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「国民宿舎かもしか荘」に行きました。
2014/12/18

17日(水)は、嫁さんの議会の関係で3週間ぶりに休みを頂き琵琶湖を時計回りに走って来ました。天気予報では、福井県は積雪が多くなりそうだと言うので本当は敦賀方面に行きたかったのですが、やむえず断念しました。安曇川町内では雪の影もなかったのですが、マキノ町・道の駅「追坂峠」まで来ると、除雪した雪が50aほどになっていて、随分と違うものだなと感心しました。ここから西浅井町を通りりましたが、この辺りは10a以上の積雪があり、一番多かった印象です。木之本町内では、雪が消えていましたが、高速道路の情報案内では、「木之本以北はタイヤチェーンの規制」が出ていて、「敦賀〜小浜間」の若狭・舞鶴自動車道も同じ案内でした。木之本から湖周道路を走り、びわ町の「南浜ぶどう園」で小休止しました。当たり前の事ですが、季節が移り変わり、ぶどうの販売からミカンや柿が並んでいました。また、玄関に飾り付ける「しめ縄」が並んでいて、正月まで後半月が実感されました。ここから、長浜市内を抜け、彦根市から国道306号線を走り、東近江市で「昼食タイム」となりました。いつも立ち寄る「はま寿司」は、お昼時なのにガラガラで直ぐにテーブルに着けました。「景気が悪いのかな?」「外食費を抑えているのと違う?」と嫁さんと暗い会話になりました。昼食を終えると、日野町に出て国道477号線を通り「ブルーメの丘」から甲賀市・土山町にある「かもしか荘」を目指しました。「甲賀の奥座敷 大河原温泉 かもしか荘 〒528-0201 滋賀県甲賀市土山町大川原1104番地 рO748-69-0344 入浴料大人500円、65歳以上400円、原則として休館日はありません。滋賀県内で行ってなかった温泉の一つですが、土山町と言えば高島から最も遠い位置にあるので今日まで来ることはありませんでした。しかし、日野町から20分ほどで着きましたので、思いの外遠くはありませんでした。温泉施設は、内風呂に露天風呂とサウナ風呂があるだけですが、建物が新しいためか清潔感があふれていました。入浴客は私を含めわずか3名で、ゆったりとくつろげました。温泉も熱くもなく、長風呂好きの長女にはもってこいで、私よりも長風呂でした。「なかなか良い温泉やね」「まだ出来て間がないのか綺麗やね」「ここなら、泊まりがけで来たいな」との会話になりました。宿舎のすぐ裏を川が流れていて、鈴鹿山麓が目の前に広がり風呂上がりには心地よい風が吹いていました。日暮れが早くなっているので、1時間30分の滞在時間でしたが、午後2時30分に施設を後にしましたが、また是非来てみたい温泉でした。さて、安曇川では昨夜から降り出した雪が積もり、積雪は5aとなりました。この冬初めての雪かきとなり、2時間ほどの運動となりました。「えらい早い積雪やね」「こんなに早いのは初めてや」とご近所と会話していると、そこに朽木のお客が来て、「朽木より多いがな」と言われました。(写真は、かもしか荘の玄関のと、入り口に飾られた子どものかもしかと、宿舎の裏手の鈴鹿山麓の光景です)

温暖化で解ける氷河。
2014/12/14

「南米ペルーの中西部にあるワルカン氷河が近年、地球温暖化の影響で解けつつあります。専門家は、このままでは氷河の水が流れ込む「第513湖」があふれて、激流が町を襲う恐れがあると警告しています。ロイター通信が伝えました。第513湖は、すでに満水状態。しかも現地は地震多発地帯です。地震が起きて氷河が湖に崩れ落ちれば、あふれ出た激流がふもとの町に甚大な被害を与えかねません。1970年にマグニチュード(M)7・9の大地震が発生。ワルカン氷河近くにあるペルー最高峰ワスカラン(標高6768b)の一部と氷河が崩れ落ち、直撃されたふもとの町の住民約2万人が死亡する大惨事となりました。ペルーの氷河は温暖化の影響で、氷塊が最大で40%も減っています。第513湖と同様の危険がある湖は他に14もあります。」(14日付けしんぶん赤旗「国際版」より)「地球温暖化」については、色々な場面で危機を感じますが、人類は少し無頓着な気がします。最も影響を受けるのは、南太平洋の島国や、高地にある氷河など、みずからは温暖化の加害者でない人々です。日本でも台風が大型に成長し、上陸すると甚大な被害が出ると、どこかのテレビ局が伝えていました。さて、高島では昨日、今日と大雪注意報が出されていましたが、空は明るくまったく雪が降りません。まあ、降らないにこしたことはないのですが、もう準備万端整っているので、いつでも「さあ〜来い!」と言う気持ちです。(写真は、島巡りで出たお弁当と、沖島の西側にあたる懐かしい風景の家々と、近所の神社でライトアップされたイチョウの大木です)

今年も気球が飛んだ。
2014/12/10

「近江八景で有名な浮御堂がある堅田(かたた)は、中世、琵琶湖の通行権や漁業権を一手に掌握していた堅田衆”湖族”が栄えたまちで、湖水を引き込んだ掘り割りが残る風情のある町並みである。この町を散策していると「堅田源兵衛之首」と記された光徳寺(こうとくじ)の案内が目に入る。この寺は蓮如(れんにょ)上人とゆかりが深く、殉教者の伝説が大切に大切に語り継がれている。浄土真宗中興の祖である蓮如は延暦寺による法難を受け、宗祖親鸞の御真影を三井寺に預けて越前に身を移すが、その後山科に本願寺建立の際、御真影を取り戻そうとする。しかし三井寺は「信徒衆の首を二つ持ってくれば返す」と。光徳寺の門徒であった堅田の漁師源兵衛は湖の話を聞き、父・源右衛門に自分の首を差し出すように説得。父はわが子の首を打ち、自分の首も打つように寺に申し出た。慌てた寺は御真影を速やかに返還したという。境内には源兵衛父子の像が建立、本堂には源兵衛の首(髑髏どくろ)が安置され、手厚く供養されている。ちなみに、源兵衛のの首は、両願寺(大津市三井寺町)、等正寺(大津市小関町)にもあるらしい。真偽はともかく、これは蓮如の布教活動の拠点でもあった大津で、真宗再興の礎となった源兵衛の殉教心を、後世に広く護(まも)り伝えてきた証しといえるだろう。」「堅田には、一休和尚、芭蕉などとゆかりのある寺が多い。トンチで有名な一休和尚が修行した祥端寺や蓮如が近江布教の拠点とした本福寺、堅田の風光に魅せられた芭蕉もこの地で多くの句を詠み、その句碑が残されている。」(クラブケイブン12月号より) 堅田には何度も足を運んでいるのですが、いまだに浮御堂にも行ったことがありません。今回の光徳寺にも立ち寄りたいので車を置いて歩きたいと思います。さて、最近高島では、「行方不明」となった高齢者の情報が防災無線から流れて来ます。ほとんどは、「無事発見」となるのですが、中にはその後の足取りが分からない事もあります。全国で、「認知症」の行方不明が一万人を越えると言われていますが、この田舎でこれだけの件数があるのですから、都会では発見がより難しいでしょう。(写真は、11月30日(日)に上がった気球と、父親が入所している施設にあったサンタさんと、初雪で冠雪した比良の山々です)

「ぐるっとびわ湖 島めぐり」最終回。
2014/12/07

「白鬚神社(しらひげじんじゃ)ご祭神は猿田彦大神(さるたひこおおかみ)。湖中大鳥居は高さ12m、幅7、8。道の神・旅の神であるため、航行安全祈願をしに船での参拝が多く、湖の中の大鳥居はその目印となっています。どうぞ本船より旅の安全祈願をなさってください。」(リーフレットより)見慣れた景色のはずなのに、湖から見ると新鮮な感じがしました。つい先日、「ミニ同窓会」で集合写真を撮影したのですが、位置が違うと変わるものだと思いました。そろそろ夕闇が迫り、国道161号線を走る車の赤い尾灯が綺麗に見えました。「琵琶湖大橋港 琵琶湖大橋のすぐそばにある「道の駅 びわ湖大橋米プラザ」には、びわ湖・滋賀の魅力がぎっしり!館内には滋賀県農産物や特産品が揃うお店があります。クルーズの終盤に、旅の思い出となるお土産をお買い求めいただけます。」(リーフレットより)「道の駅 びわ湖大橋米プラザ」には、何度か休憩で来ましたが、館内に入るのは恥ずかしながら今回が初めてです。「へえ〜っ、こうなっているのか?」と感心しましたが、買ったのはソフトクリームが一つだけと言う有様で、お店にとっては迷惑な客かもしれません。再び乗船する頃には、すっかり陽が落ちて夕闇の中を浜大津港に戻って来ました。出港が午前9時30分、帰港が午後5時30分で約8時間という船旅でしたが、充分と楽しませて頂きました。「もう、二度と乗ることはないだろうな?」「いい死に土産が出来たわ」と乗って来た船を見返しながら浜大津港を後にしました。「びわ湖クルーズのお問い合わせ・ご予約は 077-524-5000 琵琶湖汽船株式会社」まで。さて、安曇川では昨日から今朝にかけて、雪が降りましたが幸い積雪にはなりませんでした。30年間の間でこれほど早く雪が降った事はなく、早めのタイヤ交換が良かったです。それにしても、例年より3週間ほど早く、「暖冬」と言う予報はどうなっているのでしょうか?(写真は、湖上から見た白鬚神社の鳥居と、夕暮れ迫る琵琶湖大橋と、浜大津港に停泊中のビアンカです)

「ぐるっとびわ湖 島めぐり」C。
2014/12/04

「長浜港(ながはまこう)長浜は羽柴秀吉が織田信長の命により最初に築城したところです。当時は「今浜」でしたが、信長の一字を頂き「長浜」としたのです。長浜のまわりには姉川(あねがわ)の戦い、賤ヶ岳(しずがだけ)の戦い、関ヶ原(せきがはら)の戦いなど、歴史が沢山あります。ガラスの街で「黒壁スクェア」など平日でも散策する人達で賑わっています。焼き鯖ソーメン、のっぺいうどん、長浜らーめん、究極の「黒ソフトクリーム」350円はとても美味です!長浜での食べ歩きは旅の楽しみのひとつです。」(リーフレットより)長浜には何度も来ているのに、その名物の一つも食べたことがないのは無知であった証拠かもしれません。特に長浜らーめんは、機会があれば食べてみたいですが、どこに店があるのか調べておきたいと思います。2日前にここを通りドライブしたのが随分前の事に思われるのは、不思議な感覚です。長浜港に入港する時、バスと思われる乗り物が湖面を走っていましたが、後で調べると「びわ湖ダッグツアー」と言う「水陸両用バス」が就航したようです。大人一人2800円と書かれていましたが、30分ほど市内を回り、最後にびわ湖を走る?ようです。ちょっと割高な気もしますが、企画は面白いと思いますので興味のある方は、「0749-53-2255」まで予約して下さい。長浜港での給油を終え、最後の島になる多景島(たけしま)に向かいました。「多景島(たけしま)面積0,012ku、周囲0,6km、標高101,3m。見る角度によりさまざまな島影を見せることでこの名前がつきました。全島が日蓮宗見塔寺(けんとうじ)の管理です。一番大きな岩(高さ16m 幅4m)に「南無妙法蓮華経」の金文字が刻まれており、そばには日蓮聖人の像、高さ8mの石の宝塔などがあります。」今回の船旅は、「サバイバルレース」のようで、竹生島では200段近い階段を息切らせながら上がり、多景島では断崖絶壁の険しい道を歩きました。多景島は彦根の沖合にあり、陸からは「ギザギザの島」に見えましたが、まさに岩の塊の様な島でそれにへばりつくように建物がありました。多景島を後にして、最後には「白鬚神社」の鳥居を琵琶湖から眺める事になっています。今回はここまでで、次回(最終回)をお楽しみにして下しさい。12月に入った途端、天気予報に何日も「雪だるま」が出ていましたので、冬用に「タイヤ交換」しました。今朝、起きてみるとフロントガラスにうっすらと雪が付いていましたがたいしたことがなくて良かったです。(写真は、船内で行われた「葦ふえ」の演奏と、長浜沖で見かけた「水陸両用バス」と、紅葉が美しい多景島です)

「ぐるっとびわ湖 島めぐり」B。
2014/12/01

「沖の白石(おきのしらいし)島というよりは岩礁でしょうか?昔は岩の向きを見て船の方向を確認したので、大切な「標識」でした。夕日の当たると白く光るから「白石」とも言われています。しかし、夜間の航行では、暗闇にある「障害物」です。この辺りの水深は80mもあります。よって、この岩は約100mの巨大な塔のようなノッポの形をしています。」(リーフレットより)いつも、安曇川の遙か彼方に見える「沖の白石」を間近に見て感動を覚えましたし、こんな形だったのかと抱えていた疑問が解けました。知り合いの漁師さんにお訊きすると、「5月には、ビワマスがよく釣れる場所や!」と教えてくれました。ここからは、琵琶湖の代名詞のような「竹生島(ちくぶしま)」に向かいました。「竹生島(ちくぶしま)面積0,15ku、周囲2k、標高197m。西国観音霊場第三十番札所宝厳寺(ほうごんじ)と、都久須麻神社(つくぶすまじんじゃ)があり、その昔から信仰の島です。竹生島の名前の由来には、伊吹山(いぶきやま1377m県下一高い山)と金糞岳(かなくそだけ1317m県下二位)が背比べをして、負けた伊吹山が怒って金糞山の頭を切ってびわ湖に飛んできた。それが竹生島だ!とか。頭が沈む音「ぶくぶく島」がなまって竹生島!最初に竹が生えたから竹生島!といった諸説があります。この島の北部には修行する洞窟があったり、東の海底洞窟(湖底の間違い?)には埋蔵金があるとか・・・楽しい神秘的なところがいっぱいあります。」(リーフレットより)さあ、いよいよ竹生島に初上陸をしましたが、いきなり200段を越える石段が待っていて、休み休みしながら神社まで上がりました。「膝が笑ってるわ」「普段の運動不足を身にしみて感じるわ」「これでは、二度と金比羅山に登るのは無理やね」「明日、普通に歩けるやろか?」と会話しながら参拝しました。「都久夫須麻神社」では、「かわら投げ」と言って二枚のかわらに、一枚は自分の名前、もう一枚には願い事を書いて目の前の社に向かい投げ二つとも鳥居を抜ければ願い事が叶うそうです。「この話は、宮崎県の鵜戸神宮でもあるな」と思いだし、その時は見事に当たりました。今回は、他人が投げるのを「見てるだけ!」で挑戦はしませんでした。竹生島の樹木は、「川鵜」の「糞被害」で年々枯れて来ていて、無残な姿になって来ています。竹生島から、すぐそこに西浅井町・菅浦の集落が見えますが、お客さんのひとりは、「夏には、泳いで竹生島まで行ったで!」「潜ると、水中に青空が広がっているようやで」と楽しそうに話しました。約1時間の上陸でしたが、山上から見る琵琶湖の絶景に感嘆の声が上がりました。その後、最北端の竹生島から、南に下がり、長浜港を目指しましたが、ここで「葦笛(よしぶえ)」による「ミニ・コンサート」が船内で行われました。(写真は、接近した沖の白石と、小春日和の琵琶湖の景色と、再建された宝厳寺の金堂です)

「ぐるっとびわ湖 島めぐり」A。
2014/11/28

「「琵琶湖大橋」(びわこおおはし)昭和39年9月28日開業(第18回東京オリンピック開催の年)。国道477号線(三重県四日市市〜大阪府池田市)の一部で開通して50年になります。全長1400m、高さ26、3m(ミシガンやビアンカのため?に高くしてあるそうです)。♪メロディーロードといって、車が法定速度で走っていると「琵琶湖周航の歌」が聞こえてきます。車だけでなく人や自転車も通ることができます。」(リーフレットより)♪メロディーロードになっているのは、堅田方面から守山に向かう東向きの道路だけです。特に追い越し車線を走らないと聴くことが出来ませんので、ご注意下さい。琵琶湖大橋から走ること30分で、この日最初の上陸する「沖島」(おきしま)に到着しました。上陸時間は50分でしたが、街そのものが小さいのでゆっくち回れました。前から一度は来たいと思っていたことが叶い、少し感動的になりました。ここでは、「ブラックバス」から作った「コロッケ」(ミートボール大)が名物だと聞かされ、注文しましたが、魚の臭みもなく美味しく頂けました。「沖島」(おきしま)面積1,52㎢、周囲6,8q、標高225m。昔は「沖ノ島」といい、式内という国が定めた神様の島でした。1156年に保元の乱で敗れた源氏の落ち武者である茶谷重右衛門、中村磐徳ら7名が移り住んだのがはじまりとされています。858年間も湖の中の島に人が住んでいるのは世界的にめずらしいことです。沖島には自動車はありませんが、船は一家に1隻あります。自転車と三輪車と手押し車のみが交通手段となっています。消防車はなく消防艇が1隻あります。警察署はありません。島に唯一の小学校では島内児童5名」に加え、島外から船での通学児童6名(近江八幡市民ならどこからでも通学可能)の計11名が、この4月から仲良く勉強しています。島内児童は中学校から船に乗って対岸の学校へ通います。その昔、弊社の「大湖丸」は沖の島へ毎日10時〜13時の間にやってきて沖に停泊し、(大きな船は接岸できないので)ハシケとよばれる小さな舟は沢山の荷物と人々を載せて「大湖丸」へ先を争うように漕いでいったそうです。あれから百数十年。昭和30年頃、市政改革などにより「ノ」を取り、沖の島が「沖島」になりました。」(リーフレットより)この沖の島から沖島になった話は初めて聞きましたが、今でも安曇川辺りでは、一般的に「沖の島」と呼んでいます。沖島で感じたのは、意外と多くの漁船があり、まだまだ」漁業が盛んなんだなと思いました。おそらく琵琶湖の中で、一番の数で50隻以上はありました。ただ気になるのは、「高齢化」が進んでいるようで、60代が若い年齢になっていました。もし、「ブラックバス」の「コロッケ」やお土産物の佃煮などが売れなければ、家の路地裏を歩く観光客が迷惑な存在だろうなと思いました。次は、安曇川の沖合にある「沖の白石」を目指して出航しました。この続きは、次回を楽しみにして下さい。(写真は、船から見た琵琶湖大橋と、穏やかな琵琶湖を進む船の軌跡と、沖の島に停泊中の漁船です)

「ぐるっとびわ湖 島めぐり」@。
2014/11/26

琵琶湖のほとりに住んでいながら、琵琶湖から陸の景色を見ることがこの30年間ありませんでした。今回(22日(土))、地元の商工会で招待旅行があり、ほぼ無料で参加出来ることになりました。安曇川から浜大津港まで車で行き、「リオ・グランデ」号と言う94トンの船に乗り込んだのは、総勢80名余りでした。浜大津港を9時30分に出港し、一路北を目指しますが波も穏やかで絶好の船旅となりました。船中は若い兄ちゃんが、クイズを出したり案内をしたりで盛り上げていました。「びわ湖の豆知識」「びわ湖は600万年〜400万年前頃にできた世界で3番目に古い湖です。その頃は三重県の伊賀地方辺りにあり、流れ出る水は伊勢湾の方向でした。その後変形を重ね、約40万年前の頃に楽器の琵琶の形にようやく落ち着きました。一級河川から流れ込む川は118本に対して、流れる川は瀬田川1本と琵琶湖疎水(人工)1つだけの、たった2カ所しかありません。周囲は高い山々に囲まれており、海抜85mの高さから大阪湾に「24時間源泉かけ流し」状態で流れておりますので、常にクリーンな湖なのです。面積は674㎢(滋賀県の1/6の広さ)、湖岸の長さ235km、水深103,58m、貯水量275億㎥(東京ドーム約22,200個分)。琵琶湖疎水から流れ出た水は京都市の上水道に、瀬田川かへ流れ出た水は宇治川、淀川と名前を変えて、その流域約1400万人の上水道に利用されています。日本ってほんとうに素晴らしい国です。どこにいても蛇口をひねるだけでお水が飲めるのですから。」(リーフレットより)浜大津港から20分ほどで「浮御堂」が見えて来ましたが、少し岸から離れていて「ぼんやり」としか見えませんでした。「浮御堂」海門山満月寺(うきみどう かいもんさん まんげつじ)「比叡山のお坊さんが横川からびわ湖を見ていると「毎夜何か光るものがある」と引き上げてみれば、なんと阿弥陀如来だったことから、他の阿弥陀さま1000体とともに体内に収めた大きな阿弥陀さまを作り、びわ湖の航行安全と魚類供養の願いとして浮御堂建立したことが、ここ満月寺のはじまりです。現在の御堂は昭和12年の再建で、以前のものは室戸台風によって倒壊してしまいました。境内の観音堂には重要文化財である聖観音座像も安置されています。」(リーフレットより)浮御堂に気を取られていると、前方に「琵琶湖大橋」が見えて来ましたが、下から眺めるのは初めての経験ですが、すごい迫力があり、「ようこんな物作ったわ!」と言う気になりました。今回はここまで、続きは次回にしたいと思いますので楽しみにして下さい。(写真は、浜大津港に停泊中の「ミシガン」と後部の小さい船が乗船した「リオ・グランデ」と、琵琶湖汽船最大の客船「ビアンカ」と、湖上から見た浮御堂です)

「藤橋の湯」は休みだった。
2014/11/23

20日(木)は、定休日を一日遅らせ国道8号線を木之本から国道303号線に乗り換え、一路揖斐川町を目指しました。ちょうど、紅葉のの真っ最中だったのですが、「モミジの赤」が少ないからか華やかさがありません。「モミジは、どうして少ないのかな?」と考えながら車を走らせていると、「モミジは、人工的に植えられたお寺や神社しかない」との嫁さんの返事でした。そう言うけど、「秋の夕日に照る山モミジ」て歌があるやないか?と疑問に思いましたが、車中で喧嘩するのもみっともないので、黙っていました。木之本から国道303号線を走る事30分で、道の駅「夜叉が池」に到着、一息休憩しましたが、「水曜日・定休」の店が本日は開いていました。(当たり前か)嫁さんが買い物に夢中な間、それぞれの山の撮影を続けていましたが、大きな植木鉢を抱えて戻って来ました。「そんな大きな植木鉢をどこに置くねん?」「玄関が寂しいから良いと思って」との返事でした。(帰ると玄関に鎮座していました)ここまで来ると、「藤橋の湯」まで15分ほどで到着しましたが、火野正平さんの、NHKBS3「心旅」をまねて、「とうちゃこ」と言った途端、何か様子が変です。玄関に上がっているはずの「暖簾」がないし、よく見ると「本日・休館日」と赤い字で書かれた看板が見えました。「あれ〜っ、休館日やて」「休館日は火曜日やと思っていた」と落ち込みましたが仕方がありません。「ここまで来たら、池田温泉まで足を伸ばすか?」と思い、さらに30分ほど走りました。ちょうど、昼食タイムになりましたので、国道21号線を走り、大垣市内で見つけた「スシロー」に入りました。このコースを走ると、走行距離が250`を越えるので先を急がなければなりません。池田温泉は入浴料が500円と安いせいか、平日だと言うのに混雑していました。楽しみにしていた「露天風呂」もなかなか空かず、大浴場で我慢しました。温泉の近くには、道の駅「池田温泉」があり、ここで「バラのミニ鉢」と「米タマゴ」を買いましたが、「米タマゴって、ニワトリに米を食べさているて事?」「そんな贅沢な!」「今までなら考えられないな」と誰に言うまでもなく憤慨していました。日暮れが早くなり、まだ午後4時頃でしたが、急いで長浜市内まで戻り、湖周道路を南下せず北上し朝に来た道を戻ることにしました。11月20日は、長女の37歳の誕生日になるので、ささやかなケーキと「鳥ちり」でお祝いをしましたが、分かっているのかどうか知りませんがいつもよりご機嫌でした。(写真は、紅葉を背景に建つ道の駅「夜叉が池」と、道の駅「池田温泉」から見た景色と、ケーキを前にご機嫌の長女です)

明日は休みます。
2014/11/19

「次回作は親子を描いた感動の物語になるはずだったといいます。長く組んできた降旗康男監督との新作。来春の撮影を控えながら、それはかないませんでした。「往(ゆ)く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」。そんな座右の銘を残し、日本を代表する俳優が旅立ちました。映画全盛期にデビューして以来、60年近くにわたり、武骨で人間味あふれる男の生き方を演じてきた高倉健さんが亡くなりました。出演作品は205本。東日本大震災後に降旗監督とつくった「あなたへ」が遺作に。妻に先立たれた健さん演じる主人公が、散骨のために故郷を訪ねる。妻と思い出をたどり、出会った人たちと通じ合う。想いがにじんだ背が余情を漂わせました。被災の状況に気持ちが弱りかけたという健さん。しかし、がれきのなかを歩く1枚の写真を見て変わります。両手に水が入った容器を握り、口元を引き締め、足を踏み出す少年。その姿に胸の奥から熱情がほとばしった、と(『高倉健インタヴューズ)』。緘黙や孤独さが代名詞のようにいわれながら、人一倍の優しさや熱い思いを込めていました。演技で大切にしたのは「気」。セリフではなく、彼の気が立ちのぼったとき、見る者を揺さぶる何かが伝わってきました。体の動きを見せる芝居から心の動きを見せる役者へ。晩年になるほど出る作品を選んでいた健さん。自分自身の生き方にこだわっていました。83年の人生でたった一つあげた大事なもの。それは「心の美しさ」でした。(19日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 私にとって「高倉健」さんは、イコール「ヤクザ映画」と思っていたので、あまり好きな俳優ではありませんでした。ちょうど、映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の頃から、見直すようになりました。それにしても、83歳にもなっていたとは、気付かないほど背筋が真っ直ぐでしたね。ところで、今日は定休日だったのですが、嫁さんが議会があるとかで明日に振り替えになりました。「さて、どこに行こうか?」と思案していますが、紅葉が綺麗な、岐阜県「揖斐川温泉・藤橋の湯」に久しぶりに行こうと思います。(写真は、映画「約束」が上映された会場に並べられたえん罪を訴える署名と、「高島しぐれ」で急に雨が降りだし大きな虹が架かりました)

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