農村の再生。
2015/12/25
「「農村」を舞台にした近年のドラマの多くは農業自体がテーマになっています。今年は存続が危ぶまれる「限界集落」の再生を描く作品が登場。「限界集落株式会社」(NHK)は、有機農業に挫折し、村も家族も捨て都会で暮らした男(反町隆史)が村に戻り、再び農業にとりくむ物語です。ドラマを動かすのは、経営コンサルタントを名乗る男(谷原章介)。村を救うには、、株式会社をつくる必要があると説きます。物語の底には、大地に働きかけ、恵みをいただく作業への敬意がありました。「ナポレオンの村」(TBS系)は、やり手の公務員(唐沢寿明)が廃村寸前の村をアイデアと行動力で変えていく”村おこし物語”。かなり漫画チックでしたが、効率優先の敵役と対決し「そこにしかない価値」を見つけてゆく展開に爽快感がありました。農村の困難の中に日本社会のゆがみを見る視点が作品の質を決めます。新自由主義的な競争原理とは異なった価値観が立ち上がってくるとがぜん深みが増します。農村には、声高に叫ばれる「強い、攻めの農業」とは違う、確かな可能性があることも示しました。多彩な農村ドラマがもっと生まれてほしい。」(25日付けしんぶん赤旗「試写室」より) 私も「限界集落株式会社」は全編を観ましたが、厳しさの中に希望が見出されました。有機栽培にこだわる主人公と、怪しげな経営コンサウタントとの駆け引きが話を盛り上げていました。だだ、実際の農業はもっと厳しい状況に置かれていて、「耕作放棄」がどんどんと広がっています。特に、朽木村における人口は30年前2400人を超えていたのですが、現在はわずか1900人まで減少しています。その原因の大きな理由は「国産材」の価格の低迷です。かって、分校があった能家地区では、田んぼをつぶして杉を植えるなどしましたが、まったくもくろみが外れました。「昔は、子どもだけで100人はいたよ」「この地区も時間の問題で、住人がいなくなるよ」とのお話でした。今は、6所帯7名しかおられませんが、廃校になった分校から子どもの声が聞こえた気がするのは、私の空耳でしょうか?さて、昨夜は友人と飲みに出かけましたが、今夜も飲みの行こうと誘われています。「どうしょうかな?」と嫁さんに相談したら、「行って来たら」と珍しく良い返事が返って来ました。(写真は、初雪で白くなった蛇ヶ峰と、びわこ水族館の広場と、施設案内の看板です)
サツマイモ入りソフトクリームがお薦めです。
2015/12/23
21日(月)は、嫁さんの高島市の12月議会がようやく終了したので、長女の帰省に合わせてお休みを頂き湖東方面を目指しました。マキノ町にある道の駅「追坂峠」まで来ると、雨がポツポツと降り出し、これでは当初思っていた「散策」は難しくなり、「どうしょうか?」と考えながら車を走らせました。木之本町に入る手前で湖周道路に入りましたが、雨は強くなって来ました。いつもの「南浜ぶどう園」の売店に立ち寄り小休止しましたが、ここで小さなトラブルがありました。いつもの様に「野菜」をデジカメで撮影していると、係の人が来て「撮影はお断りしています」と申します。もう、何度も撮影していて注意された事も無いので、「撮影がダメなら、どこかに撮影禁止の看板でも出したらどうですか?」と言いましたら、無言で引き上げて行きました。車に戻ってその話を嫁さんにすると、「今時、ツイッターやフェイスブックで書き込みをするからお客が増えるのに」「無料で宣伝してもらってるのと同じやのに」と言います。「そもそも、写真を撮られることで何かデメリットがあるのでしょうか?」「それは、魚などの生ものであり、包装もされていないなら気が咎めるけど」「ビニール袋に入った野菜が痛むはずも無いのに」と疑問がありましたし、今まで係員がいる前で撮影していても何ら注意を受けたことはありません。と言う事で、次回から「南浜ぶどう園」からの写真は送れません。ここから長浜市内を通ると「盆梅展」の看板が見えましたが、もう開催されているのかなとニュースを思い出していました。さらに彦根市内から国道307号線を走り、甲良町にある道の駅「せせらぎの里こうら」で小休止しました。「甲良町と言えば、プレミアム商品券で町長と議長が大量購入で問題になったな?」「あの様なレベルで問題になるなんて悲しくなるね」と話しました。道の駅「せせらぎの里こうら」に来ると必ず買うのが「季節のソフトクリーム」です。夏前には「梅味のソフトクリーム」が爽やかな味で美味しかったのですが、今は「サツマイモ入りソフトクリーム」が売られていて、ほのかな甘みでお薦めです。東近江市まで来ると、ちょうど午前12時を過ぎていましたので、回転寿司の「はま寿司」に入りました。食後は、「滋賀県平和祈念館」に行こうと決めていたのですが、タブレットで調べると月〜火曜日は休館日だそうで断念しました。いつもの様に「竜王町」に向かい、「アグリパーク竜王」でイチゴを買うつもりでしたが、「本日休業」の赤い大きな字が見えて来ました。やむえず、道の駅「かがみの里」に立ち寄り、イチゴを買い求めました。今回は、「温泉」に立ち寄る予定が無いので、そのまま国道8号線を草津市内まで走り、「びわこ水族館」に行こうと思い立ちました。ところが、ここも月曜日は休館日で、ひっそりとして人影はありません。「あまり月曜日に休んだ事があないので気付かなかったけど、休みの所が多いね」と言いながら、シンボルである大きな風車を撮影して帰路につきました。ところで、ラグビー大学選手権第2ステージで、筑波大36ー22同志社で負けてしまいました。昨日、ビデオで再放送を観ましたが、「攻めあぐねている」同志社に対し、筑波大に簡単に得点を与えてしまう悪いパターンがありました。残りの一試合は、大東文化大とですが、もう後がありません。同日行われた、東海大61ー5天理大という結果になり、天理大のベスト4進出は無くなりました。(写真は、うっすらと雪化粧した比良の山々と、南浜ぶどう園で売られていた正月用品と、びわこ水族館になるシンボルの風車です)
初雪が降りました。
2015/12/19
「来年のえとはさる。猿まね、猿知恵、猿芝居と彼らの高い知能を見下すのは人間のおごりでしょう。とは思いつつ、消費税の「軽減税率」や高齢者への「給付金」では「朝三暮四」の話が浮かびます。飼い主がトチの実を朝三つ、夕方四つ与えると猿にいったところ不平を唱えたので、朝四つ、夕方三つにすると言ったら喜んだ。「荘子」に出てきます。消費税率を10%に引き上げる大増税なのに「軽減」。食料品の消費税率を8%に据え置くだけです。減収の穴埋めに「低所得者対策」の取りやめが検討されています。政府が給付金を配ろうとしているのは来年の参院選前後。その後、消費税の再増税を強行します。選挙目当てにしても、あまりに見え透いています。簡単に人をだませると考えているのか。私たちは「朝三暮四」の猿ではありません。国民をさげすめば報いを受けるでしょう。猿は本来、情の深い動物とされてきました。「断腸の思い」という言葉があります。子を人間に奪われた母猿が悲観するあまり、はらわたがちぎれて死んだという中国の故事から来ました。(知らなかったな)「両岸の猿声啼(な)いて尽きざるに」(李白)。詩人は猿の鳴き声に自らの悲しみを投影しました。たたかう猿もいます。奈良の新薬師寺などで薬師如来を守る十二神将は十二支の神。さるの安底羅(あんてら)大将は観音菩薩の化身とされています。民衆の救済に駆けつけます。目を見開いて邪悪な者をにらみつけ、薬つぼを持つ如来を守る神将の姿に、今なすべきことを教えられます。」(19日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 今も、お客さんであり友人の元税務署員と会話していましたが、「このままでは、日本の国が破綻する日も近いで」「もっと、この国が置かれている状況を公表すべきだ」「消費税を上げて、法人税を引き下げるなんて矛盾だらけの税政だと思う」「会社の持っている内部留保金にも課税をすべきだ」とさすがに詳しいお話が聞けました。さて、17日(木)の夜には雨が雪に変わり、初雪となりました。翌朝まで降るかと思っていたのですが、また雨に変わりました。平地での積雪は無かったのですが、比良山系の山々は山頂部が白くなり冬の到来を告げている様でした。(写真は、雲一つ無い快晴の安曇川と、家の庭?に千両が綺麗に実りましたと、鞠山海釣り公園で釣れていたアジです)
天理大が大金星です。
2015/12/17
ラグビーに興味の無い方には、「どうでも良い」話かも知れませんが、関西勢の活躍で今年は少しラグビーが面白くなりそうです。全国大学選手権の第2ステージで、天理大14ー10早稲田の結果となり「大金星」を上げました。もともと、関西リーグの決勝戦で同志社に敗れたものの、点差はわずかで互角の戦いでした。生放送が無かったので、録画を「Jスポーツ」で観ましたが、堅いデフェンスと展開ラグビーで早稲田にチャンスを与えませんでした。また、同志社36ー8慶応大を破り、関西リーグ優勝の貫禄を見せました。どちらのチームも、これから関東の強豪チームと対戦しますが、1月2日に行われる準決勝の進出も夢ではありません。さて、昨日の最高裁判所の判決において、夫婦同姓は「合憲」と判断されましたが、私には今一つ理解できない事があります。そもそも、夫の姓を名乗るのに、それほど抵抗があるのか?だとすると旧姓と同じ氏名の相手を見つけるしかありません。また、職場などでは、戸籍上ではない旧姓を通称名と使えば問題がないのではないでしょうか?それは、「男のエゴ」と呼ばれれば仕方がないですが、私の身近にも、親子で姓名が違う友人がいますが、なんとなく違和感を感じます。ところで、天気予報で今晩から明日にかけて、湖北地方に「雪マーク」が出ました。まあ、すぐに積もるとは思われませんが、最近の荒れた天候では予測がつかないので、念のため冬用タイヤに交換しました。これで、冬の準備は、長靴とスコップを出してくれば大雪が降っても安心です。(写真は、雪つりが終わっていたしきぶ公園と、人影がない和紙の里の光景と、近づいても逃げる様子のない猫です)
しきぶ公園と和紙の里。
2015/12/14
「湯楽里」での食事を終えてから、前から気になっていた「しきぶ公園」を訪ねようと車を走らせました。公園前に無料の駐車場があり、そこから公園内を散策しましたが、手入れが行き届かないからか、池の水が濁っていて、それだけで少し落胆しました。公園内に「紫式部」の銅像が建っているのですが、元々は金色だったと説明されていました。ただ、今は一部が剥げ落ち惨めな?姿になっていました。「市に予算が無いのは分かるけど、これではあまりにひどいね」「それでも、庭木を雪から保護する「ゆきつり」だけは準備が終わっているけど」と話ながら車に戻りました。「次は、久しぶりに「和紙の里」まで行こうか?」と相談して、車で20分ほどの距離を走りました。見覚えのある景色が見えてくると、何となくワクワクして来ました。ところが、観光客らしき人がまったく見えず、売店も大半は閉まったままでした。「以前来た時は、この散策道も人で一杯だったのに」「しかも、そばに流れる小川には、金魚や鯉が泳いでいたのに」「なぜ、川の水を止めたのだろうか?」「あのブームの様に和紙の里を訪れ原因は何だったんだろう?」と半ばぼやきながら「和紙の里」を後にしました。「そい言えば、ETCカードを使用しないから無効になるとハガキが来ていたな」「ここ武生市から、敦賀市まで北陸道を走るわ」と言うことになりました。「これで、私のカードは無効を逃れたわ」「今度は、あんたのカードで三方町から小浜市内まで走るわ」と舞鶴・若狭自動車道を走りました。曇り空だったのが、小浜市内に入ると、雨がポツポツ降り出しました。まだ、午後4時30分でしたが、辺りはすっかく暗くなってきましたので帰路を急ぎました。さて、昨夜は久しぶりに友人と飲みに出かけましたが、どこのお店もお客がありません。もうすぐ今年も終わると言うのに、盛り上がりの無い街の光景でした。(写真は、しきぶ公園にある紫式部の銅像と、その由来が書かれた案内板と、近くの売店内に飾られていた紫式部です)
ボルガライスを食べました。
2015/12/11
10日(木)は、嫁さんの議会の関係で一日遅れのお休みを頂き、長女の帰省に伴い、敦賀市方面を目指しました。敦賀市に来ると必ず立ち寄る「鞠山・海釣り公園」ですが、意外と釣り人が少なく閑散としていました。「あまり釣れていない様だね」「そろそろ、サヨリが大きくなっていそうだけど、今年もダメかな」と言いながら釣果を確かめました。足元では、あまりかんばしくありませんが、「飛ばしウキ仕掛け」と呼ばれる30mほど離れた場所では、20pを超えるアジがコンスタントに釣れていました。「この大きさならいいなあ」「これなら、塩焼きでもタタキでもいけそうやな」と話しかけると、釣り人は自慢げな表情になりました。相変わらず「温泉スタンプラリー」を続けている関係で、本日は、いつも水曜日定休の「しきぶ温泉・湯楽里」に行くことになりました。国道8号線を杉津(すいつ)地区から、「しおかぜライン」を走ります。あちらこちらで、「越前カニ」の幟が目立ちますが、とても高価で庶民には縁遠いものとなりました。南越前町(旧河野村)から、再び国道8号線に戻り、越前市(旧武生市)に入る手前を左折すれば目的の「しきぶ温泉・湯楽里」があります。平日の午前11時だと言うのに、駐車場はほぼ満車でしたから、かなりの人出が予想されました。ところが、男湯はガラガラで、入浴客は10名にも満たないほどでした。本日の日替わり温泉は、「オレンジの湯」で、甘い香りがしていて、切り傷や火傷に効くと書いてありました。入浴後、待合室に行くと女性が8割で、男性が2割となっていて、「女湯は混雑していたわ」と嫁さんが言います。「女同士は誘い合って来るけど、男同士は、そんなこと滅多に無いな」と感想を述べていました。館内にあるレストランで、長女の最大の楽しみである昼食を摂る事になりました。私たち夫婦は「ボルガライス」を注文、長女は「新そば」と「パンケーキ」が良いと指さししますのでその通りにしました。さて、「ボルガライス」とは、ライスの上にチーズ味の卵が乗っていて、さらにトンカツとトマトケチャップが添えられています。「何か和風でも洋風でもない微妙な味やね」「特別、喜んで注文するものでも無いな」と評判はいまいちの評価でした。(写真は、大きなアジを釣っていた白いコートのおじさんと、ボルガライスのポスターと、その実物ですが価格は950円でした)
同窓会は楽しかった。
2015/12/08
「英国首相チャーチルが戦争の勝利を確信し、米国務次官補のアチソンが「これ以上の愚策は想像もできなかった」と語った日本の真珠湾攻撃。元外務相高官の孫崎亨(うける)さんは自署『日米開戦の正体』で、当時の発言を引きながら「史上最悪の愚挙」を描いています。日本を破滅へ加速させた「12・8」。それは、アジアで2000万人の犠牲者を出した、日本の戦争の終わりを告げる号砲でもありました。「演習ではない。本当の空襲だ」。そのとき、ハワイのパールハーバーは日曜の朝を迎えていました。奇襲によって目覚めた街はパニックと化し、数多くの軍艦とともに民間人を含む2400人の命が奪われました。同時に、アジア大陸の最南端でも戦端を開き、無謀な戦争を拡大していった日本。悲惨な末路は戦後70年の今年、改めて多くのメデイアで取り上げられました。その一方で日本の戦争犯罪を問うものはほとんどありませんでした。自国の戦争責任を徹底して追求し、いまやEU(欧州連合)の中心に座るドイツ。いまだに過去と向き合えず、近隣諸国から信頼を得られない日本。政治の姿勢が”加害者”としての罪をあいまいにしています。「発言すべきことを発言できる社会を確保し、維持していく」。孫崎さんは真珠湾への道に突き進んでいった教訓をあげます。いま戦争法の廃止に立ち上がる若者や母親、そして多くの市民たち。彼らの声は、あの戦争によって傷つけられた人びとの苦しみに寄り添っています。(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 同窓会参加のため、4日(金)は、2週続けて大阪に行くことになりましたが、午後7時に大東市・住道駅前でしたので、安曇川を午後4時18分発の新快速に乗りました。京都駅で午後5時になり、すっかり車窓は夜の景色です。住道駅には午後6時20分に到着しましたが、少し早いので「イルミネーション」が綺麗なので撮影したり、お店を探索したりしました。会場には午後6時50分に入ると、ほぼ参加者が出そろっていました。今回が卒業以来初めてと言う、S君や、T君や、N君や、S君など4名もいました。お酒をつぐのも初めてなので、「強いのか?弱いのか?」も分かりません。50年近くの歳月を埋めるには、とても時間が足りそうにありませんでした。残念ながら、今回は参加されなかったS先生を見れなかったのは心残りでした。後で聞くと、19名も参加者があったそうで、盛大な会になりました。あっという間に、2時間が過ぎ去り2次会に行く人を残して帰路に着きました。幹事には何度かお願いしたのですが、開会時刻を早めてもらわないと、私の様に遠路の参加者には慌ただしくなってしまいます。さて、今日の安曇川は、雲一つ無い晴天で、穏やかな天候です。天気予報で、雪マークが出たら「冬タイヤ」に交換しなければならないのですが、当分の間は心配がなさそうです。(写真は、住道駅周辺のイルミネーションです)
「虎姫」の名前の由来。
2015/12/04
「湖北の平野部に南北に横たわる虎御前山(とらごぜんやま)(標高約230m)は、歴史上の二つの戦の舞台となった。南北朝時代には足利尊氏と弟の直義の軍が争った八相山(はちそうざん)の戦い(南尾根は別に八相山と呼ばれていた)、そして200年後、織田信長が浅井長政の小谷城攻撃の際に最前線基地として砦(とりで)を築いた場所でもある。陣地跡をめぐるハイキングコースもある。この虎御前山は、虎姫の地名のおこりとなった山で、この山の桃酢谷(ももすだに)に住む虎御前という美しいお姫様の伝説に由来する。姫はこの地に住む世々開長者(せせらぎちょうじゃ)と結婚し、子を身籠(みごもる)るが生まれてきたのはなんと15匹の小蛇。蛇の化身であったわが身を嘆き、姫は山の東にある女性淵(みせがふち)に身を投じてしまう・・・。この伝説に登場する世々開長者は、村の水不足を憂い、私財を投げ打って高時川(たかときがわ)から水を引く大事業を行った人物だが、実在したかどうかはわからない。ただ、中野地区にはこの功績を顕彰する世々開長者疎水(そすい)遺功碑が立っている。雨乞いや水不足、飢饉にまつわる伝説には、竜や蛇がよく登場する。世々開長者の物語も伝承されていく中で、蛇の化身である”虎御前”の物語が生まれてきたのではないだろうか。JR虎姫駅から虎御前山までは徒歩で15分ほど。史跡をたどって伝説と歴史に彩られた山を散策してみよう。」「虎御前山の南尾根にある矢合(やあい)神社の祭神は葦那陀迦神(あしなだかのかみ)。葦の生える水辺を司る神様だ。この地は古くから水利に恵まれなかったため水神が祀(まつ)られたという。世々開長者の「せせらぎ」も水の豊かさを表す語であると由緒碑に記されている。」(クラブケイブン12月号より) 滋賀県に来てから車での移動が多くなり、JRの虎姫駅もまだ立ち寄ったことがありません。よくよく考えると、その他の駅もたまたま近くを通る事はありますが、そこを目的地にしない限りないと思います。さて、今夜は大阪・大東市で「同窓会」があり、午後4時頃の新快速で出かけます。開会が午後7時からとなっているので、帰りは最終電車に遅れない様にしたいと思います。(写真は、ほうれん草が植えられた畑と、かかしコンクールの参加作品と、原尻の滝の上流から見た景色です)
いよいよ12月になりました。
2015/12/01
「東京の夜空に「サクラセブンズ」の満開の笑顔が浮かびあがりました。初の五輪種目の7人制ラグビーで日本女子がリオの切符を手にしました。「新たな歴史をつくりたい」。彼女たちはこんな思いで予選を勝ち抜いてきました。環境が整っていない女子。ラグビー人口は約3400人で大会も少ない。昨年から長期合宿で力をつけてきました。現在、休職して貯金を取り崩す選手、子育て中で合宿は”単身赴任”というママさんもいます。女子ラグビーの始まりは19世紀後半かそれ以後といわれ、男子にやや遅れます。しかしその後、1970年代後半まで世界に広がらず空白の期間があります。日本の連盟設立も88年です。こうした系譜は女子サッカーと似ています。サッカーは21年、発祥の地イングランドで女子「禁止令」が出ます。これが世界に広がり、半世紀も活躍の場が奪われてしまいます。「女性の体には有害」が表向きの理由。実際は「男子のグランドが足りなくなることと、女子の人気を恐れたから」。英国の研究者ジーン・ウィリアムさんに教えられました。禁止解除は、世界的に女性差別を見直し、社会進出を求める運動が広がった69年。女性スポーツはその権利獲得の歴史を刻み込んでいます。打ち込める条件はいまだ十分ではありません。彼女たちの「歴史をつくる」気概は、ラグビーを愛し、重い扉をこじ開けてきた世界のラガーウーマンの「伝統」を受け継ぐもの。それをさらに前に進める”トライ”でもあるはずです。(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 私も何度か「セブンズラグビー」を見ましたが、未だに何が面白いのかよく分かりません。あのスポーツは、ラグビーであってラグビーでない別な競技だと思います。ただ、それでも世界の実力チーム(特にニュージーランド)とどれほど通用するのか見てみた気はします。先日、飲みに行った「新梅田食堂街」のお店の名は「洋酒・みやけ」と言うそうで、ポケットから名刺が出て来ました。〒530-0017 大阪市北区角田町9番25号 п@06-6313ー4671 営業時間 午後5時〜11時 定休日 日曜 なかなか雰囲気の良い店でしたので、皆さんもお立ち寄り下さい。さて、今日から12月となり、当たり前の事ですがカレンダーが最後になりました。何かいろいろありましたが、それでもやはり早かったなと感じています。(写真は、広大な農地が広がる豊後大野の畑と、原尻の滝のそばで回る水車と、熊本県に入ると「くまもんが」描かれた自販機です。
今日は二日酔いです。
2015/11/28
27日(金)は、午後5時から大阪・梅田で今年初めての忘年会に参加するため、安曇川発15時18分発の網干行き新快速に飛び乗りました。どんどん沈んでゆく夕日に向かう様に電車は走りますが、車窓から見る琵琶湖の風景も、いつもとは違った感覚になりました。予定どおり大阪駅に午後4時30分に到着しましたが、少し時間があったので阪神百貨店の地下にある食料品を見て回りました。いつも立ち寄るはんぺんやちくわの「枡千」は、行列が出来ていて購入を諦めました。お初天神にある「海鮮居酒屋・天狗」に行くと、気の早い友人が入り口で待っていて、二人で店内に入りました。とりあえず「生ビール」と「お刺身の盛り合わせ」を注文し、周りを見渡すと私たちより年配の方が多く、それぞれが楽しそうにジョッキを傾けていました。10分〜20分ほど遅れて2人がやって来て、ようやく4人が揃い「乾杯」をしました。「せっかくやから、2時間飲み放題にしない?」との提案に、「1500円で飲み放題なら、飲み負けしないやろう」と言うことで、全員が賛成しました。話は盛り上がり、料理も次々と注文したのに、会計時には一人4000円ほどで済みました。「さあ、まだ午後7時過ぎやし、もう一軒行くか?」となり、「阪急東通り」や「阪急周辺」をうろうろしましたが、次の店が決まりません。結局、JR高架下のスナックに入り、今日まだ飲んでいなかった「バーボン」をボトルで注文しました。「なかなか雰囲気の良いお店やね」「しかも、一人客ばかりで常連さんが多い店やね」などと、この辺りではまだ記憶はしっかりしていましたが、この後ぐらいから半分夢心地になっていました。この店を出たのが午後9時過ぎ、「俺は腹が減ったわ!」とメンバーの一人が言うので、「泉の広場」近くの「鶏料理」の店に入りました。またまた「生ビール」を注文し、「唐揚げ」をつまみながら、「今度は、みんなで北海道に行こう」「来年の11月でどうだろう?」と意見がまとまりました。すでに、午後10時を過ぎていたので、大阪駅前で解散しそれぞれの家路に着きました。運良く、「びわこ線」でも「湖西線」でも座れて、居眠りしながら安曇川に帰って来たのは、午前0時15分になっていました。今朝、起きようとすると、頭が痛く朝食も入りませんから、「リンゴ」だけをかじりながら出て来ました。お昼にになり、ようやく不快感も取れたので昨夜の友人に電話すると、「私もどうして家に帰ったか覚えていないわ」「あの飲み放題プランで、いつもより早いピッチで飲んでいたものね」と反省することばかりでした。(写真は、豊後大野市・原尻の滝を多様な場所から撮りました)
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