今日から10月ですね。
2016/10/01
「空前の豊かさを生み出しながら、人間として生きる場では、なぜ貧しくも危なげな社会であるのか。『豊かさとは何か』(岩波新書)を、暉峻淑子(てるおかいつこ)刊行したのは列島がバブルに踊っていた頃でした。カネとモノがあふれる世に、私たちの暮らしは本当に豊かなのかと問うた経済学者の警鐘は共感をひろげました。奪われた時間、不安定な生活、余裕と思いやりの喪失・・・。人生わ味わうゆとりのないし社会は30年近くたった今も変わりません。表面的な豊かさに日本が浮かれていったのはいつ頃だろうか。社会学者の上野千鶴子さんは「高度成長の成果が国民に届いた60年代後半、日本は大量生産・大量消費の時代に入った」といいます。経済大国といわれる一方で見失ってきたもの。それを見つめ直す劇が都内で公演されています。小さなレストランを一大飲食店チェーンに成長させたある家族。彼らの視点から社会のひずみを描いた劇団民芸の「箆棒(べらぼう)」です。お客さんに笑顔になってほしい、従業員は仲間であり家族だ・・・。その理想と情熱をもうけを追及するなかで失っていく夫。人間らしく生き、周りや社会に誠実であろうとする妻。2人を取り巻く人びとの愛憎が人間らしさとは何かを。作・演出中津留章仁(なかつるあきひと)さんは「私たちは、いま一度立ち止まって、豊かな生活=お金という社会の構図を考え直さなければならない段階にきているのではないか」と。樫山文枝さん演じる主人公が口にする「心の消費」が真の豊かさとはを問いかけてきます。(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)なかなか難しいテーマですが、現代人が時間に追われた生活を続けているのは間違いないでしょう。ただ、我が家の母親の時代は掃除機も洗濯機もないのに家事をこなしていました。冷蔵庫だって、氷で冷やすタイプだったので、「買いだめ」も出来ず毎日市場に通っていました。今では、冷凍食品もあり、電子レンジや食器乾燥機もありますので、家事は楽になったはずなのに、嫁さんは「時間がない。時間がない。」とこぼしています。家電量販店に勤めていた弟が、「ヒット商品は、女性が楽になる商品」だと言っていたのが思い出されます。さて、今日から早10月になりましたが、週の半ばに台風が接近しそうです。今年は上陸する台風が多いですが、これも地球温暖化の影響かもしれません。(写真は、道の駅「追坂峠」で見かけた「サルビア」の花と、南浜ブドウ園で今が旬のブドウを買い求める人で混雑していました)
一日が慌ただしく過ぎて行きます。
2016/09/27
共生社会の実現誓う「相模原市の障害者施設「やまゆり園」で入所者19人が亡くなった事件から2カ月たった26日、国会内で犠牲者への思いを語り合いました。主催は「相模原障害者殺傷事件に対する緊急行動実行委員会」。19本のろうそくと色とりどりの花が献花され、障害者ら約300人が集まりました。呼びかけ人の鈴木治郎さん(神奈川県障害者自立支援センター事務局長)は{誰もが必要とされ生まれてくると思うので、不必要な命は一つもない。『障害者は生きていてもしょうがない』という加害者の考えは非常に悲しい」と訴えました。賛同人である岡部耕典さん(早稲田大学文化構想学部教授)は「事件で亡くなった19人の名前がなかったことについて考えてほしい。家族や本人がそうせざるを得なかったことを社会の責務としてよく考えなければいけない」と訴えました。会場からは生まれつき身体障害のある男性が「『(障害者は)迷惑かけていいんだよ。依存してもいいんだよ』というメッセージが日本を変える一番の手立てだと思います」と語りました。加藤真規子さん(精神障害者ピアサポートセンターこらーるたいとう代表)が「障害の有無によって分け隔てられないインクルシーブな(共生)社会をつくるなどをアピールしながら障害当事者として行動しよう」と呼びかけました。見形信子さん(神経筋疾患ネットワーク代表)が作成した「19人の軌跡」と題した歌が会場で流されました。」(27日付けしんぶん赤旗「社会」面より)もう、あの事件から2カ月も経ったのかと思うと時間が過ぎるのが早すぎる気がします。あの「やまゆり園」は、建て直すことが決まったようですが、どこかに慰霊碑を作ってほしいものです。さて、9月も残すところ4日となりましたが、あっと言う間に過ぎ去った気がします。考えれば、今年も後、3カ月になりますが、また少し人恋しくなる時期でもあります。(写真は、近所に咲いた色鮮やかな彼岸花と、壁を登るカマキリと、郵便受けに隠れたアマガエルです)
お墓参りは楽しかった?
2016/09/24
「1兆円を超える事業費を投じたすえに廃炉へ動き出した高速増殖炉「もんじゅ」。ここまで野放図に継続したのも、同炉が日本の原子力政策の本命として位置づけられてきたためです。その国産化が目標に掲げられたのは60年前のこと。国の原子力長期計画に「原子燃料資源の有効利用の面から見て、増殖型動力炉が、わが国の国情に最も適合すると考えられる」と明記されました。高速増殖炉の実用化の目標は当初1980年代後半とされましたが、95年のナトリウム漏れ・火災事故をはじめ事故やトラブルでほとんど運転していません。安倍政権の「エネルギー基本計画」では、ついに「高速増殖炉」の言葉さえ消えました。核燃料リサイクルは、原発の使用済み核燃料からウランとプルトニウムを取り出して再利用します。炉内で消費するプルトニウムより多くのプルトニウムを生むとする高速増殖炉は、サイクルの柱です。「夢の原子炉」と宣伝され、重大事故が起きても政府は強引に開発を進めてきたのです。政府の原子力関係閣僚会議が、もんじゅについては「廃炉を含め抜本的な見直しを行う」との方針を確認しました。もんじゅの廃炉が検討対象なら、プルトニウム循環を中心にした核燃料サイクル政策の破たんを意味します。世界から、大量のプルトニウムを保有する日本に対する核兵器開発の疑惑の目も強まります。にもかかわらず閣僚会議は核燃料サイクルを推進する新計画も発表しました。内外に破たんを取り繕う姿でしかありません。」(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 敦賀半島の先端にある、敦賀市白木地区は、「もんじゅ」さえなければ、綺麗な海と青空が似合う漁港があります。釣りをしていると、海底にいるグレやアジの泳ぐ姿が透き通るほど見えて来ます。また、元の静かな場所になるのも悪くはないですが、今後の事を考えると何かしらの支援が必要な気がします。さて、22日(木)は、安曇川駅を午後1時18分発の新快速に乗り、大阪・大東市までお墓参りに行きました。今回は、嫁さんが議会の最中なので、単独での行動でした。お墓に着いた途端、怪しかった空から雨が降り出し、急いで済ませて鴻池新田駅に戻って来ました。今日は、大阪・梅田でかつての同僚と待ち合わせをしていましたので、こちらが楽しみの本命です。午後5時から飲み出し、話が盛り上がり午後10時まで続きました。今日は早く帰れると思っていたのですが、安曇川駅には午前0時15分なっていましたが、楽しく過ごせた一日でした。(写真は、安曇小学校で行われた運動会の光景です)
台風一過なのに晴れません。
2016/09/21
「この人たちは何のために議員になったのだろう。公金を飲み食いに使い、領収書を偽造、改ざんする。手口は引き継がれ、会派ぐるみでやっていたという議員も。不正は日常化していた疑いが強い。政務活動費の不正取得が相次いで明らかになる富山市議会で自民党議員がまた一人、不正に関与していたことを認めました。この問題ではすでに自民会派の3人が辞職し、自民、民進系の計6人が辞意を表明しています。議員の調査研究のために支給された政務日費を当然のように遊興費に充てる。公私の区別さえつかないあきれた感覚は公のために働く議員とは相いれないものです。辞職した自民会派の前会長らは不正取得をくり返す一方、議員報酬の引き上げまで要求していました。6月議会で可決されましたが、日本共産党は根拠なしと反対。政務費不正でも追及の先頭に立ち、市議会に真相解明と再発防止を求めています。それにしても、この間の共産党議員の活躍ぶりは目覚ましい。富山でも東京都の豊洲市場の問題でも、ワイドショーからニュースまで党の議員が引っ張りだこ。市民からも「期待している」「がんばって」との声が続々と寄せられています。世間で注目を浴びる問題だけでなく、市民の代弁者としての役割は全国で。なぜ、それほどちがいが出るのか。地方で議員を7期務める知人は議員としての心構えにあるのでは、といいます。住民と同じ目線で日常の活動ができるか、それが追及される側と追求する側との分かれ道だと。」(20日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 富山市議会の議員報酬は、月額60万円でしたが、70万円に引き上げる事が決まっていましたし、政務調査費も別途月額15万円もありました。年収に換算すると1000万円を超えていたと思われます。この金額は、滋賀県議会の議員報酬に匹敵します。ちなみに、高島市議会の議員報酬は、月額31万円で、政務調査費は月額2万円です。月に一度、市政報告を新聞折込するだけで消えてしまいます。さて、連日ワイドショーで豊洲市場の問題点が放送されますが、関西に住む私たちにどれほど関係があるのか疑問です。むしろ、岩手県の岩泉町はその後どうなっているのか、熊本県の益城町の復興は進んでいるのかの方が関心があります。昨日は、台風16号が通り過ぎましたが、ここ安曇川では、安曇川が氾濫警戒水位に達したと防災無線で伝えていましたが、幸い大きな被害もなく収まりました。台風一過となれば、晴天だと思っていたのですが、今日も今にも雨が降りそうな曇天になっています。明日は、台風のせいで先延ばししていた大阪・大東市にお墓参りに行こうと思います。(写真は、越前海岸の「おさかなや」に並んでいたサワラ・アジ・ハタハタの珍しい魚です)
もうすぐお彼岸です。
2016/09/18
嫁さんの議会の合間を利用して、長女が帰省して来ましたので17日(土)に敦賀市に向かいました。いつも立ち寄る「鞠山・海釣り公園」は、土曜日のせいか、駐車場が満車で様子を伺う事が出来ませんでした。仕方なく、国道8号線に戻り杉津(すいず)地区から「さざなみ街道」を利用して、南越前町(旧河野村)に到着しました。いつもは釣り人の姿さえ見えないのに、今日は鈴なりになって釣りを楽しんでいる様です。ここから、越前町にある「漁火温泉」まで走りましたが、道路が混雑していました。午前11時過ぎに「道の駅・越前」に到着しましたが、ここでも駐車場が満杯で置く場所探しに一苦労しました。「お風呂も混雑していなければ良いけど?」と思いながら入館しました。前にも書きましたが、ここは障碍者と付添人は半額で、3人で1000円という格安の料金でした。お風呂に入る方は少なく、男湯は5〜6人だけで日本海を眺めながら露天風呂を楽しむことが出来ました。お風呂上りは、3階にあるレストラン「ブルーシー」で食べることにしました。長女は、特大のエビフライが乗った「エビどんぶり」1280円、私たちは節約して「から揚げ定食」と「天ぷら定食」880円にしました。長女は、食後に「コーヒーフロート」450円を注文してもらい、ご機嫌でした。今日は、空模様が怪しかったので、来た道を戻ることにしましたが、水曜日が定休の「おさかなや」に立ち寄り、「サザエ・ホタテ・鱧(はも)・イカの刺身」を買い求めました。再び敦賀市内に戻り、今度は国道27号線で三方町内まで走り「道の駅・三方五胡」に立ち寄りました。長女は、ここでアイスクリームとせんべいを買うことを決めています。レジで袋に入れてもらうと車に戻りました。ここから、国道162号線で海岸沿いを走り、小浜市内を目指しました。交差点には警察官が立っているので何事かと思っていると、小浜八幡宮の「放生(ほうぜ)祭」が行われていて「山車(だし)」を引く姿が、あちらこちらで見受けられました。少しだけ、小浜新港で釣りを見ていましたが、体長5〜10pの「豆アジ」と体長3〜5pの「イワシ」が釣れていました。時刻が午後4時になっていましたので、急いで先日お箸が折れた「おばあちゃん」のために、新しいお箸を買い求めました。「さあ、帰ろうか!」と掛け声をかけて、小浜市内を後にしました。(写真は、小さな波止に集まった釣り人と、「道の駅・越前」の外観と、「漁火温泉」がある施設です)
安曇川は出店ラッシュです。
2016/09/15
伝説と歴史の舞台を歩く・伊香立(いかだち)「比叡山系の山裾に実り豊かな田畑が広がる大津市の伊香立。葛川(かつらがわ)の明王院(みょうおういん)を創建した相応和尚(そうおうおしょう)が、この地を訪れた際、辺りから立ち上がる霊香を感じて「伊(異)香立」と名付けたという。この地を実際に歩いてみると、歴史も伝説も匂い立ってくるようだ。「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルとされる源融(みなもととおる)を祀(まつ)る融(とおる)神社、その近くの棚田の一画には「伏龍祀」(ふくりゅうし)と呼ばれる小さな祠(ほこら)が残っている。この祠は、この地で竜の骨が発見され、それを記念して建立されたものだという。文化元年(1804年)、地元の農民が谷を開墾中に得体のしれない骨を掘り出し、縁起のいい竜骨ではないかと近隣でたちまち評判に。この骨を領主に献上したところ、褒美(ほうび)に「龍」の姓とその土地を賜り、その地は龍ケ谷と名付けられた。明治の初めに来日したドイツ人科学者エドモンド・ナウマンがこの骨を鑑定し、約40万年前のトウヨウゾウの化石と判明。古代の琵琶湖が移動中に堆積した古琵琶湖層から出土したもので、日本列島と大陸がかって陸続きであった証しにもなったとという。現在、この化石は東京の国立科学博物館に所蔵されているが、下在地(しもざいち)にある「香(かおり)の里史料館」にはレプリカが展示されている。足を延ばしてみるのもいいだろう。」「香の里史料館・この施設では、伊香立の昔ながらの民家を再生し、懐かしい農具や”衣”食”住の生活用具を展示、かつての農村の暮らしが体感できる。2階にはトウヨウゾウのレプリカの展示やタッチパネルで操作する電子紙芝居があり、「伏龍祠」などの昔話が楽しめる。入館無料。」(クラブケイブン9月号より) この辺りは、古い民家が多く、地名も上龍華町・下龍華町となっています。また、2駅離れた「和邇駅」には、小野妹子の生誕の地もありますので、一緒に回れば楽しみも増えるでしょう。さて、今日の題名ですが、明日16日にはカー用品の「イエローハット」が、新規にオープンします。また、ディスカント・ドラッグ「コスモス」(本社福岡市)も近日オープンします。すでに、「ユタカ」と「キリン堂」があり、激戦が予想されます。さらに、国道161号線沿いには、綜合スーパー「プラント3」(本社福井市)も出店するとの噂です。高島市は、10年前の合併時の人口は56000人だったのが、50000人を割り込みました。人口減と高齢化で、市場的には伸びる要素が少ないのに、この出店ラッシュはなぜなんでしょうか?「大手同士の潰しあい」が始まったのかもしれませんが、「小さなお店」はますます生き残れなくなりそうです。(写真は、少し見にくいですが、青空にトンビが大集合していました)
今年のカープは強かった。
2016/09/12
「泥に埋まった住宅。道路わきでひっくり返った車。懸命に自宅から泥を掃き出す住民・・・。岩手県岩泉町で目の当たりにした光景は」、台風10号の被害の大きさと深刻さを物語っていました。「大震災のときは、ここまで津波がこなかったのに、まさか川の洪水にやられるとは」。台風被災者に話を聞いたのは、避難所になっている同町の「津波防災センター」。東日本大震災の後に作られた施設です。台風10号で死者・行方不明者が20人を超える同町では、津波でも10人が亡くなりました。隣接する宮古市も台風で冠水などの被害にあいましたが、震災では500人が犠牲になっています。震災にあった自治体では、津波対策の防潮堤などの整備を急いできました。一方で河川の治水対策が遅れがちだという指摘も。岩泉町の9人が亡くなった高齢者施設のある地区は、県が震災前に浸水想定区域図を策定していたのに、震災対策に追われた影響で町に伝えられてたかったといいます。岩泉町で自ら被災しながら被災者支援に駆け回っている日本共産党の林崎町議の訴えが切実です。「津波被害に追い打ちをかける洪水被害。私たち一丸となって復旧にあたるが、国や県の全面的な支援が絶対必要です」。「住民の命と財産を守るため」と戦争ができる国づくりに執念を燃やす安倍首相。「命と財産を守る」というのなら、本当にやるべきことは山ほどあるはず。震災から5年半を経ても苦しみが続く被災地の現状を見れば、誰の目にも明らかです。」(11日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 東日本大震災では、5年半も経過しながら、仮設住宅に住む住民が2万人を超えると新聞が書いていました。また、4月に発生した熊本大地震では、益城町の映像が映され倒壊した家屋がそのまま放置されていました。結局は、「自己責任」で解決しろと言う事なのでしょが、被災者に冷酷だと感じるのは私だけでしょうか?さて、プロ野球のセリーグは、広島カープのダントツの力で優勝しました。それに比べ、我が阪神タイガースの不甲斐なさが目立ったシーズンでした。日本シリーズも、この勢いで勝ち進み、是非日本一になってほしいものです。(写真は、夏の終わりを感じさせる高島町の萩の浜から見た琵琶湖の景色です)
一日遅れの店長日記。
2016/09/09
ETV特集・関東大震災と朝鮮人「9月1日の「防災の日」が、1923年の関東大震災にちなんで制定されたことはよく知っています。しかしこの大震災の中で起きた数千人ともいう朝鮮人虐殺はどれだけ知っているでしょうか。番組は2009年の中央防災会議の報告、当時の司法省の記録を読み解き、民間の調査を加え事実を復元します。司法省が事件として立件した51件の記録分析から9月3日をピークに231人が殺害され、東京から近県に拡大する戦慄(せんりつ)の詳細が浮かび上がります。まだラジオのない時代、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が広がります。デマに拍車をかけたのが国や公の機関。警察は「朝鮮人3000と砲兵隊が江戸川はさんで交戦中」という奇怪な情報を流し、内務省は朝鮮人を取り締まる通達を出します。各地の自警団結成、集団的虐殺の拡大を描出。国家的ともいうべき犯罪を許した植民地支配と差別、蔑視が広がる歴史に」も踏み込みます。国がろくな調査をしていない中、事件の真実に迫る報道は貴重です。朝鮮人犠牲者を悼み、残虐行為を次の世代に語り継ぐ人も登場。「日本人は知る努力を」という市民のコメントが胸を衝(つ)きます。 ヘイトスピーチが跋扈(ばっこ)し、加害事実の抹殺の圧力が強まる今、歴史を見据えた番組の必要性を痛感します。」(きょう9日(深夜0時)にNHKEテレで再放送)(9日付けしんぶん赤旗「番組をみて」から) 関東大震災時に朝鮮人の虐殺があった事は、しんぶん赤旗の記事で読んだ記憶がありますが不幸な事件です。さて、新しいパソコンにも慣れて来ましたが、前のパソコンのデーターが復元できず泣いています。デターのバックアップを取ってないからだと周りから苦言を言われますが、そんな事は分かっていてもなかなか出来ることではありません。(写真は、突然現れた大きな積乱雲と、湯楽里の男湯の入り口と、受付から風呂場に上がるエレベーターです。)
新しいパソコンが来ました。
2016/09/05
昨夜のNHKスペシャル(NHKテレビ=午後9時〜)「4回にわたり、災害・異常気象・新種ウイルスなどの脅威の正体を解き明かし、その対策の最前線に迫る。第1回は、異常気象に立ち向かう科学者たち。4年後、北極の氷が全て解ける可能性があるという。」 最初から最後まで見ましたが、あまりの衝撃に言葉がありませんでした。北極圏の氷(永久凍土)が解け出し、その中に含まれる「メタン」が大気中に放出されると、さらに温暖化が加速すると警告を発していました。また、2030年には東京の夏の気温が46℃にもなると予測され、屋外での活動は困難になるそうです。北海道では、流氷が年々小さくなり、接岸してもすぐになくなるとの事です。台風の発生も今より10度ほど北で起き、日本近海では勢力が衰えず、被害が大きくなります。海の魚も、海水温の上昇で、この時期に獲れる「サンマ」が不漁で、「アジ」や「イワシ」が大漁だそうです。もし、今の生活を見直ししても、産業革命があった頃の地球環境に戻す事が出来るとしても、数十年はかかるだろうとのお話でした。次回は、「地震予知」はどこまで可能かがテーマですので、皆さんも見てください。さて、新しいパソコンが来ましたが、ソフトの使い方が変わり、ただただ戸惑っています。これも慣れだと思ってはいますが、年を行くと柔軟性がないのでしばらくは友人に迷惑をかけそうです。(写真は、実りの秋を迎えた田んぼと、湧き出す水が少なくなった秋葉の水と、2004年当時の子供たちの手形ですが大きくなっている事でしょう?)
稲刈りが始まりました。
2016/09/02
「レオタードの色は、華やかな赤から抗議の黒へと変わっていきます。1954年東京五輪。当時、体操女子のテェコスロバキア代表だったベラ・チャスラフカスカさんの演技に日本中が注目しました。「名花」。流れるような優美な体操はそうたたえられました。それから4年後のメキシコ五輪。個人総合で連覇を果たした彼女の演技は気迫がほとばしりました。直前に生まれ育ったプラハの街がソ連の戦車に踏みじられていたのです。68年、覇権主義のソ連とは別の道を歩もうとしたチェコの民主化運動は最高潮に。「プラハの春」と呼ばれた運動をチャスラフカスさんも支持。多くの知識人や著名人とともに、誤った社会主義との決別を表明した「二千語宣言」に署名しました。チェコの自主的な運動を「社会主義からの逸脱」と非難したソ連は東欧4カ国の軍隊を率いてプラハに侵入。武力で干渉し、弾圧と迫害が始まりました。祖国のヒロインの生活も一変します。職を奪われ、度重なる脅迫や盗聴におびえ、命ともいえるスポーツも取り上げられる。しかし絶望と苦悩の日々の中でも、彼女は最後まで署名を撤回せず、信念を貫き通しました。それから約20年後、東欧諸国が改革を成し遂げた後、チャスラフカスさんは本誌特派員のインタビューにこう答えています。「良いことは必ず勝利すると信じていた」。74年の激動の生涯。一輪の名花はどんな困難にも枯れることなく、自由を求めて凛(りん)として輝きつづけました。」(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より) 東京五輪の時は、私が小学校5年生だったので、「綺麗なお姉さんがいるな」と記憶しているくらいで申し訳ありません。さて、安曇川では、稲刈りが始まり黄金色に実った稲を見ると秋を感じさせてくれます。ただ、豊作でも米価は下がる一方で、一俵(60`)9000円となっています。私が知る限りでは、18000円でしたから、30年で半額になってしまいました。これでは、跡継ぎがいないと嘆く農家の気持ちが分かります。ところで、この「店長日記」も壊れたパソコンで書いていますが、復旧は5日以後になりそうで不自由な生活が続いています。(写真は、よく立ち寄る南越前町にある道の駅「四季采」と、しきぶ温泉「湯楽里」に飾られた「紫式部」と、お風呂の待合室から見た木製の天井です)
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