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やっとパソコンが治りました。
2010/09/15

今日まで店長日記をさぼっていたわけではなく、12日(日)に突然パソコンが立ち上がらなくなりました。自分で何度も挑戦したのですが、私の能力ではいかんともしがたく、友人に助けを求めました。原因はハードデスクの破損ということで、交換してもらいましたが悲しいことに、今まで保存しておいた写真が全滅となってしまいました。「そんなのバックアップしとかなあかんで」と言われ、ますます落ち込んでしまいました。「あ〜あ、もう一つのパソコンにも保存しておけば良かったのに」と「後悔先に立たず」になってしまいました。唯一、この店長日記にある写真だけが貴重な?ものになりましたので、どこかに保存したいと思います。さて、9月も中旬になり安曇川では、朝夕の気温が一気に下がりました。もう窓を開けて寝ていると、夜中に寒くて目が覚めるほどになりました。また、昨夜など「防災無線」で「近所に熊が出たのでご注意下さい」と放送していましたが、いったいどう注意したら良いのかわかりません。「熊に出くわしたら、あわてずに、後ろを見せず遠ざかりましょう」てそんな余裕があるだろうか自信がありません。今年は、猛暑のせいで食べ物が少ないのか、マキノ町でも今津町でも新旭町でも熊が出没しております。熊といえども、希少な動物ですから殺さずに生け捕りにして山に返してあげたいものです。写真は、稲刈りが進む新旭町の田んぼです)

お米の値段がまた下がった。
2010/09/09

今年は猛暑のせいか高島市では例年より一週間ほど早く稲刈りが始まりました。知り合いの農家から米を分けてもらっている我が家でも、もうすぐ新米が食べられるのではと期待しております。ところで、今年のお米の先渡し価格がJA今津で発表されましたが、コシヒカリの一等米が60`(一俵)なんと1万円だそうです。私が安曇川に来た26年前が1万8千円ほどしましたので、ほぼ半額になったと言うことです。一反当たり平均八俵の収穫量ですから8万円しかなりません。これでは、一丁で80万円と言う額にしかなりませんので生産意欲は無くなるでしょう。これから、高い機械代や肥料代や苗代など引けば何も残らないと言う事です。先日もお客さんが「農協から電話があって、肥料代が残高不足で引き落とせない」と言われ「仕方なく、年金を引き出して支払いに充てた」と話しておられました。以前はこの安曇川辺りでは、「盆正払い」と言って、春から夏までの借金はお盆に払い、秋から冬の借金は正月前に払うという商習慣があったようです。その支払いに充てる大金は、米代金が入り少し生活に余裕が出来たからです。ご近所の商売されている年配の方のお話では「呉服屋や家具屋さんは、この時が一年で最も忙しい時期だった」と回想していました。消費者として米の値段が下がるのは有り難い事ですが、すでに耕作放棄されている田んぼを見る度、心が痛みます。この先、お米まで輸入に頼るようになるのではないかと思いますが、世界的に食糧不足と言われる昨今、何らかの政治的手当が必要だと思います。それにしても、お米を食べなくなりましたね。私など、朝に一膳、昼に一膳、夜は晩酌するのでまったく食べません。我が家で最もお米を食べているのは、年老いた両親かもしれません。(写真は、今年も見つけた葛の花とサルスベリと名前の知らない白い花です)

追跡!消えた高齢者。
2010/09/06

昨夜のNHKスペシャルで放映されていた「追跡!消えた高齢者」は、なかなか見応えのある番組でした。「所在不明の高齢者が相次いで発覚する異常事態。所在不明者の多くが、地縁や血縁など社会とのつながりを失ったまま”無縁化”している。所在不明の高齢者に年金が支払われ続けているケースが幾つも明らかになり、親の年金を頼りに生活せざるを得ない家族の深刻な事情が見えてきた。」(番組案内より)最初に登場した方(長女)は、30年も前から母親の所在が分らないケースでした。両親と三人兄妹の五人家族でしたが、父親の死亡が生活を激変させます。やがて妹は嫁ぎ、自分も就職が決まり一緒に暮らそうと誘いますが、母親は弟と暮らすことの選択をします。しかし弟は、定職に就かず生活がひっ迫し母親から6万円を貸して欲しいと懇願されたのが、最後の別れとなりました。今でも母親のために、介護保険など払い続けているそうです。次のケースは、さらに深刻でした。普通に建築現場で働いていたそうですが、母親が病弱のため仕事を辞め母親の看病にあたります。やがて母親が亡くなり、その後妹も病気で亡くなります。父親の退職金のほとんどは、母親の入院費で消えてしまったそうです。父親は退職後しばらくして、足が不自由になり、また痴呆も始まります。その後父親が亡くなりますが、お葬式も出せず遺体と同居する生活になります。「父親には、申し訳無い」と涙していました。「死んだ後も年金を受け取っていたのは、悪いことだと思うが仕方がなかった」との言葉に絶句しました。次のケースは、足の不自由な息子が母親の年金を頼りに生活している事です。求職活動もうまく行かず「母親に申し訳無いと、いつも思っています」と語ります。その母親が、突然病に倒れてしまいます。「母親が死んだら、私はどうして生きていけば良いのだろう?」また、日本全国のあらゆる地域には「包括支援センター」なるものがあるそうですが、「個人情報保護条例」の前に思うように機能せず、「限界」という答えが返って来ます。最後に、キャスターが長妻厚生大臣にインタビューしますが、大臣の答えは「まさか、家族と同居している高齢者が所在不明になるとは、想定外の事です」と答えていました。それにしても、何故この様な事が起きるのか本当の所は理解出来ません。先日の大阪・西区での幼児が餓死した事件も同じ様なケースです。「周りの人にSOSを発信できていれば」と思います。よくサラ金で困った人の相談を受けますが、「この世で起きたことは、この世で必ず解決出来ます」と答えています。(写真は、阪神百貨店の屋上ビヤガーデンの様子です)

久しぶりの365号温泉。
2010/09/02

8月25日(水)は、九州旅行から帰ってきて初めての休みとなり、今回も何故か敦賀市から越前海岸を走って来ました。いつも立ち寄る鞠山(まりやま)海釣り公園では、この暑さにもかかわらず沢山の釣り人が楽しんでいました。この時期の特徴は子ども連れが多い事で小さなアジが釣れる度に歓声が上がっていました。ここから先はどうしょうかと考えていたら、長女が「あちらに曲がれ」と指図します。「この方角に行ったら、また越前海岸に行くで」と思いましたが、特別あてもなく従う事にしました。また、呼鳥門まで来ると、少し早いですが「昼食」にしました。私は、ご当地名物の「イカ丼」を注文しましたが、新鮮なイカがたっぷりでこれが結構いけました。越前海岸の海を見ていたら、嫁さんが「九州に行ったのが、ずっと前の事に思えるね」と言うので「本当やな。結構きつい旅やったけど懐かしいな」と答えました。昼食後は、さらに越前海岸を北上し「道の駅みくに」で小休止し、また「らっきょう」を買い求めました。「夏休みやし、ひょっとして三国温泉が開いてるかも」と淡い期待がありましたが、「本日定休」のつれない看板が出ていました。こうなったら、久しぶりに南庄町にある「365号温泉」に行こうと言う事になり、国道8号線を越前市(旧武生市)に向かいました。越前市から、国道365号線を走ると旧南庄町を通り、山間部に温泉施設があります。スキー場に隣接して、こじんまりとした温泉施設があり南庄365号温泉「やすらぎ」と言うそうで入浴料は500円です。この温泉に来たのは今回で3回目になりますが、なかなかいい温泉で敦賀市内からも大勢が訪れる様です。入浴後、着替えていると「福井さんやね」と声がかかり、振り向くと近所の肉屋のご主人でした。「リラポートは子ども連れが多くて、こちらまで足を伸ばしました」との事です。帰りがけに駐車場で見回すと、滋賀ナンバーの車が多く、意外な気がしました。この先、国道は二手に分かれ、365号線は余呉高原から木之元町に出ますし、もう一方は敦賀市内に出ます。余呉高原に立ち寄って帰りたかったのですが、今回は時間が少なかったので、敦賀市内経由で安曇川町に帰る事にしました。(写真は、鞠山海釣り公園と365号温泉と芝生か綺麗なスキー場です)

今日で、8月も終わりです。
2010/08/31

暑かった8月も今日で終わり、子供達は明日から新学期が始まります。今頃は、貯まった夏休みの宿題に追われているのでしょうか?8月は終わっても、猛暑は9月上旬まで続くそうで、本当に涼しくなるのは下旬以降になるのでしょうね。先ほどテレビでの長期予報によると、今年の冬は大寒波が来るそうで、本当に当ると大雪に注意が必要だそうです。さて、私事ですが、昨日は私の誕生日で58歳になってしまいました。不景気で何もご馳走はありませんでしたが、赤飯だけは食べました。「鯛の尾頭付きは?」と聞くと、嫁さんが「そんな物買っていないわ」とつれない返事でした。まあ、この歳になると誕生日もそれほど目出度い事ではありませんね。今日から、タイガースが甲子園に帰って来ますが、冷たいビールでも飲みながら応援したいと思います。今年のタイガースの優勝の可能性はかなり高いのではと期待しております。(写真は、青空に映える木々と祐徳稲荷の鯉たちと阿蘇山噴火時のシエルターです)

2010年・店長の夏休みH。
2010/08/29

11日の早朝、午前5時に起きていよいよ帰宅の途につくことにしました。九州にいて気がついたことは、日暮れは安曇川より30分は遅いのですが、同時に夜明けは30分ほど遅いことです。午前5時30分はまだ薄暗く、実家の家族の見送りも「うっすら」としか見えません。台風4号が接近していると言うことで、雨も風も強く先行きが思いやられます。「それにしても、昨夜はたくさん歌ったね」「まだ、アルコールが残っているわ」との事で先に嫁さんに運転してもらいました。走ってしばらくするとようやく夜が明けてきましたが、まだ雨は止みそうにありません。「とりあえず、関門大橋までは急いで渡ろう」「通行止めになったらやっかいやで」と言いながら先を急ぎました。無事に関門大橋を超え、山口県内に入ると雨は上がり時々突風が吹くだけになりました。さらに、広島県内に入ると風も止み、九州での荒れた天候が嘘の様に快晴となりました。「ここまで来ると、残りは半分やね」「早い目に、昼食にしよう」と岡山県・備前市で午前11時30分となっていました。今日は平日で、「1000円高速」でないため道路はかなり空いていましたので予定より早くなっていました。午後3時には「舞鶴・若狭自動車道」の小浜西・インンターに到着しましたので、「温泉に入って帰ろうか」と言う事で「小浜市・濱の湯」に立ち寄り、旅の疲れを流しました。今回の走行距離は7日(安曇川〜宮崎)1035q、8日(宮崎〜鹿児島〜嬉野)622q、9日(嬉野〜長崎〜佐世保)352q、10日(嬉野〜阿蘇〜嬉野)526q、11日(嬉野〜安曇川)755q、合計3290qとなりました。それにしても、燃料は一度も給油しなくとも嬉野から戻って来れるとは凄い事ですね。ところで、連日猛暑となっていますが、地球がどうかなってしまったのでしょうか?ここ安曇川でも、連日体感気温は37℃以上あり「こんな夏は経験したことないわ」がお年寄りの合い言葉です。(写真は、青島での記念と祐徳稲荷で鯉に餌やる長女と阿蘇山頂での記念です)

2010年・店長の夏休みG。
2010/08/27

10日は、40年来の友人に会うため再び高速道路で熊本県・阿蘇市を目指しました。その友人とは、18歳で就職し横浜の寮で苦楽?を共にしましたが、今も交流が続いているのは2〜3人となり、ある意味では「腐れ縁」かもしれません。待ち合わせ時間まで1時間ほどありましたので、久しぶりに阿蘇山の見学をする事にしました。夏休みとお盆が近いせいか、かなりの混雑でしかも全国から集まって来たほど色々な県のナンバーが並んでいました。以前は駐車場からロープウエイで火口まで行ったのですが、いつの間にか頂上まで車で乗り入れられる様になっていました。「阿蘇五だけの中で、現在も活発に火山活動をつづける中岳。7つの火口からなり、周囲4q、深さ150bにもおよぶダイナミックな景観。ゴーゴーと音をたて、激しく噴煙をあげる様子は、まさに生きている地球が実感できる。」(リーフレットより)この日は、台風が接近しているせいか、強風が吹き荒れ体が飛ばされそうになりました。気がつけば待ち合わせ時間が迫っていましたので、急いで下山しましたが外輪山の雄大さに感動しました。さて、友人と昼食を摂りながら、近況を話したり、昔話を話したりしてあっという間に時間が過ぎました。「良かったら、温泉に入っていかんか?」と言われ、「せっかくやから、行こうか」と言う事で地元の温泉に招待されました。入浴後、道路が大渋滞していましたので、熊本市内まで裏道を誘導してもらい、3時間ほどの面会?は無事に終わりました。「今夜は、おばさんからスナックに行こうと誘われてるで」と嫁さんが言うので、急いで嬉野市まで車を走らせました。(写真は、阿蘇山火口と米塚と阿蘇遠景です)

2010年・店長の夏休みF。
2010/08/26

昼食が終わり、長崎市内に入ると交差点を通る度に警察官が立っていて警備に当っていました。「あ〜あ、今日は9日だから、長崎に原爆が落ちた日だった」「菅総理も式典に来ているやろうね」と車内で会話し、交通も混雑するだろうし長崎市内に向かう事は断念しました。「それなら、大村湾を通って西海橋に行こう」と言う事になりました。西海橋に来たのは数年ぶりでしたが、もう一つ「新西海橋」が出来ていて驚きました。ここからは、もう一つ有名なのもが見えますが、それが「針尾送信所」というコンクリートで出来た無線塔です。高校の修学旅行の時、バスガイドさんが「太平洋戦争開戦へと突き進む日本は1941年12月2日のこの日、連合艦隊司令長官による有名な暗号電文を伝達する。ニタカヤマノボレ一二0八」と説明されました。なお、この無線塔は高さ135bもあり、海上保安庁が1997年まで使用していたそうです。さて、時間も午後3時を過ぎましたので、最後はやはり温泉と言う事になり川棚町にある「しおさいの湯」を目指しました。ここには実際にくじゃくがいる動物園?があり、その名から国民宿舎「くじゃく荘」という宿泊施設に39年前はお世話になりました。もちろん、建物は新しくなっており昔の面影はありませんが「あの時は、若かったな」と回想していました。お風呂から上がると、「今日は、宴会が待っているで!」と嫁さんに言われ、「早く、冷たいビールが飲みたい!」と、嬉野市に車を走らせました。(写真は、西海橋と針尾送信所とくじゃく荘です)

2010年・店長の夏休みE。
2010/08/23

諫早市と言うと思い出されるのが「潮受け堤防」という「海のギロチン」と言われる長さ7qに及ぶ壮大な堤防です。有明海に面する福岡、佐賀、熊本の漁民たちが、水質悪化のため魚や貝が激減し、また海苔の養殖の品質が落ちるなどの問題が起き生活に困っています。その要求はただ一つ、「水門を開けろ」と国や県を相手に裁判が提起されていて、福岡高裁では和解勧告されました。埋め立て地は、農業用地として販売されるそうですが宅地なみの価格の上、当面は塩害の為稲作には向かないそうです。堤防の上は島原半島に向かう道となっており、嫁さんが「一度、向こう岸まで走ってみよう」と言うことになり走りましたが、内側の水質も悪く「どぶ色」になっていました。そろそろ、お昼が近づいていましたので、今日は「回転寿司」にしようと店を探しましたが見当たりません。後で聞いたところによると、長崎県にはほとんど無いそうで「所変われば」を実感しました。何故か急に天候が悪化し、大粒の雨が降り出したので、地元で有名な「とんかつ」の店に避難しました。さて、先日の建物ですが「バス停」で、スイカやイチゴやリンゴなど数種類あり、なかなかユニークだと思いました。ところで、昨夜のNHKスペシャル・アジア沸騰と言う番組を見られた方もあるでしょう。タイ国内における日本の企業の進出が凄まじく、6万人の雇用と30兆円の生産額だそうです。国内では、雇用の確保が難しく失業者が多くいるのに企業は早々と日本を捨てているのですね。これでは、景気回復など望めるはずもなく背筋が寒くなりました。(写真は、イチゴのバス停と潮受け堤防と内湖です)

2010年・店長の夏休みD。
2010/08/21

昨夜は、午後6時に無事嬉野市に到着し、夕食は屋外で「バーベキュー」を楽しみました。旅の疲れもあったのか凄くアルコールが早く回り、何を話したのかあまり記憶がありませんでした。今日(9日)は、遠出する予定もなく、比較的余裕のある行動となりました。まずは、いつも店に飾ってある「祐徳稲荷」の新しいお札を買いに出かけました。嬉野市から鹿島市までは、車で30分ほどの距離ですから午前10時には着いてしまいました。ここでも、観光客の中から「中国語」が飛び交っていましたが、最近は日本国中どこにいっても中国人と出会うことが多くなりました。参拝を済ませ、お札を買い求め、さらに恒例の鯉の餌やりを終わらせるとここでの予定は終了です。さて、これからどうするかなと思案していましたが、「ここまで来ると、有明海が見たいな」と言う事になり長崎県・諫早市までドライブする事にしました。残念ながら、「ムツゴロウ」の姿は見えませんでしたが、潮の引いた有明海は船が丘に上がったようで不思議な光景です。さて、諫早市内に入る手前の小長井町内には道路沿いに不思議な建物があります。いったいこれは何だろうと、ここを通る度に思っていたのですがようやく分りました。その答えは次回に書きますが、みなさんも考えて下さい。今年は、残暑が厳しく外出される方が無く、商売もかなり暇な状態です。それでも、夜になると「クツワムシ」が騒がしいほど鳴き、今朝は「ツツクボウシ」が鳴いていて秋が確実に近づいている事を感じさせます。(写真は、祐徳稲荷と有明海から見た島原半島と不思議な建物です)

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