うちのお好み焼きは大丈夫?
2013/08/19
「帰省やキャンプなどで、家族や仲間と集まることが多い季節です。わが家では、親戚が集まった時の定番料理の一つがお好み焼き。ホットプレートを囲んでわいわい楽しみます。袋入りのお好み焼き粉は、たいてい1回では使い切れず、残った粉は戸棚で保存していました。しかし最近、常温で保存すると中にダニが入り込み、粉の中で大量に繁殖する・・・という話を聞いて思わずぞっとしました。体長が0・4_程度と非常に小さいダニは、開封後の粉製品の袋にわずかな隙間さえあれば侵入し、1カ月後には爆発的に増えていくそうです。小麦粉やホットケーキミックスも要注意です。心配なのはダニが大量に発生した粉を使った料理を食べて、呼吸困難やじんましんなどのアレルギーを起こす人が出ていること。重症の場合は、全身に強いアレルギー反応が出るアナフィラキーショックを起こすこともあるようです。ある患者は呼吸が困難になり、じんましんが全身に出て病院に運ばれました。使ったお好み焼き粉を調べると1cあたり約1万8000匹ものダニが見つかったそうです。担当した医師に画像を見せてもらうと、粉の中にダニが動き回っている様子がはっきりと見えました。予防のためには開封後は早めに使い切ること。「粉製品は常温で保存」と思いがちですが、ダニは低温では繁殖しないため、残った場合は冷蔵庫で保存するべきだと専門家は言います。みなさんの家庭の戸棚には、開封済みの粉製品が残っていませんか?」(19日付けしんぶん赤旗「潮流」より) わが家の戸棚にも小麦粉がありましたので、この記事を読んで少し心配になりました。さて、日本全国で局地的な大雨が降っていますが、安曇川では、ここ20日以上にわか雨すら一滴も降りません。まさに「カラカラ」状態で、作物の管理は大変だと思います。「雨乞い」でもしないといけないのではないかと、本気で考えています。(写真は、ふるさと祭りの看板と、誰が描いたのか可愛らしい提灯と、ボランティアで色々なものが売られている夜店です)
今日は敗戦(終戦)記念日ですね。
2013/08/15
以前、父から終戦記念日の思い出を聞いたことがあります。その年、親類を頼って東京から山梨に疎開。一家で世話になった家の庭先で、おとなに交じって玉音放送に耳を傾けました。当時10歳。ラジオの音声は途切れ、何を言ってるのかさっぱりわからない。まさか神国日本が戦争に負けるなんて夢にも思っていなかったといいます。とても暑い日で、セミの鳴き声が記憶に残っていると話しました。本紙で古典の楽しみ方を連載中の清川妙さんは当時24歳。「負けたんだなというより、終わったんだなあ」。15歳だった詩人の小森香子さんは机の中にある小刀を思い浮かべました。「私も自殺しなければいけないんだろう」と。すごい解放感で、3日間ほとんど寝続けたというのは昨年亡くなった評論家の吉武輝子さん。「夜にこうこうと電燈をつけて寝られるなんて、平和への喜びでいっぱいでした」(『わたしの終戦記念日』)。あの日の受け止め方は人それぞれ。しかし共通して口にするのは、終戦に至るまでの悲惨さと、一日一日を食いつなぐのに必死だった戦後のつらい道のりです。そんな体験を語ることができる人たちも年々、少なくなっています。終戦から68年の夏。日本は、改憲を「私の歴史的使命だ」といって、戦争への道をふたたび歩もうとする首相のもとで迎えています。アジアと日本をはじめ多くの犠牲者をだし、苦しみをあたえた戦争を語り継ぎ、平和を脅かす勢力を追いつめていこうー。猛暑の夏の誓いです。」(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 今朝、テレビのニュース番組を見ていて、「なんで終戦記念日なんだろう?」「敗戦記念日の方が、人々に伝わりやすいのと違う?」と嫁さんと話していました。さて、先日の大阪・大東市へのお墓参りで、甲子園に行くため阪神電鉄・梅田駅に行くと「只今甲子園球場は満席で入れません」と書かれた札がありました。「え〜っどうしょう?」と言うと、「諦めたら」と嫁さんに言われました。その後、デパ地下の食料品売り場で鮭やタラコ、ちりめんじゃこに天ぷらなどを買い求めましたが折りたたみのクーラーバッグまで持参して来たとは驚きました。「折角阪神に来たのだから、タイガースショプに行こう」と立ち寄りましたが、すごい人出でゆっくりと観られませんでした。心斎橋で一杯飲んだ帰り、大阪駅で「赤鬼魂」と書かれた「彦根東」の応援団とおぼしきおじさんが酔った勢いで、「どないしたら帰れるねん!」と叫んでいました。(写真は、タイガースショップでのトラッキーと、方言が飛び交いごった返す売り場と、誰が買うのか浴衣までありました)
連日の猛暑ですね。
2013/08/12
昨夜、偶然につけたBS日テレで午後8時〜午後10時54分まで終戦特別企画「火垂るの墓ーほたるのはかー」の放送がありました。「ほたるのはかー」は確かアニメだったはずなのに人が演じていましたので、また違う感覚で観ました。ただアニメに比べ戦争の悲惨さが桁違いで、さらに恐怖感があり子どもには見せられないと感じました。「せつ子という妹が亡くなった後、お兄ちゃんも神戸駅構内で亡くなった。」との話に、「あれ〜っそうだったけ?」とアニメになかった結果がありました。「戦争に負けても死んだら終わりや」という松嶋菜々子の言葉が胸に迫りました。さて、ここ安曇川でも連日の猛暑で9日(金)は、午後3時に38℃(エアコンの温度)を記録、昨年の最高気温37℃を上回りました。10日(土)も同じく38℃となり、11日(日)は37℃となりました。実際の気温はこれより2〜3℃は低いと思われますがそれにしても異常な状態です。世間は早くもお盆休みに入りましたが、明日は大阪・大東市まで先祖の墓参りに出かけて来ます。時間があれば、甲子園に出場する「彦根東高」の観戦もしたいなと考えています。夜は心斎橋で元同僚とささやかな「飲み会」をする予定でとても楽しみです。(写真は、久しぶりに訪れた風車村で、風がないのか回らない羽根と、乗る人影もなく寂しそうなボートと、のんびりと泳ぐ白鳥です)
妹川があったとは。
2013/08/08
「奥伊吹に端を発する姉川は全長36キロに及び、湖北の平野部を蛇行しながら琵琶湖に注ぐ。この姉川に対して”妹川”と呼ばれる川がある。姉川の支流にあたる草野川、もしくは高時川を指す(その流域によって身近な川を親しみを込めてこう呼ぶ)。これは、当地の”姉川と妹川”の民話による。その昔、伊吹山の麓に美しい姉妹が暮らしていた。2人は早くに両親を亡くし、村人たちによって大切に育てられてた。ある日、大雨続きで伊吹山中腹の池が決壊しそうな時、村を洪水から救うために、姉妹が池をの竜神様にお祈りをしたが雨足はいっこうに衰えず、最後は決死でその身を池に投げ打った。その時、稲妻とともに2匹の竜が池から飛び出し、それぞれ水を従えて麓へ下った。村や田畑を避けながら、やがて琵琶湖の近くで寄り添い、湖の中へ姿を消したという。村人たちはそれぞれ姉川、妹川と呼ぶようになった。」(クラブ・ケイブン8月号より) 滋賀銀行の文化部と言ったところで、コンサートや映画、ホテルでの食事などが紹介され割引で利用出来ます。私も、「南こうせつ」のコンサートは、ほとんど割引券の利用によるものです。姉川は有名で、浅井・朝倉陣と織田信長陣が戦った古戦場ですが、妹川があることはまったく知りませんでした。もっとも高時川は知っていましたが、姉川の別名だと思っていました。さて、昨日7日(水)は、お休みを頂き、琵琶湖を時計回りで1周して来ました。途中、姉川近くの長浜市・びわ町では、「葡萄」の販売が最盛期で美味しそうなので3パック買い求めました。いつものように、仕上げは竜王町の「蒲生乃の湯」に浸かりリフレッシュして来ました。(写真は、葡萄の販売の様子と、初めて見るソーメンカボチャと、どんな味がするのかしましまの無い黒西瓜です)
終わりなき被爆との闘い。
2013/08/06
”第2の白血病”研究を克明に「広島と長崎でここ数年「第2の白血病」とよばれる病気で亡くなる被爆者が増えている。原爆投下から68年もたった今、なぜこんなことが起こるのかー。これは「骨髄異形形成症候群(MDS)という病気である。原爆の放射能によって被爆者の血液細胞の遺伝子の染色体が傷つけられ、白血球ががん化して死亡するというもので、原爆投下の約10年後に多発し、いったん終息したものが、最近再び増えてきたのだという。専門医の研究で被爆者、それも爆心地近いほど発症率が高いことが立証されており、原爆との因果関係は明らかである。つまり被爆者の遺伝子には被爆の瞬間に白血病という”時限爆弾”が埋め込まれ、70年近くたった今でも次々に爆発するように発病するという恐ろしい構図が浮かび上がってきたのだ。番組は抗がん剤などによる治療と同時に、遺伝子破壊と白血病発症のメカニズムを持つMDSを根絶するための研究を、最新の知見もまじえて克明に描く。高齢の被爆者に寄り添う広島、長崎の医師たちの献身的な姿勢がまことに感動的だ。」NHKスペシャル・NHKテレビ午後7時30分より(6日付けしんぶん赤旗「試写室」より) 私も原爆症は終息したものだと思っていましたが、深く静かに広がっている事に驚きました。何年も、何代も続く放射能の影響は、人類の手に負えないほど怖いものですね。さて、今日の安曇川は最高気温が32℃を超え、ムシムシとした天気です。昨日は、所用で朽木・雲洞谷まで行きましたが、美しい川なのに子どもの遊ぶ姿が見えません。私たちの時代なら、真っ先に水遊びをしたものですが、今は涼しい家の中の方が良いのでしょうか?(写真は、かじか蛙の声が聞こえる美しい川と、どこか郷愁を感じる藁葺きの家と、素朴なお地蔵さんを祀ってある社です)
平和のための「戦争展・美術展」。
2013/08/03
毎年恒例の平和のための「戦争展・美術展」が、今日から安曇川町・ふれあいセンターで行われています。ここ何年かは欠かさず観に行くようにしていますが、何度も観ているのに戦争の悲劇が伝わって来ます。特に原爆パネルは写真以上に絵の方が、その残酷さがひしひしと感じられます。大阪市内から学童疎開で安曇川に来られた方が、実家が全焼してここで落ち着いたとの話を聞いた事があります。幸いにして安曇川では、爆撃される事はほとんど無かったようで、戦争による損失は記録されていません。この催しは、5日(月)まで行われるそうで、ご近所の方は是非、足を運んでみて下さい。さて、安曇川では朝夕めっきりと涼しくなり、過ごしやすくなりました。ようやく蝉が力強く鳴き出したのに、お盆過ぎのような気候です。このまま夏が終わるとは思いませんが、夏ばて気味の私にとっては有り難い事です。近所の田んぼでも、気がつけば稲穂が伸びて実を付けています。早生の稲なら、今月末には稲刈りが始まりそうで、いよいよ「実りの秋」となりそうです。今夜は、民商でお世話になった事務局の「送別会」が大津市内で行われます。同じ昭和27年生まれですので、どこか感慨深いものがあります。(写真は、玄関に飾られたお花と、原爆パネルで観た野焼きの絵、題名「くる日も、くる日も」と、学童疎開の写真です)
気候が何か変ですね。
2013/07/30
「先週の土曜日、知人に誘われ、隅田川の花火見物に出かけました。歓声から30分後、大雨で中止に。浴衣姿で走る人やシートをかぶって帰る人。36回の大会で、中止は初めてだそうです。各地で豪雨による被害が深刻です。山口の萩や島根県の津和野では観測史上最多の大雨が降り、死者や行方不明者が出ています。土砂崩れや河川の氾濫、浸水が相次ぎ、気象庁は「直ちに命を守る行動を」と呼びかけました。湿った暖気と上空の寒気、そこに偏西風が入り込んだ今回の大雨。局地的なゲリラ豪雨は、さまざまな気象条件や地形によって変わり、予想は難しい。そのうえ地球規模の気候変動が進んでいる現在。その時代に生きる自覚が必要かもしれません。天災はいまだに人知の及ばないところですが、人災は防げます。昨年12月に中央道笹子トンネルで天井板が崩れ落ち、9人が亡くなった事故。トンネルを管理する中日本高速道路などに、遺族らが損害賠償をもとめた裁判が始まりました。なぜ、自分たちの子どもが犠牲になったのか。原因や責任はどこにあるのか。遺族の問いかけには、同じ事故をくり返してはならない、同じ思いをさせたくない、との思いがにじんでいます。中日本高速側は過失責任を争う構えです。しかし、天井板を支えるつり金具が1本しかなかったことをはじめ、安全対策のずさんさは本紙の調べでも判明しています。「これは事故ではなく、殺人」。人間が引き起こした事故は人間の手によって防げるはずです。」(30日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 今回は、山口県と島根県で大きな被害が出ましたが、毎年日本のどこかで災害が起きています。昨年は、和歌山県・南部での災害でいまだに13名の方が行方不明だとか。また、私の友人が住む熊本県・阿蘇市でも災害があり、「家の中に土砂や木材が流れ込んで1階は住めないわ」と話していました。今回の災害でも、「もう、ここには住めないわ」「私ら年寄りに住居の再建は無理やわ」と涙声で話されていました。それにしても、大きな木が簡単に川に流されている映像を観ると、「山が荒れている」と感じさせられます。私ごとですけど体調を崩していましたが、何とか90%ぐらいまで回復しました。あれ以来、なるたけ窓を開けて眠り、我慢出来ないときはクーラーの設定温度を27℃以上にしています。(写真は、水面が藻で覆われた三方湖と、食見(しきみ)海水浴場で泳ぐ家族と、道の駅「おばま」の中でレトロな公衆電話です)
鬼の霍乱でしょうか?
2013/07/27
24日(水)はお休みを頂き、久しぶりに敦賀市まで出かけて来ました。午前中はあいにくの雨で、「鞠山海つり公園」でも釣り人は少なく閑散としていました。それでも子供たちは、時々釣れる「豆アジ」に歓声を上げ満足しているようでした。今回は、敦賀きらめき温泉「リラ・ポート」でプールと温泉を楽しもうと6ヶ月ぶりに立ち寄りました。長女がプールに飽きて、10分と持たなかったのでリセットするために時間を空けました。夏休みに入ったせいか、子供の姿が多く肝心の「顔なじみ」はほとんど見ることがなく、「あの人たち、どうしてはるのやろ?」「もう、来られへんのかな?」などと考えていました。さて10分と持たなかった長女は、すっかり気分転換していて、40分も持ったのでとりあえず一安心です。 今回の昼食は、最近出来た「浜寿司」という回転寿司に入りましたが、平日は一皿92円で売り出し中です。昼食後は、国道27号線で若狭町まで走り、いつもの野菜の直売所で、長女は「梅せん」と、嫁さんは「野菜」を買い求めました。ここから海岸沿いを走る国道162号線を走り、若狭町・食見(しきみ)地区で海水浴場に立ち寄りました。午前中が雨だったせいか、2〜3組の家族しかおらず、何となく寂しそうに感じられます。そこから、小浜市まで走り途中「犬熊海水浴場」も通りますが、こちらも砂浜に1組の家族しか見えません。「最近は、海で泳がないのかな?」と言うと、嫁さんが「後片付けが大変なので避けるのと違うか」と主婦のような発言です。小浜新港では、2〜3組の釣り人がいて、中でもおばちゃんがアジを次々と上げています。体長は5〜8pほどで、「唐揚げにして、冷たいビールがあったら最高やね」と話しかけると、「さっき着いたばかりで、これからです」とのお話でした。車が滋賀ナンバーだったので、「どちらからですか?」とお訊きすると、「高島市・今津町からです」「あ〜、私らは安曇川町からですのでご近所ですね」と言い、「大漁になればいいですね」と言って別れました。この休みから翌日の25日(木)に、朝になって体がだるい、ふらつく、喉が痛い、食欲がないという状態になりました。昨夜寝る前に25℃に設定したクーラーが効き過ぎたのか、疲労が蓄積していたのか原因は不明ですが、とりあえず「病院嫌い」の私が「わらをもすがる思い」で薬をもらい、2日目の今日になって少し体調が戻りつつあります。こんな事はここ10年でなかった事で、体力には自信があったのにショックです。まさに「鬼の霍乱」とはこの様な事を言うのでしょうか?それとも今年の夏の暑さは、例年に比べ厳しいからでしょうか?ただひとつ反省点は、暑いときは汗をかくことも大切だと気がつき、寝るときは27℃より温度を下げないようにしています。(写真は、鞠山公園で釣りを楽しむ親子と、ビャガーデン営業中の看板が出たリラ・ポートと、小浜新港で釣れていた生きのいい?豆アジです)
夏が終わったのかな?
2013/07/21
今日の安曇川町の気温は33℃と少し暑くなりましたが、太陽が沈むと気温が下がり25℃ぐらいになり涼しく感じられます。あの一時の猛暑で、寝苦しかった熱帯夜の日々が嘘のようです。大阪ではセミが鳴き出したと一週間ほど前、ニュースで伝えていましたが、安曇川ではまだ耳にしていません。昨日から「夏休み」に入った子供たちですが、毎年の事で外で遊ぶ姿が見られず屋内でゲームでもして過ごしているのでしょうか?私たちの夏休みは、毎朝の「ラジオ体操」で一日が始まり、その後は「セミ」や「カブト虫」や「クワガタ虫」の採集?で過ごしました。午後は、「市民プール」や「ため池」で泳ぎ、もっと「ワイルドだぜ!」(古いか?)な生活で過ごしました。最も「夏の友」なる宿題は放置したままで、夏休みが終わりを告げる頃に必死になり、「夏の悪友」となりました。さて、今日は参議院選挙の投票日でしたので、棄権せずに義務を果たして来ましたが、午後4時現在、投票率は前回より7〜10ポイントも低いそうです。今の政治に期待が持てないから「行かない」と言う有権者が多くなりましたが、それでは何も変わらないのではないでしょうか?特に若者たちの投票率の低さが気になりますが、これからの日本を支えるのですから、もっと主張をするべきではないでしょうか?投票したくても出来なかった「後見人制度」が違憲と認められ、「自信が持てた」とのコメントはその思いが伝わって来ます。ちなみに私は選挙権を与えられた20歳から40年間、ありとあらゆる選挙に一度も棄権した事が無いのも少し自慢です。(写真は、近所の畑で見かけた、キュウリとナスビとトウモロコシ(大阪ではナンバ)です)
親の介護は大変です。
2013/07/18
私ごとですが高島市民病院に、約1年間入退院をくり返し、その後リハビリの為施設に1ヶ月間ほどお世話になっていた父親が自宅に帰って来ました。本人は何度も「帰りたい!」と言っていたのですから希望が叶った事になりますが、自力で歩行するのが困難な状況で、トイレも洗面も食事も目が離せません。特に就寝後の夜中にトイレに行こうとするので、近くで添い寝をする状況になっています。昨夜は、嫁さんがそれを担当し、「寝た気がしない。」とこぼしていましたが、今夜は私が担当する事に「一方的」に決められました。友人に、介護福祉士がいて、「たまには手伝ってよ!」と話すと、「仕事やから出来るので、非番の日までようせんわ!」とあっさりと断られました。こうなると、私も介護の仕方を覚えるため、勉強会にでも参加しようかと考えています。今から10年ほど前、山口県・萩市の居酒屋で出会ったご夫婦は、奥さんが岡山県・新見市の実家に親の介護で帰られ、ご主人は東京都内で自分の親の介護をしておられ、久しぶりに夫婦で旅行に来たと話されていました。その時は、「世の中には、そんな夫婦もおられるのだな。」と漠然と考えていましたが、他人ごとではなくなって来ました。ますます少子高齢化の進む世の中で、日本はどうなっていくのか、少し不安も感じられます。先日、大阪から大分県・豊後太田市に「農業」する為に移住した弟は、「現地の少子高齢化は、ここよりはるかに悲惨な状況やで。」「少子ではなく、子供がそもそもおらないし、住民の平均年齢が70歳に近いのではないか?」と話していました。「人口が減少すると、ありとあらゆる産業が衰退する。」「世界の先進国で、日本だけが人口減少が起きている。」「今度の参議院選で、それに触れた政党が無いのが残念だ。」とも話していました。この高島市でも、ここ10年ほどで空き家や更地が目立ち始め、さらに老人夫婦や独居老人が増えています。地元の民生委員の話では、10〜20所帯に1軒が該当するらしく、身寄りがないと「検視」にも立ち会う事があるそうです。さて、生後6ヶ月になる孫が遊びに来ましたが、1ヶ月ほど見ない間に表情がはっきりして来ました。(じじ馬鹿か?)わずか3時間余りの時間でしたが、孫の子守に疲れその夜は爆睡してしまいました。(写真は、色々な表情を見せる孫をじじ馬鹿で撮りました)
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