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今日は私の誕生日です。
2016/08/30

「評判を聞き、あるドキュメンタリー番組を見ました。うわさにたがわぬ力作でした。21日深夜に放送された報道スペシャル「米軍が最も恐れた男〜あなたはカメジローを知っていますか?」(TBS)です。主人公は戦後、沖縄を占領した米軍の圧政に命がけでたたかった瀬長亀次郎さん。「ネーネーズ」の歌にも登場する沖縄の英雄です。番組は、辺野古の米軍新基地建設をめぐる国と沖縄県の攻防を、半世紀前のたたかいから説き起こしました。1947年、沖縄人民党を結成。52年、今の県議会にあたる第1回立法院議員総選挙でトップ当選。その後の琉球政府創立式典でただ一人、忠誠を誓わなかったことから占領軍ににらまれます。54年、瀬長さんが先頭に立ち、立法院は米軍から土地を守る4原則を打ち出します。半年後、突然逮捕。瀬長さんは裁判でこう述べます。「被告人瀬長の口を封ずることはできるかもしれないが、虐げられた幾万大衆の口を封ずることはできない。・・・日本の独立と平和をかちとるために捧(ささ)げた瀬長の生命は大衆の中に生きている」。出獄後、56年に那覇市長に当選。しかし補助金凍結で兵糧攻めに。助けたのは市民でした。「アメリカーが瀬長市長いじめるから税金納めに来たサー」。納税率は97%に。瀬長さんが何より大事にしたのは「沖縄の団結」でした。それから半世紀がたち、新基地建設反対の民意に敵意をむきだしにする政府と、対峙(たいじ)する現代のリーダー。オール沖縄の原点が見えてきます。(30日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 大阪に住んでいたころは「基地問題」など他人事でしたが、高島に来てから「饗庭野演習場」があり、「訓練日」の騒音が凄いです。おそらく、沖縄ではこの程度では済まないと思うと、「受忍限度」をはるかに超えているでしょう。さて、残念ながらパソコンは元に戻らない事が判明し、新たなパソコンを購入する事になりました。今度は、移動しても使えるように、ノート型にしましたが12万円の出費は痛いです。今日、30日は私の誕生日で、何と!64歳になりました。少なくとも後20年は生きたいと思っていますが、こればかりは「閻魔大王」しか分りませんね。(写真は、しきぶ温泉・湯楽里の外観と、三方五胡の三方湖の湖畔に立つ別荘?と、静かな湖面に水草が生い茂った夏の景色です)

まだ、パソコンが直りません。
2016/08/27

「「障害者なんていなくなればいい」「社会のため」と、今も呪詛(じゅそ)のようにくり返しているといいます。反省や謝罪どころか、血も凍る惨劇をあくまで正当化する容疑者におののきます。相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人の入所者の命が奪われ、職員をを含む27人が重軽傷を負った事件から1カ月。緑濃い山あいの現場にはいまだ警官が立ち、ものものしい雰囲気が漂っています。園の献花台には花を手向ける人が次々に。障害者団体の役員で自身も障害がある女性は心の整理がつかないままだといいます。「恐怖や不安が消えない。障害があることにたいする社会の見方を変えなければいけないと強く感じる」。介護福祉士の男性は日本社会の根底に”障害=不幸”という間違った考え方があると。「私たちは障害者からたくさんの幸せをもらっている。その光の部分を見ないで『不幸』だけを積み重ねてしまった末の事件だと思う」。人の命に価値をつける優生思想。それは独裁国家によって政策となり、人種の優劣、兵隊や労働力として役に立たない者の大量虐殺につながった歴史があります。人類の進歩とともに徐々に克服されてきたとはいえ、格差や差別を助長する土壌の中で頭をもたげてきます。先日も視覚障害者が駅のホームから転落して亡くなる事故が起きました。障害者を置き去りにする社会。「優生」は「劣死」と表裏一体です。殺された19人にはそれぞれの顔があったはず。存在に値しない命などありません。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)我が家の長女も、現在施設で暮らしていますが、職員に助けられ「人生を楽しんで」います。すでに東京デズニーランドに2回も行き、大阪のUSJも1回行っています。毎年春には、日帰り旅行、秋には1泊旅行に行き、親よりも?恵まれた生活を続けています。さて、15日に壊れたパソコンがまだ直りませんが、そろそろ新しいパソコンに買い換えるか思案しています。先ほど電器屋さんに訊くと、「大体12万円ですわ」と気軽に言われましたが痛い出費です。(写真は、今が旬のブドウを求めて南浜は大混雑でしたと、この日立ち寄った八日市にある「はま寿司」の外観と、竜王町の「蒲生野の湯」の玄関付近です)

パソコンが壊れました。
2016/08/23

15日(月)に店長日記を書いた後、突然画面が動かなくなりました。自力で解決しようと頑張った?のですが自分の力量不足で解決せず、「パソコンのプロ」に依頼しました。ただ、相手も仕事をする中での事ですので、一日に対応する時間が限られていて、今日になり一部が使えるようになりました。それで、急いで店長日記を書いているのですが、まだまだ動かない部分があり全面解決まで時間がかかりそうです。それにしても、パソコンの無い生活がこれほど不便だと身にしみました。まず、メールが一切閲覧できないし、何かを検索したくても出来ないし、もちろんネットで注文も出来ません。仕方がないので、毎日読書をするのですがそれにも限界があります。いつの間にか、パソコンに依存する生活になっていて、スマホを見ながら歩いている若者を批判していた自分が恥ずかしくなりました。さて、この一週間の間に「夏の高校野球」が終わり、栃木県代表の「作新学院」が優勝しました。ベスト8が決まった時に、作新学院の優勝を予想したのは、家族の中で私だけでした。その後、危なげなく試合を勝ち進み、優勝を決めましたが、あの今井投手を打ち崩すチームはありませんでした。もう一つは、「リオ」オリンピックでしたが、私はほとんど見なかったので、あまり詳しくは知りませんでした。そもそも、朝に放送された内容が、昼にも夜にも放送され、いい加減にしてくれと思いました。また、あのアナウンサーの絶叫的な口調は好きになれず、放送する者は冷静であってほしいと思ったのは私だけでしょうか?世界で150カ国もあるのに、東京のように2度開催する都市がありながら、経済的に恵まれず一度も開催されない国もあるのは不公平ではないかと思います。夏休みも残り1週間になり、思い出は沢山出来たのに、課題の宿題に追われていたこの時期を懐かしく思い出されます。(写真は、小浜新港で釣りを楽しむ人々と、9月に行われる「放生(ほうぜ)祭り」のポスターと、もうすぐお別れ?になるオバマ氏の看板です)

私のお盆休みは終わりです。
2016/08/15

「東京大空襲に匹敵する量の焼夷(しょうい)弾が落とされたといいます。終戦迫る8月2日の未明。多摩地域の拠点都市、八王子は約170機のB29爆撃機に襲われました。雨のように降り注いだ爆弾の数は実に67万超。市民1人当たり約10発というすさまじい爆撃で街は一夜にして焼け野原と化しました。事前に「伝単」と呼ばれた空襲を予告する米軍のビラがまかれましたが、被害は甚大でした。こうした全国各地への爆撃は8月15日の終戦直前までつづきました。14日には山口の岩国や光市、同夜から翌日未明にかけて秋田・土崎、群馬・伊勢崎、埼玉・熊谷、神奈川・小田原。なかなか降伏しない日本に対するいら立ちや催促の意味をこめ、それは”フィナーレ爆撃”と呼ばれました。敗戦必至のなか、もっと早く降伏していたら・・・。沖縄戦や広島、長崎の原爆、各地の無差別爆撃も防げたかもしれない。しかし、これだけ痛めつけられてもなお、国民の多くは日本は負けないと信じていました。八王子の郷土資料館では、毎年この時期に戦争について学ぶ企画展を開いています。この夏も親子連れが空襲の様子や戦前の教育を体験者から聞いていました。同じような催しは至る所で。71年前のきょう、太平洋戦争は終結しました。アメリカは歓喜に沸く人びとが華やかな街にくり出し、日本には戦争が終わったことさえ知らず廃虚にたたずむ姿もありました。時の政権の暴走によってふたたび戦争の足音が聞こえる今、改めて平和の重みをかみ締めたい。」(15日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 13日(土)は大阪にお墓参りに行きましたが、その中で「戦死者」のお墓には年々お参りする方が少なくなっています。お花さえ供えられていないお墓を見ると、「お国のために死んだ」方が報われない気がします。さて、そんなわけで13日(土)は、墓参りの後中学校の「ミニ同窓会」があり、懐かし顔もありました。14日(土)は、父親の「初盆」と「1周忌」を行いましたが、あれから1年が経つのだなと実感しました。夕食は、孫2人に囲まれて楽しく、賑やかに過ごしました。今年初めての「花火大会」?も行い、怖々に花火を手にする孫の姿に笑ってしまいました。たった2日間の事でしたが、リフレッシュ出来て気持ちが晴れました。(写真は、昼食に立ち寄った「トップオブ東京」で頼んだ特大ビール990円と、ステーキライス1000円と、中国人が目立った心斎橋筋です)

しきぶ温泉「湯楽里」に行きました。
2016/08/11

10日(水)は、長女の帰省に合わせてお休みを頂き、敦賀市方面に出かけました。いつも立ち寄る「鞠山・海釣り公園」は、駐車場が満杯に近く釣果が良いのかと思いましたが、「夏休み」の子ども連れが多く、休息のためのテントが並びキャンプ場の様です。豆アジが釣れていましたが、残念ながらサイズは2週間前より小さくなって小指の大きさになっていました。ここから、国道8号線を利用して杉津(すいつ)地区から「しおかぜライン」を走りますが、あちらこちらの海水浴場では、小さな子どもが水しぶきを上げていて楽しそうでした。今日は水曜日なので「しきぶ温泉・湯楽里」は定休日ですが、通り道なので立ち寄ってみました。すると、予想に反して、駐車場にも車が停まり、夏休みだからなのか開館していました。入浴料も650円から600円に下がっていましたが、館内のポスターに「指定管理者が変わりました」と書かれてあり、リニューアルしましたとも書かれています。毎週水曜日定休が、第2水曜日だけとなり、営業時間も午前6時から午後11時となっていました。「指定管理者を変えてもらうには、新しい提案がないと難しい」と嫁さんが話しますが、利用する側は嬉しいのですが、職員の過重労働にならなければいいがと複雑な心境です。リニューアルといっても、ごく一部で、低温風呂30℃が新たに設定され、ボールが沢山浮いていました。お風呂上がりに昼食タイムとなりましたので、外食する予定にしていたのですが、長女はレストランにまっしぐらで、しかもいつもの席に座ってしまいました。「今日は、違う所で食べるよ」と言っても動きそうにないので、「本人が、ここで食べると決めているようやね」と感じ、親のほうが諦めました。さて、「1995年に大阪市東住吉区で起きた小6女児死亡火災で母親らが殺人罪などで無期懲役を受けた冤罪(えんざい)東住吉事件で、21年間にわたり身柄をさん拘束された青木惠子さん(52)、朴龍皓さん(50)のやり直しの裁判(再審)の判決が10日、大阪地裁であり、西野吾一裁判長は2人に無罪を言い渡しました。検察は控訴せず、無罪が確定します。」(11日付けしんぶん赤旗「一面」より)無罪が確定したのは良いことですが、自白を強要され、それが唯一の証拠とした判決を覆すのに21年もかかったことが残念な事です。それにしても、ここに至るまで、弁護団の粘り強い姿勢があればこそ、この結果に結び付いたと思います。まだまだ、冤罪と呼ばれる事件が相次いでいますが、とりあえずは、おめでとうございます。(写真は、夏休みで子どもたちが主人公の鞠山・海釣り公園です)

相模原障害者殺傷事件。A
2016/08/08

意味なき命はないC人権保障 理念広げて「「相模原事件を知り最初に頭に浮かんだのは、私が東京地裁で20分ほどかけて意見陳述した内容でした」東京都三鷹市の深沢智子さん(79)は、こう話します。重度重複障害のある娘の直子さん(50)は、障害者自立支援法違憲訴訟の元原告です。障害のある人に必要なサービスを”益”として自己負担を強制した同法は、憲法25条の生存権を侵害するなどとして提訴しました。智子さんは話すことのできない直子さんに代わり意見陳述を行いました。その中で、重い障害のある子が保護者らを巻き込みながら、障害のある子どもの教育権を獲得し、社会を変えていったと訴えました。」政治の流れの中「智子さんは「私たちは重い障害がある人たちの医療・教育・福祉制度の拡充を求め続けてきました。”障害者はお金のかかる人たちだ”という考え方がなんとなく出てきたのは、小泉『構造改革』が始まり、自立支援法ができたころからです」といいます。障害が重いほど自己負担も重くなる自立支援法施行後、障害のある人がいる家族の心中事件などが相次ぎました。「障害福祉だけでなく社会保障全般が、じりじりと憲法25条に照らし後退させられている。この政治の流れの中で、無意識に『障害者はいらない』という考えに結びついていったのでは」と智子さんは危惧します。「再発防止策として、安倍政権は防犯カメラの設置や警備強化を言うけれど、憲法に基づいた人権保障の教育が必要です」社会に潜む危機「全国障害者問題研究会の荒川智委員長(茨城大学教授)は、植松聖(さとし)容疑者が「障害者が安楽死できる世界を」などと主張していたことにふれ、「障害者や高齢者を『社会にとっての負担、お荷物』とみなす考えは、突き詰めれば容易に障害者は不要とする優生思想、安楽死の肯定につながりうる。『社会保障費の増大』と、危機をあおることが、その触媒となります。こうした発想は社会のいたるところに潜んでいます」と指摘します。茨城県の教育委員が昨年、「障害児の出産を減らせる方向になればいい」という趣旨の発言をし、批判を浴び辞職しました。荒川さんは「典型例だ」と話し、「こうした発想は、弱い立場に置かれる外国人や生活保護利用者なども攻撃・排斥の対象にする風潮につながる」と指摘します。そのうえで、こう強調します。「人権保障と発達保障の理念・思想が、社会の隅々まで広がることが重要です」」(おわり)(8日付けしんぶん赤旗「社会・総合」面より)私も反省しなければならないのは、父親が施設に入所していた頃、「こんない沢山の老人がいたら国もお金がかかるだろうな」と思ったことです。日本では、ますます高齢化が進み、特に高島市のような過疎地ではその傾向が顕著になって来ています。最後に一言「障害を持って生まれたのは、本人の責任ではなく、産んだ親にあるのです」しかし、その親の誰もが「障害者」を産もうと思ったわけではありません。さて、世間では「リオ・オリンピック」で盛り上がっていますが、私はあまり関心がなく、一日中、テレビで高校野球を観ています。13日(土)に大阪に墓参りに行きますが、時間があれば甲子園に足を運びたいと思っています。(写真は、平和のための美術展・戦争展で県立平和祈念館から貸し出された写真と、青山野音さん(花なんて咲かないのに)と青山うめさん親子の作品です)

相模原障害者殺傷事件。@
2016/08/05

意味なき命はない@「神奈川県相模原市緑区千木良(ちぎら)の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が死亡、26人が重軽傷を負った殺傷事件。犯行そのものの衝撃に加え、逮捕された植松聖容疑者(26)の「障害者に生きている意味はない」という言葉が地域社会や全国の障害福祉に関わる多くの人を深く傷つけ、悲しみを広げています。」「植松容疑者は同園の居住棟に侵入し、移動しながら室内で就寝していた入所者を刃物で次々に襲ったとされます。犠牲者の氏名は発表されていません。園近くに住み、同園で20年以上働いた70歳代の元職員の女性が語ります。」入所者の顔が浮かぶ「「あの部屋には誰がいた、この部屋には誰がいた。入所者の顔が次々に浮かぶ。襲われたのか、痛い思いをしたのか。夜、1人で布団にいると考えが止まらず、眠れない。日がたつにつれ、忘れるどころか苦しさが大きくなっていく」女性の手元に現役時代の数十枚の写真があります。屈託のない笑顔を見せる女性入所者、安心しきった表情で職員らに身を任せる男性入所者。「自分の子のように感じ、接してきた。辞めてからも心は常に近いところにいた」アイドル的な存在の女性入所者がいました。「言葉は話せない。動けない。でも名を呼ぶとにこにっこと最高の笑顔で応えてくれる。苦しいことがあるとき、この人に勇気を与えられたという職員は多かった」。その人は無事なのか。容疑者は障害の重い人から襲ったと聞き、苦しさが増します。同容疑者は衆院議長宛の手紙で「障害者は不幸を作ることしかできない」と書きました。」長期的ケアが必要「とんでもない。私たちは入所者に励まされ、なぐさめられ、たくさんのことを教えてもらった。感謝ですよ。そんなあの人たちがどんなふうに死んで行ったかを聞かされたりしたら、きっと立ち直れない」事件直後に園に呼び出された現職員たちが受けた心の傷の深さも懸念されています。同園で勤務経験があり、現在は緑区内の別の障害福祉サービスに従事する女性は「職員たちは残った入所者に通常通りの環境を提供しようと、文字通り歯を食いしばっている。でも時折、やりきれない表情を浮かべているのが心配だ。長期的なケアが必要です」といいます。」(5日付けしんぶん赤旗「一面」より) 障害者を持つ家族にとって、このニュースを知った時、本当にショックでした。まして、その犯人が元職員と聞き、耳を疑いました。容疑者が何故その様な考えに至ったのか、その根本的な所が知りたいです。人は、不幸にして生まれながらに障害を持つ人もいるし、病気や事故などで後天的に障害を持つ人もいます。また、最近は長寿社会になり、高齢化に伴い徐々にハンディを持つ人もいます。いつ、自分が、あなたが障害者になる可能性がある事を忘れてはいけませんね。(写真は、黒い雲と書かれたK氏の彫刻と、日の丸に書かれた寄せ書きと、今津町での出征兵士を見送る写真です)

♪花は花は花は咲く?
2016/08/03

「夏休み真っ最中の子どもたち。その昼食の準備は親にとって悩みの種です。栄養バランスを考え、毎日の献立やお弁当の中身を決めて調理する・・・。給食のありがたさを痛感します。切実な家庭もあります。広がり族ける子どもの貧困。家で十分な食事がとれず、給食がなくなる夏休みは体重が大幅に減る子どもがいます。親が夜も仕事で1人寂しく夕飯を食べる子やスナック菓子が食事代わりの子も。何か自分にできることはないかと考える人が増え、全国で広がったのが「子ども食堂」です。公民館や寺などを会場にボランティアのスタッフが料理を作り、無料や低価格で提供します。参加した子どもが調理を手伝ったり、食後に宿題を見てもらったりして過ごせる所も。東京都で子ども食堂を始めた女性は「子どもが安心できる居場所にしたい」と言います。「ここは1人で来ても大丈夫。温かい食事が食べられて、話を聞いてくれるおとなや友達がいる。そんな存在になりたい」。おとなにとってもホッとできる場です。娘と訪れた母親は「母子家庭でいつも余裕がない。苦手な野菜をがんばって食べる娘の姿を見たり、子育ての先輩に話を聞いてもらったりして、元気をもらいました」と話していました。つらさを抱えた子どもや親は地域の中で孤立しがちです。子ども食堂が、そうした人たちが地域とつながり、支え合う関係づくりの場になってほしいと願います。貧困の連鎖を断ち切り、何よりも大切な子どもの笑顔と成長を守るために。(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 「子ども食堂」の事は、私も関心を持っていましたので、この高島市でも出来ないかと考えていました。知り合いのお坊さんであるA氏によると、高島市の担当者は「虐待」はないと返答したそうです。つまり、食事を提供しないのは「親の虐待」と考えているそうで、「貧困」が原因とは考え付かないそうです。また、都会に比べ高島市では核家族化が進んでおらず、おばあちゃんやおじいちゃんが同居していて、子どもが食事が取れないことは、極めてまれだそうです。さて、先日の「平和のための美術展・戦争展」で、印象的な絵画が展示されていました。この方は、東日本大震災の時に、福島県・いわき市に住んでおられ、被災されて高島市に転居されて来ました。あのNHKで流れる「♪花は咲く」の歌を皮肉ってありました。「花は咲くはうそだ 花なんか咲かないのに」と問いかける言葉に衝撃を受けました。(写真は、展示されていたAさんの作品です)

2016年平和のための美術展・戦争展。
2016/07/31

7月29日(金)〜7月31日(日)午前9時〜午後5時 安曇川ふれあいセンター エントランスホール 美しく豊かな自然に抱かれた 高島市「核兵器を廃絶し 恒久平和を希う都市宣言」「緑の山々 母なる湖 わたしたちのまち たかしま には 水と緑あふれる 豊かな自然があります 守り育てた美しい大地からは たくさんの恩恵をうけています 自然と人 人と人とがつながり よろこび はげまし 助け合い 日々の暮らしに感謝できること それらは 平和を愛するすべての人々の 共通の願いです しかし この地球には 今も核兵器が存在しています 核の存在により あらゆる命のいとなみが 一瞬にして奪い去られる脅威を有しています 今 わたしたちにできること ヒロシマ ナガサキの悲劇を繰り返さないために 核兵器の恐ろしさ 世界平和の尊さを みんなで一緒に考えます 今 わたしたちにできること 平和な今だからこそ 改めて「命」の大切さを 子どもたちと大人が 一緒に話合い できることから始めます そうして 今 わたしたちにできること 地球という「家」に住む 多くの家族の命のために 一人の小さな思いやりや行動を つなぎあい紡ぎあい より大きな輪へと広げます 核兵器のない世の中に向けて 世界でただ一つの被爆国として 核兵器を「もたない つくらない もちこませない」 この非核三原則を守り 全世界の人たちに 恒久平和の実現を呼びかけます この高島市には 世界中の平和をねがい 地雷廃絶など 様々な活動にとりくむ 多くの子どもたちがいます 子どもたちは 郷土の宝であり 誇りです この子どもたちをはじめ 世界の子どもたちの未来のために 恒久平和への想いと 希いを確認し 広く訴えるために 高島市はここに 「核兵器を廃絶し 恒久平和を希う都市」 であることを 宣言します 平成18年3月30日 決議 高島市議会 高島市」 高島市が「非核都市宣言」をしたのは知っていましたが、全文を読んだのは初めてで、なかなか良い文章になっていました。今年も行われた「平和のための美術展・戦争展」でしたが、年々展示内容が充実して来て見応えがありました。この日は(7月30日)は、午後1時から「平和映画会」があり、映画「戦場のピアニスト」が上映されていて、200名を超える参加者がありました。さて、7月も今日で終わりますが、今月も本当に早く感じられました。明日から8月が始まりますが、何か一つでも楽しい思い出に残る事があると嬉しいのですがどうなることでしょう?(写真は、あいばの演習場に着陸したオスプレイと、日米合同訓練で米軍と行動を共にする自衛隊員と、大型戦車から発車される弾丸です)

水口温泉「つばきの湯」。
2016/07/28

滋賀県にある温泉はすべて利用したと思っていましたが、ネットで検索すると甲賀市水口町に「つばきの湯」が新しく出来たのを知り、27日(水)のお休みに出かけて来ました。びわ湖大橋を渡り、守山市から国道1号線を走り、自宅からおよそ2時間ほどで目的の「つばきの湯」に到着しました。「つばきの湯」甲賀市水口町水口5572 рO748ー65ー5226 入浴料 大人650円 年中無休 車で 新名神信楽ICから国道307号線を北東15q 電車で 近江鉄道「水口城南駅」から徒歩8分 館内の設備は新しく、開業してから数年しか経っていない様でした。なぜなら、我が家のカーナビでは古くて出てこず、20分は探し回りました。売りにしてるのは「人工温泉」という、聞き慣れない言葉で「天然温泉」と同じ効能があるそうです。お風呂の種類は豊富で、露天風呂だけで4種類(薬湯、つぼ湯、シルク湯、高温湯)もありました。風呂上がり後は、隣接する「お食事処・壺の華(つぼのはな)」で頂きましたが、日替わり定食だけで3種類もあり、880円(ざるそばとミニ親子丼)、760円(唐揚げと各種フライ)、650円(昆布うどんとちくわの丼)とリーズナブルで食べられました。おまけに、食後のソフトドリンクは100円で飲むことが出来ました。かき氷も宇治、イチゴ、レモン、みぞれ、がそれぞれ220円でした。この温泉の姉妹店が守山市内にあり、「ほたるの湯」として営業しています。こちらは、守山市吉身4丁目5ー20 п@077ー514ー0591 こちらの施設も行ったことが無いので近いうちに利用したいと思います。帰路は、水口町から日野町に出ようと思いカーナビに入力すると、わずか30分ほどで到着し、驚きました。この辺の地図がよく理解出来ていないので、勉強不足を痛感しました。お土産に「日野牛・岡崎」に立ち寄り、ハンバーグとコロッケとトンカツを買いましたが、何故か「牛」は入っていませんでしたが、予算の関係だそうです。さて、地元の高島高校が高校野球の県大会で、あれよあれよと言う間に決勝まで残りました。実に21年ぶりの決勝戦で、期待が半分、不安が半分でした。結果は、近江高校3ー0高島高校で負けてはしまいましたが、よく頑張ったと思います。本当は、甲子園での試合が観たかったのですが、それは先の楽しみとし、取りあえずお疲れ様と言いたいです。(写真は、水口温泉「つばきの湯」の外観と大きな看板です)

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