宇治・平等院に立ち寄りました。
2015/10/26
「ひじりのね」で昼食を済ませて、時計を見ると、まだ12時30分だったので、真っ直ぐに家に帰るには早すぎました。「醍醐寺にでも寄って行く?」と嫁さんに聞きましたが返事がありません。「そもそも、醍醐寺を知らないやろう」と言うと、「どんなところ?」の返事です。解説するのも煩わしいし、「それなら、平等院なら知っているやろう」と言う事になり、宇治川沿いの道を急ぎました。平日にもかかわらず、駐車場はほぼ満杯で、何とか空いている場所を探し、仕方なく700円の駐車場代を支払いました。ここに来るのは20年ぶりくらいになりますが、「鳳翔館」と言う新しい建物が出来て、様変わりした感じがしました。福井県・永平寺にも新館が出来ましたが、周りの景観と一致せずがくぜんとしましたが、この建物も、もう少し何とかならなかったのかと思いました。「鳳凰堂」「極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は、中堂・左右の翼廊・尾廊からなる、他に例を見ない建物です。堂内には、平安時代を代表する仏師定朝の作であることが確実な現存唯一の仏像、本尊阿弥陀如来座像をはじめ、雲中供養菩薩像52体、9通りの如来を描いた壁扉画など、平安時代・浄土教美術の頂点が集約されています。」(リーフレットより)いつの間にか気温が上がり、歩いていても汗ばむほどになって来ました。「この平等院は、誰が作ったか知ってるか?」と嫁さんに聞くと、「それは、当時の腕の良い大工さんやろう?」との返事でした。これで説明する気持ちが薄らぎましたが、「平等院は永承7年(1052年)、関白藤原頼道によって父道長の別荘を寺院に改め創建されました。その翌年の天喜元年(1053年)に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立され、その建物が現在鳳凰堂と呼ばれている、経典に描かれる浄土の宮殿をイメージした、優美で軽快な建物です。」と書かれていました。小学生の団体が、バスガイドさんの説明に耳を傾けていましたが、私も初めて訪れたのが、小学校5年の校外学習(遠足)だった事を思い出し、懐かしさと時の流れる速さに戸惑いを感じました。ずいぶんと我慢していた長女が、「もう帰ろう」と手を引っ張るので、40分ほどで戻り、土産物屋さんでお気に入りのお菓子を買いました。ここからは、瀬田川を遡る様に、国道422号線を利用して、大津市・南郷洗堰から浜大津に帰って来ました。さて、連日行われている「日本シリーズ」ですが、ソフトバンクの2勝となりました。何とかヤクルトに勝って欲しいのですが、正直に言うと野球のレベルが違う様な気がします。(写真は、お昼に食べた「とんかつ定食」と、平等院南門での記念撮影と、鳳凰堂前で自撮りする観光客です)
「玉光湯・ひじりのね」伏見店。
2015/10/23
21日(水)は、お休みを頂き久しぶりに大津市方面に南下しましたが、「灯台もと暗し」ではありませんが、湖西道路を走るのは半年ぶりになります。いつもは、敦賀市方面か琵琶湖一周コースですから北上するのに慣れてしまいました。噂では和迩インターに新しく「道の駅」が出来たと聞いていましたので、立ち寄る事にしました。想像していたより広くて大きく、これまで安曇川の道の駅から休憩場所がなかったので、随分と便利になりました。店舗の主体は、コンビニの「ローソン」が入っていて、早速長女が一目散に目指しました。10分ほど休憩の後、再び湖西道路に戻り、京都東インターから京都南インターまで名神高速を利用し、目的地である「玉光湯・ひじりのね」伏見店を探しました。車のカーナビが古いのか、お店が新しいのか検索しても出てきません。同じ所を何度も、何度も迷いながら、ようやくその店を見つけた時は、30分は経過していたと思います。 京都市伏見区羽束師菱川町678番地 п@0775ー925ー1126 営業時間 午前8時〜午後12時 入浴料 大人650円 JR東海道本線長岡京駅より市バス「南2」菱川下車 徒歩3分 京阪中書島駅より市バス20、22系統「菱川」下車 徒歩3分 私たちは、「グルーポン」で購入した、一人1200円で、入浴料650円+タオルセット+とんかつ定食1100円+ソフトドリンク250円がセットされていました。到着したのが午前10時過ぎだったのですが、早くも10人程度のお客さんがありました。大半が高齢者でしたが、中には夜勤明けと思われる人もいました。
お風呂は、露天岩風呂、高濃度炭酸風呂、タワーサウナ・遠赤外線サウナ、フィンランドサウナ、ハーブ湯サウナ、リラックスバス・ジェットバス、スーパージェットバス、水風呂、寝湯、など種類は豊富です。不満と言えば、露天風呂がもう少し広ければと思う程度です。長女は、高濃度炭酸風呂がお気に入りだったそうで、いつも遅れる私の方が早く出て来たくらいです。まだ、午前11時過ぎでしたが、早速ランチタイムにして、「とんかつ定食」を注文するつもりが、長女は「オムライス」が良いと言うので変更するように交渉しました。ソフトドリンクは、それぞれアイスコーヒーとミックスジュースとメロンジュースを頼みました。食事中も、次から次からと入浴客がありますが、どうやら「銭湯感覚」で利用している様でした。(写真は、和迩インターに出来た道の駅「妹子の郷」と、「ひじりねの湯」の玄関付近と、お昼を頂いた食堂の光景です)
信楽町の「鶏鳴(けいめい)の滝」。
2015/10/20
「三重県との県境に近い、甲賀市信楽町に標高739mの笹ヶ岳(ささがだけ)がそびえている。山頂付近にはかつて薬師如来を本尊とする寺院があったらしく、ここに古い伝説が残っている。元旦の朝になると、この寺の閼伽池(あかいけ)仏様に供える水を汲む水場)から黄金の鶏が現れ、新年の幸を告げたという。笹ヶ岳山頂の南東尾根にある薬師堂跡には、閼伽池と思われる石積みの古井戸が残っている。大正の頃までは、日照り続きで田に水不足になると、この井戸をかきまわして雨乞いをしたとか(現地の説明版より)。この山の西麓に、伝説にちなんだ滝がある。信楽町を流れる大戸(だいど)川の支流、神有(かみあり)川の上流へ渓流をたどって遊歩道を登っていくと”鶏鳴八滝(けいめいはちたき)”と呼ばれる8つの滝がある。その中のひとつが”鶏鳴の滝”だ。幅11m、高さ13m以上はあるだろうか。白い水しぶきを飛び散らし、激しい水音を響かせる。美しい瀑布(ばくふ)は清涼感を与えてくれる。信楽焼の窯元散策に加え、これからの紅葉の季節、伝説の舞台を訪ねて、滝まで足をのばしてみてはいかがだろう。徒歩の場合は信楽駅から約90分、滝の入り口には駐車場もある。「コミタク」(タクシーを利用したコミュニティバス、要予約)を利用すると最寄りの集落まで行けるのも便利だ。」「”鶏鳴八滝は、神有川の下流から、初音(はつね)の滝、垂尾(しだりお)の滝、白神(しらがみ)の滝、鶏鳴の滝、白蛇(びゃくじゃ)の滝、堰堤を越えて白布(はくふ)の滝、岩しだれの滝、神有(かみあり)の滝と続く。それぞれにたぬきの置物が添えられ、信楽らしい風情がある。」(クラブケイブン10月号より) 三重県にある「やぶっちゃの湯」から帰路につく時に、近くを何度か通った事がありますが、熊でも出てきそうな場所なので急いで走ります。この時期、山に入るのは勇気がいりますが、必ず鈴やラジオを持つことが大切です。さて、明日は2週間ぶりにお休みを頂き、京都市内にある温泉施設に行って来ます。「グループポン」で、入浴料+タオル+お昼のランチ(とんかつ定食1100円)+ソフトドリンクの合計で1200円と格安だったので申し込みました。(写真は、風車村に新たに出来たモニュメントと、秋晴れの比良山系の光景と、ススキが輝いていた小川です)
静かな風車村でした。
2015/10/17
NHKスペシャル アジア巨大遺跡 NHKテレビ 午後7時30分〜「アジアに残された巨大遺跡を4回で取り上げます。第1集はカンボジアのアンコール遺跡群。9世紀から600年間、インドシナ半島に栄えたアンコール王朝によって建設された世界最大の石造寺院群ですが、多くの記録は失われ、密林に消えた謎の文明です。アンコールワットは12世紀の建設。南北1・3`、東西1・5`の堀に囲まれています。映像は、三重の回廊、精緻なレリーフ、地上60bの中央塔の威容、驚くべき高度な文明を伝えます。近年の国際調査が空からのレーザー撮影すると密林の広大な地域に規則的な凹凸が浮かび上がりました。凸は住居、凹は溜池でした。塀の外には街が広がっていました。なんと人口100万人。当時、世界最大の都市でした。さらに灌漑(かんがい)施設を張り巡らせ豊かな米作を行っていたこと、世界と繋(つな)がる交易ネットワークを作っていたことも明らかになってきました。番組は王朝繁栄の第一の原動力を信仰や価値観を超える融和と平和の文化に求めます。その文明がなぜ消えたのかは語りませんが、アジア独特の知恵、世界史の豊かさを体験できます。」(17日付けしんぶん赤旗「試写室」より) 私の記憶が正しければ、今から10年程前、長浜市にある石材業者さんが、「アンコールワットの修復に行きます」とのお話でした。内戦の影響もあり、想像している以上に破壊されているそうです。さて、久々に新旭町にある道の駅「風車村」に行って来ました。平日の早朝と言うこともあり、人影はまばらで静かな世界でした。(写真は、風もなく静かな景色の風車村と、奥にある普段は目立たない風車と、もうすぐ3歳になる孫の子守の写真です)
日が短くなりましたね。
2015/10/14
「立ち食いそば店で外国人5人が、そばや天丼を楽しそうに食べていました。1人が店員からしょうゆをもらうと、カウンターにある練りわさびの壺(つぼ)に注いでかきまぜてしまいました。「非常識なことを!」と一瞬思いましたが、悪気があるわけでもないでしょう。自分もあちこちで勘違いから非常識を働いているかもしれません。その外国人の食べ方がまた面白い。天丼にわさびじょうゆをかけて、おいしそうに頬張ります。コラムニストの小田嶋隆氏によると、食べ物の話題は「たいていカドが立つ」そうです。○○を食べないと言えば「人生の半分を損してますよ」と説教されたり、「不毛な人生観の押し付け合い」になったり、「必ずや面倒くさい展開になる」。何をどう食べるか、何がおいしくて、何がおいしくないのか。それは個人に任せるとして、日本の多彩な食文化が守られなければ、食をめぐる話題も成り立ちません。「和食」は2013年、国連教育科学文化機構(ユネスコ)の「無形文化遺産」に登録されました。日本政府による提案書は、和食が「重要な社会的役割を担っている」と指摘、必要な措置として、「伝統的地域食材の維持」「生産者の奨励」を明記しています。環太平洋連携協定(TPP)の「大筋合意」は、伝統的食材と生産者を危機にさらすもの。日本政府は自ら世界に誇る無形文化遺産を壊すつもりなのでしょうか。(14日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 話は変わりますが、高校を卒業して東京に就職した時、寮での食事に毎日ほど「納豆」が出ました。「納豆汁」(味噌汁の具が納豆)、「納豆の卵焼き」、定番の「納豆とウズラの卵」などなどです。生まれてこの方一度も「納豆」を食べた事がなかったので閉口しました。やむえず「寮長」に苦言を言い、「関東や東北の人間なら食べられても、関西人には苦手なんです」「メニューを選択制にしてもらわなければ困る」と懇願しました。それから、「納豆のない卵焼き」や「目玉焼き」が実現して関西出身の社員には喜ばれました。ところが、お酒を飲むようになって、不思議と普通に納豆が食べられるようになり、「食わず嫌い」だった事を痛感しました。さて、日に日に夕暮れが早くなり、午後5時30分には暗くなりました。立冬の頃にはさらに短くなり午後5時には暗くなりますが、同時に夜が長く感じられて、飲む酒の量が増えて来ました。(写真は、越前露天風呂「漁火」のフロントと、「アクティブハウス越前」の建物の全景と、小浜新港に停泊中の「雲竜丸」です)
叔父あさんも経験した「岸壁の母」。
2015/10/11
「♪母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来たー。二葉百合子が歌い、大ヒットした「岸壁の母」。元は1954年に発売された歌手・菊池章子のそれでした。当時、ソ連によるシベリア抑留から引き揚げ船で帰ってくる息子を待つ端野いせさんの姿がマスコミで取り上げられました。岸壁に母は、それを聞いた作詞家が義憤に駆られ、一気に書き上げたといいます。来る日も来る日も生きて帰ってくることを信じて通った親たち。引き揚げ船が入港してきた舞鶴は喜びと悲しみが交錯しました。その引き揚げの町に残されたシベリア抑留の資料が、ユネスコの世界記憶遺産に登録されました。敗戦後、ソ連軍に連行され収容所に入れられた日本人捕虜は60万とも70万とも。食事もろくに与えられず、極寒の地で奴隷のように働かされ、次々に命が奪われました。舞鶴の「引揚記念館」にある資料には抑留生活をシラカバの樹皮につづったものや、端野さんの手紙も含まれています。同時に、中国が推薦した日本軍による南京大虐殺も世界遺産に。日本政府は、日中間で見解の相違がある、中国の一方的主張だと抗議していますが、歴史の事実は消せません。犠牲者の数に違いはあるものの、日本軍自身の行動記録や兵士の日記などによって市民を含めた大量虐殺があったことは証明されています。ともに戦争がいかに人間を狂気へと駆り立てるかを示す痛苦の教訓。それを記録し、記憶していく努力こそが人類の未来を保障します。」(11日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 実は、私の叔父さん(母の兄)も、ソ連に抑留され舞鶴に引き揚げて来た一人です。毎日とまで行きませんが、母親(私から見るとおばあちゃん)は、何度も舞鶴まで足を運んだそうです。もはや生きていないだろうと思った終戦から3年後、帰って来た姿を見て幽霊だと思ったそうです。その叔父さんの話しでは、「一人が生きていける食料ではなかった」「夕食を賭けにして、賭博をしたらたまたま勝ちが続いた」「負けた相手は、翌日にベッドの上で死んでいた」「遺体を埋めなければならないが、永久凍土で穴もろくに空けられず、20pも掘れたら良いほうだった」と話されていました。その叔父さんも、4年前に亡くなりましたが、今思えば貴重な証言だったと思います。舞鶴にある「引揚記念館」には、過去に二度訪れたことがあり、一度は大陸から引き揚げて来た嫁さんの父親でその両親と、もう一度は自分の両親と行きました。玄関に、「抑留経験者は無料」と書かれていたのを今も覚えています。さて、早いもので父親の49日も無事終わり、これで一段落しましたが、本当の喪失感はこれから生まれるのでしょうね。(写真は、お供えするために父親が好きだった「萩の露」の新酒ですが少し高かったけど美味しかったのと、近所の農家で実った柿と、日本海に向かい釣りをする若者です)
越前温泉露天風呂「漁火」。
2015/10/08
7日(水)は、長女の帰省に合わせてお休みを頂き敦賀市方面に、出かけて来ました。いつも休憩に立ち寄る「鞠山海釣り公園」は、それなりに釣り人がいましたが、台風の影響か北風がかなり強く吹き白波が立っていました。2週間前に立ち寄った時は、10pほどの小アジが釣れていましたが、今回は姿が見えずほとんど釣果がないようでした。目の前を釣り道具を抱えて、ほとんどが早々と引き揚げる姿が目立ちました。今回の温泉スタンプラリー(2種類あります)に参加している施設を見ると、越前海岸にある「漁火」か、「ラポーゼかわだ」にするか悩みましたが、「漁火」は両方に参加していましたので、手っとり早くスタンプが貰える「漁火」にしました。越前温泉露天風呂「漁火」「百聞は一浴に如かず」「まずは、ゆっくりとこの気持ちよさを味わってください。昼は日本海が、夕方は夕日が、夜には満点の星空と漁火が、雄大なパノラマを上映中です。個性豊かな、どのお風呂からも楽しめる、極上のくつろぎです。とても語り尽くせないこの爽快感。ぜひ一度体感してみてください。湯上りにくつろげる個室もございます。」アクティブハウス越前・越前温泉露天風呂「漁火」 〒919−0422 福井県丹生郡越前町厨71−335−1 п@0778−37−2360 営業時間 午前11時〜午後9時 休館日 毎週火曜日 利用料 大人510円 一年中利用できる温水プールもありますので、お子様連れには楽しい施設です。営業時間が少し遅いので、お土産コーナーで時間をつぶし、開館を待っていましたが、かなりのお客が同じように待っていました。初めて来られたと思える方が、「すばらしいロケーションやね」と話しておられましたが、まさに気分転換には良いと思います。入浴後の昼食は、嫁さんと長女が、福井名物「ソースかつ丼」を注文し、私は、「牛すじにくカレー」(いずれも900円)にしましたが、期待した以上に絶品でした。ところでこの日、嫁さんが63歳になった誕生日でしたので、夕食は、「漁火」で買った「お刺身」と、地元安曇川で買った「お寿司」と「誕生日ケーキ」まで準備してお祝いしました。(写真は、強風の中釣りを楽しむ人々と、「漁火」で食べった福井名物「ソースかつ丼」と、「牛すじカレー」です)
しびれる試合でした。
2015/10/04
今夜一番に観たい番組はこれです。NHKスペシャル(NHKテレビ=午後9時〜)「地球の変動メカニズムを解き明かし、災害の謎に迫るシリーズ。第3回は大噴火への備えを考える。100以上ある日本の活火山。大噴火の予兆はつかめるのかを探る。」 日本中の火山が活発に活動する中、予兆をつかむことなど出来るのでしょうか?最近の科学がどこまで進歩しているのか見たいものです。さて、昨夜のラグビーW杯の予選で、サモアー日本の試合は、5−26のしびれるような内容でした。今日まで、日本の3勝11敗の対戦成績にもかかわらず常に主導権を握り、前半は相手を0点に抑えると言う素晴らしい内容でした。相手のラフプレーもあり、シンピンを受ける場面で助けられましたが、ほぼ完璧な試合運びでした。これで、残る米国戦の結果次第では、決勝リーグに進出できるかもしれません。試合を最後まで観たせいで、酒は飲みすぎるし睡眠不足で、少しお疲れモードになっています。ところで、先ほど「名張毒ぶどう酒」事件の死刑囚である、「奥西勝」さんが亡くなったと速報が入りました。「冤罪事件」として私も関わって来ただけに残念です。「奥西さんの、ご冥福をお祈りいたします」(合掌)被告人が亡くなっても、裁判を継続は出来るのですが、直系の親族でないといけないので、今後遺族の方が継承されるかどうかになりそうです。今年の阪神タイガースは、CSシリーズに残れるかどうか、今夜の試合にかかっています。優勝は出来なかったけど、せめてCSシリーズには残ってほしいと願っています。(写真は、安曇川町・四津川地区にある三和漁港で釣りを楽しむ人々と、土砂の堆積で埋まった川の浚渫が行われていました)
「蜊江(つぶえ)神社」
2015/10/01
野洲川の水害からご神体を守った御蜊様(おつぶさま)「台風シーズンで大雨の多い季節。野洲川は古くから”近江太郎”と呼ばれる暴れ川で、流域ではたびたび洪水による被害にみまわれた。特に南流と北流が分かれる下流域は堤防決壊による被害が多く、河川の改修は地域住民の祈願だった。昭和54年(1979)年に野洲川の放水路を建設する大改修工事が完成し現在の姿になったという。これを記念して整備された野洲川改修記念公園のすぐ近く、守山市笠原に蜊江(つぶえ)神社がある。”蜊”とはタニシのことらしい。実はこの神社、野洲川の水害の歴史と大きく関わっている。享保6(1721)の洪水で笠原の堤が切れ、社殿ごとご神体が流されそうになった時、上流から多くのタニシが付着した御神輿(おみこし)が流れてきて社前に止まり、幸いにもご神体は流失の難を免(まぬが)れた。これは神様の使いに違いないと村人ははタニシに感謝し、境内にタニシを保護する池を掘り、食用であったタニシも食べることを絶って、”おつぶさま”と崇(あが)めるようになった。池は現在も境内に残っていてるが、野洲川の改修工事で南流は廃川となり、皮肉にも池の水が枯れてしまったという。今はその由緒を記した石碑が池畔にある。野洲川の堤防を散策しながら、ともすると忘れそうになる身近な水害の記憶を心にとどめておきたい。」「笠原桜公園として知られる野洲川の堤防脇に水害記念碑がある。大正2(1913)年10月3日、この場所で堤防が決壊し、未曾有の被害をもたらした。過去の災害を忘れないように、そして二度と悲惨な歴史を繰り返させないために、石碑にはその被害の詳細が刻まれている。」(クラブケイブン9月より) 今でも野洲川は、大雨が降ると増水し車で橋を渡ることが不安になる事があります。過去にはそんな歴史があっただろう想像は出来ます。”蜊”は本来アサリと読むそうで、どこでタニシの事になったのかはよく分かりません。さて、今日から10月に入りましたが、昨夜は寒くてエアコンの暖房を入れました。服装も長袖に替え、上着を着る様にしましたが、天候の変動が激しくて体がついて行けません。また、プロ野球では阪神タイガースの監督である和田さんが責任を取って辞任するとか。残念ながら、今の戦力では誰がなっても優勝は無理で、戦力の増強が欠かせないと思います。(写真は、泰澄の杜のシンボルである六角形の天井と、そばの白い花が咲いていた越前町の畑と、道の駅「西山公園」の外観です)
鯖江市・「西山公園」に立ち寄りました。
2015/09/28
「泰澄の杜」でお土産の「ブドウ」(園内ではブドウ狩りも出来ます)を買い求め、フロントで会計をしてもらっていると、新しい「温泉スタンプラリー」が始まっていていました。新たに10か所の温泉施設を回ることになっていましたが、期間が来年の3月末までとなっていたので、取りあえず「泰澄の杜」のスタンプを押してもらいました。「泰澄の杜」のある越前町から、鯖江市内を目指しましたが、「そうや!西山公園に新たに道の駅が出来たそうやで」西山公園は、5月のツツジが有名ですが、なかなか駐車スペースが少なく通り過ぎることが多かったのですが、今回は止められそうです。連休の最後とあって予想以上の車が駐車場を埋めていました。もっとも、他府県ナンバーは少なく、ほとんどが福井県のナンバーでした。この公園は県民の憩いの場所となっているようで、福井弁が飛び交っていました。公園内には、動物園もあり「レッサーパンダ」が売りのようですが、あまり関心がないので、レストハウスで長女の好きな「ポテトフライ」と「ソフトクリーム」を買い求めました。当店自慢の「西山コロッケ」が欲しかったのですが、まだ空腹ではないので今回は見送りました。ここから、旧国道8号線(武生市内で分かれ、一方は8号線バイパスとなります)で、武生市内に戻り、国道365号線で旧南条町から旧今庄町を経由して敦賀市内に戻って来ました。さて、昨夜の安曇川では「中秋の名月」が綺麗に見えて、少し感動をしましたが月の引力が大きくなると天変地異が起きやすくなるそうで不安です。そう言えば、人の誕生も死亡も月の支配を受けているそうで(科学的根拠はありません)太陽よりも影響力がありそうです。今まで知りませんでしたが、地球を回る月が楕円形の軌道だそうで、今夜は「スーパームーン」と呼ばれ、いつもより20%大きい月が見られるそうです。(写真は、泰澄の杜の玄関と、あなたは知っていますか福井弁の解説と、館内で売られていたブドウです)
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