温暖化の次は寒冷化?
2015/11/25
「地球温暖化の原因となっている二酸化炭素などの温室効果ガス。宇宙から観測する衛星データから、地球全体の大気中の二酸化炭素濃度が先週、発表されました。上昇傾向が続けば二酸化炭素濃度は産業革命前に比べて40%以上増加する見込みだと予測します。すでに地球温暖化が自然生態系や人間社会に影響を与えていることがわかっています。現在進行中の気候変動(地球温暖化)と過去の気候変動との大きな違いは「スピード」です。(鬼頭昭雄著『異常気象と地球温暖化』)。今対策を始めないと、子や孫の世代だけでなく、自分自身の世代にも「後悔する」と同書は警告します。化石燃料から再生エネルギー源への世界的な転換を描いた『大転換』(レスター・ブラウンほか著)は「私たちはレースのまっただ中にいる」といいます。世界の経済が、風力やソーラーにすばやく移行し、気象変動が制御不能になる限界点を超えるのを回避できるのか。暑さで人類がゆだるまで化石燃料を掘り尽くそうと進み続けるのか。さらに原子力もコストが高すぎて使えなくなりつつあると指摘します。「近年の世界的な原子力発電の減少は、一時的な落ち込みではなく、原子力発電の終わりの始まりなのだ」と。原発に固執し、温室効果ガス排出の主な原因である石炭発電を維持し、再生可能エネルギーを抑制する安倍政権の逆立ちぶりが際立ちます。温室効果ガスの上昇をいかに抑えるか。対策の枠組みについて国際会議、COP21が月末から開かれます。」(25日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 先日、NHKBS1を見ていたら、アフリカにあるキリマンジャロの氷河が減少し、10年後には完全に無くなるとのお話でした。ただ、面白い話は温暖化が進めば、海底深層水の動きが弱まり、やがて停止すれば地球規模で寒冷化が進むそうです。カナダや北アメリカ、ヨーロッパでは、氷に囲まれた都市になるそうで、人類の新たな戦いとなると締めくくっていました。さて、11月も残すところ5日程度になりましたが、ここ2〜3日は時雨模様の天気が続いています。27日(金)は、大阪・梅田まで出かけて、今年初めてのミニ忘年会(3名だけです)を行う予定です。(写真は、豊後大野市・原尻の滝で行われていた「かがしコンクール」ですが、金色夜叉の寛一とお宮と、三宮(二宮をもじって)金治郎と、「ふるさとに帰っておいで」がテーマのものもありました)
大分県・豊後大野市の旅C。
2015/11/22
14日(土)は、いよいよ帰路に着くことになりましたが、今度はいつこれるだろうかと考えながら荷物を車に積み込みました。帰りは熊本空港発の飛行機でしたので、約2時間の道のりを考えて、午前9時に出発しました。昨日、阿蘇市に向かったのと同じ国道57号線を西に向かいましたが、大分県では時々日差しがあったのに、熊本県側に入ると雲行きがあやしくなりました。少し時間があると言うので南阿蘇の方に向かい、阿蘇山をぐるっと回りましたが、頂上は一度も見る事はありませんでした。熊本空港には、午前11時15分に到着し、弟は「まだ、ピーマンの収穫が残っている」と言うので、送迎用の駐車場で別れました。空港では、またまたJALの係員が車椅子で迎えてくれました。午前12時20分発まで、40分ほど時間がありましたので、「コーヒーブレイク」を取りながら、お土産物を探していました。往路のセキュリティが厳しく、母親でさえデイチェックがあり、しかも私の荷物から「ライターが見つかりました」と言われました。「そんな物は、往路から持っていましたよ」と言うと、「規則で、ライターは一人一つです」と言われ、一つを嫁さんに手渡しました。「えらい、セキュリティが厳しいな」と言うと、「パリでテロがあったからと違うか?」と息子が言いました。ようやくのこと、搭乗口にたどり着きましたが、濃霧の影響で飛行機の到着が10分程度遅れていました。「天候が悪いから、揺れないか心配やなあ」と思いながら乗り込みましたが、私の席は通路側だったので何も見えませんでした。順調に離陸し、水平飛行に移った時、「お飲み物のサービスです」と客室乗務員が配り始めました。そして、飛行機が再び着陸のため降下を始めた時、一瞬ですが乱気流?に巻き込まれ、10b以上は落ちたと思われます。配られた飲み物が、天井まで塗らし、服にも飛んだ方もありました。「キャー」と言う悲鳴も上がり、ちょっとしたパニックになりました。その後も機体は揺れ、伊丹空港に無事に下りられた時は、「死ぬかと思った」と口々に話していました。到着した伊丹空港でも、JALの職員が車椅子で迎えに来てくれて、本当に頭の下がる思いでした。空港で遅い昼食を摂りながら、「怖かったわ。もう飛行機はいやや」と母親がこぼしましたし、息子も「海外旅行も含め、何回も乗ったけど、あんな思いをしたのは初めてや」と言います。最後に、少し汚点になりましたが、「終わりよければすべてよし」の思いで、京都駅前行きのバスに乗り込みました。(写真は、雨に煙る阿蘇山のあるはずの景色と、阿蘇駅のレトロな雰囲気と、荒れ模様の熊本空港の景色です)
大分県・豊後大野市の旅B。
2015/11/19
14日(金)は、前日までの晴天が嘘のように、朝から雨がしとしとと降っていました。みんな昨日の観光巡り疲れか、どことなくぼんやりと過ごしていました。弟は、農園のピーマンの収穫に出かけると言うので、息子が「おれも何か手伝うわ」と言って一緒に出かけて行きました。残された私は、かつて沖電気で一緒に働いていたS君に連絡を取り、「今日は、仕事が休みなので午後2時以降なら時間が取れるわ」との返事に気を良くして、「今から、熊本県・阿蘇市まで行ってくるわ」と宣言し、時刻表をお借りしました。ところが、JR豊肥線はお隣の竹田市止まりがほとんどで、次に乗れるのは午後1時過ぎの「特急ひのくに」しかありませんでした。「これで行っても、向こうに1時間ほどしかいられないわ」と別の方法が無いか訊ねました。「熊本行きの特急バスがある」と調べてもらい、それが自宅から10分のバス停に止まると言うことが分かりました。定刻の午前12時24分より遅れること10分(いつも遅れているそうです)、ようやくバスに乗り込めました。乗客は10名ほどしか無く、ゆったりとしていますが、これでは赤字は間違いなさそうです。阿蘇の外輪山から阿蘇平野に入りましたが、懐かしい光景が見えて来て、前回から5年が経過している事が嘘のようでした。JR阿蘇駅で、S君が待っていて無事に出会うことが出来ました。雨の中歩くのも億劫だし、何よりも時間が限られているので、駅に隣接するレストラン(食堂?)で昼食を摂りながら近況を話しました。「俺たちが車で来た時、妹さんが亡くなって直ぐやったね」「それから1年もせず、お父さんが亡くなったね」と話し、「うちも8月に父親が亡くなってん」「あれから5年も経ったのに、昨日の事のようやね」と話が盛り上がりました。「時間があるなら、うちの家に来ない?」と言われ、言葉に甘える事にしました。外は相変わらず雨が降り続いていて、阿蘇山の雄大な姿も雲に隠れて見えませんでした。友人の自宅で、お母さんが入れたお茶を飲みながら、昔話に花が咲きました。阿蘇市での滞在時間の3時間が過ぎ、阿蘇駅の隣の宮地駅まで送ってもらいましたが一両編成の竹田市行きの列車が止まっていました。「会えて良かったよ」「また、滋賀県にも来てよ」と言いながら別れました。午後4時55分発でしたので、次第に夜が迫って来て、列車の窓からは何も見るこ事が出来ませんでした。最寄りの朝地駅には、嫁さんが迎えに来ていて午後6時30分に自宅に到着しました。今夜の夕食は、地鳥の鍋になっていて、明日のお別れを考えると「最後の晩餐」となりましたので、みんなで乾杯をして再会を誓いました。(写真は、も一つの名所である沈堕の滝と、長湯温泉「御前湯」の玄関と、阿蘇からの帰路に乗った赤いボディが可愛い豊肥線の普通列車です)
大分県・豊後大野市の旅A。
2015/11/17
12日(木)の朝仁なり、自宅周辺の風景が見えましたが、東西南北のどの方向も山しか見えず「「朽木村」とよく似たところや」と言う弟の言葉が理解できました。今日は、まず最初に「ピーマン」の栽培に力を入れている農園を見学することになり車で10分ほどの距離に行く事になりました。「今年は、まずまずの出来で、およそ400万円の収入になった」「来年は、もう少し広げて600万円を目指す予定です」との弟の話に、「そら、メガネ屋よりも儲かるな」と心の中で思いました。それにしても、周りは広大な農場で、まるで北海道の富良野の様な状況で、ただ驚くばかりでした。豊後大野市の農業予算は、飛び抜けて大きく、町の基幹産業になっているそうです。温室の隣に作業場がありましたが、そこに200万以上はするだろう「トラックター」が置いてありましたが、それも100万円の補助があったそうです。「まあ、至れり、尽くせりやなあ」と思いましたが、夏場は45℃以上になる「ハウス栽培」は、過酷な労働で気分が悪くなる事もあるそうです。農園の視察が終わり、豊後大野市の周辺の観光地を案内してもらいました。最初は、「原尻の滝」と言う場所でしたが、遠目には小さく感じましたが、近づくとなかなか迫力のある名瀑でした。「これはすごいわ」「こんな平地にあるのを見たことが無いわ」と思わず興奮し、滝を見とれてしまいました。地元の人らしい方が話しかけてきて、「高さは20bほどあります」「小さい頃は、あの滝の上から飛び込んだものです」との事でした。「それって、郡上八幡の子どもが飛び込む姿と一緒ですね」と答えておきました。滝の周りの公園では、「かかしコンクール」が行われていて、ユニークな「かかし」の姿に笑ってしまいました。ここから、もう一つの滝である「沈堕(ちんだ)の滝」にも立ち寄りましたが、こちらは数十年前まで発電設備があり、少し人工的な感じがしました。豊後大野市・清川地区(旧清川村)の道の駅「夢市場」に立ち寄ると、「カボス」が販売されていて、20個ほどが入った袋が200円でした。「これは安いわ!」と荷物になるのに3袋も買う嫁さんの姿がありました。道の駅の向かいにあるお店の看板が、「とり天・唐揚げ」と書いてあるので、「ここでは、あれが名物か?」と弟に聞くと、「豊後大野市ではこんな店が沢山有るで」との返事でした。「そうや、今夜の夕食は「とり天・唐揚げ」にしょう」と言う結論になりました。一旦自宅に戻り、昼食は、「高菜漬けのチャーハン+赤ピーマン入り」をご馳走になりましたが、見た目は辛そうなのに青いピーマンと味は変わりませんでした。午後からは、竹田(たけたと読み濁りません)市にある長湯温泉に向かいました。〒878ー0402 大分県竹田市直入町大字長湯7962-1 п@0974ー64ー1400 温泉療養・文明館「御前湯」(ごぜんゆ)入浴料 大人500円 定休日 第3水曜日のみ 別府IC 60分 阿蘇 50分 お湯は白く濁っていて足元が見えないくらいですが、温泉は源泉掛け流しだそうです。温泉のすぐ横に清流が流れ、鴨が泳いでいました。「どこから来られたの?」と入浴客に聞かれ、「滋賀県からです」と答えると、「それは、遠くからよく来られましたね」とのお返事でした。もう一度来ることは無いだろうなと思うと、なぜか旅情を感じました。せっかくその気になっているのに、「風呂上がりはコーヒー牛乳やで」と言いながら、弟が瓶を持って来てくれました。もう陽も暮れて、次第に暗闇が迫る道を急ぎながら帰路につきました。夕食は、「鶏のもも肉の唐揚げ、とり天・鶏の唐揚げ」の鶏づくしで、今宵もお酒が進み2日目の夜が過ぎて行きました。(写真は、ハウス栽培のピーマですが長さ50メートルあるそうですと、かかし祭りに人間が一人加わったのと、名瀑dと感じられる「原尻の滝」です)
大分県・豊後大野市の旅@。
2015/11/15
11日(水)から14日(土)までの三泊四日の旅に、嫁さんと母親の3人で弟が農業のために移住した豊後大野市まで出かけて来ました。今年88歳になる母親の事を考えて、新幹線にするか飛行機にするか随分と悩みましたが、調べた結果飛行機の方が負担が少なく、料金が安かったので決めました。京都駅までは、湖西線で移動し京都駅からエアポートバスで伊丹空港に向かいました。空港に到着したのは、午前12時過ぎでしたので、大分空港行きは、午後2時20分と2時間余りの余裕がありましたので、休憩も兼ねて昼食を摂りました。空港で車椅子を借りると、JALの職員が付き添ってくれ、頭が下がる思いでした。しかも、一番先に搭乗させてもらい、なんだか申し訳ない気持ちになりました。この日は、朝から快晴で楽しい飛行機旅になりそうで、ほとんど揺れることもなく瀬戸内海の景色が見え、わずか50分で大分空港に着陸しました。「やっぱり、飛行機は速いなあ!」と感じさせましたが、大分空港でも連絡されていて車椅子に職員が付き添いなんと駐車場まで送って頂きました。ここから弟の車で、豊後大野市に向かうのですが、約2時間ほどかかると言われ、別府湾が望めるサービスリアで小休止を摂りました。久しぶりに見る別府湾と立ち上る湯気と猿で有名な高崎山が望めました。写真を撮っていると、中国人の団体が来て何やら騒々しくなりその場を離れました。大分空港から約2時間の時間が経過していましたので、豊後大野市の自宅に到着した時は、すっかり暗くなり周りの景色が分からなくなっていました。取りあえず一風呂浴びて夕食となりましたが、ここで息子が別便で合流したので賑やかになりました。豊後大野市は、山の中にあるのですが、用意された「お刺身」は、新鮮で美味しく大阪でも手に入らないだろうなと思いました。酒の好きな私と弟は、ビールから日本酒と飲み物を変え、最後は焼酎となりました。明日はどこに行くかとの打ち合わせをして、午前0時に床に入りましたが、疲れもあったのかほとんど目覚めることも無く爆睡してしまいました。(写真は、飛行機の窓から見た景色と、大分空港の玄関口と、別府湾と別府市内と高崎山を望む景色です)
大分県・豊後大野市に行きます。
2015/11/10
前回に書いた店長日記の「いのちを奪う・原発」の続きです。「二年ほど前にも、大飯原発にいた子だったな、二十歳過ぎで放射線体内被曝して、一年くらいで死んでしまったって話を聞いたよ。若いから癌が広がるのも早いかもしれないが、それにしても、最近はいったいどんな工事をさせているんだろう?」「若狭出身の女性が都会の大学を出て恋愛して結婚の話が出た時、相手の男性の親御さんかが「若狭の女性と結婚するんじゃない」ということで、破談になったということを聞いたことがあります。」「地元の家を継ごうとする若い女性たちやその親御さんたちには、結婚に関して一つの願望があるのですよ。それは関西電力の正社員との結婚です。若狭地域においては関西電力がトップレベルの企業ってことになっているわけですから。で、関西電力は次男・三男の社員をこちらに来させていて、地元の娘さんと結婚させる。これは関西電力の戦略なんです。」「その35万人(放管手帳所持者)の中の一人として言わせてもらえば、僕らには僕らのプライドがあるんです。僕たちがやらなければあなたたたちは電気を使えないんだから。もう少しそのことを考えてほしいな。はっきり言って、俺たちには職人のプライドっていうものがあるんだから。もう少しどころじゃない、もっともっと考えてほしい。あなたたちは何気なく電気を使って良い目にあったかもしれないけど、だけどあなたたちのために僕たちは原発の中に入って、被曝して一生懸命働いているんですよって。」「だけど、誰かが、たとえ一人でも言い出さなければいけないんです。原発の中で働いている人はみんな思っているんだよ、こういうふうに。とにかく事実を言い出さなければいけないんです。」本をほとんど読み終わりましたが、そこにあるのは「差別」そのものの様な気がします。しかし、「原発依存」の自治体は、補助金と言う「麻薬中毒」になり、将来の展望や計画を持てていないのも事実です。さて、明日から14日まで、弟が農業をするため入植した(古いか?)大分県・豊後大野市に行って来ます。従って、次の「店長日記」は15日以降になりますのでご了承下さい。(写真は、仮装をして演奏する安曇川高校吹奏楽部と、町内をパレードする安曇川中学吹奏楽部と、ゲームの世界から飛び出した様な姿の参加者です)
ドキュメント75「再稼働元年U」。
2015/11/08
日本系 深夜1時05分「8月に再稼働が強行された鹿児島県の川内原発と、先月、再稼働の同意がなされた愛媛県の伊方原発。その地元の今に迫りました。福島第一原発事故後も、何ら変わっていない自治体トップや国の姿が浮かびます。鹿児島県いちき串木野市の北部地域は川内原発からわずか5・5qの集落。しかし立地自治体ではないとして九州電力から再稼働の通達はなく、直前になって自治会長のもとに届いたのはなんと「見学案内」でした。一方の伊方原発は四国から九州方面にのびる佐田岬半島の付け根に位置します。半島を統括する伊方町は3町合併に自治体ですが、町の機能が原発の東側にある旧伊方町以外は、避難時も原発のそばを抜けるか、船を待つしかありません。町長は「小さな町なので意見はいつでも聞ける」と住民説明会も開いてきませんでした。放射能被害は自治体の境界や円状に線引きできないことが明らかであるにもかかわらず、知事や政府は教訓に学ばないままです。伊方町の女性はいいます。「津波が来て事故が起これば死ぬしかない」。地元を絶望させてまで再稼働を優先するのかー番組は静かに訴えます。」(8日付けしんぶん赤旗「試写室」より) 最近、友人(お坊さん)から頂いた本に「いのちを奪う・原発」(発行・東本願寺)驚く様な内容が書かれていました。その一つが「浜岡原発」で働いていた息子さんを「白血病」で亡くしたお母さんの手記です。放射線管理手帳(放管手帳)により、労災認定を勝ち取りました。そして、その二が、放管手帳を所持して働いていてきた人はこれまで実質で35万人もいることです。福島第1原発の事故処理でさらにその数が増えていることです。その三は、「早く結婚して子どもを作れ、でないと恐ろしいぞ、後が」「地元の者にあんまり手を出すなよ」「飲みに行って遊ぶのはいいけれど、女の子とつきあってもよく考えろよ」もし例えば県外から来たのなら、なるべくなら同郷の女の子を連れてきて結婚して子どもを作った方が、少しでもいいんじゃないかって。原発ができて、その周辺の人たちは、もう少なからずある程度被爆しているんだから。だから両方が被爆者同士だったら、もっと悲惨だよ。それから、大飯原発の対岸部の女性には甲状腺の具合の悪い人がよくいるので、その原因を調べてほしいという声があるのですね。小浜病院にはとにかく癌患者が集中してきているようですね。等々 まだ半分ほどしか読んでいませんが、今まで気にもとめずに小浜市内に遊びに行っていたのですが、よく考えて行動しょうと思います。(写真は、敦賀新港に停泊中の「新日本海フェリー」と、この日の釣果である子アジが泳いでいましたと、天候に恵まれ楽しそうに釣りをする人々です)
かわだ温泉「La Pause・Kawada」。
2015/11/05
4日(水)は、長女の帰省に合わせて、お出かけをして来ましたが、今回は「ラポーゼ・かわだ」と決めていました。冒頭の題名は、施設で頂いたパンフレットに書かれていたので、それから引用しましたが、実際の施設は「こてこての和風」ですので安心して下さい。さて、いつものように「敦賀・鞠山海釣り公園」に立ち寄りましたが、駐車場が満杯で車を置くのに苦心しました。早朝には20pほどのアジが釣れたそうですが、私たちが着いた頃は10〜15pほどのアジが中心でした。違う釣り人は、サヨリを釣っていましたが、例年に比べ成長が遅く20pの鉛筆大しかありません。「気候も良いし、何でも釣れていたら楽しいやろう」「俺たちも今年一度も釣りに来ていないので、余計に面白く見えるな」と言いながら「鞠山・海釣り公園」を後にしました。ここからは、いつも様に国道8号線を利用して、途中敦賀市・杉津地区から「しおかぜライン」を通り旧河野村から再び国道8号線に戻りました。本日は自宅を出たのが遅かったので、越前市で午前11時を過ぎていたので、少し早いですが、鯖江市にある「はま寿司」で昼食としました。昼食が終わると午前12時となっていたので、「ラポーゼ・かわだ」に着いたのは、ちょうど午前12時30分でした。午後1時30分に出てくる約束で別れ、それぞれのお湯に入りました。少し紅葉には早かったのですが、それでも「イチョウ」や「サクラ」は見頃を迎えていました。〒916-1235 福井県鯖江市上河内町19ー37-2 п@0778-65ー2761 (自動車)北陸自動車道鯖江ICより約15分 JR鯖江駅より約20分(12q) (休館日)奇数月の第一火曜日 入浴料 大人600円 なお、宿泊施設もありますので遠路から来られる方にも安心です。 お風呂上がりに、長女はアイスクリームを買ってもらいご機嫌でした。ここまで来ると「越前うるしの里」に立ち寄るのですが、今回は時間が遅くなったので見送る事にしました。ところで、安曇川に来てから出来た「飲み友達」が、67歳で急死しました。「兄貴分」的な存在だったので、ショックが大きく、先ほど面会し「死んだらあかんやろう」と言っておきました。(写真は、多くの釣り人で賑わう「鞠山・海釣り公園」と、ラポーゼ・かわだの玄関付近と、青空に紅葉が美しい付近の景色です)
「ハロウィンザ南市」がありました。
2015/11/01
本日、11月1日は「ハロウィンザ南市」が行われ、お店の前の道路は歩行者天国(お店には地獄?)になりました。この様な催しは初めての経験で、本業は休業して「あてもの」(ガラポン)を1個50円で販売しました。正直に言うと、10個も売れれば良いと思っていたのですが、結果的には50個以上も売れて完売と言うほど好評でした。おまけに、買った小学生が私の代わりに、「お店番」をしてくれて賑やかに?過ごすことが出来ました。本日のお店の売り上げは「0(ゼロ)」でしたが、店に関心を持ってもらっただけで大きな収穫になりそうでした。さて、10月30日〜31日にかけて、会社の元同僚と「信貴山温泉・信貴山観光ホテル」に泊まり、「ミニ宴会」を行いました。大阪に住んでいた時も行かなかったので、初めての訪問となりましたが、なかなか良い温泉でした。最初は、近況を話し、「息子が結婚したのや」「それも、6歳も年上や」と聞き、「そんな話を以前聞いたわ」ともう一人に目配せすると、「うちは、子連れやったから大変やった」と話すので、また思い出して大笑いしてしまいました。(失礼しました)夕食後は部屋に戻り、「バーボン」を飲みながら思い出話に花が咲き、午前0時まで延々と続きました。翌朝は、メンバーの一人が、午後0時までに名古屋に行くことになっており、JR王寺駅を午前9時に別れてそれぞれの家路に着きました。ところで、今日から11月に入りましたが、カレンダーも残り2枚となると今年も終わりが近いと感じられます。もうすぐ「高島しぐれ」の時期になり、洗濯物が外で干せなくなる時期になります。(写真は、仮装した子ども達のパレードと、安曇川中学と安曇川高校との初めての合同演奏です)
七五三とお宮参り。
2015/10/29
「青森県六カ所村にある使用済み核燃料の日本原電・再処理工場を見る機会がありました。サッカー場なら100個分に相当する広い敷地に、ウラン濃縮工場や、原発を解体した時に出る放射性廃棄物を埋蔵する施設などが建っています。再処理工場は原発から出る使用済み核燃料からウランと、毒性の強いプルトニウムを取り出す施設。政府が「核燃料リサイクル」の柱に位置づけ、1993年に着工しましたが、事故やトラブルが相次ぎ、22年たっても完成していません。使用済み核燃料を全国の原発から受け入れて貯蔵するプールを窓越しに見下ろしました。再処理のめどが立っていないため、プール内の使用済み核燃料は「満杯に近い」状態。各地の原発敷地内にも使用済み核燃料が貯蔵されたまま、数年で満杯になるところさえあります。出力100万㌗の原発1基が再稼働すれば年間21dの使用済み核燃料が新たに発生すると、案内者が説明していました。使用済み核燃料は、要するに”死の灰”の塊です。その後始末も見通せていないのに、原発の再稼働を進める安倍政権と電力会社の無謀さ。政府は今月、使用済み核燃料の貯蔵能力を拡大する原発のある自治体に新たに交付金を出す方針を決めました。原発を再稼働した自治体に交付金を増やそうとしていることに続く、あからさまな再稼働促進策です。安倍首相は「原発依存度は可能な限り低減させる」と繰り返しています。その言葉のしらじらしさ。国民はとっくに見抜いていますが。(29日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 28日(水)は、孫の長女の七五三参りと、長男のお宮参りに草津市内にある「立木神社」まで行って来ました。ちょうど、長女のお宮参り以来ですので、はや三年が経過した事になります。着物着せてもらった長女は、最初は「おしとやか」にしていたのですが、だんだんと地が出て、写真を撮られるのも拒否してしまいました。お昼を食べるために立ち寄ったお店で洋服に着替えると、不機嫌が直りました。さて、明日の午後から、奈良県・王寺町で、会社のOB有志が集まり「飲み会」が行われます。去年は、滋賀県・「雄琴温泉」で行ったのですが、あれから1年が経過したとは思えないほど早かったです。(写真は、静かな立木神社の境内と、綺麗に咲いた菊が見事だったのと、最初はご機嫌な孫の晴れ着です)
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