敦賀原子力館に行きました。
2015/08/20
19日(水)は、長女の帰省に合わせてお休みを頂き、敦賀市内を目指しました。本当は、岐阜県・揖斐川温泉に行きたかったのですが、いつも水汲みに行っている「秋葉の水」が、雨が降らないせいで「渇水」してしまい、上中町にある「瓜割りの滝」に立ち寄らなければならなくなりました。いつもの「鞠山・海釣り公園」は、まだまだ夏休みの延長で相変わらず主役は子どもたちです。釣れていたのは、体長5p程度の子アジと10p前後のサヨリでしたが、釣れる事が楽しいので夢中になっていました。言葉の端々に、「そうじゃん」と話していましたので、関東で川崎市辺りの人々であろうと想像出来ました。そう言えば「多摩ナンバー」の車が数台止まっていたので、この人達の車だったのでしょう。今回は、敦賀市内で昼食を摂る予定でしたので、あまり移動をしなくて良い場所として「敦賀原発」に行こうと思いました。敦賀半島の付け根にある「敦賀原発」まで、車で30分ほどかかりますが、午前10時30分でしたのでちょうど良い距離です。行きは、どんつきにある敦賀市「立石地区」まで車で走り、折り返すことにしました。お盆を過ぎたためか、外海は大荒れで、怖いくらいの大波が押し寄せて来ていました。来た道を戻りながら、「敦賀原子力館」と看板のある所で左折し、運転停止後は閉館している施設が多いのに開館していました。日本原子力発電株式会社 敦賀原子力館 〒914−8555 福井県敦賀市明神町1番地 рO770−26ー9006 開館時間 午前9時〜午後4時30分 入館料 無料 アクセス 北陸自動車道敦賀IC JR敦賀駅より車で40分 敦賀原子力館からは、敦賀原発の全容が見えますが、何故か撮影が禁止されていて、無断で2〜3枚を撮影しました。どこでもそうですが、この様な建物は立派で、しかも自然を強調する展示が多くあります。例えば、敦賀湾に住む魚とか、野鳥を観察する施設であったりします。「現在は、運転を停止しているのに、庭の手入れをする人々が忙しそうに働いているが予算はどこから出るのだろうか?」「そら、私らが払っている電気代からやろう?」と嫁さんと話していました。さらに戻る途中に「水島(みずしま)」と言う小島に綺麗な海水浴場があり、多くの子ども達が泳いでいる姿がありました。(写真は、鞠山・海釣り公園で魚釣りを楽しむ子ども達と、立石岬に続く日本海から大波が来ていましたと、原子力館から見た左が1号機で右が2号機です)
孫の守に疲れました。
2015/08/17
15日(土)にいつもの様に営業していましたが、あまりに誰も来店しないので、午後から休み長男夫婦の自宅のある南草津まで孫(2歳8か月)に会いに出かけました。5月の連休に会ってから3か月も経っているので忘れているかと思っていましたが、2〜3分で思い出したのか懐いて来ました。絵本を読んだり、ボール投げをしたり、ままごとをして遊びました。夕食はピザと焼き鳥(妙な取り合わせ)を食べましたが、直ぐ隣で世話をしていると、「焼き鳥を食べたのは、初めてやわ」と長男が言います。そろそろ、お別れの時間になり支度を始めると、「美桜(みお)も一緒に行く」「お願いだから帰らんといて」と言いながら大泣きとなってしまいました。後ろ髪を引かれながら、「バイバイ」と言うと、さらに火が付いた様に泣きました。翌日になると、「じいじいのところに行きたい」と朝から言っていたそうで、その内容と写真がメールで送られて来ました。「俺でもまだ役立つ事があるんやね?」と思い、これからはもう少し時間を作って会いに行こうと思いました。今月中には、二人目が生まる予定で、その機会が早くやって来そうで楽しみです。これを、「親ばかじゃなくて、孫ばか」と呼ぶのでしょうか?さて、世間での「お盆休み」が終わりましたが、琵琶湖もかなりの人出で、国道161号線は終夜まで大渋滞をしていました。先ほどお伺いした朽木・市場のお客さんの所では、子、孫、ひ孫を合わせると18名になり大宴会だったそうです。「この内、半分でも朽木に戻って来たら過疎にはならないのに」と話していました。(写真は、越前焼がずらりと展示された館内と、湯楽里の休憩所でくつろぐ長女と、私が買い求めた越前焼と水割り用のコップです)
世間はお盆休みです。
2015/08/14
「幼いころの戦争体験を、自作の切り絵で伝え続ける女性がいます。群馬県前橋市の飯塚照江さん(76)。同市で開催中の「戦争を忘れない展」(16日まで)では、黒い和紙を切り抜いた17点の作品で、戦争の怖さと平和の尊さを訴えます。本誌日曜版「吉沢久子の四季折々」の挿絵も手がける飯塚さん。6歳の夏に終戦を迎えました。真っ赤な背景が印象的な「前橋空襲の夜」は、500人以上の死者が出た空襲の中、母親に背負われて逃げた様子を描きました。「夜なのに照明弾で昼のように明るく、音を立てて落ちてくる焼夷弾(しょういだん)が恐ろしかった」と飯塚さん。「空襲を思い出させる花火は、怖くて今でも見られません」戦火の中を逃げ回った6歳の自分と、母親と孫娘を対比させた「六才の私」「六才の孫」には、子どもたちに平和の大切さを伝えたいという願いを込めました。「同じ六歳なのに昔と今では全然違う。70年間、平和を守ってきたからこそ今の平和があることを忘れないでほしい」飯塚さんが切り絵で戦争体験を描き始めたのは20年前。「終戦の翌年に亡くなった母の顔は忘れてしまっても、戦争のつらさは忘れられない。体験を語れる最後の世代として、伝えていかなければと思って・・・」。平和をつくり、守るための行動が切に求められていると語る飯塚さん。「私たち一人ひとりは『微力』ではあっても『無力』ではないのです」。苦難を乗り越え平和を手にした人々の思いを、しっかりと受け継いでいきたい。」(14日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 12日(水)は、京都・精華町にある母親の先祖の墓参りと大阪・大東市の父親の先祖の墓参りに行って来ました。どちらも、駅から20分ほど歩きましたが汗だくになりました。おまけに普段の運動不足からか、昨日辺りから筋肉痛になってしまいました。それでも、その後に8か月ぶりに「ミニ同窓会」が行われ、「老後」?の話で盛り上がりました。昨日に送られて来た写真を見て、「また会いたいなあ!」と物思いにふけっています。安曇川でもお盆休みで、街中が静かで「なんや、店開けてるのか?」と訪ねてくるお客も退屈そうで、「どこかに行ったら」と忠告してくれます。(写真は、安曇川町・藤の里ホールで開かれた「平和のための美術展・戦争展」で展示された貴重な遺品?です)
ハスの花は終わりを迎えていました。
2015/08/11
越前陶芸村から、車で30分をかけて鯖江市内に戻り旧国道8号線で武生(現越前市)に戻って来ました。ちょうど、午前12時になっていたのでお昼ご飯を食べるのに、回転寿司が2軒あり「くら寿司」にするか「はま寿司」にするか意見を求めました。「私は、くら寿司の方が美味しいと思う」との嫁さんの意見でしたので尊重することにしました。昼食後は、温泉スタンプラリーで貰った無料入浴券で「しきぶ温泉・湯楽里」に行きました。午後からの入浴は初めての事ですが、お客も少なくのんびりと入ることが出来ました。休憩室では、座布団を広げ大胆にも昼寝をするお客も見られましたが、どこか自分もしてみたい衝動にかられました。ここから、国道365号線を利用して、南越前町を目指しましたが、せっかくだからと「花はす祭り」は終わりましたが杣山(そまやま)に立ち寄りました。さすがに観光客もまばらで、花びらが落ちた花はすが目立ちましたが、それでも遅咲きの花はすもあり結構楽しめました。「アイス、アイス」と長女が言うので、前回来た時に買ったことを覚えている様子でした。早速、その要望に応えて「はす入りソフトクリーム」350円を差し出すと、満足そうにしていました。「今年の花はすも終わりやね」と暑いからと車に残ったままの嫁さんに言いました。ここから、敦賀市内に出て、さらに国道27号線を利用して「道の駅・三方五湖」で休憩を取り、国道162号線で小浜市内に出ました。さて、買って来た越前焼ですが、確かに焼酎がまろやかになり、しかも冷たいままなので美味しく頂けました。ところで、ここ4〜5日は朝夕がめっきり涼しくなり、暑さのピークも過ぎたようです。面白い事に、セミの声がバラバラで、クマゼミが鳴いているかと思うと、ミンミンゼミが鳴き、夕方近くになるとツクツクボウシが鳴いています。明日は、先祖の墓参りに大阪・大東市まで行く予定ですが、早速友人からお誘いを頂き、楽しみが増えました。(写真は、45000円の値段が付いたお皿と、越前陶芸村のシンボルと、花の数が少なくなった杣山の花はすです)
夏は子どもが主役です。
2015/08/08
いつもより一日遅れで6日(木)にお休みを頂き、敦賀市方面を目指しましたが、マキノ町・道の駅「追坂峠」でも子ども連れの家族旅行が目立ちました。いつも立ち寄る「鞠山海釣り公園」も、あちらにもこちらにも子どもが釣り人の主役になっていました。釣れていたのは、体長10p前後のの小アジと、鉛筆の大きさより小さいサヨリがポツポツと上がります。「サヨリを見たのは久しぶりやなあ」「このまま、一月もすると楽しみやなあ」と独り言のようにつぶやいていました。ここから、国道8号線から「さざなみ海道」を走り、越前海岸の入り口にあたる「旧河野村」に着きました。ここから先の道は「すいせん快道」と呼ばれ、あちこちにある「海水浴場」を眺めて行きましたが、意外とお客が少ないことに驚きました。「最近は海水浴て人気がないのかな?」「泳いだ後の片付けが大変やから敬遠するのでしょう」と嫁さんが言います。「そう言えば、クワハウスアクティバにある温水プールが混雑しているもの」「それにしても、海の方が魚もいるしカニも見つけられて楽しいのに」と「我は海の子」を自負する私には不満です。ここから、「越前陶芸村」に向かい、水割り用のカップを探し求めました。陶芸村は前回に来た時と様子が違いましたのでお訊きすると、「2年前にリューアルしました」とのお返事でしたが、「そんなに長く来ていなかったかな?」と恐縮しました。越前焼「焼酎カップ」「越前焼の土にはもともと鉄分が多く含まれており、それによって中に注いだ焼酎やお酒はまろやかな味へと変わります。古来、越前焼が水がめとして使われたのも井戸水を飲みやすくしたという説があります。このカップで越前焼の歴史を感じながらゆっくりとした時間をお過ごし頂けましたら幸いです。」越前焼の館(越前焼工業協同組合)色々と目移りしましたが、1100円(税別)のカップに決め、「今夜の焼酎が楽しみやな」と密かに笑ってしまいました。(写真は、停泊中の新日本海フェリーと、魚釣りに夢中の子ども達と、浮き輪を提げた子どもで賑やかなクワハウスアクティバです)
激変する中国の製造業。
2015/08/05
たまたまテレビを観ていたら、NHK・BS2で「ドキュメントWAVE」と言う番組が、上記の題名で放送されていました。中国における人件費は現在平均8万円で、ここ10年で倍増したそうで、さらに毎年2割ほど賃上げが必要になっています。「安く作る」ことで日本からの大量の受注を受けていたアパレル会社が、価格面で折り合わず売り上げが半減したそうです。やむえず、中国国内から人件費が20分の1のミャンマーに製造拠点を移す事を決めました。当然のことながら、中国にあった工場の縮小と従業員のリストラが待っています。小さな会社から、苦楽を共にして来た従業員をリストラしなければ生き残れない現実があります。この会社の代表者は、ミャンマーが最終地ではなく、いずれ人件費が上がればアフリカに行かなければならないと語っていました。それにしても、日本の会社が求める価格は、1着500円〜1000円と言う過酷なもので、一体誰が儲けているのか考えさせられました。ところで、福井県に織田町と言う地名がありますが、「おた」と読むそうで、ここが「織田信長」の生誕地と言われています。そうであれば、「おたのぶなが」と読むのが正しいのかもしれません。でも、確かに「おだのぶなが」と読んだ気がするのは私だけでしょうか?さて、連日35℃を超えている安曇川ですが、もう2週間も雨が降らず「カラカラ」の状態になっています。「畑の水やりも疲れたわ」とぼやかれますが、秋の農作物が不作になるのではと心配しています。明日は、2週間ぶりにお休みを頂き、しきぶ温泉「湯楽里」に行き、その後、先日割れてしまった「水割り用陶器」を買いに越前・陶芸村に立ち寄りたいと思います。(写真は、きららの湯の足湯と、小浜新港から北川を望む景色と、大漁だったのか元気にに戻って来たボートです)
本当に暑いですね。
2015/08/02
「ことしで100年を迎えた夏の高校野球全国大会。1世紀の歴史のなかに「幻の甲子園」と呼ばれた大会がありました。戦時下の1942年夏、戦意高揚のために開かれた全国中等学校野球大会。スコアボードには「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ 戦ひ抜かう大東亜戦争」という軍事スローガンが掲げられ、進軍ラッパが試合開始を告げました。ユニホームはすべて漢字、選手たちは「選士」と呼ばれました。「開会式には軍服を着たおとながずらり並んでね。異様な雰囲気だった」。当時、仙台一中の内野手として出場した春日清さんは、正式に数えられていない大会を振り返ります。(『甲子園100年物語』)。前身の大会が始まった1915年から、毎年のように開かれてきた夏の全国大会。今度が97回と数が合わないのは戦争による中断があったから。甲子園も内野スタンドを覆う大鉄傘が軍部に供出され、グランドは芋畑に変わりました。球児たちはボールやバットを持った手に銃や手投げ弾を握り、多くの若い命が戦場に散りました。いま東京ドームにある野球博物館では節目を記念して高校野球の特別展が開催中です。館内には戦没野球人のモニュメントがあり、不戦の誓いが込められています。全国合わせて73校の参加から始まった大会は100年の今回3906校までひろがりました。戦後、荒れ果てた列島にいち早く鳴りひびいた球音。それは自由と平和の象徴でした。あのときの思い出が心に染み渡る8月が、まためぐってきました。」(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より) ここ滋賀県では、久しぶりに湖西地方にある「比叡山高校」が出場する事になり「どこまでやれるかな?」と期待と不安が広がっています。久しく甲子園に足を運んでいませんが、今年は「比叡山高校」の試合に合わせて行きたいなと思っています。さて、昨日の安曇川では、エアコンの気温が37℃となり、この夏一番の暑さでした。(正式な気温は、35、8℃でした)もう、こうなると商売どころではなく、次々と「冷」を求めて来店する人が絶えません。「メガネ屋は暇なのだろう」と思われている様で、中には2時間も粘る人もあります。ところで、「今年の墓参りはいつにする?」と嫁さんに訊かれ、「12日(水)でどうかな?」と返事しましたが、大阪で一緒に飲んでくれる優しい人?を募集しています。(写真は、安曇川町・長尾地区の安曇川下流で釣りをする人々と、三和漁港で唯一の釣り人と、隣家に咲いたアサガオですが暑さで元気がありません)
からたちの小径。
2015/07/30
「♪@なつかしいうたを 誰かがうたってる 遠い日の思い出が よみがえる 駅から続く からたちの小径を 手をつなぎ 寄り添って 歩いたわ あぁ 恋のかほり残して あなたは消えた 好きです いついつまでも 涙がぽろぽろり」「♪A凍てつく夜は 手と手を重ね合い ずっといっしょ あなたのささやき 信じてた 雪より白い つましいあの花に トゲのあることすらも 忘れてた あぁ 今も浮かぶ面影 あなたの笑顔 好きです いついつまでも 涙が ぽろぽろり」「♪B帰らない日々を くやみはしないけど 人生は流れゆく旅景色 たった一度の ときめきの香りが 夢見るように 淋しそうについてくる あぁ あなたが歌ったうた 忘れはしない 好きです いついつまでも 涙が ぽろぽろり」 今年の4月に京都であった「南こうせつ」さんのコンサートで披露されました「からたちの小径」と言う歌です。「故島倉千代子」さんに依頼され、作詞・作曲されました。当時の「島倉千代子」さんは体調がすぐれず、スタジオでの録音を止めて、島倉さんの自宅に出向いて行われたそうです。このレコーディングから約10日後には、天国に召されたそうです。「島倉千代子」さんが歌っているCDもありますが、私はいつも「南こうせつ」さんのCDを車の中で聴いています。先日、いつものスナックでこの歌をカラオケでうたいましたが、95点もの得点を頂きました。さて、7月も残すところ後2日となりましたが、不思議とセミの鳴き声が聞こえません。あまりにも暑すぎるのか、キリギリスも以前に比べ少なくなり、静かな夏を迎えています。昨日、所用で朽木村まで出かけて来ましたが、安曇川町・長尾地区の安曇川では、子アユを釣る釣り人が、次々と獲物を魚籠(びく)に入れていましたが涼しそうで羨ましく感じました。(写真は、S先生も来られる長尾地区の堰堤で釣り人が楽しそうでしたと、四津川地区の三和漁港でも子アユが上がっていましたが暑さで不漁だそうですと、旧161号線鴨川大橋で子アユ釣りに興じる人々です)
飛行機は落ちる物なんですね。
2015/07/27
「70年以上も前の放送の実際を筆者は知るわけではありませんが当時、NHKは大本営発表を流し、戦意高揚をあおりました。負けて撤退しているのを「転進」とアナウンス、全滅を「玉砕」と言い換えて、国民に「挙(こぞ)って国防」をすりこんだのです。いま、NHKはその道を再び歩もうとしていないか。夜7時や9時のニュースを見ているとそんな気配すら感じます。戦争法案の必要性を一方的に主張する安倍首相を前面に押し出しています。政権への”後方支援”も欠かしません。「平和と国民の安全のために」とアピール。「今国会で成立の公算大きい」とたたみかけます。「安全保障を担う」として自衛隊特集を連打。派兵を想定しての実戦訓練や覚悟を強調します。NHKは「国民の理解が少ない」と繰り返しますが、国民の間では理解が進み、知れば知るほど「戦争法案を評価しない」の意見が広がっています。NHKの世論調査では61%にもなりました。政治報道への批判は鳴りやみません。NHK問題を考える市民の会も次々にできて、7月には埼玉と名古屋で結成。さらに新しい動きが加わろうとしています。関東在住の30代の女性がNHKへの抗議運動を呼びかけました。きょうから参議院で論戦が始まります。衆議院の委員会中継をしなかったNHKには抗議が殺到。翌日、苦情の声に押されて急きょ、法案採択の本会議を生放送した、てん末があります。公共放送をただそうと国民の厳しい目が注がれています。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 記者会見で、「国民の声に真摯に耳を傾け」と安倍首相が言うたびに、「スリッパでテレビ画面を叩きたくなる」のは私だけでしょうか?さて、東京・調布市の住宅街に小型機が墜落して、3人の死者が出る被害がありました。大型の旅客機が墜落している映像は時々見かけますが、小型プロペラ機はエンジンが止まっても滑空出来るので安全だと聞いたことがあります。あの様な映像を見せられると、飛行機嫌いの私にはますます乗りたくなくなります。(写真は、「ずいき」の名で売られていましたがどの様にしてたべるのでしょうかと、孫が喜びそうな「アンパンマン」の自販機と、「アベ政治は許さない」のポスターを貼った店頭です)
久しぶりの「蒲生野の湯」。
2015/07/24
22日(水)は、長女の帰省に合わせてお休みを頂き、湖東方面を目指しました。福井県の「温泉スタンプラリー」に振り回されて、湖東方面に出かけるのは3か月ぶりですが、本当のところはそんな実感がありません。マキノ町・道の駅「追坂峠」では、「箱館山」のゆり園のPRのため、沢山のユリの花が迎えてくれました。ちょうど夏休みが始まったことも事もあり、小学生らしい子ども連れが目立ちました。国道303号線を西浅井町から近江塩津に出て、国道8号線から木之本町に入る手前から、湖周道路をに入り南浜ぶどう園で小休止しました。時期的に少し早いので、ぶどうの販売は行われていませんでしたが、スイカやマクワやメロンが並んでいました。「昔はスイカを一玉買ったから、あの網の様な入れ物やったな」「それにしても、しましまのないスイカがあるとは知らなかったわ」「あれって、外国産と交配したのと違う?」と嫁さんの返事でしたが真実かどうか分かりません。長浜市内から彦根市内に向かい、国道307号線から八日市方面に出ました。途中、道の駅「こうらの里」まで来ると、長女が「アイス、アイス」と言います。ここに立ち寄ると必ず買い求めていましたので理解ができているのでしょうか?限定販売で、甲良町で取れた「コーン」が入ったソフトクリームがありましたのでそれに決めました。どんな味がするのか半信半疑でしたが、これがなかなか美味しくて「結構いけるわ」と言って嫁さんに手渡しましたが、もう二度と戻っては来ませんでした。お昼は八日市市内にある「かっぱ寿司」に入りましたが、たこ焼きがだし汁に入った物が気に入った様で大満足していました。今日は水曜日なので「蒲生野の湯」が開業しているか電話で確認をしてから竜王町に向かいました。「蒲生野の湯」の玄関には、「本日サービスディ大人500円」と書かれていて得した気分になりました。風呂上がりには、コーヒー牛乳を買ってもらい、ますます上機嫌な長女でした。この辺りは、「桃園」が多くあり直売所で2個500円の桃を買い求め帰路に着きました。琵琶湖大橋を渡るまで、ポツポツと降っていた雨が、堅田市内でどしゃ降りなり、ワイパーを高速にしても前が見えず、道路も冠水して大変でした。「テレビで映像は見た事があるけど、天井が抜けたみたやな」と言いながらそろそろと走る事にしました。(写真は、道の駅「追坂峠」に飾られたユリの花と、南浜ぶどう園で売られていたしまの無いスイカと、蒲生野の湯の玄関です)
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