NHKスペシャル 「沖縄戦全記録」。
2015/06/20
「太平洋戦争最後の、そして最大の激戦地となった沖縄戦ー12万人を超す県民が犠牲となったこの悲劇はいろいろなかたちで語り継がれてきたが、番組は新たに発掘した日米双方の軍関係の資料や生存者の証言などを手がかりに、米軍が撮影した膨大なフィルムを使って70年前の戦場を徹底的に再現した。大本営にとって沖縄戦は”本土決戦”準備のための時間稼ぎであり、県民を捨て石として戦わせてでも長引かせるのが狙いだった。女学生で編成された救急看護「ひめゆり部隊」はよく知られているが、沖縄戦を迎えるにあたって、中学生を含む2万人を超える14歳以上の男子が「防衛召集」という名目で根こそぎ動員されたという記録も今回発掘された。何しろ住民の死者の方が戦死した軍人の数よりはるかに多かったのである。軍民一体のかけ声の下、女性でも爆弾運びや地雷埋設をやらされ、ガマという洞窟や地下壕の中で集団自決を迫られる。地獄としかいいようのない戦場である。米軍撮影の1分あまりの白黒フィルムがある。向こう側の台地を走って逃げる住民の列とそれを画面手前から狙撃する米兵。曳航(えいこう)弾が次々に命中し、住民がバタバタ倒れる「凄絶(せいぜつ)」としかいいようのないこの沖縄戦の記録は、ひとたび戦争となれば人間の命がいかに無残に、粗末に扱われてきたかという冷厳な歴史を、「戦争法案」を前にした今、われわれに突きつけている。」(19日付けしんぶん赤旗「番組をみて」より) この番組は、すでに14日に放送されましたが、あまりに凄惨で気の弱い私?は最後まで見続ける事が出来ませんでした。遺骨の中には座ったままの姿勢で見つかっており、ほとんど生き埋めになったのではと感じられるシーンもありました。さて、今日の安曇川は、「梅雨の中休み」なのか快晴と思われる天気です。相変わらず毎晩散歩に出かけますが、ホタルがドンドン少なくなって1〜3匹しか見つかりません。また、来年まで会うことが無いと思うと寂しい限りです。(写真は、隣接する365号スキー場と、偶然に飛んで来たクロアゲハ蝶と、余呉湖の静かな光景です)
今庄365温泉「やすらぎ」。
2015/06/17
「おばちゃんの店」での昼食後、国道365号線を敦賀方面に15分ほど走った所にあり、国道から急な坂道を登り「今庄365号スキー場」に隣接してあります。〒919−0128 福井県南条郡南越前町板取 рO778ー45ー1113 営業時間 午前10時〜午後21時30分 入浴料 大人 550円 休館日 毎週火曜日(祝日の時は営業) お車で 北陸自動車道 敦賀ICより国道476号線約15分 電車では、北陸線今庄駅よりバスの運行はなくタクシーになります。 この温泉に来るのは、3〜4年ぶりになりますが、前回は真冬の時に来たので一面に銀世界でした。大浴場とサウナと露天風呂しかないひなびた温泉ですが、温泉通の方に言わせると、「ここほど湯がまろやかな所はない」と語ります。事実、敦賀市の地元にも「トンネル温泉」があるのに、わざわざ足を伸ばして来られます。入浴後、いつもならそのまま敦賀市方面に出るのですが、今回は久しぶりに余呉町を目指して峠越えをしましたが、これがなかなかの悪路で、しかも大型トラックの交通も多く大変でした。峠を越えると「余呉高原スキー場」があり、滋賀県でも豪雪地帯となり冬期は通行止めになり峠を越えられません。せっかく余呉町まで来たのですから、余呉湖を見ない手はありませんので、休憩を兼ねて立ち寄りました。冬ならば「ワカサギ釣り」で賑わう釣り場も閑散としていて、寂しそうに感じられました。ちょうど余呉湖の傍を北陸本線が走っていて、踏切の警報器が鳴るのを長女は面白そうに見ていました。そうなんです、湖西線は全線高架で踏切が無く、警報器の音を聞くことがありません。ここから木之本町に出て、国道8号線から塩津の交差点で国道303号線に出て帰って来ましたが、途中マキノ町で雷雨に遭いなんとか一日を晴れで終わる事が出来ました。さて、昨夜もホタルを探しに出かけましたが、2〜3匹しか飛んでおらず、そろそろピークが過ぎているのかもしれません。(写真は、おばちゃんの店の玄関と、やすらぎの館内に飾られていた熊の剥製と、やすらぎの看板が唯一の目印の目立たない建物です)
お蕎麦を食べるなら「おばちゃんの店」。
2015/06/14
12日(金)は、明け方まで降っていた雨も上がり長女の帰省に合わせて敦賀市方面を目指しました。「さすがに、お天気姉さんやね」「今日は、雨だと諦めていたのに」と感じるほどのお天気の回復でした。温泉スタンプラリーも残すところ2か所になり、今回は今庄365号温泉「やすらぎ」に行く事にしていました。おきまりのように、「鞠山・海釣り公園」に立ち寄りましたが、駐車している車も少なく「この天候なのに珍しいな」「朝まで雨が降っていたからかな?」と思うくらい釣り人が少なく、釣果もほとんどありませんでした。ここから、国道8号線と「しおかぜライン」を利用して旧河野村から越前海岸を目指しました。いつもより早く着いたので、時間調整のためドライブを続けましたが、目に付いたのは「国民宿舎・かれい崎荘」が解体作業中?でしたが、新しいのが建て替えられる様子もなく、無くなってしまうのでしょうか?「もう、築50年以上は経つやろうな?」「17歳の時、初めて越前海岸に来た時にあったもの」「新築工事との看板もないので、完全閉鎖と違うかな」「時代のニーズも変わって、なかなか難しい時代やね」と話していました。さて、昼食の時間が迫って来ましたので、国道365号線まで戻り南条から今庄まで移動しました。今庄には多くのお蕎麦屋さんがありますが、私たちが良く立ち寄るのは、「おばちゃんの店」(ホームページがあります)と言う屋号でとても印象に残っています。お昼時と言うこともあり、店内はほぼ満席で運良く一つのテーブルに着くことが出来ました。長女はちょっと贅沢に「天ぷら+おろしそば」のセット1300円を、夫婦は「おろしそば+厚焼きとうふ」のセット850円を注文しました。食後には、必ず長女が欲しがる「ホットコーヒー」が150円で頂けるのは嬉しい事です。ただ、スタッフが少ない(3名)事もあり、注文から出来上がるまで30分は待ったと思いますので、この点は改善して欲しいと思いました。食後は、さらに国道365号線を利用し敦賀市方面に走り、今庄町の外れにある今庄365号温泉「やすらぎ」を目指しました。(写真は、越前海岸の光景と、長女が食べたセットと、夫婦が食べたセットです)
映画「生きる」を見ました。
2015/06/11
ゴンドラの唄「いのちみじかし 恋せよおとめ あかきくちびる あせぬまに 熱き血潮の 冷えぬまに あすの月日の ないものを」作詞 吉井 勇 作曲 中山 晋平 「市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつてもっていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しされるなど、形式主義がはびこっていた。ある日、体調不良で診察を受けた渡辺は自分が胃癌だと悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠席し、これまで貯めたお金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と言った。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。」「それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜では、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の上司らを相手に粘り強く働きかけ、脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など上司たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行ってきたやり方の批判を始めた。」「通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子どもたちの笑い声で溢れていた。」監督 黒沢 明 出演者 志村 喬 小田切 みき 金子 信雄 1952年(昭和27年・私たちが生まれた年)10月9日の公開の日本映画である。この映画を観たのは、十数年ぶりでしたが、自分が年老いたのか見方が変わって来ました。冒頭、ナレーションで、「この男は死んでいる!」で始まるのですが、映画の題名がそこから来ているのですね。ラストの、ブランコを漕ぎながら歌う、「ゴンドラの唄」は強く印象が残ります。以前はそれほど思わなかったのですが、黒沢監督の作品に惹かれるようになりました。さて、今日の安曇川は、曇り空で気温も上がらず、過ごしやすい日になりました。午後から天気が下り坂の予報ですが、明日は臨時休業で出かける予定ですので晴れて欲しいなと思っています。(写真は、オタマジャクシが泳いでいた田んぼと、ナスの実がなりかけの苗と、魚の泳ぐ姿が見られる近所の小川です)
ホタルの数が増えました。
2015/06/08
「千人針に慰問袋、米や燃料の配給切符、紙製の衣服、「何がなんでもカボチャを作れ」と記された『戦時農園講義録』、防空訓練で使われた防毒マスクと警報器・・・。東京の台東区立下町風俗資料館では、戦後70年を記念して、戦時下の暮らしを伝える多様な資料を展示しています。日中戦争が激化する中、1938年に施行された国家総動員法によって、日々の衣食住すべてが戦争に巻き込まれていく様子が迫ってきます。再現された燈火管制下の部屋は、電灯のかさに黒い布をかぶせ、窓一面に白い紙の目張り。座っていると、国家に光を奪われていく不安と、もしこうこうと明かりをつけたら非国民として糾弾されるに違いないという恐怖にとらわれます。当時の婦人雑誌には、古着を仕立て直して機能的な服を作る特集が掲載され、型紙の付録も。乏しい配給を補うため家庭菜園の野菜を使った料理の紹介もあります。メディアがどのようにして女性を戦時体制へ動員していったかがわかるとともに、極限の生活の中でも懸命に生きた人々の姿が彷彿(ほうふつ)とします。同館はまた、戦前の実物大の長屋を常設しており、失われたものの面影を伝えています。共用の路地と井戸端は子どもの遊び場でアリ、七輪を出せば台所の延長となり、夏には縁台で夕涼みをする大切な交流の場でした。この町並みと生活は45年の空襲で焼き尽くされてしまいます。かけがえのない暮らしを二度と奪われてはならない。展示物に込められた人々の思いが語りかけます。(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 私たちが生まれたのは昭和27年ですので、少しは生活が落ち着いていましたが、それでも長いすに夕涼みする人々がありました。世の中にクーラー(エアコン)が普及した現在では、その様な光景は見られなくなり、同時に近所付きあいも疎遠になりました。さて、毎晩午後9時になると近所を散歩しますが、昨夜は10匹ほどのホタルが飛んでいました。映画の場面ではありませんが、「亡くなった人」が会いに来てくれた様な気がします。(写真は、まるで秋空のような雲が出ていました)
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。
2015/06/05
テレビ東京ほか 13・20日「しっかり者の太川陽介と「人まかせ型」の蛭子能収(えびす・よしかず)のかけ合いで人気の旅番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(テレビ東京ほか)が今月2回放送されます。13日は2人と歴代女性ゲストが集まる「大感謝祭」、20日は第20回で北海道編「洞爺湖〜知床・羅臼」を送ります。(いずれも午後6時30分)。ゲストは森尾由美。番組は2007年から不定期で放送。太川と蛭子に、毎回女性1人を加えた3人が、3泊4日に日程内に日本国内の路線バスを乗り継いで、目的地を目指します。過去、日程内にたどり着けなかったことが5回あります。第20回の結果はさてどうなるか。記者会見で蛭子は「ついて行けば終わるんで、楽しているなと思っています」と言い、「その分、人を笑わせなければいけないという考えはあります」。太川は「蛭子さん言いたいことを言うので、最初はなんて人だろうと思いましたが、こういう人もいると考え方を変えて、だんだんかわいく思えてきました」と語ります。「ローカル路線バスに限定した旅を考えるのは大変だと思いますが、道がある限り、蛭子さんが元気でいる限り、続けていきたい」(しんぶん赤旗14面「社会・総合」より) 私もこの番組のファンの一人で、毎回必ずあるハプニングにやきもきしています。ローカル路線バスが、年々廃止される中での旅ですので大変さが伝わって来ます。今まで見ていた中での失敗は2回あり(他の3回は記憶がありません)、青森市から新潟市を目指す旅で、山形県・村上市から先のバスが無かった事と、名古屋市から京都市を目指す旅で、滋賀県・彦根市から先のバスが無かった事です。目的地に着けなかった落胆ぶりは、観ている方にも伝わって来て、「どうにかならないのか!」と叫んでしまいます。前回は?(前々回かも)京都市から金沢市を目指す旅でしたが、途中朽木村を経て安曇川町内で乗り継ぐ場面がありました。ここでの乗り継ぎは上手く行き、今津町から国道303号線を利用して小浜市に出ました。ただ、この先国道162号線は、田烏地区までしかなく、三方町・食見(しきみ)地区にある「清風荘」に宿泊する事で、宿の車に迎えに来てもらいピンチをすり抜けました。タクシーや高速バスは使えず、場合によっては徒歩で10`に及ぶこともあり、昼食もままならない事もあります。今回も、頑張って目的地に無事に着いて欲しいと願っています。さて、あんなに暑かった5月でしたが、6月に入り涼しい日が続き、夜など窓を開けているとは寒いくらいです。(写真は、敦賀・鞠山釣り公園の風景と、道の駅・三方五湖の外観と、小浜新港から北川を望む景色です)
気がつけば6月でした。
2015/06/02
「戦争と福祉 両立しない」立教大学教授 浅井 春夫さん「戦争と福祉は対極にあって、戦争はもっとも非福祉的な行為です。安倍政権が海外で戦争する国づくりをねらお今、福祉関係者が声を上げなければならないと、「戦争と福祉をみんなで考える会」を立ち上げました。福祉の理念を実現するためには、いにちの尊厳が守られることが前提です。暮らしの中に笑顔がある日常の営みを守り続けることが福祉の役割で、「福祉」存立の前提条件を崩壊させるのが戦争です。」社会保障は削減「「戦後の出発点として福祉は、”戦争の後始末”を担いました。戦争孤児のための児童養護施設、戦争で夫を亡くした寡婦と子どものための母子生活支援施設、傷痍(しょうい)軍人のための身体障害者福祉施設などによって、戦争犠牲者のためのケアと救済の制度として再出発しました。海外で戦争をする国づくりは、戦争と福祉の負の歴史を再び繰り返すことになります。安倍政権は戦争法案を成立させようとしていますが、こうした動きと表裏一体で、介護保険や医療制度などを改悪して2020年までの毎年、3千億〜5千億もの社会保障費を削減することになっています。歴史を振り返っても国が戦争に向かって進むときは、社会保障費が削られ軍事に使われます。福祉の発展を阻害する戦争法案を断固として拒否します。」大砲につぎ込む「「大砲かバターか」という言葉がありますが、戦争体制をすすめるために、安倍政権はいま、「大砲のために、質の悪いマーガリンで」ちいう路線を進んでいると思います。「高品質のバターはお金持ちがお金を出して買いなさい、質の悪いマーガリンは貧しい人にも提供しましょう。国のお金は大砲につぎ込みますよ」と。オスプレイ17機の購入に、3600億円をつぎ込む予定です。こうした現実のもとで、福祉分野それぞれの課題を持ちより、思いや願いをつなげながら若い人たちとともに、戦争法案に反対する流れをつくっていきたい。戦後70年を節目に、安倍首相が「安倍談話」を出すことを踏まえ、民衆側の「私の談話」をまとめ出版する企画をすすめています。民衆一人ひとりがそれぞれの「談話」を語りながら連携して、戦争法案反対の運動をすすめていく決意です。」(2日付けしんぶん赤旗一面「今 言わなければ」より)昨日、偶然にオスプレイを見てきた人が来店して話が盛り上がりましたが、世界中で不評のため売れ行きが悪いそうです。「オスプレイは、海兵隊の様な組織でないと役に立たない。」「災害の救援などには、安定したホバリングが出来ないためまったく役立たない。」「じゃあ、なんで日本が買ったの?」と訊くと、「日本にも、将来海兵隊のような組織を作るつもりやろう。」「それって、どこかの国へ海外派兵と言うことですか?」と疑問が湧くばかりでした。さて、気がつけば5月も終わり、6月になりましたが「梅雨入り」も間近でしょう。先ほど、中学校の同級生であるY君から電話があり、「どう元気?近いうちに会おうよ。」と誘われました。1月に会って以来なので、私も含め「人恋しく」なって来たようです。(写真は、鞠山・海釣り公園で釣りを楽しむ人々と、買いたい衝動にかられた道の駅・追坂峠で売られていたピーナッツの苗と、三方五湖の三方湖の静かな景色です)
河野シーサイド温泉「ゆうばえ」。
2015/05/30
28日(木)は、いつもは水曜日が定休日で通り過ぎる河野シーサイド温泉「ゆうばえ」に行って来ました。この温泉は、日本海と道を隔てて建っていて、お風呂から日本海を眺める事が出来ます。ただ、場所柄で露天風呂がなく、大浴場とサウナと水風呂しかありません。入浴料金は550円と以前に比べ50円も上がっていました。現在、温泉スタンプラリーが行われていて、3か所目が50円引き、6か所目になると無料入浴券が貰えます。今回は3か所目だったので、一人500円で入る事が出来ました。これで残る施設は、3か所になり早ければ6月中に達成出来そうです。河野シーサイド温泉「ゆうばえ」〒915-1113 福井県南条郡南越前町甲楽城7号31番地の1 п@0778-48ー2388 入館料 大人550円 小人 300円 営業時間 午前11時〜午後9時 定休日 毎週水曜日・年末年始 お車で 北陸道敦賀ICから国道8号線〜越前・河野しおかぜライン JRで JR武生駅〜福井鉄道バス・王子保・河野海岸線40分 越前海岸の河野支所から直ぐですので、一番敦賀市から近い所にある施設です。さて、今津町にある「箱館山」で行われる「コキアパーク」の入園・ゴンドラ往復券が入手出来ました。大人1850円が1050円と格安になります。7月3日〜8月31日までの期間ですので、また「ミニ同窓会」でも企画しょうかなと考えています。賛同者がいれば、是非ご連絡頂けばありがたいと思います。ところで、昨夜もホタルを探しに出かけましたが、少し風が強く1匹も見つかりませんでした。よく考えたら、月明かりも苦手、風も苦手、雨も苦手の様です。(写真は、「ゆうばえ」の大きな看板と外観と、館内で買ったアイスを食べる長女とパチンコゲームに夢中の嫁さんと、小浜新港に迫るたそがれです)
今年初めて、ホタルを見つけました。
2015/05/27
「木を見て森を見ず。安保法制をめぐる議論について安倍首相が口にしています。自衛隊員のリスクが高るといった批判に、それ以前に国民の安全リスクが高まっていると。日本全体の安全環境が厳しくなっている時に、自衛隊員の危険性などにこだわっていられない、そんな思い込みが見て取れます。日本の安全と世界平和に貢献するという、見せかけの言葉で細部や本質をごまかす安倍自公政権の特徴でしょう。審議入りした安保法制。共産党の志位委員長は代表質問でいかに自衛隊員が殺し、殺される状況下に置かれるかを明らかにしました。そして、米国の戦争に参戦する法案が憲法9条を壊す戦後最悪の戦争法案だと批判しました。国の形を変えてしまう中身でありながら、首相らの答弁は不誠実きわまりない。自衛隊が活動できるのは「戦闘行為がないと見込まれる場所」、「やむ得ない必要がある場合のみ」。戦争になれば線引きなどないのに、「巻き込まれることは絶対にない」をくり返す。先の党首討論で首相の歴史認識や戦争観をただした志位さんの質問は大きな反響を呼びました。過去に日本が犯した戦争を「間違った」とといえず、戦後の原点となったポツダム宣言さえ「読んでいない」と答えた首相に驚きと不安の声が広がりました。抑止力神話に固執して戦争に乗り出せば、日本がテロの標的になる危険性も高まります。歴史の流れや平和な世界も視野に入らない。木も森も見えていないのはどちらか。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より) この前日(26日)に女優の「高田 敏江」さんのコメントで、「安倍さんは、法案を国会に出すときに、”国民の命と平和な暮らしを守るため”とか、いろんな理由をおっしゃいますましたね。それを聞いていて、いまのままでいいじゃない、なんで変えなきゃいけないのか、と思いました。私には理由がわかりません。」と話されていました。私が中学2年生の頃、社会科の授業で「憲法前文」を暗記しましたが、不思議なことにその大半を今も覚えています。それほど新鮮で感動を覚えたことは後にも先にもありませんでした。戦後70年間に一人の戦死者も出さす、加害者にもならなかった事に胸を張るべきです。しかし、なぜ今、この様な法案が出てきたのか?それは「軍事産業」からの要望があるのではと思ってしまいます。それにしても、自衛隊員に犠牲が出ても、自分が安全な場所にいて関係がないと思っているのでしょうね。さて、25日(月)の夜に散歩していると、2匹のホタルが飛んでいました。昨夜も(26日(火))も楽しみにして出かけましたが、1匹も飛んでいませんでした。以前に比べ数は年々減りましたが、今年も見られて幻想的な光景に感動しました。(写真は、今年初めて咲いたヤマボウシの花と、金平糖の形をしたヒメツルソバの花です)
豊かさと貧しさとは?
2015/05/24
「南米ウルグアイの第40代大統領を務めたホセ・ムヒカさんは”世界で一番貧しい大統領”と呼ばれました。給料の大半を貧しい人のために寄付。公邸には住まず、郊外の農場で愛妻と質素に暮らしています。「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。物質的な豊かさだけが人間の幸せか。3年前の地球サミットで、彼はそう問いかけました。「目の前にある危機が幸福をそこなうものであってはならない」。世界の国や組織の代表を前に、人類の幸福とは何かを説いた演説は人びとの心をつかみ、日本でも絵本になりました。温暖化をはじめ、地球環境の悪化や異常気象が叫ばれるいま、国際社会の共同したとりくみが欠かせません。温室効果ガスの削減目標を各国が示して抑えようとしているのも一環。手を携えて実行しなければ、人類の未来が危うい。これまでの価値観にとらわれず、危機感を共有し、共通の課題に向かっていく。そんなときに背を向けているのが、情けないことにわが日本。安倍政権は温室ガスの削減目標をごまかし、原発の再稼働にこだわり、自然エネルギーの導入にも後ろ向きです。今年3月、大気中の二酸化炭素の平均濃度が観測史上最も高くなりました。所得の格差は世界中で広がっています。自国だけの利益や、ひと握りの人たちの裕福さだけを追い求める勢力とは決別しなければなりません。」(23日付けしんぶん赤旗「潮流」より) この大統領は、車で通るとヒッチハイクする国民を、気軽に乗せていたそうです。後で、その車が大統領のものだと知ると感動する場面がテレビで放送されていました。以前、ある哲学者が、「心と物は天秤で、心が豊かならば物が貧しい、またその逆に、物が豊かであれば心が貧しい。」と書いておられました。「なるほど!」と感心しましたが、日本がまだまだ豊かでなかった頃は、食べ物を分け合ったりして助け合って生きていたような気がします。さて、1月に「ミニ同窓会」が大阪・京橋であってから、4ヶ月経ちましたがそろそろお誘いがないかなと心待ちしています。それとも、また皆が高島市まで遊びに来れるような、新しい企画でも考えようかなとも思っています。(写真は、近くの空き地に今年も咲いたアザミの花と、常神半島・小川地区にある「有料釣り堀」ですが、時間が悪いのか何も釣れていませんでした)
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