り人が少なく閑散としていました。こんな日は、釣果も芳しくない事が多く期待は出来ません。どのように情報が伝わるのか、不思議な事に大漁が続くと、釣り人がどんどん多くなり釣る場所が無くなるくらいになります。いつもなら、じっくりと散歩しながら、釣果を見て回るのですが、北風が強く体感温度は0度近く感じられ早々と車に戻って来ました。嫁さんに釣果を訊くと「手のひらサイズのグレと、サンバソウ(イシダイの幼魚)が釣れていたわ」「グレは、太っていて厚みがあったわ」との報告でした。ここからは、長女の指図で越前海岸を目指すことになり、国道8号線から「さざなみ海道」を走りました。敦賀では気がつきませんでしたが、日本海は波が高く時々防波堤を越えて道路まで届きます。「そう言えば、6日に「ズワイガニ漁」が解禁なったから賑やかと違うか?」と思っていたのですが、そのような光景は見られませんでした。ただ、唯一「漁り火温泉」のある土産店で、「セコガニ(メスのカニ)」をゆであげているのが見られただけでした。「あまり、カニの販売しているお店がなさそうやね」と嫁さんが訊くので、「松葉カニ(オスのカニ)は、浜値でも一匹4万円と聞いていたから、地元でもなかなか手が出ないのではないかな」と答えておきました。まだ時間が午前10時過ぎだったので、午前11時オープンの「漁り火温泉」は諦めて、別な温泉を探すため越前海岸と別れました。天気予報では、滋賀県が「曇り時々晴れ」だったのですが、福井県は「曇り時々雨」の予報通り、「時雨模様」の空から雨が落ちて来ます。越前市(旧武生市)まで戻って来たら、午前11時20分になっていたので、少し早いですが「くら寿司」で、昼食を摂る事にしました。(写真は、鞠山海つり公園で時雨模様の中釣りをする人々と、前回来た時(10月11日の店長日記の写真)はおだやかだった日本海の豹変ブぶりと、蒸し上がったセコガニを冷やすお店の人です)

水俣病は過去のもの?
2012/11/04

「水俣病と向き合って52年。今年6月、77歳で亡くなった医師・原田正純さんの半生を正面から受け止めたドキュメンタリーです。熊本大学の大学院生だった原田さんは現地調査で水銀被害の悲惨さを知ります。当時、水銀で汚染された魚介類を食べていない子どもたちは水俣病ではないとされていました。また、母親の胎盤は、毒物を通さないとされていました。しかし、障害を持った子どもが多い。世界で初めて、毒物が胎盤を通ることを突き止めます。幼子だった胎児性水俣病の患者たちも、現在、50歳を超しています。原田さんは終生、彼らとともにありました。その活動は、被害を小さく見せようとする、チッソや国とのたたかいでした。「加害者は圧倒的な力を持った企業や国。被害者はどこまでも弱い立場の人々」である社会の非条理を見据えます。医師と医療のあり方に誠実に対した生き方に深い感銘を受けます。一方、政府はこの7月、「水俣病特別措置法」によろ救済認定を打ち切り、多くの被害者を切り捨てました。「水俣病は未来へ続く」。原田さんの言葉です。水俣病は社会の形を問い続けています。(4日付けしんぶん赤旗「試写室」より)なお、放送はNHKEテレ 今夜午後10時ー原田正純・水俣未来への遺産 30年も前の事ですが、私も一度だけ水俣市を訪れた事があります。チッソの工場前で写真を撮影しようとすると、警備員が飛んで来て「撮るな!」と言われました。「私の今いる場所は、天下の公道ですよ。あなたは何の権利があって止めているのですか?」と答えるとすごすごと引き上げて行きました。それにしても、どこまでも青い不知火の海に、こんなむごい事が起きるとは想像出来ませんでした。さて、ラグビーが佳境を迎え毎晩「Jスポーツ」で夕食を摂りながら楽しんでいます。昨夜は明治=慶応の試合でしたが、内容は明治の圧倒的な強さでした。今年の明治は強くなり、まだ無敗を保っています。それに比べ、早稲田や慶応の不振ぶりが目立ちますし、関西では立命館の健闘が目立ち、同志社の不振ぶりが目立ちます。トップリーグでは、圧倒的な強さでサントリーが強いですが、神戸製鋼の強さの復活もあり楽しみです。私事ですが、今夜は遠方から旧友が来ることになっており、「さ〜あ、どこに連れていこうか?」と思案しています。明日は、間違いなく二日酔いになっているでしょうが、酒は止められません。(写真は、月うさぎに並べられたぬいぐるみの数々です)

店長の富山旅行総集編。
2012/11/01

今回の旅行で書ききれない事があったので、くどいようですが興味があったら読んで下さい。初日の昼食を摂った「月うさぎ」は、「うさぎアイテム」が全国で一番だそうで、ぬいぐるみから携帯のストラップなどの玩具品から、クッキーや饅頭などの食料品まで、すべて「うさぎ」と関わっているので、圧巻と呼ぶのにふさわしいです。また、「魚津水族館」では、富山の淡水魚水槽があり、北アルプスの雪解け水が富山の淡水魚を育んでいるそうで、渓流にすむイワナ、カジカ、トヨミ(イトヨに似た魚です)など興味深いものがあります。滑川市にある「ほたるいかミュージアム」は、富山湾に面して建っており、漁港では釣り糸を垂れる釣り人が数人いました。「何が釣れます?」と尋ねると、バケツには15a前後のアジが数匹入っておりなかなかの釣果です。「ここは、綺麗なロケーションですね」と尋ねると、「今日は、天気が良いから能登半島が先端まで見えますでしょう」との答えが返って来ました。もう一つは、宿舎であった事ですが、「宴会」で酔って忘れかけていましたが、「おわら風の盆」の踊りが玄関で披露されると聞いて、「是非、実物を見てみたい!」と遅ればせながら駆けつけました。宿泊客も交じって踊る男女があり、なかなか幻想的な雰囲気でした。「胡弓」のもの悲しい曲に合わせてと期待していたのですが、残念ながら生演奏ではなく、カセットテープ(古いな!)の様でした。「女性の踊り子は、未婚の女性て聞いていたけど}の無い知識で考えていましたが、「おばちゃん集団」でしたので、少しがっかりしました。まあ、それでも実物を観られたなとの満足感はありました。さて、気がつけば今日から11月になり、湖西地方独特の「時雨」が晴れていた空からにわか雨になります。いつの間にか、「ツバメ」の飛び交う姿も見かけなくなり、我が家の風呂場に住んでいた「ヤモリ」もどこにいったのでしょう?季節は確実に冬へと向かっていて、水鳥で賑わう琵琶湖の姿も、もうすぐ見られる事でしょう。(写真は、「おわら風の盆」で踊る人々と、記念写真に収まる人々です)

店長の富山旅行C。
2012/10/30

宿舎からバスで20分ほどで、本日の最初の訪問施設が、なめりかわ「ほたるいかミュージアム」です。「ほたるいかってなあに?」春になると産卵のために富山湾沿岸に集まり、青く美しい光を放つほたるいか。ほたるいかが多く集まる滑川の海面は、国の特別天然記念物に指定されています。(リーフレットより)活きほたるいかの発光ショーは、3月20日〜5月31日までで、残念ながら「活きたほたるいか」は観る事が出来ませんでした。代わりに、「竜宮ホタル」と言うプランクトンを観ましたが、これはこれで興味深いものがありました。また、滑川沖水深333bより取水される低温で清浄、栄養塩豊富な深層水が湧き出る泉には、富山湾の深海に住む魚を展示してありました。実際に手を浸けてみると、かなり冷たく感じられ、美味しそうな「ズワイガニ」などが活きていられるのが分かりました。今度来る事があれば、必ず活きたほたるいかが観られる時期にしたいと思い施設を後にしました。ここから再び南下し、富山県とお別れして石川県・金沢市内で昼食を摂る事になっています。初日に比べ、バスの中では皆さんが静かで少しずつ疲れが溜まっているのではないかなと感じられました。昼食は、金沢料理の名店の「兼見御亭(けんけんおちん)」で頂きましたが、予算が少ないのか、それとも金沢料理が「見栄え」を重視しているのか、満足感がありませんでした。それでもこのお店は、観光バスが次々と到着し、続々と団体客がやって来て「満員御礼」の状態でした。食後は、お決まりの「兼六園」の散策となるのですが、「あれは、何年前の夏だったかな?」「能登半島の恋路莊に泊まり、翌日輪島の朝市に行ったな」「能登沖地震が発生して、旧門前町の被害がすごくて足がすくんだわ」「その帰り道に立ち寄ったけど、特に暑い日で、蝉時雨がうるさいくらいやったね」と回想していました。今日もこの時期としては暑く、25℃を温度計が表示していました。それでも、庭園内では冬に備えて「雪つり」の作業が始まっており、兼六園庭師の半被を着た方が忙しそうに働いていました。予定では、「近江町市場」に立ち寄る事になっていましたが、遅れていたので北陸道の「徳光サービスエリア」にある「ミニ近江市場」で魚介類の購入をしました。今回の旅行では、夕食まで付いていて、敦賀市の「すたみな太郎」となっており、焼き肉と和洋中のバイキング料理となっていました。「以前はよくお昼に食べに来たな」「2年ぶりくらいになるかな」「もう年老いて、焼き肉が苦手になって来たわ」と話して、バスに最も早く戻って来ました。ところが、他の皆さんは、集合時間に戻らず、イライラしながら待っていると、およそ30分以上は遅れてしまいました。そんなこんなで、安曇川の道の駅に戻って来たのは、午後9時近くなり、お風呂に入るとどっと疲れが出て、午後10時には「討ち死に」しておりました。(写真は、深層水の中で生きの良いズワイガニと、兼六園内の名場面と、金沢料理のお店の看板です)

店長の富山旅行B。
2012/10/28

「お湯がご馳走」「100%源泉掛け流しの元気湯」「「金太郎さんのように元気になれる温泉」という願いを込めて、名付けられた金太郎温泉。泉質は、体の芯からあたためる塩化物質と、肌をすべすべにしてくれる硫黄泉の混合で、これは日本でも珍しいと言われています。75度前後の高温の湯は成分が濃く、効能にすぐれ、「温泉に入って元気になった」「癒された」とお客様から嬉しいお便りを沢山いただきました。」(金太郎温泉リーフレットより) 私も、あちこちの温泉施設に行きましたが、これほど硫黄の臭いが強い温泉は初めての経験です。宿泊客には、隣接する日帰り入浴施設「カルナの館」も無料で利用出来る特典があります。この「カルナの館」の露天風呂は、広くて50人は一度に入浴出来そうです。また、大浴場は「立山連峰」を想像させる巨大な岩が組み込まれていて圧巻でした。日帰りで入浴されているお客さんも多く、風呂の広さに比べて結構混雑していたと言う印象です。いよいよお待ちかねの「宴会」が始まりましたが、肝心のお酒を飲める方が少なく、「手酌」で飲んでいました。お料理は、まだ蟹の解禁になっていないのでありませんでしたが、富山湾で取れた「ハマチ、タイ、ヒラメ、アワビ、イカ」などを「もう結構です」と言いたくなるほどボリュームがありました。その中で、「ホタルイカの沖漬け」と言う物があり、お酒の肴に良く合い、お土産に買って帰る事にしました。部屋に戻ってからは、日本酒の冷やを「ちびり、ちびり」と魚津の夜景を眺めながら飲んでいました。翌朝、今度は旅館にある「壁画大浴場」に入りましたが、こちらの方が「硫黄」の臭いが強くしました。朝から入浴される方は少なく、昨夜よりゆったりと入浴でき、朝日が差し込むとより開放感がありました。朝食は、和洋のバイキングで、「味噌汁と卵焼きとトースト」とか、「ウインナーに焼き魚にトースト」なんてミスマッチな食べ方になっていました。午前9時の集合となっていましたので、慌てて昨日食べた「ホタルイカの沖漬け」を「あいつと、あいつと、うちのぶん」と考え3本も買ってしまいました。昨夜、バスガイドさんが、「一度入ると5年若返る。二度入ると10年若返る。三度入ると・・・元に戻ってしまう」との話しでしたが、嫁さんはその忠告を無視して、夕食前後に二度、今朝に一度の三度になり・・・元に戻ったようです。 政府登録国際観光旅館 金太郎温泉 〒937−0013 富山県魚津市天神野新6000 рO765−24−1220 電車で 大阪から 「特急サンダーバード」=富山=魚津(4時間) 車で 大阪=(名神自動車道・米原JCT)ー(北陸自動車道・魚津IC)(4時間30分) さて、先日あるテレビで「終着駅を目指す旅」と言う番組でしたが、「乳癌に冒されて、完治された」と言う広島から来た奥さんの会話が印象的でした。「一度目は、北海道・稚内駅に行きました。乳癌が見つかる前でした」「今度は、完治したので鹿児島県・枕崎駅に来ました」「終着駅は、出発駅でもあるのでここで元気をもらいに来ました」と話され、「なかなか良いことを言うな」と感動しました。(写真は、日本海に沈む夕日と、ネオンがにじむ夜の金太郎温泉と、出発前の観光バスと玄関付近です)

店長の富山旅行A。
2012/10/26

水族館と言うと、大阪にある「海遊館」や神戸にある「須磨水族園」などをイメージしていましたが「魚津水族館」はその狭さと古さに驚きました。最も大きな「海洋水槽」でも、水量240dと書かれていましたが、縦5b、横3bほどで富山湾の大型魚類が悠々と泳いでいました。ちょうど、これからホテルでの「宴会」があるので、「生きの良い、ブリか鯛が欲しいな」と言ったら笑われてしまいましたが、本音は同じだと思います。ここでも、「ホタルイカ」の展示がされているそうですが、期間は3月下旬〜5月末までだそうで、生きた「ホタルイカ」に出会えませんでした。足早に展示物を見て回ると、なんとなく一息つきたくてレストラン?に向かいました。「ソフトクリームを二つ下さい」と注文しながら、「この辺は雪が多いのでしょうね?」とお訊きすると、「今年は特に多くて2bほど積もりました」「平年でも1b50aはあります」とのご返事に少し驚きました。「そんな時、どうして生活しているのだろう?」と素朴な疑問が湧いて来ました。このレストラン?のお客も私達だけで、従業員はおばちゃん3人と、その孫らしい小学生が3〜4人のほのぼのとした店でした。バスの集合時間になり戻って来ると、ソフトクリームを食べている仲間がいて、「これ200円で売ってたよ」と言うので、「レストランは250円だったけど、水が付いて来たよ。きっと水代が50円したのかも」と答えておきました。さて、いよいよ本日の宿泊施設である「金太郎温泉・光風閣」に午後4時30分頃到着し、部屋に入ると、ちょうど夕日が日本海に沈むのが見え、一日の終わりを告げているようでした。(写真は、魚津水族館の玄関付近と、最も人気のあった「クラゲの展示」と、海洋水槽を泳ぐ「美味しそうな」魚達です)

店長の富山旅行@。
2012/10/24

21日(日)〜22日(月)の一泊二日で、長女が入所している「杉山寮」の旅行があり4年ぶりに参加させて頂きました。例年なら嫁さんは必ず参加し、私は「お留守番」となるのですが、富山県まで行く事は過去にほとんどなかったので、無理矢理夫婦で参加する事になりました。安曇川の「道の駅」に午前7時45分に集合して「彦根観光」の観光バスで移動するのですが、電車とは違った親近感があり、「嬉しくって、昨夜は寝付けなかったわ」と話すと、バスガイドさんが「大笑い」していました。途中、JR今津駅に立ち寄り、数人が乗車、国道303号線で「杉山寮」に到着し「寮生」と合流です。ここから敦賀ICまでは、国道27号線を利用するのですが、普段見慣れているはずの風景が、バスの車窓から観ると新鮮に感じられました。北陸道の「南条サービスエリア」で一番最初の休憩を取りましたが、すでに午前10時近くになっていて、随分と遠回りしたんだなと思いました。そこからさらに1時間30分ほど走り、北陸道を加賀ICで降り、昼食予定地の「月うさぎ」に立ち寄りました。加賀温泉郷には何度も来ているのに、「月うさぎ」の事は恥ずかしながらまったく知りませんでした。この辺りに団体客の受け入る場所が少ないからか、観光バスが次々とやって来て、デザインが違い色とりどりで面白いものです。昼食後、時間があれば「うさぎと遊べる広場」があるとお聞きし、早速観てきましたが、あまり動きが無く「こんな動かないうさぎは初めて」との感想でした。再び北陸道を走り、石川県から富山県に入りましたが、私の人生でも二度目の事で、前回は白川郷から氷見市に向かい、そこからさらに能登半島を北上しました。従って、富山県・魚津市と名前は聞いていますが、そこの街がどんなと所か想像がつきません。バスガイドさんが、「次は魚津水族館に立ち寄ります」と言われたので、「水族館があるなら、大きな街なんやな」「滋賀県には、「びわこ水族園」しかないし、淡水の魚ばかりやもの」と同乗者の反応に期待がこもっていました。(写真は、玄関で迎えてくれるうさぎの銅像と、施設内にある「月うさぎ神社」と、あまり動こうとしないうさぎ達です)

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