メガネ・補聴器・光学用品専門店・気軽に何でも相談・滋賀県福祉法指定店
メガネ・補聴器のフクイ メガネ・補聴器のフクイ
メガネ・補聴器のフクイ トップ 紹介 掲示板

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ
11月も今日で終わりですね。
2016/11/30

広島発地域ドラマ「舞え!KAGURA姫」NHKプレ午後10時〜「地域の守り神に奉納する神楽の舞は地元色が強い。番組の舞台・広島県北部に伝わる神楽は演劇的で大らかな舞が特徴。舞に生き方を重ね、舞の所作に信頼を編み込んでゆく若者たちの物語だ。脚本・櫻井剛、演出・押田友太、NHK広島制作。高校生の咲子(葵わかな)は離婚した母・美土里(大塚寧々)と共に東京から祖母の住む田舎に移住した。そこは、暮らしの中に神楽が息づく町。子どもも舞の型で遊ぶほどだ。転校先で戸惑う咲子に、自由奔放な珠希(中村ゆかり)や神楽部部長の道郎(中村梅丸)が声をかける。一緒に神楽を舞おう。部のテーマは「空気を読むな、息を合わせろ」=互いに自分を出した上で相手を受け入れるということ。両親の離婚も転居も親の顔色を見て仕方なく受け入れてきた咲子に、珠帰は「親のためとか一番つまらん」とグサリ。次第に心を開く咲子が、ある事情から「全国神楽甲子園」に出演することに・・・。若者の激しい舞いと、白鷺(しらさぎ)が遊び霧が流れるのどかな里山の風景の対比の妙。初心者の舞の上達の早さに疑問が残るが、地元の方々の厳しい指導のたまものということだろう。」(30日付けしんぶん赤旗「試写室」より)さて、今日で11月も終わり、当たり前ですが今年も残すところ一月となりました。今朝、散歩をしていたら知人がお宮さんのイチョウの葉を掃除していました。「ボランティアですか?」とお聞きすると、「今年は、宮守の役が回って来たんや」との話でした。思わず「へ〜っ、そんな役があるんか?」と驚きました。(写真は、近所を散歩中に撮影した景色です)

秋深し、となりは何をする人ぞ。
2016/11/27

「子どもたちのヒーロー、アンパンマンには、ばいきんまんという敵役がいます。生みの親やなせたかしさんは生前、人間の光と影を描こうと思ってつくり出したと語っていました。絶望のとなりにはきっと希望がある。やなせさんが子どもに呼びかけたメッセージです。見知らぬ地でばい菌扱いされ、暴力を振るわれ、お金をせびられ、死の淵まで追い詰められた彼の心に希望の光は届いたのだろうか。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。原発事故で福島から転校してきた横浜の小学校で、いじめを受けていた男子生徒が手記をつづっています。「放射能」や「賠償金」。手記の中に出てくる言葉は、故郷を追われて傷ついた心をさらに。絶望のサインを受け止めなかった学校や市の教育委員会にも記者会見した両親は「何もしてくれなかった」「八方ふさがりになった」と不信感をあらわにしています。いじめには教育や社会のあり方がかかわります。競争と管理の教育、弱者をいじめ、攻撃する社会や政治。苦しむ福島の住民に「最後は金目でしょ」と言い放った石原伸晃・元環境相のような人物も。政権の心ない姿勢がゆがんだ見方を助長しています。子どもの世界はおとな社会を映す鏡です。手記を公表した男子生徒は、いま同じような境遇にある人たちに伝えたいと。「苦しくても生きて。死を選ばないで」。その励ましを生かすのはおとなの責任です。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この記事を初めて見た時、背後に大人の社会の悪影響があると思いました。「放射能」や「賠償金」などと言う会話が行われていたのでしょう。それにしても、学校や教育委員会の対応はあまりにお粗末です。日常的に「ことなかれ主義」に陥っていたとしか思えません。さて、夜に近所を散歩していると、あちらこちらから笑い声が漏れて来ます。「楽しそうやな」と思うと同時に、「となりは何をする人ぞ」との言葉が浮かんで来ます。(写真は、珍しいピンクの椿の花と、わずかの葉っぱを残した桜の木と、赤く色づいた垣根の木々です)

「駆け付け警護」て何?。
2016/11/24

「『戦争』を『事変』と呼んだ時代を思い起こされる」。最近話を聞いた南スーダンに詳しい専門家が、そう心配していました。「戦闘ではなく衝突」「ジュバは比較的落ち着いている」。実態とかけ離れた説明を繰り返し、「駆け付け警護」などの新任務を付与した安倍政権。専門家が危機感を抱くのも当然です。南スーダンでは7月に内戦が再燃。ジュバでの大規模武力戦争では、キール大統領派が戦車や攻撃ヘリまで動員しました。8月にも攻撃ヘリを使い、マーシャル前副大統領派を追って隣国のコンゴ民主共和国領内まで侵入。これが「戦闘」でなければ何なのか。安倍政権は今回、自衛隊の活動地域をジュバとその周辺としました。ジュバではマーシャル派が一掃されたため、自衛隊が向き合うのはキール派政府軍になります。問題は、この政府軍です。最新の国連専門家委員会の報告書(15日付)によると、政府軍の最高幹部自身が国連を「悪者扱いしている」。PKO(国連平和維持活動)部隊の活動妨害といった地位協定違反が9月だけでも19件、そのほとんどが政府軍の命令によるものだったといいます。報告書は「乾季が始まる11、12月に暴力がより悲惨な形で激化する可能性が高い」。そこへ自衛隊が投げ込まれることになります。かつての侵略戦争への痛苦の反省から生まれた日本国憲法。それを踏みにじり、ふたたびウソの説明で、今度は自衛隊が海外で「殺し殺される」道に。歴史を繰り返させてはなりません。」(24日付けしんぶん赤旗「潮流」より)南スーダンへの派遣を強引に進めたのは、「官邸」と「外務省」と言われていて、「防衛省」は慎重派が多かったそうです。NHKのニュースでも見ましたが、派遣された青森県では貧困な家庭が多く、自衛隊に入隊する若者も全国で一番多いそうです。「原発」にしても「自衛隊」にしても、根本にあるのは「貧困」なのかもしれません。(写真は、近所のお宮さんの黄色く色づいたイチョウの木です)

大沙川(おおすながわ)。
2016/11/21

天井川の堤に立つ弘法大師ゆかりの大杉「川底が周辺の平面地より高くなった川を”天井川”という。国土交通省の2012年の調査によると天井川の数は全国で217本、その3分の1以上が滋賀県に集中している。古代、都の寺院建立のために近江の山々から多くの材木が伐り出され、その結果、多くの土砂が川に流され、長年にわたり下流部に堆積して川底が上昇したと考えられる。湖南市吉永の大沙川も典型的な天井川で、この下を旧東海道が通っている。半円アーチ型石積みの大沙川隧道(ずいどう)は、滋賀県下で最初に築造された道路トンネル。このトンネルの上の堤に一本の大杉がそびえている。地元では「弘法杉」と呼ばれ、その昔、弘法大師がこの地を通りかかった際、ここで食事をとったあと杉箸(すぎばし)を差しておいたのが芽を出し、それが成長したものだと伝えられている。また、左利きの子どもがこの木の枝で作った箸を使うと、自然と右手で箸を持って食事をするようになるともいわれ、下の方の枝はたいてい切り取られていたとか(地元の案内板より)。もともと杉の木は2本あったそうだが朽ちてしまい、里人が再び植え直したが、その後、台風で一本が倒壊したともいわれている。東海道を行き交う旅人たちは、弘法杉をどのように見ていたのだろうか。」「大沙川隧道は、旧東海道の水口宿と石部宿の中間地にあたる。三雲学区では旧東海道(きずな街道)の観光マップが設置され、吉永バス停には休憩所もあり、三雲城跡ハイキングコースの起点にもなっている。11月19日(土)・20日(日)には東海道ウォーク「みちくさコンパス」も開催予定。」(クラブケイブン11月号より)私は湖南地区の地理に詳しくないのでまだ知りませんが、機会があれば立ち寄りたいと思います。さて、安曇川では毎日すっきりと晴れる日が少なくなり、ほとんど曇天になっています。あさってから寒くなり、平地でも雪が降るかもしれないと天気予報が伝えていました。今年は寒くなるのが早いようで、冬用タイヤの交換も急いだほうが良さそうです。(写真は、だんだんと冬景色に変化してゆく、近所の景色です)

高齢ドライバーの事故。
2016/11/18

「「亡くなったことを受け入れることができません」。登校中の列に軽トラックが突っ込み、命を奪われた横浜市の6歳男児。突然の悲劇に家族は今も深い悲しみの中にいます。栃木・下野(しもつけ)や東京・立川では病院の敷地内で乗用車が暴走し、3人の男女が死亡。いずれも運転者は80歳を超えていました。高齢ドライバーによる相次ぐ死傷事故。状況を知るほどやりきれない思いが募ります。警視庁によると高齢の運転者が関与した交通事故の割合は年々高く。近年は総件数の2割を占め、10年前と比べて約2倍も増えています。死亡者数の高齢者の割合も増加の一途です。認知症や加齢に伴う身体機能の衰えは、事故に遭い、事故を起こす危険を高めます。今の日本を象徴するクルマ社会と高齢化。重なる二つの課題は深刻です。警視庁は運転免許の自主返納を促しますが、それだけで解決できる問題ではありません。マイカーがなければ生活できないお年寄り、過疎地では公共交通の廃止で足が失われています。免許取り上げや返納の強制がその人の誇りを傷つけることにも。事故を防ぐ道筋は一本ではないでしょう。日本老年精神科医学会は多岐にわたる提言を。道路交通インフラの安全対策や車の装備改善、返納者へのタクシーやバス乗車の利用券支給、認知症を一律に運転制限の対象としないー。社会の安全を担保しつつ、同時に高齢者の尊厳を守り、生活の質を保証することが欠かせないと。それは人にやさしい社会づくりにも通じるはずです。」(18日付けしんぶん赤旗「潮流」より)ここ高島市でも、山間部などではほとんど公共交通がなく、マイカーがなくなると買い物や病院通いも困難になります。私の知る限りでは、遅いですが90歳をめどに免許証を返納する人が多いようです。過疎地における市の対応が、一日も早く求められています。さて、今日の安曇川は快晴で、気持ちの良い日です。先ほど、お客さんが「朽木の紅葉を見て来ました」と話されていて、「最高やったわ」との事です。(写真は、マキノ町のメタセコイヤ並木の続きです)

赤旗「釣りだより」。
2016/11/15

【兵庫・須磨海岸堤防のガシラ】6日、晴れ、小潮、無風。神戸市・須磨海岸の堤防(幅30a)で、午後6時〜7時半までに、ガシラ15〜22a4尾、セイゴ20a1尾。波止の根元は広く平ら。サオ4・5b、道糸3号、ハリス1・5号、ハリ・チヌ2号、エサ青虫、電気ウキ1号。ウキ下1bで誘う。メバルも出る。(兵庫・根津富太郎)
【大阪・泉大津人工島のタチウオ】6日、晴れ、小潮、弱い西風。泉大津市・人工島の波止で、午後4時〜6時までに、タチウオ80と90aの2尾。友は5尾。水位は低かった。足場はテトラで要注意。投げザオ3・9b、、道糸3号、ハリス・ワイヤー4・2号、ハリ丸セイゴ7号、オモリ2号、電気ウキ、エサ生きたカタクチイワシ。波のない時は食いが悪い。ウキ下2ヒロで沖へ投げる。早アワセは禁物。南海線泉大津駅から徒歩20分(赤旗APC・大阪・和泉釣吉)
【和歌山・煙樹ケ浜海岸のグレ】4日、中潮。美浜町の煙樹ケ浜海岸で、午前6〜9時までに、グレ35a1尾、アイゴ31と32aの2尾。浜の西端で釣った。砂利浜からのカゴ釣り。海の中には磯が点在している。磯ザオ3号6・3b、道糸ナイロン4号、ハリス2号3b、グレバリ5号、ロケット天びん3号、エサ・オキアミ、コマセ・オキアミ+アミエビ+麦。阪和道御坊ICから西へ8`。無料駐車場がある。(大阪・津田信治)
釣りに興味のない人には、まったく意味がないと思いますが、私には何よりのニュースです。釣れる魚の種類によっては季節の移り変わりも感じられ、「タチウオ」が釣れるのは、秋から初冬までですので、「もうそんな時期か」と感慨深くなります。赤旗にはこんなニュースも掲載されていますので、政治に興味のない方も楽しめると思います。さて、今日も小学校の恩師であるS先生が来店され、わずかな時間が出来たので、マキノ町の「メタセコイヤ」の並木道を撮影して来ました。平日にもかかわらず、観光バスや自家用車で多くの観光客がありました。残念ながら、「メタセコイヤ」の紅葉には少し早く、代わりに色づいたポプラの木を写しましたが、あいにくの時雨模様で思うようには行きませんでした。(写真は、メタセコイヤの並木と、色づいたポプラと、レストランに置かれた大きなぬいぐるみです)

「戻りたいけど、戻れない」B。
2016/11/12

国、東電、県も打ち切り方針「汚染水のダダ漏れ等未だに原発事故は収束せず、県内外で約8万7千人が避難生活を余儀なくされている。ところが政府は昨年6月、与党の第五次提言を受け、「福島復興の加速に向けて」(改訂)の閣議決定をした。それは帰還困難区域を除き「遅くとも17年3月までに避難指示を解除」し、避難慰謝料は「2018年3月まで」とするなど一方的な打ち切り方針を打ち出したのである。「切り捨て」そのものである。直後の6月15日、福島県は自主避難者の住居無償提供を17年3月で打ち切り、所得に応じた「家賃補助」に切り替えると発表。さらに6月17日、東電が発表した営業損害賠償の方針は「年間逸失利益の2倍」、即ち将来分も含めた一括払いとし、あとは「本件事故との相当因果関係」を加害者である東電が判断する、という事実上の賠償打ち切り宣言である。避難先での営業再開はごく一部に過ぎない。「俺たちは何も悪いことしていない」、60代の男性の一言は加害者の責任を問い詰めるものであり、被害者で終わるわけにはゆかない決意である。「戻りたいけど、戻れない」これほど被災者の今の気持ちを表した言葉は他に見当たらない。いま避難自治体では、政府主導による避難解除が強行されている。楢葉町は一年前の9月5日「帰還モデルケース」として避難解除されたが、帰還した町民は7300人のうち681人、1割にも届いていない。今年7月に解除された南相馬市は約9%、葛尾村は85人、6・5%でしかない。除染後の高い放射線量、医療や介護、買い物などの不備、イノシシなどが跋扈(ばっこ)する野生動物の恐怖などなど、帰還できる生活環境には程遠いのが現状である。原発ゼロ、再稼働反対の運動は、平穏生活権など、憲法と人権、平和を破壊する安倍政権打倒の闘いそのものである。」(終わり)(10月25日付け救援新聞より)先日、浪江町を訪ねた恩師のS先生から写真を見せて頂きましたが、漁船や車のガレキはなくなっていました。その代り黒や白の袋に入れられた「除染土」が高く積み上げられていました。広大な空き地には雑草が生い茂り、ここが畑だったのか田んぼだったのか見る影もありません。さて、今日は快晴で気温も上がり、絶好の「紅葉狩り」日和になりました。有名地では、沢山の観光客で賑わっていると思うと羨ましい限りです。(写真は、ハローウィンの一場面です)

「戻りたいけど、戻れない」A。
2016/11/09

震災関連死が2千人以上に。「「震災関連死」391人。これは3・11以降、直近までの東日本大震災・原発避難による浪江町民の「原発避難死」の数である。終わりなき災害関連死である。これは直接死182人の2・1倍に上る。福島県内の「避難関連死」は直接死を477人も上回る2081人(2016年9月現在)、被災3県では断トツである。住環境では、福島県の復興公営住宅の建設計画は、原発避難から丸3年後の2014年4月1日からようやく入居受け付けが開始されたのである。県の建設計画は4890戸で募集計画は2545戸、即ち事業の大幅遅れに加え、募集計画は全体計画の52%しかない、ということである。復興公営住宅に入居できた浪江町民は9月末現在373戸に過ぎない。そのしわ寄せは、5年7カ月過ぎても仮設住宅に1578戸、入居者は2816人もの人々が劣悪な仮設住宅の生活を余儀なくされている。また、アパートなど「借り上げ住宅」には3677戸、6849人もの人が未だに「仮住まい」のままである。健康面では、平成23年3月現在の介護認定者は841人だった。今年7月ではその1です72倍の1450人というのが実態です。これは長期避難の各自治体もその傾向は同じである。浪江町の認定の特徴は要支援2が2・4倍、要介護1が2・6倍、要介護2が2・0倍といずれも2倍を超えている。要するに「あつい」、「さむい」、「せまい」という生活環境が現在も以下の発症を顕著にしている。(*高血圧症、精神および行動障害の総合失調症、分裂病型障害、、腎不全、栄養・代謝疾患の糖尿病、歯周炎及び歯周疾患、悪性新生物(ガン)とも増加している。(浪江町民の「健康白書」仮設津島診療車医師・関根 修二 平成26年12月発行より)。」(次回に続く)(10月25日付け救援新聞より)「復興!復興!」と声高に政府は言いますが、実際はほとんど進んでいないのですね。さて、アメリカの大統領選で予想に反して「トランプ氏」が当選しそうな勢いです。イギリスのEC離脱以来の大きな出来事になりそうで、この先どうなるのか心配です。(写真は、満1歳を過ぎていたずらが絶えない孫と、ハロウィンに買ったショートケーキと、壁に大の字で張り付いたアマガエルです)

「戻りたいけど、戻れない」@。
2016/11/06

「福島」、そして浪江町のいま「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年7カ月。今年2月発表の国勢調査によると、福島第一原発立地の双葉、大熊、富岡そして隣接する浪江の4町が人口ゼロになりました。被災地の現状について、現地福島県から3回に分けて報告してもらいます。1回目は、浪江町議会議員(日本共産党)の馬場積(いさお)さんから「浪江町のいま」を寄稿していただきました。」子どもの夢や人生を奪った「今日もまた 仮設校舎と 格闘中 あーあつい あーさむすぎる 狭すぎる」「これは第36回福島県川柳賞(福島県、県川柳連盟、福島民報が主催)で、青少年奨励賞に輝いた、福島県立浪江高校津島校3年、柴田結実さんの川柳である。あの日から5年7カ月、柴田さんの母校がある浪江町津島地区は、最も放射線量の高い帰還困難地域にあり、未だ除染の計画すら示されていない。生徒は原発事故以来、本来の母校には一日も通学できず、60キロ離れた二本松市内にある安達高校の片隅に建てられた「プレハブの仮設校舎」で学んでいる。これは原発避難の現実を自分の目から素直に、しかも鋭く捉えた句であると僕は思う。しかも双葉郡内にあった五つの県立高は、県内各地にサテライト校として開設されてきたが、福島県教育委員会は2015年4月から生徒募集を停止、2017年3月で「臨時休校」にする、との方針をすでに決定している。「休校」というよりも事実上の「廃校」である。ちなみに津島分校は68年の歴史と伝統を持ち、地域の教育・文化の象徴的存在であった。原発事故は地域の将来と存続、生業ばかりか、子どもや若者の夢と人生まで奪ったのである。」(次回に続く)(10月25日付け救援新聞より)ここ高島市でも、子どもの数が減少していて、今年3月には安曇川町・広瀬小学校が廃校になりました。これで市内で3番目となりますが、地域住民の失望は大きいと思います。さて、昨日のラグビーテストマッチで日本20−54アルゼンチンと大敗をしましたが、簡単にゲインを切られる展開でした。点差はデフェンス力の違いがそのまま表れましたが、どこまで修正できるのか先行きが心配です。ところで、今日の安曇川は、空は快晴なのですが冷たい北風が強く吹いています。時々看板が倒れそうになり、慌てて押さえに走りますが突風に驚いています。(写真は、安曇小学校の校門付近に植えられた花々です)

憲法公布70年になりました。
2016/11/03

「その条文を初めて目にしたとき、愛国青年だった畑田重夫さんは絶対に生涯離すまいという思いにかられたといいます。そして93歳になる今も日本国憲法を持ち歩いています。前文の冒頭からうたい上げた徹底した国民主権。家畜以下の扱いを受けた兵役生活から解放された「人身の自由」。何よりも戦争放棄と戦力の不保持を定めた9条。それを手にしたときの感激は忘れられません。(『わが憲法人生 七十年』)。敗戦の荒廃の中、新憲法が公布されたのは70年前のきょうでした。当時国会で天皇裕仁(ひろひと)が読み上げた勅語はこんな言葉で結ばれています。「この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和をとを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ」。日本を破滅へと導いた軍国主義から、平和と民主主義を掲げた新憲法のもとで新たな国づくりに踏み出す。時代の大きな転換を多くの国民は感動と喜びをもって受け止めました。しかしいま、改憲に執念を燃やす安倍首相は世界に先駆けてきた新憲法の理念を、ふたたびひっくり返そうとたくらんでいます。新生日本の出発点となった11月3日。それを明治の時代を振り返る日にしょうという自民議員らの動きも。戦前の「明治節」を復活させる逆行です。日本国憲法がもつ新鮮で豊かな中身は、世代をこえて出会った人たちに。若手弁護士の白神(しろか)優理子さんは自分の生き方を変えたと話します。「人間の歴史が前に進んでいることを証明してくれる希望の存在」なのだと。(3日付けしんぶん赤旗「潮流」より))あれは、中学2年生の頃ですが、憲法前文を丸暗記する課題が出されました。おかげで、今でも7〜8割は覚えています。さて、今日は「文化の日」でもありますが、近くの「ふれあいホール」で発表会もありました。時間が取れれば、見学に行きたいと思っていましたが、予想に反して一日中忙しくて叶いませんでした。(写真は、前回のハロウィーンの写真の続きとなります)

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ


Copyright (C) 2006メガネ・補聴器のフクイ. All Rights Reserved.
お問い合わせ