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裁判交流集会記念講演。@
2016/06/24

裁判官は何を考えて裁判をしているのかー第26回裁判勝利をめざす全国交流集会(4月10〜11日)で元裁判官の井戸謙一弁護士が記念講演をおこないました。要約を2回に分けて紹介します。「私は32年間裁判官を務めまして、2011年に退官し、現在は滋賀県で弁護士をしております。(高浜原発訴訟弁護団長)裁判官時代は、地方の裁判所ばかりを巡っていましたので、今日は現場の裁判官がどういう状況にあるのかという話をさせていただきます。問題の根源は戦争責任不問 司法の歴史を振り返ってみると、戦後の司法、裁判官制度の根本的な問題は、裁判官に戦争責任が問われなかったことにあると思います。戦前、治安維持法を適用して、多くの民主主義者や戦争に反対した人たち、あるいは自由主義者に有罪判決を出してきた裁判官たちが、誰一人責任を取ることなく、戦後の日本憲法下において、引き続き裁判官を務めてきました。そのため、日本国憲法では人権条項が豊富に制定されたにもかかわらず、実際の裁判においては、「公共の福祉のためには人権が制約される」と簡単に片付けるような判決がずっと続きました。1960年代になると、新憲法のもとで勉強した若い裁判官たちによって、人権感覚にすぐれた判決が出るようになります。最高裁にまで影響し、1966年には公務員の労働基本権を認める全逓中郵事件最高裁判決が出されました。そういう中で、右翼から裁判所に対する攻撃が始まります。憲法を守ることをスローガンに掲げた青年法律家協会という法律家団体があります。全裁判官2000人のうち、多い時で350人ぐらいの裁判官が加盟していました。1967年、青法協に対し、右翼雑誌『全貌』が「青法協の裁判官は共産党員だ」と、実名を出して攻撃を始めました。当時の法務大臣も、「今まで裁判所には手を出せなかったけれども、これからはそういうわけにはいかない」というような話をしました。その後1971年に宮本康昭裁判官の再任拒否、司法修習生7人の任官拒否がされました。任官拒否されたのはいずれも青法協会員の裁判官でした。さらに任官拒否に抗議した修習生が罷免されたということもあり、このあたりが司法反動の最大の危機的状況だった時期です。当局からの脱退工作もあり、結果的には100人くらいの裁判官が青法協を辞めました。この状況に危機感を抱いた裁判官が、裁判所の実情について話し合おうと、全国裁判官懇話会を作りましたが、雰囲気的には徐々に押されていて、若い人たちが入ってこない中で、裁判官懇話会運動、青法協運動は先細りしてきました。青法協裁判官部会が分離・独立した「如月会」も2000年頃に事実上消滅し、裁判官懇話会も2007年には解散しました。裁判官内部における自主的な組織は、事実上ほぼ消滅しました。」(続く)(2016年6月15日付け救援新聞A面より) ほとんどの人が裁判所と関わりのない生活をしているので、この様な話は新鮮でありますが、裁判官も悩みを抱えているのだと思うと不安でもあります。さて、イギリスがECから離脱するか残留するかの国民投票の結果、離脱派が勝利しそうです。1ドルが100円を割り込みそうだし、株価が1200円も値下がりしています。日本経済も、失速しかねない状況ですが、これからどうなるのか予測がつきません。(写真は、初めて立ち寄った旧愛東町にある「滋賀県平和祈念館」ですが「閉館」の文字が恨めしかったです)

いよいよ参議院選挙です。
2016/06/21

「参院選政策が各党から発表されています。原発について自民党は「安全性を最優先し、原子力規制委員会によって世界最高レベルの新規制基準に適合すると認められた場合・・・再稼働を進める」と明記。新規制基準を持ち出しての「安全神話」です。昨日、運転期間が40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機の運転延長を規制委が認可しました。1号機は2034年11月まで、2号機は35年11月まで運転できるといいます。老朽化原発をいっそう酷使する危険な道に進むことになります。この審査で驚いたことがあります。関電は、原子炉内の構造物の耐震性を評価する際、従来の手法で計算すると許容値を超えるから、と新手法を提案。規制委は新手法が妥当かどうかを確かめるため、実際に設備を揺らす試験を要求したものの、試験は延長認可の後でも構わないと決めたのです。規制委のルールは期限内にすべての審査を終えることであり、期限は7月7日でした。しかし肝心の耐震性の安全性は確かめないまま。「安全性」は二の次です。高浜原発3,4号機の運転停止を命じる仮処分を出した大津地裁が、その執行停止を求めた関電の申し立てを退けました。理由は明快です。福島第1原発事故の原因究明は「道半ば」であり、新規制基準に”合格”したからといって「安全性が確保されたとみることはできない」と。老朽原発まで動かす安倍政権の原発固執政策をこのまま続けさせるのか。チェンジの意思を示す選挙があす公示されます。」(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)「安全性が担保されていない。東京大学名誉教授(金属材料学)井野博満氏の話 老朽化した原発の運転延長には、大きな問題があります。原子炉は高エネルギーの中性子を浴び続けることで、もろく粘り強さを失っていきます。これを中性子照射脆化(ぜいか)といいます。もろくなった原子炉は、事故などで緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した場合、冷却水が一気に注入されることによる衝撃で、原子炉がガラスのように割れる危険性が増します。特に高浜原発1号機は、脆化が相当進んでおり、安全性が十分担保されていません。廃炉が決定した九州電力の玄海原発1号機と同じレベルです。また、運転開始から60年後についての照射脆化の今回の予測は、10年前に行った同様の予測に比べて、大きく危険側に接近しています。また予測に用いるデータの一部がいまだに公開されていません。このほか、難燃ケーブルでないケーブルも防火シートで覆えば認めるなど、審査はできる範囲のことをやれば、認めてしまうという姿勢です。運転延長を無理やり認めている印象しかありません。」(しんぶん赤旗「社会面」より) 前にも書きましたが、1970年の「大阪万博」の開催中に、電光掲示板に「若狭から未来の電力が届きました」と表示されたのを思い出します。あれから46年が経ちますが、さらに40年後となると90年近く稼働することになります。さて、プロ野球の交流戦が終わり、借金5となった阪神タイガースですが、パリーグの強さだけが目立った内容でした。ところで、毎晩近くの小川に散歩に出かけますが、ホタルの姿も消えて淋しくなりました。(写真は、田植えが終わり稲の青さが広がる田んぼです)

命守る決定 再び。
2016/06/18

「うれしくて涙が出た」−。「原発を止めて」と孫の似顔絵の横に書いたボードを大津地裁に向けた女性(72)は語りました。高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定の執行停止を求めた関西電力の申し立てを同地裁が却下した17日、支援者らに安堵(あんど)と喜びが広がりました。木谷千加子さん(62)=彦根市=は「司法独立を貫いてくれて感動しています。エネルギー政策転換の一歩になってほしい」、岡本勲さん(73)=大津市=は「国民の生命を選んでくれた。勇気づけられました」、自営業の女性(42)は「稼働している原発を止めた仮処分決定のあと、圧力もあったと思います。まともな判決にほっとしました」と語りました。記者会見で井戸謙一弁護団長は「福島第1原発事故の原因究明が完遂していない状況では新規制基準に適合しても安全性が確保されたとみるべきでない、と改めて確認された。市民感覚に沿った価値ある決定です」と語りました。福井原発訴訟(滋賀)の辻義則原告団長は「命、暮らし、琵琶湖を守りたい、との県民の願いにこたえる決定を再び勝ち取ることができました。異議審・本訴でも『再稼働まかりならぬ』の決定・判決を勝ち取るため頑張ります」と語りました。」「関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)について、大津地裁(山本善彦裁判長)は今年3月、「過酷事故対策などで危惧すべき点があり津波対策や避難計画にも疑問が残るのに、関電は主張を尽くしていない」として、運転中の原発では初めての運転停止を命じる仮処分の決定を出しました。」(18日付けしんぶん赤旗「社会面」より) 「大津地裁 高浜再稼働認めず」と判断されたのは嬉しいですが、この裁判官が左遷されたり、辞めざるを得ないようにならないか心配です。事実、福井地裁で運転停止の仮処分を出した裁判官は、その後どこかに転勤してしまい、後任の裁判官が運転停止の決定を取り消してしまいました。さて、昨夜の阪神=ソフトバンク戦は、福留選手のサヨナラヒットで勝ちましたが、我が家では優勝した時の様な騒ぎようでした。(写真は、久しぶりに釣り人で賑わう三和漁港と、沖合のエリから戻って来た漁船と、夏草が生い茂る琵琶湖畔です)

焼身自殺に追い込まれた理由とは。
2016/06/15

映像`16「MBSテレビ 5月29日深夜放送」「2007年、名古屋市バスの運転手が焼身自殺した。両親には思い当たることはなかった。調べるうちに職場の上司との間でトラブルがあったことが次第に明らかになる。初期の段階からカメラ取材が入った。パワハラを疑い、巨大公務員組織を相手に両親の闘いが始まり、それとともにテレビ取材の調査報告が開始された。不可解な乗務員適格調査、添乗指導があり、本人が残したパソコンに勤務をめぐる上申書と進退願が発見された。本人には覚えのないバス内の転倒事故の責任で警察にも出頭させられた。両親は公務員労働災害認定を申請するが、素っ気なく否認された。弁護団とテレビ取材班の飽くことのない調査で、事故の時間帯と運転手の乗務時間帯が全く食い違っていたことが明らかになった。調査報道の大きな成果をあげたのだったが、名古屋地裁は「本人の心の弱さ」を理由に却下した。両親は意を決して上訴、今年4月、遂に高裁が公務員災害と認めた。実に9年の歳月を費やした結果だった。担当した奥田雅治ディレクターは長期にわたる調査報道を展開した。年月の壁を越え、執念の凝集された映像作品は希有(けう)であり、貴重である。通常、報道番組では取材はその場限りになりかねないが、この番組はテレビ界の”常識”を大きく超える。亡き本人の名誉回復にとどまらず、なぜ公営バス事業体が一人の運転手をいわれなく追い込み、真実までゆがめたのか、との疑問の解明と職場ハラスメントへの断罪が、今後必要だろう。制作ディレクターが、長年にわたって取り組んできた非正規雇用と職場での差別は、車の両輪のように働く者の人間としての心を奪う。人間性の回復という大きなテーマにむけてこれからも挑み続けることを願う。」(15日付けしんぶん赤旗「番組をみて」より) 私は、この番組を見ていないのでコメントは出来ませんが、力作だっただろう番組の放映時間をせめて午後10時台にして欲しいと思います。さて、東京都知事である舛添氏の疑惑が連日報道されていますが、いい加減の飽き飽きしています。辞任か議会の解散かなどと騒がれていますが、東京都の事だから騒ぐのであって、地方都市の事ならここまで大きく報道されないでしょう。熊本地震発生から2カ月が経ち、ようやく仮設住宅への入居が始まりましたが、なお200人が避難生活を送っていると言う記事を読み、報道の偏りを感じられずにはおられません。さて、小学校時代からの「竹馬の友」であった友人が亡くなったとご連絡を受けました。重い糖尿病と戦った末の結果ですが、月に1〜2度は電話で話していただけに信じられないでおります。亡くなる前に、もう一度会っておけば良かったと反省していますが、今はご冥福を祈るばかりです。(写真は、自宅周辺で感じられた初夏の気配です)

円楽が行く!落語歩き江戸はじめ。
2016/06/12

BS朝日午後9時〜「「笑点」司会に落選するなど、お騒がせな6代目三遊亭円楽師。さて、気を取り直して江戸情緒にたっぷり浸ろうという番組だ。和服姿の円楽が、スイス生まれのタレント・春香クリスティーンをお供に、落語の舞台となった深川を散策する。まずは隅田川のほとりで「落語を繙(ひもと)くと、リアルな江戸がわかる」と講釈。「笑点」の衛星放送をスイスで見ていたと言う春香に、「今回、司会になれなかった円楽です」と、つかみはOKだ。永代橋を渡り富岡八幡宮を参詣し、時価推定10億もする御輿(みこし)を拝む。江戸っ子と祭りの関係を落語「永代橋」で、小名木川に猪牙船(ちょきぶね)を浮かべ遊ぶところでは「船徳」と、随所に演目紹介を挟み、東京散歩と落語入門を兼ねた作りになっている。神社仏閣、川、食、職人と盛りだくさんのガイドは飽きさせない。深川江戸資料館では、再現された長屋で円楽の駒となった春香がよく動く。いちいち円楽の解説に驚くスイス娘が純で可愛(かわい)らしい。カンペも見ず落語から得た知識の富を、たちどころに披瀝(ひれき)できる円楽はさすが。「笑点」だけでなく、寄席で落語を聞きたい気にさせる2時間であった。」(12日付けしんぶん赤旗「試写室」より) ず〜っと昔、東京にいた頃は、「笑点を」よく見ましたが、最近は見なくなりました。それは、東京と大阪の笑いの原点が違うからかもしれません。あまり、見ていて面白いと感じなくなったのは、私だけでしょうか?さて、「空梅雨」と思われるくらい雨が降りませんが、関東地方では、早々と「取水制限」が行われたいるそうです。安曇川町では、琵琶湖の水に頼らず安曇川の伏流水を汲み上げているので、冬は暖かく、夏は冷たい水が蛇口から出てきます。(写真は、近所のお庭で咲き始めたアジサイの花です)

「海津温泉」に行きました。
2016/06/09

8日(水)は、長女の帰省に合わせてお休みを頂き、岐阜県・海津市にある「海津温泉」に行って来ました。国道161号線から長浜市・塩津で国道8号線を利用して、さらに長浜市・木之本町から国道365号線で岐阜県・関ヶ原町を目指しました。ここから、養老の滝で有名な養老町まで南下し、この辺りは「南濃」と言う地区になるそうです。本来は「水晶の湯」に行くつもりだったのですが、施設の玄関に行くと「本日休館」の文字が目に飛び込んで来ました。「あれ〜っ、確か第1、第3月曜日休館のはずやけど?」「夏を前にメンテナンスでもしているのかな?」「これで、この間の池田温泉本館に続いて2度目やね」とがっかりしながら施設を後にしました。ここから最も近い施設は「海津温泉」になりますが2度目の来館となりました。天然の湯・海津温泉「黄金色に輝く天然温泉で、極上のひとときを・・・。〒503ー0628 岐阜県海津市海津町福江560ー1 рO584ー54ー5220 営業時間 午前10時〜午後9時30分 休館日 毎月10日 「癒しの湯・ふくしの湯・長寿の湯」があり、それぞれ入浴料は510円。前回は「長寿の湯」に入りましたので、今回は「癒しの湯」にしましたが、こちらの方が種類も多くお薦めです。お車で 名神高速 大垣ICより約30分 最寄り駅 新幹線岐阜羽島駅よりタクシーで約30分 養老鉄道石津駅よりタクシーで約5分 名鉄津島線佐屋駅よりタクシーで約20分 宿泊施設もありますので泊まりがけでもOKです。到着したのが午前11時15分だったので、自宅から2時間30分もかかったことになります。「癒しの湯」には露天風呂、つぼ湯、歩行湯があり、温度が低めなので露天風呂は快適です。内湯にはヒノキ風呂、ジャグジー湯、源泉湯がありますので設備は充実しています。お風呂上がりは館内のレストランで昼食を摂りましたが、この日の長女は「エビフライカレー」850円を注文しました。私は「ヒレカツ定食」1000円で、嫁さんは「そば」500円を注文しました。食後はただ一人長女だけホットコーヒー350円を飲んで上機嫌でした。帰り際に売店で「おかき」を手土産?に車に戻った長女は、「返って休憩しよう」とポーズで示します。またまた、2時間30分もかかるので、自宅への到着は午後5時頃が予定されますが、往復300qの運転はさすがに疲れました。(写真は、長女が注文したエビフライカレーと、私が注文したヒレカツ定食と、仲良く?食べる母子です)

NHKスペシャル「風の電話」。
2016/06/06

「あれは20年前の夏、米南部アトランタで開かれた五輪の開会式でした。国際オリンピック委員会(IOC)加盟の国と地域が初めて勢ぞろい。近代五輪100周年を祝いました。人類の祭典の歴史が彩られ、あのキング牧師の名演説「私には夢がある」が流れる。人種の壁をのりこえ、平和な世界を願う記念の式典。それが最高潮に達したのが、聖火リレーの最後を飾ったモハメド・アリ氏の登場でした。すでにパーキンソン病を患っていたボクシングの元世界チャンピオン。震える手で聖火台に火をともす姿を世界中の人たちと見守った記憶がよみがえります。このとき彼はIOCから金メダルを贈られました。60年のローマ五輪で優勝したアリ氏。米国に帰国後、黒人であることを理由にレストランの入店を断られ、金メダルを川に投げ捨てたというエピソードがあります。プロ転向後は奴隷の名は捨てると、カシアス・クレイからモハメド・アリに。批判にさらされても信念を曲げない姿勢は徴兵も拒みます。ベトナム戦争に反対し、彼らには何の恨みも憎しみもないと。世界タイトルを剥奪され3年半も締め出されながら、頂点に返り咲きました。チョウのように舞い、ハチのように刺す。ボクサー・アリの代名詞は時代にあらがい自由を求めた生き方にも。差別や戦争、病とたたかってきた74年の生涯。晩年は各地から来るファンレターの返信にいそしんでいたといいます。好きな「人びとの愛に宿る力」、そして「平和」の言葉を添えて。」(6日付けしんぶん赤旗「潮流」より) モハメド・アリ氏の事を「しんぶん赤旗」が取り上げるとは意外な感じがします。私の記憶では、むちゃくちゃ強いボクサーがいたなと、まさに向かうところ敵なしでした。4日(土)NHK・BS1午後9時〜11時まで”風の電話”を見ました。「東日本大震災の津波に襲われた岩手県大槌町に、電話線のつながっていない電話がある。この電話を通し、被災地の喪失と再生の5年間を見つめる。」ある人は、妻を亡くし、ある人は、夫を亡くし、ある人は、子どもを亡くした方が登場します。無言の人、叫ぶように話す人、まるでこの世とあの世をつなぐ電話のように感じられます。見ていて切なくなりましたが、落ち着けば落ち着くほど喪失感が襲ってくるのかもしれません。(写真は、昨晩にホタルらしき写真を撮影しました)

「三成・青春MAP」。
2016/06/03

@長浜城跡(現長浜城歴史博物館)羽柴秀吉の出世城といわれる長浜城で、秀吉に召し抱えられた三成は小姓として仕える。この城で少年時代の福島正則、加藤清正、蜂須賀家政、そして人質であった松寿丸(のちの黒田長政)らと出会うが、秀吉の死後、三成と彼らは対立することになる。
A大蛇(おろち)の岩窟(木之本町古橋)関ヶ原合戦後、落ち延びた三成が匿われたという己高山近くの岩窟(危険なので立入注意)
B大原観音寺(米原市朝日)羽柴秀吉との出会いとなった「三献の茶」の逸話で知られる大原観音寺。三成はこの寺の小姓だった。寺内には「三成水汲みの井戸」がある(小説では「三献の茶」の逸話に新しい解釈を加えている)。ゆかりの寺として木之本町古橋の法華寺三珠院説も。
C石田三成出生地(長浜市石田町)三成の出生地とされる石田屋敷跡には石田会館があり、「石田治部少輔出生地」の碑と三成像がある。周辺には三成産湯の井戸や石田家の氏神といわれる八幡神社など関連史跡がある。小説では、長浜城出仕前夜、三成の父や母、兄ら家族との情景も描かれている。
D大谷吉継の首塚(米原市下多良)関ヶ原合戦で西軍に加わった大谷吉継の首は米原の地に埋められたともいわれている。 
E佐和山城跡(彦根市古沢町・佐和山町)JR彦根駅の北側にあり、石田三成が城主の頃は5層の天守を構えていたという。現在は石垣や土塁がわずかに残るのみ。いわゆる「三成襲撃事件」で失脚した三成はこの城で隠居、再起を図る。小説でもクライマックスの印象的な舞台となる。
近江の戦国武将 石田三成が青春小説になった。「石田三成の青春」松本匡代(サンライズ出版)(クラブケイブン6月号より)
今、滋賀県では「石田三成」に注目が集まっていて、ちょっとしたブームとなっています。東軍について戦い勝利を収めた「井伊直弼」に対し、西軍の敗者である「石田三成」は脚光を浴びることがありませんでした。私も、ほとんど「石田三成」に対する知識がないので、本を読んで勉強したいと思います。さて、昨日は、再び小学校の恩師であるS先生が子アユ釣りに来られました。私も長靴を履いて川原に下りましたが、いつも見る景色と違い新鮮に感じました。(写真は、大漁だった子アユが入ったビクと、釣りに夢中のS先生と、初めて下りた鴨川の川原から見た景色です)

今年初めてのホタル。
2016/05/31

「権力批判をしてきた米映画監督マイケル・ムーアが、今度は米国防省の密命を受け、自国に最も必要なものを”略奪”するために、自ら”侵略者”となって世界に飛び立ったー。こんなブラックユーモアで映画は始まります。公開中のドキュメンタリー「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」です。最初に訪ねたのはイタリア。有給休暇8週間と聞き、「アメリカの有給休暇はゼロだ!」と。スロベニアでは、自国の学生だけでなく留学生の学費まで無料、ドイツは週36時間労働、フランスの小学校給食はフレンチのフルコース・・・。14時に退社し、”アフター2”を楽しむドイツ人労働者の姿に、人間の自由で全面的な発達は、労働時間の短縮でこそ可能と実感しました。翻って日本はどうか。「一日8時間、週40時間労働」は絵に描いた餅。週60時間以上働く労働者の割合は、4割近くにのぼります。映画では、労働時間の短縮が、たたかって勝ち取られたことも示されます。学費無料など略奪した”戦利品”は、ほとんどがアメリカ発のアイデアだったことも。監督が、本紙日曜版29日号の電話インタビューで日本人に呼びかけています。”幸福とは人間を人間的に扱う会社から生まれる””これを見て「私たちは働きすぎだ。人生を享受しなければ」との思い、欧州の優れた政策に学んでもらいたい”と。経済にデモクラシーを。日本でもルールある経済社会を求める声が広がっています。今夏の選挙はブラックな働き方を変える絶好の機会です。」(31日付けしんぶん赤旗「潮流」より) さて、毎晩近所の小川にホタルを探しに出かけますが、29日(日)に、たった一匹ですが今年初めて見つけました。昨晩の30日(月)は、それが三匹以上になり、空中で並んで飛ぶ姿は幻想的でした。昔ほどではありませんが、これから少しづつ増えて来るのではないかと期待しています。(写真は、藤橋の湯の大きな看板と、道の駅「さかうち」にある案内板と、地元野菜などを販売しているお店です)

今日は同窓会があります。
2016/05/28

「大統領を退いてから積極的な外交活動に努めたジミー・カーター氏。彼が米国の大統領経験者として初めて広島を訪れたのは30年以上前でした。家族とともに平和公園に立ったカーター氏は原爆資料館にメッセージを残しています。「すべての人々が平和とより良い理解に向けて努力することを、絶えることなく永遠に思いを起こさせるものでなければならない」。戦後70年余り。広島・長崎の被爆者たちは世界中の人々、とりわけ偽政者がここに来て被爆の実相に触れてほしいと発信してきました。あまりに残酷な”悪魔の兵器”。それを使った唯一の国の現職大統領が、その地を踏みました。憎しみと許し、過去への償いと未来への希望。いまだ日米に複雑な感情が渦巻くなか、オバマ大統領は、あの日、人類に解き放たれた恐ろしい力を確認するために来た、私たちは過去から学び核兵器を減らさなければならない、と。変化があるとはいえ、いまもなお米国では原爆投下を正当化する意見が根強い。真珠湾のお返しだという人も。かつて「父と暮らせば」で広島の苦しみを描いた井上ひさしさんは、原爆がいかに非人道的な兵器なのかを強調し、こうした考えの誤りを指摘しました。「記憶せよ、抗議せよ、そして生きのびよ」。原爆の悲劇を世界に語り続ける意義を説いた井上さんのメッセージは今も。核兵器のない世界へ。謝罪よりも核廃絶を。癒えることのない苦痛を味わってきた被爆者の願いは、世界が力を合わせてそれを実行することです。(28日付けしんぶん赤旗{潮流」より) オバマ氏が来ることで、広島市内は厳重な警備になり、一般の方が排除されたのは少し残念な気がします。さて、今日28日(土)は大阪市内で中学校の同窓会が夕方6時から行われます。私も参加する予定でしたが、すっかり忘れて「売り出し」のハガキを出してしまいました。仕方なく断りの電話をしましたが、「後ろ髪引かれる思い」で残念で仕方がありません。(写真は、藤橋の湯の館内で血圧測定する嫁さんと、水力発電の設備が見える山の斜面と、山に囲まれた藤橋の湯の玄関付近です)

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