温泉三昧の休日@。
2011/01/20
15日(土)から17日(月)までの3日間、雪との格闘の結果、昔(35年前)に痛めた腰痛が再発してしまいました。腰を曲げることが出来ないので、膝を曲げて生活していますがなんとも不便な生活です。寝ていても寝返りが出来ず、熟睡する事もなく痛みに耐えています。一応、痛み止めは飲んでいるのですが、効果的に効いているとは思えず、少し痛みが和らぐ程度です。そんわけで、19日は長女の帰省に合わせて、湯治治療?も兼ねて敦賀・きらめき温泉「リラ・ポート」に行く事にしました。途中、マキノ・道の駅「追坂峠」ではダンプカーで雪を運搬していましたが、安曇川町とはケタ違いの積雪でした。おそらく60p以上の積雪で、屋根の雪も下ろさないと持たないでしょう。それに比べ、敦賀市内は思ったほどの積雪ではなく、うっすらと雪化粧している程度でした。いつもより長い目の時間で、およそ1時間熱めの温泉にじっくりと入浴しました。露天風呂では、入浴中も時々雪が舞い、なかなか風情のあるものでしばし見とれていました。昼食は、長女が回転寿司に飽きてきたので、和洋中のバイキングである「スタミナ太郎」にしました。以前はよく利用していたのですが、一人1030円から1180円と150円アップしてから、足が遠のきました。今までだと7割の席が埋まっていましたが昼だというのに、客の入りはまばらで驚くほど空いていました。前に比べてメニューも減って、随分少なくなりこれではお客離れがあっても仕方がないなと思いました。(写真は、道の駅・追坂峠の除雪模様と雪のリラ・ポートです)
あれから16年になりました。
2011/01/17
「わが地域の、ある集まりでのこと。町内に7、8年前にできた巨大マンションが話題になりました。「あそこに住む年配の男性が公民館の行事によく来る。彼がいうんだよ。隣にどんな人がいるのか、いまだに分からないって」。彼は、マンション内で得られない人とのふれあいを求め、公民館に来ます。「そういえば、集合ポストに名前を出さない人もいると聞く。他人とのかかわりを避けて」「しかし、大地震が起きたらどうなるんだろう。助け合わないと・・・」。会話を聞きながら、余計な心配ですめばいいが、と思ったのでした。テレビをつけたら、炎と黒い煙のあがる神戸の町が映っていた、あの朝から16年。助け合いが合言葉だった大震災でしたが、後に復興公営住宅で誰にもみとられずに孤独死した人は680人を超します。ほとんどが、みずから孤立を求めた人ではないでしょう。そして今、「無縁社会」とよばれる現実が様々な形でわが国に広がっています。大震災が発した警告を、社会が受けとめ切れていません。こんな調査もありました。生活保護を受けていた人の死亡率は平均より5倍も高かった。住宅事情が悪かったからー。震災がさらした、格差社会のありさまです。しかし、阪神淡路大震災のあと、政、財、官ぐるみで格差、貧困をひどくしました。派遣労働しか仕事のない若者。ふえる一方の、生活保護を受けざるをえない人・・・。きょう、6434人の犠牲者の無念の声にじっと耳をすます日です。(17日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私は、あの年の1月4日、芦屋の友人宅(今は北海道・音更町でトイピルカを運営しています)で開かれた新年会に参加するためJR芦屋駅に降り立ちました。まさか、それから2週間後に大震災が起きるとは想像出来ませんでした。神戸では、ここに来て新たな問題が生まれているそうです。それは、復興公営住宅の契約期限の20年が迫っていて、追い出されるのではないかという不安です。約5割の入居者が病気や高齢者で、「住み替えが困難」という状況です。さて、今朝起きてみると昨夜からまた、20pほど雪が積もっていました。「もう、雪はいらんわ!」と叫びたい気分です。(写真は、大家さんの立派なお庭の雪景色です)
午前12時の気温が−2℃。
2011/01/16
今年の長期予報では、例年に比べ雪が多いとの予報でしたが、悪いことにずばり的中したと言うのが実感です。昨夜、スナックで大声で歌っての帰り道は何も無かったのに、今朝起きてみて窓から外を眺めたら「何じゃこれは!」との雪景色が飛び込んで来ました。また、今日も雪かきで一日過ぎ去りそうだと思うだけで、ぞっとして、このまま暖かい布団の中で眠りたいとの衝動にかかります。雪かき中に3年間も長持ちしたプラスチック製のスコップが折れてしまい、慌てて「アヤハ・デオ」(日曜大工の店)に行きましたが、すべて品切れでした。「今日入荷予定ですが、トラックが遅れて入って来ていません」との返答でした。仕方なく一旦店に戻り、昼食でも摂ろうと思い車で走っていると、「只今の気温−2℃」と表示されていました。これでは、降った雪がどんどん積もり溶けないはずで積雪は20p(夜には35pに増えました)になりました。昼食後、再び「アヤハ・デオ」に行くと、スコップを求めるお客さんで行列が出来ていました。あれこれ選ぶ余裕もなく、何とか一つは確保出来ましたが、ほかの北国でもこの様な事が起きているのでしょうね。さて、今夜は店を早じまいして、少し痛む腰の為に早寝しようと思っています。(写真は、雪が積もった車と店の周りの雪景色です)
滋賀県にもタイガーマスクが。
2011/01/12
「漫画の悩める英雄の主人公が現実によみがえったかのようです。全国に広がる慈善の輪は、「タイガーマスク運動」とよんでもいいでしょう。「タイガーマスク」の主人公伊達直人をなのる人が、児童養護施設や児童相談所の前に、ランドセルや文房具、野菜などを置いてゆく。三重の伊達直人がのこした手紙には、「子どもは国の宝です」。広島の伊達直人は、「ピカドンの母」の別名を添えていました。伊達直人は孤児です。「あしたのジョー」の矢吹丈も孤児。続けとばかり、兵庫では「矢吹丈」からランドセルが届きました。「タイガーマスク」については、苦悩する姿を記憶している人が多いはずです。孤児を悪役レスラーに育てる「虎の穴」に誘われ、プロレスの世界に入って孤児の施設に寄付する伊達直人。孤児なら誰でも助けたい伊達直人と、弱者を切り捨てる「虎の穴」との対立。「虎の穴」が伊達を葬ろうとリングに繰り出してくる残虐な相手に対し、試合のルールを守か破るか迷うタイガーマスク・・・。伊達直人の名で寄付する人も、彼の仮面の下の苦しみを胸に刻んでいるのかもしれません。今の児童養護施設に入っている子どもは3万人あまり。孤児よりも、虐待などで親と暮らせない子が多い。一方、児童相談所への養護相談は年間8万7千件を超えます(09年)。親の家出や死亡、離婚。虐待や子育て放棄。世間には、寒波のもとで善意の火をともす「伊達直人」と「菅直人」を比べる人も現れています。(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私たちが中学生の頃、テレビで放映されていて欠かさず観た記憶があります。ただ、恥ずかしい話し「伊達直人」と言う名前は初めて聞いたような気がします。最後は、トラックにひかれそうな子どもを救い、自らはトラックにはねられて亡くなるのですが、マスクだけは川に棄ててしまうのでしたね。さて、この現象に対し、ある有名なコラムニストは「国への不信というものが高まり、この様な行動になっているのだと思う」とコメントされていましたが、うなずくものがありました。ところで、恵まれない大人がいることも忘れないで、我が家にも「タイガーマスク」が来ないかなと思っています。今日は、安曇川も久しぶりの快晴で雪かきをしなくて済みましたが、今夜から冬型が強まり明日は雪になるそうです。首も腰も腕も太ももも痛みがありますので、治療のため朽木の「てんくう」温泉にでも行こうと思います。(写真は、大晦日から新年にかけてマキノ・「さらさ」温泉に積もった大雪です)
今、ラグビーが面白い。
2011/01/10
8日(土)は、全国高校ラグビーの決勝戦が花園ラグビー場で行われ、東福岡(福岡第一)ー桐蔭学園(神奈川第二)の試合は31−31で両校の優勝となり、東福岡は2連覇、桐蔭学園は初優勝となりました。私の予想では、東福岡が圧倒的に有利かなと思っていたのですが、前半は桐蔭学園のスピードに東福岡がついて行けない状態でした。しかし、後半はパワーに勝る東福岡がじりじりと追い上げ終盤に同点に追いつきました。まさに、手に汗握る試合で両校の持ち味が出た内容のあるものでした。また、昨日は全国大学選手権の決勝戦が国立競技場で行われ、帝京大が早稲田を17−12で下しました。帝京大は対抗戦で早稲田、慶応、明治に破れ4位という結果からのリベンジですから素晴らしいですね。私の予想では、早稲田の一方的な試合になるのではと思っていたのですが、完全に外れました。点差は5点しかありませんが、早稲田の完敗と言って良いほど、帝京大のフォワードのパワーに早稲田が押されっぱなしという状況でした。いかに早稲田といえども、あれだけフォワードが受け身になると勝利は難しいでしょう。両校は、2月6日に行われる日本選手権でトップリーグ(社会人)と対戦して、日本一を目指します。ただ、力量に上回るトップリーグにどこまで通じるかが見物です。さて、昨夜から降った雪が積雪10pほどになり、今日も朝から雪かきに追われました。これで、昨年の大晦日から3回目となり「今年は、よう降るな」が合い言葉になっています。まだまだ、これから2月の雪の本番には、どれくらい積もるのか先が思いやられます。(写真は、新しいJR奈良駅とその構内とお土産の柿の葉寿司です)
雪かきで疲れました。
2011/01/07
七草がゆ「七草は、寒い中で芽吹く生命力の強さから邪気を払い万病を除くといわれ、七草がゆとして食べる習慣があります。鉄分がたっぷりのセリ、熱を下げるナズナ、ゴギョウ、栄養が豊富なハコベラ、ホトケノザ消化を促進するスズナとスズシロ。七草には野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効用があります。おせち料理で疲れた胃腸の回復にもよさそうです。(7日付けしんぶん赤旗「天気」より)七草かゆなど、我が家では随分と長く見かけなくなりましたが、最近はスーパーでセットされて販売されているようですね。さて、昨夜から降り続いた雪が20pを超え、自宅で1時間、店の周囲で1時間もかかりました。まだ、残っている所もありますので、さらに1時間は要すると思いますが、老体には厳しいものがあります。雪が見たい方は、ここ2〜3日は残っていますので、是非安曇川まで来て下さい。今晩は、今年初めての新年会があり、シカ肉とシシ肉の両方が用意が出来たと連絡がありました。久しぶりに、美味しいお酒が飲めそうだと、ワクワクしております。(写真は、鹿との記念写真と興福寺にある南円堂と猿沢の池です)
店長の正月休みB。
2011/01/06
息子夫婦が昨晩から泊まりがけで来たので、朝は比較的ゆっくりとしていましたが、長女も我慢の限界が来たのか、やむえず出掛けることにしました。歳末に大阪に出掛けたとき「青春18キップ」を買っていたので、3日は車ではなく電車で行く事にしました。JR安曇川駅から新快速に乗りましたが、目的地が決まってなく、「どこに行こうか?」「あまり行ったことの無いところ」「姫路行きやから、明石まで行こうか?」「もう、何回も行ってるやないの」「そしたら、奈良はどうやろ」「そやな、奈良にしょうか」と言うことで京都駅でJR奈良線に乗り換えました。途中、伏見稲荷駅では沢山の人が乗り降りしましたが、参道の人波を見ると行く気にはなれませんでした。「この奈良線は、いまだに単線なんやで」「この線と、学研都市線の一部だけが単線で遅れているんや」と嫁さんに話しかけてるのに寝たふりして返事がありません。ようやくJR奈良駅に着きましたが、高架駅になっていて昔の面影はありません。「せっかく、古都奈良なんやからもっと古風に造れないのかね」とこんな時だけ議員本能が働くようです。「昔の駅舎はこれやね」と隣に保存されている駅舎を指さししました。「よっぽど、こちらの方が立派やね」と感心しておりました。もうお昼も過ぎていましたので「ガスト」でランチタイムとしました。三条通りは、それほど多くの人出ではなく、なんとなく落ち着いた雰囲気でした。「あまり時間がないから、興福寺までで引き返そうか」と言うことで興福寺を目指しました。土産物店の前で「これが、せんと君か?」と話していると、長女がクッションの「せんと君」を放さないので、カーホルダーの「せんと君」と二つ買いました。今、私の車に「ひこにゃん」と並んで車に飾ってあります。興福寺に来たのは何年ぶりになるのか、改めて五重塔を見ると立派な造りだなと感心しました。まだ初詣に出掛けていなかったので、参拝と破魔矢を買い求めました。「今日は、鹿の姿が少ないね」と嫁さんが訊くので「そら鹿かて、正月休みやろう」と答えておきました。興福寺から奈良駅に戻る途中、「柿の葉寿司」の看板が出ていたので、お土産に買って帰ることにしました。今度は、関西線で大阪へ出ることにしましたが、この電車に乗るのも何十年ぶりになると思います。奈良は大阪のベッドタウンになりつつあると聞いていましたが、線路の両側は田園風景が広がっています。郡山の辺りでは、人口の池が目立つので「あれは、金魚を養殖しているの?」と嫁さんが訊くので「多分そうやろう」と自信なく答えました。JR大阪駅に着いたのは午後4時でしたので、帰りの時間を考えるとあまり時間がありません。「阪神百貨店の福袋買いに行く?」と嫁さんに訊くと「もうええわ」との返事で、東海道線で京都に出て湖西線でJR安曇川駅に午後6時に戻って来ました。今日一日の交通費は、一人2300円でしたが、普通に買えば4000円にはなっていると思いますので、随分得した気分になりました。お土産に買った「柿の葉寿司」も、年寄りに好評で、また行ったら買って来てと言われましたが、いつのことになるかはわかりません。(写真は、旧奈良駅駅舎とお土産に買ったせんと君と興福寺の五重塔です)
店長の正月休みA。
2011/01/05
「人間というものは、ほんとうに身勝手です。きっと、ウサギさんは迷惑しているでしょう。ウサギさんには敵が多い。日本にはもういないオオカミはもちろん、タカ、キツネ、イタチ・・・。子孫を残すのはたいへん。しかし、ウサギは進化しました。発情期をなくし、年中子どもを生めるようにしたのです。発情期のない哺乳類はヒトやウサギなどぐらい、という説もあります。人間は、ウサギさんを多産と豊かな実りの象徴にまつりあげ、あがめました。ところが人間ときたら、一方で、ウサギを娯楽の狩りの獲物にして追い回します。田畑や牧場を荒らすからと、捕まえたり天敵のキツネを放したりします。まあ、お百姓さんも困りました。獣肉食が禁じられた江戸時代の日本でも、ウサギの肉は許されたらしい。ー”獣を殺すな”のおふれが出た。「ウサギもいけませんか」とお百姓。代官が、耳の遠いふりして「ウやサギのたぐいは鳥。殺してけっこう」。で、ウサギを鳥のように1羽、2羽と数えるようになったとさー。動物学者、朝日稔さんの創作講談です。日本で、ウサギはウサギでも飼いウサギをふやせ、産ませと号令のかかった時がありました。先の大戦中です。主に、毛皮をはいで兵士の防寒着をつくるためでした。ずいぶん身勝手です。けれどウサギさん。人間はウサギがうらやましくもあるのです。たとえば、見事な跳躍力に。うさぎ年にちなみ、私たちもあやかって飛躍したいと思うのは、やっぱり身勝手ですか。」(5日付けしんぶん赤旗「潮流」より)さて、2日の朝は迷わず国道161号瀬を北上し敦賀市を目指しました。道路の両側はかなりの積雪でしたが、道路上には散水装置が働いていてまったく雪がありません。「こんなに水が出ていたら、バイクや自転車の人は困るやろな」と通るたびに思います。いつも立ち寄る鞠山海つり公園には、正月にもかかわらず何人かの人が竿を出していました。この時期は寒さとの我慢比べですが、寒さに弱い私にはまねが出来ません。時々、体長12〜3pの小アジが釣れていましたが数は少ないようです。今日は、「敦賀きらめき温泉」リラ・ポートに行くことに決めていましたので、午前10時の開館と同時に入館しました。ここでも、運だめしの抽選会があり、無料入館券とレンタル・バスが当たりフロントの方が驚いていました。正月だから混雑しているかなと思っていましたが、平日より少し多いくらいでゆっくりと入浴出来ました。お昼は、いつもの回転寿司の「祭り寿司」に行きましたが、ここも意外と空いていて、早々と席に着くことが出来ました。長女がいつもに比べて食べないので首をかしげていると「昨日もスシローやったから飽きているのやろう」と嫁さんが答えました。「また、新しい店の開拓が必要やね」「でも、最近は洋食は苦手やな」「さっき、丸亀製麺の店が新しく出来ていたで」「今度、試しに行ってみようか?」なんて会話していました。今晩は、息子夫婦が来る予定なので「瓜割りの水」を汲みに上中町に立ち寄って帰る事にしました。(写真は、鞠山海つり公園から見た日本海とリラ・ポートから見た敦賀市内の雪景色です)
店長の正月休み@。
2011/01/04
「あけまして、おめでとうございます。本年も店長日記をよろしくお願い申し上げます。」そうは言ってみましたが、4日となるともう正月気分も抜けて仕事に励んでおられる方も多いと思います。当店も今日から営業を始めましたが、気温3℃と寒さが厳しく、しかも雪交じりの雨が朝からずっと降り続いていてまだ誰も来店されません。(悲しい!)さて、店長の正月休みですが、31日から降った雪が30p近く積もり、どこかに出掛けるのも躊躇される道路状態でした。「こんな時は、雪の少ない大津市方面に南下することやろうね」と言うことになり、国道161号線を堅田方面に向かいました。ところがこの読みが大外れで、南下しても積雪量は減りましたが、道路の除雪はまったくされていなく、圧雪状態になりノロノロとしか走れず堅田まで1時間もかかってしまいました。少し早いですが「スシロー・堅田店」で昼食を摂り、引き返すことにしました。戻るときは湖西道路を使いましたが、「除雪が完璧」でスイスイと走れました。これも読み違いで「山側は降雪量が多いから避けた方がよい」と思っていたので、ことごとく予想が外れました。「さて、これからどこに行こうか?」と話し合い、「いっそ、マキノのさらさ温泉にしょう」と結論が出ました。さすがに積雪量は50p近くありましたが、道路は除雪が行き届いていて、ノーマルタイヤでも走れるほどでした。温泉の混雑もたいしたことなく、やや小さな子供が多いことが気になるくらいでした。入浴後は、冷たいソフトクリームを頂き、今年の初風呂は「さらさ温泉」で満足の行くものでした。帰り際、入館する時にもらった抽選券で抽選すると、なんと「12個入りリンゴ」が当たってしまいました。「今年一年間の運を使い果たしたかも」と苦笑いしながら、暮れゆく高原を後に帰路に着きました。(写真は、ユルキャラのさらさちゃんと子供で賑わうマキノスキー場と葉の落ちたメタセコイアの並木です)
今年1年間ありがとうございました。
2010/12/31
昨日は、午後から墓参りするために3ヶ月ぶりに大阪に向かいましたが、京都駅構内の信号機の故障で湖西線の新快速が各駅停車になり随分と時間がかかりました。大阪駅に着くと恒例の阪神百貨店に立ち寄り、正月用の食品には目もくれず「ちりめんじゃこ」と「たらこ」と「サケの切り身」を買い求めました。気のせいかしれませんが「ごった返す」ほどの混雑ではなく、お客さんが少なく感じました。北新地駅から東西線に乗り、鴻池新田駅に降り立ちました。ここから徒歩10分ほどの先祖代々の墓に花を供え、「今年一年間、家族無事に過ごせました」と報告してお墓を後にしました。この時期、いつも賑やかにお餅を販売している和菓子屋さんのシャッターが下りたままになっていました。お隣のたこ焼きさんに伺うと「10月頃から閉まったままです」との答えが返って来ました。私が中学生くらいの頃からあったお店ですが「誰かが病気でもされたのかな?」と淋しい気持ちになりました。ここから心斎橋に向かうのですが、「どうしても、京阪モールに立ち寄りたい」という嫁さんの希望で、京橋駅で途中下車しました。しかし、これが「ドツボ」の始まりで、洋服選びに1時間も付き合わされるとは思っていませんでした。しびれを切らして、表で待っていると献血の呼びかけが熱心にされていました。私のように「糖尿病」があっても「献血」出来るのだろうかと訊いてみたくなりました。さらに待たされる事15分、ようやく洋服選びが終わり、森の宮駅から地下鉄・中央線に乗り、本町駅で下車し、心斎橋筋を南に向かいました。毎年の事ですが、30日に開けているのは3軒に1軒程度で、ほとんどがシャツターが下りていて、謹賀新年の張り紙がしてあります。途中で、いつも立ち寄る洋服店で珍しく「マフラー」だけを買って戻って来ましたが「京阪モール」でよほど散財したのがわかります。かっての会社の先輩と忘年会をするために午後5時から「心斎橋・天狗」飲み始めました。久しぶりの事なので、話しが弾みお酒も「焼酎のボトル」を2本も開けてしまいました。気がつけば午後10時になっていて、そろそり退散しなければならない時間になり「5月には北海道に行こう!」と約束して別れました。京都駅までは起きていたのですが、湖西線に乗った途端に眠って閉まったようで、気がつけば高島駅まで帰って来ていました。電車から降りると、急に寒さが身にしみ大阪との気温の違いが感じられました。さて、一晩が過ぎて今朝、窓を開けると外が真っ白で驚きました。それから、ずっと雪が降り続き、現在は積雪15pほどになり、最後の最後に雪かきをするはめになりました。さて、今年一年間、店長日記にお付き合い下さいまして「ありがとうございます!」。来る年がみなさまにとって良い年でありますようお祈りしまして今年最後の店長日記とさせていただきます。(写真は、梅田・地下街で見かけた「朝日放送のおきたくん」と今朝の安曇川です)
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